So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

「しらす」と「うしはく」 ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「しらす」と「うしはく」
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 4
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽4 「しらす」と「うしはく」
koukyo01.gif
 明治になって、日本の天皇はヨーロッパ王室に学び、近代的な立憲君主となりました。けれども、古代からの天皇のあり方が否定されたわけではありません。

 明治憲法は第1条に、

「大日本帝国は万世一系の天皇、これを統治す」

 と規定しています。しかし、憲法起草の中心にいた井上毅の原案には

「日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり」

 とあって、天皇統治とは「しらす」政治の意味であることが明記されていました。

 天皇統治がヨーロッパ王制の権力支配とは異なることが、明治憲法の制定者たちには自明のことだったようです。

 ヨーロッパの国王と何がどう異なるのでしょうか? それは日本の天皇が祭り主、祭祀王であるという1点に尽きるでしょう。

 この国をしらす天皇の第一のお務めは祭りであり、天皇は

「国中平らかに、安らけく」

 とつねに国家と国民のために祈られます。

 その意味を明治の社会主義者・幸徳秋水は、皇統が一系で連綿としているのは歴代天皇が社会人民全体の平和と幸福を目的とされたからで、これは東洋の社会主義者の誇りだ、と指摘しているほどです(『幸徳秋水全集4』)。

 それなら、なぜ祭祀王とされてきたことが優れているのか、祭祀王とはどういう意味なのか、むしろ市村先生のような知的権威にこそ、有識者ヒアリングで説明していただきたかったのですが、先生はレーヴェンシュタインの立憲君主論を引用されるだけでした。

 日本の古典に造詣が深いはずの市村先生がなぜ、「古事記」「日本書紀」をはじめ日本の古典を引用し、国学を紐解き、天皇論を語られないのか、逆になぜレーヴェンシュタインなのか、私には理解できません。

 カール・レーヴェンシュタインは20世紀ドイツを代表する哲学者、政治学者でした。ドイツといえば、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は皇帝即位の10年前、プロイセン王となったとき、戴冠式で王権神授説を謳い上げ、議員たちを牽制したといわれます。

 いうまでもなく、キリスト教世界の王権は絶対神に正統性の根拠が置かれ、国王は地上の支配者とされています。王は絶対神以外に拘束されず、人民は国王の行為に反抗できないというのが王権神授説です。

 けれども、日本の天皇はこれとはまったく異なります。

 天皇がこの国を治めるのは皇祖天照大神の委任(ことよさし)によるものであって、皇祖天照大神は創造主でも、絶対神でもないからです。キリスト教世界の国王が、異教徒の国民のために、異教の神に祈ることなどあり得ませんが、日本の天皇は古来、皇祖神のみならず天神地祇を祀ることとされました。

 被造世界を創造した創造主がアダムに与えた「地を従わせよ」(「創世記」)という命令は絶対的ですが、天皇には絶対的支配権はありません。

 哲学者の上山春平先生が指摘しているように、日本では古代律令制の時代、天皇はみずから権力を振るわず、権力は官僚機構の頂点にある太政官に委任されました。

 古代中国では統治の権威は天上の人格神「上帝」に由来し、権力は皇帝が掌握したのとは対照的です(『日本文明史』など)。

 専制政治は行われず、天皇と民との関係は支配─被支配の関係ではないということになります。いわゆる権力の制限が、古代から行われてきたのです。

 近代においても、明治元年の五箇条の御誓文は最初に、

「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スヘシ」

 と議会主義を宣言しています。

 けれどもヴィルヘルム1世には、権力の制限の意味など理解されなかったでしょう、憲法調査のため渡欧した伊藤博文に、

「日本天子のために、国会の開かるるを賀せず」

 と忠告し、議会開設に反対したといわれます。

 しかしながら、結局、ドイツ帝国は第一次世界大戦の敗北とともに、わずか3代で滅びました。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

ヨーロッパ王室とは異なる ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 3 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヨーロッパ王室とは異なる
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 3
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。まだまだ賛同者が必要です。ご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が4万回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論

