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とんと聞かなくなった靖国訴訟──ヤスクニ派は裁判には勝っていない!! [靖国問題]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月20日発行)からの転載です。

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 とんと聞かなくなった靖国訴訟
 ──ヤスクニ派は裁判には勝っていない!!
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 以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月20日発行)からの転載です。


 茨城県護国神社の宮司が遺族会から退任を要求されたという。神社のイベントで半裸の男女がパフォーマンスを披露したのは「祭神に失礼だ」として、県遺族会は退任要求の嘆願書を差し出したというのである。

 本来、静謐であるべき慰霊の祭場が汚されたという言い分なのだろう。もっともなことだと思う。だが、本来の姿が取り戻されるべきだというのなら、ほかに要求されるべき重要な問題があるのではないか?

 戦争という国家の非常時に、国に殉じた兵士たちの慰霊はこの70年間、靖国神社や護国神社に、いわば民間任せにされている。国を代表する首相は参拝を自粛し、大真榊奉納でお茶を濁し、あまつさえ千鳥ヶ淵墓苑参拝で靖国神社に代わる国立墓地建設構想に秋波を送っているかのようだ。

 これは戦没者慰霊のあるべき姿であろうか? 茨城県に限ったことではないが、戦没者の処遇を思うのであれば、神社の宮司ではなくて、首相にこそ、退任要求を突きつけるべきではないのだろうか? 遺族会として持つべき問題意識の次元を見誤っていないだろうか?


▽1 神社の公的性を否定する司法
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 ところで、最近、ヤスクニ裁判のニュースをとんと聞かなくなった。

 外交問題に発展するのを避けて、卑屈にも首相は参拝を自粛しているのだから、当然かも知れない。裁判では、玉串料は私的なら合憲とする司法判断が示されている。政府は参拝も大真榊の奉納も私的行為だとして、反対を押し切っている。合祀取り消し訴訟も、合祀は神社側の自由だというのが裁判所の判断だ。

 つまり裁判はすべて反ヤスクニ派の敗訴に終わっている。それなら、ヤスクニ派は勝利したのか、そうではないと思う。

 司法判断の大前提は、靖国神社は民間の一宗教団体に過ぎないという事実認識にある。政教分離原則によって、国と靖国神社との関わりは否定され、首相など公機関は私人としての立場で関わることを認められているだけである。国が靖国神社の合祀作業に関わる行為は明確に違憲とされている。

 靖国神社の公的性が司法によって否定されていることは、反ヤスクニ派の敗北ではなくて、間違いなくヤスクニ派の敗北である。

 武運つたなく、国に一命を捧げた兵士たちについて、殉国者と認定できるのは国以外にはない。国は認定された殉国者に対して援護法の対象とし、遺族には年金などが支給されてきた。そして追悼の祈りが捧げられてきた。それが靖国神社である。

 靖国神社の公的性が否定されるのなら、国は戦没者に対して、金銭補償さえすれば足りるということにならないか? 日本という国はそんな血も涙もない国だったのか?

 いや、国家の祈りはある。たとえば、全国戦没者追悼式は、陛下の御臨席の下、政府主催で行われている。だが、これは「先の大戦における全戦没者」が対象であり、近代以後の全戦没者を対象とし、戦没者追悼の中心施設として歴史的に認められてきたのは靖国神社以外にはない。


▽2 靖国神社に求められる覚悟


 靖国神社は昭和20年のいわゆる神道指令によって国家との関係が絶たれ、翌年2月の宗教法人令改正で、宗教法人となった。宗教法人として届け出なければ「解散したものとみなす」という、切羽詰まった状況下での苦渋の選択だった。

 しかし「いずれ国にお返ししたい」と代表者たちが表明してきたように、靖国神社は民間の宗教法人という法的位置づけに満足してきたわけではないし、そうあるべきでもない。

 だとすれば、靖国神社の公的性を否定するような司法判断にも満足すべきではないし、むしろ打破していくことが求められる。

 煩わしい訴訟ごとに振り回されたくないという程度なら、苦言を呈してもなんの意味はないが、「国にお返しする」ことが本心なのだとすれば、靖国神社を民間機関に貶めている司法に対して、あるいはそのような法律論を展開してきた法律家たちに対して、反ヤスクニ派であれヤスクニ派であれ、訴訟をも辞せずという覚悟が求められる。

 そうでなければ、ヤスクニ派の正体は反ヤスクニ派だということになりかねない。

「反共」「抗日」のシンボル・韓国「顕忠院」──韓国から日本、北朝鮮への「答礼」がない [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 「反共」「抗日」のシンボル・韓国「顕忠院」
 ──韓国から日本、北朝鮮への「答礼」がない
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 6月6日は韓国では「顕忠日」で、抗日運動と朝鮮戦争で国家に一命を捧げた戦没者を、国を挙げて追悼する恒例の記念式典が、国立墓地・顕忠院で行われました。

 挨拶に立った朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は、南北の信頼回復に向けた政策を積極的に受け入れるよう、北朝鮮に対して呼びかけたと伝えられます〈http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/06/06/2013060600612.html〉。

 大統領はまた「国のために尽くした献身者に礼遇と尊敬を捧げることは義務であり使命だ」と述べたとも伝えられますが、逆に今日では、「顕忠日とは何か」を知らず、夜通しパーティーに興じる若者さえいることを、メディアは嘆いています〈http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/06/06/2013060600688.html〉。

 メディアはことあるごとに、日韓の間で歴史問題が沸騰しているように、伝えていますが、韓国社会の実態はまた別なのかも知れません。

 そういえば、平成13年、韓国で歴史教科書問題への反発が広がり始めていたころ、ソウルの街ではどこへ行っても尾崎豊のバラードが流れていたといいます。

 というわけで、平成17年9月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。当時は北朝鮮の代表団が顕忠院を表敬し、答礼をどうするのか、が話題になりました。

 北朝鮮だけではありません。日本は皇族や歴代首相、統合幕僚長が表敬していますが、韓国からの答礼はありません。伝統的な儒教の教えに基づき、日本以上に、礼儀を重んずるお国柄のはずなのに、です。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。同紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。



◇韓国「光復六十周年」式典に参加した北朝鮮代表団が「顕忠院」を参拝


「終戦六十年」の今年、お隣の韓国では「日帝」支配からの独立を祝ふ「光復六十周年」で、八月十四日から「自主平和統一のための八・一五民族大祝典」が開かれ、開会式には北朝鮮の当局者や民間代表も参加した、と伝へられる。

 なかでも注目すべきは、祝典の開幕式出席に先立って、三十二人の代表団(団長=金己男労働党書記)がソウルの国立墓地顕忠院を表敬参拝したことである。


▽「驚きの行動」か

 顕忠院はもともと「反共」のシンボルで、前身の国軍墓地は朝鮮戦争後の一九五五(昭和三十)年に造成された。十年後、国立墓地に昇格し、六七年には顕忠院のシンボル「顕忠塔」が建てられた。

 塔の左右には二十三メートルの壁が翼を広げ、左側は朝鮮戦争、右側は「抗日独立戦争」をテーマとするレリーフが刻まれてゐる。顕忠院は「反共」「抗日」といふ二大国是のシンボルなのである。

 顕忠塔内部には朝鮮戦争時の戦死者十万四千人の位牌が並び、地下には無名戦士六千二百余柱の遺骨を納める納骨堂がある。塔の前には祭壇があり、朝鮮戦争で戦死した将兵の認識票を溶かし込んだ香炉が置かれる。

 他方で、広大な顕忠院の敷地内には三・一独立運動や抗日武装闘争の活動家を祀る慰霊碑なども設けられてゐる。

 七〇年六月には、「朝鮮戦争開戦二十周年」の記念行事が予定されてゐた顕忠院を、侵入した北朝鮮ゲリラが高性能爆弾で爆破するといふ事件も起きた。行事に出席する朴正煕大統領の暗殺が狙ひだったといはれる。

 その顕忠院に北朝鮮関係者が参拝したのである。献花・焼香こそなかったが、「反共」の国家シンボルの前で北の関係者がしばし黙祷したのは前代未聞といはざるを得ず、韓国マスコミは「驚きの行動」と報道した。

 しかし今回の行動は本当に「驚き」と見るべきものなのかどうか。

 金大中政権から盧武鉉政権に代はり、韓国は一段と「親北」の姿勢を強め、それに反比例するかのやうに「反日」姿勢が強まってゐる。北の顕忠院表敬は韓国の「北朝鮮化」といふ状況下での必然の流れであり、同時にこの流れを促進するものと見ることはできないか。

