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国民を統合する天皇のおつとめ ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その2 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏の天皇論について、批判を続けます。

 私は、竹田氏の女系継承否認、「女性宮家」創設反対の結論には大いに同意する立場ですが、思考の過程については異議を唱えなければならないと考えています。

 竹田氏の天皇論では、女系継承肯定=「女性宮家」創設論に対して、十分に対抗することができないと思うからです。伝統主義を鍛え直す必要があると考えるからです。


▽1 「葦津に学ぶ」というけれど

 竹田氏の天皇論は、その著作によれば、天皇のお務めは祭祀を行うことにあるという、伝統主義的な、天皇=祭り主論の立場に立っています。

 その基本に置かれているのが、「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦の天皇論なのですが、ここに問題があるようです。

 竹田氏は、「葦津に学ぶ」と表明しつつ、実際のところは、問題関心も引用の中身も違っているように見えるからです。

 前回は、八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』の第一章をテキストにして指摘しました。今回は第二章に読み進みます。

 この章は、まさに議論の中心となるべき祭祀論が展開されています。「宮中祭祀こそ皇室の存在意義」と題され、葦津の文章が繰り返し引用されているのですが、問題関心も結論も葦津とは異なっているように、少なくとも私には見えます。

 論点は、(1)宮中祭祀、(2)政教分離、(3)憲法改正論の3点かと思いますが、何がどう違うのか。その違いの背後に何があるのか、考えてみたいと思います。

 今回は、(1)について、考えます。


▽2 議論は十分なのか

 第二章の冒頭で、竹田氏は、「我々が皇統保守を語るうえで、『宮中祭祀』は避けて通ることのできないものです。天皇とは祭祀王である」と述べ、天皇=祭り主とする伝統的立場を表明しています。

 この章のテーマは、原武史氏(明治学院大学教授=当時)が平成19年ごろから主張された宮中祭祀廃止論に対する批判です。

 原氏の主張は、天皇=祭祀王論に挑戦する、きわめて挑発的な内容でした。けれども、基本的理解が致命的に欠けていて、間違いだらけだ、と当メルマガもかなり徹底して批判したことがあります。

 したがって原批判は当然であり、竹田氏の所論には共鳴するところも多いのですが、「宮中祭祀のことを何もご存じではない」とまで原氏を断じるのであれば、竹田氏ご自身はどうなのか、と問い直してみたくなります。

 葦津は、天皇が祭り主であると同時に、「日本人の精神の統合者」であると説明しています。天皇の祭りが国民統合の機能を持っているということなのですが、竹田氏の天皇=祭り主論には後者が抜けているようです。

 天皇が祭りをなさることはいかなる意味を持つのか、天皇の祭祀とは、したがって天皇による統治とはいかなるものなのか、竹田氏の追究もまた、廃止論を唱える原氏と同様に、十分とはいえないのではありませんか。


▽3 いかなる神に祈るのか

 竹田氏は、八木氏との対談で、祭祀が「皇室の根幹の部分をなすもの」「存在意義そのもの」であり、原氏がいうような明治の創作ではなくて、古代から続く伝統だと説明しています。

 元内掌典・高谷朝子氏『宮中賢所物語』も引用され、祭祀が「年間400回前後行われている」ことや「斎戒」や「作法」の実際について解説しています。

 それらはまったく仰せの通りです。

 竹田氏は、天皇の祭祀について、だれが、いつ、どこで、なにを、どのように、なさるのか、基本を正しく説明しています。

 しかし、肝心な点について、葦津とも、私とも、理解が異なるようです。

 つまり、天皇はいかなる神に祈るのか、それはどのような意味を持つのか、です。

 少なくともこの対談では、追究が十分でない。そのことが、そのあとの政教分離論や憲法改正論にも影響し、葦津を引用しつつ、葦津とは結論が異なる原因にもなっているように私には見えます。


▽4 皇祖神への祭りか?