▽3 ヨーロッパ王室とは異なる
koukyo01.gif
 天皇は古来、公正かつ無私なる祈りの存在として知られてきました。そして、国民の天皇意識は神話や伝承、地名、年号、年中行事、文学、音楽などによって、広く、深く培われてきました。

 したがって、宮家が減少し、皇室の御活動が困難を来すことによって、ただちに立憲君主制の根幹が揺るがされる、というような論理は、まことに僭越ながら、一面的といわざるを得ないように思います。

 先生は「国民の敬仰・信頼の根源」として、真っ先に宮中祭祀を数え上げていますが、なぜ天皇の祭祀が国民との信頼関係の根源となり得るのか、とくに説明はありません。

 極端にいえば、生身の肉体を持った天皇がおられない空位の時代でさえ、天皇の制度は続いてきました。信頼関係の根源は御活動ではないはずです。とすれば、「皇室の御活動」の維持を目的とする、政府の「女性宮家」創設案は意味をなさないことになります。

 天皇が古代から125代の長きにわたって続いてきた、歴史的な役割と意義について、レーヴェンシュタイン流ではない説明が求められます。

 市村先生には釈迦に説法ですが、戦前・戦後を通じてもっとも偉大な神道思想家といわれる今泉定助(いまいずみ・さだすけ。神宮奉斎会会長。日本大学皇道学院長)によれば、「天皇統治の本質」は、遠く天壌無窮の神勅に

「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ、吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。いまし皇孫(すめみま)、就(い)でまして治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りむけむ」

 とあるように、この国を「しらす」ことであり、また大祓詞(おおはらえのことば)に

「我が皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原瑞穂國を安国と平(たい)らけく知(し)ろし食(め)せと、事依(ことよ)さし奉りき」

 とあるように、「安国と平らけくしろしめす」ことだと説明されています。

「しらす」政治は「知る」政治であり、国民の自性を知り、万物の自性を知って、これを生成化育する、政治同化統一する神人不二、祭政一致の政治であり、「うしはく」政治つまり領有の政治、私有の政治とは異なる、と説明されています(『今泉定助先生研究全集2』)。

 今泉のいう「祭政一致の政治」とは、いかなる意味なのか、カビの生えたアナクロニズムではない、現代的な説明が必要です。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

御活動が国民との信頼の基礎なのか? ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
http://melma.com/backnumber_170937/


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
御活動が国民との信頼の基礎なのか?
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 2
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを1人で始めました。できましたら、ご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽2 御活動が国民との信頼の基礎なのか?
koukyo01.gif
 ごく簡単に批判を試みると、天皇の制度が古来、強固に続いていることについて、市村先生が、天皇と国民との相互の信頼関係を指摘されたのはきわめて重要で、同意します。天皇の存在の一方で、国民の根強い天皇意識があればこそ、制度は連綿と続いてきたのでしょう。

 しかしながら、すでに何度も述べたことですが、それは市村先生が指摘されたように、天皇や皇族方の御活動によって形成されてきた、というわけではないはずです。天皇あるいは皇族方が社会的に活動されるのは、すぐれてヨーロッパ的、近代的な現象です。皇室の御活動の維持が議論されていることこそが、まさに近代的なのだと思います。

 もし皇室の御活動によって国民との信頼関係が築かれるのなら、近代以前、皇室と国民とのあいだの信頼関係はどのようにして築かれたのでしょうか?

 たとえば、後陽成天皇の聚楽第行幸は豊臣秀吉が演出したものでした。後水尾天皇の二条城行幸は徳川秀忠と家光が拝謁しました。これらは誰との「信頼関係」を築くものだったのでしょうか。前者はむしろ権力者が皇室を政治的に利用したのであり、後者は下克上の最終段階において、朝廷をも従わせようとする徳川3代との激しいつばぜり合いの中で起きたことでした。

 時代が移り、明治元年以降、明治天皇は、お召し艦やお召し列車で、ときに軍服を召され、地方に行幸されました。

 たとえば、いまや北海道は、新潟県と生産量を競い合うほどの米どころですが、明治政府は当初、西欧式農業の導入に腐心し、稲作農業の展開には無関心でした。札幌農学校の寮の規約には「米飯を食すべからず」と明記され、屯田兵村では稲作禁止令が通達されました。稲作を試みた農民が投獄されるほどでした。

