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論理の飛躍──御公務をなぜ「分担」しなければならないのか? 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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論理の飛躍
──御公務をなぜ「分担」しなければならないのか? 1
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 私は運動家ではありませんが、日本の現状と行く末を心から憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第2節 御公務をなぜ「分担」しなければならないのか?──典範改正、制度改革は必要か?


▽1 論理の飛躍
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 平成24年2月に公表された政府の資料によると、「女性宮家」を創設する目的は「皇室の御活動」の維持であり、「両陛下のご負担」軽減でした。

「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることになっていることから、今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下のご負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」(「有識者ヒアリングの実施について」)〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html

 しかし、この文章は理由と結論が論理的につながっていません。

 前半の

「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることになっている」

 は現行の皇室制度の中味ですが、後半の

「今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下のご負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」

 とは直接的に結びつかないはずなのに、いとも簡単に順接的につながっています。論理の飛躍です。

 政府の資料は、

「このため、各界の有識者の方々から、皇室の御活動の意義や、女性の皇族に皇族以外の方と婚姻された後も御活動を継続していただくとした場合の制度の在り方等について幅広くご意見を伺い、今後の制度検討の参考とする」

 と続きますが、これも飛躍です。

 いつのまにか「天皇の御公務」が「両陛下の御活動」に衣替えし、「皇室の御活動」にすり替わっています。”


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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悪いのは「占領軍」ではない──なぜ有識者に意見を求めるのか? 8 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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悪いのは「占領軍」ではない
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 8
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 私は運動家ではありませんが、日本の現状と行く末を心から憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽8 悪いのは「占領軍」ではない
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 昭和の時代はまだしも皇室の意見が重んじられました。

 天皇第一のお務めである宮中祭祀のあり方が大きく変わったのは、昭和40年代でした。最初は毎月1日の旬祭が年2回に減らされました。入江相政侍従長の「工作」(入江日記)によるものです。

 このとき香淳皇后が猛抗議されたことが「入江日記」に記録されていますが、入江は皇后陛下の意見に耳を傾けませんでした。逆に「ねじ伏せた」ことが、日記に誇らしげに書き残されています。

 皇族の意見を聴く耳を持たなかった入江ですが、皇族方の意見に基づいているかのように装う工作は抜かりなく行いました。「入江日記」によると、皇太子殿下(今上陛下)のご発案によって、祭祀簡略化を進めようとしています。

 けれども、昭和50年代に入ると、様相は変わります。富田長官の下で、祭祀の簡略化が政教分離の名のもとに、さらに強力に、組織的に進められましたが、50年8月15日の長会室会議がそうだったように、皇族方の意見が参考にされることはなかったようです。

 御代替わりのとき、即位の礼準備委員会は参考人の意見を求めました。皇室典範有識者会議も有識者の意見を聴きました。そして皇室制度ヒアリングも、有識者の意見に耳を傾けました。しかし、皇族方の意見を聴くことはありませんでした。

 なぜなのでしょうか?

 理由の1つは、昭和50年8月15日の長官室会議で、皇室の伝統がほかならぬ側近たちによって、一方的に、密室において断絶されたこと、もうひとつは、いびつな憲法解釈・運用ということになるでしょうか?

 だとすると、いま必要なことは、

(1)昭和50年8月15日の会議で何が話し合われたのか、知られざる皇室関係史のひとコマが明らかにされること
(2)皇室の伝統と憲法の趣旨を対立的にとらえる憲法解釈・運用が正されること

 の2つだと私は考えますが、残念なことに、(1)についてはどうやら議事録さえも残されていないようです。ともあれ、「アメリカ憎し占領軍憎し」という昔ながらの理解では、皇室の歴史と伝統は、いつまで経っても回復されないでしょう。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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「国民主権」が根拠──なぜ有識者に意見を求めるのか? 7 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「国民主権」が根拠
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 7
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 私は運動家ではありませんが、日本の現状と行く末を心から憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
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 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽7 「国民主権」が根拠
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 すでに述べたように、国会図書館には、依命通牒が掲載された、昭和22年当時の『宮内府関係法令集』が所蔵されています。

