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結局、誰が「生前退位」と言い出したのか? ──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 事実の核心に肉薄しようとする良質なジャーナリズムがまだまだ日本には生きていると実感しました。しかし、それでも結局、分からないのです。

 この文春リポートのように「譲位」「退位」なら、まだしも理解できます。けれどもNHKのスクープ以来、議論はすべて「生前退位」です。誰が、何のために、過去の歴史にない「生前退位」などと言い出したのか。

 そしてなぜメディアの特報という経路をたどることになったのか。それも、ご意向の表明から何年も経っているらしいいまごろになって、です。


▽1 「譲位」を仰せになった瞬間

 文春編集部がまとめたというリポートは、6年前、平成22年7月22日夜の御所で開かれた参与会議の情景をつぶさに描き出すところから始まります。

 この夜、両陛下のほか、羽毛田宮内庁長官、川島侍従長、3名の宮内庁参与(湯浅元長官、栗山元外務事務次官、三谷東大名誉教授)が集まり、参与会議が開かれました。

 開口一番、陛下は「私は譲位すべきだと思っている」と述べられ、はじめて御意思を伝えられました。「譲位」を表明された瞬間でした。

 皇后陛下をはじめ出席者全員が反対しました。摂政案の提示もありましたが、陛下は「摂政ではダメなんだ」と否定されました。自由な意思で行われなければならないとも仰せになり、まれに見る激論となったものの、陛下のご意思は揺るぎません。陛下が退室されたとき、時計の針は夜の12時を回っていました。

 NHKのスクープ報道では、陛下がご意向を示されたのは「5年ほど前」でしたから、文春編集部の記事では1年ほど遡ることになります。

 もし文春リポートの方が正しいとすると、NHKに内部情報をもたらした情報提供者はこの参与会議には出席していなかったということかも知れません。


▽2 「ご在位20年」が契機

 毎日新聞や週刊新潮の報道では、発端は「7年前」でした。

 週刊新潮によると、21年に天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が開かれるようになり、席上、「天皇の任を果たせないなら」とご意向を漏らされるようになったと伝えられています。ただし、24年の心臓手術以後のこととされています。

 文春の情報ではもっと早く22年夏からであり、だとすると、理由は心臓手術後のご公務にご懸念を抱かれた結果ではないということになります。

 それならなぜ陛下は「譲位」のご意向を示されるようになったのか。大胆に推察するなら、ほとんど注目されていない祭祀問題ではないか、と私は推測します。

 宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、「ご在位20年」が契機だといわれます。

 渡邉元侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。

 工事完了後も側近らは、ご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、陛下は「筋が違う」と認められません。ただ、「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」と仰せになったので、見直しが行われたと説明されています(渡邉『天皇家の執事』)。


▽3 「これ以上、軽減するつもりはない」

 20年2、3月、ご健康問題を理由に、ご負担軽減策が発表され、その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると、軽減策は前倒しされました。

 けれども鳴り物入りの軽減策にもかかわらず、ご公務は逆に増え続け、一方、文字通り激減したのが、古来、皇室第一のお務めとされてきた祭祀のお出ましでした。軽減策は皇室の伝統を標的としていました。

 当時、祭祀のあり方をめぐり、陛下と宮内庁との間で、激しいつばぜり合いがあったことが想像されます。そして結局、軽減策は失敗しました。

 ご在位20年記念式典および記念行事が行われたのは21年11月ですが、注目したいのは、翌22年12月に行われたお誕生日会見です。

 陛下は「ご自身の加齢や今後、お年を重ねられる中でのご公務のあり方について、どのようにお考えでしょうか」という記者の代表質問に対して、次のようにきっぱりとお答えになりました。

「一昨年(平成20年)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

 文春リポートでは、この約半年前に「譲位」のご意向が示されたことになっています。いわゆるご公務もさることながら、「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇)ならば、祭祀をみずからなさらない祭り主のお立場がどれほど耐えがたかったことか、いまさらながらお気持ちが拝されます。


▽4 祭祀簡略化に抵抗された陛下

 陛下は即位後朝見の儀で「大行天皇の御心を心とし、日本国憲法を守り」と仰せになったように、即位以来、皇室の伝統と憲法の規定の両方を大切になさってこられました。一般にいわれているように、陛下は単なる護憲派ではありません。〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0109

 ビデオ・メッセージからうかがえるように、陛下は「国平らかに、民安かれ」と祈る古来の祭祀の精神に立ち、その延長上に、憲法上の務めがあるとお考えです。

 陛下にとっての「象徴」天皇とは、憲法が定める「象徴」のみならず、長い歴史の中で培われてきた「象徴」でもあります。

 仰せになる「象徴としての務め」とは当然、祭祀とご公務です。皇室の伝統とは祭祀です。政教分離政策の厳格主義を堅持する宮内庁にとって、祭祀は「皇室の私事」ですが、陛下にはもっとも重要なお務めなのでしょう。125代の長きにわたって、祭祀によって国と民を1つに統合してきたのが天皇です。

 であればこそでしょうが、たいへん興味深いことに、22年は祭祀簡略化の流れが一旦やんでいます。

 たとえば、元旦の四方拝は19年以降、昭和天皇晩年の先例を踏襲し、神嘉殿南庭ではなくて、御所で行われましたが、22年には本来の神嘉殿南庭に復しました。四方拝に続く元日の歳旦祭、3日の元始祭も、前年はお出ましがなく、御代拝でしたが、この年は親拝なさいました〈http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/1?quarter=201001〉。祭り主のお務めを重んじる、強いご意思が感じられます。

 当時、祭祀は「これ以上、形式化しようがないほど形式化している」と嘆かれるほどだったようです。それで、陛下は「これ以上、負担軽減するつもりはない」とさらなる簡略化に強く抵抗され、斥けられたのでしょう。

 争わずに受け入れるのが天皇の帝王学ですから、異例な意思表示といえます。しかしおのずと限界はあったのでしょう。25年暮れ、陛下は傘寿を迎えられました。


▽5 なぜNHKのスクープだったのか

 文春リポートによると、宮内庁参与は陛下の私的相談役で、会議は1、2か月ごとに開かれます。22年7月以降は、「譲位」「退位」について議論が重ねられました。

 陛下のご主張は変わらず、出席者たちも説得が不可能であることを悟り、翌年になると議論は「退位」を前提としたものへと移りました。

 しかし事態は進みません。「退位」を実現させるには官邸を動かさなければなりませんが、当時は民主党政権下で、鳩山内閣時に起きた「特例会見」事件がしこりとなって残り、相談しづらい状況が続いていました。その後、野田内閣と続く民主党政権は安定感を欠き、重大事項を任せる状況にはありませんでした。

 陛下は「一刻も早く意向を表明し、退位を実現させたい」と望まれていました。その背景にはいよいよ老境に達した「体の変調」のご自覚がおありだったようです。

 24年に宮内庁トップは羽毛田長官から風岡長官に交替しました。他方、政権交代で自民党の安倍内閣が成立しました。

 しかし信頼関係は築けませんでした。安倍政権は東京五輪招致運動のため高円宮妃にIOC総会ご出席を要請し、またしても対立構図が生まれたからです。

 タイムリミットは迫っていました。陛下は「平成30年までに」と仰せだったからです。そのためには28年中には議論を始める必要があります。結局、お気持ちの表明は28年に持ち越されました。

 そして7月、NHKは「生前退位」表明をスクープし、最高責任者の風岡長官は翌月のビデオ・メッセージを見届けたあと、退任することとなりました。

「8月表明」が決まり、情報の縛りが解けて、メディアに情報が流れたということでしょうか。長官最後の大仕事は意図したことなのか、それとも「70歳定年」の結果なのか。


▽6 謎はほとんど謎のまま

 NHKのスクープは、「天皇陛下『生前退位』の意向示される」でした。「『譲位』の意向示される」ではありません。NHK・WORLDは英語で「abdication」と表現しています。朝日新聞の英語版も同様ですが、「退位」ではダメなのでしょうか。