 しかし民間人の稲作にかける思いは抑えがたく、のちに「北海道稲作の父」と呼ばれた中山久蔵は、現在の北広島市で、寒さと飢えと孤独に耐えつつ、寒地稲作を成功させ、種籾を開拓民に無償配布し、水田稲作が北の大地に拡大していきました。

 明治14年9月、明治天皇は久蔵宅で昼食を召し上がった際、「金三百円並びに御紋付き三つ組銀杯」を賜り、54歳の久蔵は感涙に咽んだと伝えられます。こののち開拓使は幕を閉じ、新たに設立された北海道庁は稲作推進を決め、稲作試験場を開設し、寒地稲作は公認されたのです。

 天皇のお出ましは国策転換の、いわばセレモニーでした。

 明治天皇が地方巡幸の折にお立ち寄りになった行在所などは、戦前は史跡に指定され、「聖蹟」と呼ばれましたが、占領期に指定解除されました。天皇の地方へのお出ましが国民との信頼関係の基礎であるとするならば、「女性宮家」創設と同時に、各地にある「聖蹟」を復活させてはいかがでしょうか。しかし、そんな提案はあり得ないでしょう。

 今日、陛下は自然災害の被災地を訪れ、被災民と交わられ、あるいは元ハンセン病患者やお年寄りなどとの交流を続けられ、皇居勤労奉仕団にお声をかけられます。それらが国民との絆を深めることになっていることは、私も同意できます。

 しかし、たとえば天皇の被災地ご訪問は、公的支援を打ち切る「安全宣言」の機能を併せ持っています。全国のハンセン病療養所を訪問されているのは今上陛下であり、勤労奉仕団のご会釈も今上陛下は1人1人にお声をかけられますが、昭和天皇は遠くから軽く手を振られるだけでした。

 しばしば大手新聞社が主催する美術展などに、おそらく各社の要請を受けられて、陛下や皇族方がお出ましになることもありますが、これは国民との信頼関係を築くものなのでしょうか?

 政府は、これらの御活動が安定的に維持されるべきであり、ご多忙を極める現実に鑑みて、女性皇族方にご分担いただくため、婚姻後も皇籍離脱せずに、皇室にとどまる必要があると、認識しているのでしょうか。市村先生もそのことに、賛成しているということでしょうか?

 つまり、政府が目的に掲げる、安定的に維持されるべき「皇室の御活動」とは、具体的に何か、がまず問われるべきです。そうでなければ、議論は単なる抽象論に終わります。

 伝統的、歴史的な天皇像とは、必ずしも行動主義によらず、しかもそれでありながら、「まえがきにかえて」で申しましたように、もっと生々しいものではないのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

立憲君主の役割と意義 ──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
http://melma.com/backnumber_170937/


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
立憲君主の役割と意義
──なぜレーヴェンシュタインを引用するのか 1
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを1人で始めました。できましたら、ご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第4節 なぜレーヴェンシュタインを引用するのか──市村眞一京大名誉教授の賛成論


▽1 立憲君主の役割と意義
koukyo01.gif
 次に、平成24年4月23日に行われた、市村眞一京大名誉教授(経済学)のヒアリングです。

 市村先生は、現代を代表する、そして私がもっとも尊敬する碩学です。ベストセラー『現代をどうとらえるか──イデオロギーを超えて』(1970年)からは、多くの知的刺激を受けました。

 けれども、今回のヒアリングは意外でした。賛成論をお述べになったというだけではありません。ご専門の経済学の枠をはるかに超えて、古今東西の文献に通じ、ずば抜けて幅広い学識を有する市村先生の皇室論は、予想に反して観念的で、抽象論にとどまっているという印象を免れませんでした。

