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葦津珍彦の天皇論を学び直してほしい ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む 最終回 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 現代を代表する伝統主義者の1人である竹田恒泰氏の天皇論を、10回にわたり、あえて批判的に読み進めてきました。

 他意はありません。伝統主義的天皇論の進化を心から願うからです。

 しかしどうしても理解できない人もいるようです。私の表現力がつたないからなのか、個人攻撃をしていると見る人が少なくないようです。

 くれぐれも誤解のないようにお願いします。誰が間違っているとか、悪いとかいうのではありません。天皇論の進化がテーマなのです。

 結論的にいえば、竹田氏に限らず、伝統主義的立場の天皇論をもう一度、葦津珍彦のレベルにまで戻し、葦津の天皇論を原点として、あらためて学び直すべきだと思います。葦津の天皇論を超えるものを、少なくとも私は知りません。


▽1 「尊さ」から「存在理由」に変わる

 本論に入る前に、1点だけ申し上げます。

 前回、私は、8年前に出版された、八木秀次氏との共著『皇統保守』と、最近、iRONNAに載った竹田氏の論考を比較し、「何も変わっていない」と申し上げましたが、じつは大きく変化している点があります。

 竹田氏は『皇統保守』では、天皇の「尊さ」を問いかけたのでした。「万世一系論を議論することは、『天皇がなぜ尊いのか』という議論に直結する」と述べ、葦津珍彦の天皇論を引いたうえで、「葦津先生は『言葉では説明できない』と断言されるわけです。私もそうだと思うんです」と語っていました。

 これについて、私は、葦津は「なぜ尊いか」と発問していないし、「説明できない」とも言っていない。葦津は「日本の国体」の多面性を指摘し、「抽象的な理論で表現することは至難」と説明している(「国民統合の象徴」)。葦津の天皇論のテーマは「天皇制の存在理由を明らかにしようとするもの」(「天皇制研究とは何か」)だったと批判しました。

 それが、今回、たいへん興味深いことに、竹田氏の論点は「天皇の尊さ」から「男系継承の制度趣旨」に変わり、そのうえで、「人々の経験と英知に基づいて成長してきたものは、その存在理由を言語で説明することはできない」とあらためて言い切っています。

 論点は葦津風の「存在理由」に変わりましたが、「葦津」の名前は消えました。


▽2 「尊さ」と「存在理由」は同義ではない

「葦津」が消えたのはまだしも、「尊さ」が「制度趣旨」「存在理由」に変わったのはなぜでしょうか。

 天皇は「尊い」から「存在」すると竹田氏はお考えなのでしょうか。

 むろん古来、連綿と男系男子によって継承されてきた天皇の存在は「尊い」ものです。けれども、「尊さ」は「存在」の理由でも目的でもないでしょう。

 アメリカ建国時代の、もはや神話化された大統領の事績を「尊い」と感じるアメリカ国民はいるでしょうが、アメリカ大統領は「尊い」から存在すると考える人は少ないと思います。「尊さ」と「存在理由」は同義ではありません。

 同時に、歴史的に長く続いてきたことが「尊い」という感覚は、あくまで現代人の視点に過ぎないように思います。

 天皇という「存在」を編み出した古代人にとっては「尊さ」のほかに「存在理由」があったはずです。「歴史と伝統」への感覚を失いつつある現代人にとっては、むしろその「存在理由」こそが重要なのではありませんか。

 葦津が問いかけた、天皇の「存在理由」とは、現代人にとってのみならず、各時代において、多様なる、それぞれの民にとっての「存在理由」だったはずです。


▽3 神社界を本拠地とした葦津珍彦

 葦津珍彦は福岡・筥崎宮の社家の家系に生まれました。戦前から戦後の、知られざる日本近代史の生き証人でもあります。

 青年期には頭山満や今泉定助などと交わり、中国大陸での日本軍の行動や東條内閣の思想統制政策を痛烈に批判し、大戦末期、朝鮮の独立工作を進めたことも知られています。

 敗戦で日本の宗教伝統が過酷な状況に陥るといち早く察知した葦津は、「神道の社会的防衛者」となることを決意し、戦後の神社本庁創設、紀元節復活、靖国神社国家護持、剣璽御動座復古、元号法制定などに中心的役割を果たしました。

 著書は50冊を超え、一介の野人を貫いて、平成4年春、82歳でこの世を去りました。

 生涯、本拠地とした神社界では「戦後唯一の神道思想家」と呼ばれていますが、いまやその存在と言説を知る人はけっして多くはないと思います。

 かくいう私も、単なる「右翼ジジイ」ぐらいにしか思っていませんでした。知らないというのはじつに恥ずかしいことです。

 膨大な著書は、論理をつないでいる事実がしばしば飛んでいて、読みやすいものではありません。私の葦津研究は、歴史の事実を再確認し、穴埋めするところから始まりました。葦津がいみじくも

「日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だ」

 と述べているように、私は神道学や民俗学のほか、食文化、稲作農業史、比較文化など多岐にわたる著書を読みあさる羽目になりました。しんどいことでした。


▽4 葦津の天皇論を知らない人なら

 竹田氏が「なぜ男系男子でなければならないのか」を問いかけ、そして「理由などどうでもよい」と切り捨てたエッセイは、葦津が仕事場とした神社界でもっともよく知られる神社の一社が開設したサイトに載っています。

 八木氏との共著は、「葦津珍彦に学ぶ」ことが表明され、著書が何度か引用され、「神社界では」という表現も見られます。

 葦津を知らない現代人に葦津の名前を知らしめた点では、竹田氏は間違いなく最大の功労者の1人だろうと思います。

 しかし、すでに指摘したように、葦津とは問題関心も違うし、引用の内容も正確とはいえません。結論も異なります。

 葦津の天皇論を内容的によく知らない人にとっては、正統な保守主義を引き継ぐ葦津の後継者が現れたと大歓迎するかも知れません。

 著名神社のサイトにエッセイが載っているのは、その結果と思われます。

 出版や講演のほか、メディアへの露出も多いのは、ビジネスとしては大成功なのでしょう。喜ばしいかぎりです。


▽5 葦津を知る人ならすぐ分かる

 けれども、葦津とその天皇論を知る人たちは、どう考えるでしょうか。

 竹田氏は「葦津に学ぶ」と表明し、天皇=祭り主論を展開していますが、葦津の天皇論は単なる祭り主論ではありません。竹田氏はある神道学者の学説に依拠し、宮中祭祀=稲の祭りと論じていますが、葦津は違います。

 葦津は稲の祭りともそうでないとも述べた形跡はありません。少なくとも私は読んだことがないのですが、稲の祭り論では葦津が主張する、天皇=「国民統合の象徴」とはなりにくいでしょう。

 天皇の祭祀=稲の祭りでは、稲作民を精神的に統合することはできても、畑作民をも統合する儀礼とはなりにくいでしょう。ローマ教皇の典礼がカトリック信徒を統合し得たとしても、プロテスタントやムスリムたちを精神的に統合し得ないのと同じです。

 稲作民のみならず畑作民をも精神的に統合することが天皇の存在理由であるならば、古代律令に「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と定められたように、天皇は皇祖神のみならず天神地祇に、米と粟を捧げ、祈ることになるのでしょう。

 伊勢神宮の祭りが徹頭徹尾、稲の祭りであるのとは当然、異なるわけです。

 竹田氏の天皇論が葦津の天皇論とは似て非なるものであることは、葦津をよく知る人なら簡単に分かるでしょう。


▽6 心からお願いしたい

 もちろん結論が異なること自体は、批判されるべきことではありません。

 しかし、「学ぶ」というのなら、誤解されかねない「引用」は避けるべきだろうし、何がどう異なるのか、なぜ異なるのか、明らかにされるべきでしょう。

 もし本気で「葦津に学ぶ」とお考えなら、あらためて葦津の研究を読み直し、天皇研究を総合的に深めていただけないでしょうか。心からお願いします。

 葦津が生涯をかけて取り組んだ天皇研究は、神道論、近現代史論、憲法論など、多岐にわたっています。多面的アプローチが必要だと考えていたからでしょう。

 総合研究としての天皇論が求められています。けれども、だとすれば、1人では困難です。1人の人間が短い生涯でできることは限られています。どうしても共同研究が必要なのです。

 差し迫った現実問題として、次の御代替わりを考えるなら、前回のような不都合が繰り返されないためには、一刻も早い取り組みが求められていると思います。

 竹田氏だけでなく、竹田氏が組織する研究会の方々にも、お願いしたいと思います。「葦津に学ぶ」が出発点です。

 必要とあれば、私もご協力を惜しまないつもりです。

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過去の遺物ではなく時代の最先端を行く天皇 ──竹田恒泰氏の天皇論を読む 番外編 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏の天皇論を、八木秀次氏との共著『皇統保守』をテキストに、あえて批判的に読んできました。伝統主義的天皇論の進化を心から願うからです。

 きっかけは、3月の国連女性差別撤廃委員会の勧告騒動でした。女系継承を認めるよう日本の皇室典範の見直しを求めようとした委員会に、保守派が猛反発したのは当然でした。


▽1 起こるべくして起きた

 そもそも天皇とは何をなさるお立場なのでしょうか。

 憲法には首相を任命し、法律を公布し、国会を召集するなど、国事行為をなさることが定められています。熊本地震でもそうですが、被災地にお出かけになり、被災者と親しく交わられ、励まされます。また、諸外国を訪問され、国際親善を深められています。

 これが天皇本来のお務めならば、男子であろうと、女子であろうと何ら支障はないだろうと考えられます。国家制度を安定的に維持するのが目的なら、男系男子に限るより、女系継承を大胆に認めた方が、あくまで論理上ですが、賢い選択であり、幻となった国連委員会勧告の考え方にむしろ従うべきです。