 また、現行の『宮内庁関係法規集』が「平成19年11月1日現在」版から「平成24年11月1日現在」版まで、計6冊、所蔵されていますが、これらには依命通牒は掲載されていません。

 宮内庁HPに掲載されている「関係法令」も同様です〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/hourei.html〉。

 多くの人に気づかれることなく、どうやら宮内庁職員さえ知らないあいだに、いつの間にか、消えたのです。まるでミステリーです。

 依命通牒に記された、基準とすべき「従前の例」が反故にされた以上、125代にわたる皇室の長い歴史と伝統に代わって、新たな基準がなければなりません。

 根本的基準が憲法の「国民主権」「象徴天皇」にあることは明らかです。

 御代替わりにおいて、小泉内閣時代の皇室典範有識者会議において、そして「女性宮家」有識者ヒアリングにおいて、

「象徴天皇制度のもとで」

 と繰り返し強調されているのは、その意味と理解されます。

 そして政府は、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事のうち、伝統のままに行うことが現行憲法の趣旨に反すると考えるものは、国の行事ではなく皇室行事とされ、皇室の伝統が破られました(『平成大礼記録』宮内庁など)。

 小泉内閣の皇室典範有識者会議では、「伝統」の尊重が「基本的な視点」のひとつに置かれましたが、あくまで戦後60年の「1.5代」象徴天皇制度の伝統というべきでした。報告書の「はじめに」には、

(1)さまざまな天皇観があるから、さまざまな観点で検討した
(2)世論の動向に合わせて検討した

 と説明されていますが、皇室自身の天皇観、皇室にとっての継承制度という視点、天皇は祭り主であるという観点は、見当たりません。

 国民の名において、政府の責任で何でもできる。むろん皇族方の意見を聞く必要もないというのがヒアリングの本質かも知れません。

 実際、有識者会議は皇族方の意見に耳を傾けようとしないどころか、女系継承容認に憂慮の念を示された寛仁(ともひと)親王殿下に対して、吉川弘之座長(元東大総長)は

「どうということはない」

 とうそぶき、皇族方を守るべき立場のはずの羽毛田長官は、

「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」

 と口封じに及びました。

 側近中の側近である羽毛田長官こそは皇室改革の急先鋒で、18年9月、国民が待望した悠仁(ひさひと)親王殿下のご誕生に、

「皇位継承の安定は図れない」

 と水を差しました。16年7月の参院選のマニフェストに女性天皇容認方針を掲載した民主党が21年8月の衆院選で圧勝し、政権を取ると、皇室典範改正に取り組むよう鳩山新内閣に要請する意向を表明し、秋波を送りました。

 その鳩山内閣は同年暮れ、習近平中国副主席の「ゴリ押し」特例天皇会見(正確には「ご引見」)を強行しました。日本の最高権威であり、それゆえ現実の権力政治から超然たる地位にあるべき天皇が、「ポスト胡錦涛」の権力闘争を展開していた習近平サイドに政治利用されることを、「国際親善」の名目で許したのです。

 民主党政権下で進められる皇室制度改革こそ、歴史的天皇から逸脱する、現行憲法を起点とする天皇の名目化でしょう。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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「3項、4項をあわせ読めば」──なぜ有識者に意見を求めるのか? 6 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「3項、4項をあわせ読めば」
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 6
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 私は運動家ではありませんが、わが国の現状と行く末を憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を切に求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽6 「3項、4項をあわせ読めば」
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 宮尾答弁の中身について、もう一度、見てみます。

 まず、依命通牒は宮内府の内部的な文書だとする点ですが、事実に反するものと考えます。

 というのも、依命通牒(依命通達)とは行政官庁の命令によって補助機関が発する通達であり、昭和22年5月3日の宮内府長官官房文書課発45号、高尾亮一同課長名による依命通牒の場合は、各部局長官に対して通達されたのであって、宮内府内部の事務処理の考えを宮内府内部に向けて発したのではないからです。

 つぎに、廃止の手続きを取っていないから、いまも通牒は生きている、ということについて、ですが、ここが最大の問題です。

 もし生きている、とするのなら、昭和40、50年代に天皇の祭祀が変更された根拠は何か、ということになります。なぜ依命通牒がバインダー式だったらしい宮内庁の「法規集」から外されることになったのか、です。