 金団長は顕忠院訪問の理由について「祖国光復のために命を捧げた人たちが祀られてゐるから」と語り、朝鮮戦争については言及しなかった。 つまり北朝鮮側は顕忠院を「反共」のシンボルではなく、あくまで「抗日独立」のシンボルとしてのみ見据ゑてゐる。

 北朝鮮の国営中央放送は顕忠院表敬のニュースを伝へたが、顕忠院の説明も黙祷した事実も伝へなかった、と韓国マスコミは不満げに伝へてゐるが、「光復六十年」の節目に、「自主平和統一」の祝典を機会を巧みに捉へて、顕忠院を訪問した北朝鮮の政治的意図を見定めるべきであらう。


▽どうなる「答礼」

「民族統一」を強調する北朝鮮側に対して、韓国マスコミは「たった一度の黙祷で、しかも参拝の対象と意図を意識的にせばめた参拝で、南北間の新しい未来が開かれるとは思へない」「過度な友好的解釈は禁物」と戒めてゐる。

 けれども、与党ウリ党はじめ韓国の各政党は参拝を一様に歓迎し、とりわけ親北政策を採る盧武鉉大統領は北の代表団に「顕忠院への表敬訪問は非常によいこと」と語ったと伝へられる。

 このやうな韓国内の反応をいちばん「歓迎」してゐるのが北であることは間違ひあるまい。

 そしてさっそく、新たな問題が生まれてゐる、と韓国マスコミは指摘する。今回の顕忠院訪問への答礼として、北が金日成廟などへの表敬を要求した場合、韓国側はどう対応するか、が課題となる、といふのである。

 この指摘はまったく正しいが、同じことは日韓にもいへる。

 日本の首相はしばしば韓国の顕忠院を表敬してゐる。とくに平成十三年八月に小泉首相が靖國神社に参拝したあと、中国、韓国から猛然たる反撥がわき起こったとき、首相は同年秋に訪韓し、顕忠院で献花、焼香した。

 けれども韓国大統領が靖國神社に答礼表敬したことはない。

 かつて金大中大統領は「戦犯が合祀されない国立墓地のやうなものを日本が造るなら、参拝する用意がある」と語ったが、日本の首相は「抗日」活動家を祀る顕忠院に何度も表敬し、慰霊の誠を捧げてゐる。平成十四年には高円宮・同妃両殿下が表敬された。
タグ:靖国問題

首相の靖国神社参拝は「政教分離」に違反しない──バチカンは戦前から一貫して認めてきた [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 首相の靖国神社参拝は「政教分離」に違反しない
 ──バチカンは戦前から一貫して認めてきた
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 安倍内閣の閣僚らの靖国神社参拝に、中国や韓国が反発していることについて、安倍首相が14日の参院予算委員会で、「誤解に基づくものが多い」との見解を示したと、一昨日、15日の中国・人民網(人民日報電子版)が、論評ぬきで、事実を淡々と伝えています〈http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/345120/〉。

 安倍首相は、中国や韓国の反発は「誤解に基づくものが多い」とした上で、「靖国神社が軍国主義の象徴かどうか、行けば分かる。そこは厳粛な慰霊の場だ」と述べた。閣僚の参拝が「政教分離の原則」に抵触するのではないかとの指摘には、「私人の立場で参拝するのは、個人の自由だ」と強調したというのです。

 日中間の靖国問題がこじれた原因の1つは、中曽根首相の「公式参拝」後、中国の保守派からの批判を受けて、翌年は参拝を自粛したことにあるといわれます。信念を貫けず、風向きによってころころ変わる日本側の弱点を見抜かれ、突き崩されたのです。

 何があっても信念を貫き通すことが、日中間において重要です。

 今回の淡々とした人民日報の報道は、安倍首相の信念を見て、北京政府が対応を変えてきた現れかもしれません。

 ただ、安倍首相が「靖国神社は厳粛な慰霊の場だ」と言い切ったのは評価できますが、1点、気になるのは、「閣僚の参拝が『政教分離の原則』に抵触するのではないかとの指摘には、『私人の立場で参拝するのは、個人の自由だ』と強調した」ことです。

「私人」なら許されるというのは、「国はいかなる宗教的活動もしてはないない」という憲法の規定を念頭に置き、「公人」としてなら合計性が問われる可能性があるということなのでしょう。

 しかし、そういう憲法理論は誤りだと私は考えます。

 この理論では、公人中の公人である天皇が靖国神社を参拝する場合も、「私人」として認められるということになるのでしょうか? 歴代天皇が第一のお務めとしてきた祭祀を「皇室の私事」として容認した、占領期さながらの憲法解釈といえます。

 問題は、「公人」の靖国神社参拝が国民の信教の自由を侵すかのどうか、のはずです。その目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、または圧迫、干渉するものでないなら、問題はないはずです。

 なぜなら、靖国神社参拝は宗教行為というより、国民儀礼だからです。

 靖国神社の参拝が信教の自由を侵害するかどうかについて、歴史的にもっとも過敏であったカトリック教会の場合、最近の左翼チックな日本の教会指導者たちはいざ知らず、バチカンは戦前もいまも信徒の参拝を容認しているばかりでなく、参拝は信徒の務めであるという見解さえ表明されています。

 政治家たちは堂々と、国民儀礼としての参拝を果たすべきです。それは「公人」としての務めです。

 というわけで、平成19年2月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。



 過去三十年間、靖国神社の国家護持運動や首相参拝に強く反対してきた日本のカトリック教会の指導者たちが、今度は信者の靖国参拝を認めるバチカンの公文書を無効とする挙に及び、反靖国的姿勢を募らせています。

 カトリック中央協議会が「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」と題する小冊子を発行したのは昨年秋でした。

 一九三六(昭和十一)年にバチカンの布教聖省が日本の教会に与えた指針「祖国に対する信者のつとめ」は、国家神道の神社(靖国神社)の儀礼は宗教的なものではない、とみなし、信者の参加を公的に認めていましたが、今回の冊子は「七十年が経過し、状況が変わった以上、そのまま今の教会に適応できない」と効力を否定し、「信者の参列は差し支えないとはいえない」と主張しています。

 しかし東京大司教が執筆し、司教協議会が編集した冊子は、史的理解が正確でないなど、多くの問題点が指摘されます。


▽儀礼は宗教的か否か

 このバチカンの指針は、昭和七年の上智大学生靖国参拝拒否事件のあとに出されました。

 事件は、軍事教練の配属将校に引率され、靖国神社まで行軍した学生のうち信者数人が参拝(敬礼)を「拒否」したのをきっかけに大混乱に発展したもので、今日の教会は戦前の「迫害」の象徴ととらえています。今回の小冊子も「教会は弾圧と迫害にさらされていた」と書いています。

 しかしほんとうにそうでしょうか。

『上智大学史資料集』は多くのページを割き、事件に関する一次資料を網羅しています。ちょうど日本の教会指導者が反靖国的傾向を強めていった時期に編集、刊行されていますが、「弾圧と迫害」の事実を読み取るのは不可能です。

 渦中にいた大学関係者は「軍部による政党打倒運動に事件が利用された」と回想しているほどで(『未来に向かって』など)、軍部の嫌がらせはともかく、日本政府が政策的に教会を弾圧した歴史はないはずです。

 ただ、信者にとって信仰上の問題をはらんでいたのは事実でしょう。キリスト教は一神教です。敬虔な信者であればあるほど、唯一神以外の神を礼拝することは許されません。靖国神社での敬礼は宗教行為なのか否か、事件は問いかけたのです。

 今回の小冊子は、靖国神社を宗教と断定し、その前提で、事件を政教分離問題として政治的に理解しようとしていますが、問題の本質はそうではなく、異教の国での戦没者追悼という国民儀礼に一神教の信仰者は参加を許されるのか否か、という信仰問題なのでしょう。

 であればこそ、事件さなかの昭和七年九月、シャンポン東京大司教は鳩山文相宛に書簡を送り、学生らの神社の儀式への参列は愛国心と忠誠を表すものなのか、宗教に関するものか、回答を求め、これに対して文部省は、「神社参拝は教育上の理由に基づくもので、学生らの敬礼は愛国心と忠誠とを表すものにほかならない」と答えました。