 竹田氏は、「葦津先生の著書に、こう書かれてあります。天皇のことについてですが、『神に接近し、皇祖神の真意(「神意」の誤記であろう。校正ミスか)に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断の努力をなさっている』と」と述べています。

 とすれば、天皇の祈りはもっぱら皇祖神に対して行われるもの、と竹田氏はお考えなのでしょうか。葦津は天皇=祭り主とされることについて、そのように理解していたのでしょうか。

 竹田氏の引用の出典を明示しようと思い、葦津の天皇論を洗い直してみましたが、なにしろ葦津の著作は膨大です。まだ見つけ切れずにいます。

 正確なところをご存じの方がいれば、助けていただきたいのですが、私の記憶では、天皇=神ではないという論旨の文章であり、そこには「天皇は皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力を行う祭り主であり、祭神そのものではない」と述べられていたように思います。

 葦津の趣旨は、むしろ「(天皇は)祭神そのものではない」にあるものと思います。葦津の祭り主論を引用するにしても、もっと適切な典拠が示せなかったものでしょうか。


▽5 天神地祇を祀ることの意味

 葦津の天皇=祭り主論を引用するなら、たとえば、「天皇・祭祀・憲法」に次のように書かれています。

「天皇の皇室における祭儀は……おおむね皇祖および歴代の皇宗に対する御祭である。それは天皇が、日本国の建国の祖およびその後継者たる歴代の祖に対して、その精神の現代における継承者として行わせられるものである。あるいは、日本国の歴世の功労者たちを追念して行わせられるものである。国民は、この天皇の祭儀によって、建国の精神を回想し、あるいは光輝ある国史の印象を新たにする。それは日本国天皇が、国家の精神的基礎を固め成し、国民の精神を統合して行かせられるためにも貴重な御つとめなのである」

 天皇の祭祀はむろん皇祖天照大神に捧げられます。しかし、葦津が書いているように、それだけではなく、歴代の天皇あるいは天神地祇に対して、祈りが捧げられます。国民をひとつに統合するお務めがあるからです。

 いみじくも宮中三殿は皇祖を祀る賢所のほか、皇霊殿、神殿を合わせた総称です。皇祖神にのみ祈るのなら、賢所の祭儀だけで十分です。

 竹田氏の天皇=祭り主論は皇祖神への祈りで終わっているのではないでしょうか。


▽6 竹田研究会に期待する

 竹田氏と対談した八木秀次氏が指摘しているように、第29代欽明天皇の時代、仏教の受容について、崇仏派が「西蕃の諸国は礼拝している」と主張したのに対して、「天地社稷を祀るのが天皇だ」と排仏派は反対したと古典に記録されています。

 第33代推古天皇の時代には仏教が国家的に受容されましたが、中国や朝鮮とは異なり、既成宗教が排除されず、共存しました。これも八木氏が指摘しているところです。

 古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときには、すべて天神地祇祭れ」(神祇令)とされ、歴代天皇は皇位継承後、皇祖神のみならず、天神地祇を祀られたのです。

 八木氏の解説は、順徳天皇が『禁秘抄』に著された「およそ禁中の作法は神事を先にす」という皇室の祭祀優先主義を説明することが趣旨ですが、お二人の対談は、天皇が「天地社稷百八十神」を祀ること、「天神地祇を祭る」ことの意味が十分に深められていないように思います。

 竹田氏は全国的な研究会を組織されているようですが、天皇の祭祀とは何か、組織的な研究をさらに深めていただきたいと願っています。
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葦津珍彦の天皇論に学ぶ? ──竹田恒泰の共著『皇統保守』を読む [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏の本に、憲法学者の八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』(2008年)がある。

 前書きによれば、「日本人としてのあるべき姿を取り戻し、将来の日本のあり方を真剣に考えたい。それが本書のテーマとなる『皇統保守』である」(「はじめに」)とされる。

 けっこうなことだが、それならなおのこと、気になる点がいくつかあるので、僭越ながら指摘したい。


▽1 言葉では説明できない?