 市村先生の所見は、政府側の6つの質問項目に沿って述べられています。

 まず、皇室の御活動の意義について、ですが、市村先生は、比較憲法学の大家とされるカール・レーヴェンシュタインの『君主制』を引用し、

(1)国家と国民統合を象徴的に具現する
(2)政治家の権力欲を抑制する
(3)外交の連続性を保つ
(4)(軍、行政府、司法、議会間の)政治的調整力として働く
(5)官僚制の効率の基盤となる
(6)軍とくに将校団の忠誠心の支柱となる

 という立憲君主制下の君主・王族の持つ、6つの役割と意義を紹介したうえで、現行憲法下で、両陛下や皇族方がこの役割を立派に果たされていること、その基盤には国民との相互的な信頼関係、国民の敬仰の念があることを、指摘しています。

 市村先生は、皇室と国民とのみごとな相互関係が歴代天皇、今上陛下のご努力の結果であり、すなわち、天皇の祭祀、国事行為、公式行事へのお出まし、さらに皇族方の御活動が国民の敬仰・信頼の根源であると解説しています。

 そのうえで、今後、宮家というものがなくなると皇室の御活動がだんだん困難になり、立憲君主制の根幹が揺らぐ、したがって、制度的に一定数の宮家を確保できるよう、典範を緊急改正する必要があることは明らかだと述べ、政府の「女性宮家」創設に賛意を表明する同時に、中期的対策のための調査会を設置することを提言しています。

 市村先生はこのほか、皇室の御活動維持のために、すでに臣籍降下(皇籍離脱)された皇族方、これから臣籍降下される皇族方が、必要に応じて、内親王・女王の称号を保持できるようにする典範改正が望ましいと語ります。

 その反面、占領期に臣籍降下された元皇族の復帰は緊急には認められるべきではないと主張し、また、明治天皇と昭和天皇の内親王が降嫁された朝香宮家、東久邇宮、竹田宮家、北白川宮家の4宮家を復活させることが妥当か否かについて問題点を指摘しています。

 さらに、慎重で、専門的、かつ真剣な、そしてセンセーショナルではない議論の必要性を求めています。

 このように市村先生は、政府の「女性宮家」創設論と同様に、皇室の御活動の維持、さらに皇室の規模の維持という観点から、内親王・女王を当主とする宮家の創設を、皇室典範の改正によって実現することに賛成しているのですが、現行典範の長期展望の欠落という欠陥を指摘し、さらに皇統論にまで発展させています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」 ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 9 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
http://melma.com/backnumber_170937/


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 9
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを1人で始めました。できましたら、ご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論

▽9 「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」
koukyo01.gif
 22年5月3日に現行皇室典範が日本国憲法とともに施行され、その前日に明治以来の皇室令はすべて廃止されましたが、皇室祭祀の伝統は実質的に維持されました。その法的根拠が、「従前の例に準じて」とする宮内府長官官房文書課長の依命通牒でした。

 そして50年8月の宮内庁長官室会議で、宮内官僚たちがこの依命通牒を人知れず、事実上、「廃棄」するまで、この通牒は生きていました。

 いや、じつのところ、後述するように、依命通牒はいまも生きています。そのことを、宮内庁次長が国会で答弁しています。「廃止」の法的手続きは取られていないというのです。

 しかし「生きている」のなら、昭和天皇崩御から5か月も経って、政府が検討委員会、準備委員会などの会議を何度も重ね、参考人まで呼んで、何か月にもわたり、大がかりに「即位の礼」の「中身」を検討する必要はありません。旧登極令には御代替わりの儀式が事細かに定められているからです。

 要するに、依命通牒は法的手続きとしては「廃止」されていないけれども、事実上、「破棄」されたのです。そして、この依命通牒の「破棄」こそ、間違いなく、戦後の皇室行政史最大の画期です。

 ところが、百地先生の研究書にはこの歴史が抜け落ちています。

 先生の著書の第11章に「『依命通牒』をめぐって」という一節があります。大分県知事らが大嘗祭に関連する「主基(すき)斎田抜穂(ぬいぼ)の儀」に参列したことが違憲だと訴えられた裁判で、原告が主張したことのひとつが、依命通牒を法的根拠として大嘗祭を挙行することは、現行憲法施行によって「主権等の原理的転換」が行われた歴史を無視している、というものでしたが、百地先生はこう批判しています。

