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「寛宮御用雑記」に記録された光格天皇の御譲位 ──諸儀式の詳細はうかがい知れず [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「寛宮御用雑記」に記録された光格天皇の御譲位
──諸儀式の詳細はうかがい知れず
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 すでにご紹介したように、宮内省図書寮が編修した『光格天皇実録』(昭和6〜22年)は、200年前の文化14年3月22日、「(光格天皇には)桜町殿において受禅あらせられ、皇太子恵仁親王に譲位あらせらる」(原文は漢字片仮名交じり)と記述しています。

 また同じく『仁孝天皇実録』(同)には、「二十二日、清涼殿に於いて受禅あらせらる、是より先、光格天皇、桜町殿に行幸あらせられ、同殿より剣璽渡御の儀あり、是日、詔して一条忠良をして、旧の如く万機を関白せしむ」とあります。

 この光格天皇から光仁天皇への御譲位は実際、どのように行われたのか、もう少し詳しく見てみましょう。

『光格天皇実録』には「禁裏執次詰所日記」「山科忠言卿伝奏記」「御系譜」「日次案」が、『光仁天皇実録』には「寛宮(ゆたのみや)御用雑記」「禁裏執次詰所日記」「山科忠言卿伝奏記」「野宮定祥日記」「公卿補任」の資料がそれぞれ引用されています。

 これらはほとんど漢字だらけで、読みやすいものではありません。しかし唯一、「寛宮御用雑記」だけは若干、ひらがなが交じり、いくらか理解できそうなので、以下、ご参考までに、原文を忠実に抜き出してみることにします。

 なお寛宮は仁孝天皇の幼名です。


「寛宮御用雑記」
文化十四年三月廿二日、
一桜町殿え(ママ)行幸、御譲位御璽渡御御受禅也、
一所司代大久保加賀守丑半刻衣冠ニテ参内、御内玄関より伺公之間へ被通菓酒出ル、御両伝面会無之、卯半刻過行幸御催、唐門腋門より御門外南方ニテ御見送リ行啓後引続供奉、
一行幸辰刻過、御道筋南殿より宜秋門代より南へ建礼門前ヲ東へ、桜町殿唐門より入御、行啓同刻朔平門より西へ、東門通リ南へ南門通東へ新御殿へ御入、
一行幸被写済恐悦執次御賄頭奥ヘ申上ル
一所司代於桜町御所節会拝見、相済御祝同粥御酒吸物出恐悦被申上、夫より中宮新御殿へ被参恐悦被申上退出、再禁中へ被参伝奏衆御面会恐悦被申上、御酒吸物出ル、次ニ大御乳人出会口祝有之、伝奏衆再会御返答相済退出、
一町奉行御付院御付御目付等各再参ニ而恐悦申上有之、
一未半刻前
剣璽清涼殿ヘ渡御、右御道筋桜町殿唐御門より北へ、建春門より渡御、但人留之義下御所より御下知有之、
一御譲位御受禅御祝義御使
  長橋殿 右京大夫
院御所へ
 御太刀一腰 御馬代金六枚 綸子十反
 昆布鯣鶴一箱宛 御樽三荷
 御移徒ニ付
 御棚一箱 白銀五十枚 昆布一箱 鯣一箱 生鯛一折 御樽三荷
    中略
一今日より三箇日内侍所神饌供進、大床子御膳、朝餉、
一今日乾御門 蛤御門 清和院口御門より雑人往来、
一子半刻前御受禅御作法被為済、
廿三日、
一御譲位御受禅御祝義
 一条関白殿へ
勅使梅渓中将殿添使下川辺外記
 御太刀一腰 御馬代金一枚 紗綾十巻 昆布鯣塩鯛一箱宛 御樽一荷
一今度院御所へ御料一万石被進候旨所司代より伝奏衆へ御達有之、
一御譲位御受禅御祝義献上
 御太刀一腰   所司代大久保加賀守
 御馬代金一枚  使筑馬源三左衛門
右献上之品勘使所へ預置、追而関東使参内之節御披露也、


 さて、以前、ご紹介したように、博学で知られた一条兼良の『代始和抄』には、御譲位による皇位継承では、「警固、固関(こげん)、節会、宣制、剣璽渡御(けんじとぎょ)、新主の御所の儀式など」が行われ、とくに父子継承でない場合は「上表、揖譲の儀」が行われることが解説されています。

 とすると、光格天皇から第六皇子・仁孝天皇への御譲位では、「上表の儀」はないにしても、「警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式など」はあったであろうことが推測されます。

 けれども、少なくとも『仁孝天皇実録』に引用された「寛宮御用雑記」からは、仙洞御所への行幸、節会、剣璽渡御などがあったことは分かりますが、それらの詳細を十分にうかがい知ることはできません。
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