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「答礼」として始まった!?天皇の外国御訪問 ──高橋紘『人間 昭和天皇』を読む [皇室外交]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「答礼」として始まった!?天皇の外国御訪問
──高橋紘『人間 昭和天皇』を読む
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 戦後随一の皇室ジャーナリストと思われる、といっても、皇室ジャーナリズムなどというのは、戦後にしか存在しないのだが、共同通信の皇室担当記者だった高橋紘さんの著書に、総ページ1千ページを超える『人間 昭和天皇』上下2巻(2011年)がある。

 高橋さんは私を皇室報道の世界に導いてくれた恩人の1人で、この本は「昭和天皇の語り部」ともいわれた高橋さんが、最晩年、ガンと闘いながらまとめ上げた、記者人生の集大成というべき一冊である。
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▽1 臨時代行法の成立

 下巻の第11章に「皇室外交」が取り上げられている。

 それによると、始まりは1960年代だった。

 当時、皇太子殿下(今上陛下)はアメリカや中東、アフリカ、南アジアを、昭和天皇のご名代として、また国賓来日の答礼として訪問され、大歓迎された。

 けれども、天皇は憲法上、外国には行けない仕組みになっている。ご不在中、たとえば首相任命、国会召集の事態が持ち上がっても、対応できないからだ。

 そこで昭和39年になって臨時代行法がつくられた。代行法は天皇の外国御訪問を視野につくられたと高橋さんは書いている。


▽2 高松宮妃の働きかけ

 しかし、実際のご外遊はずっと遅れる。観光目的の海外旅行が庶民にも開かれたのは44年だが、その翌年、歯車が動き出した。

 最初に天皇ご外遊を働きかけたのは、高松宮妃殿下だという。

 昭和45年4月、大阪万博を機に来日したベルギー国王の弟アルベール殿下に、愛知揆一外相主催の晩餐会の席上、妃殿下がこう語りかけたというのである。

「天皇陛下は皇太子時代に欧州訪問されたが、皇后陛下は海外にお出かけになったことがない。ベルギーの国王陛下は6年前、来日されたが、その答礼という形で、国王陛下からの招待状を天皇陛下に送っていただけないか」

 あくまで「答礼」としての天皇ご外遊なのだった。

 妃殿下は吉田茂元首相にも働きかけられ、佐藤栄作首相の周辺で話は進んでいき、翌年2月23日、ご外遊が閣議決定された。9月27日から18日間のご日程で、ベルギー、イギリス、西ドイツを公式訪問し、非公式にデンマーク、スイス、フランス、オランダを訪問されることとなった。


▽3 閣僚にも極秘扱い

 計画は極秘に進められた。そのことは『佐藤栄作日記』に明らかだと高橋さんは指摘する。

 福田赳夫蔵相が佐藤首相から知らされたのは閣議決定のじつに5日前、昭和46年2月18日だった。宮内庁を所管する山中貞則総務庁長官にはその翌日で、「極秘を守ること」が条件だった。

 実際、『佐藤日記』を読んでみよう。

「2月18日 木 (二木会の)帰途、福田蔵相と同車し、陛下の御外遊をはじめて話する。二十三日発表の予定だからひと言一般より早く話しておく必要があるので話したが、山中総務長官にはまだ話さない。明日耳打ちするするつもり」

「2月19日 金 山中総務長官に両陛下の御外遊の件をもらす。しかし極秘を守ることと閣議前に話する」

「2月23日 火 閣議で両陛下の御外遊を決めたので、保利官房長官が各党へ挨拶に回り、各党ともいい感じを持ってくれた様子」

 政府内でも極秘扱いだったのだ。


▽4 「答礼」が大義名分

 さすがに宮内庁へは早くから相談があったらしい。

 高橋さんは入江相政侍従長の『日記』を引用している。前年45年12月の日記によると、長官室で会議がもたれたという。

 これも『日記』を読んでみると、次のように書かれている。

「12月2日(水) 曇 頗寒……1時から長官室で(式部)官長、(宮内庁)次長、予の4人で会議。御外遊についてのもの。イギリスから明年10月4日から21日までの間よしとのこと。あとベルギー、ドイツ、フランス、オランダなどをどう入れるかでいろいろ話し会う。2時まで」