「仮に『依命通牒』が存在しなかったとしても、憲法自身が皇位の『世襲』に伴う不可欠の伝統儀式として大嘗祭を容認している以上、『皇室の公的行事』として大嘗祭を斎行することは可能と思われる」

「仮に存在しなかったとしても」は、「昔はあったが、いまはない」ではなくて、「昔もあり、いまもある」、つまり、昭和50年8月の宮内庁長官室会議での「破棄」はない、と読めます。

 官僚の通達を官僚が人知れず「廃棄」し、その結果、皇室の伝統の断絶を招き、御代替わりの諸行事について大掛かりな検討を行うことを迫られ、そのことについて政府が口をつぐんでいる、という理解ではないことになります。

 しかし「なかった」のならまだしも、「破棄された」意味は小さくありません。

 いみじくも百地先生自身が参加したヒアリングがそうであるように、そもそも有識者に参考意見を求め、皇室の諸制度を検討し決定するという手法が採られるようになったのは、依命通牒の「破棄」によって皇室の伝統の踏襲に関する明文的根拠が失われたことに、根本的原因があるのではないでしょうか?

 百地先生は、戦後の皇室史のエポックとなった依命通牒の「破棄」について、憲法学者として、なぜ追究(追及)なさらないのでしょうか?

 先生の『政教分離とは何か』が世に出たのは平成9年の暮れです。依命通牒の「破棄」が記録された『入江相政日記』(平成2~3年)はすでに公刊され、御代替わりに関する『昭和天皇大喪の礼記録』(内閣総理大臣官房、平成2年)、『平成即位の礼記録』(同、平成3年)など4冊の公的記録も公になっていたはずです。

 まさかご存じないわけではないでしょうに。

 百地先生は行政機関を被告とする大嘗祭関連訴訟などで、国側に立ち、擁護論を展開しています。法廷の反天皇派には有効な憲法論なのでしょうが、「本能寺の敵」に対してはどうでしょうか。古来、民が信じるあらゆる神々に、公正かつ無私なる祈りを捧げ、国と民をひとつに統合してきた天皇統治の歴史と伝統を守り得るのかどうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

ダブル・スタンダード ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 8 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ダブル・スタンダード
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 8
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、たった1人で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。皆様のご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論

▽8 ダブル・スタンダード
koukyo01.gif
 実際のところ、政府は戦後、むしろ緩やかな分離政策を採用してきました。

 関東大震災と東京大空襲の犠牲者を悼む東京都慰霊堂では春秋年2回、仏式による慰霊法要が都内の5つの仏教寺院の持ち回りで行われています。カトリックの世界的巡礼地である長崎の26聖人記念碑は市有地に立地し、小泉内閣時代以降、首相官邸などでイスラムの断食明けの行事「イフタール」が行われました。

 けれども「違憲」という抗議の声は聞かれません。

 しかし、宮中祭祀や神社のこととなると、政教分離の厳格主義が頭をもたげてきます。つまり宗教政策の二重基準(ダブル・スタンダード)です。

 そして昭和22年の宮内府長官官房文書課長の依命通牒が50年の長官室会議で反故にされ、宮中行事の明文的根拠が完全に失われた結果、昭和から平成への御代替わりの諸行事はさまざまな影響を受けました。

 最大のテーマは大嘗祭でした。

「きわめて宗教色が強いので、大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題になりました」

 と、当時、内閣官房副長官として政府の中枢にいた石原信雄氏は、著書の『官邸二六六八日』で振り返っています。

 何しろ戦後の皇室典範には、「大嘗祭」の定めが見当たりません。しかし、立法者たちが大嘗祭の挙行を不適当だと考えたわけではありません。

 昭和21年12月5日の帝国議会で、皇室典範案に関する第一読会が行われたとき、金森国務大臣は、こう述べています。

「即位の礼を行わせられ、大嘗祭を行わせられるというふうの規定は、これはその即位の礼に関しましては、今回制定せられまする典範の中にやはり規定が設けてありまして、実質において異なるところはございませんので、大嘗祭等のことを細かに書くことが一面の理がないわけではありませんが、これはやはり信仰に関する点を多分に含んでおりまするが故に、皇室典範の中に姿を現わすことは、或は不適当であろうと考えておるのであります」


