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特別な組織の不設置と即位礼・大嘗祭の日程 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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特別な組織の不設置と即位礼・大嘗祭の日程
──平成の御代替わり「2つの不都合」 1
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 昭和から平成への御代替わりには、さまざまな不都合が指摘されています。直接、携わった宮内庁職員OBの証言もあります(「昭和天皇の忠臣」が語る「昭和の終わり」の不備──永田忠興元掌典補に聞く)=「文藝春秋」2012年2月号。聞き手は私です)。

 そのなかでとくに納得しがたいものとして、私の印象に残っているのは、特別の組織が設置されず、政府職員が日常業務と併行して、御代替わり諸儀礼に取り組んだこと、それと、即位礼の10日後に大嘗祭が行われるという日程について、元掌典補の永田氏が批判したことでした。

 前者については、永田氏はこう語っています。

「総体的に見ると、国および国民統合の象徴である天皇の御位が継承されるという歴史の節目にあって、諸行事が無原則に、場当たり的に、ご都合主義で行われたことです。
 戦前は皇室喪儀令という成文法がありました。大正天皇が崩御になる2カ月前の大正15年10月に公布された、大正天皇の御大喪に合わせたようなものでしたが、当時の頭脳を結集して制度が作られました。けれども平成の御代替わりにはそれがありませんでした。
 特別の組織も設けられず、宮内庁の職員は日常の業務をこなしながら、併行して御代替わりに関する仕事に従事することになりました。詳細な記録が作られなかったのはそのためです。職員は正直、ひたすら眠りたいという思いをこらえつつ、毎日午前様の状態が続きました」

 制度も作られず、特別の組織もない。そのため官僚たちは、御代替わりという国家の重大事について、眠い目をこすりつつ、関わらざるを得なかったのでした。

 どうしてそういうことになったのでしょうか。

 後者については、こうです。

「即位礼の10日後に大嘗祭が行われるという日程も、再考する必要がありそうです。
 昭和の御代替わりが行われたときもそうでした。京都御所で行われた紫宸殿の儀のあと、京都市内はどんちゃん騒ぎでした。天皇陛下の一世一度の重儀が行われる、もっとも静謐(せいひつ)が求められるときに、京都は喧噪の巷と化していたのです。
 即位礼と大嘗祭とを、もっと期間を空けるべきだ、と民俗学者の柳田国男が書いているのを読んだことがあります」

 なぜ「10日後」なのでしょうか。何か、決まりがあるのでしょうか。以前はどうだったのでしょうか。

 いずれも改めるべき点があるのなら、大胆に改めるべきです。過去はどうだったのか、少し考えてみたいと思います。
タグ:御代替わり
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「神学論争」を超えて ──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 8 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「神学論争」を超えて
──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 8
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第6節 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──提唱者を標的にしない八木秀次高崎経済大教授の反対論


▽8 「神学論争」を超えて
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 最後に4点目です。

 園部参与に狙いを定めた八木教授の鋭い批判は、何をもたらしたでしょうか。

 女帝容認=「女性宮家」創設推進派に一撃を与えたことは確かでしょうが、辛辣(しんらつ)な批判は官僚たちの暴走を食い止められたでしょうか。推進論を反対論に転換させることができたでしょうか?

 痛罵は友情を生まず、敵対関係を深めます。感情的な対立は問題解決をもたらしません。

 たとえ天皇に刃向かう者とて、天皇の赤子(せきし)です。天皇はすべての民のため、「安かれ」と祈ります。「天皇無敵」。とすれば、敵を作る天皇・皇室論は自己矛盾です。

 八木教授は、園部参与が

「(皇位継承に関する)いわゆる男系女系論争はもはや神学論争の域に達しており」

 と「選択」24年1月号の巻頭インタビューで述べていることに対して、「揶揄(やゆ)」と批判しています。

 しかし、たとえば、すでに指摘したように、女系継承容認派が古代律令制の時代、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令(けいしりょう)」に

「女帝子亦同(女帝の子もまた同じ)」

 という規定があることに着目し、「女帝の子」も親王・内親王とされ、女系継承が認められていたと主張するのに対して、対極にあるはずの女系容認反対派もまた同様の読みと解釈を加え、「例外」規定だと苦しい説明をしています。

 一方、

「女(ひめみこ)も帝の子はまた同じ」

 と読むべきだという指摘もあります。つまり、天皇の兄弟、皇子と同様に、女子も(内)親王とする、と解釈すべきで、「女帝子亦同」は女性天皇の子孫についての規定ではないし、古代に女系継承が認められていた根拠とはならないというのです。同様の理解は古代史の専門家たちにもあるようです。

 園部参与がいう「神学論争」とは浮き世離れした、堂々巡りの論争という意味でしょうが、むしろ学問の未熟というべきでしょう。歴史論しかり、法律論しかりです。

 学問研究の一層の深まりこそ、緊急に求められています。「女性宮家」賛成派も反対派も、対立を超え、天皇・皇室論の学問的発展をともに目指すべきでしょう。皇室の弥栄(いやさか)を願うことについて変わりはないのです。天皇のお立場では、けっして敵ではありません。

 共同研究の実現に必要なのは、まず大局を見据えられる名プロデューサーの存在でしょうか。かつて「戦後唯一の神道思想家」と呼ばれた葦津珍彦(うずひこ)は、

「学問は一人でするものではない」

 という考えから、意見の異なる左翼研究者たちとの交わりをみずから進んで求め、天皇研究、歴史研究をみがき、親密な友誼を結びました。総合的な天皇・皇室論の深化には、学際的な協力が不可欠です。第2、第3の葦津珍彦が必要です。

 私は八木教授のリーダーシップに心から期待しています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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