 けれども、伝統主義の立場はそうではありません。そうではないからこそ、見直しは受け入れられないのです。

 いみじくも、全国各地を行幸なさるのは近代の天皇であり、国事行為は戦後憲法上の行為であり、外国御訪問も戦後の天皇です。新しい「象徴」天皇像です。

 古来、続いてきた天皇の重要なお務めはほかにあるということになります。皇位が男系男子で続いてきた理由も、そのお務めと密接不可分なはずです。

 ところが、伝統主義的立場に立つ天皇論からはそのような説明が聞こえてきません。同じ日本人にすら説明されないのに、異文化圏の人たちに理解できるでしょうか。

 今回の騒動は起きるべくして起きたのだと私は考えます。


▽2 「理由はどうでもよい」

 そんなとき知ったのが、今日を代表的する保守主義者の1人と考えられる竹田氏のエッセイでした。ずばり「なぜ男系継承でなくてはならないか」と題される文章は、ある著名神社のサイトに載っています。執筆時期は不明ですが、私は期待を込めて読みました。

 けれども、竹田氏は「もはや理由はどうでもよい」と突き放すだけでした。私の期待は落胆に変わりました。

「歴史と伝統」を理由に、問答無用と切り捨てるなら、意見の対立は解消されません。対立者にも分かるように、論理をもって、丁寧に説明されるべきでしょう。なぜそうしないのでしょうか。

 伝統主義者の考える天皇とはいかなるものなのか、検証する必要があると私は考えました。それで、これまで、竹田氏のエッセイや著書をテキストに、「女性宮家」創設反対論、女系継承否認論、天皇=祭り主論を読み進めてきたわけです。

 そろそろ結論を申し上げるべきところなのですが、そんな矢先、iRONNAに、「『天皇の原理』に難癖をつける国連委の日本差別」と題する竹田氏の記事が載りました〈http://ironna.jp/article/3341?p=1〉。

「難癖」とは穏やかでありませんが、編集者がつけたのでしょうか、説明によると、『正論』5月号掲載の「君は日本を誇れるか~皇室典範に口を挟む国連」に加筆されたものだそうです。

 これまで批判的に読んできた竹田氏の共著『皇統保守』は8年も前の本ですから、もしかしたら新しいことが書いてあるかも知れません。読んでみることにします。


▽3 日本の国体原理そのもの

 竹田氏の論点は、以下のようにまとめられると思います。

(1)皇位継承の原理は日本国の国体原理そのものであり、したがって、国連などにとやかく言われる筋合いはない。

(2)皇位の男系継承が女子差別であるというのはあまりに短絡的な意見である。皇位継承は「権利」ではなくて「義務」である。男系継承の制度趣旨は、一点だけいえば、宮廷から男子を締め出すことである。

(3)天皇そのものが理屈で説明できないように、血統の原理も理屈で説明することはできない。理論以前に存在する事実がある。もはや理由などどうでもよい。

(4)もし男系継承が途切れたら、学問的論争とは全く別の次元で、日本の国を揺るがす大きな問題が生じる。皇位の男系継承は、我が国の基本原理であって、これはいかなる理由によっても決して動かしてはいけない。

(5)女性が天皇になることの問題点を一つ指摘しておくと、天皇と皇后の両方を全うすることは、全く不可能なことである。全う不能な職務を背負わせられるとしたら、それこそ女性天皇は「女性差別」であると言わねばならぬ。

(6)日本から「天皇」を取り払ってしまったら、もはや「日本」ではない。委員会はバチカンやアラブの君主国に「女子が王や法王になれないのは女子差別だ」と勧告したことがあったか。日本だけに勧告するのなら、それは「日本差別」である。

(7)本件は、日本を攻撃する道具として国連が政治的に利用された可能性が高い。告発者である日本のNGOと、日本人委員長、そこに中国人副委員長が力を合わせて皇室典範改定の勧告を作り上げたという背景が見えてくる。

(8)男系継承の原理は簡単に言語で説明できるものではないが、この原理を守ってきた日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実である。歴史的な皇室制度の完成度は高く、その原理を変更するには余程慎重になるべきである。

 つまり、竹田氏がいわんとするのは、男系男子による皇位継承は日本の長い歴史と伝統だという一点につきるでしょう。男系継承の理由は説明されていません。


▽4 大原先生も「歴史と伝統」論

 話は変わりますが、iRONNAには、大原康男國學院大学名誉教授の「あまりにも無知で粗雑! 皇位継承まで口を出す国連委の非常識」も載っています。これも同工異曲の「歴史と伝統」論です〈http://ironna.jp/article/3338〉。

 他人様の文句はあまり言いたくありません。ましてお世話になった先生なら、なおのことですが、3点だけ、失礼ながら、指摘させていただきます。

 1点目はタイトルです。「無知で粗雑」は高尚なる天皇論に相応しいでしょうか。タイトルですから、むろん編集者が付けたのでしょうが、文中にはっきり、

「国連の勧告がいかにわが国の歴史、伝統に無知かつ非常識な代物であるばかりではなく、論の立て方自体が粗雑に過ぎよう」

 と述べられています。これではまるで喧嘩です。私たちが求めているのは、感情的反発を招くような議論ではなくて、冷静かつ客観的な論理でしょう。

 2点目は、

「小泉純一郎内閣において女系導入も辞さない皇室典範改定が拙速に推進されようとしたことがあった」

 という理解です。

 先生は「(小泉)首相の独走」というご理解のようですが、誤りでしょう。政府内で皇室典範改正研究が始まったのは平成8年、小泉内閣成立の5年前だということが知られています。官僚たちは、女系継承容認と「女性宮家」創設の「2つの柱」を一体のものとして進めていたのです。

 だから根が深いのですが、もしかしてご存じないのでしょうか。信じがたい気がします。

 3点目は、結論です。先生は、

「昭和22年にGHQの経済的圧迫によって皇籍の離脱を余儀なくされた方の子孫による皇籍の取得を速やかに講じていただきたい」

 と述べられていますが、これは先生が師と仰いだはずの葦津珍彦とは見解が異なると思います。何がどう違うのか、なぜ違うのか、明らかにされるべきだと思います。


▽5 何も変わっていない

 話を戻します。

 竹田氏は、当メルマガで先に取り上げたエッセイでも、古くから続いてきたものには価値があると主張し、だから

「もはや理由などどうでもよい」

「特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない」

 と訴えました。今度の論考も何も変わっていません。

「深く、複雑な存在理由」を深めようとも、解きほぐそうともせず、日本の「歴史と伝統」を楯にして、「文句を言うのは文句を言う相手が悪い」という論法でしょうか。それでは、理解者は広がらず、かえって敵を世界中に増やすことになりませんか。

 しかも驚くことに、竹田氏はこの論考で、もっとも重要な論点であるはずの天皇=祭り主論にまったく言及していません。

 竹田氏をはじめ、伝統主義者の立場からすれば、天皇=祭り主ですが、言い出せばますます世界から誤解され、火に油を注ぐとでもお考えになったのでしょうか。

 私はむしろ逆だと思います。


▽6 天皇の祭祀を学び直してほしい

 天皇が古来、皇祖神のみならず天神地祇に、米と粟を供えられ、公正かつ無私なる祈りを捧げられてきた、この国民統合の儀礼をなさることこそが男系継承主義と密接につながっているのであり、結果として、竹田氏が指摘する、世界に稀なる、長い「歴史と伝統」が築かれてきたのではないかと思います。

 なぜ男系継承なのか、「どうでもよい」ではなくて、現代的に説明されるべきでしょう。

 おそらくその理由は、「歴史と伝統」という、ともすれば骨董品まがいの、カビ臭い過去の遺物と聞こえるようなものではなくて、逆に、燦然と光り輝く時代の最先端を行くものだろうと私は考えます。

 ただ、残念ながら、竹田氏の宮中祭祀=稲の祭り論からは説明できないでしょう。稲の祭り論では、現代人の感覚では、過去の遺物ととらえられかねません。国連委員会の面々よりも、日本の伝統主義者自身が天皇の祭祀を学び直すことが必要なのでしょう。

 葦津珍彦の天皇=「国民統合の象徴」論を含めて、ぜひそのようにお願いしたいと思います。

 最後に、蛇足ながら一点だけ、付け加えます。

 竹田氏は今回の勧告騒動の背後に、日本のNGOと林陽子委員長、中国人副委員長のトライアングル体制の存在を想像していますが、それだけでしょうか。

 むしろ敵は本能寺にあるのであって、伝統主義的天皇論とは相反する、現行憲法の「象徴」天皇論を金科玉条とし、約20年間も女系継承容認=「女性宮家」創設を陰に陽に進めてきた、日本の政府関係者が加わっているとは想像なさらないのでしょうか。(つづく)

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葦津珍彦の天皇論に何を学んだのか ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その9 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


▽1 祭祀を「天皇の国事行為」に

 竹田恒泰氏と八木秀次氏の共著をテキストに、竹田氏の伝統主義的天皇論をあえて批判しています。竹田氏は「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦に「学ぶ」と仰せですが、むしろ不一致点が目立ちます。

 私の天皇・皇室論は葦津の天皇論を一般に紹介することが出発点でしたから、竹田氏の天皇論は親近感と期待を込めて読み始めました。けれども、読めば読むほど相違点が明らかになり、私は逆に驚きを禁じ得ないでいます。

 竹田氏は葦津に何を「学んだ」のでしょうか。

 第二章で竹田氏は、葦津の天皇論を引用しつつ、祭り主論、政教分離論へと展開させ、最後に憲法改正論を、八木氏とともに論じています。

 竹田氏は、まず天皇は日本の「国家元首」だと論じ、そのあと、宮中祭祀を「天皇の国事行為」に明記すべきだと訴えています。そうすれば、政教分離関連訴訟は「雲散霧消する」というのです。

 これには八木氏も、「憲法典の文言で明記することが重要ですね」と応じ、

「皇室基本法を制定したり、皇室典範を改正したりという法整備では、以後の憲法論議の火種を残す」

「憲法の下位法令でしかない法律レベルで整備しても、法的に解決したことにはなりません」

 と論じています。


▽2 国民を統合する国政上の権能

 けれども、これは天皇=祭り主論を出発点とする葦津の憲法論とは異なります。天皇は稲の祭りを行うというような、単なる祭り主ではないのであり、葦津はもっと根本的な改革を求めているのだと思います。

 それは、欧米の近代国家における「国家元首」と、古来、祭り主である日本の天皇との違いが意識されるからでしょう。

「皇祖の神器を承けて、民安かれ国平らかなれとの精神をもって、ひたすらに祈り、全日本国民に、避けがたい党派の別、利害の対立の壁を越えて、国民の精神を高い一点で統合なさるべき御方である。その祭り主が国家の主席に立たれる」(『天皇─日本人の精神史』)

