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もしパンダのように5本指でなかったら──「戦後70年」の日韓関係について考える [日韓関係]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月18日発行)からの転載です。

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 もしパンダのように5本指でなかったら
 ──「戦後70年」の日韓関係について考える
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 今年は「戦後70年」。歴史の大きな節目とされ、安倍総理の談話や陛下のお言葉が内外の話題を呼んでいる。

 日本国内の平和主義者たちは、国際環境の変化などお構いなしに、戦後の平和を守ることにまなじりを決している。隣国の政治家はここぞとばかりに、日本の「植民地支配」「侵略」についての「反省」「謝罪」を要求している。

 しかし考えてみると、「70年」にさしたる意味はない。

 この1年間に、日本民族の「軍国主義」的残虐性を明らかにする新たな史実が発見されたというのなら、「反省」「謝罪」が大きく要求されるのは当然だろうが、そんな事実はない。

 10年前は「戦後60年」だったし、20年前は「戦後50年」で、それぞれ歴史の回顧がなされたのである。メディアが好む、10年ごとにめぐってくる恒例行事である。

 とすれば、新鮮味を求めるのは、所詮、無理である。

 なぜ「10年」ごとか、といえば、ほ乳類の手足の指がそれぞれ10本で、人間はたいてい10を基本に考える。それだけのことだ。むろん人は忘れっぽいから、ときどき歴史を振り返るのは大切なことである。

 それなら、もし人間の手が5本指ではなかったら、どうだろうか?

 たとえばパンダのように6本指だったら、ピアニストは両手で同時に12の音を発生されることができる。ショパンの音楽は別なものになっていたかも知れない。人間は12進法で考えることとなり、ソロバンの形は変わっていたろう。

 お隣の韓国はどうだろう?

 今年は「解放70年」、そして「日韓国交正常化50年」とされている。

 前者はもともと歴史的事実の裏付けはない。日帝支配から解放されて、悲願の独立を獲得したという歴史はない。総督府の日章旗が引きずり下ろされたあと、掲げられたのは星条旗だった。米軍の軍政が解かれ、大韓民国が独立したのは3年後だった。

 けれども、「抗日」を国是と掲げる以上、日帝からの「解放」以外に「解放」はあり得ない。歴史観に合わせて、歴史をゆがめるしかない。

 その結果、「解放記念日」と「国交正常化」の式年が同時にめぐってくる。これはいかにも不幸である。

 実際、日韓両国政府は10年前、「国交正常化40年」を「友情年」と位置づけ、多角的な交流を推進したが、友情とは名ばかりで、韓国女性省はインターネット上に「日本軍慰安婦サイバー歴史館」(http://www.hermuseum.go.kr/)を開設した。目的は「独立60年を機に、日本の悪行に対する韓国人の認識を促進する」ことだった。

 10年後の今年は、世界中の国々に慰安婦像を建て、日本に「謝罪」を要求する運動が展開されている。「国交正常化」より「抗日」の国是が優先され、その手法は10年ごとに、ヒートアップしている。じつに異常な「正常化50年」である。

 もし人間の指が12本だったら、「解放記念日」と「国交正常」の節目がいっしょにめぐってくることはなくなる。しかしそれはあり得ない。
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日韓の和解を妨げてゐる真因は何か──韓国経済学者とドイツ首相との逸話 [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 日韓の和解を妨げてゐる真因は何か
 ──韓国経済学者とドイツ首相との逸話
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 安倍総理のインタビュー内容を批判した一昨日の朝鮮日報の社説〈http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/05/21/2013052100763.html〉に見られるように、韓国では、ナチスのホロコーストと日帝の「侵略」とを同一視したうえで、「反省したドイツ」と「反省しない日本」という俗耳には入りやすい図式を立て、日本を批判する姿勢が見られます。

 韓国マスコミだけではありません。7年前、金大中元大統領は朝日新聞のインタビューで、ドイツと日本を比較し、こう述べました。

「欧州の特徴は、西ドイツが周辺の国々の信頼を得たことだ。過去を徹底的に反省し、謝罪した。若い世代にナチスの罪悪を教え、ユダヤ人虐殺の場所を保存した」

 日本もドイツのように徹底的に反省し、謝罪すべきだ、という論理ですが、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と日本の植民地支配ないしは「侵略」戦争を同一視するのは誤りです。

 ナチスによるホロコーストは、国際法が予想していなかった国家的な計画的他民族抹殺であって、国際法が愚かにも認める通常の戦争でも、戦時国際法に違反する戦争犯罪でもありません。

 他方、日本が朝鮮で民族抹殺政策を展開したというような歴史はないし、むしろその逆でしょう。日本が謝罪を拒んできたという事実もありません。日本政府は何度も謝罪を繰り返し、韓国側が受け入れを拒絶してきたのです。

