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国事行為しか認めない憲法にこそ問題がある ──朝日新聞発行月刊誌掲載の横田耕一論考を読む [天皇・皇室]

以下は旧「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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国事行為しか認めない憲法にこそ問題がある
──朝日新聞発行月刊誌掲載の横田耕一論考を読む
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 明けましておめでとうございます。
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 陛下の譲位(退位)がいよいよ来春に迫りました。政府は来週にも、今上陛下の退位と皇太子殿下の即位に向けて準備組織を発足させると伝えられます。即位の礼・大嘗祭の日程も具体的に聞かれるようになりました。

 事態は先へ先へと進んでいますが、年の初めに当たり、改めて、今回のご譲位問題を振り返り、検証することは意味のないことではないでしょう。少なくとも千数百年におよぶ天皇の歴史に何が起きているのでしょうか。


▽1 「憲法の原点に立ち返れ」

 今回は考える材料として、朝日新聞社が発行する月刊誌「Journalism」一昨年11月号(特集「いまこそ考える天皇制」)に載った横田耕一九大名誉教授(憲法学)の「務め過多の象徴天皇像を前提とせず──憲法の原点に、いま一度立ち返ろう」を取り上げます。

 一昨年夏の陛下のビデオ・メッセージのあと、そのご真意を探り、象徴天皇のあり方を根本的に考えようとする企画で、寄稿を求められた4人の筆者の論考の1つです。

 横田先生は私とは異なる思想的お立場なのでしょうが、それゆえに、より根源的に考えるヒントを与えてくれそうです。

 先生のご主張は、要するに、日本国憲法は国事行為以外の公的行為を認めていないにもかかわらず、天皇は能動的な活動を行い、政府も国民もこれを容認し、受け入れてきた。それで公務が多すぎるというのなら、憲法の原点に帰り、憲法に反する天皇の行為を見直すべきだ、ということのようです。

 天皇の「お気持ち」には、憲法上、説明しがたい「務め」が多すぎること、天皇ご自身の「あるべき象徴天皇像」がそれをもたらしていることがうかがえる。したがって、「生前退位」問題を考えるには、その是非は別にして、それらの「務め」が必要不可欠なのか、憲法の原点に立ち返るべきではないか、と訴えておいでです。


▽2 国民は知っている

 先生の論考はWEBRONZAで全文を読むことができますので、ご興味のある方はそちらにアクセスしていただきたいと思います。URLは以下の通りです。
http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2016102800006.html

 指摘したいことはいくつかありますが、1点だけ申し上げます。それは、先生は「憲法上の疑念」を指摘されますが、むしろ憲法にこそ問題があるのではないか、ということです。天皇に国事行為「のみ」を認め、政治的権能を認めない、日本国憲法の限界です。

 じつのところ、そのことを、多くの国民は百も承知なのでしょう。今回の一連の経緯を振り返ると、私にはそのように思えます。

 先生は、議論の出発点を一昨年8月8日のビデオ・メッセージに置いています。しかし、陛下が「譲位」のご意向を最初に示されたのは、8年も前の平成22年7月の参与会議といわれます。

 近代以降、終身在位制度が採られ、譲位は認められていません。しかも、憲法は天皇の政治的権能を認めておらず、天皇のご発意に基づいて、政府や国会が皇室制度の改革を進めることは憲法に抵触します。

 したがって側近たちは、職を賭してでも、陛下を説得し、思い留まっていただくべきだったと思いますが、逆に、退位の仕組み作りに走り出しました。そして、ご意向が物語の始まりだった事実関係を逆転させ、憲法の国民主権主義が出発点となるように、無理矢理ストーリーを書き換える荒技に打って出たのでした。

 関係者によるリークと思われるNHKのスクープは、メディアを利用して世論を喚起する仕掛けであり、さらにテレビを通じた「お気持ち」の表明は、国民の総意に基づく退位の気運を創出するための世論工作だったことが容易に想像されます。


▽3 放置してきた為政者の不作為

 宮内庁は陛下の「お気持ち」を国民に対して、正式に説明することさえしませんでした。あくまで起点は「国民の総意」でなければならないからでしょう。「生前退位のお気持ちを強くにじませた」という枕言葉付きで「お言葉」を伝えたのは、宮内庁ではなくて、メディアでした。

 現実を憲法に力尽くで整合させた不自然な運用のあり方は、そのようにしなければならない憲法の規定にこそ、むしろ問題があることを示しています。けれども国民はみな知り尽くしています。

 多くの国民にとっての天皇は、先生が仰せの、国事行為しか認められないという日本国憲法的な存在ではなく、たとえば王朝文学に親しみ、雛祭りを祝ってきたというような、憲法だけでは語れない多面的な存在です。先生は「(日本国憲法上)明仁天皇は2代目の天皇である」と仰せですが、国民にはあくまで125代続く歴史的な天皇なのです。

 国民が支持している象徴天皇とは、日本国憲法が定める象徴天皇ではなくて、歴史に基づく象徴天皇なのです。

 国と民のために祈られ、国民と親しく接せられる天皇像は、横田先生には憲法違反と映るかも知れませんが、多くの国民が圧倒的賛意を示していることは、古来、さまざまな形で天皇と民の間に深い絆が築かれてきた日本の歴史の反映です。

 そのような関係性に目を向けない、日本国憲法原理主義こそ改められるべきでしょう。ご譲位問題をめぐって疑念の対象とされるべきなのは、国事行為以外を認めないとする憲法のあり方でしょう。

 さらなる問題は、より望ましい憲法体制もしくは天皇制度が模索されてしかるべきなのに、戦後70余年、放置してきた政治の不作為です。これが陛下のお悩みの真因だろうと私は思います。

 とくに、「皇室の私事」とされている宮中祭祀の位置づけは、見直されるべきでしょう。

 先生は、憲法上、天皇は「国民統合の象徴」と規定されているけれども、「国民統合」を積極的に果たすことを期待されるわけではないと解説しておられますが、「国中平らかに、安らけく」と祈られ、国と民をまとめ上げてきたのが、古来の天皇です。


▽4 たちの悪い官僚社会

 横田先生の論考には、お言葉にある「何よりも国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて」という陛下の祭祀への言及が抜け落ちています。先生が「私事」と切り捨てる祭祀こそ、皇室の伝統からすれば、皇室第一のお務めです。

 敗戦後の神道指令で、宮中祭祀=「皇室の私事」とされたことに、占領期の政府は不満で、「いずれは法整備を図る」という方針だったようですが、独立回復後も実現への動きはなく、それどころか、いまや側近たちは「私事」説に先祖返りしているようです。

 そして、陛下のご高齢とご健康問題を理由として、ご公務ご負担軽減が求められ、その結果、昭和の悪しき先例を踏襲する祭祀簡略化が敢行され、一方でいわゆるご公務は減るどころか、逆に増えました。

 先生は日本国憲法が求める「象徴天皇像」が脅かされることを危惧しておられますが、祭り主たる伝統的天皇像の否定こそ、むしろ憂慮されます。

 先生は、限界が不明確なまま「公的行為」が大幅に拡大していることを問題視しています。まさにその通りですが、具体的には何が増えているのか、ご存じですか。

 宮内庁がもっとも気にしていたのは「拝謁」の多さでした。春秋の勲章受章者の拝謁などはほぼ延べ1週間にもわたって続きます。宮内庁といえば外務省OBが幅を効かせる組織ですが、ご負担軽減策にもかかわらず、外務省関連の「お茶」はいっこうに減りません。

