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O先生、政教関係は正されているのですか ──政教分離問題への素朴な疑問 [政教分離問題]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2016.9.4)からの転載です


 ご無沙汰しています。

 先日は久しぶりに、先生が代表をお務めになる研究会に顔を出させていただきました。お元気そうなお姿を遠くから拝見しましたが、ろくに挨拶もできず、失礼しました。

 さて、折り入って先生に手紙を書こうと思い立ったのは、会の現状に素朴な疑問を感じざるを得なかったからです。


▽1 靖国訴訟の勝利を喜べるのか

 先般の研究会では、いつものようにまず、最近の靖国訴訟の事例報告がありました。報告にありましたように、反靖国派が仕掛ける裁判闘争それ自体はめっきり少なくなり、判決も軒並み合憲判断で、連戦連勝です。めでたいかぎりです。

 しかし本当に喜んでいい状況なのでしょうか。私が報告のあと質問したのも、そこに大きな本質論的疑問を感じたからです。原告が敗訴したのは誰の目にも明らかですが、被告の国・靖国神社もまた裁判に勝っていないのではないか。

 葦津珍彦先生がご存命のころ、J本庁は靖国神社の国家護持運動を熱心に進めていました。靖国神社の歴代宮司には「いずれ神社を国にお返ししたい」と明言なさる方もおられました。その実現は近づいたのでしょうか。

 先日の研究会にはJ本庁や靖国神社の責任ある立場の方々も参加されていたようですが、勝訴が続いていることを手放しで喜んでおられるのかどうか、私は知りたいと思いました。現状が続けば国家護持の展望が開けると思うのかどうか。

 ところが、若い司会者は何を思ったか、「趣旨が違う。懇親会の場で聞け」と私の質問を遮りました。いったい何がどう「趣旨が違う」のでしょう。

 葦津先生が主導してスタートした先生の研究会は、日本の政教関係そのものを正すことが唯一最大の目的のはずです。政教訴訟を正すことが目的ではないし、まして単なる学会ではないでしょう。

 私としては、会にとってもっとも本質的な問いかけのつもりでしたが、残念なことに司会者には「酒飲み話」にしか聞こえなかったようです。私は苦笑するほかはありません。葦津先生を直接知っているのはたぶん私が最後の世代でしょうから、若い司会者には、私の問いかけなど理解できないのかも知れません。

 いやもしかしたら、司会者だけではないかも知れません。


▽2 本質的解決より現実的妥協

 その後、研究会は進み、被災地の復興に奮闘している神職による生々しい事例報告があり、さらにフロアの老名誉教授からの発言、これを受けて神職のコメントが続きました。それを聞いて、私はなるほどと合点しました。

 神職は2点、指摘しました。(1)現在の政教関係には正されるべき問題点があると重々承知していること、(2)しかし現実の世界では実利を得るために行政との妥協が求められていること、の2点です。

 一点目についてはウンウンと大きくうなずいていた老教授が、二点目についてはまったく対照的に、頭を何度も左右に振っていたのが、私にはじつに印象的でした。

 そうなのです。本質的解決がいっこうに進まないために、現実の世界では厳格主義を脱せない行政との苦渋の妥協を模索せざるを得ないのです。これが今日の政教関係の最大の問題です。そして現実的妥協がまた本質的解決への道を阻むという悪循環です。妥協によって実利が得られるなら、無理を重ねて本質的解決を図る必要はないからです。

 その典型例が、1日も早い復興が要求されつつ、なかなか進まない被災地です。被災地での政教分離問題は、行政の厳格主義と妥協しつつ、支援を引き出すハウツー問題になっています。それこそが政教分離問題の解決が進んでいないことの何よりの証明で、現場では本質的解決より現実的妥協を選択しているのです。

 それでいいのですか、と私は問いかけているのです。


▽3 日航の代表者は私人なのか

 最大のネックはもちろん靖国訴訟です。

 合憲判決を得た国・靖国神社はけっして裁判に勝ったとはいえません。本質的解決が少しも図られず、現実的妥協に満足させられているだけです。靖国神社は「特定の神社」と位置づけられたままで、首相参拝も「私人の参拝」です。勝ったことにはなりません。

 勝者がいるとすれば、靖国神社国家護持を「悪企み」と思い込み、これを結果的に阻むことに成功している反靖国派でしょう。彼らは記者会見では「不当判決」と叫びつつ、それこそ懇親会の場では勝利の美酒に酔いしれているかも知れません。

 勝ったつもりの靖国派はじつは負けているのです。

 それにしても、なぜこんな無様な裁判が続いているのでしょうか。

 たとえば、マスコミを湧かせた中曽根首相の公式参拝は「終戦40年」昭和60年の終戦記念日で、その3日前、日航ジャンボ機墜落事故が起きました。

 今年も群馬県上野村で追悼慰霊祭が行われ、遺族のほか日航関係者も参列しましたが、首相の靖国神社参拝は「私人の参拝」と強弁する人たちは、日航関係者の参列もまた私的立場であるべきだと考えるでしょうか。遺族はそれで満足し、メディアはこれを容認するでしょうか。

 どう考えても、常識に反します。

 ネックは「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法ですが、靖国神社は戦死者に対する国家的祭祀を行う国家的祭場であり、国の代表者が公的資格で参拝し、あるいは例大祭に参列することは国として当然の責務であり、むろん憲法にも違反しないという法理論を立てることは可能なはずです。なぜそうしないのですか。


▽4 靖国参拝を認めたバチカン

 たとえば、明の時代に中国宣教を開始したカトリックのイエズス会は、一見、唯一神信仰に反する、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝に参加することを認め、それによって中国宣教は大成功し、宣教師は高級官僚ともなりました。

 この適応政策はその後も引き継がれ、昭和11年にはバチカンは、靖国神社の儀礼は宗教儀礼ではなくて国民的儀礼であり、信徒が参加することは国民の義務だと判断し、許しています。戦後も同じです。

 今日、カトリック信徒の内掌典が陛下の祭りを奉仕していると聞きますが、これも信教の自由に反しないという宗教的確信があるからでしょう。たとえ異教儀礼に由来するとしても、国家的・国民的儀礼なら唯一神信仰に反しないという判断です。