 主要閣僚にも知らされないまま、計画は数か月前に決まっていったのである。

 そして、御訪欧の大義名分は、繰り返しになるが、「答礼」だった。


▽5 御訪欧先行の理由

 高橋さんは、「天地開闢以来」(宇佐美長官)の御外遊がアメリカぬきの御訪欧が先行したことについて、なぜかと問いかけ、三つの理由を挙げている。

 1つは「答礼」御訪問を名目としたことだった。

 昭和38年には西ドイツの大統領夫妻が来日し、翌39年にはベルギー国王夫妻が、国賓として来日していたが、日本側の答礼はなかった。イギリス女王の来日も予定されているという情報もあった。

 もうひとつは、答礼が名目なら天皇の政治利用ができないと考えられたからだという。

 宇佐美毅長官は皇太子御訪米の際、岸信介首相の政治利用にはめられたという苦い経験があるというのである。それで国会答弁でも「答礼」で押し通された。

 3つ目は、アメリカとの戦争の記憶が重く、時期尚早と考えられたからだという。


▽6 なぜ天皇の御外遊なのか

 高橋さんはなぜ御訪欧先行なのかと問いかけたのだが、どういうわけか、なぜ外国御訪問なのかとは問いかけていない。

 論理的に考えれば、「答礼」としての外国御訪問なら、皇太子殿下のご名代でも不足はないはずである。なぜ天皇の御外遊なのか。

 問題は憲法である。

 高橋さんが指摘しているように、「天皇は外国に行けない仕組みになっている」だけでない。憲法が規定する国事行為はすべて内向きであって、皇室外交を予定していないのである。憲法7条が規定するのは、日本大使の認証、外国大使の接受にとどまる。

 憲法の規定を重視するなら、もともと外国御訪問の計画を議論する余地はない。

 政府が「答礼」という受け身の行為にこだわったのは、国事行為に何ら規定がないことの裏返しである。

 それでも、御外遊が実施され、いまや国民もメディアも相手国も受け入れ、歓迎している。

 つまり、当時から「天皇は大使100人分の働きをなさる」といわれ、それは今回のフィリピン御訪問でも立証されたのだが、制度的に万全とは言いがたい。


▽7 象徴天皇制の変質

 外国御訪問に意義を認めるのならなおのこと、そもそも陛下のご公務、お務めとは何かを整理し直すとともに、憲法の法的不備をただすことが求められているのではあるまいか。

 国事行為臨時代行法があるから、天皇の御外遊が認められるという論理はどう見ても本末転倒であろう。

 高橋さんは、戦争・敗戦を経て、日本国憲法の施行によって、天皇は「大元帥から象徴」に変わったというお考えだが、憲法の国事行為ではない外国御訪問をなさる天皇はもはや現行憲法的な象徴天皇とは言いがたい。

 むろん、神功皇后の三韓征伐は別として、「空飛ぶ天皇」は近代以前にはなかったことであり、御外遊は皇室の伝統でもない。

 現行憲法下で、現行憲法が規定する象徴天皇制それ自体がすでに変質しているということではないのか。

 憲法9条に関しては一歩たりとも譲らないという論理を展開している憲法学者たちは、憲法第1章の変容をどう考えるのだろうか。

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あえて考える天皇陛下のフィリピン御訪問 ──法的根拠はない!? [皇室外交]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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あえて考える天皇陛下のフィリピン御訪問
──法的根拠はない!?
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 今上陛下は皇后陛下を伴われ、1月下旬、フィリピンを公式御訪問された。

 今回のご旅行は、公式にはフィリピン大統領の招請を受け、国交正常化60年を機会として、友好親善を目的とするものとされている(昨年12月閣議決定)。


▽1 公式御訪問というより「慰霊の旅」
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 けれども一般には、むしろ陛下の御意思にもとづく、戦後70年を契機とする「慰霊の旅」と受け止められている。

