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東宮妃批判も擁護論も前提に誤りあり ──西尾幹二先生への反論を読む その2 [西尾幹二天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 西尾幹二先生の「御忠言」「諫言」批判を続けます。

 前回は所功先生を取り上げましたが、今回は竹田恒泰氏の反論について、少し古いですが、「WiLL」平成20年7月号に掲載された、「御忠言」への反論をテキストに考えます。

 結論を先に言えば、竹田氏は、西尾先生の「御忠言」に反論したいはずなのに、じつのところ、「御忠言」の前提となっている、皇室の原理とは異なる原理を、驚いたことに容認し、のみならず共有して、それを前提に議論を進めています。

 これではまったく反論にはなりません。東宮批判と擁護論がかみ合わずに堂々巡りするのは当然です。


▽1 誤った3つの前提

 まず「WiLL」本年6月号に載った、西尾先生の「諫言」の前提となっている論理を整理すると、以下の3点になろうかと思います。

(1)皇室は「伝統」の世界である。近代の学歴主義、官僚主義とは対立する

(2)宮中祭祀およびご公務が天皇・皇族のお務めである。天皇・皇族のお務めは国家・国民が優先されるべきである。お務めは両陛下、両殿下によって担われる

(3)皇室は左翼の巣窟とみられるような機関には関心を持つべきではない

 この3つの前提は8年前の「御忠言」と変わっていません。とすれば、この3点について、誤りだと論証できれば、あるいは皇室の皇室観とは別物だと証明されれば、西尾先生の東宮妃批判は音を立てて崩れます。

 そして、実際、この3点すべてにおいて、完全な誤りであるか、部分的に問題点を含んでいることが容易に知られます。先生の「御忠言」「諫言」に反論するのなら、3つの論点を検証し、否定できれば、それで十分です。


▽2 否定せずに是認

 ところが不思議なことに、竹田氏の東宮擁護論は逆に、西尾先生と似たり寄ったりです。

 竹田氏は冒頭で、西尾先生の「作法」を問題としています。反論できないお立場の皇族方に対して、公のメディアで、容赦なく批難を浴びせるのは「卑怯」だというのです。

 なるほど仰せの通りですが、真正面からの批判ではなく、「言い方が気に入らない」「やり方が汚い」というような批判は、世間では口喧嘩の常套句で、往々にして相手の言い分を認めていることが多いものです。

 竹田氏の東宮妃擁護論もまさにそれで、竹田氏は西尾先生の論理を否定しているのではなくて、逆に是認しているのです。


▽3 「皇室は伝統の世界」と認める

 まず(1)の伝統主義です。これは西尾先生の「諫言」のもっとも大きな柱です。

 先生は、「雅子妃の行動が皇室全体の運営に何かと支障をきたしている」とし、その原因について、皇室の「伝統」主義と「近代」主義との相克と理解しています。

 これは8年前の「御忠言」とまったく同じです。先生は、皇室を「伝統」の世界であり、「徳」が求められる世界だと決めつけ、「徳なき者は去れ」と妃殿下に「下船」を要求したのです。

 しかし、皇室は「伝統」オンリーの世界ではありません。「伝統」と「近代」の相克どころか、「伝統」と「革新」の両方が皇室の原理です。また、皇位は世襲であって、徳治主義とは無縁です。先生の理解は完全に誤っているだけでなく、矛盾をきたしています。

 これに対して、竹田氏は、皇室の伝統主義と近代の能力主義との対立と理解する西尾先生の皇室観について、否定するどころか、以下のようにはっきりと肯定しています。

「確かに皇室は伝統の世界であり、その秩序は学歴主義とは本質的に原理が異なる。学歴主義・効率主義などが皇室に入り込めば、それなりの摩擦が生じるとの論には一定の説得力があるように思える」


▽4 論理の展開だけが異なる

 竹田氏の反論は、西尾先生の議論の前提である皇室=「伝統の世界」論、「伝統」対「近代主義」相克論ではなくて、西尾先生の説明不足に向けられています。

「西尾氏は東宮妃殿下の高学歴については述べるが、学歴主義と諸問題が生じたことの因果関係を示していない。『原理が異なる』だけでは説明したことにはならない」

 十分な説明なら、竹田氏は納得するということでしょうか。

 さらに竹田氏は「皇室に学歴主義・効率主義が入り込んだのは東宮のご結婚が最初であろうか」と問い、「皇室に学歴主義が入り込むことは今に限ったことではなく」と説明し、「問題の本質は学歴主義ではないと断言」します。