 とするなら、首相の靖国参拝が国民の信教の自由を侵すことはあり得ません。

 ところが、現実妥協路線の裁判は、周辺諸国の批判も相まって、国家機関としての首相参拝を遠ざけています。その一挙手一投足が話題となる「極右」政治家は、首相就任後は、堂々と参拝するどころか、靖国神社を避け、千鳥ヶ淵墓苑や防衛省内のメモリアルゾーンを戦没者追悼の場に選んでいます。そして逆に、靖国神社は私的信仰の対象とされています。話はまるで逆なのです。

 私も遺族の1人ですが、国に一命を捧げた戦没者やその遺族はこれで満足すると先生はお考えですか。

 先生が代表をお務めになっている会の存在はたいへん貴重です。葦津先生の慧眼には敬服するばかりです。であればこそ、会がその目的を十分に果たしているのかどうか、あらためてお考えいただけないでしょうか。


▽5 シンクタンクの設立を

 政教分離が本質的に問われているのは、靖国問題だけではありません。にわかに国民的議題として浮上してきた皇室の御代替わりについても同様です。

 前回の御代替わりでは、政教分離がネックとなり、さまざまな不都合がおきました。いまのままでは同じことが繰り返されるでしょう。

 とくに心配されるのは大嘗祭です。少なくとも宮中祭祀は「皇室の私事」などという法理論が大手を振るうようなことがないようにと願っています。これも大嘗祭が国家的儀礼ではなくて、稲作社会の収穫儀礼という宗教的に解釈するところに誤りの原因があります。靖国問題と構造はまったく同じです。

 葦津先生がそんな理論に心底から満足していたとは思えません。

 それならどうすればいいのか、私は政教問題、靖国問題、あるいは皇室問題を総合的に研究し、発信する常設のシンクタンクを設立できないかと願っています。先生の会を発展させるのも1つの案となるでしょう。

 先生の会は残念ながら、いつの間にかJ本庁周辺の集まりになっているようにお見受けします。けれども、もともとの葦津先生の理想はもっと広範囲の英知を結集することにあったと思います。そしていまそれが必要なのではないでしょうか。

 葦津先生は「学問は1人でするものではない」と仰せだったと聞きます。心から求められるのは共同研究であり、そのため葦津先生に代わって、シンクタンクをアレンジしてくれるプロデューサーの存在です。

 そして皇室問題に世間の耳目が集まっているいまは、1つの大きなチャンスです。

 いかがでしょうか。ご一考いただければありがたいです。

 ご多忙のところ、最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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ワシントン・カテドラルで営まれたイノウエ議員の葬儀──「厳格な政教分離主義」アメリカの宗教儀礼 [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 ワシントン・カテドラルで営まれたイノウエ議員の葬儀
 ──「厳格な政教分離主義」アメリカの宗教儀礼
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 日系二世のダニエル・イノウエ上院議員(民主党)の葬儀(memorial service)が21日、ワシントン・ナショナル・カテドラルで営まれました。

 同カテドラルはイギリス国教会の大聖堂で、「全国民のための教会」と位置づけられ、大統領就任のミサや国家指導者の追悼ミサなど、国家的儀礼がしばしば行われています。

「政教分離」原則の本家本元とされ、国家と教会の厳格な分離政策が貫かれているように一般には考えられているアメリカですが、じつはきわめて宗教的に国家的な行事が行われています。

 イノウエ議員の葬儀も、カテドラルの公表資料によれば、完全なキリスト教形式で行われ、聖歌が歌われ、牧師の説教が行われました。オバマ大統領やクリントン元大統領など政府関係者が出席し、時間は2時間以上におよびました。
http://www.nationalcathedral.org/exec/cathedral/mediaPlayer?MediaID=MED-602DI-V5001H&EventID=CAL-5VVQC-V6001N


▽1 同時テロ3日後の追悼ミサ

 こうした宗教色豊かな国家的儀礼がアメリカ憲法に違反しないのか、といえば、否です。

 たとえば、2001年の9.11同時多発テロから3日後、同カテドラルで追悼ミサが行われたとき、カテドラルに取材を試みたことがあります。

 このときのミサは、歴代大統領や政府高官、諸宗教の代表者が参列し、キリスト教形式を基本としつつ、ともに讃美歌を歌い、それぞれの祈りが捧げられる、宗教協力の成果といえるものでした。

 カテドラルによると、ホワイトハウスの依頼にもとづいて行われ、費用はアメリカ政府が実費を負担したとのことでした。

 けれども、「憲法に違反することはない」というのです。

「国家と教会の分離に抵触するものではない。憲法修正第1条は祈りを禁じているわけではない。禁じられているのは国家が国民に祈りを強制することだ」


▽2 宗教政策の二重基準

 ひるがえって日本では、東京都慰霊堂で仏教形式による慰霊法要が行われ、長崎では県をあげて教会群の世界遺産登録運動が展開され、小泉内閣以降、首相官邸でイスラム行事「イフタール」が行われるというように、緩やかな分離主義が採られる一方、宮中祭祀や神社のこととなると厳格主義が頭をもたげてきます。

 愛媛県知事が、戦没者の遺族の援護行政のため、靖国神社などに対して玉串料を支出したことについては訴訟が起こされ、最高裁は違憲判決を下しましたが、岩手県奥州市(旧水沢市)の市有地にある、キリシタン領主・後藤寿庵の廟堂で、地元カトリック教会が主催して行われる大祈願祭に市長が参列し、御祝儀が出されることについては不問でした。

 ブッシュ大統領が来日し、小泉首相とともに明治神宮を表敬することについて、反神道派のキリスト教指導者たちは「違憲」と猛抗議しましたが、金閣寺を参詣することには沈黙しました。

 要するに、宗教政策のダブル・スタンダードです。行政も反対派も同様です。

 その結果、昭和天皇の御大喪は、国の行事として行われた斂葬の儀(葬場殿の儀)では鳥居や大真榊が宗教色があるとして撤去され、今上天皇の大嘗祭は国の行事ではなく、皇室行事として行われました。

 鳥居が特定宗教のシンボルではないのに、宗教性のない葬礼などあるはずもないのに、神代にまで連なると信じられてきた皇室に宗教性は不可分なのに、憲法は宗教の価値を認めているはずなのに、政府は宗教性の排除に強く執着したのです。