 靖国神社での敬礼は宗教的意義を有さない、という公式回答を得て、信者らは安心して参拝できるようになったのです(田口芳五郎『カトリック的国家観』など)。

 この教会の判断はバチカンによって追認されました。それが一九三六年の指針です。

 日本の教会は、異教儀礼に由来すると思われる行為などを公的に求められたときの信者の対応について何度も照会し、これに応じて布教聖省はこの指針を発したのです。

 この指針が注目されるのは、同じ布教聖省が一六五九年に宣教師に与えた古い指針を冒頭に引用していることです。

「各国民の儀礼や慣習などが信仰心や道徳に明らかに反しないかぎり、それらを変えるよう国民に働きかけたり、勧めたりしてはならない」

「キリスト教信仰はいかなる国民の儀礼や習慣をも、それが悪いものでないかぎり、退けたり傷つけたりせず、かえってそれらが無事に保たれるように望んでいる」

 この賢明な原則を想起するのは有益である、と一九三六年の指針は述べています(カトリック中央協議会編『歴史から何を学ぶか』など)。

 布教聖省が約三百年前の指針を引き合いにしたのには理由があります。古い指針は中国に布教する宣教団に与えられたものです。キリスト教徒が異教世界の儀礼に参加することの是非論は昨日、今日に始まったものではないのです。

 十六世紀末に中国宣教を開始したイエズス会は、中華思想に固まり、排外的で自尊心の強い中国人に布教するため、画期的な「適応」政策を編み出しました。

 現地語を学び、現地の習俗、習慣を積極的に採り入れ、絶対神デウスを中国流に「天」「上帝」と表現し、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝の儀礼に参加することをも認めました。

 この布教戦略は功を奏し、イエズス会士は宮廷に迎えられ、高級官僚となり、やがて信者は増え、一六九二年にはキリスト教は公許されました。

「適応」政策の成功は、その成功ゆえに、遅れてやってきたドミニコ会やフランシスコ会の嫉妬と反感を買い、修道会同士の人間臭い陰湿な対立抗争を招きました。そして典礼問題が発生し、孔子崇拝の儀礼参加の是非がバチカンで論争になります。

 結局、イエズス会が敗北を喫し、一七七三年には解散させられます。

 しかし二十世紀になって適応主義は蘇ります。日本の教会は一九三六年に靖国参拝が認められ、中国では三九年に孔子廟での儀式参加が許されました(矢沢利彦『中国とキリスト教』など)。

 東京大司教の冊子には、こうした広い世界宣教史的視点が欠けています。


▽指針を見直す権限

 今回の小冊子は七十年の時の経過で、一九三六年の指針の効力が失われている、と主張していますが、靖国神社の儀礼参加を認めた指針の有効性は、戦後、一九五一年に出されたバチカンの新しい指針が確認しています。

「戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民儀礼と見なされてきた。日本政府は明確に言明してきたし、この数世紀間に儀式の意味は変化した。だから靖国参拝は許可され、教皇特使ドハーティ枢機卿は昭和十二年に参拝したのだ」

「この数世紀間に」という文言に、三百数十年の典礼論争を経た教会にとっての靖国問題の本質が見えます。しかし今回の小冊子には新しい指針への言及がありません。

 バチカンの指針を見直す権限は、当然、バチカンにあるでしょう。そしてバチカンが七十年前の神社参拝許可を取り消した、という事実は聞きません。

タグ:靖国問題

靖國神社批判が収まらない──官僚、メディア、政治家の誤解と曲解 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 靖國神社批判が収まらない──官僚、メディア、政治家の誤解と曲解
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 報道によると、自民党の高市政務調査会長は、今日、放送されたNHKの日曜討論で、閣僚らによる靖国神社参拝が中国や韓国に批判されていることなどについて、次のように述べました。

「閣僚の靖国神社参拝を、ここでやめたら終わりだ。国策に殉じて命をささげた方々をいかにおまつりするかは内政の問題だ。日本の支配を受け、植民地とされた国の方々の民族の誇りを傷つけて大変な苦難を与え、被害を与えたことは確かだが、当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのかどうかだ。安倍総理大臣が、国会で『侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない』と答弁したことは間違っていない」

 また、「(村山談話が)侵略という文言を入れているのは私自身しっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」と、福井市内で記者団に語ったと伝えられます。

 ポイントは「侵略」という言葉です。

 というわけで、平成18年3月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。当時はまさに「侵略」という表現が話題になっていました。

 それでは本文です。なお、記事は同紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。一部に加筆修正があります。



 根拠に乏しい靖国批判が一向に収まらない。

 栗山尚一・元駐米大使は日本で唯一の外交問題専門のオピニオン誌といはれる「外交フォーラム」一・二月号に連載された論攷で、日本外交の重要課題は近隣諸国との和解で、その実現には過去の過ちを認め、対外行動に反映させる努力が必要だと主張し、小泉首相の靖國神社参拝を「支持できない」と断じてゐる。


▽「謂はれなき侵略」

 栗山氏は、戦歿者の追悼に外国が干渉するのは不当だが、と前置きしながらも、遊就館の展示説明文などを引き合いにして「靖國神社の歴史観」を批判し、「国策の誤り」「植民地支配」「侵略」を表明した終戦五十年の村山首相談話とも、「我が国の戦後の歴史は戦争への反省を行動で示した」とうたふ終戦六十年の小泉首相談話とも相容れない、と指摘する。

 たとへば靖國神社が一貫して使用する「大東亜戦争」といふ呼称は当時の日本政府が戦争を正当化するために掲げた大東亜共栄圏構想と表裏の関係にあり、首相参拝は神社の「大東亜戦争」肯定史観を共有してゐるとの印象を与へかねない。したがって参拝は控へるべきだ、といふのである。

 だが栗山氏は完全に誤解してゐる。

 靖國神社は創建以来、国事に殉じた戦歿者の慰霊を第一義とする祭祀施設である。韓国の国立墓地や中国の人民英雄記念碑とは異なり、特定の歴史観に基づくものではないし、神社は歴史批判の機能を持つものではない。遊就館の展示説明から「侵略戦争肯定」と決めつけるのは濡れ衣である。

 誤解の最たるものは「支配者と被支配者、侵略者と被侵略者との間の和解」といふ階級闘争史観もどきの二項対立的史論の立て方にある。

 栗山氏は村山談話を「政府の歴史認識をはじめて包括的に内外に明らかにしたものとして画期的」と絶賛してゐるが、「植民地支配と侵略によってアジアの人々に多大の損害と苦痛を与へた」といふ談話の認識は観念的すぎないか。

 たとへば外務省は「侵略」を「aggression」と訳してゐる。英単語の語義からいって「挑発もないのに謂はれなき侵略を敢行した」といふ意味に受け取れるが、政府が「日本は挑発がないのに中国を攻撃した」といふ歴史認識を持ってゐるのだとすれば、史実に忠実といへるのかどうか、疑問を呈さざるを得ない。

 マスコミでは、若宮啓文・朝日新聞論説主幹と渡辺恒雄・読売新聞主筆が朝日新聞発行「論座」二月号の対談で意気投合し、「遊就館がをかしい。あれは軍国主義礼賛の施設」(渡辺氏)、「首相参拝が結果的に『A級戦犯がなぜ悪い』『A級戦犯は濡れ衣ぢゃないか』といふ遊就館につながる思想の人たちを喜ばせ、力をつけさせてゐる」(若宮氏)などと靖国批判を展開、国立追悼施設の建設を合唱してゐる。

 渡辺氏は「殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。加害者の責任の軽重を問ふべきだ」と主張し、若宮氏は「A級戦犯の合祀に昭和天皇は不快感を表明し、天皇陛下は四半世紀以上も参拝してゐない。だから陛下が晴れて追悼に行けるやうな国立施設を造ったらいい」と応じてゐる。

 また渡辺氏は、「宮司のいふ神道教学は、国教は神道だけだといふ明治以降の国家神道の教学だ。そんなもののために国民が二分され、アジア外交がめちゃくちゃにされてゐる」と靖國神社批判、首相参拝批判を語り、若宮氏は「東条英機らを称へる神社に首相が参拝を続けてはばからない」と同調してゐる。

 日本を代表する大新聞の最高幹部の対談は、元エリート外務官僚と同様の誤解から抜け出せないでゐる。

 靖國神社は「A級戦犯を合祀してゐる」のではない。独立恢復後、日本政府が戦犯の刑死・獄死を「公務死」と認めたことから、戦犯刑死者は一般戦没者と同様の待遇を受けられるやうになり、それが「戦犯」合祀の道を開いたのである。

 英霊は一視同仁、生前の位階勲等、年齢・性別などの区別なく一座の神として祀られてゐる。責任の重さも無関係で、一命を祖国に捧げたといふただ一点において「靖国の神」となる。慰霊の祭場を「軍国主義」呼ばはりするのは的外れだ。