 つまり、竹田氏は、西尾先生の「伝統」対「近代」の相克の図式を暗黙のうちに認めているわけです。「本質ではない」と指摘しているだけです。

 竹田氏は、「(西尾先生の)学歴主義の議論は問題の本質から外れている」と批判し、「問題の本質は……お世継ぎ問題ではないか」と問いかけ、お世継ぎ問題の圧力が1人の女性に集中する制度の欠陥を改める必要があると主張しているのです。

 要するに、竹田氏の東宮擁護論は、皇室=「伝統の世界」論に立ち、「伝統」対「近代」の相克論を認めることにおいて、西尾先生の東宮妃批判と前提は同じであり、論理の展開だけが異なるという、いわば一卵性双生児の関係にあるといえます。


▽5 祭祀もご公務もそっちのけ?

 つぎに(2)の宮中祭祀およびご公務について考えます。

 西尾先生は宮中祭祀およびご公務が皇室の大切なお務めであり、私的関心より優先されるべきだという考えに基づいて、皇太子妃殿下の行動を批判しています。

 祭祀にお出ましにならず、ご公務はそっちのけ、それでいて国連大学に入り浸るのはもってのほかであり、妃殿下の病状に寄り添う皇太子殿下にとって国家・国民が二の次なのはただ事ではない、というわけです。

 けれども、宮中祭祀についていえば、もともと天皇の祭りであって、四方拝にしても、新嘗祭にしても、妃殿下の拝礼が予定されているわけではありません。ご公務にしても、たとえば憲法は天皇の国事行為について規定しているのであって、皇太子妃のご公務に関する明文規定はありません。

 まして官庁主催のイベントやメディア主催の展覧会などにお出ましになることは、皇太子妃の伝統的なお務めではあり得ません。

 歴史的にいうならば、臣籍出身の皇后、皇太子妃は、近代以前は「皇族」ですらありませんでした。あくまで「皇族待遇」だったのです。

 それが明治22年制定の皇室典範で「皇族」と称することが規定され、皇后は「陛下」と尊称され、「両陛下」と併称され、大婚に際して勲一等に叙され、宝冠章を賜うことが定められました。

 亡くなったとき「崩御」と表現され、「追号」を贈られるようになったのは、大正15年の皇室喪儀令以後のことです。


▽6 漠然たる批判に漠然たる反論

 これらの改革は、『皇室制度資料』によれば、ヨーロッパ王室の影響を受けた結果でした。それが近代というものであり、現在、宮内庁のHPに「両陛下」「両殿下」と記され、メディアが「ご夫妻」と当たり前のように表現しているのはその結果です。

 西尾先生は、皇室の「伝統」ではなくて、「近代」以後の官僚、マスメディアと同じ立場に立ち、その自己矛盾を抱えつつ、ただ漠然と、祭祀やご公務が大切だと主張しているに過ぎません。

 これに対して、竹田氏もまた、皇太子妃にとっての祭祀、ご公務を具体的に掘り下げているわけではありません。

 少なくとも「WiLL」の反論では、国連大学に熱を上げる妃殿下を、「反日左翼と決め付け」る西尾先生に対して、竹田氏は、「全く根拠が示されていない」「議論の飛躍」「妄想」と切り捨て、「(西尾先生の)イデオロギーは反日左翼と分析するほかない」と一刀両断にしているだけです。

 もっとも竹田氏は、さすが祭祀に関しては、天皇の祭りであって、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」「天皇は『上御一人』である」「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった」と正しく指摘しています。

 けれども、それ以上のものではありません。

 宮中祭祀およびご公務について確たる根拠を示されずに「反日左翼」のレッテルを貼るなら、竹田氏の「作法」も西尾先生と大して変わらないことになるでしょう。


▽7 失われた御代拝制度

 竹田氏は「天皇の本質は何か」と問い、葦津珍彦を引用して、天皇=「祭り主」論を展開しています。

 そして、「西尾氏は[天皇は伝統を所有しているのではなく、伝統に所有されている]ともいうが、天皇は伝統に所有されてなどいない。天皇と伝統は不可分一体であり、所有・被所有の関係にはない」とも反論しています。