 先生は「過多であれば制限すればよい」と簡単に仰せですが、たちの悪い官僚社会の現実と問題提起すらままならない政治の不作為を打ち砕くのは容易ではありません。

 法的基準の不明確な拝謁やお茶を削減できるなら、「生前退位」だ、皇室典範改正だと騒ぎ立て、国民的議論をあおる必要はありません。ところが、ご多忙なご公務を婚姻後の女性皇族にも分担していただくためと称して、皇室の歴史にない「女性宮家」創設論さえ飛び出しています。議論すべきテーマはほかにあります。
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政府予算案で大嘗祭の準備は万全か ──宮廷費は6割増しだが、内廷費は増えず [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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政府予算案で大嘗祭の準備は万全か
──宮廷費は6割増しだが、内廷費は増えず
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 今上陛下の譲位を再来年平成31年の春に控え、先週の22日、関連予算を含む、来年度(30年度)宮内庁予算の政府案が閣議決定されたと伝えられます。
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 その概要は宮内庁のサイトに公開されており、誰でも見ることができますが、スムーズに御代替わりを迎えることができるのか、不安はないのでしょうか?


▽1 儀典関係費は2倍以上に

 政府予算案では、皇室の費用すなわち皇室費98億6000万円(前年度比36億4200億円増)と宮内庁の組織を運営するための114億6600万円(同2億4800億円増)を合わせて、213億2500万円(同38億9000万円増)が歳出予算として計上されています。

 皇室費の内訳は、天皇陛下ならびに内廷皇族(皇后、皇太子、皇太子妃)の御手元金である内廷費が3億2400万円(同増減なし)、各宮家の皇族に支出される皇族費が3億6400万円(同1億4900万円増)、皇室の御活動や皇室用財産の維持管理のため、内廷費以外の宮廷諸費に充てられる宮廷費91億7100万円(同34億9300万円増)となっています。

 誰が見ても明らかなのは、皇室費が前年度比で6割近くも急増していることです。増額分のほとんどは宮廷費で、いわゆる退位特例法の施行に向けた準備に必要な経費と説明されています。

 その内訳は、新侍従職・皇嗣職の準備に従事する職員等の人件費など「お支え関係」が1億7800万円、東宮御所や御仮寓所、秋篠宮邸の工事費など「お住まい関係」が17億3000万円、そして即位礼に用いられる高御座等の輸送・修理、装束、儀式用具など「儀式関係」が16億5300万円、計35億6000万円となっています。

 前年度比で6割方増加した宮廷費のうち、とくに増えたのは儀典関係費23億6500万円で、前年度より金額で16億1200万円、比率ではじつに214%増と、文字通り倍増しています。

 それだけ御代替わりに伴う重要な儀式が執り行われるということでしょうが、絶対に忘れてならないのは、この儀典関係費には御代替わりに関わる宮中祭祀の予算はまったく含まれないということです。


▽2 内廷費は定額制

 天皇の祭祀は「皇室の私事」であるという法解釈によって、関係する予算、すなわち掌典職の予算は、宮廷費ではなく、内廷費に含まれます。ところが、内廷費は平成8年度以来、3億2400万円に据え置かれたままです。

 それは、皇室経済法で、内廷費は「定額を毎年支出する」と定められているからです。

 以前、書いたように、天皇の祭祀に関わる掌典職の人たちが心配するのは、天皇一世一度の大嘗祭です。毎年、神嘉殿で行われる新嘗祭とは異なり、新たに大嘗宮を建て、大規模に斎行される大嘗祭はそれだけ人員も必要です。

 大嘗祭そのものについては、前回の先例を踏襲するのなら、関係予算は宮廷費から支出されますが、それ以外は別です。前回は、大嘗祭の前年の新嘗祭に7人を臨時に雇いあげ、本番に向けた予行練習を体験してもらうことになったようです。そのためには当然、予算が費用です。

 仮に1人月30万円として、9月から11月まで雇った場合、月210万円、3か月で630万円、ざっと1000万円弱の予算がかかる計算になります。けれども、内廷費定額制のもとでは、宮廷費のように臨機応変に予算を増やすことができません。

 前回の場合は、何しろ大嘗祭自体が内廷費で賄わなければならない最悪の事態も想定されていたぐらいでしたから、皇室では万が一に備え、以前からやり繰りをして、少しずつ積み立てを行っていたそうですが、いまはどうなのか。

 かといって、皇室経済法第4条第3項に基づき、皇室経済会議を開いて、「定額について変更」するというレベルの問題ともいいがたいのですが、それにしても20年以上も内廷費が据え置きなのは理解に苦しむところです。

 来年の新嘗祭に臨時祭員を参加させる予算がまったく確保できないとなれば、再来年の秋に予定される大嘗祭はぶっつけ本番で執り行わなければならないことになりますが、それで大丈夫なのか、とOBは心配するのです。


▽4 「退位の翌日に即位」の意味

 さて、蛇足ながら、以上のことに関連して、気になる情報を得ましたので、書き添えることにします。当メルマガで何度も言及している「退位の翌日に即位」とされている譲位の日程のことです。

 前々回も書きましたように、明治の皇室典範も、現行の皇室典範も、「天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位」というように規定し、空位を認めないことを明文化しています。当然のことです。

 この基本原則に基づけば、再来年4月30日に退位の儀式が行われ、この儀式をもって今上天皇が「退位」され、翌5月1日になにがしかの皇位継承の儀式をなさることにおいて「即位」されるという解釈なら、24時間の空位が生まれることになります。

 これは、崩御という事実の瞬間を皇位継承の区切りとする代わりに、譲位に関する儀式が行われる時間を「退位」「即位」の発生する日時と解しているわけですが、別の考え方もあり得ます。

 つまり、空位あるべからずという法の原則を遵守するなら、退位の儀式は行われるとしても、その事実にかかわらず、法的には今上天皇の「退位」は4月30日の午後11時59分59秒99をもってし、翌5月1日午前0時の瞬間に皇太子殿下が践祚(皇位継承)すなわち「即位」されると解釈するということです。

 法的な解釈としてはそれも可能なのですが、厄介なのは祭祀です。掌典職のOBがこれを指摘しています。


▽5 5月1日午前0時に賢所で御拝?

