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赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』掲載の大礼使官制 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』掲載の大礼使官制
──平成の御代替わり「2つの不都合」 3
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 大正天皇の即位の礼・大嘗祭について解説を試みた赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)に、大礼使について、数ページにわたって説明しているので、紹介します。
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 赤堀はまず「大礼使」の概略を次のように説明しています。

「つつしみて按ずるに、即位の礼および大嘗祭の事務を掌るために大礼使をおかるる由は、登極令に見え、一昨年践祚のことありてのち大礼準備委員をおかれしが、昨年11月22日に大礼使の官制を公布せられ、即日任命ありたり。その官制によれば、総裁、長官、次官、参与官、事務官、典礼官などをおかるるなり。大礼使の任命とともに準備委員は罷(や)められたり」(漢字を開くなど適宜編集した。以下同じ)

 すでに述べましたように、登極令(明治42年2月)には、「大礼使」の規定がありました。

第5条 即位の礼および大嘗祭を行ふときは、その事務を掌理せしむるため、宮中に大礼使を置く

 大礼使官制は勅令第303号として、大正2年11月22日に公布されています。赤堀は下記のように、その全文を掲げています。

 長くなりますが、全文を引用します。

第1条 大礼使は、内閣総理大臣の管理に属し、即位の礼および大嘗祭に関する事務を掌る。
第2条 大礼使に、総裁1人を置く。
 総裁は、皇族のなかより、これを勅命す。
第3条 大礼使に、左の職員を置く。
 長官1人。次官2人。参与官若干人。事務官若干人。典礼官若干人。書記若干人。典礼官補若干人。
 前項職員のほか、必要あるときは、御用掛を置くことを得。
第4条 長官は、これを勅命す。
 次官、参与官、事務官および典礼官は、内閣総理大臣の奏請に依り、内閣において、これを命ず。御用掛を命ずるとき、また同じ。
 書記および典礼官補は、長官、これを命ず。
第5条 長官は、書部の職員を統括し、使務を総理す。
 長官事故あるときは、内閣総理大臣の指名したる次官、その事務を代理す。
第6条 次官は、長官を輔(たす)け、長官の定むるところにより、その分任の使務を掌理す。
第7条 参与官は、長官の命を承け、使務を輔く。
第8条 事務官は、上官の命を承け、事務を掌る。
 典礼官は、上官の命を承け、典式を掌る。
第9条 書記および典礼官補は、上官の指揮を承け、庶務および典式に関する事務に従事す。
第10条 長官は、親任官、次官および参与官は勅官任(ママ)、事務官および典礼官は奏任官、書記および典礼官補は判任官の待遇を受け、御用掛の待遇は各別にこれを定む。ただし、他の官職を有する者の待遇は、その官職につき受くる待遇に依る。
第11条 他の官職を有するに依り、大礼使職員を命ぜられたる者、その官職を退きたるときは退職す。
第12条 使務の処理に関する規定は、長官これを定む。

 附 則
 本令は、公布の日よりこれを施行す。

タグ:御代替わり
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「皇族」の概念が混乱している ──支離滅裂な「論点整理」 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「皇族」の概念が混乱している
──支離滅裂な「論点整理」 2
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第7節 支離滅裂な「論点整理」──変更された制度改革の目的意識


▽2 「皇族」の概念が混乱している
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 2つ目の混乱は、「皇室の御活動」とは何か、あるいは、「皇族」とは何か、です。もっといえば、「天皇」とは何か、です。

 今回の制度改革は「皇室の御活動」維持が目的ですが、2月の段階では、「皇室の御活動」について具体的な説明がまったくありませんでした。「両陛下のご負担」軽減を謳いながら、「両陛下の御活動」と「皇室の御活動」の関連についての説明もありません。

 そのためヒアリングでは、ご活動の具体的中味について、有識者の言及はほとんどなく、

「『権威』と『権力』を分離した象徴天皇制度は、我が国を安定させ、国民に深く根付いている」

「国民との強い信頼関係に基づき、国家、国民統合の象徴となっている」

「国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる要因となっている」

 などという抽象論にとどまっています。

 それが「論点整理」になって、ようやく具体的な「御活動」の中身が示されるようになりました。たとえば、こう書いてあります。

「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆をより強固なものとされてきておられる」

 驚いたことに、天皇の御公務と皇族の御活動が同列に論じられています。

「天皇陛下は、日本国及び日本国民統合の象徴として、憲法に定められた国事行為のほか、様々な御活動を通じて、国民との絆を深められており、天皇陛下を支える皇族方についても、皇室と国民の間をつなぐ様々な御活動を分担されている」

 これも同じです。天皇と皇族の違い、あるいは皇族の概念が混乱しているために、天皇の国事行為、天皇の御公務と両陛下の御活動、皇族の御活動の違いが不明確になり、その結果、女性皇族との安易な「御分担」論が展開されることになります。

 本来、皇族とは、皇統に連なり、皇位継承の資格を持つ血族の集まりを意味します。現行の皇室典範第5条は皇族の範囲を、

「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする」

 と定めていますが、これは、小嶋和司東北大学教授(故人)が指摘しているように、明治の皇室典範が本来、「皇族」ではないはずの、臣籍出身の后妃をも「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させ、その本質をぼやけさせてしまったことがいまに尾を引いています。

 歴史的に見れば、臣家出身の皇后や皇太子妃は皇族とは認められなかったようです。

 宮内庁書陵部が編纂した『皇室制度史料』には、古代の法体系である大宝律令では親王・王の配偶者は内親王・女王でないかぎり皇族とは認められなかったと推測される、とあります。

 日本書紀に載っている皇后の出自を見ると、仁徳天皇の皇后以降は皇女を通例としています。皇后の出自が皇女もしくは皇族に限られるとする慣習は、大宝律令以前に成立していたと考えられていますが、聖武天皇は新例を開き、その後、臣家の女子の立后が相次ぎました。

 けれども、江戸時代までは、臣家の女子は皇族に嫁したあとも皇族の範囲には入りませんでした。明治維新になって、つまり明治の皇室典範で、皇后や皇太子妃が皇族と称することが規定されたのです。

 皇后が陛下の敬称で呼ばれ、したがって天皇・皇后両陛下と併称されるようになったのも、明治の皇室典範が制定されてからのことです。古代においては、太皇太后、皇太后、皇后の三后、皇太子は殿下の敬称を用いることとされていました。

 また、明治の皇族身分令などで、皇后は大婚に際し、皇太子妃は結婚成約に際して勲一等に叙し、宝冠章を賜うことが定められました。

 皇后の崩御も古代においては必ずしも「崩」とは呼びませんでした。「崩御」と呼ぶようになったのは大正15年の皇室喪儀令以後であり、天皇と同じく追号を贈られるようになったのも近代になってからのことです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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