「昭和天皇の不快感」に到っては下種の勘ぐりといふべきで、年二回の例大祭には変はることなく勅使が差遣され、幣帛が奉られてゐる。

 戦争の惨禍を繰り返さないために歴史検証は必要だが、それは歴史家の仕事であらう。殉国者への慰霊と歴史批判は区別されなければならない。


▽「国家神道の象徴」

 政界の靖國神社批判も激化してゐる。

 小泉首相は年頭会見で記者の質問に答へ、「靖国参拝は外交問題にしない方がいい。哀悼の念をもって参拝し、不戦の誓いを立てることがなぜ批判されるのか、理解できない」と語ったのに対して、政権与党の神崎武法・公明党代表はNHKの政治討論で、「首相、外相、官房長官は参拝を自粛すべきだ。宗教的に中立な国の追悼施設を造ることが大事だが、追悼施設建設は必ずしも靖国問題の解決にはならない」と批判を強めてゐる。

 公明党の機関紙「公明新聞」は一昨年夏、「靖國神社問題に終止符を打つためには、国立追悼施設を創設する以外にない」と書き、昨年暮れに追悼施設議連が発足したあとには「公式の追悼施設ができ、国家の式典がおこなはれていくなら、靖國神社も一宗教法人の本来の姿に立ち返ることができる」と追悼懇の座長代理を務めた山崎正和氏に語らせてゐた。

 しかし、追悼施設建設構想が進まないことにしびれを切らせたのか、それとも自民・民主「大連立」構想への反撥からか、靖國神社を「国家神道の象徴的な施設」(公明新聞)と断定する公明党の神崎氏は、「次の首相は参拝すべきでない」と「ポスト小泉」にまで注文をつけてはばからない。
タグ:靖国問題

求められる靖国神社の本格的再検討──場当たり的な対応には限界がある [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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求められる靖国神社の本格的再検討──場当たり的な対応には限界がある
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 安倍内閣の閣僚らが靖国神社に参拝したことについて、またしても中国・韓国がつよく反発しています。マスメディアも批判的です。

 靖国神社は明治以来、戦没者を慰霊追悼する中心的施設です。

 戦争は国の行為であり、戦死者を追悼するのは国の責務のはずですが、戦後の日本政府は民間に任せたままにしています。

 その歪なあり方こそ、正されるべきだと私は考えます。公人が参拝するのに私人を装わなければならないということの方が不自然です。

 というわけで、平成19年5月に、宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。当時は安倍首相の大真榊奉納がメディアの批判を浴びていました。

 そのころと比べて、議論がまったく進歩していないことを歯がゆく思うのは私だけでしょうか?



 安倍首相が靖国神社に私費で真榊を奉納したことを一部のマスコミが問題視し、いわゆる靖国問題が再燃する気配です。

 四月下旬の同社の春季例大祭に合わせて三権の長などが真榊を奉納したのを、今月上旬になって日本の新聞が「首相が奉納」と伝え、中国外務省の副報道局長は定例会見で慎重な対応を求め、韓国政府は「非常に遺憾」と論評しました。

 翌日の日本の新聞は「ナショナリズムの地金を小出しにする限り、ジレンマから抜け出せない」「不参拝を明言したら」などと社説で批判しています。

 何が問題とされているのでしょう。ある社説は憲法の政教分離原則と靖国神社の「軍国主義」的性格を指摘しています。しかし問題点というなら、むしろマスコミの扇動主義の方にこそあるかも知れません。


▽責任を転嫁する大新聞

 まず政教分離ですが、ちょうど十年前、最高裁大法廷は、愛媛県が靖国神社の例大祭に玉串料を公金から支出したのは憲法違反である、との判決を下しました。このとき「合憲と違憲の目安が示された」と評価したはずの新聞が、今度は私費の奉納も「疑問がある」と主張しています。論理の一貫性がありません。

「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める憲法をあくまでも厳格に解釈するというのなら、違憲とみなすべき事例はほかにたくさんあります。

 たとえば、東京都の外郭団体が主催する都慰霊堂の法要は仏式で、皇族や三権の長、自治体の首長の献花もあります。岩手県奥州市にあるキリシタン領主・後藤寿庵の館跡で地元教会が主催する祈願祭に、市長はご祝儀を公金から支出しています(市の公式サイト)。

 完全分離主義に立てばこれらは違憲でしょうが、完全分離主義者が追及したとは聞きません。憲法を盾に攻撃されるのは決まって靖国神社です。

 大新聞の社説も「忘れてならないのは靖国神社の性格だ」とずばり指摘し、「隣国を侵略し、植民地化した戦前の軍国主義のシンボル。その歴史はいまも遊就館で正当化されている」と一刀壟断にしています。しかし言い分は正しいのかどうか。

 敗戦後、GHQは、占領軍が被占領国の宗教を尊重すべきことを規定する国際法に違反して、靖国神社の焼却を主張したばかりでなく、いわゆる神道指令によって神道に対する差別的な圧迫を加え、駅の門松や注連縄をも撤去しました。

 それは「国家神道」に対する誤解と偏見があったからです。アメリカは「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉で、これが「侵略」戦争を導いた、と理解していました。

 ところがです。

 昭和二十年十一月の臨時大招魂祭は終戦前の形式での挙行が許されました。GHQはその結果を見て、神社の存廃を決めようとしたのです。泳がせ戦術です。

 日本側は「従来の軍楽隊の奏楽は印象を悪くする」と懸念しましたが、結果は逆で、占領軍には「荘厳で良かった」と好評でした。

 また、神職が一兵卒として召集されていたという事実は、職員が戦争指導の責任的立場にあったと見るGHQの先入観を打ち砕きました(小林健三ら『招魂社成立史の研究』)。

 こうして「国家神道」の幻影は消え、占領後期になると神道を標的とした宗教政策は改まりました。であればこそ、松平参議院議長の参議院葬が神式で挙行されたし、吉田首相の靖国参拝も認められたのでしょう。

 アメリカ人が見た「軍国主義のシンボル」は、鏡に映った自分の姿だったのではないでしょうか。日米開戦後、「全国民の教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルでは月例ミサが始まり、ホーリー・スピリット・チャペルは「war shrine」としての役割を果たしたといわれます。

 日本の大新聞が靖国神社をシンボル化したという歴史さえあります。

 ある新聞は戦意高揚のイベントをいくつも手がけ、靖国神社境内を主な会場とする「戦車大展覧会」を主催しました。言論より商売を優先させ、靖国神社を利用して「戦争の時代」を演出し、「経理面の黄金時代」を築いた大新聞が、いまさら神社を批判するのは責任転嫁そのものです。

 扇動主義は懲りずに現代も続いています。

 胡錦涛・温家宝体制は対日重視政策を採り、四年前の秋、バリ島での首脳会談で温首相は靖国神社参拝に触れませんでしたが、帰途、同行記者団に心を許した小泉首相が「参拝は中国側にも理解されている」と語ったとメディアが伝えると、温家宝は強硬派の批判を浴びました。

 二年前の全人代で温家宝が靖国批判をしたのも、日本の記者が質問したからで、やがて対日重視政策は後退していきました。

 今回、首相の真榊奉納について中国外務省の高官が懸念を示し、クギを刺したとの報道がありますが、中国側の報道では記者の質問に答えただけのことです。マスコミ報道が靖国問題をあおり、日中関係を悪化させる原因を作っています。

 むしろ中国側は冷静です。靖国批判をテコにした「反日」江沢民派の猛攻をしのいだ胡錦涛政権は歴史問題に抑制的方針をとっています。「反日」が国益に沿わないのを知っているからです。


▽日本の精神伝統の破壊

 それなら何のための靖国攻撃なのか。

 祖国に一命を捧げた国民を慰霊・追悼することは国家の当然の責務であり、いずれの国であれ、それぞれの宗教伝統に基づいた国家的儀礼が斎行されています。公的慰霊を民間任せにするような国がどこにあるでしょう。

 完全分離主義者らは国家の基本を蔑ろにし、占領史や中国国内の動き、仏教やキリスト教の事例には目をつぶり、平和と護憲を教条的に唱え、GHQでさえ捨て去った神道撲滅運動に血道を上げ、日本の歴史の否定、精神的伝統の破壊を推し進めています。

 だとすると、マスコミに暴かれ、攻め立てられて、政府高官が会見で釈明するというような場当たり的な姿勢ではなく、国の基本的なあり方として靖国神社を位置づけ、制度を本格的に再構築することが求められます。

 焦点は、むろんいわゆるA級戦犯合祀でしょう。神社による合祀がきわめて慎重に進められたことは国会図書館の新資料集が明らかにしていますが、葦津珍彦ほか先人たちの不同意にもかかわらず合祀が敢行されたともいわれます(「中外日報」の葦津論攷)。

 靖国神社は侵略戦争を肯定しているわけでも、戦争犯罪を神聖視しているわけでもありません。「分祀」論者のいう「分祀」には何ら神道的意味はありませんが、明治大帝の思し召しによる創建の精神に立ち返って、神社のあり方を根本的に再検討すべき時であることは間違いないでしょう。