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

占領前期に先祖返り ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 7 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
占領前期に先祖返り
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 7
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、たった1人で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。皆様のご協力を切にお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論


▽7 占領前期に先祖返り
koukyo01.gif
 入江日記には

「長官室の会議。神宮御代拝は掌典、毎朝御代拝は侍従、ただし庭上よりモーニングで」

 とあります。最大の変更は毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)だったようです。

 毎朝御代拝は、平安中期の宇多天皇に始まり、一日も欠かさず受け継がれてきた、天皇が毎朝、石灰壇(いしばいのだん)に登り、伊勢神宮並びに賢所を遥拝された石灰壇御拝(いしばいだんのごはい)に連なる重儀で、明治以後、天皇に代わって側近の侍従に潔斎のうえ、烏帽子(えぼし)・浄衣(じょうえ)に身を正させ、宮中三殿の外陣で拝礼させる毎朝御代拝に代わりました。

 それが、昭和50年9月1日以降は宮中三殿前庭のなるべく遠い位置からモーニングを着て拝礼する形式に変わったのです。侍従は公務員だから宗教に関与すべきではない、というのが理由で、拝礼場所と服装の変更は神道色を薄めるための配慮とされます。

 こうして昭和22年の依命通牒は「破棄」され、バインダー式だったらしい『宮内庁関係法規集』から外され、消えました。占領中でさえ、侍従による毎朝御代拝は不問とされたのですから、憲法解釈は占領期より後退したといえます。百地先生が解説するように、一貫して「否定的態度」だった、のではなく、このとき激変したのです。

 祭祀の連続性が途切れただけでなく、同時にオモテとオクが峻別され、オモテの職員がお茶出しやお車のドアの開け閉めに関わることもなくなったようですが、宮内庁は法解釈の変更を公にすることを避けました。表面化したのは7年後です。

 昭和57年暮れに祭祀簡略化の実態が明るみに出、マスコミが取り上げて大騒動に発展しました。このとき全国約8万社の神社を包括する神社本庁は抗議の質問書を提出し、宮内庁当局者が

「祭事は陛下の私事以外には扱えない」

 と語っているのは見解が変わったのか、と富田長官に詰め寄りました。

 紆余曲折の末、宮内庁は掌典長名による「公式見解」を発表し、祭祀はすべて「陛下の私事」とする一般に流布する解釈ではなくて、

「今後も国事たり得る場合もあり、公事として行われることもある」

 と神社人の主張を全面的に認めました。しかし4か月後の入江日記には、さらなる祭祀の簡略化が進められたことが記録されています。

 今日、平成の祭祀簡略化を進言したとされる渡邉前侍従長(いまは元職)は、宮中祭祀=「私的活動」論者です。占領前期の憲法解釈に完全に先祖返りしています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

昭和50年8月15日の長官室会議 ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 6 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昭和50年8月15日の長官室会議
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 6
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、たった1人で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。皆様のご協力を切にお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論


▽6 昭和50年8月15日の長官室会議
koukyo01.gif
 百地先生の研究に欠落している最たるものは、昭和22年5月3日の宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が、50年8月15日の宮内庁長官室会議で「廃棄」されたことによる宮中祭祀の歴史の一大転換です。

 44年4月3日の参院建設委員会で、瓜生順良宮内庁次長は、

「宮中三殿の建物も国有財産にすることは可能である」

 という内閣法制局の「解釈」を示しました。こうして天皇の祭祀を「私事」に押し込めてきた神道指令以来の法解釈は改善されたのですが、逆にこのころを境に、揺り戻しが始まりました。

 宮内庁職員の世代交代が起こり、職員の意識が様変わりし、そして宮中祭祀の改変がおきたのです。昭和天皇の祭祀に携わった元宮内庁掌典補は次のように証言します。

「戦前の宮内省時代からの生え抜き職員たちが定年退職し始め、代わって戦後教育を受けた人たちが入庁するようになったからです。幹部職員には元華族の方などもおられましたが、外務省、厚生省、自治省、警察庁など、ほかの官庁から横滑りするようになり、皇室に対する考え方が変わり始めました」