 陛下はマニラ英雄墓地にある「無名戦士の墓」やカラリアの「比島戦没者の碑」で供花、黙祷され、日本人遺族と親しく交流されたが、いずれも陛下ご自身のご希望によるものと伝えられている。

 陛下はご出発前、空港で、「フィリピンでは,先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き,この度の訪問を果たしていきたい」と語られた(宮内庁HP)。

 マラカニアン宮殿での晩餐会でも、「昨年、私どもは,先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては,貴国の国内において日米両国間の熾烈しれつな戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人が決して忘れてはならないことであり,この度の訪問においても,私どもはこのことを深く心に置き,旅の日々を過ごすつもりでいます」とスピーチされた(同)。


▽2 一様に好意的な報道

 フィリピン政府は5日間の陛下の旅が「歴史的快挙」だとする声明を発表している。多くのフィリピン人の胸に響いたことは間違いないだろう。

 陛下の慰霊の旅は、サイパン、パラオに次ぐものだが、陛下が海外にお出かけになり、諸外国と友好親善を深めるのみならず、戦争の歴史を記憶に留め、自国のみならず旧敵国の戦没者を慰霊されることについて、メディアの反応もきわめて好意的である。

 皇位継承問題やいわゆる「女性宮家」創設問題で、メディアの論調が二分されたのとは大きく異なっている。

 したがって、そこには一点の曇りもないかのように見えるのだが、はたしてそうなのであろうか。むしろ皇室の伝統と憲法の規定をめぐる、避けてはならない重要な課題が隠されているのではないだろうか。

 昨年来の安保法案論議に見られるように、憲法9条をめぐっては、1ミリたりとも逸脱してはならないという嵐のような議論が巻き起こるのに、天皇の外国御訪問については寂として声無しというのは健全とはいえないのではないか。


▽3 憲法は予定していない

 つまり、憲法は天皇の国事行為について規定しているものの、すべて内向きであって、「慰霊の旅」はむろんのこと、「国際親善」を目的とする外国御訪問についてすら、規定はいっさいない。憲法は天皇の外国御訪問を予定していないのである。

 とすれば、陛下のご公務として行われている「慰霊の旅」はいかなる法的根拠を持つものなのか。

 女系継承容認問題にしても、「女性宮家」創設問題にしても、有識者による諮問会議が設けられ、ヒアリングが行われながら、じつのところ、天皇のご公務とは何か、という根本的な議論がすっぽりと抜け落ちていたと私は考えている。

 もし法的な根拠はないけれども、天皇による外国御訪問が、あるいは「慰霊の旅」が、ご公務の1つとして、外交上、必要だと国民が理解し、求めるのならば、明文規定のない現行憲法は改正されるべきではないだろうか。

 ということで、しばらく天皇の外国御訪問について、検討してみたい。歴史的に最初のケースとなった、昭和46(1971)年の昭和天皇のヨーロッパ御訪問にさかのぼって検証してみようと思う。
タグ:皇室外交
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イギリスご訪問決定への懸念──天皇に「めくら判」を押させる構造 [皇室外交]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 イギリスご訪問決定への懸念──天皇に「めくら判」を押させる構造
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 天皇陛下が、皇后陛下とともに、イギリスをご訪問になることが決まりました。18日金曜日に予定される、エリザベス女王即位60年の午餐会に出席なさるためです。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/gaikoku/h24uk/eev-h24-uk.html

 陛下は60年前の1953(昭和28)年に行われたエリザベス女王の戴冠式に、昭和天皇のご名代として参列されています。当時の参列者で、今回も出席するのは、陛下のほかは、ベルギーのアルベール国王だけで、話題に花を添えることになりました。

 しかし、不安もあります。


▽1 術後3カ月も経っていないのに

 日本の天皇が即位後、外国を訪問されたのは昭和天皇がはじめてで、昭和46年にはヨーロッパを、50年にはアメリカを訪問されました。70歳を超えてからのご旅行ですが、今回はさらにご高齢での海外ご訪問となります。