 陛下がご意向を漏らされてから、6年経ったいまになって、どういう経路で、いかなる目的で、いったい誰が、情報を外部に流したのか。なぜ、どのようにして、「退位」は「生前退位」に変わり、特ダネが生まれたのか。

 文春リポートは残念ながら、ほとんど明らかにしていません。謎は謎のままです。そもそも、陛下の本当のお気持ちは「退位」なのか。

 いみじくもビデオ・メッセージが「象徴としてのお務めについて」と題されているように〈http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉、陛下のお気持ちは、象徴天皇制度のあり方を国民に問いかけることではないのでしょうか。「譲位」はあくまでその一部ではないのか。

 ビデオ・メッセージで陛下は、「次第に進む身体の衰えを考慮するとき、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなる」と仰せになりました。

 それは「象徴のお務め」としてのご公務が行動主義に基づいているからでしょう。

 目下の議論はここが欠けているのではありませんか。「生前退位」スクープの衝撃がそれだけ大きかったのでしょう。「生前退位」と表現した仕掛け人の意図もそこにあるのかも知れません。


▽7 議論が曲がっていく

 かつて薄化粧をほどこされ、装束を召されて、御簾のかげに端座されていた天皇が、明治の開国とともに洋装となり、ときに軍服を召され、ご活動なさる近代の天皇へと変身されました。戦後は軍服を身にまとうことはなくなりましたが、ご活動なさることが天皇の本質であるかのように考えられています。

 主権者とされる国民がこの象徴天皇制度を今後も支持するのであれば、そしてご負担軽減ではご高齢問題の解決にはならず、摂政案も否定されるのなら、NHKが伝えたように、「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」という選択肢が成り立ちます。

 陛下が数年来、問いかけておられるのは、「生前退位」法制化ではなくて、そのような行動主義に基づく象徴天皇のあり方の是非なのではありませんか。

「生前退位」報道の衝撃に必要以上に圧倒され、ご意向を実現するためと称し、やれ皇室典範改正だ、いや特別法だと賑やかに展開されている議論は、本来のテーマをねじ曲げてしまうのではないかと私は恐れます。

 NHKは「陛下が『生前退位』の意向がにじむお気持ちを表明」と執拗に繰り返しています。政府は経団連名誉会長らをメンバーとする有識者会議の設置を決めました。どんどん話が曲がっていくように感じるのは私だけでしょうか。

 象徴天皇のあり方が問われているのだとしたら、「生前退位」の法制化では済まないはずです。それとも、ご意向に基づき、ご意向に沿って政治が動くことは憲法に反するので、そのようにはしないということでしょうか。

ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 後編 ──歴史家の良心を失わないでください [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


(前編から続く)

▽6 「5年ほど前」ではなく「7年前」

(5)ご意向は皇后さまや皇太子さま、秋篠宮さまも受け入れているという。陛下がお考えを示されたのは5年ほど前で、以来、変わっていないという。

 なぜ「5年ほど前」なのか、所先生は何も説明していません。

 NHKの報道では、「ご意向」が示された背景にあるのは陛下の「ご高齢」で、「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」というお考えを一貫して示されてきたと説明されていますが、所先生はここでは触れていません。

 陛下は即位以来、皇室の伝統と憲法の規定とを重視してこられましたから、むしろ「祭祀を十分に行い、ご公務を十分に果たせる者が」とお考えなのだろうと私は思います。つまりNHKの報道は「祭祀」が抜けています。

「祭祀」は「皇室の私事」であり、憲法の政教分離の原則上、国は介入できない、といういつもの判断があるからなのか、ともかく「ご意向」が曲げて伝えられている可能性を私は疑っていますが、所先生の言及はありません。

○ご公務や祭祀のあり方を問われているのではないか

 陛下の「ご意向」が示されたのは、毎日新聞や「週刊新潮」が伝えるところでは、「5年ほど前」ではなくて「7年前」に遡ります。21年、御所と東宮との間にすきま風が生じていたころ、陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が実現しました。

 つまり、ご公務ご負担軽減策、そして平成の宮中祭祀簡略化が始まったころと時期的に重なります。全国植樹祭など三大行幸啓はご臨席のみでお言葉は「なし」となり、宮中祭祀は、皇室第一の重儀とされる新嘗祭が簡略化され、旬祭の親拝が減らされました。

 24年、心臓手術成功のあと、「天皇の任が果たせないならば」と陛下は「ご意向」を漏らされるようになったといわれます。医師団の判断で、過度な肉体的負担を避けなければならなくなったからでしょうか。

 同年6月に風岡典之長官が就任すると3者会談は定例化し、長官もオブザーバーとして同席し、「ご意向」を聞き及ぶことになったようです。

 今年5月、これまで以上のご負担軽減策が提示されると、陛下はことのほか強い難色を示され、「軽減策を出すのなら、なぜ退位できないのか」と反論されたと伝えられます。

 そうだとすれば、陛下は「退位」ではなくて、まして「生前退位」ではなくて、行動主義に基づく「ご公務」や祭祀のあり方を問われているのではないでしょうか。

 その後、押っ取り刀で、宮内庁トップ2人と侍従職トップの2人、それに皇室制度に詳しいOBによる「4+1」会合が開かれるようになり、内閣官房副長官とのすりあわせも行われ、両陛下にも報告されてきたとされています。

 検討課題は、皇室典範改正、元号、退位後の呼称などといわれますが、ご公務のあり方についてはテーマとされたのかどうか。なぜ「生前退位」ばかりがスクープ報道されることになったのか。先生は疑問をいだかれないのでしょうか。


▽7 「ご意向」ではなくて宮内庁の「検討」課題

(6)現行制度では「生前退位」は認められていないが、「摂政」を置くことが認められ、「国事行為の臨時代行」が行われている。

(7)明治の皇室典範は、歴史上、譲位が強制され、政治的混乱が起きたことなどを理由に、皇位継承を天皇の崩御に限定した。現行の皇室典範にも引き継がれている。宮内庁は「生前退位」が認められない理由について、恣意的な退位への懸念などを挙げてきた。

 これについて、所先生は、近代以前の「生前退位」が「強制」や「恣意」による恐れもあったと考えられたからだと説明しているのですが、歴史上、「生前退位」はあったのでしょうか。歴史にあるのはあくまで「譲位」「退位」でしょうが、歴史家のはずの先生はこれまた言及していません。

○「生前退位」を避けてきた宮内庁

 以前、国会では「生前退位」について3回、審議されたことがあると書きました。いずれも参議院で、(1)昭和58年3月18日予算委員会、(2)昭和59年4月17日内閣委員会、(3)平成4年4月7日内閣委員会の3回です。

(2)では、山本悟次長が、皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、と答弁しています。その際、宮内庁が「生前退位」という表現を避けていることは注目すべきです。

 平成の時代になって、国会で「退位」が話題になったのは12回で、うち宮内庁幹部が答弁した直近のケースは、13年11月21日の参院共生社会に関する調査会です。

 羽毛田信吾次長(17年4月から長官)は、退位制度導入を訴える高橋紀世子議員(三木武夫首相の長女)に対し、退位が認められない理由を挙げたうえで、「現在の段階で退位制度を設けるというようなことについては私どもは考えていない」と答弁しています。

 このように昭和の時代も、平成になってからも、「退位」を否定しただけでなく、「生前退位」という表現を避けてきたのが宮内庁です。

○ご意向の前に「生前退位」を検討していた宮内庁

 ところが、です。「週刊現代」平成17年5月21日号によると、同年6月のサイパン御訪問の強行スケジュールが陛下にはかなりのご負担であることから、「生前退位」検討の動きが庁内に出ていると関係者が証言しているというのです。

 この報道が正しいとなると、3者会談で陛下が「ご意向」を漏らされたとされるはるか以前に、ほかでもない宮内庁当局者が「生前退位」を検討していたことになります。ちょうど小泉首相の私的諮問機関である皇室典範有識者会議が開かれていたとき、羽毛田長官の時代で、会議での議論を望む声もあったとされています。