 読者の皆さまはいかがお考えでしょうか。
タグ:靖国問題

「殉国者は靖國神社に祀らるべし」──ビッテル神父からGHQへの答申 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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「殉国者は靖國神社に祀らるべし」──ビッテル神父からGHQへの答申
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 安倍内閣の閣僚らの靖国神社参拝に中国・韓国が反発していることについて、朝日新聞が一昨日、26日の社説で取り上げています〈http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304250545.html?ref=reca〉。

「靖国神社には戦没者だけでなく、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯が78年に合祀(ごうし)された。それ以降、昭和天皇は靖国を参拝しなかった」

「戦前の靖国神社は、亡くなった軍人や軍属を「神」としてまつる国家神道の中心だった」

「首相や閣僚による公式参拝は、憲法の政教分離の規定からみても疑義がある」

 事実関係がだいぶ違うのではないでしょうか? メディア自身の責任を隠蔽していることも注目されます。

 たとえば、いわゆる「A級戦犯」の合祀には前史があります。朝日新聞の過去の記事をひもとけば明らかなように、「戦犯」の赦免・減刑は国際社会の合意に基づいて行われています〈http://izasaito.iza.ne.jp/blog/entry/3042942/〉。

 平和条約調印の翌年、昭和27年5月2日、昭和天皇の御臨席のもと、新宿御苑で全国戦没者追悼式が催され、3日には皇居前広場で独立記念式典が開かれました。天声人語(4月9日)は「独立式典に先立ってまず慰霊するのが順序。結構である」との見識を示しています。

 いみじくも今日28日、政府主催の「独立回復の日」式典が開かれますが、かつての朝日新聞は「戦犯」に好意的でした。「戦犯」の赦免・減刑に朝日新聞の記事が果たした役割は大きいと思います。

 それがなぜ、今日のように冷淡に豹変したのか、朝日新聞は社論の変更について、きちんと説明すべきではありませんか?

 昭和天皇が「A級戦犯」合祀にご不満であり、そのため靖国神社に参拝されなかったというような見方も早計でしょう。

 天皇は、すべての国民をみなひとしく赤子(せきし)と思われ、「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈り、国と民を一つに統合するお務めを果たされます。天皇には賛成派も反対派もないのです。したがって、国を二分する結果を招くような行為は慎まれることでしょう。

 なぜ戦没者が「神」なのか?

 イギリスでは戦没者追悼記念日に記念碑セノタフで国の式典が催され、宗教儀式も行われますが、戦没者はむろんGodではありません。靖国神社が殉国者を「神」として祀るといっても、それぞれが「神」なのではありません。

 戦没者は「靖国大神」という一座の神に合祀されます。かけがえのない命を国に捧げたことが「神」とされるのであり、それ以上、丁重に敬意を表する方法が考えられないからではありませんか?

「国家神道」についても、アメリカが戦時中から、「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉で、靖国神社はその中心施設であり、教育勅語がその聖典だと誤解していたのは事実のようで、そのため敗戦後、占領軍のなかには爆破焼却の噂が持ち上がっていました。

 けれども、戦前、30年間にわたって靖国神社宮司の地位にあった賀茂百樹は軍国主義どころか、平和を訴えています。晩年、病床で口述した「私の安心立命」(昭和9年)には「神ながらの武備は戦争のための武備ではない。戦争を未然に防止し、平和を保障するのが最上である」とあります。

 むしろ「軍国主義」の推進者はメディアでしょう。朝日新聞はたとえば、昭和14年、靖国神社の外苑に戦車をずらりと並べたてる戦車大展覧会を開催し、同時に戦車150台が銀座をパレードする大行進も催しました。大新聞が、靖国神社を利用して、戦争への時流を作り上げたのです。

 愛知大学の江口圭一教授は、『日本帝国主義論』で、「強調されねばならないのは、この両大紙(朝日と大阪毎日・東京日日)が新聞社としての能力・機能のほとんどすべてを傾注して(満州)事変の支援につとめ、事変そのものを自己の不可欠の構成部分に組み込み、戦争を自己の致富の最有力の手段として、この制覇を成し遂げたという事実である」と名指ししています。

 ところが朝日新聞の『社史』には戦車展が掲載されていません。歴史の隠蔽でしょうか? 他者を激しく攻撃して、自分の責任を回避するというのは、人間にはしばしばあることです。インテリほどその傾向が強いかもしれません。

 じつに興味深いことに、昭和20年11月の臨時招魂祭・合祀祭に参列したCIE(民間情報教育局)部長のダイク准将らは「たいへん荘厳でよかった」と神社の祭典に逆に感激します。神社の職員が一兵卒として応召したことも分かり、靖国神社の職員が戦争指導の中心にいた、という誤解は一気に晴れました。

 ポツダム宣言は「軍国主義」が世界から駆逐されるべきことを謳い、日本はこれを受け入れました。けれども、靖国神社は存続しました。「軍国主義」ではないから、と考えざるを得ません。

 ただし、アメリカが何をもって「国家神道」と考えたのか、なぜ靖国神社がその中心施設だという誤解をしたのか、はまだまだ学問的に解明されていません。靖国神社をめぐる混乱の第一の原因はそこにあります。

 というわけで、平成17年12月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。なお、一部に加筆修正があります。同紙の編集方針から歴史仮名遣いになっています。



 今年は神道指令六十年である。

 同指令は神社制度のみならず、日本人の宗教意識の根本的な変革を命じ、とりわけ靖國神社は存亡の淵に立たされた。それから六十年、同社への攻撃がやまない。


▽CIEの大勢は強硬

 昭和二十年八月十五日、昭和天皇はポツダム宣言の受諾と終戦をラヂオで国民に告げられた。九月二日、降伏文書調印。同十七日にはGHQが東京に移された。

 米国政府は戦時中から「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉と理解してゐた。

 米軍の東京進駐から一カ月後の十月六日、米国務省極東部長ヴィンセントはラヂオで占領政策を米国民に説明し、「日本政府に指導され、強制された神道ならば廃止されるだらう」と述べた。八日付朝日新聞はこれを「神道の特権廃止」と伝へるAP電を載せた。

 放送内容を事前に知らされてゐなかったGHQは驚き、本国に照会、国務長官バーンズは「国教としての神道、国家神道は廃されるだらう」と回答した。この回答がGHQ民間情報教育局(CIE)による神道指令起草の起点となる。

 このころ「国家神道」の中心施設と考へられてゐた靖國神社では遊就館の業務が停止し、神社「焼却」があちこちで噂になってゐた。

 米政府はCIEに「国家神道は廃止すべきだが、民間信仰の対象としての神道は残してもいい」と訓令してゐたものの、CIEの大勢は「神道、神社は撲滅せよ」と強硬に主張してゐた。

 これに呼応して、日本の仏教界も強硬で、キリスト者も「神道に圧迫された」と神道批判の嘆願書を盛んに書いた。CIEは創価学会の発展を奨励したといはれる。

 大日本帝国最後の靖國神社招魂祭を約一カ月後に控へた十月中旬、最高司令官マッカーサーの覚書が上智大学のビッテル神父の元に届いた。ビッテルは独人で、日米開戦回避に努力したこともあった。このころは法王使節代行でもあった。

「司令部の将校たちは靖國神社の焼却を主張してゐる。同社焼却にキリスト教会は賛成か否か、速やかに貴使節団の統一見解を提出されたい」

 ビッテルは推察した。〈占領軍の将校たちは、靖國神社、護国神社が廃止されればキリスト教会の発展が容易になり、教会は喜ぶだらうと単純に考へてゐた。それなら逆に、神社の前途を教会の意思にゆだねようとマ元帥は考へたに違ひない〉。

 ビッテルはバーン管区長ら数人の神父と意見を交はし、結論を出した。

「いかなる国家も、国家のために死んだ人々に対して敬意を払ふ権利と義務がある。それは戦勝国か敗戦国かを問はず、平等の真理でなければならない。もし靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きはまる汚点となって残るだらう。神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。靖國神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるといふなら、排除すべきは国家神道といふ制度であり、靖國神社ではない。いかなる宗教を信仰するものであれ、国家のために死んだものは、すべて靖國神社にその霊を祀られるやうにすることを進言する」

 答申書は約束通り、翌日の朝までにマッカーサーの副官に渡され、靖國神社は守られた。臨時大招魂祭は十一月十九日から予定通り斎行され、昭和天皇が行幸された。


▽GHQの解釈変更

 しかし十二月十五日、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の禁止に関する件」といふ長い表題の付いた日本政府への覚書、すなはち神道指令は発布された。

 日本政府はこれを「唐突」と受け止めた。CIE教育・宗教課で宗教班の責任者だったバンスらはビッテルの答申と前後して神道研究を始めてゐた。基本姿勢は「神道国家主義の根絶」。