 しかし、葦津は天皇=単なる「祭り主」論の立場ではありませんし、皇室=「伝統の世界」論者でもありませんでした。竹田氏が葦津を引き合いにする手法はかなりクセがあることは、当メルマガで何度も申し上げました。

 祭祀の実態からすれば、旧皇室祭祀令が慣習的に機能していた昭和50年代まで、皇后や皇太子妃の御代拝が制度として認められていました。お風邪を召されたときなど、側近の女官に代わって拝礼させる制度が以前は生きていました。

 もしこの制度がいまも生きていれば、妃殿下は西尾先生から批判されることはなかったでしょう。

 ところが、御代拝の制度は憲法の政教分離主義に凝り固まった当局者によって廃止されてしまいました。西尾先生も、竹田氏も、そのことをなぜ批判しないのでしょうか。問題の核心はそこにあるのではないでしょうか。

 もしかして、西尾先生は戦後の祭祀改変の実態を知らずに、妃殿下を攻撃しているのでしょうか。竹田氏は現実を見定めずに反論しているのでしょうか。

 西尾先生は批判すべき対象を見誤り、竹田氏は反論すべき視点を見失っています。


▽8 「国民統合の象徴」であり続ける困難

 最後に、すでに言及している(3)の「左翼」について、もう少し考えたいと思います。

 西尾先生は、皇室は「反日左翼」とは無縁であるべきだとお考えのようです。これに対して、竹田氏は、西尾先生こそ「反日左翼」とレッテルを貼るのですが、皇室が「反日左翼」と無縁であるべきだとする考えでは一致しているようです。

 とすると、お二方とも、皇室は伝統主義者・保守主義者だけのために存在するとお考えでしょうか。排除の論理が皇室の原理なのでしょうか。

 どう考えても、そうではないでしょう。そうではないからこそ、現代の皇室そして東宮は苦悩されているのではありませんか。

 西尾先生も、竹田氏も、皇室の祭祀を重要視しておられるようですが、天皇の祭祀は、皇祖神に稲を捧げて祈る稲の祭りではありません。天皇は皇祖神のみならず天神地祇を祀り、稲作民の稲と畑作民の粟を供して、国と民のために祈られるのです。

 これが葦津珍彦のいう天皇=祭り主の意味であり、「国および国民統合の象徴」の意味だと私は考えます。

 天皇は稲作民だけの天皇ではありません。畑作民だけの天皇でもありません。同様に、皇室は右翼のための皇室ではありません。逆に左翼の皇室でもありません。右翼であれ左翼であれ、天皇にとってはみな「赤子」です。

 しかし現代という時代に、「国および国民統合の象徴」であり続けるのは、どれほど困難なことでしょうか。


▽9 相矛盾する価値の追求

 現代の皇室にとって、最大の苦悩の1つは、相矛盾する価値をも追求しなければならないことでしょう。

 西尾先生は皇太子殿下の「雅子さんを全力でお守りします」発言を批判します。よき夫であろうとし、よき家庭を築こうとするマイホーム主義は、「天皇に私なし」という皇室の伝統から遠ざかっていくという危惧は、じつにもっともです。

 しかし、家庭の崩壊が指摘されて久しい現代において、東宮が社会的模範となることは価値がないことでしょうか。

 皇室伝統の乳人(めのと)制度を破って、最初に母乳で子育てを始められたのは香淳皇后でした。最初にお手元で子育てをされたのは、皇太子妃時代の、いまの皇后陛下です。

 皇室=「伝統の世界」だと言い切るのなら、伝統を破ったことを、西尾先生はなぜ批判されないのですか。なぜ雅子妃だけを標的にするのですか。

 古来、天皇は親族の葬列に加わることさえ避けられました。「天皇無私」のお立場に徹されたからです。けれども現代の皇室は、相矛盾する私的価値をも追求しなければならないお立場に立たれています。