 旧登極令では、第1条に「天皇践祚の時は、すなわち掌典長をして賢所に祭典を行わしめ、かつ践祚の旨を皇霊殿・神殿に奉告せしむ」とあり、附式の第一編に、「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」「剣璽渡御の儀」「践祚後朝見の儀」からなる「践祚の式」を掲げています。

 このうち「賢所の儀」は、神饌を供したのち、掌典長が祝詞を奏し、掌典長が天皇の御代拝を務め、御告文を奏し、掌典が皇后の御代拝を務めることとされています。「三日間これを行う。ただし第2日、第3日の儀は御告文なし」とされます。

 昭和天皇崩御に基づく平成の御代替わりでは、諒闇中であり、当然、天皇、皇后の御代拝でしたが、譲位に基づく今回の御代替わりでは御拝とされるのかどうか。そして、5月1日の午前0時をもって践祚とするのなら、このときをもって賢所の儀が執り行われることになるのかどうか。

 それとも退位の儀式と同時進行で、もしくは先行して賢所の儀が行われるのかどうか。

 5月1日は旬祭の親拝が行われる日でもあります。昭和40年代に入江相政侍従長の腕力で、毎月1日の旬祭の親拝は年2回に縮減され、平成の祭祀簡略化でも踏襲されましたが、それでも5月と10月の旬祭は御代拝とはなりませんでした。今回は、践祚の式で御拝が行われるとすると、旬祭はどうなるのか、掌典職のみならず注目せざるを得ません。

 もう1点、改元についていえば、登極令第2条には「践祚の後は直ちに元号を改む」とあり、大正、昭和とも即日改元が行われましたが、平成の御代替わりでは翌日改元でした。元号法には「直ちに」の定めはありません。

 昭和天皇崩御ののち、賢所では直ちに賢所の儀が行われ、宮殿では剣璽等承継の儀、朝見の儀が行われて、皇位は継承されたのですが、元号の「昭和」はこの日の午後12時まで続いたのです。

 それにしても「退位の翌日に即位」とする政府の説明は絶対的に不足していませんか。これを伝えるメディアの報道も同様でしょう。平成の御代替わりを踏襲するのなら、「翌日改元」という説明で十分です。それを「翌日即位」といえば混乱します。践祚を「即位」と無理に言い換えるから混乱するのです。

 退位の儀式すなわち践祚の式をもって皇位の継承とし、翌日の午前0時をもって改元するという説明では、なにか差し障りがあるのでしょうか。



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大学のテストなら65点のトンデモ天皇論!?──宮中祭祀は年間18回? 法的な裏付けはない? [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です

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大学のテストなら65点のトンデモ天皇論!?
──宮中祭祀は年間18回? 法的な裏付けはない?
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 プレジデント・オンラインに先日、「天皇さえ実物を見られない『三種の神器』」という記事が載りました。

 経済誌の「プレジデント」が分野の違う宮中祭祀について取り上げていることに、編集者の意欲を感じ、心からの敬意をもって読み進み、その結果、私は逆に腰を抜かしそうになりました。デタラメと言えば言い過ぎでしょうが、内容がかなり不正確だったからです。

 筆者は、何度かお会いしたこともある島田裕巳先生でした。先生は宗教学者でしょうから、神道の歴史や皇室(先生の用語では天皇家)の祭祀について詳しくはないのかも知れませんが、それにしてもひどすぎませんか。

 お書きになるのは自由ですが、テーマは私たちの文明の根幹に関わる、奥深い世界なのですから、入念に調べたうえで取りかかるべきではないでしょうか。そのことは編集者にもいえます。結果として筆者に恥をかかせるような企画は進めるべきではないでしょう。


▽1 皇室に流れる仏教信仰
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 島田先生の記事は『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)という著書の「第1章 近代が大きく変えた天皇の信仰」からの抜粋だそうです。仏教系書店のシリーズだそうですから、いかにもそれらしい結論、それらしいタイトルになっています。

 しかし、皇室に仏教的信仰がいまも流れているとしても、島田先生が仰せの根拠とは違うように私は思います。

 たとえば、明治になって門跡制度が廃止されてもなお、伏見宮邦家親王の三姉妹は復飾を拒否し、なかでも誓圓尼は廃仏毀釈の嵐から善光寺を守り抜いた中興の祖とされています。昭憲皇太后は明治天皇崩御ののち、自我偈を写経され、納経されたそうです。

 いわゆる国家神道の時代とされる戦中期でさえ、真言宗総本山の東寺(京都)では国家的な仏事であり、最高の秘儀とされる後七日御修法が行われていました。

 戦後、昭和27年は日蓮宗開宗700年でした。最澄寺と久遠寺で特別の法要が行われるのに際して、昭和天皇は金一封を賜り、勅使を差遣されました。

 41年に御寺(泉涌寺)を護る会が設立されたとき、総裁となったのは三笠宮親王(いまは秋篠宮親王)でした。貞明皇后、秩父宮親王の柩には南無妙法蓮華経の半紙が納められたと聞き及びます。

 昭和天皇には仏教を詠み込まれた最晩年の御製が残されています。

夏たけて堀のはちすの花みつつ 仏のをしへおもふ朝かな

 こうしてみると、皇室には古代から現代まで仏教の信仰が脈々と続いていることは、誰の目にも明らかです。しかしその信仰は島田先生のいう「信仰」とはけっして同じではないように思われます。


▽2 天皇第一のお務めは神事

 先生が記事に書かれている「信仰」「祭祀」「宗教」という概念は学問的に未整理なだけでなく、皇室の信仰、あるいは天皇と民による日本ならではの宗教的空間を解説するには不十分であるように思われます。

 先生は、一般に、と前置きしつつ、天皇あるいは皇室の「信仰」が「神道」であると考えられているとし、この通説を否定することで天皇=「仏教」徒説を説明しようと意図し、「祭祀」の解説を試みているわけです。

 先生の宗教学では、「神道」「仏教」はそれぞれに独立した「宗教」であり、「信仰」上、両立することはないとお考えなのでしょうが、皇室ではけっしてそうではないのです。なぜそうなのか、をこそ、先生には宗教学者として探求していただけないものでしょうか。

 日本書紀を見れば、日本の天皇は、仏教公伝以前から皇祖神のみならず天地社稷を祀ってこられたことが分かります。皇室が神道という宗教を信じたというより、天皇は信仰を異にする各氏族による多神教的、多宗教的な宗教的共存を図るため、諸神を祀る祭り主として機能していたということでしょう。

 推古天皇の時代に仏教が国家的に受容されるようになったのちも、それは変わりませんでした。聖武天皇以来、歴代天皇が仏教に帰依されるようになったのちも、同様です。王朝ごとに国家の宗教が何度も移り変わる古代中国や朝鮮とは違うのです。むろん絶対神信仰に基づくキリスト教社会とも異なります。

 養老律令には「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と記され、宇多天皇のときに四方拝は定着し、毎朝御拝が始まったとされます。宗教的共存の中心に天皇の祭祀が位置しています。

 順徳天皇は「禁秘抄」に「およそ禁中の作法は神事を先にし」と記し、天皇第一のお務めは敬神、崇祖、神祭りであると明言され、歴代天皇はこれを守ってこられました。

 天皇の「信仰」は神道か、それとも仏教か、どちらかでなければならないという考えが皇室においては無意味なのではありませんか。島田先生はどうお考えですか?