 果たせるかな、六次にわたる草案を経て、発令された神道指令の「目的は宗教を国家より分離するにある」と規定されてゐたが、実際は「国家と教会の分離」が拡大解釈され、神道に対する差別的圧迫が加へられた。

 ハーグ陸戦協定には占領軍は被占領国の宗教を尊重すべきことが規定されてゐるが、GHQはこの戦時国際法に公然と違反し、なほかつ「宗教の平等」原則に違反して、とくに民族宗教たる神道の弱体化を図った。

 ポツダム宣言には「宗教・思想の自由は確立せらるべし」の項目があったが、多くの神道的宗教慣例が禁止された。

 GHQ宗教課職員ウッダードの論攷などによれば、占領後期、GHQは神道指令の「宗教と国家の分離」を「宗教教団と国家の分離」に条文解釈を変更し、実際、昭和二十六年の貞明皇后御大喪は国家的に挙行された。

 しかしいつの時点で、どのやうに解釈が内部的に変更されたのかは明示されずじまひだった。そもそも米国人の「国家神道」理解に偏見と曲解があったのだが、真相は明らかにされず、神道への差別的扱ひも放置された。

 そのツケは現代も続いてゐる。小泉首相の五度目の靖國神社参拝後、同神社に代はる「国立の無宗教の追悼施設建設」の要求がふたたび高まり、十一月九日には国会議員百三十人が糾合して超党派の議員連盟が設立された。歴史は繰り返されるのか(参考文献=『マッカーサーの涙──ブルーノ・ビッテル神父にきく』、大原康男『神道指令の研究』など)。
   
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海外メディアの「靖国」批判──「侵略戦争」を「正当化」? [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 海外メディアの「靖国」批判──「侵略戦争」を「正当化」?
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 一昨日の「赤旗」(電子版)に「靖国参拝 『不要な国粋主義』 NYタイムズ紙が社説」という記事が載りました〈http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-26/2013042601_07_1.html〉。

 24日付ニューヨーク・タイムズの記事を取り上げ、アメリカの有力紙も、安倍内閣の閣僚ら168人の国会議員による靖国神社参拝を批判しているではないか、と虎の威を借りるかのように、あらためて批判しているわけです。

「赤旗」はこれまでも海外の靖国批判を取り上げていますが、偏見や誤解に基づく海外の報道なら、まともに取り扱う方が無謀ではないでしょうか?

 というわけで、靖国批判が吹き荒れていた平成17年7月に、宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。同紙の編集方針で、本文は歴史的仮名遣いになっています。一部に加筆修正があります。



 日本共産党の靖国批判が加熱してゐる。

 機関紙「赤旗」で遊就館の展示などを「戦争を賛美」「反省のかけらもない」と攻撃する一方で、「一部の日本のために無罪判決を求める戦争神社」(六月二十二日付ニューヨーク・タイムズ=NYT)などと伝へる米国の報道を取り上げ、「アジアにとどまらず米国でも問題にされてゐる」と、まるで鬼の首を取ったかのやうな激しい報道ぶりだ。

 けれども、「赤旗」も外国メディアも、靖國神社に対する無理解をさらけ出したに過ぎないのではないか。


▽ 浅薄かつ一方的

 米国を代表するNYTのこの記事は大西哲光・東京支局長が執筆したもので、右翼の街宣車が集合してゐる朝の風景から書きおこし、「靖國神社は軍国主義的な過去を修正する努力の象徴的中心である」「神聖天皇中心の国家主義的な国家神道創設に日本が駆り立てられたとき、靖國神社は創立された」「米国は無関心な第三者でゐられない。真珠湾攻撃を命令した日本人を神格化してゐるからだ」などと書きつづってゐる。

 しかし、そもそも神社と右翼団体との直接的関係はない。近代日本が終始一貫、「国家神道」に肩入れし、国民の生活の隅々にまで浸透した、といふやうなマルクス主義者が喜びさうな「国家神道」理解は今日、学問的に否定されてゐる。

 靖國神社を「国家神道の神社」と見ることも浅薄であり、むしろ神道人たちが「国家神道」と戦った歴史さへ知られてゐる。また「靖国の神」はGodではない。

 何よりもNYTの記事は、靖國神社が国に一命を捧げた戦歿者のための慰霊の祭祀を日々、厳修する祭場である、といふもっとも基本的な神社の本姿を伝へてゐない。

 執筆者は、「『昭和の日』は国家主義が高まり、制定された」「サマワに展開する自衛隊の活動は地元当局者には期待外れと」と「偏向」報道してきた人物ともいふ。

 もう一本、「赤旗」が推奨するのは、翌日付「USAトゥデー」のポール・ワイズマン記者の「東京の神社、アジアの怒りの的」である。

 米国最大の新聞の記事は、カップルが外苑を散歩する穏やかな社頭風景から描き始め、正式参拝のルポも交へてゐる。NYTの記事と比較すればはるかに客観的だが、一方で「靖國神社は密かにA級戦犯を合祀した」「神社の管理者は明らかに他者に与へた苦しみよりも日本の苦しみに敏感だ」と批判してゐる。

 けれども、いはゆるA級戦犯(昭和殉難者)の合祀は秘密でも何でもないし、同社が戦歿者の慰霊を第一義とするのは当然のことである。そもそもこの記事は、中国や韓国などの靖国批判の背後に何があるのか、を十分に掘り下げてゐない。

 靖国問題の原因が靖國神社および日本側にある、との見方は一方的であり、米国占領軍の偏見そのものといへる。


▽ 「赤旗」の的はづれ

 にもかかはらず、「赤旗」は「極右集団と靖国神社が、戦争の見方でまったく同じ立場、ネオ・ナチ的立場に立ってゐることに注目した」「密かに合祀したことが、戦中の日本の残虐行為をもみ消さうとする教科書と相まって、『アジア中の神経を逆なでしてゐる』と指摘した」と持ち上げる。

「赤旗」はこれらの記事が「靖國神社の戦争観とそれへの首相の態度といふ問題の核心に迫ってゐる」と主張するのだが、まったく的はづれであらう。

 靖國神社はかけがへのない命を国に捧げた戦歿者にひたすら慰霊の誠を捧げてきた。特定の歴史観や戦争観に基づくわけではない。遊就館の展示内容から「侵略戦争を正当化」などと決めつけるのは「濡れ衣」といへる。
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王毅中国大使が防大で靖國神社を批判──都合のいい一方的な歴史認識 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 王毅中国大使が防大で靖國神社を批判──都合のいい一方的な歴史認識
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 日本の閣僚たちの靖国神社参拝をめぐる安倍首相の一連の発言に対して、中国外務省の副報道局長が昨日、会見で、「もし日本の指導者が過去の侵略の歴史を『誇りある歴史と伝統』とみなすならば、アジア諸国との関係にも未来はない」と強く批判したと伝えられます。

 あくまで副報道局長の発言ですから、それほど目くじらを立てるべき段階ではないと思いますが、私が思い起こすのは、8年前の平成17年10月に王毅駐日大使(当時。いまは外交部長、つまり外務大臣)が執拗に小泉首相の靖国神社参拝を批判していたことです。

 けれどもその内容は偏見と曲解に満ちていました。

 中国外務省が靖国神社に対する偏見を引きずっているとしたら、日中に未来はありません。

 というわけで、そのころ宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。なお、一部に加筆修正があります。本文は同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 王毅・駐日中国大使が小泉首相の靖國神社参拝を、執拗に批判してゐる。十月二十六日には神奈川県・横須賀市の防衛大学校(西原正学校長)で講演した。その内容は中国大使館のホームページ(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/)などで伝へられてゐるが、靖國神社および近現代史に関する偏見と曲解に満ちてゐる。


▽非公開の約束に違反

 防大での講演は、防大側の公式の発表では、「中国の発展の道と外交・安全保障政策」と題して、人文社会科学群二、三、四学年などに対する課外授業として催された。大使は中国の最近の著しい経済発展や主要国に対する政策などを語ったことになってゐる。

 しかし中国側の発表では、必ずしもさうではない。

 最近の発展ぶりをデータで紹介したあと、軍事大国化への懸念をいくつかの根拠をあげて否定したうへで、両国の協力関係の必要性を訴へ、いはゆる靖國神社問題に言及してゐる。すなはち「両国は大きな障碍に直面してゐる。その障碍(しょうがい)の原因は靖國神社問題にあり、焦点はA級戦犯である」と講演したかのやうに、大使館は発表してゐる。

 講演の事実はむろん防大も公表してゐるが、事情通によると、内容については非公開の約束だった。当日は教官や学生との間で丁々発止の激論もあったが、防大は約束を守り、講演や質疑応答の中身を公開してゐない。