 しかも、陛下は2月に心臓外科手術をお受けになり、それからまだ3カ月も経っていません。

 陛下と同様に開胸手術の経験を持つ、石岡荘十・元NHK記者によると、術後3カ月は無理をしてはならないとされているようです。航空機による長旅の懸念もあります。石岡氏は、「(高齢者は)回復が遅いから、半年ぐらいは、低気圧環境の機内に長くいるのはいいわけはない」「術後、胸水があれだけ長く続くのは異常」という「高名な心臓専門医」のコメントを引用しています。
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/2676140/

 それかあらぬか、外務省などでは皇太子殿下をご名代とする案が検討されたと伝えられますが、医師団は先月末、「ご訪問に支障がない」と診断しました。

 いささか強引とも思えるご訪問決定には、報道によれば、「陛下の強い思い」があったと伝えられます。けれども、外国ご訪問は「内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」べき、10項目の国事行為ではないにしても、陛下のご一存で決められることではありません。

 日英関係は重要でしょうが、ご高齢で、ご健康問題を抱える陛下が、どうしてもお出かけにならなければならないのかどうか。政府の判断は的確なのでしょうか?

 けれども、陛下はむしろ淡々としておられるようです。

 古来、天皇に私なし、であり、国と民のためにひたすら祈るのが天皇であって、今上陛下は「わが命は国と民のものである」というお思いなのでしょう。争わずに受け入れるのが天皇の帝王学です。

 陛下と政府との間には、かなりの温度差があるように思われます。陛下のご感想にそのことがにじみ出ていると感じるのは私だけでしょうか。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h24-uk.html

 そんななか、昨日12日から、天皇陛下は皇后陛下とともに、宮城県仙台市をご訪問中です。仮設住宅住まいの被災者たちを励まされるというのはよく理解できますが、「第14回IACIS(国際コロイド・界面科学者連盟)国際会議」の開会式に出席されるというのが分かりません。陛下がどうしてもご臨席にならなければならないほどの会議なのでしょうか?

 政府・宮内庁が、「陛下のご意思」をも動員して、ご公務の日程を強力に推し進め、療養中の陛下が粛々とこなされているという構図に、少なくとも私には見えます。


▽2 減ってはまた増えるご公務

 というのも、すでに何度もご紹介したように、陛下のご公務は、ご負担軽減の基本方針にもかかわらず、ご不例のたびに減り、お元気になると日程がたて込むというパターンが繰り返されているからです。

 次の表は、公表されている「ご日程」から、陛下のご公務日数を月ごとに数え上げたものです。今年の数字は4月までです。

 昨年11月のご不例以来、陛下のご公務日数は激減し、今年1月は以前の水準に回復しましたが、今年2月のご入院後はふたたび激り、4月はまた増えました。

平成 17 18 19 20 21 22 23 24
1月 22 21 22 21 19 23 23 23
2月 17 18 19 22 19 17 17 11
3月 23 22 22 25 24 26 22 11
4月 21 22 20 20 21 22 23 19
5月 20 25 22 19 20 23 20
6月 24 23 22 25 25 23 23
7月 18 20 21 22 27 20 23
8月 23 18 22 19 19 23 21
9月 22 26 22 25 22 23 23
10月 25 25 24 24 26 24 25
11月 26 25 26 26 22 24 10
12月 22 24 22 16 24 23 18
合計 263 269 264 264 268 271 248

 宮内庁がご公務ご負担軽減策を打ち出したのは平成20年2月で、その実施は翌年からのはずでしたが、同年秋のリーマン・ショック後、陛下はにわかにご体調を崩され、20年暮れにはご公務のお取り止めも行われました。

 けれども、20年1月のご公務の調整・見直し実施が表明されたあとも、ご公務の日数は減るどころか、逆に増え、22年は271件と、過去最高のレベルにまで達し、昨年10月までご多忙ぶりにほとんど変化が見られず、昨年のご不例後も今年1月にはご多忙の日々にもどっています。2月のご入院、外科手術、ご静養のあとも、4月には以前の水準にほぼもどりました。

 明らかに、ご不例のたび、そのときはご公務の日数が減り、しばらくすると元に戻るという繰り返しです。20年2月にご公務ご負担軽減が打ち出されてから4年あまり、その効果は上がっているといえるのでしょうか?