 宮内庁内でいったい何が起きたのでしょうか。

 いわゆる「皇統の危機」を背景に、政府・宮内庁内に皇位継承に関する非公式研究が段階的に進められ、16年5月には女性天皇を容認する極秘文書がまとめられたといわれます。政府部内では、女帝容認・女系継承容認と「女性宮家」創設が一体の形で議論されてきたようです。

 同年末には皇室典範有識者会議が発足し、典範改正は公式検討に移行しました。17年6月のヒアリングでは所先生が女系継承容認、「女性宮家」創設を提案しています。つねに政府サイドで発言する先生の面目躍如です。

 会議の目的は「皇位継承制度の安定的な維持」であり、不安定要因である「退位」もしくは「生前退位」が議論された形跡は議事録などにはうかがえませんが、宮内庁関係者の間では「生前退位」が水面下で話題になっていたのかも知れません。

 羽毛田次長が長官に昇格したのは会議開催中の17年4月で、同年11月には女性天皇・女系継承を容認する報告書が提出されました。報告書には「女性宮家」の表現はありませんが、婚姻後も皇室にとどまるという中身は文章化されています。

○「生前退位」法制化に舵を切った宮内庁の真意

 もしかして、「生前退位」は当局による女系継承容認=「女性宮家」創設論とつながっているのでしょうか。

 次長時代、「退位」制度の検討を否定していた羽毛田氏が、長官就任後、一転して、「生前退位」法制化に大きく舵を切ったように見えるのはなぜか。なぜいまになって宮内庁の検討ではなくて、陛下の「ご意向」とされているのか。

 もしや「生前退位」実現は表向きで、仕掛け人の本当の目的はいったん下火になった女系継承容認=「女性宮家」創設の議論を再開させ、実現させることではないのか。陛下の「退位」表明に、これ幸いと便乗し、皇室典範改正論の復活を号令しようとした人物が複数、いるのではないか。

 国の制度を安定的に維持するため、国の1機関たる天皇の国事行為、それと関連するご公務は最優先されなければなりません。そのため官僚たちが不安定要因である「退位」を否定してきたのは道理ですが、「退位」のご意向を逆手にとり、皇室制度改革に向けて正面突破しようとする関係者が、さりとて正式ルートでの発表はできず、代わりにメディアに「生前退位」をリークしたとすれば、辻褄は合います。

 期待されたのは安倍政権の政治力です。尊皇派が率いる同政権は典範改正には慎重ですが、長期政権化が予想されます。支持率も高い安倍政権に「ご意向」を突きつけて、退路を断ち、典範改正の実現を強く迫ったというのが真相ではないかと想像します。

 ご意向なら、方向転換の責任も回避できます。歴史上、強制や恣意による「退位」とご意向による「生前退位」とは別だと考えられているかも知れません。

 ただ、典範改正派と慎重派との抜き差しがたい対立の再現、堂々巡りの論争は避けようもありません。なればこそ、安倍政権に期待が集まるのでしょう。

 所先生は、NHKの担当者からそのような説明は受けなかったのでしょうか。


▽8 皇室典範改正程度の問題なのか

(8)退位の実現には、皇室典範を改正し、生前退位を制度化することが考えられる。あるいは特別立法も考えられる。検討すべき課題は多岐にわたるとみられ、いずれにせよ国会での審議は避けられない。

 これについて、所先生は、現行法にない「生前退位」の実現には、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定める「皇室典範」第4条を改正し、制度化するのが本筋だが、当代かぎりの特別立法も考えられると解説しています。

 しかしその程度の問題なのでしょうか。

 国会審議が避けられないのは、現行制度上は仰せの通りですが、デメリットもあります。「皇家の家法」とされてきた皇位継承に、専門知識が乏しく、移ろいやすい民の論理を割り込ませることです。それは占領期の混乱の再来であり、前代未聞の椿事です。

 明治の皇室典範は宮内庁、枢密院会議で検討され、勅定されました。憲法とは違って公布されず、しかし憲法と同格の法規であり、憲法が国務法の頂点に立つのと同様、宮務法の頂点に位置しました。改正には議会の議決を要しませんでした。

 現行の皇室典範は日本国憲法の下にある1法律に過ぎません。改正が必要なら、国会で審議せざるを得ません。皇室制度は国民の多数意見によっていつでも変更できることとなったわけです。歴史にない女系継承容認も可能です。けれども、もはや国民的議論は避けられません。

○宮務法体系に代わるものがない

 さらに大きな問題は、戦後、新たな憲法が制定され、天皇=「象徴」と明記されながら、この70年、皇室制度の名に値するものが整備されてこなかったことではないでしょうか。

 明治の典憲体制下では、皇室典範を頂点とする宮務法の体系が形成されましたが、戦後、新憲法施行とともに、新しい皇室典範は1法律に格下げされ、皇室令はすべて廃止されました。しかし宮務法体系に代わる新たな法制度はいっこうに形成されませんでした。

 たとえば御代替わりに関しては、かつては登極令(明治42年公布)、皇室服喪令(同)、皇室喪儀令(大正15年制定)、皇室陵墓令(同)がありましたが、戦後はこれに代わるものがありません〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/hourei.html〉。

 未曾有の敗戦のあと、「宗教を国家から分離すること」を目的とする、苛烈な神道指令が発せられました。古来、皇室第一のお務めとされてきた祭祀は「皇室の私事」として存続することとなりました。「いずれきちんとした法整備を図る」というのが政府の方針だったようですが、いまもって果たされぬままです。

 皇室令は全廃され、宮務法の体系は失われましたが、日本国憲法施行の前日、宮内府長官官房文書課長の依命通牒、いまでいう審議官通達が発せられました。

「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」(第3項)。

 これによって皇室祭祀令および附式に記された宮中祭祀の祭式は占領下でも、社会党政権下でも、存続することとなりました。

 しかし独立回復で神道指令などが効力を失ったのちも、かつての宮務法体系に代わる象徴天皇制度の法体系が整備されることはありませんでした。明文法的基準がないのです。

 日本法制史の専門家である所先生は、なぜその点を問いかけないのですか。それどころか、「生前退位」がご意向だと信じ込み、典範改正論議の再開を目の前にして、喉を鳴らしているかのように見えます。

○絶大なご意向の威力

 昭和40年代以降、入江相政侍従長の独断専行で祭祀簡略化が起こり、さらに富田朝彦長官が登場すると、政教分離の厳格主義によって祭祀改変が一段と進みました。古来、祭り主とされてきた天皇は制度上、日本国憲法に基づく象徴以外の何ものでもなくなったかのようです。現在の宮内庁にとって、宮中祭祀は占領軍と同様、「皇室の私事」です。

 依命通牒第3項によって守られてきた、天皇第一のお務めである祭祀は、ほかならぬ依命通牒の第4項「従前の例によれないものは、当分のうちの案を立てて、伺いをした上、事務を処理すること」によって、祭式の変更が余儀なくされました。判断基準は政教分離であり、最大の変更は毎朝御代拝でした。

 宇佐美毅長官の時代、皇太子殿下(今上天皇)の賢所での御結婚の儀は「国の儀式」(天皇の国事行為)とされたのに、続く富田長官の時代には宮内官僚の祭祀への関与が敬遠されることとなり、平成の御代替わりでは大嘗祭は「皇室の行事」とされたのです。

 皇室典範有識者会議が開かれていたとき、議論の行方を憂慮された寛仁親王に対して、羽毛田長官は「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」と口を封じました。

 続く風岡典之長官は、「御陵および御葬儀のあり方」を公表し、御陵の規模の縮小、御火葬の導入に踏み切りました。打ってかわって「両陛下の御意向を踏まえ」との説明でした。

 宮内庁にとって、御葬儀は「皇室の行事」です。「国の行事」ではありません。政教分離の厳格主義に基づいて、国の行事と皇室行事との分離挙行という昭和の先例踏襲が早くも宣言されたのです。検討過程は非公開でした。