 同じ平成3年4月25日の参院内閣委で、秋山收内閣法制局第二部長(のちの内閣法制局長官)は次のように答弁しています。

「皇室の行います儀式とか行事につきましては、憲法あるいはその他の法令の規定に違反しない限りは、法令上の根拠がなくても皇室がその伝統などを考慮してこれを行っても現行憲法上何ら差し支えないものでございまして、先ほどの宮内庁の御説明、お尋ねの通牒は3項、4項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨でありますので、憲法上、特段、問題はないものと考えております」

 注目したいのは、「3項、4項をあわせ読めば」です。

 つまり、依命通牒の第3項は

「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」

 で、皇室祭祀令に定められていた宮中祭祀、登極令に定められていた践祚・即位礼関連の諸行事などがこれに当たりますが、第4項では

「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を処理すること」

 とされています。

 したがって、「従前の規定が廃止」され「新しい規定ができていないもの」について、基本的には「従前の例に準じて事務を処理」されるけれども、「従前の例によれないもの」については、「従前の例に準じて事務を処理」しないことになります。

 依命通牒は廃止の手続きはとらない。したがって効力はいまも続いているが、たとえば憲法の政教分離原則などに抵触するような部分については、「従前の例」を踏襲しないと判断するということです。

 昭和50年当時の宮内庁当局者たちは、依命通牒によって踏襲されてきた皇室の伝統を、ほかならぬ依命通牒に基づいて、「廃棄」したということでしょう。

 これが、宮内庁OBが証言する「依命通牒の破棄」です。

 だとすると、問題は3点です。

(1)占領下でさえ踏襲されてきた天皇の祭祀が、「従前の例によれない」と判断された根拠は何か?
(2)天皇第一のお務めとされてきた祭祀の重大な変更を、官僚組織内部で行った理由は何か?
(3)依命通牒が「生きている」のなら、なぜ「法規集」から外したのか?

 依命通牒の「廃止の手続きは取っていない」という宮内庁次長の答弁、「3項、4項をあわせ読めば」という内閣法制局の見解を引き出したのは吉岡議員の功績ですが、祭祀の改変について追及しないのは共産党議員ならではの限界といえます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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「廃止の手続きを取っていない」──なぜ有識者に意見を求めるのか? 5 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「廃止の手続きを取っていない」
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 5
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 私は運動家ではありませんが、わが国の現状と行く末を憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を切に求めます。
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第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽5 「廃止の手続きを取っていない」
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 じつをいうと、矛盾するようですが、依命通牒はいまも生きています。

「(依命通牒の)廃止の手続は取っておりません」

 と宮内庁次長が国会で答弁しています。そして、この発言が重要なのです。

 それは平成3年4月25日の参院内閣委員会でのことでした。

 この日の議題は政府が提出した行政事務に関する国と地方の関係等の整理及び合理化に関する法律案で、午後、質問に立った共産党の吉岡吉典議員は、廃止が提案された許可認可等臨時措置法を取り上げ、かつて東条内閣の時代に戦時立法された大東亜戦争完遂のための法律がなぜいままで続いてきたのか、などと政府を追及したのでした。

 そのうえで、

「戦後、当時の日本の政府、これがいかに戦前の体制を温存しようとしてあらゆる努力をしたかということの証拠文献というのはたくさん出ている」

「何とかしてそういうものを温存しようということのあらわれだと私が思う一つの事実がある」

 と前置きしたうえで取り上げたのが、昭和22年5月の依命通牒でした。

 吉岡議員はこう問い質します。

「旧皇室令は廃止されたけれども、かわりの法令ができていないものは旧法令に従え。これは旧法令は実質上生きていることと同じことになるわけです。廃止された法律が生きているのと同じような通牒が堂々と出されているというのは、私にはこれも解せないことなんです。
 宮内庁、この通牒があることはもう紛れもない事実ですからお認めにならざるを得ないと思いますが、この通牒は今は効力はどういうふうになっていますか?」