 いにしえから、祭りをなさることで、国民の精神を統合されるお役目を担ってきたというのが、葦津の天皇論の基本です。

 ところが、日本国憲法は「国民統合の象徴」と定めながら、「国政に関する権能を有しない」と明記している。「日本国民の意思が分裂し、国情が混乱するような事態が生じたとしても、天皇はこれを統合するための働きをなさる権能がない」と葦津は批判しています。

「日本国民の意思の統合を図るための『天皇の国政上』の権能を否定していることは、現行憲法の最も重大なる欠陥といわなければならない」(「天皇・祭祀・憲法」)

 国事行為に「祭祀」を加える程度の憲法改正ではすまされないことになります。


▽3 葦津は「旧皇族の皇籍復帰」を否定

 葦津は、とくに2つのことを主張しています。

 1点は、皇位継承に関してで、「天皇・祭祀・憲法」のなかで、

「皇位継承に関する法は、当然、憲法と同一の重みを持つべきである。その改変には当然に天皇の裁可(同意)を要すべきである」

 と訴えています。

 明治の皇室典範は大日本国憲法と同等の権威がありました。それぞれ宮務法、国務法として区別され、相並立していました。けれども、戦後は日本国憲法に一元化され、八木氏が指摘するように、現行の皇室典範は日本国憲法の下位法に過ぎません。

 国家の基本中の基本である皇位継承が、天皇の意思を無視し、国会議員の多数決で改変し得るのは、「まったく非常識と評するほかはない」と葦津は一刀両断にしています。

 平成の御代になって、政府が有識者会議などを開きながら、皇族方の意見に耳を傾けないやり方も、葦津にいわせれば「非常識」となるでしょう。もともと「皇家の家法」なのですから。

 竹田氏は共著の第一章で「皇位継承者を確保する方法」に言及し、「旧皇族の皇籍復帰など」を提案していますが、一方、葦津は、

「ひとたび皇族の地位を去られしかぎり、これが皇族への復帰を認めないのは、わが皇室の古くからの法である」

「この不文の法は君臣の分義を厳かに守るために、きわめて重要な意義を有するものであって、元皇族の復帰ということはけっして望むべきではないと考えられる」

 と否定し、そのうえで、「皇庶子皇位継承の道」を認めるべきではないか、と問題提起しています(「天皇・神道・憲法」)。


▽4 条文を変える憲法改正ではなく

 2点目は、天皇の祭祀です。

 竹田氏は祭祀を「憲法の国事行為に」というお考えですが、明治憲法にも祭祀の規定はありませんでした。祭祀について明文化していたのは宮務法たる旧皇室典範で、

「第10条 天皇、崩ずるときは皇嗣すなはち践祚し、祖宗の神器を承く」

「第11条 即位の礼および大嘗祭は京都において、これを行ふ」

 との条文がありました。

 ところが、戦後の皇室典範には神器渡御や大嘗祭の定めがありません。

 葦津は由緒正しい祭儀が皇室典範から消えたのはなぜかと批判し、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法第20条)とする政教分離規定に言及したうえで、

「現行憲法の解釈としても、天皇のかような祭儀が、宗教的活動として禁ぜられるべきものとは思わない。それは、宗教的儀式と称せられるべきものではないし、いわんや宗教的活動ではないと思う」

「とにかく論議の起こる余地のないように、天皇が天皇としての御祭りの御執行が滞りなくできるように、ぜひ憲法の姿を正していただきたいと思う」

 と主張しています(「天皇・祭祀・憲法」)。

 実際、平成の御代替わりでは、政教分離がらみのさまざまな不都合が生じました。

 憲法の条文を変えるというような憲法改正ではなくて、典憲体制の大枠を変える必要があるというのが葦津の考えなのだと思います。

 それは、天皇の祭り=稲の祭りと考える竹田氏の天皇論と国民統合の儀礼と考える葦津の天皇論の違いなのでしょう。


▽5 「国事行為」とされた御結婚の儀

 蛇足ながら付け加えますが、昭和34年4月、賢所大前で今上天皇(当時は皇太子)の御結婚の儀が行われました。政府はこれを「国の儀式」(天皇の国事行為)としました。

「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定する現行憲法下において、宮中三殿で行われる皇室の祭祀が「国事行為」として行われたのは、画期的です。当時の総理大臣が昭和天皇に上奏し、裁可を得たことが示される公文書も残されています。

 けれども、皇太子の御成婚の儀が「国の儀式」として行われたのに、皇位継承の諸儀式でもっとも重要な大嘗祭が「国の行事」としては行われず、「皇室行事」とされたのは、いかにも矛盾しています。

 なぜそうなったのか、が解明されなければ、何をどう変えるべきか、は見えてこないのではないでしょうか。

 竹田氏が主張するような、憲法を書き換え、宮中祭祀を「天皇の国事行為」に、という議論ではとうてい済みそうにありません。

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竹田氏の前提こそ政教分離問題の原因ではないか ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その8 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 八木秀次との共著は、第二章で、うれしいことに、私が明らかにした昭和の宮中祭祀簡略化の経緯について、八木氏が紹介したあと、竹田氏が、

「やはり、大きな流れとして、憲法の政教分離規定を楯にとった話の展開があるんでしょうか」

 と問いかけ、宮中祭祀と政教分離との関係をテーマに、対談が展開されています。そして、またも葦津珍彦の天皇=祭り主論が引き合いに出されています。


▽1 政教分離の厳格主義を批判

 竹田氏は天皇の祭りと政教分離との関係について、次のように語り、厳格主義を批判しています。

「いわゆる政教分離は、皇室には、まったく当てはまらないものだと思います」

「そもそも国家が宗教行為を行うこと自体は、欧米で言う政教分離に何ら反しない。
 現在、宮中祭祀にかかる経費は、宮内庁の予算のなかで『内廷費』と言われる、天皇の私的な経費として割り当てられた費目から支出されています。だから公費ではない、私的な、御手元金で払われているとの解釈です」

「このように政教分離を曲解して過度に厳格に解釈し、運用すると、宮中祭祀のあり方そのものを歪めることになります」

「毎朝の御代拝もそうです。天皇陛下に代わって侍従職、もしくは侍従長が宮中三殿に毎朝行くのですが、以前は、束帯姿で宮中三殿に侍従職が参拝していました。ところが、最大野党だった旧日本社会党から『それは政教分離規定違反ではないか』という質問であったんです。
 侍従職は国家公務員である、公務員が束帯をまとって宗教儀式に参加するとは何事だ、という趣旨の質問があり、それを受けて以後、洋装で毎朝、御代拝をするようになってしまったのです。政教分離の理屈で、宮中祭祀のかたちが変更されてしまったというわけです」

「本来なら、天皇の国事行為を定めた日本国憲法第7条に『祭祀を行う』と具体的に明記すべきです。今からでも、そう改正すれば、ねじれた政教分離解釈がまかり通っても、憲法に記された例外になります」


▽2 厳格主義というより二重基準

 こうしてお二方の話題は憲法改正問題に発展し、竹田氏は

「宮中祭祀は元々、政教分離原則が発生する以前からのかたちです。教会権力と国家とのつながりを分断するというのが政教分離の趣旨です。ですから、宮中祭祀とは本来、無関係な原則のはずです」

 と述べたうえで、次のように葦津を引用しています。

「この点では、必ずしも一部保守派のように、ヨーロッパの王を指し示す『プリースト・キング(祭祀王)』という言葉で、天皇のあり方を説明する必要はないと思います。『祭り主である』という葦津珍彦先生の言葉で必要十分です。敢えて英語に翻訳して説明する必要などありません」(P.136)

 もともと政教分離原則は、キリスト教世界で生まれたもので、日本の天皇の祭りとは本来、関係がないというのが批判の趣旨のようですが、私には正直、いまひとつ理解ができません。

 何点か、簡単に指摘したいと思います。

 まず憲法の政教分離原則ですが、第20条第3項には

「国はいかなる宗教的活動も行ってはならない」

 とあります。竹田氏のいう「宗教行為」ではなくて「宗教的活動」です。校閲・校正ミスでしょうか。

 竹田氏は政教分離規定の厳格主義的解釈・運用をきびしく批判しておられるのですが、宮中祭祀との関連でいえば、厳格主義もさることながら、むしろ宮中祭祀や神社には厳しく、他宗教には緩やかにという二重基準に問題があるのではないでしょうか。

 なぜそうなったのか、を歴史的に考察し、深める必要があると思います。克服すべきテーマとして、いわゆる国家神道問題があると思うのですが、共著では触れられていないようです。


▽3 社会党議員の圧力か

 もっと気になったのは、毎朝御代拝の変更です。

 京都時代には天皇の毎朝御拝が行われていました。9世紀末、宇多天皇のころには行われていたようです。明治になって、側近の侍従に、潔斎のうえ、烏帽子・浄衣に身を正し、宮中三殿に遣わして、拝礼させる毎朝御代拝に変わったのです。

 それがこんどはモーニング・コートを着用し、宮中三殿内ではなくて、庭上のはるか遠くから拝礼する形式に変わりました。昭和50年8月15日、宮内庁長官室での会議で決定され、9月1日以降、そのように行われるようになったようです。

 それは職員の証言や側近の日記などから分かりますが、宮内庁の公式な説明はとくにありません。

 なぜ変更されたのか、竹田氏は、社会党議員の圧力と説明しています。国会の委員会で取り上げられたというのです。そうでしょうか。

 国会議事録によれば、宇佐美毅・宮内庁長官は同年1月から8月まで、参院予算委員会と内閣委員会で計3回、答弁しています。富田朝彦次長の場合は、内閣委員会などで5回、答弁しています。

 宇佐美長官の答弁は、外国御訪問がテーマでした。富田次長も毎朝御代拝について答弁してはいません。少なくともこの間の国会議事録に、毎朝御代拝と政教分離原則に関する質疑応答が、社会党議員と宇佐美長官、富田次長との間で行われた形跡は見当たりません。