▽3 宮澤俊義東大教授の天皇論

 今回の仙台市ご訪問も、イギリスご訪問も、この延長線上にあるのではないか、と疑われます。

 戦後の憲法学会に巨匠として君臨し、いまなお憲法解釈・運用に多大な影響力を持つ宮澤俊義・東大教授(故人)は、『憲法と天皇──憲法二十年(上)』(UP選書、1969年)に、次のように書いています。

「憲法に書いてある天皇の行為は、すべて儀礼的・めくら判的なもので、なんら決定の自由を含むものでないことは、明らかだ。昨年(1952年)8月の衆議院の解散のとき、首相はまだ閣議で決まってもいない解散の詔書に天皇の署名をもらい、数日あとで閣議にかけてそれを決め、その詔書を発したということだ。天皇が署名したときは、たぶん日付も書いてなかったのだろうから、天皇はいわば白紙に署名させられたわけで、ずいぶんばかばかしい役目のようだが、日本国憲法の定める天皇の役割は、つまるところ、そういうものなのだ」

 羽毛田長官は、皇族の意見も聴かないままに女帝容認の皇室典範改正を急ぎ、民主党政権に秋波を送りました。鳩山内閣は中国の習近平副主席のゴリ押し天皇会見を強行し、菅内閣は歌会始の日に内閣を改造しました。

 陛下にめくら判を押させる政治的構造は、やむ気配がありません。
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直宮の外国ご訪問への懸念──外国の政権に政治利用される恐れはないか? [皇室外交]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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直宮の外国ご訪問への懸念──外国の政権に政治利用される恐れはないか?
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 前回は戦後の皇室関係史を俯瞰しつつ、いわゆる「女性宮家」創設への経緯を4段階に分け、〈第1期 皇室典範改正非公式検討期〉と〈第2期 典範改正公式検討期〉について、年表風にたどりました。

 今回は引き続き、〈第3期〉〈第4期〉を振り返るつもりでしたが、予定を変更し、皇室外交について考えてみることにします。皇室の御活動維持を表向きの目的として、目下、進行中の「女性宮家」創設問題と深く関係すると思うからです。

 その前に、今月6日、寛仁親王殿下が薨去されました。あらためて、慎んで哀悼の意を表したいと思います。

 facebookのウオールにも書きましたが、殿下はお若いころは皇籍離脱宣言をなさるなど、やんちゃなところがありましたが、長じては円熟され、スポーツ振興、障害者福祉などに尽力されるとともに、女性天皇・女系継承容認に反対の意をはっきりと表明されるなど、皇室のスポークスマンとしての重要なお役目を果たされました。

「女性宮家」創設論議が展開されるなかで、幽明界を異にすることになったのは、まことに残念というほかはありません。


▽1 「外交関係樹立50年」はいくらでもある

 さて、皇室外交について、です。

 秋篠宮殿下が今月12日から15日まで、妃殿下とともにウガンダを公式訪問されました〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/03/gaikoku/pav-h24-uganda.html〉〈http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uganda/visit_120612.html〉。また、皇太子殿下は25日から7月1日まで、皇太子殿下がタイ、カンボジア、ラオスをご訪問になります〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/gaikoku/h24southeastasia/cpv-h24-southeastasia.html〉。

 秋篠宮殿下のウガンダ訪問は、同政府から両国の外交関係樹立50年を機に、ご招待の申し出があり、政府がご訪問を閣議了解したとされています。国賓待遇で迎えられた殿下は、妃殿下とともに、大統領を表敬され、記念晩餐会にご臨席なさるなどされたそうです。

 外務省は「我が国皇室による同国への初の御訪問」でもあり、「熱烈な歓待」を受けられ、「両国の友好・親善関係を再確認し,一層増進することとなった」と、ご訪問の成功を最大限に評価しています。

 しかし、以下のような、いくつかの懸念がぬぐいきれません。

 第1に、日本は世界のほとんどの国と国交がありますから、第2次大戦後、独立した国々との「外交関係樹立50年」は星の数ほどとはいわないまでも、数多くあるはずです。相手国から招待があったからといって、皇族がご訪問にならなければならない理由はどこにあるのでしょうか?