 ところが中国側は約束に違反し、一週間後の十一月二日に「講演の全文をウェブサイトに掲載」(中国系メディア)した。タイトルが「人信を信となし、止戈を武となす」と変はったのはまだしも、「都合のいい一方的な内容に改竄された」(関係者)との指摘さへある。

 大使館が発表した「講演録」は、「靖國神社に祀られた十四人のA級戦犯は、かつて日本軍国主義の対外侵略戦争を起こし、指揮した者で、その多くは中国を侵略した日本軍の要職にあった。中国はあの侵略戦争の最大の被害者で、死傷者三千五百万人といふ巨大な代価を払ってをり、ほとんどどの家族も不幸な経験をしてゐる」と主張する。

 ここには認識上、重大な誤りがある。靖國神社は「A級戦犯を祀ってゐる」のではない。日本政府が東京裁判による「法務死」を「公務死」と公的に認めたがゆゑに、「昭和殉難者」十四柱は国に一命を捧げた祭神として合祀されたのである。「戦犯」は合祀以前に、日本政府によって、いはば名誉恢復(かいふく)されてゐる。

「軍国主義」「侵略戦争」といふ認識も一方的だ。

 たとへば、日中が全面衝突するきっかけとなった昭和十二年七月の盧溝橋事件は、夜間訓練中の日本軍に対して中国軍が実弾射撃したのが発端であった。

 日本政府は「不拡大」の方針だったが、その後、中国正規軍の攻撃を受けるにいたり、同月下旬、日本軍は武力発動を決断せざるを得なくなる。中国保安隊の日本人居留民に対する虐殺事件すら起きてゐる。

 この背景には「反共」から「抗日」へといふ蒋介石の戦略転換があり、それを促したのはコミンテルンの「抗日統一戦線結成」採択であり、蒋介石を逮捕し、共産党の要求を突きつけた西安事件ではなかったか。

「死傷者三千五百万人」にいたっては、何の根拠があるのか。日中国交正常化を決めた昭和四十七年の田中・周会談でさへ「幾百万の中国人が犠牲に」(周恩来)と述べてゐるにとどまる。


▽皇軍を評価した毛沢東

 大使はまた「戦争責任は少数の軍国主義者が負ふべきだ」と語ってゐるが、「A級戦犯は悪」で、「人民は正しい」といふ発想は階級闘争史観にほかならない。日中国交正常化の際、日本政府は「侵略戦争の責任を痛感し、深く反省すると表明した」といふのが大使の主張だが、「侵略」といふ表現は昭和四十七年の共同声明にはない。

 もとより日本が戦闘行為をおこなったのは、主として蒋介石政権に対してである。

 毛沢東は「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。おかげで中国人民は権力を奪取した。日本の皇軍なしに我々が権力を奪取することは不可能だった」とさへ述べてゐる。いまさら批判の謂はれはない。

 政府間の合意文書に「侵略」が明記されたのは平成十年、小渕・江沢民の共同宣言で、このとき「反日」江沢民は「正しい歴史認識」を繰り返して日中の溝を深め、その結果、両国は「過去の終結」のチャンスを逃したのではなかったか。

 大使は戦前・戦中史のみならず、戦後史の理解も誤ってゐる。

「首相参拝の継続は侵略を正当化する『靖国史観』に同調することになる」といふ大使の主張はまさに為にする議論といへる。

 北京の人民英雄記念碑は明らかに階級闘争史観に基づいてゐるが、靖國神社は特定の歴史観・戦争観を前提としてゐない。掛け替へのない命を祖国に捧げた殉国者を祀る靖國神社は「国安かれ」と祈る平和の祭場である。

 大使は十一月二十四日には都内の外人記者クラブで同工異曲の靖國神社批判を繰り返した。中国が根拠のない政治宣伝を続ける限り、日中の和解は遠のくばかりである。
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靖国を知らずに靖国を論じる愚昧──中国・韓国の靖国参拝批判に反論する その1 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 靖国を知らずに靖国を論じる愚昧
 ──中国・韓国の靖国参拝批判に反論する その1
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 案の定です。

 安倍内閣の閣僚が靖国神社に参拝したことに韓国と中国が反発しています。韓国は外相の訪日を中止し、中国は外務省報道官が「厳正に抗議した」と会見で述べました。

 ということで、平成14年5、6月に宗教専門紙に書いた連載記事を転載します。

 当時は小泉首相の靖国神社参拝に、中国・韓国が猛反発しました。拙文はそれをきっかけに設置された追悼・平和懇での議論を批判したものですが、現在の状況が10年以上も前とほとんど変わっていないことに愕然とするのは、私だけでしょうか?

 なお一部に加筆修正があります。新聞の編集方針に基づき、歴史的仮名遣いで書かれています。



 昨年八月、小泉首相の靖國神社参拝をめぐり、激しい批判が近隣諸国からわき上がった。

 首相は「わだかまりなく追悼の誠を捧げるために議論する必要がある」との談話を発表。十二月には、内閣官房長官の諮問会議「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会(追悼・平和懇)」が設置された。

 以来、懇談会は五月上旬までに五回の会合を開き、新施設建設構想の是非をテーマに議論してきた。

 しかし首相官邸のホームページ上に公開された第四回会合までの「議事要旨(速報版)」を見るかぎり、議論はむしろ一貫して靖國神社問題で、しかも目を覆ふばかりの無理解と情報不足。それでゐて、すでに「国の新施設が必要」とする結論でまとまりつつあるともいはれる。

 果たしてこれで国民的合意は得られるのか。いま何が問はれてゐるのか──。今号から四回連続で考へてみたい。


 十二月の初会合は、福田官房長官の指名で今井敬経団連会長が座長に、山崎正和東亜大学長が座長代理に選任され、十人の有識者たちの自己紹介で始まる。

 そのあとトップバッター(議事録上の発言者はすべて匿名)は靖國神社を「一宗教法人」「民間施設」と決めつける。戦後の靖國神社しか見てゐないのだ。この認識は随所に、複数の委員の発言のなかに現れる。懇談会設置の目的が新施設必要論の意図的なお膳立てなのではないかといふ疑念さへ浮かぶ。


◇靖國神社創建史を軽視し、「国の施設がない」と結論

 明治の初年に明治天皇の思し召しで明治政府によって同社が創建されたこと、戦後の神道指令で、国家との関係が絶たれ、一宗教法人となったが、それは神道圧迫の占領下でのぎりぎりの選択であり、宗教法人にならなければ解散を迫られてゐたといふ理解は共有されてゐない。

 まして、近年、同社宮司が「いづれは国にお返ししたい」と表明してゐることなどは、議論の俎上にさへ上らない。それどころか「靖國は靖國、国は国でどうぞ、といふやうなことを神社の方からいってもらへればいい」といふ発言すら飛び出してゐる。

 同社の戦後史を表層的に理解し、単純素朴に「国の追悼施設がない」と合理化するのは、創建の歴史と祭祀の伝統を軽視するものではないか。

「靖國神社は神道」といふ発言も見られるが、祀られる英霊、慰霊する参拝者らが個人として信ずる宗教宗派を超えて、しかも固有の伝統にしたがって国家の慰霊・追悼が可能となるやう、近代の日本人が苦心したことへのまなざしは議事録からは感じられない。


◇官民一体で推進された合祀作業には言及せず

 第二回の会合では、はじめに内閣官房が靖國神社に関する資料を提示してゐるが、同社の一般向け資料を参照してゐるだけで、『靖國神社誌』『靖國神社百年史』など、本格的資料がひもとかれた形跡はない。

 内閣官房はまた、昭和五十三年のいはゆるA級戦犯合祀の経緯を説明してゐる。A級戦犯問題は中国などの抗議の核心部分だが、事務局の説明は同社宮司や崇敬者総代会の動きを数行程度ふれてゐるにすぎない。

 講和条約の恩恵を受けられずに、内外の収容所で服役してゐた千二百人以上の「戦犯」を釈放しようといふ一大国民運動が国会・政府を動かし、「戦犯」赦免が国会決議されたこと、右派社会党などの働きかけで「援護法」「恩給法」が改正され、官民一体で合祀作業が進められたことなどへの説明はない。

 第三回の会合は冒頭で「論点整理のためのたたき台」が提示される。山崎座長代理が提出したといはれる「山崎メモ」で、「戦歿者」といふ用語、追悼する対象、理念について問ひかけ、新構想を提案してゐる。昭和二十年を境に戦争概念が一変したといふ認識を前提に、新施設では「PKO活動中に亡くなった警察官、日本との戦争で犠牲になった外国人も慰霊したい」といふのだ。