 竹田氏が論拠とする国会質疑はどこにあるんでしょうか。


▽4 法的根拠となった依命通牒

 ただ、同年3月18日の衆院内閣委員会で、皇室経済法施行法の一部改正に関連して、上原康介議員(社会党)の質問に対して、富田次長が「(御手元金である)内廷費と(公的活動に必要な)宮廷費は完全に区分して厳密に経理されている」と答弁しています。

 けれども、これも祭祀に関わる質疑答弁ではありませんし、数か月後に決定される祭祀変更の直接的な理由とすることはできないと思います。

 重要なことは、当メルマガの読者ならご承知のように、天皇の祭りが旧皇室祭祀令を法的根拠としていることです。

 敗戦後、天皇の祭りは「皇室の私事」とされました。「私事」なら占領軍は干渉することはありませんでした。日本政府は、当面は「私事」でしのぎ、いずれきちんとした法整備を図る、という方針でしたが、実現されませんでした。

 昭和22年5月の日本国憲法施行に伴い、皇室令はすべて廃止されましたが、「従前の規定が廃止となり、新らしい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」とする宮内府官房文書課長の依命通牒第3項を新たな根拠として、天皇の祭祀は片山哲を首班とする社会党内閣時代も行われ続けたのです。

 平成3年4月の参院内閣委員会で、宮尾盤次長は「(依命通牒は)現在まで廃止の手続はとっていない」と答弁しています。とすれば、いかなる法的根拠に基づき、毎朝御代拝は改変されたのでしょうか。やはり竹田氏がいうように、社会党の圧力でしょうか。


▽5 国民統合の国家的儀礼なら

 最後にもう1点、竹田氏は、葦津の天皇=祭り主論を引いていますが、葦津の天皇論では天皇は「国民統合の象徴」なのです。

 竹田氏の場合は、天皇の祭りは米の新穀を皇祖天照大神に捧げる稲作儀礼という見方でしょうが、すでに書いたように、葦津は異なります。

 竹田氏だけではなく、政府・宮内庁も、大嘗祭・新嘗祭は稲作社会の収穫儀礼との解釈ですが、そうではなくて、日本社会の多面性、多様性を前提として、皇祖神ほか、民が信じる天神地祇すべてに、それぞれの捧げ物を行い、民の平安と社会の安定を、古来、一貫して祈り続けてきたのが天皇の祭りだとしたらどうでしょうか。

 それでも「皇室の私事」でなければ、国民の信教の自由を侵すと厳格主義的解釈・運用が必要でしょうか。それに対する反論が求められるのでしょうか。

 バチカンはすでに戦前において、異教儀礼に由来するとしても、皇室や国家の恩人に対する尊敬の印であって、宗教的儀式から社会的な意味に変わっている儀式に参加することは、唯一神信仰に反せず、許されるという趣旨の指針を示しています。

 カトリック信徒の首相が現れても、祭祀に参列することは可能だということになります。バチカンは17世紀において、中国で布教する宣教師らが儒教儀礼に参加することを認めています。

 天皇の祭りはまさに、特定の信仰に基づく宗教儀式ではなくて、国民統合のための国家的儀礼です。政教分離の厳格主義の立場をとったとしても、抵触しないと解釈すべきでしょう。

 実際、聞くところによれば、宮中祭祀にはカトリック信徒の女性が内掌典として奉仕しているようです。さもありなん、ではありませんか。

 天皇の祭り=稲の祭りとする竹田氏の議論の前提こそ、むしろ政教分離問題の原因であり、障害なのではありませんか。皇祖神ほか天神地祇がまつられ、米と粟が捧げられることに注目していただけないでしょうか。(つづく)

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葦津天皇論を進化させてほしい ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その7 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 引き続き、竹田恒泰氏の天皇論を批判します。

 くどいようですが、目的は伝統主義的な天皇論を鍛え直すことです。個人攻撃ではありません。むしろ私は、竹田氏とともに、伝統主義的立場から、天皇のあり方についてあらためて考え、理論を深めたいのです。誤解のないようお願いします。

 竹田氏であれ、誰であれ、個人がどのような天皇観を持とうとも自由です。個人レベルの自由で、多様な天皇観について、批判し、否定するつもりはありません。そうではなくて、皇室本来の天皇観、日本古来の制度としての天皇とはいかなるものか、を探求したいのです。


▽1 葦津の引用にクセがある

 竹田氏は、八木氏との対談をまとめた共著で、何度も葦津珍彦を引用しています。しかしその引用には、すでに申しましたように、独特のクセがありそうです。

 第二章では、天皇=祭り主論を展開するなかで、葦津の天皇論を引用しましたが、そのあとこんどは大嘗祭について解説するくだりで、「『大嘗祭』については……明確な見解は定まっていません」と述べたうえで、ふたたび同じ文章を引用しています。

 すなわち、「皇祖神に近づき相通じ、精神的に一体化する」を引き、大嘗祭の前と後では「宗教的に、もしくは霊的に、何かが違うはずです。大嘗祭を済ませていない天皇と、大嘗祭を済ませた天皇は、絶対に何かが違うはずです」と述べています(P.122)。

 折口信夫が「天皇霊という考えを提唱し、大嘗祭は天皇が神になる儀式であるという趣旨のことを書いて」いるけれども、「宮内庁は折口説を否定」し、「『政教分離』規定との関係」から、「天皇が新穀を最初に神に捧げる儀式であって、それ以上でもなければ、それ以下でもない──という説明をして、国の予算を取って大嘗祭を行ったという経緯がある」との解説を加え、しかし「大嘗祭は、そんな簡単な祭祀ではない」。竹田氏はそのように主張し、葦津の「皇祖神に近づき……」を引用しているわけです。

 つまり、竹田氏は、大嘗祭に何らかの宗教的な意義を見いだしたいということなのでしょう。

 しかし、天皇の祭りは一般的な意味での宗教儀礼なのでしょうか。


▽2 大嘗祭について解説していない

 竹田氏が引用した一節は、前回、述べたように、「神聖をもとめる心」が典拠です。

 けれども、葦津はここで、天皇=祭り主論を説明しているというより、天皇が祭り主であるということが日本人の神聖感の共通の根源であり、天皇の祭祀大権をまったく無視した現行憲法は改められるべきだと憲法改正論を展開したのです。

 ましてや、葦津は大嘗祭について解説しているわけではありません。

 葦津はこの文章で、天皇は「皇祖神に対する祭り主」と表現しています。

 古典には、皇祖天照大神が天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に三種の神器を授けられ、このうち八咫鏡(やたのかがみ)について、「吾が児(みこ)、此の宝鏡を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし」と語られたとあり、古来、賢所に神鏡が祀られ、日々、祭祀が行われてきたのでした。

 しかし実際のところ、天皇の祭りは皇祖神にのみに捧げられるわけではありません。古代律令に「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」とあることは何度も申し上げてきました。

 宮中三殿は、皇祖神を祀る賢所、歴代天皇・皇族の御霊(みたま)を祀る皇霊殿、天神地祇を祀る神殿の総称であり、天皇の祈りは賢所のみに捧げられるのではありません。

 葦津の文章は、祭祀学や宗教学を展開しているわけではありません。大嘗祭や新嘗祭の実態を説明したいのなら、少なくともこの文章を取り上げるべきではないと思います。


▽3 祭祀学でも宗教学でもない

 葦津には、たとえば「天皇・祭祀・憲法」という文章があります。天皇の祭りについてこう説明しています。

「天皇の皇室における祭儀は……おおむね皇祖および歴代の皇宗に対する御祭である。それは天皇が、日本国の建国の祖およびその後継者たる歴代の祖に対して、その精神の現代における継承者として行わせられるものである。あるいは、日本国の歴世の功労者たちを追念して行わせられるものである。国民は、この天皇の祭儀によって、建国の精神を回想し、あるいは光輝ある国史の印象を新たにする。それは日本国天皇が、国家の精神的基礎を固め成し、国民の精神を統合して行かせられるためにも貴重な御つとめなのである」

 ここでは天皇の祭祀が皇祖皇宗、天神地祇に対するものであることが正しく説明されています。しかし、祭儀の詳細を解説しているわけではありません。この文章もまた憲法論なのであって、宮中祭祀論ではありません。

 じつをいえば、少なくとも私は、葦津が大嘗祭など天皇の祭祀について、具体的にくわしく論じた記事を読んだことがありません。

 葦津の「天皇制研究」は「天皇制の存在理由を明らかにしようとするもの」であって、祭祀学でも宗教学でもないからでしょうか。祭祀学や宗教学などを動員して、宮中祭祀の本質を追究することは、むしろ私たちに委ねられているのでしょう。

 竹田氏は「(大嘗祭について)明確な見解は定まっていない」と述べていますが、ご自身で探求すべきではないでしょうか。葦津の引用で済ませるのではなくて、葦津の天皇論を基礎に進化させるべきではないでしょうか。


▽4 多様なる国民の天皇意識

 葦津は、「国民統合の象徴」と題する雑誌論文で、未曾有の敗戦でも揺るがなかった日本国民の根強い天皇意識に注目し、次のように説明しています。

「日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現するということは、至難だと思われる」

「(国民の天皇)意識を道徳的とか宗教的とか政治的とかいって割り切れるものではない。そこには多分さまざまの多彩なものが潜在する。とにかく絶大なる国民大衆の関心をひきつける心理的な力である。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」

「この根強い国体意識は、いかにして形成されたか、それは、単に日本の政治が生んだものでもなく、宗教道徳が生んだものでもなく、文学芸術が生んだものでもない。それらすべての中に複雑な根を持っている。その日本人の心理の具体的な事実を見ることなくして、 “君主制批判”というような抽象理論をもって、天皇制の将来を予想するなどとは愚かである」

 竹田氏は共著のなかで「天皇はなぜ尊いか」と問いかけていますが、葦津によれば、天皇は「尊い」と考える国民の天皇意識は一様ではないのであって、そのルーツも多様であり、それらを具体的に考える必要があると述べています。

 だとすると、天皇が祭り主であるということと、国民がそれぞれ多面的で多様な天皇意識を持つこと、そして天皇が国民統合の象徴であることとは、どのような関係にあるのでしょうか。


▽5 時代の要請に応えるために

 残念ながら、葦津はそれ以上のことは説明していません。葦津の文章は、あくまで戦後の天皇制否定論への反論だからでしょう。君主制より共和制が優れているというような抽象論に対抗することが葦津の時代の要請だったのです。