 宮内庁の宮尾盤次長が、政府委員として答弁に立ちました。

「今、御質問がありました、これ(依命通牒)が効力を持っているか、こういうお尋ねでございますが、この通牒は、皇室令がいわゆる新憲法の施行とともに効力を失った当時におきまして、宮内庁、当時は宮内府と言っておりましたが、その宮内府内部における当面の事務処理についてのいわゆる考え方を示したものでありまして、これは法律あるいは政令、規則というようなものではございません。そういう考え方を示したものでありますが、その後現在まで廃止の手続はとっておりません」

 宮尾次長の答弁からは、

(1)依命通牒は新憲法施行当時の宮内府内部の文書であること
(2)廃止の手続きは取られていないので、文書はいまも生きていること

 の2点が読み取れます。

 吉岡議員は依命通牒が廃止されていないことに強く反応し、今度は法制局に矛先を向け、

「私は古いものを残していこうという心理的な状況があらわれているというふうに考えざるを得ません」

「戦後、憲法を改正して主権者がかわったんです。主権者が天皇から国民にかわるほど、これほど大きい憲法の改正が行われた今、太政官布告だ、勅令だ、朕だ、帝国議会だと、こういう法律は内容も、同時に形式も私は検討に値するものだと思います。…(中略)…
 新しい憲法に則して法律の形式、内容とも整備していくことが当然のことであり、戦後新憲法が制定された当時からこういう作業は開始していくのが本来の新しい憲法のもとでの平和国家、民主国家だと言っている日本にふさわしい法律のあり方じゃないかと思います」

 と熱弁を振るいました。天皇の存在を「戦前の君主絶対の名残」「民主主義の時代には合わない時代錯誤」(『新日本共産党宣言』)と決めつけ、「戦後民主主義」の旗手を自任する、いかにも共産党議員ならではの主張です。


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依命通牒の全文──なぜ有識者に意見を求めるのか? 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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依命通牒の全文
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 4
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 私は運動家ではありませんが、わが国の現状と行く末を憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を切に求めます。
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第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽4 依命通牒の全文
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 以下、「宮内府関係法令集」「宮内庁関係法規集」に掲載されていた規定を、漢字使用、仮名遣いなど、できるだけ忠実に転記します。もちろん原文は縦書きです。

  ○皇室令及び附屬法令廢止に伴い、事務取扱に關する通牒

宮内庁長官官房
文  書  課發第四五號
 昭和二十二年五月三日
      宮内府長官官房文書課長 高 尾 亮 一
  各部局長官殿

   依命通牒
皇室令及び附屬法令は、五月二日限り、廢止せられることになつたについては、事務は、概ね、左記により、取り扱うことになつたから、命によつて通牒する。

   記
一、新法令ができているものは、當然夫々、その條規によること。(例、皇室典範、宮内府法、宮内府法施行令、皇室經濟法、皇室經濟法の施行に關する法律、皇統譜令等)
二、政府部内一般に適用する法令は、當然、これを適用すること。(例、官吏任用敍級令、官吏俸給令等)
三、從前の規定が廢止となり、新らしい規定ができていないものは、從前の例に準じて、事務を處理すること。(例、皇室諸制典の附式皇族の班位等)
四、前項の場合において、從前の例によれないものは、當分の内の案を立てゝ、伺いをした上、事務を處理すること。(例、宮中席次等)
五、部内限りの諸規則で、特別の事情のないものは、新規則ができるまで、從來の規則に準じて、事務を處理すること。特別の事情のあるものは、前項に準じて處理すること。(例、委任規定、非常災害處務規定等)

 以上です。

 皇室祭祀令の廃止後も宮中祭祀が存続できたのは、この依命通牒があるからです。皇室喪儀令が廃止されたにもかかわらず、昭和26年の貞明皇后の大喪儀が喪儀令に準じて斎行されたのはこの第3項があるからです。

 もうひとつ、補足したいのは、依命通牒が「法令集」に掲載されているのは、

「昭和二十二年五月三日現行の法令のうち、宮内府の事務に必要なもの」

 として選ばれたということです。

 この依命通牒の第3項によって天皇の祭祀はかろうじて維持されました。

 ところが、終戦30年の昭和50年8月15日、ときまさに宇佐美宮内庁長官、富田次長の時代、宮内庁長官室における、いわば密室の会議で、この依命通牒が「廃棄」されたことが、宮内庁関係者の証言や側近の日記などによって明らかになっています。

