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近代化に伴う改革 ──支離滅裂な「論点整理」 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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近代化に伴う改革
──支離滅裂な「論点整理」 3
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第7節 支離滅裂な「論点整理」──変更された制度改革の目的意識


▽3 近代化に伴う改革
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 このような改革はなぜ起きたのでしょうか。

『皇室制度史料』は、明治19年の皇族叙勲内規制定に関する『明治天皇紀』の文章を引用しています。

「皇族叙勲のこと、従来、成法なし。欧州諸国にありては皇族の品秩おのずから備わり、生まれながらにしてその国最高勲位を帯ぶるものとす。しかれども本邦においてはまたおのずから皇族待遇の慣例あり。概して欧州の法にならうべからずといえども、外交、日に熾旺なるに際し、彼我の権衡を得しむることまた必要なりとす……」

 日本の皇位継承とヨーロッパの王位継承を比較すると、ともに世襲でありながら大きく異なるのは、父母の同等婚という原則の有無です。

 たとえばイギリスやスペインで女子の王位継承を可能にしているのは、父母がともに王族だからで、女系子孫に王位が継承されれば王朝が交替し、新たな父系の継承が始まります。

 しかし日本の天皇は父母の同等婚を要求しない代わりに父系の皇族性を厳格に求めてきたのです。万世一系という原則上、女系が認められるはずはないからです。

 別ないい方をすれば、日本では臣家の女子が皇太子妃や皇后となる可能性が大いにあります。近代の日本はその場合、欧米列強に伍していくために、たとえ臣家の出身であったとしても皇族待遇とした歴史に学んで、皇后や皇太子妃を皇族扱いとし、近代の皇室制度を整備したものと思われます。

 宮内庁のHPも同じですが、政府の「論点整理」は「天皇皇后両陛下の御活動」として、「国事行為など」「行幸啓」「外国御訪問」などを説明し、「宮中祭祀」までが「両陛下の御活動」とされています。伝統的概念からの逸脱はいうに及ばず、現行憲法にも違反する疑いがあります。

 すでに指摘したように、たとえば平成24年2月、今上陛下がご入院されたとき、「見なし皇族」であるはずの皇后陛下がお一人で、フィジーなどに赴任する日本大使夫妻と「お茶」に臨まれ、3月には離任するペルー大使を「ご引見」になりました。

 その延長線上に、皇族身分を失った女性皇族による「皇室の御活動」の「御分担」論が生まれているのでしょう。

 そして、「まとめ」では、こう結論づけられています。

「象徴天皇制度の下で、皇族数の減少にも一定の歯止めをかけ、皇室の御活動の維持を確かなものとするためには、女性皇族が一般男性と婚姻後も皇族の身分を保持しうることとする制度改正について検討を進めるべきであると考える」


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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さいちゃん

 大正末期、貞明皇后が沼津御用邸から帰京されるお召列車が御殿場にさしかかったとき、沿道に日章旗が翻り、30人ほどの一団が整列していました。

 貞明皇后はさっと座席をお立ちになり、大きく開かれた窓から深い眼差しで一団を見つめられました。

 それは御殿場のハンセン病施設に入院中の患者たちでした。

 それより少し前、沼津御滞在中の貞明皇后に、静岡県知事は

「フランス人神父が経営する施設がありますが、世界大戦の影響で本国からの送金が絶え、困っています」

 と申し上げたのでした。

 貞明皇后は御同情も一入で、側近に命じて、見舞品、金一封と反物、裏地まで患者全員に贈られました。

 品物には「宮中女官より」とだけ記されていましたが、患者たちはもったいないと感涙にむせんだそうです。

 その後、「お礼にお召し列車を一目拝みたい」と申し出たところ、患者が沿道に立つことを当局は許しませんでした。

 そのことを伝え聞いた皇后は

「沿道に並んだからといって、伝染することはあるまい。遠慮には及ばない」

 と側近に語られました。

 こうして奉送迎が実現したのです。この出会い以来、皇后はいわゆる救癩事業に打ち込まれるようになった、と伝えられます(『貞明皇后』)。

 いまや天皇・皇族はみずから積極的に行動する社会活動家のように理解されていますが、みずから行動せずとも、側近に命じればすむこともあるでしょう。

 民の声を聴き、民の心を知るには、それで十分ではないのでしょうか。
by さいちゃん (2017-07-16 09:18) 

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