 外務省の「要人往来」によれば、ウガンダからは平成21年に外務大臣が来日していますが、日本からの要人訪問はせいぜい外務副大臣レベルにとどまっていました〈http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uganda/visit/index.html〉。それがなぜ、直宮に一足飛びなのでしょうか? 外務大臣の訪問では不十分なのでしょうか?

 第2に、しかも、治安がいいのならまだしも、けっして良くないのです。外務省の「危険情報」にあるように、政府と反政府勢力との戦闘はいまも続き、首都カンパラでも流血事件が起きています。外務省は退避、渡航延期などを呼びかけています〈http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=93〉。

 そのような危険な国に、なぜ皇室外交の範囲を広げなければならないのでしょう?


▽2 ゴリ押し天皇会見の反省はないのか

 第3に、皇位継承順位第2位の殿下の身の安全が懸念されるのはもちろんですが、分裂状態にある外国の政権に、日本の皇室が政治利用される恐れはないのでしょうか? これこそもっとも恐れるべきことではないかと思います。

 3年前の暮れ、「神の新年」と位置づけられる賢所御神楽の当日にドタバタで設定された、中国・習近平副主席の「特例天皇会見」は、静謐なる天皇の祈りを妨げただけでなく、陛下のご引見を利用し、共産党内で巻き返しを図り、権力掌握に弾みをつけたいという副主席の思惑がありありで、天皇の政治的中立性をおびやかすものでした〈http://melma.com/backnumber_170937_4703227/〉。

 日本の外務省にはこのときの反省がないのでしょうか?

 第4に、行政主導による皇室のご活動は、行政の活動にお墨付きを与える一方、逆に、官僚たちの消極性を招き、ときに失敗の後始末をする効果をもつことになります。

 秋篠宮殿下のウガンダご訪問は現地で大歓迎されたようです。皇族方のご訪問はどこでも歓迎され、好印象を与えるでしょう。だから、困るのです。政治家も官僚たちも、安易に皇族方にお出ましを願うことになるからです。

 帰国された殿下は、翌日、「ご感想」を発表されました。そこには喜びと感謝がつづられています。争わずに受け入れるのが、皇室に伝わる「天皇の帝王学」です。殿下はお誕生日会見で、「公務というのはかなり受け身的なものではないか」と語られたことがあります〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/kaiken-h16.html〉。

 政府から要請があれば、世界の果てまで、皇族方は出かけなければならないのでしょうか?

 もう一点、5番目に、指摘しなければならないのは、タイミングです。つまり、寛仁親王殿下の薨去にもかかわらず、ご訪問が強行されたことです。

 ウガンダご訪問が閣議了解されたのは5月15日です〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/03/gaikoku/pav-h24-uganda.html〉。6月11日のご出発を前に、1日、殿下は妃殿下とともに、武蔵野陵、武蔵野東陵に参拝されました。ここまでは通常のご日程です。

 しかし6日に寛仁親王殿下が薨去されます。殿下は親王邸に弔問されました。翌7日の御舟入にも臨まれました。同日、宮内庁は寛仁親王殿下の斂葬の儀を14日に行うと発表しました。

 秋篠宮殿下は8日、妃殿下とともに、ウガンダご訪問につき、賢所に参拝され、御所に上がり、陛下にご挨拶されました。つまり、寛仁親王殿下の薨去にもかかわらず、秋篠宮殿下のウガンダご訪問は延期にならなかったのでした。

 12日、13日のお通夜、14日の斂葬の儀にお出ましになったのは眞子内親王殿下でした〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/03/h24/gonittei-3-2012-2.html〉。

「相手の国にも失礼ではないか?」という宮内庁関係者の声もありますが、ご訪問を強行すべきではなかったのではないのでしょうか?