 たとえば、昭和天皇の祭祀に携わった永田忠興元掌典補はこう証言します。

「依命通牒は『宮内庁関係法規集』から、50年9月突然、消えました。どのような経緯があったのか、詳細は分かりませんが、このとき天皇陛下の祭祀は明文法的根拠を完全に失ったのです」(「『昭和天皇の忠臣』が語る『昭和の終わり』の不備──永田忠興元掌典補に聞く」=「文藝春秋」2012年2月号。聞き手は私です)

 こうして依命通牒は「宮内庁関係法規集」からはずされ、実際、毎朝御代拝など宮中の重要な祭祀などが大きく改変されました。

 125代の皇室の伝統は、占領期に占領軍によってではなく、ここに至って、戦後30年目にして、日本政府の官僚の独断専行によって、密かに失われることとなったのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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昭和22年「宮内府関係法令集」 ──なぜ有識者に意見を求めるのか? 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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昭和22年「宮内府関係法令集」
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 3
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 私は運動家ではありませんが、わが国の現状と行く末を憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を切に求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽3 昭和22年「宮内府関係法令集」

 国立国会図書館には、依命通牒が掲載された、昭和22年当時の『宮内府関係法令集』が所蔵されています。
koukyo01.gif
 同図書館に納本されている唯一の『宮内府関係法令集』で、深い緑色の固い表紙に複写禁止を示す「×複写」の紙片が張られ、背表紙には「宮内府関係法令集 昭和22年12月4日現在」と表記されています。厚さは4センチ弱で、全部で四百数十ページ。各ページの紙は変色して赤茶けています。

「はしがき」には、

「一、この法令集は、昭和二十二年五月三日現行の法令のうち、宮内府の事務に必要なものを選んで収録した。
 二、この法令集の第一部には、皇室及び宮内府に関する法令を、第二部にはその他の法令を掲げた」

 などと記され、最後に

「昭和二十二年五月 宮内府長官官房文書課」

と記されています。

「目次」を見ると、「第一部」に

「日本国憲法」
「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」
「日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令」
「皇室典範」
「皇統譜令」

 などが並び、掲載される20本の法令の17番目に、

「皇室令及び附属法令廃止に伴い事務取扱に関する通牒(昭和二十二年五月三日宮内府長官官房文書課発第四五号依命通牒)」

 が載っています。

「奥付」には

「昭和廿二年七月五日 印刷納本 宮内府關係法令集(第一分冊)」
「非売品」

とあります。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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依命通牒の起案書 ──なぜ有識者に意見を求めるのか? 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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依命通牒の起案書
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 2
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 私は運動家ではありませんが、わが国の現状と行く末を憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を切に求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽2 依命通牒の起案書
koukyo01.gif
 以下、できるだけ忠実に、起案書の全文を書き写します。
(注。原文は正字が使われています。PCの環境によっては正確に表示されない可能性がありますが、ご了承ください。以下同じ)

(1枚目)
立案 昭和二十二年五月三日
決裁 昭和〃年〃月〃日   文書課長(「高尾〈斎藤吉久注。のちに昭和新宮殿建設時の管理部長・高尾亮一〉」の印)

長官(花押)
次長(「加藤〈斎藤吉久注。のちに済生会理事長・会計検査院長などを務めた加藤進〉」の印)
皇室令及び附属法令は、五月三日限り、廢止せられることになつたについては、事務は、概ね、左記により、取り扱うことにしてよいか、伺います。
    記
一、新法令が、できているものは、当然夫々、その條規によること。(例、皇室典範、宮内府法、宮内府法施行令、皇室経済法、皇室経済法の施行に関する法律、皇統譜令等)
二、政府部内一般に適用する法令は、当然、これを適用すること。(例、官吏任用敍級令、管理俸給令等)
三、從前の規定が、廢止となり、新しい規定

(2枚目)
が、できていないものは、從前の例に準じて、事務を処理すること。(例、皇室諸制典の附式、皇族の班位等)
四、前項の場合において、從前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を処理すること。(例、宮中席次等)
五、部内限りの諸規則で、特別の事情のないものは、新規則ができるまで、從來の規則に準じて、事務を処理すること。特別の事情のあるものは、前項に準じて処理すること。(例、委任規定、非常災害処務規定、宿直処務規定等)