 天皇の祭祀は、四方拝のように道教的要素を含むものもありますから、神道だと言い切るには無理があるでしょう。神道的ではあるにしても、神道という1つの信仰体系のみとはいえないでしょう。自然発生的な神道を1つの信仰体系と捉えるのも、少なからず無理があります。

 皇室では幕末の頃には神仏混淆どころか、陰陽道なども複雑に入り交じった祭儀が行われていたといわれるほどです。なぜそうなるのか、が先生の宗教学の本来的なテーマではないでしょうか。


▽3 日々の祈りが抜けている

 さて、最後に、宮中祭祀について、いくつかの基本的な誤りを指摘させていただきます。

ア、宮中三殿 賢所、皇霊殿、神殿の3つの建物から成立しているという説明は間違いありませんが、新嘗祭が行われる神嘉殿の説明が抜けています。
 皇室第一の重儀とされる祭儀がなぜ三殿では行われないのか、そこが学問的テーマとなるでしょう。

イ、法的裏付け 先生は、戦前は皇室祭祀令によって規定されていたが、戦後、皇室令が廃止され、現在は法的裏付けを失っていると書いておられますが、完全な間違いです。
 日本国憲法施行とともに皇室令が全廃されたのは事実ですが、当メルマガの読者なら周知の通り、このとき宮内府長官官房文書課長による依命通牒が発せられ、「従前の条規が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」とされ、これが法的根拠となり、戦後70年、いまに至るまで祭祀は存続しているのです。
 日本は古代から続く法治国家です。法的裏付けのないことが、世界に冠たる官僚機構の中で継続し得ると先生は本気でお考えなのですか。担当した編集者も、そんなことがあり得るのか、よくよく考えていただきたいものです。

ウ、年間の宮中祭祀 先生は元日の四方拝から大晦日の節折、大祓まで「全体で18回」、旬祭を含めると「年間で30以上」と説明していますが、不正確です。
 2月11日、11月3日の臨時御拝が抜けているのはまだしも、平安期に始まる石灰壇御拝に連なる、明治以来の、側近を三殿に遣わし、拝礼させる毎朝御代拝が説明されていません。天皇は昔も今も毎日、国と民のため祈られるのです。
 この日々の祈りを抜きにして、皇室の信仰を先生は考察しようとされたのですか。
 このほか、先帝祭は小祭ではなく、大祭ですし、新嘗祭は夕刻から深夜にまで及びます。「2時間」では到底終わりません。

エ、三種の神器 先生は、陛下も見たことがないと書いていますが、実物を見なければならない理由があるのですか? 冗長とした説明も不要でしょう。
 先生は、天皇の信仰が神道だとする1つの根拠は宮中三殿の存在にある、と説きますが、その説明の仕方がまどろっこしい解説の原因ではありませんか。
 祭り主である天皇がいかなる祭祀をなさるのか、古来、皇祖神のみならず天神地祇をみずから祀り、祈られることの意味と意義を、ご専門の宗教学的に深く探求すべきではないでしょうか。


▽4 なぜ天皇=現御神とされたのか

オ、神武天皇 先生は架空の神話的な人物だといいますが、125代続いているのなら初代が存在するのは至極当然で、それを神武天皇とお呼びしたとしても、何ら不思議ではないでしょう。
 近代科学で証明できないものは存在しないという論理は成立しません。それとも、たとえば先生の家系が何代まで遡れるか知りませんが、架空の先祖から始まったとでもお考えでしょうか。

カ、現人神信仰 先生は勘違いをなさっておられませんか。天皇=現人神とする考え方ははたして正統的でしょうか。
 戦後、昭和天皇はいわゆる人間宣言によって、ご自身の神性を否定されたという教科書的な解釈が流布していますが、詔書作成に関わった木下道雄はこれを否定し、「予はむしろ進んで天皇を現御神とすることを架空なることに改めようと思った。陛下もこの点はご賛成である」と記録しています。
 昭和12年に文部省が編纂した「国体の本義」には「天皇は現御神である」と明記されていますが、昭和天皇はこの神格化を嫌っておられたのです。
 古代の天皇の宣命には「現御神と大八嶋国しろしめす天皇」などとありますが、「現御神と」は「現御神のお立場で」の意味と解釈すべきだともいわれます。天皇=現人神ではないということです。
 東條内閣時代に文部官僚らが天照大神信仰に統一する官製の神道論を広めようとしていたとき、真っ向から戦いを挑んだのは在野の神道人たちであり、著書の神道本が発禁処分を受けることさえありました。
 他方、キリスト教世界の文化的影響を強く受けた知識人たちは一様に天皇=現御神と解釈するようになったのです。
 皇室の伝統においては、天皇は祀られる神ではなくて、神々を祀る祭り主なのです。それがなぜ天皇=現人神と解されるようになったのか、むしろそこを学問的に解明していただけないでしょうか。

 宗教学者が畑違いの分野に挑戦されたチャレンジ精神は高く評価されなければなりませんが、今回の記事は大学の学年末試験ならとても「優」は差し上げられないでしょう。積極性を最大限に評価して、さしずめ65点というところでしょうか。

 相撲好きで知られる昭和天皇は、贔屓の力士の名をけっして口外なさいませんでした。その昭和天皇に「信仰される宗教は仏教ですか、神道ですか」とうかがっても、お答えにはならないでしょう。それが天皇というお立場です。違うでしょうか。



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政府は何を根拠に「翌日即位」を決めたのか? [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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政府は何を根拠に「翌日即位」を決めたのか?
──皇室典範も特例法も「直ちに即位」なのに
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 先週金曜日の閣議で、陛下が再来年4月30日に退位(譲位)されることが決まりました。メディアは、翌日、皇太子殿下が即位される日程が正式に決まったとも伝えていますが、なぜ「退位の翌日に即位」なのか、そのように決めた根拠は何なのか、いうところの「即位」とは何を意味するのか、私にはまったく理解できません。


▽1 「翌日即位」を会見で明言した官房長官
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 今月1日に皇室会議が開かれたのは、陛下の「退位等」について定める、いわゆる退位特例法に定めがあるからです。特例法施行の期日、すなわち退位日を政令で定めるに当たっては、「内閣総理大臣は、あらかじめ、皇室会議の意見を聞かなければならない」とされているからです。

 そして、「特例法の施行日」を議案とした皇室会議で、「平成31年4月30日とすべきである」との意見がまとめられ、これを受けて8日の定例閣議で退位の期日が決定されました。

 菅官房長官は閣議後の会見で、「特例法の施行期日を定める政令を閣議決定した」「陛下の御退位と皇太子殿下の御即位がつつがなく行われるよう、最善を尽くす」と述べました。

 ここまでは「翌日即位」はありませんが、記者の質問を受けて、菅長官は、「翌5月1日に皇太子殿下が御即位されることになった」「こうした内容を総理から閣僚懇談会の中で発言をされた」と述べたのでした。

 また、改元については、元号法は「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と規定しているので、皇太子殿下の御即位後に速やかに改元は行われるという観点から、5月1日を軸に検討したい、と述べています。改元に関する初めての言及と伝えられます。

 どうやら「翌日即位」「翌日改元」は、特例法でも、皇室会議でもなくて、政府自身が決めたことのようですが、なぜそうするのか、政府として説明が不足していないでしょうか。菅長官の説明は法的根拠があるかのようにも聞こえますが、皇室典範も特例法も「翌日即位」を定めているわけではありません。


▽2 皇室典範も特例法も「空位」を認めていない

 むしろ法は「翌日即位」ではなく「即日即位」を定めていると解釈されます。退位の「翌日」に即位なら、1日の空位を認めることになると考えられるからです。

 明治の皇室典範は「天皇崩ずるときは皇嗣すなわち践祚(皇位継承)し」と定め、現行典範もまた「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定めています。「すなわち」「直ちに」は空位を一時たりとも認めないことを明文化したものでしょう。

 いわゆる退位特例法も同様で、「天皇は、この法律の施行の日かぎり、退位し、皇嗣が直ちに即位する」とされています。

 皇室典範も特例法も「直ちに即位」と定めているのに、なぜ政府は「翌日即位」と決めたのでしょうか。政府はいかなる法的基準に基づいて、これを決めたのか。政府のいう「即位」とは何でしょうか。

