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陛下に謝罪を要求した新華社通信──どぎつい評論は中国国内向けか? [昭和天皇]

以下は、斎藤吉久メールマガジンからの転載です。

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 陛下に謝罪を要求した新華社通信
 ──どぎつい評論は中国国内向けか?
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「日本の侵略戦争の犯罪行為を謝罪すべきなのは誰か」。中国国営通信・新華社は25日、今上陛下に謝罪と懺悔を要求する評論を配信し、翌日、光明日報が掲載した。

「天皇裕仁は日本が侵略した被害国と人民に、死ぬまで謝罪の意を表したことはない。その後継者は、謝罪を以て氷解を得て、懺悔を以て信頼を得て、誠実を以て調和を得るべきだ。」〈http://jp.xinhuanet.com/2015-08/26/c_134557257.htm

 昭和天皇が謝罪したことはないという指摘は中国共産党お得意の歴史改竄だし、そもそも中国共産党と日本が戦争したこともない。今上陛下に謝罪要求を突きつけるのは異例だが、ともかく、いくつか気になる点を指摘したい。


1、人民日報に載らないのはなぜか

 第一に注目されるのは、昭和天皇を「張本人」と名指しし、「後継者」である今上陛下の責任を追及していることだ。過去にない強烈さだが、日本向けではないのではないか? それなら誰が、誰に向けて、何の目的で、書かせたものなのか?

 新華社は国務院直属の機関で、ふつうなら政府と党の公式見解と考えられるが、だとすると、どうも不自然だ。

 朝日新聞の報道によると、27日、記者が「評論は共産党や中国政府の立場を示すものなのか?」と質問したのに対して、「メディアが報道した観点について、我々は評論する立場にない」と述べるにとどまったという〈http://www.asahi.com/articles/ASH8W66R4H8WUHBI01J.html〉。これも胡散臭い。

 新華社の配信を載せたのは光明日報で、党機関紙の人民日報でも、その国際版である環球時報でもなかった。光明日報は中国の知識人・文化人を対象とする新聞であり、今回の評論は、日本に向けたものではなくて、中国国内の知識人層を対象にしていると思われる。

 それなら、どぎつい評論の目的は何か?

「冤有頭,債有主(悪事を働く者は責任を取るべきで、関係ない人に累を及ぼしてはいけない)」

「後人哀之,而不鑑之,亦使後人而復哀後人也(後人これを哀れむも、これを鑑みずんば、また後人をして復た後人を哀れましめん)。」

 評論には、中国古典からのものと思われる引用文が、冒頭と末尾に配されているが、かの「反日」江沢民の常套句「歴史を鑑とし、未来に向かう」は見当たらない。

 というより、江沢民派は熾烈な党内権力闘争の結果、すでに息の根を止められているらしい。中国ウオッチャーの福島香織氏によると、今月6日から16日まで開かれた北戴河会議に江沢民の参加はなかったという〈http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130328/245823/?rt=nocnt〉。

 今回の評論は、長老を排除し、権力をますます集中化させている習近平政権が、知識人たちに向けて発せられたもので、彼らを束ねようという狙いを持っているのではないかと想像するのだが、どうだろうか?


2、電気にかかったトウ小平

 中国共産党が歴史問題で「反日」攻勢を募らせるようになったのは「戦後50年」を経たころからで、けっして古いことではない。毛沢東主席、周恩来首相が指導した時代は「日本軍国主義の復活」を警戒したものの、国民の反日感情を煽ることは避けられた(清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』)。

 毛沢東は、訪中した佐々木更三社会党委員長の謝罪に対して、「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だった」と、かえって皇軍を称えている。

 毛沢東には「侵略」の文字はなく、したがって「謝罪」要求もない。もともと日本が戦争したのは国民党の中国であって、中国共産党ではない。

 昭和天皇が謝罪していないというのも誤りだ。逆に、いわゆる戦争責任を高い次元で痛感され、終生、ご自身を責められたのが昭和天皇だった。

 毎日新聞の岩見隆夫(故人。政治ジャーナリスト)によると、昭和53年10月に来日したトウ小平副首相に対して、昭和天皇は「我が国はお国に対して、数々の不都合な事をして迷惑を掛け、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です」と語りかけたという。この瞬間、鄧は立ちつくし、一部始終を見ていた入江侍従長は後に周辺に語ったらしい。