 まず、第一章のなかの「なぜ、天皇は尊いのか──葦津珍彦に学ぶ」と見出しのついたくだりである。

 八木氏が主唱する、いわゆるY染色体論の議論に続いて、竹田氏は「Y染色体論、もしくは万世一系論を議論することは、『天皇がなぜ尊いのか』という議論に直結するわけです。この点では、やはり、戦後の神道界に絶大なる影響を与えに思想学者・葦津珍彦先生の理解が至当と考えています」と述べている。

 竹田氏は、「葦津先生は……『なぜ天皇が尊いのか』というところに関しては、『言葉では説明できない』と断言されるわけです。やはり、わたしもそうだと思うんです」と語る。

 日本人それぞれに、宗教観、歴史観、見た目など、さまざまな理由があり、天皇について好き嫌いがある。Y染色体論は、天皇の尊さに関する、数ある理由の1つに過ぎない、と説明している。

 竹田氏は、先般、取り上げたコラムでも、「なぜ男系継承でなくてはならないのか」について、「言語で説明することはできない」「理由などどうでもよい」と述べているが、説明を拒否する理由づけに、葦津の天皇論が引き合いにされているらしい。


▽2 葦津のテーマは国体論

 いわんとすることは理解できるけれど、誤解を招く恐れがあると疑われるので、指摘することにする。

 竹田氏の理解では、皇統が万世一系で続いてきたことは「尊い」ことであり、そこにはさまざまな理由がある。その尊さは葦津珍彦が指摘しているように「言葉では説明できない」ということなのだろう。

 そうだとすると、竹田氏の理解は、少なくとも私の葦津理解とは異なる。

 間違いがあればご指摘いただきたいが、私の理解では、葦津は「なぜ天皇は尊いのか」というような発問をしていないと思うし、血がつながっているから「尊い」というような議論をしているわけでもないと思う。

 そうではなくて、葦津のテーマはいわゆる国体論であり、国民の根強い国体意識ではないだろうか。


▽3 「国体」「国体意識」の多面性

 葦津は「思想の科学」昭和37年4月号に掲載された「国民統合の象徴」で、未曾有の敗戦によっても衰えることがなかった日本の天皇制の「根強い力」に注目し、「日本国民の天皇意識」について説明している。

「私の考えによれば、日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だと思われる」

「(国民の国体)意識を道徳的とか宗教的とか政治的とかいって割り切れるものではない。そこには、多分さまざまの多彩なものが潜在する。とにかく絶大なる国民大衆の関心を引き付ける心理的な力である。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」

「この根強い国体意識は、いかにして形成されたか。それは、ただ単に、日本の政治力が生んだものでもなく、宗教道徳が生んだものでもなく、文学芸術が生んだものでもない。それらすべての中に複雑な根を持っている」

 少なくともこのエッセイでは、葦津は、「天皇がなぜ尊いか」を解き明かしているのではなく、まして「好き嫌い」を論じているのでもない。

 葦津は、日本の天皇制が、世界史上の敗戦国とは対照的に、未曾有の敗戦を経験しながらも、なぜ強固に存続し続けているのか、その「根強い力」の秘密に迫っている。

 そのうえで、「言葉では説明できない」のではなくて、「日本の国体」あるいは「日本人の国体意識」の多面性、複雑性を指摘しているのである。「説明できない」と「断言」しているのではなくて、「簡単には説明できない」ということだろう。


▽4 お内裏さまは天子さま

 たとえば別の文章で、葦津は、柴五郎陸軍大将の幼少期、幕末の会津藩の思い出を取り上げている(『天皇──日本人の精神史』)。

 朝敵とされ、必敗の戦いを迫られていた藩の屋敷には、例年通り、内裏びなが祀られていた。そのとき十歳の五郎が「母上、内裏様は天子さまと聞きますがまことですか」と聞くと、母は黙ってうなずいたという。

 天子さまを祭り敬っているのに、なぜ朝敵の汚名を着せられねばならぬのか、母に問いただしたかったが、厳しい表情を見て、思いとどまったというのである。

 ひな人形の歴史は少なくとも平安時代にさかのぼり、源氏物語が広く庶民にまで浸透する江戸期になって、御所文化への憧れが反映され、今日のような坐雛(すわりびな)が完成したといわれる。

 日本人の国体意識は、葦津がいうように多面的に形成されてきたのであり、ひな祭りの習俗もまたその1つなのである。


▽5 竹田氏に論じてほしいこと

 もう一点だけ、付け加えると、竹田氏の「皇統」論は、ともすれば血のつながりという生物学論に傾いているような響きがあるが、葦津の皇統論はそうではないと思う。

 竹田氏ふうに表現すれば、天皇は万世一系、血がつながってきたから「尊い」というのではなくて、葦津は、天皇が「万世一系の祭り主」であるという点を重視し、祭祀を天皇最大のつとめと理解している。