 西尾先生は「伝統」対「近代」の相克が問題の原因と見ています。そうではなくて、「伝統」と「近代」という2つの価値を追求するがゆえに皇室は苦悩されているのでしょう。

 西尾先生も竹田氏も、そのことをご理解にならないのでしょうか。

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所先生、焦点がズレていませんか ──西尾・加地両先生「諫言」への反論を読む [西尾幹二天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 案の定ということでしょうか。

 前号で「WiLL」6月号の西尾幹二・加地伸行両先生による「諫言」対談を批判しました。

 8年前の西尾先生の「御忠言」のときには、当メルマガは10数回にわたって、かなり徹底して追及しましたが、当時からまったく進歩が見えません。

 先生は「雅子妃問題」を、近代社会の能力主義と皇室の伝統主義との相克というワンパターンの図式で捉えている。しかし、そうではない。皇室は「伝統」オンリーの世界ではない、とあらためて批判したつもりです。

 編集者にも読者にも原因がある、と指摘したつもりです。

 ところが、メルマガの書き込みなどを見ると、どうも分かっていただけないようです。皇室は「伝統」の世界だと信じ切っている人が、やはり多いのでしょうか。けれどもそれは明らかに間違いです。


▽1 「伝統」と「革新」が皇室の原理

 考えてもみてください。日本の宗教伝統である神社神道しかり、和服や日本食、木造家屋などなど、伝統オンリーならとっくに廃れているでしょう。

 単に古いから意義があり、続いているのではなくて、現代的な意義を十分に兼ね備えているからこそ、いまも力強く光り輝いているのではないのでしょうか。

 繰り返しますが、「伝統」オンリーではなくて、「伝統」と「革新」の両方が天皇・皇室の原理です。

 明治の近代化の先頭に立たれ、戦後復興の先頭に立たれたのが、日本の皇室です。天皇が祭り主であることの重要性は、古い儀式の継承に意味があるだけでなく、それ以上に、現代的な意味が天皇の祭祀に見いだされるからです。

 それを「伝統」オンリーと誤って信じ込めば、「伝統」対「近代」の図式で迫る「御忠言」「諫言」にまんまと引っかかることになるでしょう。

 そして、実際、釣られてしまった読者が多いのでしょう。ネットなどで批判が沸騰し、編集部にも苦情が殺到し、そして事件が起きました。

 しかし編集部は涼しい顔です。「賛否はもとより、じつに多岐にわたるご意見を賜りました。ありがとう存じます」と7月号の編集後記に書かれています。商業雑誌は売れてなんぼの世界ですから、読者の挑発に成功した満面の笑みすらうかがえます。

 ただし、文明の根幹に関わる天皇論を商材にして、きわどいビジネスを展開することが望ましいのかどうか、は別問題でしょう。


▽2 わずか4ページの反論

 さて、7月号に「加地・西尾両氏への疑問」と題する所功先生の反論が載りましたので、検討することにします。

 西尾・加地両先生の「諫言」が載った6月号の発売日は4月26日です。所先生の「疑問」は記事によると、3日後の4月29日に執筆されたようです。

 所先生が記事の冒頭で、碩学の対談にしては信じがたい内容にショックを受けたと打ち明け、「管見の一端を取り急ぎ率直に略述します」と説明しているように、わずか4ページの、急ごしらえの文章です。

 内容的にも重厚とはいえません。その理由の1つは締め切りだと思います。

 まず、「疑問」がもともと編集部の企画だったのかどうか、私は疑っています。新編集部にとっての創刊号となる6月号の編集段階では、西尾・加地両先生の「諫言」対談に対する反論が企画されていなかったのではないでしょうか。

 前編集部の場合、入稿のデッド・ラインをギリギリまで引きずっていましたが、それでも印刷・配本の都合上、最終締め切りには限界があります。新編集部には「ギリギリ」はないかも知れません。とすれば締め切りはおのずと早まります。

 所先生はご常連の筆者の1人で、締め切りについてはよくご存じのはずです。しかも、ちょうど大型連休中です。7月号に押し込むページ数も限られるだろうし、筆者が急いで書き上げられる枚数にも限界があります。