「トウ小平さんはとたんに電気にかけられたようになって、言葉がでなかった」

 入江日記(10月23日)には、次のように書き記されている。

「竹の間で『不幸な時代もありましたが』と御発言。トウ氏は『いまのお言葉には感動いたしました』と。これは一種のハプニング」

 陛下の御発言は「簡単なあいさつ程度で過去に触れない」という日中外交当局と宮内庁の事前了解とは異なるものだった。だからこそ、「ハプニング」であり、トウ小平には驚きだったのだが、率直な語りかけが心を打ったのだろうと岩見は解説している(「近聞遠見」)。

 2日後、日本記者クラブで、トウ小平は陛下との会見について、こう語っている。

「今回、私たちは天皇陛下と皇后陛下から、非常に丁重なご歓待をいただきました。それに感謝の意を表します。
 天皇陛下との会見の時間も短くはありませんでした。午餐会も入れて2時間以上でした。そしてお互いに過去についてお話ししました。しかし天皇陛下は、過去よりも未来に目を向けられているということに私たちはよく注意いたしました。天皇陛下は中日平和友好条約の調印に、非常に関心を寄せられていました」

 ここには「反日」はうかがえない。むしろ陛下への敬意すら感じられる。

 昭和天皇は立憲君主であって、具体的な政策に直接、関わっているわけではない。閣議決定に拒否権を行使なさることはなく、御前会議の空気を支配する決定権もなかった(『昭和天皇独白録』)。それでも陛下は統治者としての責任を感じておられた。

 トウ小平はよく知っていたのではないか?


3、対日強硬派との権力闘争

 けれども、江沢民国家主席の時代になって、状況は激変する。「天安門事件で共産主義の理想が色あせ、党の威信が揺らいだことで、共産党は支配の正当性を強調するために、抗日戦争の記憶を呼び起こすことが必要になった」(清水)のである。

 一党独裁体制を維持するには教育の立て直しこそが急務とされ、翌90年から全国の大学では軍事訓練が義務づけられ、愛国「反日」教育が各地で展開されるようになった。つまり、「反日」は中国の国内問題なのだ。

 平和友好条約締結20周年の1998年11月、江沢民は中国の国家元首として初来日する。来日は、日中外交当局にとって、「過去を終結させ、未来を切り開く」はずだった。

 ところが、来日した江沢民は、「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」を謳う共同宣言の内容に激怒する。「過去を直視し、歴史を正しく認識する」「日本側は中国への侵略によって災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明した」とはあるが、「謝罪」が明記されていなかったからだ。

 共同宣言作成の過程で、「歴史認識をきちんと書いてもらえば謝罪の表現はなくても構わない。今後、2度と歴史問題を提起するつもりはない」とまで語る中国外務省の高官もいたようだが、江沢民は違っていた。そして「平和」「友好」どころか、首脳会談で「日本は中国にもっとも重い被害を加えた」と噛みつき、宮中晩餐会でも日本を無遠慮に批判したのだった。

 江沢民時代が終わり、胡錦濤・温家宝体制が発足したころ、中国では対日関係重視の「新思考外交」が台頭していた。ロシアで実現した小泉・胡錦濤会談では、胡主席は異例なことに、初対面の小泉首相にいきなり「日本のSARS支援に感謝する」と謝意を示し、外交関係者を驚かせた。小泉首相の靖国神社参拝にもかかわらず、歴史問題は後景化した。

 しかし新外交は挫折する。大きな原因のひとつは、いわずもがな、いつの時代も繰り広げられている、中国共産党内部での熾烈な権力闘争だった。


4、終わりなき階級闘争

 新華社の評論は冒頭に「悪事を働く者は責任を取るべきだ」とある。悪いことをしたら謝罪し、償うのは、日本人の倫理と共通するが、中国共産党の主張する謝罪はかなり意味が異なるのではないか? 今上陛下への謝罪要求こそはその違いを際立たせている。

 評論は、侵略戦争なるものが、軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などの勢力が発動し、中国やアジア、世界の人民に対して犯罪を行ったと主張している。軍国主義者が悪で、人民は正しいという理解は、中国共産党ならではの階級闘争史観にほかならない。