 まして新元号は、「直ちに改元」と定められているわけではないのに、なぜ「速やかに」なのでしょう。

 この20年、政府・宮内庁は、女帝容認ならいざ知らず、過去の歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設に道を開き、今回は特例法で「上皇」という略称を正式な法律用語と定めるなど、国民主権主義に基づく日本国憲法下での象徴天皇制はもはや何でもありの観があります。

 空位を認めないのは、むろん皇室のルールといえます。

 200年前の光格天皇の場合は、文化14(1816)年3月22日、皇太子恵仁親王(仁孝天皇)に譲位されました。清涼殿で受禅され、剣璽渡御が行われました。こうして践祚(皇位継承)すなわち御代替わりが行われたのです。

 仁孝天皇の即位の礼は9月21日、光格天皇の譲位から半年後でした。文政への改元は翌年4月で、大嘗祭はこの年に行われました。


▽3 政権交代したら何が起きるのか

 報道では、陛下が退位(譲位)される再来年の秋に即位の礼、大嘗祭(大嘗宮の儀)が行われるとも伝えられますが、皇室の伝統に則り、法に基づいて、4月30日に「退位(譲位)ののち、直ちに即位(践祚)」とできない理由は何でしょうか。

 1つは践祚と即位の混同です。法律用語が消えたことによる歴史の喪失です。国民主権主義が招いた皇室の伝統の軽視です。

 平安期以来、事実としての践祚と内外に宣言する即位は区別され、践祚から日を隔てて即位式は行われてきました。その伝統に基づいて、明治の皇室典範は「天皇崩ずるときは皇嗣すなわち践祚」と定めていましたが、敗戦後の混乱は皇室典範改正、一般法律化に当たって、この区別を反映できず、「皇嗣が直ちに即位」としました。

 それでも、皇室典範改正時の帝国議会の議論を見ると、改正案に「践祚」という用語が用いられないことについて、金森徳次郎国務大臣は「践祚」の文字は消えても御代替わりの中身に変更はないと答弁しており、皇室行事の体系は不変と少なくとも当時は認識されていたようです。

 ところがその後、戦後政府は正常化への努力を怠り、ついに平成の御代替わりでは「践祚」の用語と概念が完全に喪失させられ、「践祚と即位は同意語」「皇室典範制定の際、践祚を即位に改めた」(宮内庁『平成大礼記録』平成6年)との詭弁が弄され、「践祚後朝見の儀」は「即位後朝見の儀」と改められました。

 そしていま、安倍長期政権は125代続く皇室の伝統を回復できずにいます。

 保守政権下でさえ、政治主導によって、このようなハチャメチャが生じるのなら、皇室の歴史と伝統を一顧だにしないような政権へ交代した暁には、いったい何が起こるのでしょうか。鳩山内閣時のごり押し天皇会見程度では済まされない、と国民は覚悟しなければならないのでしょうか。



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タグ:御代替わり
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「退位」翌日に「即位の礼」を行う根拠は何か? [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「退位」翌日に「即位の礼」を行う根拠は何か?
──どこへ行く125代続く皇室の歴史と伝統
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 御代替わりの日程について、私は大きな勘違いをしていたようです。しかしそうなると、政府が進める日程は、125代続く歴史的天皇の制度からさらに乖離していく印象をますます強くします。

 前回、当メルマガは、メディアが伝える、「退位」の翌日に「即位」「改元」する日程について、違和感を禁じ得ないと書きました。この「即位」とは皇位の継承を意味する践祚(せんそ)のことだと思っていたら、政府は大胆にも「即位の礼」を行うという考えのようです。

 しかしこれでは、桓武天皇の時代に践祚から日を隔てて即位式を行うようになり、貞観儀式の制定によって践祚と即位を区別するようになった皇室の伝統を完全に裏切ることになりませんか。

 旧皇室典範には

「天皇崩ずるときは、皇嗣、すなはち践祚し、祖宗の神器を承く」

「即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行ふ」

 とありましたが、戦後の混乱期に行われた皇室典範の改正では践祚と即位の区別を反映できず、現行の皇室典範では

「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」

「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」

 と定められ、「践祚」が消えています。このため平成の御代替わりではさまざまな不都合が生じましたが、混乱はさらに拡大しそうです。


▽1 皇室会議で固まった日程

 先週、開かれた皇室会議によって、今上陛下は平成31年4月30日に「退位」され、翌5月1日に皇太子殿下が「即位」され、新元号に「改元」されるという日程が固まりました。

 報道によれば、政府は、過去の例を調査し、「退位」「即位」の儀式の中身を決めるとも、宮殿「松の間」で行われる「退位」の新儀式は「退位の礼」と呼ばれるとも、伝えられています。

 つまり、再来年4月末日に「退位の礼」が行われ、翌5月1日に「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」などが行われ、新元号が施行されるようなのです。これは少なくとも千年を超える皇室の伝統に沿うものといえるでしょうか。

 室町時代に一条兼良が書いた『代始和抄』には「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。これは毎度のことなり」とありますが、今回はどんな退位の儀式が行われるのでしょうか。

 200年前の光格天皇のときには、「日次案」という史料によると、まず光格天皇は桜町殿(仙洞御所)に行幸され、天皇が乗られる鳳輦はふたたび御所に至ります。

 このとき天皇は、剣璽、鈴鎰、大刀契とともに、数百人からなる絢爛豪華な行列を組んで進まれました。この路頭の儀は華麗な極彩色の絵巻物となって記録されており、「桜町殿行幸図」と呼ばれ、ネット上で公開されています。

 光格天皇の行幸ののち、新帝となる仁孝天皇が御簾の中の椅子(いし)に着され、宣命使が版に就いて専制一段、群臣が再拝します。節会が終わり、剣璽が新主の御所に渡され、近衛二人が剣璽を取り、新主の御所に至ったのでした。

 こうして文化14年3月22日、光格天皇から仁孝天皇への譲位は行われたようです。

 2日後、光格天皇に太上天皇の尊号が贈られ、9月21日に即位の礼が行われ、「文政」への改元は翌年4月でした。


▽2 剣璽の継承はいつ、どのように行われるのか

 今回、行われる「退位の礼」はどのように行われるのでしょうか。

 1つは皇位とともにある剣璽の渡御です。これこそが皇位継承の核心です。

 光格天皇の場合は、剣璽とともに、いったん仙洞御所に移られ、そこから紫宸殿に行幸になり、新帝に継承されました。平成の御代替わりでは、先帝崩御の当日、「剣璽等承継の儀」が松の間で行われました。

 今上天皇の譲位後のお住まいについて検討がなされているようですが、今回はおそらく、仙洞御所への行幸も路頭の儀も行われないのでしょう。「剣璽等承継の儀」は再来年4月末日なのか、それとも翌日なのか。

 2つ目は、上表の礼(揖譲の儀)です。

 一条兼良の「代始和抄」では、「父子にあらずして受禅のときは、皇太子参上して、椅子(いし。平安期、宮廷の座具)につきて上表の礼あり」と記されています。

 父子譲国の場合は揖譲の儀は行われないのが習いですが、後朱雀院から後冷泉院への受禅では行われました。光格天皇の場合も仁孝天皇が椅子に着されたことが、既述したように記録されています。

 今回の「退位の礼」ではどうなるのでしょう。

 3つ目は、即位の礼の日程です。

 平安時代以来、践祚(皇位継承)から日を隔てて、新帝の即位は行われました。平成の御代替わりでは「践祚」が消えましたが、皇位継承から一年の服喪を経て、即位の礼が行われました。