 二十年八月をもって世界がどう変はったかは精査が必要だらうが、それはともかく、たたき台の背後に見え隠れする、靖國神社は「将兵ばかり、しかも自国の味方ばかり祀る」「戦災者は祀らない偏狭な慰霊施設」といふ認識は公正なのか。

 靖國神社に対する同様の批判は戦前にも根強くあったやうで、昭和七年、賀茂百樹宮司はラヂオ講演で反論してゐる。同社には当初から戦歿兵士のほかに農民や僧侶などが祀られてゐる。生前の職業、位階勲等、宗教、性別の別なく、国事に殉じた英霊を一座の神座に祀るのが同社の伝統だ。


◇英霊に対して重ねられた非礼を清算できるのか

「たたき台」は追悼の対象を「カテゴリーの明示にとどめ、靖國神社のやうに個人の特定はしない」ことを提案する。戦犯批判への配慮であらうことは、「戦犯のカテゴリーは設けない」といふ意見からもうかがへるが、同社が英霊の個人名を霊璽簿に明記してきた理由についての検討はない。

 第四回の会合では、「靖國神社関係者の話を聞く」ことが提案されてゐるが、働きかけはない。

 四月下旬、小泉首相は春の例大祭に合はせて靖國神社に参拝し、「すがすがしい気持ち」と感想を述べたが、中国・韓国はまたしても反撥し、新施設建設にいっそう拍車がかかる情勢だ。

 しかし結論は勿論、正確な知識に基づく精緻な議論が尽くされなければ、武運つたなく国家に一命をささげた二百四十六万余柱の英霊はうかばれまい。懇談会の議論は本年末まで続けられる予定だが、政府が英霊に対して重ねてきた非礼の歴史を清算するために残された時間は多くない。
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アメリカ国家が捧げる祈り──中国・韓国の靖国参拝批判に反論する その2 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 アメリカ国家が捧げる祈り
 ──中国・韓国の靖国参拝批判に反論する その2
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 アーチを描いた高い天井と美しく輝くステンドグラス。正面には巨大な十字架。世界で六番目の規模を誇り、年間八十万人が礼拝に訪れる広大な大聖堂に、陸軍オーケストラが奏でる「ゴッド・ブレス・オブ・アメリカ」が響き渡るなか、儀式は始まった。

「神は私たちのすべての罪、そして苦しみを御存知です」。今年八十四歳になる、全米屈指のテレビ伝道師として熱狂的な支持を得てきた、バプテスト派のビリー・グラハム師は、数千人の参列者にさう語りかけた。

 説教に続き、演説のために席を立ったのは、ジョージ・ブッシュ大統領だった。大統領は「世界中からテロを撲滅する」と宣言したあと、かう締めくくった。「我々の国に神の導きがあらんことを」──。

 昨年九月十一日にアメリカで起こった同時多発テロのあと、世界中が注視するなかで、「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が、アメリカの首都ワシントンの市街地を見下ろす丘の上に建つ、ワシントン・ナショナル・カテドラルで開催され、ブッシュ大統領をはじめ、歴代大統領や政府高官が国家的な祈りを捧げた。

 このカテドラルとはいかなる施設なのか。そこで行われた儀式とはどんなものだったのか。同カテドラルに取材した。


◇テロ犠牲者追悼式に大統領参列

 同カテドラルはアメリカのかつての宗主国・イギリスのエリザベス女王を首長とする英国国教会の大聖堂である。

 そのカテドラルで、ホワイトハウスからの依頼により、「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が催されたのは事件から三日後、昨年九月十四日のことだった。

 儀式にはユダヤ教やイスラム教など他宗教の代表者らも参列した。

 軍楽隊の演奏と英国国教会ワシントン司教の先導で始まった儀式は、途中、イスラム教の宗教指導者ムザミル=シッディッキ師による祈りなどを織り交ぜながらも、パイプオルガンの演奏から讃美歌の斉唱、第二の国家「麗しきアメリカ」のソプラノ独唱、聖書の朗読など、基本的にキリスト教の形式に則って進められた。

「神への信頼こそがすべての根源です」と説教したグラハム師は、国教会とは宗派が違ふが、政府の依頼を受けて参加した。

 ブッシュ大統領はカテドラルの聖職者に紹介された登壇。「全能なる神が常に我々を見守ってくださるやう祈ります」と演説し、最後に「アメリカに神の御加護を」と祈りを捧げた。

 そののち、大統領を含む参列者全員が「共和国の戦ひの讃美歌」を大合唱して、追悼式はクライマックスに達した。


◇「国家的目的に使用される教会」

 同カテドラルの歴史は古い。

 およそ二百年前、独立戦争後間もない頃の政府建設計画のなかに「祈り、感謝、葬儀などの国家的目的に使用される教会」として創建されることが予定されてゐたのが、このカテドラルだ。

 紆余曲折を経て、議会で建設用地借り上げが決定され、一九〇七年に定礎式が行われた。千人を超える参集者が歓声を上げるなかで教会の建設を宣言したのは、日露戦争の停戦を仲介した功績でノーベル平和賞を受賞したことで知られるセオドア・ルーズベルト大統領だった。

 六十五年後に行われた聖堂外陣の完成式典にはニクソン大統領のほか、はるばる英国からエリザベス女王、英国国教会カンタベリー大司教らが出席している。

 創建以来、同カテドラルは「全国民のための教会」として「偉大な業績を讃へ、多大な損失を悼むための儀式場」といふ役割を果たしてきた。

 セオドア・ルーズベルト大統領以降、すべての大統領がこの場所を訪れている。定期的に同カテドラルで礼拝し、自身が信じるキリスト教の神に祈りを捧げてきた大統領さへゐる。

 また、ベトナム戦争などで命を落とした国家的英雄のために軍の代表者が祈りを捧げる特別の儀式も行われてゐる。

 さらに、同カテドラルは、「公式」ではないが、同じくワシントン特別区にあるアーリントン国立墓地とも緊密な関係を保ってゐる。戦死者の葬儀が同カテドラルで行われたのち、アーリントンに埋葬される例も多い。

 今回の儀式は、ホワイトハウスの依頼により、同カテドラルの主催で行はれた。

 大統領をはじめとする公人が参列するのは、もちろん今回が初めてではない。

 儀式の宗教性についても、「当然、宗教的なものです。『追悼』は必ずしも宗教や祈り、あるいは精神性に基づく必要はありませんが、『祈り』は宗教的行為以外の何ものでもありません」と同カテドラルではコメントしてゐる。

 それなら、なぜこの場所なのか。「国家的目的に使用される教会」だからなのか。

 合衆国内の教会はすべて法的には一宗教法人に過ぎず、政府からの援助を受けることは本来、あり得ない。今回の儀式を催すに当たっても、必要な経費はすべてカテドラル側が負担したことになってゐる。

 しかし実際はホワイトハウスから依頼があり、費用も教会職員の支出に対して、政府が実費を負担するといふ形で支払ひが行はれた。

 これは、靖國神社で政府の呼びかけによる祭典が行はれ、政府高官や諸宗教の代表者が参列するといふやうなことに相当する。アメリカではこれが以前から行はれてきた「政教関係」の現実なのだ。

 これまでアメリカは「厳格な政教分離国」といはれてきた。その理由は一七九一年に追加された合衆国憲法修正第一条にある。そこでは国教を認めないことと、国民の宗教上の自由な行為が保障されている。

 しかし、現実には、連邦政府は一宗教法人に対し宗教的儀式の開催を依頼し、調節的な形を避けながらも費用を負担してゐる。

 果たして、これは合衆国憲法が定める「厳格な政教分離」に違反することにはならないのか。

 カテドラル側はしかし、即座に否定する。そして、「合衆国の重要な原則である『国家と教会の分離』に抵触するものではありません。憲法修正第一条は祈りを禁じてゐる分けではありません。禁じられてゐるのは、国家が国民に祈りを強制することです」と国家の祈りを肯定するのだ。


◇靖國神社国家祭祀の可能性

 戦後日本に輸入された「政教分離」といふ法律用語は、時に極めて厳格に受け止められ、完全な政治と宗教の分離が主張されてきた。

 しかし、この用語は欧米では、「Separation of State and Church」、すなわち「政治と宗教」ではなく「国家と教会の分離」を意味してゐる。そのやうな法律理論に基づいて、今回のカテドラルでの宗教儀式は行はれてゐる。

「政治と宗教を厳格に分離する国アメリカ」のかうした知られざる実態は、翻って日本の首相による靖國神社参拝はもちろんのこと、官民挙げての靖國神社での祭祀に、むしろ道を開くものといへないか。

 アメリカでは宗教者も、政治家も、官僚も、国を挙げて国難に殉じた死者たちのために心からの祈りを捧げる。

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