▽3 強硬な大新聞と有識者

 ジャーナリズムと有識者の反対も強硬でした。

 たとえば朝日新聞は、昭和天皇崩御から3日後の1月10日、社説で「憲法にそったご大葬を」と訴えています。政府は「大喪の礼」を国の儀式として行うことを決めたが、国の儀式については政教分離原則に反しない内容にするよう、政府に厳しいけじめを求めたい、と主張したのです。

 1月25日の紙面には、「政教分離に疑問残す、大喪の礼」という記事が載っています。当初の予定になかった皇室行事の葬場殿の儀に鳥居が建てられることになった。国の儀式の大喪の礼では鳥居は撤去されるが、憲法上疑問が残る。伝統尊重派の政治家らの要求に政府が押し切られたのは、来秋に予定される即位儀礼の大嘗祭への関わりに不安を残す、と伝えています。

 記事に関連して、「識者」の見方も掲載されています。「鳥居を宮廷費で建てるのは政教分離の原則に反する」(横田耕一・九大教授)、「鳥居と大真榊が建てられると神道色がきわめて強まる」(村上重良・慶應義塾大学講師)というのです。

 2月24日、御大葬当日の夕刊には、この日1日のドキュメントに添えて、加藤洋一記者の「疑念残した儀式一体化。政教分離あいまいなまま実施」という記事が載っています。加藤記者は、「大喪の礼」は、間にはさんだ「葬場殿の儀」との区分があいまいなままに実施されたため、政教分離の原則に反しているのではないか、との懸念を深く残した、と解説しています。


▽4 宗教儀礼を伝えない新聞記事

 ところが、です。

 じつに興味深いことに、日本でまさに昭和天皇の御大喪のあり方をめぐる議論が沸騰していたとき、海の向こうのアメリカでは、ブッシュ大統領の就任式がきわめて宗教的に行われていました。

 新大統領は就任式の朝、家族とともに「大統領の教会」と呼ばれる聖ヨハネ教会の礼拝に参列します。参列は就任最初の公式行事とされ、政府高官も出席します。

 連邦議会議事堂前に設営される特設会場での就任式では、牧師が祈り、大統領は聖書に左手をおき、右手を挙げて宣誓します。式のあと議事堂内で開かれる恒例の昼食会は、上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終わります。

 翌日はワシントン・ナショナル・カテドラルで就任のミサが行われ、政府関係者が参列し、牧師が祈ります。

 しかしこのとき新大統領就任を伝える朝日新聞の記事に、宗教性はまったくうかがえません。就任式に宗教性がないのではなく、報道する側に宗教的視点がないのでしょう。
タグ:政教分離
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憲法は政府に宗教的無色性を要求していない──小嶋和司教授の政教分離論を読む [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 憲法は政府に宗教的無色性を要求していない
 ──小嶋和司教授の政教分離論を読む
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 私が注目する憲法学者に小嶋和司・東北大学教授がいます。大正13(1924)年に山口県に生まれ、昭和22(1947)年に東大法学部を卒業し、東京都立大学教授を経て、東北大学教授となり、30数冊の著書・共著を残し、62年にこの世を去りました。

 亡くなった翌年から『小嶋和司憲法論集』全3巻が出版されました。3巻目は『憲法解釈の諸問題』で、「いわゆる『政教分離』について──靖国公式参拝問題にふれて」(初出は「ジュリスト」昭和60年11月。小嶋先生が最後に書いた雑誌記事らしい)というエッセイが収録されています。けっして読みやすい文章ではありません。今日はその内容を一部だけ、私なりにかみ砕いてご紹介します。

 先月から数回にわたり、当メルマガは平成の御代替わりを、公的記録に基づいて検証しました。その結果、徹頭徹尾、政教分離がテーマだったことがお分かりいただけたと思います。であればこそ、小嶋先生の文章を読んでみたいと考えます。

 というのも、このエッセイのテーマがずばり、「日本の憲法学では、憲法の『政教分離』は政府活動の宗教的『無色中立』を要求すると説かれることが多い。が、そこに根拠があるのか」という真正面からの問いかけだからです。

 結論的にいえば、憲法は政府の無色中立性を要求していない、と先生は指摘しています。

▽1 憲法は「宗教性」を排除していない

 日本国憲法に関して、「政教分離」が語られるとき、2つの用法がある、と小嶋先生は説明します。1つは憲法20条、89条に記される規定の「総称」として、もう1つは憲法の規定の前提たる法源として、用いられているというのです。

「総称」としての「政教分離」には、政府活動の宗教的「無色」性は見いだせません。

 政府活動に関する規定には次の2つがあります。

「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(20条3項)

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」(89条)

 しかし現実には、国立大学で宗教研究・教育が禁止されておらず、(旧)教育基本法(昭和22年)の第9条第1項には「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」と定められています。

 つまり、「いかなる宗教的活動もしてはならない」との規定は、「特定の宗教のための宗教的活動をしてはならない」という意味だと解釈すべきだということになります。

 また、89条についても、「いっさい禁止」の意味ではありません。実際、文化財保護法によって、特定の神社・仏閣を国費で修復することは許されています。

 ここで先生のエッセイを離れて、平成の御代替わりを振り返ると、すでにご紹介したように、たとえば昭和天皇の御大喪では、皇室行事の斂葬の儀と国の行事としての大喪の礼が二分されて実施され、大喪の礼では鳥居や大真榊が撤去されました。

 石原信雄内閣官房副長官の著書によれば、分離方式が取られたのは、葬場殿の儀に「宗教色がある」からで、鳥居や大真榊の撤去は、「当時の味村治法制局長官以下、法制局が、『どう考えても鳥居は宗教のシンボルだから、鳥居を置いたまま国事行為を行うわけにはいかない、絶対ダメだ』と主張していたことが原因」でした。

 しかし「政教分離」を「宗教性」の排除の意味とする考え方は、小嶋先生が述べているように、現行憲法の規定からは見いだせません。宮中祭祀が特定の宗教であるはずもありません。当時の政府関係者は別の用法から「政教分離」をとらえていたことになります。

▽2 「政教分離」は憲法の法源ではない

 小嶋先生は、憲法論上、用いられる「政教分離」にはもうひとつの使い方があると指摘します。つまり、現行憲法の規定の前提としての「政教分離」です。現行憲法の規定はその結果に過ぎないと見るのです。