 けれども現代は違います。

 いみじくも竹田氏の共著の第二章が原武史氏の宮中祭祀廃止論への反論だったように、いま伝統主義的天皇論が対抗しなければならないのは、あからさまな天皇制否定論ではありません。

 天皇=祭り主とする皇室の伝統を否定し、現行憲法に合わせた、非宗教的な「象徴」天皇制へと改変する試みが目の前で進行していることに、どう対抗するのか、それが問われているのではないでしょうか。

 宮中祭祀廃止論しかり、女系継承容認=「女性宮家」創設論しかりです。

 竹田氏の天皇=祭り主論は、皇祖神に米を捧げて祈る天皇の祭りは古来の宗教的伝統である。政教分離には抵触しない、というような論理かと思いますが、宗教的伝統の価値を見失っているような現代の日本人に通用するでしょうか。

 皇祖神のみならず天神地祇すべてをまつって祈る、天皇の宗教的伝統のあり方をもっと掘り下げ、その意味を見つめ直すべきではないでしょうか。


▽6 なぜ粟なのか

 天皇の祭りが稲作信仰ならば、皇祖神をまつる賢所に米の新穀を捧げれば十分です。けれども、天皇の祭りはそうではありません。

 皇室第一の重儀である新嘗祭は、米と粟の祭りです。

 天皇の社である伊勢神宮とは異なり、天皇がみずからなさる宮中祭祀ではなぜ米のみならず、粟が捧げられるのか。むろん稲作信仰ではないでしょう。粟を神聖な作物と考える畑作民の存在を意識していることは間違いないと思います。

 竹田氏は「日本は米の国ですから」と述べていますが、単純すぎます。

 記紀神話には水田稲作文化ではなくて、焼畑農耕文化と考えられる、天孫降臨神話とはルーツの異なる、もうひとつの稲作起源神話が記録されています。日本列島は米作適地とはいいがたく、国民の需要を十分に満たすほど米が生産されるようになったのはつい最近のことです。米作民族とか米食民族とか、簡単にいうべきではないでしょう。

 日本列島には古来、畑作民もいれば、水田農耕民もいます。竹田氏は共著のなかで何度か「神道界」に言及されていますが、古い神社には、稲ではなくて芋を主饌とするところもあるし、なかにはイノシシを捧げる神社もあります。近代的発想で、文化的に一様な国民が古来、日本列島に暮らしてきたと考えるべきではないと思います。

 信仰も衣食住も、多様な民がいて、その存在を前提とし、皇祖神の神意を重んじて、民の幸せと社会の安定を祈るなら、民が信じるすべての神に、それぞれの捧げ物をして祈らなければならない、と古人が考えたとしても不思議ではありません。

 民の側から見れば、自分たちの神に祈られる天皇は信仰の中心となり、それゆえ天神地祇に祈る天皇は国民統合の中心となるのでしょう。

 敵を武力でねじ伏せて天下を取る覇王にも、熾烈な選挙戦で敵を作らなければならない民主国家の権力者にも、及ばぬところです。

 在来の神々だけではありません。あまつさえ天皇は仏教の外護者となり、近代になるとキリスト教の社会的事業を物心ともに支えられました。

 ローマ教皇ならキリスト教の神に祈ります。唯一神以外への祈りはあり得ません。教皇は世界のカトリック教徒の中心ではあっても、他宗教を含む人類統合の中心とはなり得ません。一神教の限界です。

 皇祖神のみならず、天神地祇をまつり、祈る天皇のみが国民統合の象徴となり得るのではないでしょうか。天皇の祭りは稲作儀礼ではありません。(つづく)

葦津珍彦の天皇=祭り主論と違う!? ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その6 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏は、八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』で、「葦津珍彦に学ぶ」ことを表明し、葦津の著書を何度か引用しています。

「第一章 マスコミの皇室報道を検証する」では1回、「第二章 宮中祭祀こそ皇室の存在意義」では3回、計4回、葦津の名前が登場します。

 けれども、その引用は適切なのかどうか、正直なところ、疑わしいように私は感じます。


▽1 「なぜ尊いか」ではない

 まず第一章では、八木氏が主唱された、いわゆるY染色体論について、お二方の会話があり、「なぜ、天皇は尊いのか──葦津珍彦に学ぶ」という見出しのあと、竹田氏はこう語っています。

「Y染色体論、もしくは万世一系論を議論することは、『天皇がなぜ尊いのか』という議論に直結するわけです。この点では、やはり、戦後の神道界に絶大な影響を与えた思想学者・葦津珍彦先生の理解が妥当と考えています。

 葦津先生は理論的に神道を説明するタイプの学者でしたが、『なぜ天皇は尊いか』というところに関しては、『言葉では説明できない』と断言されるわけです。私もそうだと思うんです」(P.44-45)

 つまり、竹田氏は、初代神武天皇以来、皇位が世界に類例がないほど長く、男系男子のみで継承されてきた歴史を見定め、その価値の重さを認め、その理由を「天皇の尊さ」にあると考え、そのうえで葦津の天皇論を論拠として、「尊さ」は「説明できない」と述べているわけです。

 けれども、葦津の天皇論は、目的も着眼点も、竹田氏とは違うのではないでしょうか。葦津の天皇研究は、「尊い」理由ではなくて、「存在理由」を究明しようとしたのです。


▽2 存在理由を究明する

 葦津はずばり「天皇制研究とは何か」でこう書いています。

「天皇制の研究ということは、天皇制の存在理由を明らかにしようとするものである。日本国の国家制度の上に、天皇の存在の有無がいかなる意味を存するかを究明しようとする制度論である。……著者のいうところの『天皇制研究』は、制度論の上で、天皇制否定理論と対決することを第一の課題とするものである」

 また、プラトンの対話篇風に表現された『天皇──日本人の精神史』では、「この憲法のもとで生まれ育ってきた新世代の国民には、なにゆえに、天皇が存在せねばならないか、という存在理由が分からなくなってくる。その存在理由が明らかでないものは存在する必要がない、という論が起こってきても当然ではあるまいか」と「客人」にたださせ、それに対して「主人」にこう答えさせています。

「この社会に存在するものでも、自然発生的に現れてきたものの存在理由は、なかなか分からない。それは一つの特定理論があってはじめて存在するのではない。理論よりも前に、まず存在する事実がある」

 竹田氏の問題関心は天皇の「尊さ」ですが、葦津はもとよりそうではありません。天皇の「存在理由」について、「説明できない」ではなくて、「なかなか分からない」と述べているのです。けれども、天皇制否定論と対抗するには、どうしても究明しなければならない。葦津の精力的で、膨大な天皇制研究はそこから始まったのです。


▽3 天皇ではなく国民の天皇意識

 天皇は「尊い」から存在してきたというような発想も、葦津にはなかったかも知れません。

 葦津は「国民統合の象徴」という雑誌記事のなかで、20世紀史上、敗戦国の王朝は必ず廃滅すると信じられたなかで、唯一、「日本の天皇制は、その力強い力を立証した」。その理由は何かと問い、戦後の対日政策に関わったライシャワーの著書を引き、「日本国民の天皇意識」にあることを指摘しています。

 葦津の記事では、ライシャワーの文章が次のように要約されています。

「われわれは共和革命への扉を開いておいたが何も起こらなかった。共産党だけが君主制の廃止を支持したが、非常に不人気だった。皇位廃止を強行すれば、大多数の日本人の決然たる反対が起こったであろう。われわれは天皇への忠誠という強い感情的な向かい風に抗して進むことになったであろう。われわれは方針を変更して進んだ。

 日本の歴史は、天皇制の危機は、天皇の行為にあるのではなく、天皇に対する臣民の態度にあったことを示している。この臣民の態度は外国の命令によって天皇と皇族とを取り除いても変わらないだろう。……」(『合衆国と日本』。邦訳は『太平洋の彼岸』)

 竹田氏の天皇論は天皇に光を当てようとしていますが、葦津はそうではなくて、国民の心理に目を向けています。それなら強固な天皇意識はどのようにして生まれ育ったのでしょうか。それは天皇=祭り主論とどう関わるのでしょうか。


▽4 「天皇の本質は祭り主」

 竹田氏の共著の第二章では、天皇=祭り主論の説明のなかで、葦津の天皇論が取り上げられています。

「葦津珍彦先生が『天皇の本質は祭り主である』と言っています。この考え方は、現在の神道界で標準的な考え方になっています。これに反対する神主は一人もいません。その葦津先生の著書には、こう書いてあります。天皇のことについてですが、『神に接近し、皇祖神の真意(ママ。葦津の原文では「神意」)に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力をなさっている』と。この考え方が神道界の基本的な考え方です。
 この『神に接近し、皇祖神の真意(ママ)に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力をなさっている』。これは大変重たいことです。
 神に接近するというのは、つまり、宮中の祭祀を行うということです。それも、ただ単に、接近するだけではダメなんです。『皇祖神の真意(ママ)に相通じ』なければならない。それだけでも大変なのに、『相通じた』だけではダメなんです。『精神的に皇祖神と一体たるべく』でなければならない。しかも一度だけでは足りず、『日常不断の努力をなさっている』。つまり、毎日欠かさず、です。要するに、天皇でなくなるまで、つまり崩御の日まで連続する──これが天皇の本質なんです」(P.111-112)

 第二章は原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判することがテーマです。原氏は、天皇の祭りは農耕儀礼である。現代はもはや農耕社会ではないのだから、廃止を検討すべきだと提案したのですが、天皇の本質が祭り主にあるとすれば、祭祀をなさらない天皇はもはや天皇とはいえず、危機以外の何ものでもありません。

 竹田氏は、反論の中心に、敗戦という未曾有の危機の時代に「神道の社会的防衛者」を自任し、戦後の神社界をリードしてきた葦津の天皇論を置いたのです。


▽5 神聖をもとめる心

 竹田氏が引用した一節は、「神聖をもとめる心─祭祀と統治の間」と題された文章のなかにあります(やっと見つけました)。

 この論考は日本国憲法批判です。「世界の憲法にはまったく例のない特殊な法思想の上に立っている条文が多い」と批判し、「祖国への神聖感、忠誠をまったく否定しているのも、そのいちじるしい例である」として、「日本天皇の神聖感について語り、天皇の神聖ということが日本人にとっていかなる意味を有するか、ということの一端を解明」しようとしたのです。