 今回は、「退位」の翌日に「即位の礼」が行われる模様です。その根拠はなんでしょうか。皇室典範は「皇位の継承があったときには、直ちに即位の礼を行う」と定めているわけではないのです。125代続いてきた皇室の歴史と伝統はどこに行ってしまうのでしょうか。



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譲位の翌日に即位、改元でいいのか? [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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譲位の翌日に即位、改元でいいのか?
──いよいよ迫ってきた御代替わりの不思議な日程
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 いよいよ御代替わりが迫ってきました。

 先週21日にNHKが伝えたところによると、今上陛下が退位(譲位)される日程の決定に関する皇室会議が来月1日、つまり今週金曜日に開かれる模様です。

 政府案としては、再来年31年4月30日に退位、翌日5月1日即位とする案と、同年3月31日退位、翌4月1日即位の2案があり、皇室会議の意見を考慮して最終的に決められるとも伝えられました。

 再来年4月末退位という新たに伝えられた案は、同年4月に統一地方選挙が予定されていることから、これが終わったあとに皇位継承を設定するという趣旨のようです。これまで伝えられてきた来年30年末に譲位、再来年31年元日に改元という政府案は消えたことになります。

 年明けには菅官房長官を長とする委員会が設置されるようですが、いくつかの問題点が指摘されます。


▽1 改元には準備期間が必要

 まず選挙優先の日程です。

 先月、朝日新聞は、皇后陛下のお誕生日に合わせて、今上陛下の退位(譲位)と改元について、退位日は再来年31年の3月末日で、翌4月1日に新帝の即位、改元することで政府が最終調整に入ったという情報を伝えました。

 この日の会見で、菅官房長官は「そうした事実はない」と強く否定しましたが、4月1日即位なら、4月14日もしくは28日に投票が予想される統一選と完全に重なります。

 となると、政治家たちはどうしても選挙優先にならざるをえないでしょうが、文明の根幹に関わる皇位継承より選挙を優先すべきことなのかどうか。

 2つ目は改元のタイミングです。

 改元の期日が問題となるのは、社会的、経済的な影響がそれだけ大きいからです。とくに前回の御代替わりとは比べものにならないほど、コンピュータ社会が進展している現実があります。プログラムの変更には一定の準備期間が必要です。

 たとえば、国の機関紙である官報はいまやネット上で閲覧できる時代ですが、皇位継承のあと、政令で定められる新しい元号を官房長官が発表したとして、即座に官報を新元号で発行配信するようプログラムを変更することは不可能でしょう。

 しかし、在外公館も含めて、いっせいにコンピュータの設定が切り替えられないと、出生届や婚姻届、免許証の書き換えなど、行政の業務にたいへんな支障をきたします。巷間伝えられるようなカレンダー業界など一部に混乱を与えるという程度ではすみません。

 つまり元号の切り替えには一定の準備時間がどうしても必要です。とすれば、譲位・践祚(皇位継承)と改元の期日をずらし、たとえば改元は数か月あるいは半年後の即位の礼に合わせるとか、それなりの工夫があってしかるべきなのに、「譲位、翌日改元」というワンパターンの情報しか聞こえてこないのはどうしてでしょうか。

 元号法は「皇位継承後、直ちに(あるいは翌日に)改元」と定めているわけではないのです。践祚後直ちに改元された大正、昭和、翌日改元された平成の御代替わりとは事情が異なると説明すれば十分ではないでしょうか。

 前例をそのまま踏襲する必要はありません。ちなみに200年前の光格天皇から仁孝天皇への御譲位では、1年以上、経ったあとに、「文化」から「文政」に改められています。一世一元の制が始まった明治の御代替わりも同様です。


▽2 即日践祚とすべきではないのか


 3点目は、退位(譲位)の翌日に即位(践祚)というスケジュールが当たり前のように伝えられていることへの違和感です。

 旧皇室典範は「天皇、崩ずるときは、皇嗣すわはち践祚し」と定め、現行皇室典範もまた、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とされています。

 先帝が譲位された時点で、直ちに新帝が践祚、すなわち皇位継承するのでなければ、空位が生じてしまいます。

 たとえば、31年4月30日に退位(譲位)、翌5月1日に即位(践祚)とした場合、退位に関する儀式が予定されているということですので、前日に退位の儀式を行い、剣璽の継承が行われたとしたとしても、法的には翌日までは皇位は継承されていないとみなされるということなのでしょうか。

 それともいかなる儀式が行われようとも、退位は前日午後12時に発効し、翌日午前零時をもって皇位継承が行われたと法的に解釈するということでしょうか。

 先述したように、大正、昭和の御代替わりでは、先帝の崩御後、直ちに新帝が践祚し、元号が改まり、平成の御代替わりでは、先帝崩御後、直ちに剣璽等承継の儀が行われ、皇位が継承され、翌日に改元されました。

 こうした過去の歴史に照らせば、譲位の儀式を明確な区切りとし、「翌日即位」ではなくて「即日即位」とされるべきではないでしょうか。即位(践祚)と改元を無理に関連付けようとすれば、かえって混乱を招くことにならないでしょうか。



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即位礼と大嘗祭を同じ月に行う理由 ──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 4 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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即位礼と大嘗祭を同じ月に行う理由
──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 4
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 大嘗祭は即位の礼のあとに、「続いてこれを行う」と、旧・登極令(明治42年)の第4条に定められていました。

 実際、大正の御代替わりでは、即位の礼は大正4年11月10日、大嘗祭は同月14日に行われ、昭和の御代替わりでは、即位の礼は昭和3年11月10日、大嘗祭は14日でした。

 そのため、御大典が行われた京都では、即位の礼のあと、市内はどんちゃん騒ぎとなり、静謐さとは無縁の喧噪のなかで、大嘗祭が挙行されることとなったと批判されています。

 日本国憲法の施行とともに登極令は廃止され、期日に関する定めは失われましたが、平成の御代替わりでは、即位礼正殿の儀は平成2年11月12日に、大嘗祭は10日後の22日に行われました。

 つまり、同月内に引き続いて行うと規定する旧・登極令に準じたことになりますが、なぜ同月に行われなければならないのでしょうか。


▽1 「京都においてこれを行う」

 以前、当メルマガに書いたように、赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)はこれを「新例」と説明しています(「即位の礼と大嘗祭を引き続き挙行する必要はない──平成の御代替わり『2つの不都合』 6」2017年7月18日号)。

 関根正直によれば、赤堀も解説していたように、即位の礼が7月以前なら大嘗祭は同年冬に行われ、即位の礼が8月以後の場合は翌年冬に大嘗祭を行うというのが、中古以来のならいでした。

 ところが、明治になって天皇が住まわれる宮城が東京におかれることとなり、しかも皇室典範(明治22年)には「即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行う」(第11条)と定められました。