 議論らしい議論が起きなかったのは「ご意向」の絶大な威力によるのでしょう。これに味を占めたのか、今回の「生前退位」実現も「ご意向」が出発点とされています。

 蛇足ながら、昭和28年1月、秩父宮雍仁親王が薨去されました。親王は遺書に「遺体を解剖に伏す」「火葬にする」「葬儀は無宗教で」と綴られており、「遺志を尊重するように」との昭和天皇の勅許を得て、親王喪儀が簡略化された神道形式で行われたあと、一般告別式は無宗教で執行されました。


▽9 近代日本に「皇太弟」はいない

(9)皇太子さまが即位されると秋篠宮さまが皇位継承順位1位に繰り上がるが、皇太子にはなれない。このため秋篠宮さまの位置づけも検討の対象となる。

(10)皇太子さまが即位されると、新たな元号に改められる。

 これについて、所先生は、皇太子殿下が皇位を継承されたのち、弟君の秋篠宮殿下は皇位継承順位1位になっても、「皇嗣たる皇弟」と位置づけられず、皇太子不在になるので、第8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」の改正も避けられない、と解説しています。

 けれども、天皇・皇室史に詳しい所先生なら百も承知でしょうが、皇太子不在は歴史的に珍しいことではないと思います。そしてこれは皇位継承問題というより、皇太子不在によって東宮職が廃止され、官僚たちも不要になり、職を失うという官僚たちの失業問題なのではありませんか。

 明治以後を見てみると、明治天皇の践祚は慶応3(1867)年1月、即位の礼は明治元(1868)年8月で、嘉仁親王(明治12年8月生まれ。のちの大正天皇)が立太子されたのは明治22年11月、この間、約20年にわたり、皇太子は不在でした。

 大正天皇の践祚は大正元(1912)年7月、即位の礼は大正4(1915)年11月でした。裕仁親王(明治34年4月生まれ。のちの昭和天皇)の立太子の礼は翌5年11月に行われました。旧皇室典範下では、立儲令(明治42年)に「皇太子を立つるの礼は勅旨に由り之を行う」(第1条)などと定められていました。

 昭和天皇の践祚は昭和元(1926)年12月、即位の礼は3年11月で、明仁親王(昭和8年12月生まれ。今上陛下)の成年式・立太子の礼が行われたのは27年11月です。この間、明仁親王ご誕生まで、皇位継承第1位だった、昭和天皇の弟君・秩父宮雍仁親王が「皇太弟」と称されたことはあったのでしょうか。

 旧皇室典範は「儲嗣たる皇子を皇太子とす。皇太子在らざるときは儲嗣たる皇孫を皇太孫とす」(第15条)と定め、「皇太弟」の規定はありませんでした。現行皇室典範の第8条は内容をそのまま引き継いでいるだけです。

 今上天皇の皇位継承は平成元年1月で、即位礼正殿の儀は2年11月に行われました。徳仁親王(昭和35年2月生まれ。いまの皇太子殿下)の立太子の礼は3年2月でした。なお平成の御代替わりでは、「践祚」という用語と概念が消え、古代からの践祚と即位の区別が失われました。これも明文法的基準が失われた結果です。

○歴史家なのか運動家なのか

 所先生は皇室典範第8条の改正の必要性を訴えていますが、それよりも立儲令に代わる法的整備の方が求められているのではありませんか。

 旧皇室典範下には、皇族会議令、皇室祭祀令、登極令、摂政令、立儲令、皇室服喪令、皇族身位令、皇室財産令、皇族服装令など宮務法の体系が定められ、皇室典範自体、明治40年と大正7年の2度にわたって増補が行われています。

 以上のようなことは、所先生には常識のはずですが、先生はなぜか皇太子不在がさも未曾有の異常事態到来であるかのように喧伝し、典範改正が不可避だと力説しています。先生の執念は、「生前退位」の「ご意向」実現というより、皇室典範改正論議を巻き起こすことの方に重心があるのでしょうか。

 つまり、天皇・皇室の歴史を正確に叙述する歴史家に飽き足らず、新たな歴史を切り開くことに意欲満々な運動家と映ります。

 そういえば、女系継承容認=「女性宮家」創設論議のときもそうでした。小泉内閣の皇室典範有識者会議に招かれ、歴史にない女系継承容認のみならず、「女性宮家」創設をもいち早く提唱したのが、ほかならぬ所先生でした。当時の週刊誌は先生を、「女性宮家」創設優先を訴える研究者として紹介しているくらいです。「女性宮家」ヒアリングで持論を展開されたのはむろんです。

○仕掛け人たちにとっては便利

 それほど「女性宮家」創設論のパイオニアとして圧倒的存在感を示す先生ですが、皇室の伝統を可能なかぎり維持すべきだといいつつ、歴史にない「女性宮家」創設を可能にすべきだと訴えるのは論理矛盾です。しかも一方で、「継嗣令」や淑子内親王の例を挙げ、女系継承や「女性宮家」が歴史にあったかのような議論を展開したのが先生でした。

 先生は「前例はある」と主張したいのか、それとも「前例はないが大胆に新例を開くべきだ」と訴えたいのか、私にはワケが分かりません。

 今回も同様です。先生が議論しているのは過去に前例のある「退位」なのか、それとも歴史に存在しない「生前退位」なのか。

 ただ、新例を開こうとする仕掛け人たちにとっては、皇室の歴史と伝統の堅持を高らかに宣言し、そのために歴史の断片を提示したうえで、シナリオどおりに表舞台で踊ってくれるような先生はきわめて便利です。だから存在感はなおのこと増すのでしょう。

 しかし、歴史家には失ってはならない歴史家の良心があるはずです。歴史家である先生にとって、歴史の事実とは何なのか。事実の前に謙虚さを保ち続ける歴史家の魂が失われることがないようにと、私は心から願わずにはいられません。

(終わり)

ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 前編 ──非歴史用語をあやつる歴史研究家 [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 前回は、漫画家・小林よしのり先生のブログをテキストに、陛下のお気持ち=「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)と解釈する根拠と問題点について考えました。結局のところ、根拠らしいものは何も見出せませんでした。つまり、メディアの報道を鵜呑みにしているとしか受け取れないのです。

 いや、本当にそうなんでしょうか。5年前、読売新聞の「特ダネ」に端を発した「女性宮家」創設論議でも同じようなことが起きましたが、知識人クラスでも案外、マスコミ情報を批判的に読めないということなのでしょうか。

 今回は、小林先生と同様、女系継承=「女性宮家」創設容認論者の1人であり、かつ「生前退位」支持派でもある所功先生の見方について、検証してみます。テキストに取り上げるのは、「多言語発信サイト」と称する「nippon.com」掲載の「天皇陛下『生前退位』のご意向と実現への展望」〈http://www.nippon.com/ja/currents/d00232/?pnum=5〉です。

 この記事は末尾に「7月30日 記」とありますから、8月8日のビデオ・メッセージの前に書かれたことが分かります。陛下のお言葉を拝する以前の先生のお考えですが、先生は丸呑みどころか、すっかりNHKの広報部員、もしくは巷間、仕掛け人と目されている老獪な黒幕たちの代弁者にでもなってしまったかのような印象が否めません。


▽1 論点は「高齢化」だけなのか

 7月13日の夜、先生は「天皇陛下『生前退位』のご意向」と伝えるNHKの報道に接し、「まさにビックリ仰天した」そうです。その後、「報道の全文を何度も読み直し、また(NHKの)担当者から説明を受けて、内容は『ご意向』に近いと信じて差し支えないと考えるに至った」と打ち明けています。

 そのうえで先生は、マスコミの取材に答え、次のように感想を述べました。

「象徴天皇制度が存続していくための最も根本的で重大な問題を提起されました。

(近現代の皇室制度が作られた)当時は予見できなかった高齢化・長寿化が急速に進行していますから、21世紀の現実にそぐわない制度の改革(典範の改正)は、そろそろしなければなりません。今こそ数十年先を見通した議論が必要です」

 不明なのは、「重大な問題提起」をしたのは誰かです。主語が抜けています。国語的には「陛下は」と解釈されるところですが、そのように断定していいものなのかどうか。

 また論点は、「高齢化・長寿化」だけではないと私は思います。それは天皇がお出ましになり、ご公務をなさるという優れて近代的な皇室の行動主義です。ご高齢になっても「ご活動」を止めるに止められない。だから陛下は苦悩されるのでしょう。そもそも象徴天皇のお務めとは何か、が本質的に問われているのだと思われます。