 この立場こそ、憲法は政府活動の宗教的「無色」性をも要求していると見方にほかならず、政教「分離」は絶対的であり、政府活動は「無色中立」であるべきだと説くのです。

 平成の御代替わりにおいて、とくに内閣法制局が凝り固まっていたのがこの立場だと理解されます。

 けれども、と小嶋先生は論を進めます。

 日本国憲法の規定の前提と説明される「政教分離」原則が、じつのところ、憲法の規定を理解する便宜のために、憲法学者たちがあとから登場させたに過ぎないと先生は指摘します。

 最初に主張したのは田上穣治の『憲法学概論』(昭和22年)であり、戦後の憲法学にもっとも大きな影響を与えたとされる宮沢俊義の『憲法』にその論が登場したのは昭和27年版以降である。本来は学問上の概念であって、日本国憲法の法源ではない、と先生は述べています。

 しかも宮沢教授の論理自体、首尾一貫性がないと小嶋先生は指摘します。

▽3 占領政策と同一視すべき理由はない

 小嶋先生は、「政教分離」を「無色中立」的分離の要求と見るための根拠を示す、3つの憲法論があると指摘し、それぞれについて検証しています。

 1つは、憲法の「政教分離」規定を、昭和20年暮れのいわゆる神道指令の「国家と宗教の分離」と同じ意味だとする見方です。制憲議会の政府説明はこの立場でした。

 神道指令は東京駅の門松、注連縄をも撤去させるほど、厳格だったことから、この立場では、政府の宗教的「無色」性を要求します。

 しかし、この解釈は適当でない、と小嶋先生は批判します。

 理由の1つは、神道指令は神社神道からの「分離」の要求であり、他方、憲法はすべての宗教団体に対する「分離」を要求しているからです。

 もうひとつは、憲法解釈を占領政策と同一視しなければならない理由はないし、占領後期になると、占領軍の政策自体が緩和され、貞明皇后の御大喪や参議院議長の公葬が神道形式で行われているからです。

▽4 無信仰、無神論を優遇する宮沢俊義説

 宗教的「無色」性の要求と考える第2の根拠は、宮沢俊義教授の憲法論です。宮沢教授は『日本国憲法』(芦部補訂版)に次のように書いています。

「国家がある特定の宗教をとくに優遇することは、それ以外の宗教を抑える結果になるが、国家がすべての宗教を等しく優遇することも、国家がそれによって無宗教の自由を抑える結果になる点で、やはり宗教の自由に反すると考えられる」

 これに対して小嶋先生は、優遇がたとえ不平等であったとしても、他の自由を抑えることになるのか、と疑問を投げかけます。宮沢説は「宗教を信じない人々を、信じる人々の上に prefer するもの」であり、「信教の自由」を保障する憲法解釈に持ち込むべき立場ではないというのです。

 この宮沢説こそ、平成の御代替わりに大きく影響を与え、国の行事から宗教性を取り除くという言説を振りまくことによって、無宗教・非宗教主義を援助、助長、促進し、宗教を圧迫し、干渉したのではないでしょうか。

 無神論者を自認する富田朝彦長官の時代に、職員の宮中祭祀離れが起きたことがあらためて想起されます。

▽5 徹底した政教分離は国民生活を脅かす

 第3の根拠は、「中立」性のみの要求よりも、「無色中立」の要求とする方が抜本的な解決になる、という立場です。

 しかし、小嶋先生は、虫歯の治療・予防に抜歯するようなもの、と批判します。実生活に不当を強いることになるというのです。

 責任をもって法律を解釈するためには教条を排し、具体的に考える必要がある、と先生は説き、刑法などの条文を例示します。

 すなわち、刑法は、神社・仏閣、墓所などに不敬を働いたものに対して、懲役刑を科すことを定め、国税徴収法・強制執行法は仏像や位牌などの差し押さえを禁止しています。

 憲法は「信教の自由」を保障し、宗教を悪とはしていない、と述べて、先生は、殉職した警察官の慰霊は「宗教だから」と行うべきではないのか、地方公共団体が火葬場や霊園を運営するのは違憲なのか、地蔵や庚申塚が公有地の片隅に置かれるのを容認しないほど憲法は宗教に不寛容なのか、それならキリシタン顕彰碑の設置も違憲ではないか、神社仏閣の祭礼のために交通規制することも問題ではないのか、と畳みかけます。

 そして先生は、純粋で徹底的な「政教分離」要求が国民の適切な社会生活を確保するとは考えがたいと強調します。

 平成の御代替わりで最大の論点となったのは大嘗祭で、政府の準備委員会は、「趣旨・形式などからして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることは馴染まない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」として、皇室の行事として位置づけたのでした。

 けれども、大嘗祭を国の行事として行ったからといって、実際問題として、他の宗教を具体的に圧迫・干渉することにはならないでしょう。宮中祭祀は国民的共存、国民統合の儀礼であり、むしろ政府の宗教性忌避策は、信教の自由を認める憲法に完全に反して、国家の無宗教化、非宗教化を進めることになったのではないかと恐れます。

タグ:政教分離
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忘れられた神道人・今泉定助──非宗教的な現代だからこそ振り返る [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 忘れられた神道人・今泉定助──非宗教的な現代だからこそ振り返る
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▽1 無宗教で行われる行政の追悼行事

 東日本大震災発生から6か月、そしてアメリカ同時多発テロから10年、今日は鎮魂の日です。

 大震災の死者は1万5781人、行方不明者と合わせると1万9867人、自宅に戻れない避難者は8万人をはるかに超えていると伝えられます。

 未曾有の自然災害から何か月も経つのに、県や国レベルの慰霊祭が行われたとは聞きませんが、市町村レベルでは追悼行事が行われています。

 昨日は福島県相馬市で合同慰霊祭が行われ、遺族ら400人が参列し、黙祷が捧げられ、祭壇に菊の花が手向けられたと伝えられます。
http://news24.jp/articles/2011/09/10/07190364.html

 先月25日には東京・浅草寺で、地蔵盆に合わせた、大震災の犠牲者を悼む「百僧法要」が行われ、「東日本大震災物故者諸霊位」と書かれた位牌に3000人が合掌、焼香したそうですが、市町村での慰霊祭は、宗教者が参加しない、宗教儀礼が行われない、無宗教もしくは非宗教形式で行われ、ほとんど定着しているように見えます。