 時あたかも今月3日、陛下は神武天皇2600年式年祭を山陵で親祭になったが、初代天皇の式年祭を今上天皇が親祭になる意義はきわめて大きい。

 葦津は「天皇・祭祀・憲法」という一文で、次のように書いている。

「(天皇の)祭儀は、おおむね皇祖および歴代の皇宗に対する御祭である。それは天皇が、日本国の建国の祖およびその継承者たる歴代の祖に対して、その精神の現代における継承者として行われるものである。……国民は、この天皇の祭儀によって、建国の精神を回想し、あるいは光輝ある国史の印象を新たにする。それは日本国天皇が、国家の精神的基礎を固め成し、国民の精神を統合して行かれるためにも貴重な御つとめなのである」

 明治の典憲には天皇の祭儀について規定があったが、現行の憲法・皇室典範には神器の継承や大嘗祭の挙行に関する定めが消えている。葦津の天皇論に学ぶなら、竹田氏に論じてほしいのは、Y染色体論より、むしろそのことである。

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伝統主義者に求められていること ──引き続き竹田恒泰氏「女性宮家」反対論を読む [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


▽1 民主党政権批判にとどまる

 竹田恒泰氏は、つづく第12回の記事で、女性宮家創設にメリットはあるか、と問いかけ、「甚だ疑問である」と否定している。

 論点は4つある。

 1つは、平成24年3月の参院予算委の質疑で、皇室典範改正法案提出の責任者であるはずの藤森官房長官(「藤村修」の誤りであろう。入力ミスであろうか)が男系と女系の違いさえ知らないことが明らかになったこと。

 2つ目は、同じ質疑で、「女性宮家」創設論が陛下の御意思を受けたものでないことが明らかになり、まことしやかな噂がはっきりと否定されたこと。

 3つ目は、やはり同じ質疑で、「女性宮家」創設の目的について、野田総理は「天皇陛下のご公務削減のため」と繰り返したが、そこには「大きな嘘が隠されている」こと。

 4つ目は、陛下のご公務は宮内庁が的確に取捨選択すべきもので、ご多忙なのはひとえに宮内庁に責任があること。

 おおむね同意できるし、政府・宮内庁に批判の矛先を向けているのはさすがだと思う。けれども、もっとも肝心な点について、不十分さが拭いきれない。

 竹田氏は天皇=「祭り主」と理解する歴史的天皇論の立場にあるはずなのに、お得意とすべき歴史的俯瞰図を描くことに成功していない。前回、取り上げたように、読売のスクープで「女性宮家」創設論が「にわかに浮上した」という理解を脱することができないからだろう。

 その結果、現政権=民主党政権批判にとどまっている。


▽2 自民党は清廉潔白か

 この日、参院予算委の質問者は、自民党の有村治子議員であった。竹田氏の文章では、法案提出に前向きな民主党政権の非を、野党の自民党議員が追及する図式になっている。

 しかし、過去の歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設の策謀が、政府部内で非公式・公式に進められてきたことについて、はたして自民党は清廉潔白だと証明できるだろうか。そのように竹田氏はお考えなのだろうか。

 自民党の小泉純一郎議員(のちの首相)が総裁選で女性天皇容認を打ち出したのは平成7年9月である。その翌年、鎌倉節宮内庁長官の指示で庁内に皇位継承問題に関する資料整理・作成が始まり、さらに翌年春に内閣官房の協力で工藤敦夫元内閣法制局長官を中心に非公式の研究会がスタートしたといわれる(阿比留産経新聞記者のスクープ)。

 雑誌「選択」に、皇室典範改正=女帝容認=「女性宮家」創設の問題提起が載ったのは平成10年6月。当時は第2次橋本龍太郎内閣の時代だった。

 13年4月に第1次小泉内閣が発足し、同年12月に愛子内親王が誕生され、翌年2月、「文藝春秋」は内閣法制局が女性天皇容認=「女性宮家」創設の典範改正を極秘に進めているとするスクープ記事を載せたのだった。

 16年12月には皇室典範有識者会議が発足し、翌年11月、女性天皇・女系継承容認の報告書を提出した。

 のちに首相となる自民党議員が先陣を切り、官僚たちが追随し、水面下で皇室の伝統を否定する典範改正作業が粛々と進み、自民党はこれを抑える術を知らず、やがて表面化し、女帝容認論は公式文書化されたのだった。