 国際法が認める戦争なら、むろん善も悪もない。弱肉強食の非情の論理だけである。雌雄が決すれば、講和条約を結び、敗戦国が賠償することで、戦争を終結させ、平和の時代が再開される。しかし階級闘争なら終わりはない。昭和天皇の「後継者」にまで謝罪を要求するのは、終わりなき階級闘争だからだろう。

 もし今上天皇が謝罪したなら、侵略した日本を悪とし、侵略された中国は正しいという階級関係を永遠に固定化するものとなるだろう。少なくとも中国共産党はそう主張するだろう。過去の日本政府による謝罪が両国関係を好転させることがなかったように、これからもあり得ないだろう。

 もしかすると、陛下への謝罪要求は、「深い反省」を盛り込まれた全国戦没者追悼式での陛下のお言葉が勢いづかせたのかも知れない。習近平は副主席時代に天皇会見をごり押しし、それをテコに数年後、権力を手にしたようだが、今度もまた陛下を利用しているのかも知れない。

 日中政府間の合意文書に「侵略」が明記されたのは、小渕・江沢民の共同宣言だった。「過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。」とある〈http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_sengen.html〉。

「侵略」は「aggression」と英訳されている〈http://www.mofa.go.jp/region/asia-paci/china/visit98/joint.html〉。英単語の語義からいって「挑発もないのに謂われなき侵略を敢行した」という意味に受け取れるが、「日本は挑発がないのに中国を攻撃した」のだろうか? 戦争政策を推進した日本人は軍国主義者だけなのだろうか? 昭和天皇の終戦の詔書には「東亜の解放」の文言もあるが、まやかしなのであろうか?

 今年8月、新華社は「特別取材、日本右翼勢力の中国侵略戦争に関する五大謬論を論駁する」と題する評論を配信した〈http://jp.xinhuanet.com/2015-08/17/c_134525220.htm〉。

 そのなかで、「日本の対外戦争の発動は『大アジア主義』を励行し、アジア諸国が西側の植民者を追い払い、イギリス、米国といった国々の植民地体制の破壊を支援した」という歴史論を次のように批判している。

「日本の侵略者がアジア諸国の『支援』という旗印を掲げて、アジアを独占し、災いをもたらす行為をし、他国の領土で焼殺や略奪を行ったことのどこが『解放戦争』だというのか。どこがアジアの隣国を『支援』したというのか。」

 けれども、そうではない。


5、中国共産党自身の罪

 たとえば、東京裁判で死刑判決を受け、絞首台に消えた松井石根は、中国革命の父・孫文を敬愛し、中国文学に親しみ、「アジア人のアジア」を信条とした。その松井が戦争の指揮を執らなければならなかったのは、歴史の皮肉といわねばならない。

 南京陥落後、松井は戦陣に散った日中双方の将兵の御霊(みたま)を慰めたいと祈念し、血潮に染まった激戦地の土を集めさせ、これを持ち帰り、瀬戸焼にして高さ1丈の観音像を建立した。熱海・伊豆山の興亜観音である。

 松井自身の筆になる「縁起」には、「支那事変は友隣相撃ちて莫大の生命を喪滅す。じつに千載の悲惨事なり。……観音菩薩の像を建立し、この功徳をもって永く怨親平等(おんしんびょうどう)に回向し、諸人とともにかの観音力を念じ、東亜の大光明を仰がんことを祈る」と書かれている。

 友人同士が敵味方に分かれ、殺戮し合う。そんな歴史の悲劇を、単純に図式化し、断罪することに無理がある。

 もし侵略は永遠に断罪されるべき不正義だというのなら、中国共産党自身の行為はどうなのか? 前世紀の歴史ではない。21世紀の今日なお、チベット、ウイグルへの侵略は続き、あまつさえ南シナ海、東シナ海に軍事力を拡大させている。

 軍国主義者とは誰のことなのか? 誰が罪を負っているのか?

「(日本の)軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などが、中国やアジア、世界の人民に対し書き尽くせぬほど多くの犯罪を犯し、侵略戦争に対して逃れられない罪を負っている。」とするなら、同様にして、中国共産党の周辺地域に対する軍国主義の発動は、「アジア、世界の人民に対し書き尽くせぬほど多くの犯罪を犯し、侵略に対して逃れられない罪を負っている」のではないか?