▽3 法的根拠が見当たらない

 2日後に迫った皇太子殿下の3カ国ご訪問も同様でしょう。

 それぞれの政府から招待の申し出があったとのことですが〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/gaikoku/h24southeastasia/cpv-h24-southeastasia.html〉、たとえばタイは、日本と外交関係が深い国ではあるにしても、6年前のクーデター以降、国内の政治対立が続き、日本の外務省は首都バンコクについても渡航者への注意を喚起しています。

「2011年7月に行われた下院総選挙の結果、タクシン派のタイ貢献党が第一党となり、インラック政権が誕生しましたが、インラック政権発足後、これまでのところは、大規模な集会等の開催は見られていません」ということですが、「不測の事態が発生するおそれは排除されません」と警戒を弱めているわけではありません〈http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo.asp?id=7

 こうした皇室外交の最大の問題点は、法的な根拠がとくに見当たらないことです。

 憲法は、天皇について、憲法改正、法律などの公布、国会の召集、衆議院の解散など、の国事行為を定めています。天皇にはほかに、象徴という地位に基づく公的行為として、国会の開会式へのご臨席、国務大臣など認証官の任命式へのご臨席、国民体育大会などへのご臨席があります。

 宮内庁の説明では、天皇・皇族の外国ご訪問は、国賓・公賓などのご接遇、外国大使の信任状捧呈式、来日した海外要人とのご会見、ご引見、在日外交団の接遇、赴任大使・帰朝大使拝謁・ご接見・お茶など、皇室による国際親善のご公務の一環として行われています。

 たしかに天皇の国事行為には、「外国の大使および公使を接受すること」が含まれていますから、陛下が国賓などをご接遇なさるのは理解できますが、天皇はいざしらず、天皇以外の皇族が、ご名代としてならともかく、国際親善のために外国をご訪問になる根拠はどこにあるのでしょうか?


▽4 ご活動なさることが天皇なのか

 余談ですが、今年2月、陛下がご入院されたとき、皇后陛下は、22日にはフィジーなどに赴任する日本大使夫妻とお茶に臨まれました。28日もドイツなどに赴任する日本大使夫妻とのお茶がありました。3月7日には離任するペルー大使をご引見になりました。

 天皇陛下はご入院・ご不例のため、拝謁・ご接見、ご引見をお取り止めになり、皇后陛下がお一人でご公務に臨まれたのですが、そのようになさる根拠はどこにあるのでしょうか?

 歴史的に見れば、天皇は「上御一人」であり、現行憲法は天皇の国事行為を定めているのであって、天皇陛下が皇后陛下を伴って、ご公務をなさる、ということは理解できますが、宮内庁のHPに記されているような、一夫一婦天皇制的な「両陛下のご公務」というのは本来、ないはずです。まして、皇后陛下が、ご名代でもなく、単独で、「天皇のご公務」とされるべき「ご活動」をなさるのは、認められるべきことでしょうか?

 もっといえば、前にも申しましたが、日本の天皇・皇室の存在意義が歴史的なあり方から、ずいぶんと方向的に別なものに改変されているという疑いが晴れません。

 宮内庁のHPはいみじくも「皇室のご活動」「両陛下のご活動」などと表現し、URLにはactivityと表記されていますが、「ご活動」なさることが125代続いてきた日本の天皇ではないはずです。

 けれども、まさに皇室外交を展開する当事者である外務省を出身母体とする渡邉前侍従長は、「皇室は国民との関係で成り立つものです。天皇皇后両陛下を中心に、何人かの皇族の方が、両陛下をお助けする形で手分けして国民との接点を持たれ、国民のために働いてもらう必要があります。そうでなければ、皇室が国民とは遠く離れた存在となってしまうことが恐れられます」(渡邉『天皇家の執事』文庫版後書き)と述べています。

 国民のために働くこと、活動することが天皇・皇族のお務めで、それが天皇の制度を成り立たせている、というきわめて近代的な理解で、その前侍従長が積極的に提唱しているのが、皇室の御活動の維持を目的とする「女性宮家」創設論なのです。

 それは私なき祈りの存在である、125代続いてきた天皇の制度ではありません。公正かつ無私なる存在を、国内のみならず、国際社会の権力政治のただ中に、放り出すようなことがあってはなりません。
 
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