 なぜそのようになったのか、関根は、先帝・明治天皇の聖慮によるものだと、次のように説明しています。

 ──明治13年、明治天皇は伊勢路御巡幸の折、京都に滞在された。当時の世相は、古風=旧弊とされ、破壊の対象とされており、殺風景没趣味に陥っていたのは京都も例外ではなかった。そのさまを御覧になった明治天皇はお嘆きになった。
 その後、ロシア皇帝(アレクサンドル3世)の戴冠式(1883年)が新都ペテルスベルグではなくて、旧都モスクワの旧殿で行われることを知り、一国の大礼は古風を存し、旧儀のままに行い、衆庶をしてその本を崇尚し、その始を忘れないようにするのがいいのだとお思いになり、皇室の大典も京都で行われるべきだとお考えになった。
 のちに岩倉具視贈太政大臣が京都御所の保存を政府に建言し、帝国憲法起草の準備として皇室の儀制調査を建議したのも、明治天皇の聖旨を奉じてのことだった。
 こうして明文規定ができた。


▽2 古例を復活させてはどうか

 しかし、御大典を京都で行うとして、旧例のように即位の礼が7月以前なら大嘗祭は同年冬に行い、即位の礼が8月以降なら大嘗祭は翌年冬に行うとした場合、どうなるのか、関根はまたこう説明しています。

 ──1年も経たないうちに2度も、車駕を移動することになり、儀鑾張行の繁に堪えない。供奉用度の費用も多額になるだろうから、古式に反しないかぎり、繁を避け簡に就くべきだと、明治天皇はお考えになり、即位の礼と大嘗祭はひきつづき行われる旨、登極令に定められることとなった。
 これらは憲法義解に註釈として書かれている。

 このように説明したうえで、関根は

「このたびの慶事は邦家の大典、国民の盛儀であり、国民みな感激狂喜するところであるが、熱情のあまり喧噪狼藉におよぶことが往々にしてあり、忌み慎むべきである」

 と警鐘を鳴らすのですが、現実は冒頭に述べたごとくでした。

 ところで、関根が指摘していないもうひとつの「理由」がありそうです。

 それは以前にも指摘した、今日とは異なる、交通機関の未発達です。明治末年なら新橋・神戸間が13時間かかりました。これでは「儀鑾張行の繁」もむべなるかな、です。即位の礼・大嘗祭を引き続いて執り行わざるを得ない事情がたしかにあったわけです。

 しかし今日では、東京から京都まで新幹線でわずか2時間余りです。しかも御大典を京都で挙行する法規定はもはやありません。即位の礼と大嘗祭を引き続いて執り行うべき理由はありません。

 だとすれば、むしろ古例を復活させてはいかがでしょうか。明治天皇ならば、どのようにお考えになったでしょうか。



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即位式、3度の変遷。仏式が神式化したのではない ──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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即位式、3度の変遷。仏式が神式化したのではない
──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 3
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 明治になって神仏分離が行われたことは誰でも知っています。神仏習合の清算から激しい廃仏毀釈へと転化した地域もあります。宮中行事も激変し、仏事は全廃され、歴代天皇の御霊牌などを祀るお黒戸は撤去されました。

 そのため、皇室行事は仏式から神式に変わったとか、宮中祭祀は明治の創作だなどと断定する研究者もなかにはいるようです。けれども、正確には、幕末の宮中では仏教のほか、陰陽道などが複雑に入り交じった祭儀が行われていたというのが、真相のようです(『明治維新神仏分離史料』など)。

 陰陽道が排除され、石灰壇御拝は毎朝御代拝に代わり、端午、七夕などの五節句が廃されたという歴史は、仏教から神道への変換という単純な図式では捉えきれないでしょう。


▽1 「神武創業の始めに原き」

 関根正直は、天皇の即位式には歴史上、3度の変遷がある、太古以来の国風が、古代に唐制風に改められ、そして明治になって神武天皇ご創業の古(いにしえ)に復したのだ、と説明しています。

 関根によれば、即位式は神武天皇の時代から行われており、その内容は『古語拾遺』(斎部広成。807年)によってうかがい知ることができるといいます。

 これによると、神籬(ひもろぎ)を立て、神々をまつり、宮門を守り、矛盾(ほこたて)を造り備えて、天璽鏡剣を正殿に奉安し、瓊玉(けいぎょく)を懸け、幣物をつらねて、祝詞(のりと)を申し、云々とあります。

 関根は、こうした即位の神事は奈良時代までひきつづき行われたであろうと推測しています。持統天皇の即位礼の場合も、同様に神璽鏡剣を奉り、寿詞(よごと)を奏する国風儀式が行われたと記録されています。

 ところが、その後、いまでいう国際化に伴う唐風化が起こりました。

 関根の説明では、古代朝鮮や支那政府との交流が始まり、時勢の影響や政治上、国交上の必要から、御即位の盛儀をもっぱら内外に示す方向に進み、服飾旌旗(せいき)などもすべて唐制に改まり、大極殿という唐風の宮殿で挙行されるようこととなりました。

 他方、古来の国風儀式は廃止されたというのではなくて、神璽鏡剣を奉上し、天神(あまつかみ)の寿詞を奏する儀式などは、ほとんどが大嘗祭の方に移され、行われ、伝えられることとなったのでした。

 そしてようやく明治になり、唐風が廃せられ、神武天皇の祭典式に復された、と関根は説明しています。王政復古の大号令には「諸事、神武創業の始めに原き」とありました。


▽2 平成の御代替わりは何だったのか

 関根によれば、御代替わり諸儀礼は、明治維新期に仏式から神式に変わったのではなくて、唐風から国風に復されたということになります。

 とすれば、「即位の礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」からなる、新「即位の礼」を「国の行事」(国事行為)として行い、他方、神武天皇即位にまで遡れる大嘗祭は憲法上の国事行為として行うことは困難とされ、「皇室行事」として挙行した先の御代替わりは、いったい何だったのでしょうか。

 関根の表現を借りれば、「4度目の変遷」となった、日本国憲法風の平成の御代替わりの功罪を、あらためて検証しなければならないと私は考えますが、いかがでしょうか。いまのままでは悪しき先例が繰り返されるだけでしょう。



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平安期以来の践祚と即位の区別 ──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 2 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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平安期以来の践祚と即位の区別
──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 2
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 関根は「第1章 総論」の冒頭で、即位礼・大嘗祭の国家的、公的性格について明言し、「皇室の御私事」ではないと断言しています。

「謹んでおもんみるに、御即位礼・大嘗祭の御大典は、天皇御一代にただ一度執り行はせらるる御儀式にして、じつにこれわが邦家の大典、国民の盛儀なり。単に皇室の御私事・宮中の御嘉例なるがごとく思ひ奉るべきにあらず」(漢字を開くなど、読みやすいように、原文を適宜編修しています)

 とすれば、平成の御代替わりで政府が行ったように、諸儀礼を「国の行事」と「皇室行事」に二分するとか、大嘗祭を「国の行事」としては行えないとか、まったくあり得ないことです。

 さらにあり得ないのが、皇室の歴史と伝統の喪失です。


▽1 用語と概念の喪失

 明治42年に定められた登極令の附式は、最初に「践祚の式」をあげ、「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」「剣璽渡御の儀」「践祚後朝見の儀」の4儀式について、細かい祭式を規定していました。けれども、日本国憲法下で最初の事例となった平成の御代替わりでは、歴史的な一大変革が行われました。

 宮中三殿の聖域で行われる「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」については、憲法の政教分離原則に照らして、「国の儀式」として挙行することが困難とされ、内廷の皇室行事となりました。