 日本の「東亜の解放」がイカサマなら、人民解放軍の軍事行動は何だったのか?

 やがて世界は、中国共産党自身の論理によって、中国共産党に対して、謝罪を永遠に要求することになるだろう。

 新華社の評論が、共産党政権による国内の知識人向けのプロパガンダだとするなら、中国の知識人たちは、香港の知識人も含めて、どう答えるのだろうか?
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主食用にならないアメリカ産主食用米──冷めたらパラパラで、おにぎりにも炊き込みご飯にも向かない [米]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月26日)からの転載です。

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 主食用にならないアメリカ産主食用米
 ──冷めたらパラパラで、おにぎりにも炊き込みご飯にも向かない
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 やっぱりである。おにぎりにならないのである。

 TPP交渉の主要テーマのひとつはアメリカ産主食用米の輸入拡大だが、いったいどんなコメなのかと思って、ネットで購入し、食べてみた。

 よくいわれるように、安くて、美味しいのなら、消費者は歓迎する。ところがそうではない。


▽ 晩ご飯のメニューを変えなければならない

 そもそも安くない。

 アマゾンで探すと、5キロ2180円、2600円などの価格でカリフォルニア産米が売られている。ところが、いずれもプライムの設定がないので、送料は別になるから、国産米よりはるかに高い。

 2キロ950円というのを買ってみた。関東なら配送料が600円かかる。

 数日後、届いた商品には、「複数原料米」「米国カリフォルニア産10割」「輸入25年8月1日」と表示されている。要するに、ブレンドされた古米であった。

 さっそく炊いてみた。

 精米のときは単粒種に見えたが、炊きあがると、面白いことに、ご飯粒が伸びて、長粒種のようになる。

 まずくはない。ただ、粘りがない。冷めるとポロポロになる。

 あらためて商品の袋をながめると、シールが貼られていて、「カリフォルニア産カルローズ。炒飯、ピラフ、カレー、ドリア、リゾット、パエリア、サラダ、スープなどに最適なお米です」と書いてある。

 焼き魚定食や刺身定食、天ぷら定食には向かないということらしい。

 炊き込みご飯にしてみた。粘りがないから、箸では食べられない。ふたたびシールを読んでみると、「べたつかないお米」とあった。より正確にいえば、パサパサなのである。

 ダメ元でおにぎりにしてみた。案の定、握るさきから、米粒がポロポロとこぼれていく。

 おにぎりでこれなら、お寿司も同様だろう。

 アメリカは主食用米として、日本に輸出攻勢をかけている。けれども、少なくとも私が食べてみたコメは、日本人の「主食」には向かない。

 インディカ米とジャポニカ米とでは、種(species)が異なるといわれるほど、遺伝形質が異なるが、カリフォルニア産米と日本米とは明らかに性質が異なるのに、「主食用米」としてひとくくりにして、TPP交渉の議題にすることに無理があるのではないか?

 すき焼き用牛肉とステーキ用牛肉をいっしょに論ずるのと同じである。

 あえて輸入拡大するのなら、日本人は「主食」を変えなければならない。

 米を主食とする「米食民族」といわれたのも今や昔、もはや日本人は1日に1食程度しかコメを食べないらしいのだが、アメリカ産主食用米の輸入が増える分、日本人は晩ご飯のおかずの焼き魚をやめ、ピラフに変更しなければならなくなる。

「主食用米」の輸入拡大は「主食」の変更なのである。


▽ 米食からパン食に変えさせられた歴史

 そういえば、日本人にとって、コメが「主食」でなくなったのも、アメリカの圧力によるものだった。

 第2次大戦中、連合国の食料生産を一手に引き受けていたアメリカは、戦後、一転して、膨大な余剰小麦の在庫を抱えることになった。死活的な余剰対策のハケ口にされたのが敗戦国の日本で、再開された学校給食にはアメリカ産小麦が充てられた。

 その結果、日本の小麦生産は安楽死させられ、日本人のパン食が増え、一方、コメの消費は減り、歴史的な減反政策も始まった。

 その挙げ句に、今度はアメリカのコメを食べろという。煮魚定食ではなくて、ピラフを食べろというのである。

 ずいぶんと身勝手な話ではないのか? アメリカはむしろ生産調整を進めるべきではないのか?