 西尾先生らの「諫言」が16ページなのに対して、所先生の「疑問」がその4分の1しかないのはそのような編集上の事情によるものなのでしょう。

 もしそうだとすると、編集者の姿勢も自然と透けて見えます。


▽3 4つの「疑問」

 所先生の「ショック」は、西尾先生たちが「読者を誤解に導きかねない発言や、常識的にあり得ない非現実的な提言をも、あえて『諫言』と称し公表しているからです」。

 そして「疑問」は、次の4点です。

1、「諫言」対談の冒頭で、編集部の司会者が「週刊文春」に載った、昨年の天皇誕生日の皇后陛下と皇太子妃殿下との会話を取り上げているが、実際にあり得たのか。宮内庁は事実誤認とHPで公表している。

2、加地博士は、神武天皇2600年祭で皇太子・同妃両殿下が神武天皇陵に参拝せず、皇霊殿に参拝するに「とどまった」と述べているが、旧皇室祭祀令に準じて、陛下に代わって祭祀を行われた。嫌みを言われるようなことではない。

3、加地博士は、「新しい打開策」として、皇太子殿下が摂政となり、皇太子はおやめになり、秋篠宮殿下が皇太子となるというような妙な提案をしている。皇室典範を改正しなければ不可能であり、非現実的な幻想に過ぎない。

4、同調する西尾博士は、「週刊新潮」の記事を持ち出し、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の頂上会談で今後の皇位継承が決まったことに感銘したなどと語っているが、憲法解釈、皇室典範の原則を根本的に変更しなければ実現できない。内閣官房・宮内庁が連名で「厳重抗議」した「事実無根」の「暴走記事」を検証もなく論拠とするのはなぜか。


▽4 なぜ基本が失われているのか

 所先生の「疑問」はごもっともです。しかし、2や3は論外として、1と4については、もともと当事者にしか知り得ず、事実かどうかはヤブのなかです。

 私には先生の「疑問」が宮内庁関係者による反論のようにさえ聞こえます。そして、私にとって興味深いのは、「諫言」と「疑問」の焦点がズレていることです。

 編集者や西尾先生たちにとっての「諫言」は、いわゆる「雅子妃問題」が焦点です。ところが、所先生は「雅子妃問題」にはほとんど目を向けず、お得意の分野である、宮中祭祀の祭式と皇位継承問題に話題を変えています。

 所先生は皇室論のスペシャリストのはずです。正面から妃殿下問題と向き合い、皇位は世襲であり、徳治主義ではないこと、天皇は「上御一人」であって、皇太子妃が皇位継承するわけではないこと、皇室は近代主義と対立しないこと、つまり、皇室の基本原則をなぜ主張されないのでしょうか。

 基本を誤っているからこそ、皇太子殿下のみならず妃殿下にまで「徳」を求める声が高まるのであり、あまつさえ「下船せよ」と命じるお門違いの識者まで現れ、さらに皇位継承に口を差し挟むようになるのではありませんか。

 原則を誤っているから、皇室の「伝統」「祭祀」を知らずに、「伝統を守れ」「祭祀をせよ」と言い立てる博士たちが現れ、メディアがそれを煽り、議論は堂々巡りするのでしょう。

 先生の反論が両博士の口をふさいだとしても、「雅子妃問題」は解決されません。両博士に同調する読者がたくさんいるからです。

 それなら、なぜ基本原則が失われているのか、問題はそこであり、所先生にはその核心をぜひ考えていただきたいと私は願っています。

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『国民の歴史』著者による「国民の天皇観」がウケる理由 ──「WiLL」6月号「西尾幹二×加地伸行」対談を読む [西尾幹二天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


▽1 堂々巡りが売れる!?

 どうも筆が進みません。生来の遅筆もさることながら、他人さまを批判することはやはり気が引けます。できれば避けたい。対象が人生の大先輩であれば、なおのことです。

 しかしどう考えてもおかしいのです。同じ話を何度も繰り返すお年寄りの思い出話ではないでしょうけど、老碩学の論議はいっこうに代わり映えがせず、さまざまに批判されたあとの学習効果が微塵も感じられません。

 これは一体なぜなのでしょうか。

 先生方だけではありません。対談を企画した編集者には、議論を深め、前進させるべき職業的義務があるはずですが、それが見えてない。堂々巡りの議論なら、ジャーナリストとしての見識が問われます。