「日本では、遠く悠久の古代から祓いが行われ、祭りが行われて、民族の中にこの『神聖をもとめる心』が保たれてきた。村々では、人々の罪穢れを祓い浄めて、人々が神々の恵みのもとに仕事にはげみ、豊かな経済をいとなみ、穏やかで安らかな共同生活が保たれることが祈られた。それは村ばかりでなく、地方の国々においても行われたし、そのすべてを統合しては、天下の祭りとして行われた。ここで天下といったのは、近江とか、摂津、河内などという一国ではなく、日本国土すべてというほどの意味であって、その祭り主こそが天皇である」

 そして「(祭りを第一のおつとめとする)天皇の存在が、日本人の神聖をもとめる心を保ってきた」と述べ、竹田氏が引用した文が続き、「天皇が祭りをなさり、全国津々浦々の神社における祭りが行われることによって、日本人の神聖をもとめる心が保たれてきた」のである。神聖感が抹殺された政治状況から日本を救い出すために、天皇の祭祀大権をまったく無視した現行憲法は改められるべきだと説いたのです。


▽6 適切な引用文はほかにある

 竹田氏の引用では、この文章があたかも、葦津が天皇=「祭り主」論を解説したものであるかのように読めますが、そうではありません。「祭り主」論なら、前に申しましたように、もっと適切なものがほかにあると思います。

 葦津はこの文章で、帝国憲法には「天皇の神聖」が定められていた。北欧諸国の憲法には「国王の神聖」が明記されている。しかし日本国憲法には、国の象徴たる天皇の神聖が記されないのは「異例変速である」。ヨーロッパの国王はプロテスタントの防衛者としての任務があるが、天皇は「一教会の信仰防衛者」ではなくて、「皇祖神に対する祭り主」だとして、憲法論を構築しようとしたのです。

 竹田氏の引用文の直後、葦津の文章は「(天皇は)祭神なのではなくして祭り主なのである」と続きます。人間ゆえに神に祈り、皇祖神と相通じて、神意を表現されるお方となり、臣民にとっては目に見える神=現御神となる。天皇は神聖であり、神聖の根源である。けれども、みずから「無謬の神」とは思っておられない、と補足しているのは重要でしょう。

 竹田氏は三島由紀夫の天皇論にも言及していますが、葦津は「(祭祀大権確立を主張した三島が)神聖即絶対無謬説を断定しているのは……無理なるを免れないものがあろう」と批判しています。

 さて、長くなりましたので、今回はこの辺で終わりますが、最後に指摘したいのは、祭祀大権の確立を訴える、この葦津の文章では、天皇は「皇祖神に対する祭り主」とされ、竹田氏と同様、「天神地祇」には触れられていないことです。「米と粟」もありません。そのことについては、あらためて考えたいと思います。(つづく)

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「米と粟の祭り」を学問的に深めてほしい ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その5 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏の天皇論批判を続けます。

 これまで、天皇の祭祀は皇祖神だけを祀るのではないこと、「稲の祭り」ではないこと、つまり宮中祭祀に関する事実認識に誤りがないか、などと指摘してきたつもりです。

 今回はもう少し大嘗祭=「稲の祭り」説にこだわってみます。


▽1 なぜ鎌田氏を引用するのか

 竹田氏は共著のなかで、大嘗祭が「稲の祭り」であることを説明するのに、鎌田純一氏(神道祭祀)を引用しています。

「鎌田純一先生がおっしゃるのは、天皇が最初に新穀を神に捧げるお祀りであり、これが本義であると、ご説明されています」

 新穀=米、神=天照大神とする理解は誤っているとすでに申しましたが、竹田氏が鎌田氏を引用する理由は何でしょう。鎌田氏は平成の御代替わり行事に深く関与した人物ですが、功労者だとお考えなのでしょうか。私はむしろ疑いをいだいています。

 鎌田氏は、神道系大学で30年近く教鞭を執られたあと、平成の御代替わり時に宮内庁掌典職掌典となり、即位礼・大嘗祭に奉仕されました。

 専門は神社祭祀だったそうで、必ずしも宮中祭祀が専門ではありません。重なる部分は多いでしょうが、両者は似て非なるものだと思います。

 最大の違いは、神社の場合は氏子崇敬者の祈願が神職を「仲執持(なかとりもち)」として、それぞれの神に捧げられますが、宮中では天皇の祭りが天皇ご自身によって、皇祖神ほか天神地祇に対して執行されることでしょうか。

 鎌田氏は『皇室の祭祀』という著書もあるようですが、もともと神社神道の専門家なるがゆえに、もしかして神社祭祀と宮中祭祀の違いが十分に理解されていなかったのでしょうか。いや、そんなことがあるんでしょうか。

 ともかく、大嘗祭=「稲の祭り」説を唱えられ、正確さに欠ける学説が政府・宮内庁内に浸透するというさらなる不幸な結果を招いた、というのは恐らく確かなことなのでしょう。返す返すも悔やまれます。

 今日は憲法記念日ですが、大嘗祭が稲作信仰に基づく宗教儀礼なら、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法に抵触しかねません。「国の儀式として行うことは困難」と政府が判断せざるを得なくなったのは道理です。

 尊皇精神がひときわ深いはずの神道学者による不確かな学説に基づいて、皇室伝統の祭祀が「国の行事」から排除されたのだとしたら、じつに不幸です。


▽2 稲作社会に伝わる収穫儀礼

 政府・宮内庁は大嘗祭=「稲の祭り」説に凝り固まっているようです。

 振り返れば、今上陛下の皇位継承後、政府および宮内庁は段階的に委員会を設置し、参考人の意見なども参考にしつつ、御代替わりの諸儀礼について検討しました。最大の問題は大嘗祭であり、政教分離でした。

「きわめて宗教色が強いので、大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題に」(石原信雄『官邸2668日』)なったのです。

 そして、(1)即位の礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀は国事行為として行われる。(2)大嘗祭については、国事行為として行うことは困難であり、皇室の行事として行われる。(3)その場合、大嘗祭は公的性格があり、費用は宮廷費から支出することが相当と考える、という検討結果がまとめられ、政府は了解したのです。

 御代替わり行事のうちでもっとも重要な大嘗祭が「国の行事」として行えないのは、昭和34年に賢所大前で挙行された今上陛下(当時は皇太子)の「結婚の儀」が「国の行事」とされたことと比較すれば、矛盾以外の何ものでもないでしょう。

 矛盾が生じた原因は、大嘗祭=「稲の祭り」説にあったと考えられます。

「大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、はじめて、大嘗祭において、新穀を皇祖および天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖および天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、かならず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世一度の重要な儀式である」(内閣官房『平成即位の礼記録』平成3年)

 大嘗祭が稲作儀礼である、稲作信仰であるという理解は政府のみならず、宮内庁も同様でした。宮内庁編集『平成大礼記録』(平成6年)にも瓜二つの記述があります。


▽3 「米と粟」に言及している

 そして竹田氏の引用元と目される鎌田氏の『平成大礼要話』(平成15年)も同様です。

 鎌田氏は「大嘗祭とはいかなる儀か」と問い、次のように説明しています。

「大嘗祭とは、天皇陛下が即位のあと、その年に収穫された新穀を皇祖天照大神および天神地祇(あまつかみくにつかみ)にお供えになり、また御親ら(おんみずから)召し上がる儀式のことであり、その意義は、天皇陛下が大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣などを皇祖天照大神および天神地祇に感謝し、また祈念されるところにある。
 この大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであるとともに、皇室に長く継承されてきた極めて重要な皇位継承儀礼である」

 政府・宮内庁の解説と表現がきわめてよく似ているのは、むしろオリジナルが鎌田氏にあることを推測させます。

 鎌田氏は竹田氏とは異なり、「天照大神および天神地祇にお供えに」と正確に説明していますが、「新穀」とするばかりで「米と粟」との記述はありません。けれども「稲作農業」というからには新穀=米なのでしょう。粟の存在は否定されています。

 鎌田氏は著書のなかで、御代替わり当時、かつて折口信夫が説いた「真床襲衾(まどこおぶすま)論」まがいの「多くの妄説が乱立」したことについて、田中初男の研究書『践祚大嘗祭』を読みもしないと批判し、さらに『常陸国風土記』に「新嘗」が記録されていることを指摘して、「稲の祭り」説を補強しています。

 なるほど「(大嘗宮の儀で天皇は)真床襲衾なるものにお籠りになる」という折口説は妄想であり、論外です。当メルマガも以前、批判したことがありますが、田中の著書は大嘗祭=「稲の祭り」説に立つものではありません。

 逆に、田中は米と粟に着目し、延喜式をみると、古代の新嘗祭や神今食(じんこんじき)では米と粟が同時に用いられたことが分かるし、天皇の日常の食事が米と粟だったことを推測させる記述もあると指摘したうえで、「大嘗祭においても、粟は古くから用いられていたものではないかと考えられる」と結論づけています。

 田中は数ページにわたって米と粟について考察しているのですが、鎌田氏はそのことには触れていません。『常陸国風土記』の場合もじつは粟の新嘗なのですが、鎌田氏はあくまで大嘗祭=「稲の祭り」説に固執しています。

 ところが、不思議です。

 大嘗祭のクライマックスである「大嘗宮の儀」の説明で、鎌田氏はきちんと「米と粟」について言及しています。


▽4 思考回路から粟が消える

「(14)御親供
 御飯筥の米御飯、粟御飯……などの神饌を、御親ら竹製の御箸でとられ、規定の数だけ枚手(ひらで)に盛り供せられる」

「(15)御拝礼・御告文・御直会
 ……天皇が御親ら、米御飯、粟御飯をおとりになり聞こし食(め)され、ついで陪膳女官の奉仕により、白酒・黒酒も聞こし食された」

 鎌田氏は、大嘗宮の儀が稲の儀礼ではなく、米と粟の儀礼であることを具体的に、正確に記録しています。

 しかしそれなら、どうして大嘗祭=稲作社会の収穫儀礼という解釈になってしまうのでしょう。粟の存在はなぜ思考回路から消えてしまうのでしょうか。まさか畑作の粟と水田耕作の稲が同じ農耕文化だとでもお考えなのでしょうか。