 他国の食文化を変更させてまで、押し売りする権利は誰にもないはずだ。
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とんと聞かなくなった靖国訴訟──ヤスクニ派は裁判には勝っていない!! [靖国問題]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月20日発行)からの転載です。

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 とんと聞かなくなった靖国訴訟
 ──ヤスクニ派は裁判には勝っていない!!
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 以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月20日発行)からの転載です。


 茨城県護国神社の宮司が遺族会から退任を要求されたという。神社のイベントで半裸の男女がパフォーマンスを披露したのは「祭神に失礼だ」として、県遺族会は退任要求の嘆願書を差し出したというのである。

 本来、静謐であるべき慰霊の祭場が汚されたという言い分なのだろう。もっともなことだと思う。だが、本来の姿が取り戻されるべきだというのなら、ほかに要求されるべき重要な問題があるのではないか?

 戦争という国家の非常時に、国に殉じた兵士たちの慰霊はこの70年間、靖国神社や護国神社に、いわば民間任せにされている。国を代表する首相は参拝を自粛し、大真榊奉納でお茶を濁し、あまつさえ千鳥ヶ淵墓苑参拝で靖国神社に代わる国立墓地建設構想に秋波を送っているかのようだ。

 これは戦没者慰霊のあるべき姿であろうか? 茨城県に限ったことではないが、戦没者の処遇を思うのであれば、神社の宮司ではなくて、首相にこそ、退任要求を突きつけるべきではないのだろうか? 遺族会として持つべき問題意識の次元を見誤っていないだろうか?


▽1 神社の公的性を否定する司法
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 ところで、最近、ヤスクニ裁判のニュースをとんと聞かなくなった。

 外交問題に発展するのを避けて、卑屈にも首相は参拝を自粛しているのだから、当然かも知れない。裁判では、玉串料は私的なら合憲とする司法判断が示されている。政府は参拝も大真榊の奉納も私的行為だとして、反対を押し切っている。合祀取り消し訴訟も、合祀は神社側の自由だというのが裁判所の判断だ。

 つまり裁判はすべて反ヤスクニ派の敗訴に終わっている。それなら、ヤスクニ派は勝利したのか、そうではないと思う。

 司法判断の大前提は、靖国神社は民間の一宗教団体に過ぎないという事実認識にある。政教分離原則によって、国と靖国神社との関わりは否定され、首相など公機関は私人としての立場で関わることを認められているだけである。国が靖国神社の合祀作業に関わる行為は明確に違憲とされている。

 靖国神社の公的性が司法によって否定されていることは、反ヤスクニ派の敗北ではなくて、間違いなくヤスクニ派の敗北である。

 武運つたなく、国に一命を捧げた兵士たちについて、殉国者と認定できるのは国以外にはない。国は認定された殉国者に対して援護法の対象とし、遺族には年金などが支給されてきた。そして追悼の祈りが捧げられてきた。それが靖国神社である。

 靖国神社の公的性が否定されるのなら、国は戦没者に対して、金銭補償さえすれば足りるということにならないか? 日本という国はそんな血も涙もない国だったのか?

 いや、国家の祈りはある。たとえば、全国戦没者追悼式は、陛下の御臨席の下、政府主催で行われている。だが、これは「先の大戦における全戦没者」が対象であり、近代以後の全戦没者を対象とし、戦没者追悼の中心施設として歴史的に認められてきたのは靖国神社以外にはない。


▽2 靖国神社に求められる覚悟


 靖国神社は昭和20年のいわゆる神道指令によって国家との関係が絶たれ、翌年2月の宗教法人令改正で、宗教法人となった。宗教法人として届け出なければ「解散したものとみなす」という、切羽詰まった状況下での苦渋の選択だった。