▽2 まるで非宗教を国民に強制

 自治体が関与する慰霊祭は、「国はいかなる宗教的行為もしてはならない」と明記する憲法の政教分離原則に忠実であろうとしているからなのでしょう。

 厳格な政教分離主義の源流とされるアメリカでは、同時テロ発生の3日後、「全国民のための教会」と位置づけられるワシントン・ナショナル・カテドラルで、追悼ミサが挙げられました。

 ホワイト・ハウスが依頼し、歴代大統領や多数の政府高官、諸宗教の代表者が参列し、讃美歌を歌い、祈りを捧げました。ミサ形式ですから、牧師の説教も行われています。費用は政府が実費を負担したと聞きます。

 日本の政教分離主義は宗教者を排除し、宗教性を捨象するのに汲々としていますが、アメリカの政教分離はむしろ伝統的宗教性を重んじています。

 教会関係者は「憲法が禁じているのは、国家が国民に祈りを強制することだ」と説明しますが、日本は逆に、まるで非宗教を国民に強制しているようにさえ見えます。死者に祈りを捧げることが無宗教的、非宗教的であろうはずはないのに、です。

▽3 89年前の関東大震災時も同じだった

 政教分離主義は一般には、戦後の憲法によって確立された、といわれます。

 明治憲法下では信教の自由の保障が制限されていた、「国家神道」に国教的地位が与えられ、他の宗教が迫害された、敗戦後、GHQが「神道指令」を発し、新憲法に政教分離規定が設けられた、と津地鎮祭訴訟や愛媛玉串料訴訟の最高裁判決に説明されています。

 この歴史理解に従えば、行政が推進する無宗教・非宗教的追悼儀礼は、戦後、現行憲法下において、行われるようになったと思われがちですが、実際は違います。

 大正12年9月1日の関東大震災から今年で89年になりますが、関東大震災発生四十九日の東京府市合同の追悼式は、「国家神道」どころか、宗教者が参加しない、宗教儀礼が行われない、無宗教形式で行われています。

 そのため「行政は宗教に無理解」と宗教界が猛反発し、軋轢が生じた、と当時の新聞が報道しているほどです。

 現代の宗教家たちが行政の無宗教・非宗教政策にほとんど沈黙しているのとは、まったく対照的です。

▽4 急先鋒は内閣法制局だった

 戦後、とりわけ昭和40年代以降、先鋭化する政教分離の厳格主義は、単線的・直線的発展史観に立ち、歴史の事実を無視して、戦前を悪玉に仕立て上げ、明治憲法を批判し、「国家神道」に責任を押しつけ、天皇もしくは天皇制を指弾します。

 その延長上にあるのが、平成の御代替わりでした。

 昭和天皇の御大喪は、皇室行事としての葬場殿の儀と国事行為としての大喪の礼が分離され、宗教的、伝統的な天皇の喪儀から宗教性がむりやり引きはがされ、大喪の礼では祭官が退場し、鳥居や大真榊が撤去されました。

 大喪の礼を取り仕切ったキーパーソンの1人、石原信雄官房副長官は、その背景を著書の『官邸2668日』に説明しています。

 石原によれば、課題はずばり政教分離、つまり宗教と国事行為との線引きでした。鳥居を設け、大真榊を置き、葱華輦(そうかれん)で昭和天皇の亡骸を葬場殿まで運び、安置する葬場殿の儀は「かなり宗教色がある」というのが分離方式の理由でした。

 宗教色のない喪儀など、この世にあろうはずはないのに、官僚たちは皇室の伝統より、憲法に忠実なあまり、皇室の「宗教」に介入するという政教分離に矛盾する行為を行ったのです。

 急先鋒は、味村治法制局長官以下、内閣法制局だった、と石原は証言します。「どう考えても、鳥居は宗教のシンボルだから、鳥居を置いたまま国事行為を行うわけにはいかない。絶対ダメだ」と主張したというのです。

▽5 憲法は宗教を否定していない

 憲法20条3項が規定する「国家はいかなる宗教的行為もしてはならない」を文字通り解釈すれば、天皇の喪儀に関わることも許されません。憲法はそのような絶対分離主義の立場に立っているわけでも、宗教否定の立場にあるわけでもないでしょう。

 昭和52年7月の津地鎮祭訴訟最高裁判決で、最高裁は、憲法の政教分離規定について、国家が宗教との関わり合いをまったく許さないというのではなく、目的と効果が限度を超えない範囲では許される、という緩やかな分離主義の判断を示しました。

 この目的効果基準の提示こそ、絶対分離主義の否定でした。

 憲法学者の小嶋和司・東北大学教授(故人)は、行為の「目的」と社会的な「効果」を基準として合憲性を判断するということは、その前提として、憲法は国家の宗教的中立性を要求してはいるが、無色中立性までは要求していない、と認めるからだ、と指摘しています。絶対分離主義の立場をとるなら、目的や効果を判断するまでもないからです。

 実際、「国は宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と憲法20条で規定しつつ、国立大学(法人)での宗教学研究は認められるし、(旧)教育基本法は宗教に対する寛容の態度の尊重をうたっている。憲法89条には「公金を宗教団体のために支出してはならない」とあるが、文化財保護の観点で神社、仏閣の修復が行われている。つまり、憲法の規定は無色中立性までは要求していない、と小嶋教授は指摘しています(小嶋『憲法解釈の諸問題』木鐸社、昭和60年)。

 人はみな宗教的存在であり、絶対分離主義の考え方自体に無理があります。国家の宗教的無色中立性を原理主義的に貫けば、真善美を追い求め、悪を憎み、悲しみに涙する人間性そのものを否定することになります。憲法の政教分離原則をことさら重んじて、国民の精神的伝統を脅かすことになれば、憲法が認める宗教の価値を否定することになります。

▽6 戦前を代表する第一級の神道人

 ところが、宮中祭祀や神道のこととなると、絶対分離主義が頭をもたげてきます。ある種の政治性を背景として、日本の宗教伝統の歴史を見誤り、あるいは曲解し、天皇統治の本質を見失っているからでしょう。何しろ教えてくれる人もめったにいませんから。

 たとえば、今泉定助という人をご存じですか?