「憲法が定める信教の自由を掲げ、『なぜ祭祀に、公務員が関わらなければならないのか』という意見が口々に出て、祭祀が敬遠されるようになったのです。
 戦後世代の職員たちは『陛下にお仕えする』というよりも、『国家公務員である』という考え方が先に立ちました。皇室の歴史と伝統についての理解は乏しく、逆に、『国はいかなる宗教的活動もしてはならない』という憲法の政教分離規定を、字義通り厳しく解釈・運用する考え方が、まるで新興宗教と見まがうほどに蔓延(まんえん)し、陛下の側近中の側近である侍従さんまでが祭祀から遠のき始めました」
(「文藝春秋」24年2月号掲載の永田忠興元掌典補インタビュー「左遷された『昭和天皇の忠臣』」。聞き手は私です)

 はじめは入江相政侍従長による祭祀の簡略化でした。入江氏は、昭和天皇のご健康問題を口実に、43年には毎月1日の旬祭(しゅんさい)の親拝を年2回に削減し、45年には新嘗祭の「簡素化」(入江日記)に取りかかりました。皇室第一の重儀といわれる新嘗祭は夕(よい)の儀と暁の儀の2回、繰り返されますが、入江日記によると、同年は夕の儀のみが親祭で、暁の儀は掌典長が祭典を行ったようです。

 膨大な日記に宮中祭祀の神聖さを何ら記録しなかった「俗物」侍従長が執念を燃やした祭祀の形骸化は、富田朝彦内閣調査室長が宮内庁次長に転身し、長官に昇格するころ、舞台を「オモテ」に移し、激化します。「富田メモ」で知られる富田長官は無神論者を自認していた、と元掌典補は述べています。

 大きなうねりのようなものが宮内庁を含む行政全体を襲い、そして昭和50年8月15日、宮内庁長官室の会議で、祭祀の伝統の破壊が決められました。宇佐美毅長官、富田次長の時代、政教分離の厳格主義が主流になった結果でした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

戦後史のダイナミズムがない ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 5 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
戦後史のダイナミズムがない
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 5
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、たった1人で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。皆様のご協力を切にお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論


▽5 戦後史のダイナミズムがない
koukyo01.gif
 やがて平和条約の発効で日本は独立を回復し、神道指令も失効しました。けれども天皇の祭祀の法的位置づけは確定されませんでした。

 それでも、34年4月の皇太子(今上天皇)御成婚で、賢所での神式儀礼を含む御結婚の儀が「国の儀式」(マスコミ報道では「国事」)と閣議決定され、国会議員が参列しました。

 こうして宮中祭祀はすべて「皇室の私事」とした神道指令下の解釈が打破されたのです(注。皇太子殿下の御結婚の儀を「国の儀式」として行うことを決めた公文書を、この本の補章に再現してあります)。

 百地先生が解説するように、

「政府が否定的態度をとり続けてきた」

 のなら、貞明皇后の御大喪が伝統に準じて挙行されることも、今上陛下の御結婚の儀が「国事」として行われることもなかったでしょう。

 もっとも百地先生は、

「政府は大嘗祭と皇室祭祀一般とを区別し、大嘗祭については『皇室の私事』といった云い方を意識的に避けてきたように思われる」

 と大嘗祭と皇室祭祀一般との扱いの相違を指摘しています。

 百地先生によると、

「政府は皇室祭祀一般については『皇室の私事』であることを明言したことがあるが、大嘗祭についてはあくまで『皇室の行事』というにとどまり、『皇室の私事』といった云い方はしてこなかった」。
 大嘗祭は、古くは新嘗祭と区別されず、天武天皇以降、皇位継承儀礼のひとつとして確立された。明治憲法下でも新嘗祭が皇室祭祀令にいう祭祀(大祭)に含められたのに対して、大嘗祭は皇位継承に関わる登極令に定められ、「国事」と位置づけられた。
 このような事情から、政府は現憲法下でも、大嘗祭については皇位継承に伴う伝統儀礼であって公的性格が強いものと考え、あえて『皇室の私事』とはせず、『皇室の行事』と答弁してきたのではないか」