宮内府長官官房文書課発第四五号
 依命通牒案
 昭和二十二年五月三日 宮内府長官官房文書課長
 各部局長官

(3枚目)
    依命通牒
皇室令及び附属法令は、五月三日限り、廢止せられることになつたについては、事務は、概ね、左記により、取り扱うことになつたから、命によつて通牒する。
    記
(前同文)


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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即位の礼と大嘗祭を引き続き挙行する必要はない ──平成の御代替わり「2つの不都合」 5 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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即位の礼と大嘗祭を引き続き挙行する必要はない
──平成の御代替わり「2つの不都合」 6
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 即位の礼と大嘗祭の日程について、続けます。

 平成の御代替わりでは、平成2年11月12日に即位礼正殿の儀が行われ、その10日後、22日から23日にかけて、大嘗祭が挙行されました。

 昭和の御代替わりもそうでした。昭和3年11月10日に即位の大礼が行われ、その4日後、14日夕刻から大嘗祭が行われました(『昭和大礼要録』昭和6年)。

 なぜ「10日後」あるいは「4日後」なのでしょうか。

「昭和の御代替わりが行われたときもそうでした。京都御所で行われた紫宸殿の儀のあと、京都市内はどんちゃん騒ぎでした。天皇陛下の一世一度の重儀が行われる、もっとも静謐(せいひつ)が求められるときに、京都は喧噪の巷と化していたのです」

 昭和から平成の御代替わりに携わった永田忠興元掌典補が問題点を指摘するのは道理です。

 即位の礼・大嘗祭の「期日」に関する赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)の解説を読んでみます。

「つつしみて按ずるに、大礼を行はるる期日は、宮内大臣・国務大臣の連署をもって中外に公告し、かつ同時に賢所、皇霊殿、神殿ならびに神宮、神武天皇等の山陵にこれを告げたてまつらるるなり。
 さて、このたびの大礼の期日は、いまだ公告なければ、いづれの日に行はるるやを知らず、民間に伝ふるところにては11月23日、例年新嘗祭の日に大嘗祭を行はれ、その数日後前に即位の礼を行はるべしとも、また11月3日、今上天皇立太子の日に即位の礼を行はれ、13日の卯の日に大嘗祭を行はるべし、などとも伝ふ。
 そのいづれの日に決せらるるやを知らねど、記して参考に備ふ」

 赤堀は本文にはそう書いていますが、実際に本が刊行される段階では期日は定まっていました。巻頭に期日が定まったことを知らせる官報号外が引用されています。

 じつは赤堀の『御即位及大嘗祭』は少なくとも大正3年版と翌年の再版とがあるようで、前者には大正3年1月17日官報号外が次のように引用されています。(原文は漢字片仮名交じり。以下同じ)

 即位の礼および大嘗祭の期日、左の通り定めらる
即位の礼 大正3年11月10日
大嘗祭  同  年同 月13日
 大正3年1月17日  国務各大臣宮内大臣連署

 しかし実際にはこの期日には行われませんでした。すでに申し上げましたように、昭憲皇太后が3年3月に崩御され、大正の即位礼・大嘗祭が延期されたからです。

 4年5月に再販された赤堀の本には、あらためて定められた期日を告知する大正4年4月19日官報(号外)が引用されています。

即位の礼および大嘗祭の期日、左の通り定めらる
  即位の礼 大正4年11月10日
  大嘗祭  同  年同 月14日
 大正4年4月19日 内閣各大臣連署

 大正天皇の大嘗祭は即位の礼の、じつに4日後でした。なぜ相次いで執り行う必要があったのでしょうか。

 かつてはどうだったのでしょう。赤堀の解説を読んでみましょう。

「古例、即位の礼を行はるる日は、定まれることなし。ただし、中古以来は、陰陽道の説をこれらのことに採用せられたれば、陰陽頭に命じて、これを勘(かんが)へ申さしめらるる例なり。
 寛永7年中御門天皇、即位の礼を行はれしときには、陰陽頭安倍泰連、その年の『11月11日巳の時』をもって大礼を行はるるに宜しき吉日、吉時と選定して上申し、これを採用ありし類いなり」