 そして、そうした「稲の祭り」説を、竹田氏はなぜ無批判に引用するのでしょうか。

 竹田氏は、大嘗祭=「農耕儀礼」と理解する原武史氏の祭祀廃止論には、伝統主義で対抗し、反論しました。また、前提は同じ大嘗祭=「稲の祭り」説に立ちながら、稲作儀礼だから政教分離原則に抵触すると解釈する政府の厳格主義には、限定主義で太刀打ちできるとお考えなのでしょう。

 けれども、粟の存在はそのような面倒な憲法論争も力業も不要だということを示唆しているのではないでしょうか。皇祖神のみならず天神地祇を祀り、米のみならず粟を捧げて祈り、みずから食される天皇の祭りは、葦津珍彦が説明しているように「国民統合の儀礼」だとすれば、論争は無用のはずです。

 竹田氏が「葦津に学ぶ」というのならなおのこと、議論の対立を免れない憲法論ではなくて、「米と粟」による天皇の祭祀の実際をあらためて見つめ直し、その意味を学問的に深めるべきではないでしょうか。(つづく)

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なぜ粟の存在を無視するのか ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏の天皇論を批判的に考察しています。

 竹田氏の『皇統保守』の第二章は、原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判の標的にしています。当然、お二人の結論は異なるのですが、前提はあまり変わりません。

 原氏は天皇の祭りを「農耕儀礼」と考え、竹田氏は「稲作儀礼」とお考えのようです。しかしいずれも間違いだと私は考えます。


▽1 新穀を神人共食する「農耕儀礼」

 原氏は月刊「現代」2008年5月号に「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた 皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」と題する論考を書き、廃止論を展開しました。天皇の祭祀を具体的にどのようなものとお考えなのか、拾い読みしてみましょう。

「宮中祭祀につては、天皇が出るべきものは、最も重要とされる『新嘗祭』を筆頭に1年間で30回前後あります」

「アマテラスや神武天皇などの存在を心から信じて祈ることが求められています」

「新嘗祭は、秋に収穫した穀物を皇祖皇神(皇祖皇宗の誤記か)に供えて共に食べる祭祀で、毎年11月23日におこなわれます。本来は『夕の儀』と『暁の議』という、内容が全く同一の祭りから成り、夕方から未明までかかる祭祀でした。
 暖房設備のない神嘉殿で正座しなければならない新嘗祭は傍目にも過酷で……」

「宮中祭祀に臨む姿勢は、ある種の自己犠牲の精神につながります。自分の身というものを犠牲にしてでも、国民の平和や五穀豊穣を祈る……」

「新嘗祭をはじめとする宮中祭祀は民俗的な農耕儀礼と密接にかかわっています」

「天皇が祈年祭で秋の収穫を祈り、新嘗祭で収穫を感謝する。それは農村のさまざまな儀礼と基本的に一致していた……」

「そもそも、宮中祭祀の大部分は明治以降につくられたものです」

 とくに新嘗祭についていえば、原氏は、天皇が穀物(米の意味か)を皇祖皇宗に供え、国民の平和や五穀豊穣を祈り、直会なさる農耕儀礼と原氏は理解しているようです。宮中祭祀廃止論はそこから導かれます。


▽2 米の新穀を天照大神に供える

 これに対して竹田氏は、『皇統保守』の第二章で、鎌田純一や折口信夫、そして葦津珍彦を引用し、天皇一世一度の新嘗祭である大嘗祭や新嘗祭について説明しています。

「正確を期すなら、『大嘗祭』については、いろいろな学説があり、明確な見解は定まっていません。ただ、皇學館大学教授や宮内庁侍従職御用掛を歴任され、神道界に影響力のある鎌田純一先生がおっしゃるのは、天皇が最初に新穀を神に捧げるお祀りであり、これが本義であると、ご説明されています」

「新嘗祭は、新穀を最初に神様、天照大神にお供えするという趣旨の祭祀です。ですから、五穀豊穣を感謝し、そして次の年の実りを祈願する。もちろん、天変地異の災害がないことを、実際に畑を耕して、農耕する人たちの安全や、国民の幸せすべてを含んだうえで、新穀の感謝をされる。
 これは非常に尊い祭祀なんです。何しろ、日本は米の国ですから。米をしっかりつくる。その上でその上に文化が成り立つ安定の基盤があるわけです。ですから、ご新穀感謝を祈ることは、その上に成り立つすべての産業を、国民の幸せを一心に祈っていらっしゃるということでもあります。一年に一度、最初にお米ができたことを神様に『ありがとうございます』とおっしゃる。非常に尊いお祀りなんです」

 つまるところ、新嘗祭や大嘗祭は稲の新穀を天照大神に捧げ、五穀豊穣を祈る祭祀だと竹田氏は理解しているわけです。(1)祈りの対象は皇祖神である、(2)供え物は米の新穀である、(3)祈りの意味は五穀豊穣である、という点で、反対意見の原氏と完全に一致します。


▽3 新米・新粟を捧げ、召し上がる

 しかし、天皇の祭りを論ずる際、基本中の基本であるこの3点について、事実は違うのではないでしょうか。すでに申し上げましたように、天皇の祈りは皇祖天照大神にのみ捧げられるわけではないし、米の祭りとは言いがたいと思います。

 昭和天皇の祭祀に携わった元宮内省掌典・八束清貫は、「皇室祭祀百年史」にこう書いています。

「この祭りにもっとも大切なのは神饌である。なかんずく主要なのは、当年の新米・新粟をもって炊いだ、米の御飯(おんいい)および御粥(おんかゆ)、粟の御飯および御粥と、新米をもって1か月余を費やして醸造した白酒・黒酒の新酒である」

「陛下には……次々に運びこむ神饌を古来伝承のお作法に従い、長時間にわたって丁寧に親供される。親供が終わると、うやうやしく拝礼、お告文を奏上されて五穀の豊穣を奉謝し、皇宝・国家・国民の上を祈らせられる。
 このお告文がすむと、陛下には神々とご対座で新穀(米御飯、粟御飯)、新酒(白酒・黒酒)を召し上がられるのである」

 八束は米の儀礼ではなくて、米と粟の儀礼だと説明しているのですが、原氏にも竹田氏にも粟が抜けています。粟の存在は無視していいものなのでしょうか。


▽4 米と粟に軽重の差はない

 古来、大嘗祭の記録が多く残されています。しかし天皇の祭りは秘儀に属します。後鳥羽上皇の日記などは漢文体で書かれており、読みやすいものではありません。

 そのなかにあって、京都・鈴鹿家に伝わる「大嘗祭神饌供進仮名記」は仮名書きで異色です(宮地治邦「大嘗祭に於ける神饌に就いて」)。神饌御進供の様子が生々しく記述されています。

「次、陪膳、両の手をもて、ひらて一まいをとりて、主上にまいらす。主上、御笏を右の御ひさの下におかれて、左の御手にとらせたまひて、右の御手にて御はんのうへの御はしをとりて、御はん、いね、あわを三はしつつ、ひらてにもらせたまひて、左の御手にてはいせんに返し給ふ……」

 宮地(神祇史)の解説によれば、天皇はまず米飯を3箸、つぎに粟飯を3箸、枚手(ひらで)に盛り、陪膳の采女に返し、陪膳はこれを神食薦(かみのすごも)のうえに置きます。御飯の枚手は10枚、供せられるのです。

 天皇の所作では米と粟の間に軽重の差はありません。新嘗祭・大嘗祭は米の祭りではなくて、米と粟の複合儀礼なのです。

 問題はその意味です。米と粟を捧げるのは、五穀豊穣の祭りだからでしょうか。葦津が主張するように、国民統合の儀礼だからではないのでしょうか。(つづく)


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宮中祭祀廃止論も廃止反対論も前提は変わらない ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その3 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


▽1 天皇=「単なる祭り主」論

 伝統主義的天皇論の進化を心から願いつつ、現代を代表する伝統主義者の1人と思われる竹田恒泰氏の天皇論をあえて批判しています。前回は、天皇の祭祀が皇祖神にのみ捧げられるものではない、と指摘しました。

 そのようなことは、問われてみれば、おそらく竹田氏にとっては常識の範囲かと思われます。ところが、その意味が案外、見過ごされているということではないでしょうか。

 天皇が皇祖神のみならず天神地祇を祀り、祈りを捧げてきたことが、国民を精神的にひとつに統合する天皇のお役目とつながっている。その意味を確認し、理解が深められなければ、天皇は単に祭りをなさる存在としか映りません。

 竹田氏の天皇=祭り主論は、「単なる祭り主」論ではないはずです。竹田氏が再三引用している葦津珍彦はもちろんその立場ではありません。

 天皇が祭りをなさるということはいかなる意味を持つものなのか、そこが重要であり、そのためにあらためて天皇の祭祀の中身を見つめ直す必要があると考えます。

 ところが、これがまた意外に難しいのです。

 天皇の祭りは衆人環視のもとで行われるわけではありませんし、メディアも多くを報道しませんから、伝えられる情報は限られているからです。


▽2 「宮中祭祀を知らない」のではない

 以前、大学生を対象とした講演会で、「天皇の祭りと聞いて、何をイメージしますか?」と質問したところ、「浅草の三社祭」という正直な返事が返ってきました。

 祭りといえば、多くの場合、氏子らが神輿を担いで練り歩く神賑わいが思い起こされます。けれども、天皇が神輿を担がれるはずはありません。

 天皇の祭りの実態が広く知られないだけではありません。現代人にとって、神祭りそれ自体が縁遠い存在となっているのではないでしょうか。

 竹田氏の共著の第二章は原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判することが目的とされているようです。原氏は雑誌記事などで、もはや農耕社会ではない現代において、農耕儀礼である宮中祭祀の廃止を検討したらどうか。皇太子は格差社会の救世主として行動すべきだ、と提案したのでした。

 竹田氏は、原氏を「恐らく宮中祭祀のことを何もご存じではない」と批判していますが、天皇の祭りを知らないのではありません。

 もし原氏が、代々、氏神様の氏子総代を務める旧家に生まれ育ち、ご自身、お神輿をかつぐのが大好きで、祭りを通じて共同体が一体化することを体感できる人だったら、どうでしょう。おそらく祭祀廃止論など言い出さなかったではないでしょうか。