 将来を見据えた「議論が必要」なのは仰せの通りでしょうが、それは国民主権を前提とした発想だということも同時に指摘されなければなりません。

 皇位継承問題は本来、国民的議論に馴染むテーマだと、先生はお考えでしょうか。皇室制度の安定、皇位の安定のために、という目的を重要視するなら、むしろかつてのように皇室典範を「皇家の家法」に戻すべきではないかと私は考えます。


▽2 なぜ宮内庁は抗議しないのか

 先生が報道の内容を「『ご意向』に近い」と考えた根拠は、「(国民が)ほとんど好意的に受け止めている」ことに加えて、報道に抗議しない宮内庁の反応だ、と説明されています。

「宮内庁の風岡典之長官も、表向きに関与してないと言い訳しながら、報道の核心を否定していないから、おおむね事実だとみられる」と先生は推理しています。

 しかし報道によれば、「報道の核心を否定していない」のではなく、全面否定したのです。その夜、宮内庁次長は取材に応じて、「報道されたような事実は一切ない」と述べ、長官も「次長が言ったことがすべて」と否認したとされます(朝日新聞)。

 ただし、正式な抗議をしてはいません。問題はそこでしょう。報道を全面否定するなら、なぜ宮内庁として正式に抗議しないのか。

 そしてこれまた読売新聞の「女性宮家」スクープと似ています。「宮内庁が野田首相に要請」「長官が首相に伝えた」を長官は強く否定しましたが、宮内庁が正式抗議したとは聞きません。言い出しっぺが不明のまま、国民的議論は始まったのです。

 メディアが伝えた「ご意向」は匿名の「関係者」を仲介にした二次情報であり、宮内庁トップは全否定しています。むろん真偽を直接、陛下に確認することはできません。

 事実なら、なぜ正式ルートをとらないのか。前代未聞のリークと思われる情報の出所はどこなのか。リークの目的は何か。当局者はなぜ報道を否定するのか。どこまでが事実で、どこからは事実でないのか。スッキリしません。

 とりわけ釈然としないのは、「生前退位」という表現です。歴史家なら、「生前退位」という皇室用語がないことなど先刻承知のはずで、なぜ「生前退位」と表現されるのか、疑問視してもいいはずなのに、所先生は完全にスルーしています。なぜでしょう。

 それどころか、「すでに何年も前から当事者・関係者が検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容であることに、率直なところ感心するほかない」と先生は絶賛しています。「関心」すべきなのは、「内容」か、それともリークという手法でしょうか。


▽3 宮内庁が全面否定した理由

 所先生は、NHKの第一報を10のポイントに分け、それぞれ解説を加えています。その流れに沿って、以下、それぞれ検証してみることにします。

(1)天皇陛下が皇位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を、宮内庁関係者に示されていることが分かった。数年以内の譲位を望まれているということで、陛下自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整が進んでいる。

 この点について、所先生は、陛下は「生前退位」のご意向を、身内の方々だけでなく、「宮内庁関係者」にも示されたといわれる。にもかかわらず、宮内庁が関与を否定したのは、「ご意向」実現には「皇室典範」の改正という政治的要素がからむからだ、と説明しています。憲法上、天皇は「国政に関する権能を有しない」とされており、側近としては距離を置いたに過ぎないというわけです。

 だから、「(陛下)自身が広く内外にお気持ちを表す」場合も、「生前退位」に直接言及することはないだろうと先生は予測しています。

 しかし、宮内庁は「関与を否定」したのではなくて、「事実」を全面否定したのです。

 先生は、NHKの報道を宮内庁幹部が否定した理由を説明し、憲法上の理由を挙げているのですが、だとしたら、なぜ宮内庁は典範改正が求められるような「ご意向」実現へと動くことになったのか。そのこととNHK報道とはどう結びつくのか。

 一部で囁かれているように、仕掛け人はほかならぬ宮内庁で、「宮内庁発表」の形をとれば憲法に抵触するおそれがあるので、メディアにリークして、「お気持ち」を国民に知らせる間接的手法が採られたという理解でしょうか。老練な宮内庁当局者によるメディア利用なのか、それとも宮内庁とNHKの出来レースか。

 先生は「何年も前から検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容」と絶賛していますが、だとしたら、なぜ「退位」ではなく、「生前退位」なのか。「検討を重ね」たのなら、「退位」を使わない深謀遠慮は何でしょう。かつて宮内庁は「生前退位」という表現を避けていたはずです。それどころか、「退位」を否定していたのではありませんか。


▽4 ご負担軽減に失敗した宮内庁の責任は?

(2)陛下は昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、現行憲法の下、はじめて「象徴」として即位された。現代に相応しい皇室のあり方を求めて、新たな社会の要請に応え続けられ、公務の量は昭和の時代に比べ、大幅に増えている。

(3)天皇の務めには、国事行為のほかに、象徴的行為があると考えられ、陛下は式典の出席や被災地のお見舞いなどに臨まれてきた。また、公務には公平の原則が大切だとして、大きな変更をなさらなかった。

 これについて、所先生は、陛下が即位以来、「象徴天皇とは何をなすべきか」をつねに考えてこられたこと、天皇の務めには国事行為、公的行為、祭祀行為の3つがあること、年中ほとんど休まれる暇がないこと、を補足しています。

 問題は、公的行為と宮中祭祀です。

 公的行為として、先生は国体などの三大行幸ほか、各種式典、被災地へのお出まし、国賓・公賓の歓迎、大使・公使の慰労、外国御訪問などをあげていますが、これらはとくに法的基準があるわけではありません。

 陛下みずから象徴に相応しいご公務をお考えになり、社会の要請に応えられてきたと説明されているのは、裏返していえば、明文法的規定がないことの何よりの証明です。

 要請があれば陛下はお断りにはなりません。しかも公平の原則を重視されますから、役所の各種イベント、メディア主催の展覧会など、お出ましはどんどん際限なく増えることになります。とくに多いのが拝謁で、宮内庁がもっとも気にかけていました。春秋の勲章受章者の拝謁はほぼ1週間続きます。

 今年6月、今上陛下は皇后陛下とともにラグビーの国際試合を観戦されましたが、夜8時を過ぎてのご公務を調整したのは、親善試合を後援した大手新聞社なのか、それともラグビーフットボール協会名誉会長の地位にある元首相なのか。いずれにせよ、これでは7年前の中国国家副主席ごり押し特例会見を批判できません。

 こうして、平成20年の御不例をきっかけとして始まったご公務ご負担軽減策にもかかわらず、ご公務の件数は増え続けました。つまり、ご公務には法的基準も歯止めもないことこそ、注目されなければなりません。

 他方、古来、天皇第一のお務めとされた宮中祭祀は現行憲法下では私的行為とされ、陛下のご高齢、ご健康問題を理由に、真っ先にご負担軽減の対象とされました。皇室の伝統を重んじる陛下としては断腸の思いだったに違いありません。

 ご公務に法的基準がないなら、当然、軽減策にも基準はあり得ません。そして、軽減策はものの見事に失敗したのです。それは誰の責任なのでしょうか。

 所先生はご負担軽減策の失敗も宮中祭祀簡略化も一顧だにせず、モヤモヤ感の残る「ご意向」実現へとひた走るのでした。


▽5 宮内庁は「退位」否定から容認へ転じたのか

(4)昨年の誕生日会見で、陛下はご自身の老化を率直に認められた。別の宮内庁関係者は「象徴としてのあるべき姿が近い将来体現できなくなるという焦燥感やストレスで悩まれているように感じる。象徴であること自体が最大の負担になっているように見える。譲位でしか解決は難しいと思う」と話している。

 所先生は、この「別の関係者」について、「誰かは分からない。あるいは分からないことになっている」とし、そのうえで、陛下の苦悩を国民に知らせる必要があると考えたのだろうと推測しています。