 今泉こそ、戦前を代表する第一級の神道人でした。戦前・戦後を通じて、もっとも偉大な神道思想家といわれます。「憂国慨世の神道思想家」ともいわれ、歴代首相のほとんどがその国体論に耳を傾け、官僚、軍人、財界人が教えを乞うたと伝えられます。それほどの影響力を持った神道思想家は、昔も今も、今泉以外にはいませんが、いまはほとんど忘れられています。

 私が知る写真は、晩年のもので、白く長いヒゲを蓄え、和服を着、眼光はあくまで鋭く、ただならぬ気配を漂わせています。しかし今泉は、近代教育を受けたエリート中のエリートでした。

▽7 川面凡児との出会い

 戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦によると、今泉は文久3(1863)年、宮城県白石に生まれました。明治19(1886)年に最高学府たる東大の古典講習科を卒業後、ただちに東京学士院編纂委員となり、あの膨大な『古事類苑』の編集に4年間、携わりました。その後、皇典講究所に移り、国学院設立に参画しました。関東大震災当時は、伊勢神宮の崇敬団体・神宮奉斎会の会長でした。

 大震災直後、今泉が手がけたのは震災で焼失した日比谷大神宮の再建ではありませんでした。葦津珍彦の評伝によると、目に見える神殿の建設よりも、日本国民の精神の再建こそが緊要だ、と痛感し、今泉は国民精神発揚のパンフレットを大量に配布し、講演活動を展開したのです。

 お伊勢さんの神宮大麻の普及、門松や国旗の普及に力を入れ、やがて震災直後に急造されたバラックの民家にも神棚がまつられるようになった。学校や役所などにも神棚がまつられるようになったのは今泉らの活動によるところが少なくないといわれる、と葦津は書き残しています。

 葦津が今泉を語るうえでとくに重要視しているのが、「神道界の異才」川面(かわつら)凡児との出会いでした。今泉が川面と出会うことがなかったら、もしかしたら、今泉は単なる近代人で終わっていたかも知れません。

 長くなりましたので、以下は次号に書きます。

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苦悩する神社神道──仲執持がボランティアに変身する? [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です

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 苦悩する神社神道──仲執持がボランティアに変身する?
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 先日、政教分離問題に関する勉強会がありました。そのなかで若い研究者の発表はたいへん興味深いものでした。

 彼は、社会が変化して、いままでのように神社が公共的存在であるというだけでは、神社の公共性、公益性をうたえなくなっている。このため神社および神職の社会貢献が求められる時代になった、というのです。

 88年前の関東大震災では、彼の発表によれば、全国神職会を中心として、義援金を募り、慰霊祭を奉仕するなど、素早い対応がなされたといいます。神社の境内にバラックが立ち並んだという状況もありました。

 今回の東日本大震災では、救援物資配布の拠点になった神社が少なくありません。アピールの苦手な神社界が、社会的評価を考慮し、市民社会から認められるためにどうしたらいいのか。神社の公共性をどう守るか、が課題となっている、と若い研究者は指摘するのでした。

▽1 失われたムラ

 私は講演を聴きながら、日本の神社が大きな時代の波にさらされているということをあらためて感じました。それは明治以来の近代化という波であり、簡単にいえば、キリスト教化です。

 時代の荒波にもまれるなかで、日本の神社は歴史的な存在意義を180度、変えつつあるようにさえ見えます。

 この研究者がいう「社会の変化」とはどういうものなのか、必ずしも明確ではありませんが、私なりの理解では、神社を取り巻く社会的環境はたしかに一変しています。

 このメルマガでも、現代の日本人が農耕民的な定住性を失い、遊牧民化しているという指摘を何度かしました。定住民の共同体としてのムラがあり、ムラの鎮守とムラの祭りがあるという日本の宗教的伝統の大前提が崩れているのです。ムラを失ったところに、ムラの鎮守はあり得ません。

 若い研究者がいう「神社の公共性・公益性」の意味それ自体が変わってしまったのです。

▽2 キリスト教がモデルの宗教法人法

 かつて神社はムラの鎮守は、文字通りムラのものであり、住民のものでした。だからこそ、この研究者が指摘するように、明治20年ごろから東京市では、神社の境内が市の公園として取り扱われるようになったのでしょう。

 神社は公共物だったのです。

 しかし現代は必ずしもそうではなくなっています。

 占領期に制定された宗教法人法は、「宗教団体」について、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、および信者を教化育成することを主たる目的とする、と規定します。キリスト教なら、福音、ミサ、宣教が絶対的要素ですが、ムラの鎮守には本来、教義も宣教師も、布教という概念すらありません。戦後日本の宗教基本法は、日本の宗教伝統の歴史と実態を無視しています。

 けれどもキリスト教というグローバルスタンダードに合わせた、いわば靴に足を合わせるような宗教基本法は、独立を回復してもなお、改正されず、戦後の社会的変化と相まって、日本の神社はムラの鎮守から神職による強化育成の拠点に様変わりしているようにさえ見えます。

 であればこそ、この研究者が指摘するように、「神社・神職の社会貢献が必要な時代が到来」したということになります。氏子こそが信仰の主体であり、神職は神々と氏子を仲介する仲執持であったはずなのに、氏子も神職もキリスト教的に変質したかのようです。

▽3 「市民」とは何か

「市民の意識、評価が大事で、市民の評価で公共性、必要性の有無を決める時代」に、「神社がどれだけの存在意義を発揮できるか」と問いかけることそれ自体が、変質を物語っています。

 そもそも「市民」とは何なのか。

 小野祖教・国学院大学教授(神道学者、故人)は、何十年も前にこう指摘しています。

「国民の半数は郷土を持たない随時、転勤転住する浮き草性市民となり、世代的に、親子の職業関係がつながらず、居住もつながらず、親族、隣保、郷土の意識が薄れると……今後、氏神はいかなるものに変質するか分からない。神社神道史上の大きな課題を含む過渡的時代に当面している」

 神社神道を成立させてきた定住社会とは正反対の位置にある「浮き草性市民」に訴え、神社の存在意義について評価を委ねることは、神社の存在意義をみずから変質させることになりはしないかと恐れます。