▽3 宗教伝統そのものを知らない

 宮中祭祀廃止論は、東京郊外の団地を転々と移動し、それゆえ氏神の意識を持たず、地域共同体の存在を実感してこなかっただろう、原氏ならではの発想と思われます。

 しかし、地域の祭りに参加する機会を失っているのは、原氏に限ったことではないでしょう。現代の日本人は定住農耕民ではなくて、遊牧民化しているからです。

 今日、国民の多くは転勤を日常的に繰り返すサラリーマンです。20年も前のデータですが、ある研究者によれば、1人平均2.75回の移動を経験するそうで、しかも原氏のような高学歴者ほど移動回数が多いようです。

 土地に根付いた氏神信仰、氏子集団による祭礼を経験できる人はもはや少数派なのです。これも古いデータですが、一生を同じ土地で暮らす日本人は4人に1人もいないそうです。

 伝統主義を成り立たせる前提が失われているのです。

 皇室の伝統を知らない皇室研究者が皇室の伝統の廃止を提起したのではなくて、日本の宗教伝統を知らない研究者が伝統の廃止を提起したのです。

 けれども伝統を知らないのは、原氏だけではなくて、雑誌記事などを企画した出版社の担当者も、原氏の主張に共感した読者も同じなのだろうと想像されます。

 だから、深刻なのだと思います。議論がかみ合わないのは当然なのです。


▽4 農耕儀礼でも稲作儀礼でもない

 原氏の宮中祭祀廃止論では、前提として、天皇の祭りは農耕儀礼だと理解されています。けれども現代は農耕社会ではない。だから、時代遅れの祭祀は廃止を検討すべきだという論理です。

 これに対して、竹田氏は、稲作信仰とお考えのようです。古代から連綿と続く、稲作の伝統にもとづく儀礼だから、廃止などもってのほかという論理となります。

 原氏にしても、竹田氏にしても、私から見れば、前提は大して変わりません。前提が同じなのに、それぞれの判断基準によって結論は異なる、それだけです。

 農耕社会にもとづく天皇の儀礼が、バリバリの現代人である原氏の思考回路を通ると廃止論になり、伝統を重んじる竹田氏の物差しでは廃止反対論になるのです。

 しかし、お二方の前提は正しいのでしょうか。私は間違いだと思います。天皇の祭りは農耕儀礼でも、稲作儀礼でもありません。

 農耕儀礼や稲作儀礼だというのなら、特定の宗教儀礼ということにもなり、政教分離原則に抵触するという解釈も成り立ちます。

 政教分離に違反しないのは、原氏がいうような「農耕儀礼」でも、竹田氏がいうような「稲作儀礼」でもなくて、葦津がいうように「国民統合の儀礼」だからではないのですか。

 そのことについては次回、具体的に考えることにします。
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国民を統合する天皇のおつとめ ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その2 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 竹田恒泰氏の天皇論について、批判を続けます。

 私は、竹田氏の女系継承否認、「女性宮家」創設反対の結論には大いに同意する立場ですが、思考の過程については異議を唱えなければならないと考えています。

 竹田氏の天皇論では、女系継承肯定=「女性宮家」創設論に対して、十分に対抗することができないと思うからです。伝統主義を鍛え直す必要があると考えるからです。


▽1 「葦津に学ぶ」というけれど

 竹田氏の天皇論は、その著作によれば、天皇のお務めは祭祀を行うことにあるという、伝統主義的な、天皇=祭り主論の立場に立っています。

 その基本に置かれているのが、「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦の天皇論なのですが、ここに問題があるようです。

 竹田氏は、「葦津に学ぶ」と表明しつつ、実際のところは、問題関心も引用の中身も違っているように見えるからです。

 前回は、八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』の第一章をテキストにして指摘しました。今回は第二章に読み進みます。

 この章は、まさに議論の中心となるべき祭祀論が展開されています。「宮中祭祀こそ皇室の存在意義」と題され、葦津の文章が繰り返し引用されているのですが、問題関心も結論も葦津とは異なっているように、少なくとも私には見えます。

 論点は、(1)宮中祭祀、(2)政教分離、(3)憲法改正論の3点かと思いますが、何がどう違うのか。その違いの背後に何があるのか、考えてみたいと思います。

 今回は、(1)について、考えます。


▽2 議論は十分なのか

 第二章の冒頭で、竹田氏は、「我々が皇統保守を語るうえで、『宮中祭祀』は避けて通ることのできないものです。天皇とは祭祀王である」と述べ、天皇=祭り主とする伝統的立場を表明しています。

 この章のテーマは、原武史氏(明治学院大学教授=当時)が平成19年ごろから主張された宮中祭祀廃止論に対する批判です。

 原氏の主張は、天皇=祭祀王論に挑戦する、きわめて挑発的な内容でした。けれども、基本的理解が致命的に欠けていて、間違いだらけだ、と当メルマガもかなり徹底して批判したことがあります。

 したがって原批判は当然であり、竹田氏の所論には共鳴するところも多いのですが、「宮中祭祀のことを何もご存じではない」とまで原氏を断じるのであれば、竹田氏ご自身はどうなのか、と問い直してみたくなります。

 葦津は、天皇が祭り主であると同時に、「日本人の精神の統合者」であると説明しています。天皇の祭りが国民統合の機能を持っているということなのですが、竹田氏の天皇=祭り主論には後者が抜けているようです。

 天皇が祭りをなさることはいかなる意味を持つのか、天皇の祭祀とは、したがって天皇による統治とはいかなるものなのか、竹田氏の追究もまた、廃止論を唱える原氏と同様に、十分とはいえないのではありませんか。


▽3 いかなる神に祈るのか

 竹田氏は、八木氏との対談で、祭祀が「皇室の根幹の部分をなすもの」「存在意義そのもの」であり、原氏がいうような明治の創作ではなくて、古代から続く伝統だと説明しています。

 元内掌典・高谷朝子氏『宮中賢所物語』も引用され、祭祀が「年間400回前後行われている」ことや「斎戒」や「作法」の実際について解説しています。

 それらはまったく仰せの通りです。

 竹田氏は、天皇の祭祀について、だれが、いつ、どこで、なにを、どのように、なさるのか、基本を正しく説明しています。

 しかし、肝心な点について、葦津とも、私とも、理解が異なるようです。

 つまり、天皇はいかなる神に祈るのか、それはどのような意味を持つのか、です。

 少なくともこの対談では、追究が十分でない。そのことが、そのあとの政教分離論や憲法改正論にも影響し、葦津を引用しつつ、葦津とは結論が異なる原因にもなっているように私には見えます。


▽4 皇祖神への祭りか?

 竹田氏は、「葦津先生の著書に、こう書かれてあります。天皇のことについてですが、『神に接近し、皇祖神の真意(「神意」の誤記であろう。校正ミスか)に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断の努力をなさっている』と」と述べています。

 とすれば、天皇の祈りはもっぱら皇祖神に対して行われるもの、と竹田氏はお考えなのでしょうか。葦津は天皇=祭り主とされることについて、そのように理解していたのでしょうか。

 竹田氏の引用の出典を明示しようと思い、葦津の天皇論を洗い直してみましたが、なにしろ葦津の著作は膨大です。まだ見つけ切れずにいます。

 正確なところをご存じの方がいれば、助けていただきたいのですが、私の記憶では、天皇=神ではないという論旨の文章であり、そこには「天皇は皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力を行う祭り主であり、祭神そのものではない」と述べられていたように思います。

 葦津の趣旨は、むしろ「(天皇は)祭神そのものではない」にあるものと思います。葦津の祭り主論を引用するにしても、もっと適切な典拠が示せなかったものでしょうか。


▽5 天神地祇を祀ることの意味

 葦津の天皇=祭り主論を引用するなら、たとえば、「天皇・祭祀・憲法」に次のように書かれています。

「天皇の皇室における祭儀は……おおむね皇祖および歴代の皇宗に対する御祭である。それは天皇が、日本国の建国の祖およびその後継者たる歴代の祖に対して、その精神の現代における継承者として行わせられるものである。あるいは、日本国の歴世の功労者たちを追念して行わせられるものである。国民は、この天皇の祭儀によって、建国の精神を回想し、あるいは光輝ある国史の印象を新たにする。それは日本国天皇が、国家の精神的基礎を固め成し、国民の精神を統合して行かせられるためにも貴重な御つとめなのである」

 天皇の祭祀はむろん皇祖天照大神に捧げられます。しかし、葦津が書いているように、それだけではなく、歴代の天皇あるいは天神地祇に対して、祈りが捧げられます。国民をひとつに統合するお務めがあるからです。

 いみじくも宮中三殿は皇祖を祀る賢所のほか、皇霊殿、神殿を合わせた総称です。皇祖神にのみ祈るのなら、賢所の祭儀だけで十分です。

 竹田氏の天皇=祭り主論は皇祖神への祈りで終わっているのではないでしょうか。


▽6 竹田研究会に期待する

 竹田氏と対談した八木秀次氏が指摘しているように、第29代欽明天皇の時代、仏教の受容について、崇仏派が「西蕃の諸国は礼拝している」と主張したのに対して、「天地社稷を祀るのが天皇だ」と排仏派は反対したと古典に記録されています。

 第33代推古天皇の時代には仏教が国家的に受容されましたが、中国や朝鮮とは異なり、既成宗教が排除されず、共存しました。これも八木氏が指摘しているところです。

 古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときには、すべて天神地祇祭れ」(神祇令)とされ、歴代天皇は皇位継承後、皇祖神のみならず、天神地祇を祀られたのです。

 八木氏の解説は、順徳天皇が『禁秘抄』に著された「およそ禁中の作法は神事を先にす」という皇室の祭祀優先主義を説明することが趣旨ですが、お二人の対談は、天皇が「天地社稷百八十神」を祀ること、「天神地祇を祭る」ことの意味が十分に深められていないように思います。

 竹田氏は全国的な研究会を組織されているようですが、天皇の祭祀とは何か、組織的な研究をさらに深めていただきたいと願っています。
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