 野田政権批判で足りるはずはない。


▽3 「メリット」があると考える関係者

 竹田氏は「女性宮家」創設に「メリット」はあるのかと問い、これを否定しているが、「ある」と考える政府関係者が山ほどいるのである。政界にも、与野党を問わず、保守系か左派かを問わず、いくらでもいるというのが実態だろう。

 なぜだろうか。問題はそこだ。

 竹田氏は、藤村官房長官が男系・女系の違いを知らなかったことを指摘するが、けっして無知が原因ではない。むしろ逆に、知りすぎている「確信犯」が典範改正を推進しているのではないだろうか。

 古来、天皇は、竹田氏が仰せのように「祭り主」だった。明治に入り、日本は近代君主制国家と生まれ変わり、天皇は立憲君主となり、さらに大元帥陛下となられた。

 敗戦後、天皇は軍服を脱がれ、「象徴」となられたが、立憲君主としてのお立場には変わりはなかった。天皇の祭祀も、あくまで「私的行為」だが、存続してきた。

 しかし昭和40年代に入り、憲法の原則を最優先する祭祀否定論が現れ、祭祀簡略化が進められた。平成の御代替わりでは大嘗祭が行われるかどうか、危ぶまれるほどだった。

 今日、陛下の側近までが祭祀=私的行為論で固まっている。ご公務ご負担軽減策として祭祀のお出ましが真っ先に削減されたのはその結果であろう。そればかりではない、その側近こそが今回の「女性宮家」創設論の火付け役だった。その事実をどう見るかである。


▽4 伝統主義者の役目

 天皇=「祭り主」の伝統を否定し、天皇=「象徴」に凝り固まった確信犯なら、女系継承=「女性宮家」創設に傾くのは当然である。国事行為あるいはご公務なら、男性も女性もないからだ。「メリット」はあるのである。

 天皇制度の最大のポイントは、天皇が生身の人間であるところにある。限りある命のリレーによって、皇統は続いていく。そこに尊さがある。

 だが、天皇=「祭り主」とする歴史的天皇論ではなくて、現行憲法の象徴天皇制度を出発点として、「将来にわたり皇位継承を安定的に維持するため」(皇室典範有識者会議)、あるいは「皇室の御活動の維持」(皇室制度有識者ヒアリング)のためなら、男系主義の縛りを解き、女系継承=「女性宮家」創設を容認するのが理の当然ということになろう。

 つまり、天皇=「祭り主」とする歴史的天皇論の否定が起点とされていることに注目しなければならない。

 だから、逆に女系継承容認=「女性宮家」創設に反対するのなら、伝統主義者にしばしばありがちな、明治の天皇制を安易に懐かしむのではなくて、少なくとも千数百年におよぶ天皇=「祭り主」論の立場から、天皇とは何かをあらためて説き起こさなければならないと思う。

 そうでない限り、女帝容認論者を翻意させることはできないだろうし、それこそが竹田氏のような伝統主義者の役目ではなかろうか。

 繰り返しになるが、「なぜ男系継承でなくてはならないか」との問いに「理由などどうでもよい」では済まされないし、それでは無責任というべきである。
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読売のスクープが「きっかけ」なのか ──竹田恒泰氏の「女性宮家」反対論を読む [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 前回も取り上げた竹田恒泰氏の連載に、いわゆる「女性宮家」創設問題に関する記事が2本載っているので、読んでみたい。

 あらかじめお断りしておくが、竹田氏に個人的な恨みがあるわけではない。少しでも真実に近づきたいと考えるだけである。


▽1 にわかに浮上した?