──と解説されています。

 要するに、百地先生は政府の憲法解釈の歴史を静的に見ています。戦後史のダイナミズムに目を向けてはおられないようです。そこに重大な欠陥があるのではないでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

宮内府長官官房文書課長の依命通牒 ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宮内府長官官房文書課長の依命通牒
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 3
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 やむにやまれぬ思いから、たった1人で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンをネット上で始めました。ご協力のほどよろしくお願いします。

 国会では今上天皇の譲位を認める皇室典範特例法が成立しました。これによって、御代替わり諸儀礼の正常化はいよいよ待ったなしです。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

「女性宮家」創設の議論も再燃しました。こちらも目が離せません。

 ということで、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論


▽3 宮内府長官官房文書課長の依命通牒
koukyo01.gif
 百地先生は著書の「第十章 憲法と大嘗祭(だいじょうさい)」で、天皇の即位儀礼である大嘗祭をめぐる従来の違憲論・合憲論、そして政府解釈を紹介しつつ、大嘗祭国事説の当否を検討し、「憲法問題を中心」に精緻な議論を展開しています。

 とくに政府見解について、

(1)昭和21年12月6日および17日の、第91回帝国議会での金森徳次郎国務大臣の答弁

(2)昭和54年4月17日の、衆院内閣委員会での真田秀夫内閣法制局長官の答弁

(3)昭和59年4月5日の、衆院内閣委員会での前田正道内閣法制局第一部長の答弁

 などを例示し、大嘗祭を天皇の国事行為として実施することについて、

「政府は、確かにこれまで否定的態度をとり続けてきた」

 と指摘しています。

 たとえば金森国務大臣は、

「皇位継承に伴って、種々なる儀式が行わせられる(ことになるが)、改正憲法におきましては、宗教上の意義をもった事柄は、国の儀式とはいたさないことになっております」(百地先生の引用文のまま)

 と答弁していると解説されています。百地先生の説明通り、

「理由は政教分離に違反するという点にある」

 ことは勿論です。

 けれども、政府が戦後一貫して、宮中祭祀に対して、「否定的態度をとり続けてきた」のではありません。政教分離に関する憲法解釈・運用は占領前期と後期では異なるし、昭和40~50年代に一変しています。ポイントはここです。

 歴史を振り返ると、終戦直後の昭和20年12月、GHQは「宗教を国家より分離する」ことを目的に、いわゆる神道指令を発しました。東京駅の門松や注連縄(しめなわ)までも撤去させるほど過酷なもので、宮中祭祀は存続を認められたものの、公的性を否定され、「皇室の私事」に貶(おとし)められました。

 非占領国の宗教に干渉することは戦時国際法に明確に違反していますが、戦時中から「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の源泉だという考えに固まっていたアメリカは、あえて無視して干渉しました。

 金森長官は21年、前記した帝国議会での答弁の際、皇室典範改正案に大嘗祭に関する記述がないことについて、信仰面を含むことから明文化は不適当と考えられたと述べています。つまり、大嘗祭の挙行が不適当だと考えられたわけではないのでした。

 当時は占領期です。「祭祀は天皇の私事」とするGHQの解釈に従わざるを得なかったのです。

 翌年、日本国憲法が施行され、それに伴って宮中祭祀について定める皇室祭祀令など戦前の皇室令はすべて廃止され、天皇の祭祀は成文法上の根拠を失いました。

 けれども、祭祀の伝統は辛うじてながら守られました。「皇室令及び付属法令廃止に伴い事務取扱に関する通牒」と題される、宮内府長官官房文書課長・高尾亮一名による依命通牒、いまでいう審議官通達が各部局長官に発せされたからです。

 その第3項には

「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」

 とありました。しかし依命通牒は官報には載りませんから、一般の目に触れることはありませんでした(注。第3章第1節に依命通牒の起案書および全文を掲載してあります)。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース
前の10件 | -