 一方、宮中三殿を舞台としない「剣璽渡御の儀」「践祚後朝見の儀」については、前者は「剣璽等承継の儀」と非宗教的に改称され、後者は「践祚」という平安期以来の用語が消え、「即位後朝見の儀」と改められたほか、新帝の出御に際して伴われるべき剣璽御動座がありませんでした。

 なぜそんなことが起きたのか、それは、戦後40年あまり、政府は御代替わりに関して、具体的な準備を怠ってきたからです。日本国憲法施行に伴って全廃された、登極令など関連する皇室令に代わる法体系を整備できずに来たからです。

 戦後の新しい皇室典範は

「第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」

 などと定めていますが、具体的な法規定はありません。

 そして、政府は、神代にまで連なるとされる皇室の、したがって宗教性を否定できるはずもない伝統儀礼を、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法の政教分離原則を基準に、「国の行事」と「皇室行事」とに二分し、あまつさえ、皇室典範に「践祚」の用語がないことから、「践祚」を「即位」に改め、平安期以来の「践祚」と「即位」の概念の区別を失わせたのです。


▽2 正確でない宮内庁の説明

 関根が解説するように、皇位の継承とは皇位の徴表(しるし)である三種の神器の継承にほかなりません。上代においては践祚すなわち即位であり、両者の区別はありませんでしたが、時代がくだり、制度が整うと、先帝の受禅による場合と崩御による場合とにかかわらず、神器が新帝に渡御することをもって践祚と称することとなりました。

 神器のうち神鏡は神殿に安置されて、移動のことはなく、剣璽のみが先帝から新帝に渡御になる践祚の例が定まりました。政治の空白は許されませんから、諒闇中であっても、まずは剣璽の渡御が行われ、その後、皇位の継承を皇祖皇宗に告げ、百官万民に宣布する即位の大礼が定められました。

 桓武天皇の時代に践祚から日を隔てて即位式が挙行され、貞観儀式の制定で践祚と即位の区別が定まったといわれます。

 明治の皇室典範は

「第10条 天皇崩ずるときは皇嗣すなはち践祚し、祖宗の神器を承く」

「第11条 即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行ふ」

 と定め、この歴史的な両者の区別を踏襲していました。

 ところが、戦後の混乱期に行われた皇室典範の改正はこれを反映できず、その後、政府は正常化の努力を怠ったのみならず、平成の御代替わりで「践祚」の用語と概念を完全に喪失させたのです。

 宮内庁の記録は

「もともと践祚は即位と同義語であり、また、皇室典範制定の際、践祚を即位に改めた経緯があるので」(『平成大礼記録』平成6年)

 と説明していますが、まったく正しくありません。それどころではありません、平成の御代替わりでは、践祚の式の一部はあろうことか、皇室典範第24条に定められる「即位の礼」の一環として執り行われたのです。

 政府は憲法を第一に優先するあまり、皇室の歴史と伝統を踏みにじり続けているのです。

 私たち国民が抗議の声を上げなければ、悪しき先例は次の御代替わりでも、その次の御代替わりでも踏襲されることでしょう。



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御代替わりを前に考える皇室の歴史と伝統 ──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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御代替わりを前に考える皇室の歴史と伝統
──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 1
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 御代替わりが刻々と迫りつつあります。いまのままでは前回の悪しき先例が繰り返され、国の行事と皇室行事の二分化、諸儀礼の非宗教化で押し切られることでしょう。

 そのことは、昭和40年代以降の宮中祭祀簡略化、さまざまな不都合が重なった前回の御代替わり、ここ20年におよぶ女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設への一連の経緯を振り返れば、火を見るよりも明らかです。

 いまの政府は、125代続いてきた皇室の歴史と伝統、すなわち祭り主天皇論ではなくて、憲法の規定を第一と考え、ご公務をなさる、天皇=名目的国家機関論の立場で、現行憲法下で2度目となる御代替わりを迎えようとしています。

「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とは相反し、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことは憲法の規定に抵触するというのが、政府の考え方です。

「国および国民統合の象徴」である天皇の御代替わりが、それゆえ国家的、公的性格が明々白々なのにもかかわらず、全体的に「国の行事」として、当たり前に挙行できないのはそのためです。

 御代替わりの正常化のためには、誤った天皇観、憲法論を克服しなければなりません。私たち日本人にとって、天皇とは歴史的にいかなる存在だったのか、何をなさるのが天皇のお立場なのか、が本質的に問われています。

 何をどうすればいいのか、具体的に考えるヒントを得るために、しばらくのあいだ、明治の国文学者で、学習院の教壇にも立ち、のちに宮内省御用掛ともなった関根正直(1860-1932)の『即位礼大嘗祭大典講話』を読んで見ようと思います。


▽1 順徳天皇『禁秘抄』の解説

 関根正直といえば、忘れもしません、30年ほど前、渋谷にある神道系大学の図書館に毎日のように通いつめ、夕方から閉館となる夜遅くまで、薄暗く、カビ臭い書庫に入り浸り、手当たり次第に古今の書物を読みあさっていたことがありました。

 空調がないため、夏は蒸し暑く、冬は底冷えのする最悪の環境で、おそらくここにしかないだろう古書をじかに手にする興奮に、私は身も心も震えました。

 20代の編集記者時代には予想だにしなかった奥深い世界が、そこには広がっていました。足下のぐらつく踏み台に上って、手に取った1冊が、ほかならぬ関根正直の『禁秘抄釈義』(明治34年)でした。

 関根の『禁秘抄釈義』は順徳天皇が著した『禁秘抄』(1221年)の解説です。『禁秘抄』の冒頭には、

「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす。旦暮(あさゆう)敬神の叡慮、懈怠なし、白地(あからさまにも)神宮ならびに内侍所の方をもって御跡となしたまはず」(原文は漢文)

 とあり、関根はこれに

「万機の中に神事を重くせらるること、わが国の規模にして」

 などと説明を加えていました。

 天皇は古来、祭り主であるという天皇観は、今日、まともに教えてくれる人などいるはずもなく、じつに新鮮ですが、戦後の教育を受けて育ってきたものには、簡単に受け入れられるわけもありませんでした。

 ともあれ、こうして私の天皇研究はゆっくりと始まったのでした。


▽2 いまはデジタルコレクションで

 ところで、即位大嘗祭をテーマとする関根正直の著書には、『即位礼大嘗祭大典講話』(大正4年)と『御即位大嘗祭大礼要話』(昭和3年)の2冊があります。

 いずれもいまは国会図書館のデジタルコレクションに収められています。30年前ならマイクロフィッシュを覗き込むしか術がありませんでしたが、いつでもどこでも誰でもネット上で読むことが可能になりました。便利な世の中です。

 これから拾い読みする『即位礼大嘗祭大典講話』は、奥付によると、大正4年4月に発行され、何度か版を重ねています。「緒言」によると、関根が、大礼の起源、沿革などをテーマに各地で講演したものを「倉卒」にとりまとめたということです。

 発行を急いだのは、いうまでもなく同年秋に御大典が予定されていたからでしょう。

 蛇足ながら、大正天皇の即位の礼および大嘗祭は当初、前年の3年11月に京都で行われるはずでした(3年1月17日官報号外)。けれども、昭憲皇太后が同年4月に薨去されたことから、皇室服喪令(明治42年)に従い、1年の喪が明けるのを待って、翌4年秋に執り行われることとなりました(4年4月19日官報号外)。

 明治45年7月の践祚から3年後に御大典が行われたのはそのためです。


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