 まず、取材に応じ証言した内部関係者は複数いることになります。また、後追いしたメディアも、「関係者への取材でわかった」と伝えていますから、「関係者」は特定できるのでしょう。それならなぜ実名報道しないのか。もしやこの「生前退位」報道は、宮内庁とNHKほかメディアの出来レースではないのでしょうか。

 また、「関係者」の発言で、「譲位」と表現されているのは注目しなければなりません。「生前退位」=譲位という解釈なら、なぜ「生前退位」とわざわざ表現されなければならないのか。皇室用語にない「生前退位」と表現したのは「宮内庁関係者」なのか、それともNHKなのか。

 国会では「生前退位」について3回、審議されたことがありました。

 昭和59年4月17日の参院内閣委員会では、山本悟次長が、皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、と答弁しています。質問者は「生前退位」という言葉で表現したのに対して、宮内庁はこれを避けました。

 平成になって「生前退位」が取り上げられたのは、4年4月7日参議院内閣委員会で、これが最後ですが、13年11月13日の参院共生社会に関する調査会で、羽毛田次長(のちの長官)が、「退位」制度の導入を訴える議員の質問に対して、「私どもは考えていない」と答え、あらためてきっぱりと否定しています。

 今回の報道で、NHKはこの調査会答弁を、「『生前退位』が認められていない理由」として伝えていますが、質問者も次長も「退位」と表現しているのであって、「生前退位」ではありません。報道は明らかに事実に反するだけでなく、NHKは「生前退位」=「退位」と理解していることが分かります。それならなぜ「退位」を使わないのか。

 さて、NHKの「生前退位」報道は、もし宮内庁が仕掛け人だとすれば、宮内庁は「退位」否定から「生前退位」容認へと方向転換したということなのでしょうか。

 それとも路線変更ではなくて、これまで「退位」を否定してきた立場から、陛下の強い「ご意向」を前に、方針決定の判断がつかず、「距離を置いた」どころか、「我、関せず」とばかりに、国民の前に丸投げし、責任逃れしているのでしょうか。

 もしかしたら、「ご意向」を楯にして、国民に問いかけることで、責任を陛下と国民に押しつけられる。劇的な路線変更がおきたときの免罪符にできる、との読みがあるのでしょうか。

 この点については、後編であらためて検証することにします。

(後編に続く)

世論誘導に簡単に乗る「生前退位」支持派の人々 ──小林よしのり先生のブログなどを読む [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016.9.8)からの転載です


「生前退位」論議がどんどん先走りしている。

 ご意向の実現には典範改正か特措法かという議論もさることながら、こんどはNHKの報道が今年の新聞協会賞に選ばれたという。

 たしかに「国民的議論を提起した。与えた衝撃は大きく、皇室制度の歴史的転換点となり得るスクープ」(授賞理由)かも知れない。だが、もともと宮内庁関係者によるリークだろうし、それどころか宮内庁幹部たちが仕掛け人ともいわれる。格調高い皇室報道というにはほど遠く、不審さがぬぐえないスクープは、受賞に値するのだろうか。

 それにしても、どうにも分からない。陛下の本当のお気持ちは「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)なのか。ビデオ・メッセージは、なぜ「生前退位」の表明と簡単に解釈されているのだろうか。

 ここでは「生前退位」支持派の代表格といえる漫画家の小林よしのり先生のブログ〈http://yoshinori-kobayashi.com/category/blog/〉などを読み、検証してみたい。

 結論からいえば、根拠らしいものはほとんどないように見える。メディアを利用し、「生前退位」論議を仕掛けたらしい知恵者の誘導に、まんまと乗せられているのではないか。あるいは逆に、陛下のお気持ちとされるものに便乗しているのか。


▽1 報道に一片の疑問も感じていない不思議

 NHKがスクープした先月13日、小林先生はさっそく「おそるべき天皇、生前退位の真相」〈http://yoshinori-kobayashi.com/10725/〉を書いている。

 ブログは冒頭、「天皇陛下が『生前退位』のご意向を示されたという報を聞いて、思わず身震いした。まったくおそるべき陛下です」に始まる。

 この日、夜7時のNHKニュースは、「天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれている……」と伝えた。

 ほかのメディアも後追いし、たとえば朝日新聞は、「天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を示していることが、宮内庁関係者への取材でわかった」と伝えている。

 陛下への直接取材は不可能だから、あくまで「宮内庁関係者」を通じた二次情報なのだが、小林先生のブログでは、ご意向は明々白々な既成事実となってしまう。

 ブログは「このご意向を、このタイミングで発表されたこと自体に、陛下のおそるべき覚悟を察しなければなりません」と続く。「このタイミング」とはどういうタイミングなのか、わかりづらい。しかも「発表」ではなくて「リーク」だろう。「リーク」なら「陛下の覚悟」とはいえない。それとも陛下が「リーク」させたのか。そんなことはないだろう。

 先生は、8月4日のブログでは、「男系男子」にこだわる日本会議を「国賊集団」と罵倒し、最大級の激しい批判を加えているのに、議論のきっかけとなった「生前退位」報道には一片の疑問すら感じていないらしい。不思議といわねばならない。


▽2 「生前退位」なる皇室用語はない

 もともと「生前退位」なる皇室用語はない。NHKニュースには「譲位」もあるが、同義とみるべきだろうか。同じ意味なら、なぜ「譲位」と表現せずに、聞き慣れない新語を用いるのか。誰がそう表現したのか。陛下か、「宮内庁関係者」か、それともNHKか。

 8月28日のメルマガに書いたように、国会審議では昭和58年3月に参院予算委で江田五月議員が使用したのが最初らしい。

 その後、国会答弁に立った宮内庁幹部は「生前退位」という表現を避けてきた。

 昭和天皇はたいへんお元気である。皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから皇室典範を再考する考えはない、というのが当時の宮内庁の姿勢だった。今日とはまったく正反対である。

 だとすると、なぜいま「生前退位」なのか。先例が破られ、方向転換するのは、ご意向だからなのか。昭和40年代、昭和天皇が、側近が進める祭祀簡略化に対して、「御退位」「御譲位」のご意向を示されたことが「入江日記」(昭和48年2月9日)に記録されているが、当時の宮内庁当局者は実現しようとはしなかった。

 まして先帝と同様、皇室の伝統を大切にされてきた今上陛下がみずから、歴史にない「生前退位」と仰せになるとは思えない。とすれば、陛下のお気持ちを、誰かがある種の意図をもって、「生前退位」と言い換えたのであろう。少なくとも、陛下のご意向とされているものと本当のお気持ちとは別だ、と考えなければならないのではないか。

 今上陛下が「生前退位」のお気持ちを示されたのではなくて、陛下のお気持ちが「生前退位」と表現されたのであろう。それは誰によってなのか。「宮内庁関係者」か、NHKか。目的は何なのか。

 私ならどうしてもそのように推論せざるを得ないのだが、小林先生はまるで火を見るより明らかだといわんばかりに、陛下の「生前退位」のご意向を慮り、皇室典範改正論議へと大胆に話を進めている。

「現行の『皇室典範』は天皇の譲位を認めていないため、天皇陛下のご意向をかなえるには『典範改正』は必須です」

 正確にいえば、日本憲法第2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めている。だが、現行の皇室典範には退位規定がない。そのため典範改正が必要だという先生流の結論が導かれるのだろう。

 しかし、そうでもない。


▽3 つきまとう胡散臭さ

 小林先生と同様、「生前退位」支持派の1人に所功先生がいる。両先生は女系継承容認でも一致している。

 そのお二人の対談が「週刊ポスト」8月5日号〈http://www.news-postseven.com/archives/20160725_432414.html?PAGE=1#container〉に載った。

 小林先生が「皇太子殿下が継ぐのだから、そのあとは直系の子である愛子さまが継ぐのがいちばん自然だ。男系絶対という古い風習に囚われるべきではない」と持論を展開すると、所先生は「いまはまず、陛下のご意向実現を最優先に考え、皇室典範第4条を終身在位に限らず、生前退位を可能にするよう的を絞るべきだ」と応じている。