 しかし「いずれ国にお返ししたい」と代表者たちが表明してきたように、靖国神社は民間の宗教法人という法的位置づけに満足してきたわけではないし、そうあるべきでもない。

 だとすれば、靖国神社の公的性を否定するような司法判断にも満足すべきではないし、むしろ打破していくことが求められる。

 煩わしい訴訟ごとに振り回されたくないという程度なら、苦言を呈してもなんの意味はないが、「国にお返しする」ことが本心なのだとすれば、靖国神社を民間機関に貶めている司法に対して、あるいはそのような法律論を展開してきた法律家たちに対して、反ヤスクニ派であれヤスクニ派であれ、訴訟をも辞せずという覚悟が求められる。

 そうでなければ、ヤスクニ派の正体は反ヤスクニ派だということになりかねない。

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もしパンダのように5本指でなかったら──「戦後70年」の日韓関係について考える [日韓関係]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月18日発行)からの転載です。

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 もしパンダのように5本指でなかったら
 ──「戦後70年」の日韓関係について考える
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 今年は「戦後70年」。歴史の大きな節目とされ、安倍総理の談話や陛下のお言葉が内外の話題を呼んでいる。

 日本国内の平和主義者たちは、国際環境の変化などお構いなしに、戦後の平和を守ることにまなじりを決している。隣国の政治家はここぞとばかりに、日本の「植民地支配」「侵略」についての「反省」「謝罪」を要求している。

 しかし考えてみると、「70年」にさしたる意味はない。

 この1年間に、日本民族の「軍国主義」的残虐性を明らかにする新たな史実が発見されたというのなら、「反省」「謝罪」が大きく要求されるのは当然だろうが、そんな事実はない。

 10年前は「戦後60年」だったし、20年前は「戦後50年」で、それぞれ歴史の回顧がなされたのである。メディアが好む、10年ごとにめぐってくる恒例行事である。

 とすれば、新鮮味を求めるのは、所詮、無理である。

 なぜ「10年」ごとか、といえば、ほ乳類の手足の指がそれぞれ10本で、人間はたいてい10を基本に考える。それだけのことだ。むろん人は忘れっぽいから、ときどき歴史を振り返るのは大切なことである。

 それなら、もし人間の手が5本指ではなかったら、どうだろうか?

 たとえばパンダのように6本指だったら、ピアニストは両手で同時に12の音を発生されることができる。ショパンの音楽は別なものになっていたかも知れない。人間は12進法で考えることとなり、ソロバンの形は変わっていたろう。

 お隣の韓国はどうだろう?

 今年は「解放70年」、そして「日韓国交正常化50年」とされている。

 前者はもともと歴史的事実の裏付けはない。日帝支配から解放されて、悲願の独立を獲得したという歴史はない。総督府の日章旗が引きずり下ろされたあと、掲げられたのは星条旗だった。米軍の軍政が解かれ、大韓民国が独立したのは3年後だった。

 けれども、「抗日」を国是と掲げる以上、日帝からの「解放」以外に「解放」はあり得ない。歴史観に合わせて、歴史をゆがめるしかない。

 その結果、「解放記念日」と「国交正常化」の式年が同時にめぐってくる。これはいかにも不幸である。

 実際、日韓両国政府は10年前、「国交正常化40年」を「友情年」と位置づけ、多角的な交流を推進したが、友情とは名ばかりで、韓国女性省はインターネット上に「日本軍慰安婦サイバー歴史館」(http://www.hermuseum.go.kr/)を開設した。目的は「独立60年を機に、日本の悪行に対する韓国人の認識を促進する」ことだった。

 10年後の今年は、世界中の国々に慰安婦像を建て、日本に「謝罪」を要求する運動が展開されている。「国交正常化」より「抗日」の国是が優先され、その手法は10年ごとに、ヒートアップしている。じつに異常な「正常化50年」である。

 もし人間の指が12本だったら、「解放記念日」と「国交正常」の節目がいっしょにめぐってくることはなくなる。しかしそれはあり得ない。
タグ:日韓関係
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新嘗祭で隔殿に着座されなかった皇太子──『昭和天皇実録』が明らかにした異例 [宮中祭祀]

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 新嘗祭で隔殿に着座されなかった皇太子
 ──『昭和天皇実録』が明らかにした異例
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 今年の春から『昭和天皇実録』の刊行が始まりました。