 竹田氏は連載の第11回で、「女性宮家」創設が「禁じ手」だと指摘している。

 コラムによれば「女性宮家」創設案は「にわかに浮上した」ことになっている。読売新聞の平成23年11月25日付、「『女性宮家』の創設検討」というスクープ記事がきっかけだと竹田氏は理解している。

 読売の記事によると、宮内庁は「女性宮家」創設の検討を「火急の案件」として野田総理に要請したというのである。

 どこまで具体案が検討されているか、真相は不明だが、スクープがきっかけになり、皇室制度の議論が蒸し返されることになった、と竹田氏は指摘している。

 そのうえで、女性宮家創設は女系継承を容認することになる。「女系天皇論者」は陛下のご体調を慮る国民の感情を巧みに利用して、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇容認の新たな攻勢を仕掛けてきた。これは「禁じ手」だ、と主張している。

 ただ、容認し得る女性宮家創設の方法が1つだけある。女性皇族の「婿」を旧皇族の男系男子に限定すれば、男系主義は守られる、と竹田氏は述べている。


▽2 怪しげなスクープ

 竹田氏が言わんとするところは十分に理解できる。けれども、当メルマガの読者ならご存じの通り、事実関係についての理解は正確とは言いがたいと思う。

 1つは、「女性宮家」創設の議論は読売のスクープが「きっかけ」だとしても、創設論それ自体は「にわかに浮上した」のではなく、従来からあったのである。

 竹田氏の文章は、読売の記事について、「宮内庁が要請」と引用している。じつは記事のリードには「宮内庁が首相に要請」とあり、記事本文は「長官が首相に伝えた」とある。こうした記事の書き方に、竹田氏は違和感を覚えないのだろうか。

 しかも、のちに羽毛田長官は「首相に要請」という報道を「強く否定」している。

 よくありがちなことだが、かなり怪しげなスクープ記事だということになる。

 しかし誤報なら宮内庁は抗議すべきだが、抗議したとは聞かない。宮内庁関係者が「女性宮家」創設を主張していることは間違いない。読売の記者は、以前からの議論を蒸し返すために、リークされ、利用されたのではないか。


▽3 もともと同じ議論

 2つ目は、「女性宮家」創設論はもともとが女系継承容認論と同一の議論だということである。竹田氏が理解するように、「天皇陛下の御体調を慮る国民の感情を巧みに利用したものであり、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇論」どころではない。

 産経新聞の阿比留瑠偉記者のスクープ記事(平成18年2月17日)によると、平成8年に宮内庁内で皇位継承制度に関わる基礎資料の作成がスタートしている。

 阿比留記者の記事には「女性・女系天皇、『容認』2年前に方針、政府極秘文書で判明」という見出しがついているが、政府・宮内庁内部で「女性宮家」創設論は進められていたのだった。

 というのも、もうひとつのスクープ、「文藝春秋」平成14年3月号に載った、森暢平元毎日新聞記者の記事「女性天皇容認!内閣法制局が極秘に進める。これが『皇室典範』改正草案」によると、「女性宮家」と「女性天皇」は同じなのだった。

「女性天皇を認めた場合、一般の女性皇族にも皇位継承権があり、基本的には結婚しても皇室に残ることになる。つまり、必然的に女性宮家が認められる。いわば、女性天皇と女性宮家は表裏の関係で、検討案の『2つの柱』は、突き詰めると1つと見なせる」


▽4 13年後の反対論

 いつ、だれが、何のために「女性宮家」創設を言い出したのか、を明確にしないまま、賛成か反対かを議論しても、混乱するのは当たり前だろう。

 竹田氏は、読売のスクープが、つまり、羽毛田長官が「女性宮家」創設論の言い出しっぺだとほんとうにお考えなのだろうか。

 現代はデジタル時代で、大手全国紙の記事検索や国会図書館の検索エンジンを使えば、「女性宮家」なる新語がいつから使われるようになったか、容易に調べ上げることができる。一度、ご自身でお調べになってはいかがだろうか。

 雑誌「選択」平成10年6月号には、「『皇室典範』改定のすすめ──女帝や養子を可能にするために」が載っている。

「皇族女子は結婚すれば皇族の身分から離れるが、これを改め、天皇家の長女紀宮が結婚して宮家を立てるのはどうか。そこに男子が誕生すれば、男系男子は保たれる」

 男系と女系を混同する致命的な誤りを犯しているものの、私が知るところ、女帝容認を問題提起するもっとも先駆的な記事で、同時に「女性宮家」創設を提案している。

 このころすでに政府・宮内庁関係者は「女性宮家」創設論に固まっていたのであろうか。そうだとすると、それから13年もあとの読売のスクープなるものをきっかけに議論が始まった、と理解する「女性宮家」反対論者の議論を、彼らはどのように読むだろうか。

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