 所先生もまた、「生前退位」報道を無批判に受け入れているらしいことが分かる。

 そういえば、「女性宮家」創設論議のきっかけとなった読売新聞の特ダネでも、同様のことが起きたのを思い出す。

「羽毛田長官が野田首相に伝えた」というスクープは長官本人によって強く否定された。歴史に前例のない「女性宮家」を、いったい誰が、何の目的で言い出したのか。提案者がかげに隠れたまま、わずか数か月後には有識者ヒアリングがスタートし、男系維持派と女系継承容認派との甲論乙駁が繰り返された。

 そして、いままた両者の対決が始まったのである。

 皇室制度は国家の基本中の基本である。であるからには、その変更には公明正大な議論が望まれる。それなのになぜこうも胡散臭さがつきまとうのか。


▽4 退位が認められない理由

 話を戻すと、皇室典範改正は簡単ではない。

 所先生も代表編者として参加し、まとめられた『皇室事典』(皇室事典編集委員会、平成21年)には次のように説明されている。

「退位規定 『皇室典範』に退位条項はない。天皇の地位は国民の総意に基づくものとされ、天皇個人の発意があっても『国民統合の象徴』は、国民の総意がなければ退位できないと解される。『皇室典範』の審議過程で天皇の自由意思で退位を認めるとすれば、退位に対応する即位辞退の自由も認めなれれば一貫しない。即位は憲法、典範の規定に基づいており、象徴の安定性からいっても自由意思は認められない。退位や即位の自由を認めれば、誰も即位しないことも考えられ、皇位は不安定になるなどとして、退位規定は入れられなかった」

 この項目の執筆者は高橋紘・元共同通信記者(故人)である。高橋氏も女系継承容認派の1人だった。

 小林先生は7月13日のブログで、「皇室典範改正は国会が決めること」で、「天皇陛下が直接、改正を要求できない」ので、「ご高齢になったことから、『憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ』として譲位のご意向を表明された」とお気持ちを推量している。

 だが、少なくとも『皇室事典』によれば、天皇の自由意志による退位を認めないというのが憲法および皇室典範の精神なのである。

 陛下はお言葉で「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ」られたが、制度的安定のために「生前退位」を法制化し、その結果、皇位の不安定化を招くとしたら、矛盾以外の何ものでもないだろう。


▽5 お気持ちの尊重ではなく便乗か

 陛下のご意向を想像するのは自由だが、匿名のリークを元にし、歴史に例のない「生前退位」なる造語で伝えられたご意向報道を鵜呑みにするかのように、小林先生は、「現在の状態で譲位すると次の皇太子がいないという事態になります」「典範改正となると、女性天皇・女性宮家を認め、愛子さまを皇太子にしようという議論が浮上しないわけにはいきません」と議論をどんどんエスカレートさせている。

 繰り返して強調するが、「生前退位」なる言葉は少なくとも皇室の歴史にはない。皇室の伝統を重んじる陛下ご自身が「生前退位」と仰せになるとは思えないし、かつての宮内庁は「生前退位」を避けてきた。

 とすれば、ご意向を「生前退位」と言い換えて表現した誰かがいるはずで、報道を丸呑みにすることはできない。まして、女系継承=「女性宮家」創設容認論へと引き込むのは我田引水そのものだろう。陛下のご意向を尊重するのではなくて、逆に便乗していることにならないか。

 小林先生は8月8日のブログでは、政府内で浮上した特別立法案に反対を表明している。いわく、「なんとしても『皇室典範改正』を妨害したいらしい。典範改正の折に、女性宮家を創設せざるを得なくなることを恐れているのだ」。

 さらに8月21日のブログでは、「これは天皇陛下と安倍政権の戦争なのである」と、安倍内閣の特別立法案に敵対姿勢を一段と強めている。

 小林先生の反対表明は理解できなくもないが、「生前退位」論議を超えて、女系継承容認=「女性宮家」創設を実現させたい先生ご自身の並々ならぬ決意を浮かび上がらせる。


▽6 息を吹き返した女系継承容認論

 小林先生が7月13日のブログで、「天皇の譲位が禁止されたのも、女性天皇が禁止されたのも、たかだか明治の皇室典範からのことで、長い皇室の歴史から見れば、わずかな期間に過ぎないのです」と解説するのはなるほど正しい。

 けれども、いままさに議論されている「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)は、ご公務をなさる天皇の行動主義が前提となっているのであり、天皇がほとんど御所からお出ましにならなかった近世まではあり得なかった。

 明治になり、ヨーロッパの王制に学んで近代君主となり、行動主義を原理とするようになったからこそ、高齢化に伴う制度のあり方が問われるのである。

 古来の祭り主というお立場から立憲君主となった明治以後の天皇のあり方を否定するのなら、「国会議員は、今度こそ天皇陛下のご意向をくんで、皇室典範の改正を行わなければなりません!」(7月13日のブログ)とは別の選択肢もあり得るだろう。

 ところが、現実は、NHKのスクープによって、すっかり下火になったはずの女系継承容認=「女性宮家」創設論をふたたび燃え上がらせたのである。リークの目的は、「生前退位」のお気持ち実現より、むしろそこにあったことを疑わせる。

 そして果たせるかな、小林先生らの女系継承容認論が息を吹き返したのである。

 だから胡散臭いのである。女系継承容認論者にとっては待ちに待ったチャンス到来であり、お気持ち報道のいかがわしさなど、どうでもよいということになるのだろうか。


▽7 お言葉は「生前退位」の表明か

 8月9日のブログは、前日、陛下のビデオ・メッセージを拝した先生の感想である。

「天皇陛下のお言葉を聞いて、ただただご希望どおりにして差し上げたいと思ったのは、わしも一般国民とまったく同じである。

 陛下のこれまでの『全身全霊』の国民のためのお務めに、素直に感謝しているから、そのお礼に皇室典範を改正してあげたい。政府は早急にこれに取り組んでほしい。

 そう願わずにはいられなかった」

 いかにも忠良なる臣民を思わせる文章だが、ここには「生前退位」の「せ」の字もない。陛下はお言葉で「生前退位」のお気持ちを表明された、と完全に信じ切っているからか。マスメディアもおおかた同様だから、仕方がないかも知れない。

 しかしお言葉は正確には「象徴としてのお務めについての……」と題され、「生前退位」ではない〈http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉。むろんお言葉のなかに「生前退位」という表現は用いられていない。

 NHKのスクープ報道に由来する先入観念を排して、お言葉を素直に読めば、陛下は「天皇もまた高齢となった場合、どのような(象徴天皇の)あり方が望ましいか」を問いかけられたのではないか。

 陛下は、身体の衰えから象徴としてのお務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じられ、一方で、国事行為や公的行為の縮小、摂政を置くことにも疑問を投げかけられ、また、ご大喪関連行事が長期にわたって続くことにも言及し、懸念を示されたうえで、象徴天皇の務めが安定的に続くことを念じられたのだ、と私は思う。

 陛下は仰せになった。「これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるか」

 これを「生前退位」の表明と読むのは単純すぎないだろうか。「譲位」のご意向があるとしても、それはお気持ち全体の一部なのではないか。

 一部を拡大解釈し、過去に例のない「生前退位」表明と決め込んで、その実現のため、やれ典範改正だ、いや特別立法だと突き進み、あわよくば女系継承=「女性宮家」創設をも実現しようと企てる、匿名の仕掛け人たちの思惑に乗って社会が動いていくことに、私は大きな危険性を感じる。小林先生はどうだろうか。


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O先生、政教関係は正されているのですか ──政教分離問題への素朴な疑問 [政教分離問題]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2016.9.4)からの転載です


 ご無沙汰しています。

 先日は久しぶりに、先生が代表をお務めになる研究会に顔を出させていただきました。お元気そうなお姿を遠くから拝見しましたが、ろくに挨拶もできず、失礼しました。

 さて、折り入って先生に手紙を書こうと思い立ったのは、会の現状に素朴な疑問を感じざるを得なかったからです。


▽1 靖国訴訟の勝利を喜べるのか

 先般の研究会では、いつものようにまず、最近の靖国訴訟の事例報告がありました。報告にありましたように、反靖国派が仕掛ける裁判闘争それ自体はめっきり少なくなり、判決も軒並み合憲判断で、連戦連勝です。めでたいかぎりです。