 それでもなお、仲執持は宣教師に変身し、市民運動家もしくはボランティア活動家に身をやつさなければならないのかどうか。

▽4 神道人・今泉定助は何をしたのか

 若い研究者は、関東大震災の歴史を振り返り、当時の神職が組織的に活動したことを紹介しています。

 神社を中心とした社会事業の奨励が行われたというのですが、それらはよく見ると、神職らの活動というより、当時の行政が全国神職会の媒体を利用して、そのように呼びかけていたというように見えます。

 広い境内地を持つ神社に対して、無料宿泊所や託児所を設け、困窮した人々を支援し、教化公益に尽くすべきだと主張していたのは、この研究者によれば、東京市社会局であり、神社側は逆に神域の尊厳護持に努めようとしていたほどです。

 実際、当時の神道人は未曾有の大震災のなかで、何をしようとしていたのでしょうか。当メルマガの読者ならお分かりのように、当時の行政は今日以上の無宗教的政策を推進しており、宗教界との対立的状況さえありました。

 この時代を代表する神道人といえば今泉定助ですが、次回から、彼らの行動を振り返ってみたいと追います。近代における神社の位置、いわゆる国家神道の歴史について、検証する材料を提供してくれると思うからです。同時に、今後の神社神道の行方を考えるヒントを与えてくれると思うからです。
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3 イスラム移民に揺れるフランス共和制 [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 3 イスラム移民に揺れるフランス共和制
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 AFPによると、フランスのサルコジ大統領は22日、上下両院合同会議で演説し、イスラム教徒の女性が着るブルカが「抑圧のしるしであり、フランス共和国の領土では歓迎されない」と述べました。
http://www.afpbb.com/article/politics/2613980/4285229

 ルイ・ナポレオン以来、じつに161年ぶりとなる大統領の議会演説の内容に、当然、イスラム教徒は反発していますが、大統領に同調する議員らは公の場でのブルカ着用規制に関する検討委員会の設置を決め、実態調査も始まるようです。


▽アメリカの政教分離との違い

 AFPの記事が興味深いのは、アメリカのオバマ大統領と比較していることです。

 半月前に渡仏し、サルコジ大統領と会談したオバマ大統領は、「西洋諸国はイスラム教徒が適当と考える宗教的行為を妨げないようにすることが重要だ」と語り、イスラム女性のヒジャブ(スカーフ)着用の権利を支持しました。しかし、サルコジ大統領は「公務員は宗教の如何にかかわらず、宗教的なものは身につけてはならない」と反論したといいます。

 記事は、二人の違いが政治家の個性の問題として描かれているようにも見えますが、むしろ国家と宗教に関する国是の違いに基づいているのだと私は思います。

 王権を実力で打倒し、カトリックを国教の座から引きずり下ろしたのがフランス大革命であり、以来、フランスは「自由・平等・博愛」を国是とする世俗国家を築いてきたのでした。

 公共の場からすべての宗教を排除し、私的空間では信仰の自由を保障するのがフランス流の政教分離です。このため19世紀後半には公立学校での宗教教育は禁止され、教室からキリスト像が撤去され、聖職者は教壇から追われました。20世紀になると、公認宗教に対して公金を支出してきた制度が廃止され、国家の宗教的中立性が徹底されます。

 一方、清教徒たちによって建国されたという神話をもつアメリカは、国家と宗教ではなく、国家と教会を分離するゆるやかな政教分離主義を国是とし、大統領の葬儀も新大統領の就任式も「全国民のための教会」と呼ばれる大聖堂で行われています。

 しばしば厳格な政教分離主義の源流のように説明されるアメリカですが、実態は異なります。


▽500万人にふくれ上がったイスラム教徒

 フランス共和制に転機をもたらしたのがイスラム教移民の急増です。

 移民を徹底的に同化し、国民として受け入れてきたフランスですが、人口6400万人のうち、イスラム教徒は500万人にふくれ上がっています。否応なしにイスラム文化が流入し、千人以上を収容する巨大モスクがあちこちに林立しています。「カトリックの長女」と呼ばれたフランスは、モザイク国家に変わったのです。

 しかしフランス共和制はフランス一元主義、世俗主義を、イスラム系移民にも強制します。5年前には、公立学校でのヒジャブ着用が禁じられました。

 移民の子であるサルコジ大統領が移民問題の難しさを知らないはずはありません。数年前、内相時代に、政教分離法を見直し、モスク建設に国の支援を可能にする提言を行ったのはサルコジ自身です。

 しかし今後、ブルカやヒジャブの規制はどこまで広がっていくのか。公立学校や役所など以外、もっと広く「公の場」で規制するとなれば、「公」と「私」、「聖」と「俗」を厳格に区別し、私的空間の信教の自由を保障してきたフランス共和制の理念を元首みずから破ることになりはしないか。革命で押し倒された十字架の代わりに掲げられた三色旗が引き下ろされることがあるのかどうか、が注目されます。

 以上、斎藤吉久メールマガジンNo.413から。
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1 絶対分離主義者が沈黙する石原裕次郎二十三回忌 [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


「昭和の大スター」石原裕次郎さんの二十三回忌法要が来月、行われると伝えられます。東京・国立競技場に菩提寺である横浜・総持寺の本堂を実物大で再現して、本尊を移設・安置し、僧侶160人が読経するのだそうで、スタッフが高齢化した石原軍団にとっては「最後のイベント」だといいます。

 マスコミは法要の常識外れな規模の大きさや引き物の話題性に着目して報道していますが、私が注目したいのは憲法の政教分離問題です。

 国が所有・管理する施設に、宗教法人である仏教寺院の本堂を再現し、信仰対象である仏像を安置し、宗教家たる仏僧が読経するというのは、国家と教会のゆるやかな分離ではなく、国家と宗教の完全な分離を声高に主張する、日本のカトリック指導者など絶対分離主義者たちが「憲法違反」と目くじらを立てそうなところですが、そのような抗議の声はいまのところ聞こえてきません。

 完全分離主義者の馬脚がまた現れたな、という印象が否めません。


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 1 絶対分離主義者が沈黙する石原裕次郎二十三回忌
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▽1 神社には抗議、お寺には沈黙