 いや、ジャーナリズムより商才なら理解できます。

 編集長解任、編集部全員退社、他社への電撃移籍という大騒動のあと、新編集部が商業雑誌の命運をかけて、読者を挑発し、存在感をアピールしようと狙うのは当然です。

 世の中にはアンチ雅子妃の読者も少なくないようですから、むしろ停滞した議論の方が売れると踏んだのかも知れません。

 だとすると、老教授たちの天皇論もさることながら、金太郎飴のようなワンパターンの東宮妃批判に賛同し、喝采する読者たちの天皇意識の背後にあるものは何でしょうか。


▽2 「右翼」を刺激した「不敬」

 もう1か月以上も前のことですが、報道によると、雑誌「WiLL」6月号に掲載された皇室関係記事が「不敬」だとして、同編集部に右翼団体の若い幹部が侵入し、狼藉を働くという事件がおきました。

 そこまで右翼を刺激したのはどれほど「不敬」なのかと興味を持ち、読んでみたのですが、予想を裏切るほどに新鮮味がなく、私は拍子抜けしました。

 記事は西尾幹二・電気通信大学名誉教授と加地伸行・大阪大学名誉教授による対談で、「総力大特集 崖っぷちの皇位継承 いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」とタイトルこそ編集者の並々ならぬ意気込みが伝わってきますが、中身はどうでしょう。

「総力大特集」と銘打っているのは、大先生方の対談のほかに作家長部日出雄氏の「皇室は祈りでありたい」と題する皇后陛下の物語が載っているからでしょう。けれども、同氏の著書『日本を支えた12人』からの抜粋・転載に過ぎません。

 肝心の対談は、西尾先生のご主張が大半を占める、独演会に近いものでした。

 記事にもありますが、8年前、西尾先生は「御忠言」と称して東宮批判を同雑誌で展開し、療養中の妃殿下を「獅子身中の虫」とまで激しく指弾しました。

 先生は、いわゆる雅子妃問題を、近代社会の能力主義と皇室の伝統主義との相克という図式で捉え、「伝統に対する謙虚な番人でなければならない」と主張し、皇太子・同妃両殿下にはその自覚がおありなのか、と問いかけたのです。

 しかし、先生の指摘はまったく当を得ていません。

 皇室は伝統オンリーの世界ではありません。古代においては仏教を積極的に受容され、近代になるとヨーロッパの文化を率先して受け入れられました。「伝統」と「革新」の両方が皇室の原理です。

 皇位は世襲であり、徳とは無関係です。天皇は「上御一人」であり、臣籍出身の皇太子妃や皇后に徳を要求することは行き過ぎです。


▽3 何も変わらない議論

 その程度のことは、多くの識者がすでに指摘しています。

 たとえば、新田均・皇學館大学教授は雑誌「正論」平成20年9月号掲載の論文で、一方で皇位の世襲主義を謳いつつ、徳治主義を要求するのは矛盾だとダメ出ししています。

 まったく仰せの通りで、少しでも歴史を学べば、誰にでも理解できることです。

 それなのに、8年経ったいまもなお議論は深まらない。なぜでしょうか。

 西尾先生は対談のなかで、次のように語っています。

「雅子妃の行動が皇室全体の運営に何かと支障をきたしていることは関係者の共通の認識になっているようですね」

「妃殿下は公人で、ご病気はご自身を傷つけていますが、皇室制度そのものをも傷つけていることを見落としてはなりません」

「(皇太子)殿下は妻の病状に寄り添うように生きてこられて、国家や国民のことは二次的であった。皇位継承後もこうであったら、これはただごとではありません」

「皇室という空間で生活し、儀式を守ることに喜びを見いださなければならないのに、小和田家がそれをぶち壊した」

「雅子妃が国連大学に特別の興味をお持ちということも非常に問題です」

「天皇家はそもそも民主主義や平等とは無関係の伝統に根ざしています。にもかかわらず、雅子妃により近代化の象徴である学歴尊重や官僚気質というものが皇室に持ち込まれた」

 ご主張は何も変わっていません。どうしてでしょう。意固地な執念は性格でしょうか。それよりも私は、もっと別な角度から考えてみたいと思います。


▽4 さまざまなる天皇観

 皇室典範有識者会議の報告書に、「天皇の制度は、古代以来の長い歴史を有するものであり、その見方も個人の歴史観や国家観により一様ではない」と書かれているように、世の中には古来、さまざまな天皇観があります。