 しかし本当に喜んでいい状況なのでしょうか。私が報告のあと質問したのも、そこに大きな本質論的疑問を感じたからです。原告が敗訴したのは誰の目にも明らかですが、被告の国・靖国神社もまた裁判に勝っていないのではないか。

 葦津珍彦先生がご存命のころ、J本庁は靖国神社の国家護持運動を熱心に進めていました。靖国神社の歴代宮司には「いずれ神社を国にお返ししたい」と明言なさる方もおられました。その実現は近づいたのでしょうか。

 先日の研究会にはJ本庁や靖国神社の責任ある立場の方々も参加されていたようですが、勝訴が続いていることを手放しで喜んでおられるのかどうか、私は知りたいと思いました。現状が続けば国家護持の展望が開けると思うのかどうか。

 ところが、若い司会者は何を思ったか、「趣旨が違う。懇親会の場で聞け」と私の質問を遮りました。いったい何がどう「趣旨が違う」のでしょう。

 葦津先生が主導してスタートした先生の研究会は、日本の政教関係そのものを正すことが唯一最大の目的のはずです。政教訴訟を正すことが目的ではないし、まして単なる学会ではないでしょう。

 私としては、会にとってもっとも本質的な問いかけのつもりでしたが、残念なことに司会者には「酒飲み話」にしか聞こえなかったようです。私は苦笑するほかはありません。葦津先生を直接知っているのはたぶん私が最後の世代でしょうから、若い司会者には、私の問いかけなど理解できないのかも知れません。

 いやもしかしたら、司会者だけではないかも知れません。


▽2 本質的解決より現実的妥協

 その後、研究会は進み、被災地の復興に奮闘している神職による生々しい事例報告があり、さらにフロアの老名誉教授からの発言、これを受けて神職のコメントが続きました。それを聞いて、私はなるほどと合点しました。

 神職は2点、指摘しました。(1)現在の政教関係には正されるべき問題点があると重々承知していること、(2)しかし現実の世界では実利を得るために行政との妥協が求められていること、の2点です。

 一点目についてはウンウンと大きくうなずいていた老教授が、二点目についてはまったく対照的に、頭を何度も左右に振っていたのが、私にはじつに印象的でした。

 そうなのです。本質的解決がいっこうに進まないために、現実の世界では厳格主義を脱せない行政との苦渋の妥協を模索せざるを得ないのです。これが今日の政教関係の最大の問題です。そして現実的妥協がまた本質的解決への道を阻むという悪循環です。妥協によって実利が得られるなら、無理を重ねて本質的解決を図る必要はないからです。

 その典型例が、1日も早い復興が要求されつつ、なかなか進まない被災地です。被災地での政教分離問題は、行政の厳格主義と妥協しつつ、支援を引き出すハウツー問題になっています。それこそが政教分離問題の解決が進んでいないことの何よりの証明で、現場では本質的解決より現実的妥協を選択しているのです。

 それでいいのですか、と私は問いかけているのです。


▽3 日航の代表者は私人なのか

 最大のネックはもちろん靖国訴訟です。

 合憲判決を得た国・靖国神社はけっして裁判に勝ったとはいえません。本質的解決が少しも図られず、現実的妥協に満足させられているだけです。靖国神社は「特定の神社」と位置づけられたままで、首相参拝も「私人の参拝」です。勝ったことにはなりません。

 勝者がいるとすれば、靖国神社国家護持を「悪企み」と思い込み、これを結果的に阻むことに成功している反靖国派でしょう。彼らは記者会見では「不当判決」と叫びつつ、それこそ懇親会の場では勝利の美酒に酔いしれているかも知れません。

 勝ったつもりの靖国派はじつは負けているのです。

 それにしても、なぜこんな無様な裁判が続いているのでしょうか。

 たとえば、マスコミを湧かせた中曽根首相の公式参拝は「終戦40年」昭和60年の終戦記念日で、その3日前、日航ジャンボ機墜落事故が起きました。

 今年も群馬県上野村で追悼慰霊祭が行われ、遺族のほか日航関係者も参列しましたが、首相の靖国神社参拝は「私人の参拝」と強弁する人たちは、日航関係者の参列もまた私的立場であるべきだと考えるでしょうか。遺族はそれで満足し、メディアはこれを容認するでしょうか。

 どう考えても、常識に反します。

 ネックは「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法ですが、靖国神社は戦死者に対する国家的祭祀を行う国家的祭場であり、国の代表者が公的資格で参拝し、あるいは例大祭に参列することは国として当然の責務であり、むろん憲法にも違反しないという法理論を立てることは可能なはずです。なぜそうしないのですか。


▽4 靖国参拝を認めたバチカン

 たとえば、明の時代に中国宣教を開始したカトリックのイエズス会は、一見、唯一神信仰に反する、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝に参加することを認め、それによって中国宣教は大成功し、宣教師は高級官僚ともなりました。

 この適応政策はその後も引き継がれ、昭和11年にはバチカンは、靖国神社の儀礼は宗教儀礼ではなくて国民的儀礼であり、信徒が参加することは国民の義務だと判断し、許しています。戦後も同じです。

 今日、カトリック信徒の内掌典が陛下の祭りを奉仕していると聞きますが、これも信教の自由に反しないという宗教的確信があるからでしょう。たとえ異教儀礼に由来するとしても、国家的・国民的儀礼なら唯一神信仰に反しないという判断です。

 とするなら、首相の靖国参拝が国民の信教の自由を侵すことはあり得ません。

 ところが、現実妥協路線の裁判は、周辺諸国の批判も相まって、国家機関としての首相参拝を遠ざけています。その一挙手一投足が話題となる「極右」政治家は、首相就任後は、堂々と参拝するどころか、靖国神社を避け、千鳥ヶ淵墓苑や防衛省内のメモリアルゾーンを戦没者追悼の場に選んでいます。そして逆に、靖国神社は私的信仰の対象とされています。話はまるで逆なのです。

 私も遺族の1人ですが、国に一命を捧げた戦没者やその遺族はこれで満足すると先生はお考えですか。

 先生が代表をお務めになっている会の存在はたいへん貴重です。葦津先生の慧眼には敬服するばかりです。であればこそ、会がその目的を十分に果たしているのかどうか、あらためてお考えいただけないでしょうか。


▽5 シンクタンクの設立を

 政教分離が本質的に問われているのは、靖国問題だけではありません。にわかに国民的議題として浮上してきた皇室の御代替わりについても同様です。

 前回の御代替わりでは、政教分離がネックとなり、さまざまな不都合がおきました。いまのままでは同じことが繰り返されるでしょう。

 とくに心配されるのは大嘗祭です。少なくとも宮中祭祀は「皇室の私事」などという法理論が大手を振るうようなことがないようにと願っています。これも大嘗祭が国家的儀礼ではなくて、稲作社会の収穫儀礼という宗教的に解釈するところに誤りの原因があります。靖国問題と構造はまったく同じです。

 葦津先生がそんな理論に心底から満足していたとは思えません。

 それならどうすればいいのか、私は政教問題、靖国問題、あるいは皇室問題を総合的に研究し、発信する常設のシンクタンクを設立できないかと願っています。先生の会を発展させるのも1つの案となるでしょう。

 先生の会は残念ながら、いつの間にかJ本庁周辺の集まりになっているようにお見受けします。けれども、もともとの葦津先生の理想はもっと広範囲の英知を結集することにあったと思います。そしていまそれが必要なのではないでしょうか。

 葦津先生は「学問は1人でするものではない」と仰せだったと聞きます。心から求められるのは共同研究であり、そのため葦津先生に代わって、シンクタンクをアレンジしてくれるプロデューサーの存在です。

 そして皇室問題に世間の耳目が集まっているいまは、1つの大きなチャンスです。

 いかがでしょうか。ご一考いただければありがたいです。

 ご多忙のところ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。