 たとえば、平成14年のブッシュ大統領の初来日の際、小泉首相とともに明治神宮に表敬参拝するのに対して、カトリックの司教たちは猛抗議しました。「憲法が定める信教の自由・政教分離原則に違反する」「宗教を外交の手段として利用することは許されない」と主張し、「参拝中止」を文書で申し入れたのです。批判の矛先は直接的には無関係のはずの首相の靖国神社参拝にまで向けられていました。

 そうした抗議行動の結果なのか、外国元首が日本の伝統的宗教文化の一端に触れる、またとない機会にもかかわらず、首相は流鏑馬(やぶさめ)鑑賞にのみ同行するという自己規制を演じたのでした。

 ところが、3年後の平成17年にブッシュ大統領が再来日し、今度は金閣寺を参詣したとき、司教たちは沈黙しました。

 首脳会談に先立って、大統領夫妻は小泉首相に出迎えられ、住職の案内で境内を散策し、本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌したと伝えられます。首相が大統領とともに神社を参拝することが憲法違反なら、お寺を参詣することも違憲である。そのように司教たちが同じ論理を展開するのかと思ったら、さにあらず、でした。論理が一貫していません。


▽2 撤去された稲荷神社

 明治神宮参拝は政府の自己規制で訴訟にまでは発展しませんでしたが、裁判の対象にまでなったのが信州大学のキャンパス内にあった稲荷神社です。

 キャンパスは戦前、松本歩兵第五十連隊のかつての駐屯地で、同社は連隊の守り神だったといいます。敗戦後、大学のキャンパスとなり、神社は受験生には学問の神様、患者には病気平癒(へいゆ)の神として信仰を集めてきたといいます。

 騒動がにわかに降ってわいたのは数年前で、ある私立大学教授が「国立大学に神社があるのは政教分離違反」などと主張し、移転を求めたのでした。「国有地の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」というのが教授の言い分でした。

 東京地裁は請求を棄却し、東京高裁も控訴を棄却しましたが、いわゆる傍論で「神社を存置させたままの国や大学の姿勢は憲法の精神に明らかに反する」と批判したため、マスコミは「憲法違反」と伝え、「実質勝訴」した教授は上告を取り下げました。

 信州大学の稲荷神社は宗教法人ではありません。布教活動を行う人間もいないし、従って宗教活動が行われていたわけでもありません。それでも結局、稲荷神社は撤去されました。たび重なる訴訟に大学側は嫌気がさした結果と思われます。


▽3 論理に一貫性がない

 公有地にはいっさいの宗教的施設が認められない、という絶対分離主義の立場に本気で立つなら、司教たちも大学教授も、そしてマスメディアも、国立競技場で行われる石原裕次郎二十三回忌の法要に異を唱えなければなりません。

 もし沈黙を続けるのなら、本気ではないか、靖国憎しのあまり、一貫性のない憲法論を振り回していることを、みずから認めることになるでしょう。
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2 今週のもう一本 ──政教分離が新潟中越地震復興のネック? [政教分離問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 2 今週のもう一本
 政教分離が新潟中越地震復興のネック?
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 今月6日、新潟日報にたいへん興味深い記事が載りました。長岡市の蒼柴(あおし)神社の境内にある約80基の灯籠が5年前の新潟中越地震で倒壊したままの惨状をさらしているというのです。

 市民からは「長岡のシンボルを復活させて」という声が上がっているのにもかかわらず、復興できずにいるのは、不況で住民らの寄付が集まらないことのほかに、文化財に指定されていないために県の基金が活用できないからだと記事は伝えています。

 とくに市は「政教分離の観点から神社への助成はできない」と語っているようです。


▽1 文化財に指定されていない

 新潟県・長岡市の東部に標高100メートルほどのなだらかな山があります。平成の大合併で周辺にまで市が拡大するまえは、「市で唯一の山」といわれた悠久山(ゆうきゅうざん)です。長岡藩9代藩主牧野忠精(ただきよ)公がここに蒼柴神社を造営し、悠久山と名付けたといわれます。歴代藩主のほか、戊辰戦争や西南の役で殉じた藩士たちが眠る山は長岡随一の聖地です。

 大正時代に長岡開府300年を記念して公園化が計画され、いまはプールや野球場、動物園、郷土資料館などが整備されています。サクラやツツジなど緑いっぱいの公園は誰もが認める市民の憩いの場であり、全国に知られるサクラの名所です。

 悲しいかな、山は中越地震で市街地以上の被害を受けました。蒼柴神社では鳥居が崩れ、国の文化財に指定されている本殿が土台からずれたと伝えられます。神社は県の復興基金を活用して昨年から復旧工事を本格化させましたが、制度を活用できるのは文化財に指定されている社殿に限られます。

 悠久山は大正時代に神社が無償で土地を提供したことから市の公園となりましたが、現代の行政機関は神社の窮状を救えずにいます。記事が伝えているように、灯籠は文化財に指定されていないからです。


▽2 焼失教会の復興を支援する新上五島町

 しかし文化財に指定されていない宗教施設が公金によって復興されるようになった事例がないわけではありません。

 たとえば、長崎・新上五島町の江袋(えぶくろ)カトリック教会です。明治に建てられた長崎県内最古の木造教会でしたが、惜しくも一昨年2月に消失し、わずかに一部の柱や壁が残るだけとなりました。

 文化財にも指定されていなかったことから復興が危ぶまれましたが、2カ月後に町は全焼した教会を文化財に指定し、信徒の信仰のよりどころである教会再建に弾みがつきました。教会を所有する長崎教区の大司教は、政教分離の厳格主義者として知られますが、行政機関は復興に協力しています。

 政府の政教分離政策はまるでダブル・スタンダードです。東京都慰霊堂では年2回の慰霊法要が仏式で営まれ、長崎では県をあげて教会群の世界遺産登録運動が展開され、首相官邸ではイスラム行事「イフタール」が行われているのに、神社のこととなると完全分離主義が頭をもたげてきます。

 そんな中で注目されるのは、北海道砂川市の市有地内にある小さな神社が違憲かどうかが争われ、先月、最高裁大法廷に回付された住民訴訟の行方です。憲法は宗教の存在を認めていることは間違いありませんが、大法廷はどんな判決を下すのでしょうか。「公有地にはいっさい宗教施設があってはならない」というような絶対分離主義的判決を示すとすれば、その影響は神社だけにとどまりません。

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