 竹田恒泰氏の天皇論批判で紹介したように、神道思想家の葦津珍彦は国体の多面性、国民の国体意識の多元性というものを指摘しています。

 つまり、民の側には古来、さまざまなルーツを持つ多彩な天皇観があり、それらを総合したところに皇室の天皇観、いわゆる日本の国体が形成されているということです。

 たとえば、正月に百人一首を楽しむ人は少なくないでしょう。歴代天皇のお歌は和歌を学ぶものにとってお手本であり続けています。桃の節句には、女の子の成長を祈って親王雛、内裏雛が飾られます。ひな祭りは王朝文化への憧れを底流としています。書道を学ぶものにとって、三筆の1人と仰がれる天皇の書は教科書です。

 他方、稲作農耕民には稲作の源流が皇室にあるという天皇観があったでしょう。絹織物の産地では、養蚕や機織りが皇室から伝えられた技術と信じられています。料理人たちは天皇の側近を祖神として祀ってきたし、大工さんが神と仰ぐのは聖徳太子です。

 さらに仏教徒にとっては、皇室は古来、仏教の外護者であり、キリスト教徒にとっては近代以後、社会事業を物心両面で支援してくれるパトロンでした。

 それぞれの天皇・皇室観はそれぞれに人々の暮らしと生活に密着し、独自性があり、生々しくかつ強固です。一方、皇室の天皇観は、それらとは次元が異なる高見にあって、当然、多面的性格を帯びることになります。


▽5 一様なる「国民」の天皇観

 それなら西尾幹二先生の天皇観はどう位置づけられるのか。それは「国民の天皇観」というべきものなのでしょう。

 先生には『国民の歴史』という大著があります。たいへん興味深いことに、天皇・皇室の歴史が抜けているように私には見えます。先生にとっての「歴史」は、近代化によって「国民」国家と化した日本を構成する「国民」の目から見た歴史なのでしょう。

 同様に、先生の天皇観は、近代的な「国民」国家に帰属する「国民」にとっての「国民の天皇観」なのではありませんか。

 先生は、皇室を「伝統」の世界ととらえ、「祭祀」を皇室のお務めと理解されているようですが、「伝統」の意味するもの、「祭祀」の中身は示されていないように思います。

「伝統」と「近代」の二項対立それ自体、近代の産物でしょうけど、先生は、近代の「国民」という立場にご自身の身を置いて、ただ漠然と抽象的に、「伝統を守れ」「祭祀をせよ」と主張されているように私には見えます。

 先生の天皇観は、「国民」国家以前の伝統的で多彩な天皇観とは無縁です。葦津珍彦は「国民」の天皇意識の歴史的な多面性を指摘しましたが、西尾先生の天皇観は、近代化によって多面性を失い、一元化した「国民」の天皇観なのでしょう。


▽6 「近代」と「近代」の衝突

 西尾先生が主張されるように、皇太子妃殿下あるいは小和田家が「異質」なものを皇室に持ち込んだのではなくて、先生ご自身が、古来、多様なる民が抱いてきた「国体」意識とは「異質」な、一様で具体性のない「国民」の天皇観を持ち込んだのではないでしょうか。

 少なくとも私はそのように疑っています。

 だとすると、先生の「雅子妃」批判に同調者が少なくないのはなぜなのでしょう。

 それは、読者もまた、多彩だった近代以前の天皇観を失い、一様なる「国民」と化しているからではないでしょうか。

 それはちょうど「君が代」の歌の歴史に似ています。

「君が代」の歌詞は、古今集に「詠み人知らず」として収められているほど古く、古来、さまざまに歌い継がれてきましたが、近代になるとメロディーが統一され、多様性が失われ、いまでは薩摩琵琶や謡曲に多様性の片鱗を残すのみとなりました。

 近代化は地域や職能集団の多様性を失わせ、暮らしと直結した多彩な天皇意識を失わせたのです。

 西尾先生の「雅子妃批判」は、「伝統」と「近代」の相克ではなくて、「近代」と「近代」の衝突なのだと私は思います。そして「近代」の海のなかで漂流し続けるのです。

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