 大嘗祭はどうでしょうか。

「大嘗祭を行はれし日、往古のことは詳らかならず。
 中古以来、11月下の卯の日を例とす。もし11月中に3か度、卯の日あれば、中の卯の日を用ひられし例なり。新嘗祭も卯の日に行はれたり。卯の日と定められし理由はこれを知らず」

 明治の皇室典範は第11条に

「即位の礼および大嘗祭は京都において、これを行ふ」

 と定め、登極令の第4条は

「即位の礼および大嘗祭は秋冬の間において、これを行ふ。大嘗祭は即位の礼を訖(おは)りたるのち、続いてこれを行ふ」

 と規定していました。これには今日とは異なる、交通機関の未発達が背景にあるものと想像されます。明治末年なら新橋・神戸間が13時間かかりました。即位の礼・大嘗祭を引き続いて執り行わざるを得ない事情があったということでしょう。

 しかし京都で挙行するという規定もない今日では、もっと時間的余裕をもって挙行してよろしいのではないでしょうか。

タグ:御代替わり
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戦後も続いてきた祭祀の伝統 ──なぜ有識者に意見を求めるのか? 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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戦後も続いてきた祭祀の伝統
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 1
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例がそのまま踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽1 戦後も続いてきた祭祀の伝統
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 政府はなぜ、皇室の制度に関することについて、有識者ヒアリングを実施し、意見を求めるという手法を採ったのでしょうか?

 皇室の制度に関連して、政府が有識者に参考意見を求め、ものごとを決めた最初のケースは、私の知るところ、昭和天皇の崩御のあと、御代替わりの諸行事について、だったかと思います。政府の準備委員会で、15人の参考人が意見を述べています。

 すでに述べたように、当時のキーパーソンの1人である石原信雄内閣官房副長官によれば、当時の最大の懸案事項は大嘗祭で、「行うか行わないかが大問題になった」(『官邸2668日─政策決定の舞台裏』平成7年)のでした。

 そこで石原氏は、海部総理や森山眞弓官房長官とも相談し、賛成・反対の、各方面の意見を聞くことにしました。意見は十分に言ってもらい、

「最後は政府の責任でやらせてもらう」

 という姿勢で、議論を収めたのでした。

 それなら、なぜ「各方面の意見を聞く」ことになったのでしょうか?

 それは、政府関係者は説明していませんが、125代にわたって皇室に伝わってきた、御代替わりの諸儀礼の伝統を重んずべき法的基準が、昭和の時代に、昭和天皇の側近たちの一方的判断によって、失われていたからでしょう。

 皇室に関する諸制度が大きく変わった歴史的転換点は、70年前の敗戦・占領であると一般には考えられています。GHQによって皇室制度が一変させられたという理解です。

 たしかに憲法は変わり、皇室典範も変わり、皇室令は廃止されましたが、占領軍によって皇室の伝統すべてが一変させられたというわけではありません。

 というのは、昭和22年5月3日の新憲法施行とともに、宮内府長官官房文書課長高尾亮一名による各部局長官宛の依命通牒(皇室令及び付属法令廃止に伴い事務取扱に関する通牒)が発せられ、これによって、

「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」(第3項)

 とされ、宮中祭祀など皇室の歴史と伝統が、辛うじてではあるにしても、新憲法施行後の占領下でもずっと生きていたからです。

 22年5月3日に現行皇室典範が日本国憲法とともに施行され、その前日に皇室令は廃止されましたが、皇室の伝統はほとんどそのまま維持されたのです。

 このときの依命通牒の起案書が残されています。

 起案書は、赤線に縁取られた、宮内府のさらに前身である宮内省の事務用箋、B4判、3枚に、毛筆でしたためられています。もちろん縦書きです。

 1枚目の欄外には「文議第二号」とあり、同じく欄外に「御覧済」の朱印が押され、付箋でしょうか、「御覧モノ」と墨字で書いた紙が付されているようです。昭和天皇が起案書を御覧になったということでしょう。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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