 宮中祭祀のあり方を考えるうえでたいへん興味深い記述がありますので、ご紹介します。大正8年、9年の新嘗祭です。

 この年、大正天皇の親祭はありませんでした。その場合、どのように行われたかというと、近年の簡略化された新嘗祭の次第と似ているのです。


▽ 神嘉殿南庇で御拝礼

『実録』には、次のように書かれています。

「(大正8年11月)二十三日 日曜日 新嘗祭神嘉殿夕の儀につき、午後五時四十五分御出門になる。次第において、皇太子は天皇の出御に続き、隔殿にお出ましになり御着座のご予定のところ、この日午後五時過ぎに至り、ご都合により天皇出御なき旨が仰せ出される。よって皇太子の隔殿御着座のことは行われず、神饌供進済了の後、掌典次長東園基愛・東宮大夫浜尾新の前導にて便殿より御参進、神嘉殿南庇の正面において御拝礼、終わって退下される。午後八時十五分御帰還になる。暁の儀にはお出ましなし。〇東宮侍従日誌、東宮職日記、侍従日記、侍従職日誌、祭祀録、典式録、儀式録、宮内省省報」

 ポイントは、天皇の出御がなかったこと、そのため皇太子は神嘉殿南庇で御拝礼され、隔殿御着座はなかったこと、暁の儀のお出ましはなかったこと、の4点です。

 翌年は少し違います。

「(大正9年11月)二十三日 火曜日 (前略)新嘗祭につき午後六時十分御出門、賢所御休所において軍服より斎服に召し替えられる。七時二十分、夕の儀につき神嘉殿に御参進、御拝礼になる。終わって軍服に召し替えられ宮城に御参内になる。御内儀にお成りになり、和服に直衣の袴を召され、天皇・皇后に御拝顔になる。十一時十五分、軍服に着替えられ御退出、賢所御休所にて斎服を召され、暁の儀に臨まれる。翌日、午前零時二十五分賢所を御出門、同四十五分御帰還になる。なお、天皇の出御なきため〈この日午前九時、出御なき旨仰せ出される〉、皇太子は隔殿に御着座のことなく、夕の儀・暁の儀とも皇族拝礼の前に便殿より参進され、神嘉殿南庇正面において御拝礼のみを行われる。〇東宮侍従日誌、東宮職日誌、祭祀録、儀式録、典式録、宮内省省報、官報、奈良武次日記」

 隔殿御着座はなく、神嘉殿南庇で拝礼されたのは前年同様ですが、前年とは異なり、暁の儀にもお出ましになりました。

 このような祭式のあり方が何に基づくのか、よく分かりません。8年と9年の違いが何に由来するのかも不明です。


▽ 「前例」のつまみ食い

 それはともかく、近年の簡略化された新嘗祭と似ていることは指摘できます。つまり、近年の簡略化は戦前の先例を踏襲しているようにも見えます。

 たとえば、4年前の平成23年、陛下御不例のため新嘗祭の親祭は行われませんでした。

 このとき宮内庁は「新嘗祭における陛下の神嘉殿へのお出ましの時間を短縮し,夕の儀も暁の儀と同様,儀式の半ばより出御され,また,両儀式とも,皇族及び諸員による拝礼前にご退出される」ことになったと説明していました。

 宮内庁は昭和の先例を根拠としていました。

 実際には、陛下のみならず、皇太子殿下もまた、「夕の儀及び暁の儀の両儀式とも、儀式の半ば過ぎに、拝礼のために参進され、皇族及び諸員による拝礼の前に退出なさいます」とされました。

 これは何を根拠としたのか、説明がありません。私は「無原則」とメルマガで批判しました。

 けれども、『昭和天皇実録』の記述を見ると、あながち「無原則」と断定することは控えなければならないのかも知れません。しかし、それなら、昭和天皇の晩年の例ではなくて、戦前のあり方を踏襲したと説明すべきではないでしょうか。説明不足です。

 いや、そうではありません。

「前例踏襲」なら、四方拝を御所のテラスで行い、洋装とするなどといった、入江侍従長による祭祀の「簡素化」はあり得なかったのです。

 宮内庁の方針はけっして「前例踏襲」ではないのです。都合のいいときだけ「先例」を持ち出すご都合主義に問題があるのではありませんか?

 天皇第一のお務めとされてきた祭祀が「前例」のつまみ食いによって行われていることになります。


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