 客観的事実に基づいて議論できない韓国人の国民性は明らかですが、歴史の事実を探究せず、単純な図式で批判を繰り返すことは、逆に両国関係を損なうことを知るべきです。日本はそのように反論すべきです。

 しかし、残念なことに、日韓歴史問題はさらに波紋を広げています。

 同じ一昨日、国連の委員会が、日本国内で従軍慰安婦への誹謗中傷が行われていると指摘し、日本政府に防止策を講じるよう求める報告書を発表されたと伝えられています〈http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130522/k10014767151000.html〉。

 17年前、慰安婦問題について、十分な歴史検証を怠ったまま、「日本政府は法的責任を認めよ」と迫った国連人権委員会のクマラスワミ報告書を思い起こさせますが、報道では、日本政府の意見も聞いたうえでまとめられているようですから、なお深刻です。

 けれども、この一方で、和解を拒絶している韓国人自身の姿勢を問題提起する韓国人もいます。

 というわけで、平成17年12月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。

 この年は日韓国交正常化60年の佳節のはずでしたが、「友情」どころか、日韓関係はいまと同様、竹島と慰安婦、「過去」で大きく揺れていました。韓国では、事実を無視した日本批判が目的化し、ますます過熱化しているのでした。

 それでは本文です。なお一部に加筆修正があります。同紙の編集方針に従い、記事は歴史的仮名遣いで書かれています。



 アジア太平洋経済協力会議(APEC)が開催中の韓国・釜山で十一月十八日、小泉首相と盧武鉉大統領との日韓首脳会談が開かれた。両首脳は首相の靖國神社参拝などをめぐって、激しく応酬したと伝へられる。

 大統領は「日本が『過去』に戻るのではないかといふ懸念がある」と首相の参拝中止を求め、小泉首相は「『過去』を美化してゐるのではない。戦歿者に対する哀悼の念から参拝してゐる」と反論した。

 大統領はまた「これ以上の謝罪や国としての賠償を求めない」と表明する一方で、マスコミに対して「(靖國神社参拝は)韓国に対する挑戦だ」と語ったが、小泉首相は「時間が経てば理解されうる」とかはした。

 今回の会談は十月中旬に首相が五度目の靖國神社参拝を果たし、そのあと強硬な抗議と批判が内外からわき上がって以後、最初の顔合はせだけに注目された。

 会談実現は一歩前進といへるが、参拝に批判的なメディアは「首相の認識はきはめて甘く独善的」「両国関係は深刻」と批判し、返す刀で新追悼施設建設を要求してゐる。


▽韓国市民を魅了した「ベルばら」

 四年前の平成十三年八月、小泉首相の最初の靖國神社参拝後、中国・韓国の猛烈な抗議を受けて、首相は十月に訪韓し、金大中大統領(当時)との会談に先立ってソウルの国立墓地「顕忠院」を表敬したことがある。首相は翌年三月にも訪問した。小渕、森歴代首相も献花、焼香し、皇族も表敬してゐる。

 遊就館の展示を引き合ひにして靖國神社を「日本軍国主義のシンボル」と批判するのは的外れだが、顕忠院は紛れもなく韓国「抗日」史観のシンボルである。

 日本が韓国(朝鮮)と戦争した歴史はないけれども、韓国は「侵略と抵抗」を柱とする「抗日」史観に凝り固まり、顕忠院の中央にそびえる顕忠塔を飾るレリーフは、朝鮮戦争とともに、「抗日」独立運動がモチーフになってゐる。

「抗日」のシンボルに日本人が「わだかまり」を感じないといへばウソになるが、それでも日本の要人が表敬するのは国際的儀礼と認識するからにほかならない。

 ところが韓国側は日本の国家的追悼施設である靖國神社を表敬しないばかりか、新施設の建設を公然と要求してゐる。

「戦後六十年」の今年は「日韓国交正常化四十年」でもある。両国政府はこの節目を「友情年」と位置づけ、多角的な文化交流を推進してきた。

 その有終の美を飾る行事として首脳会談の一週間前、宝塚歌劇団がソウルで公演した。主催は韓国観光公社だが、後援団体には日韓・韓日議員連盟や両国外務省、日本大使館などが名を連ねた。

 慶煕大学「平和の殿堂」を会場に、代表作「ベルサイユのばら」などが上演され、華麗なステージは韓国市民を魅了し、感動を与へた。観客席から自然な手拍子がわき上がり、カーテンコールでは二千七百人の観客が総立ちになり、歓声と指笛がこだましたといふ。

 ここまでの道のりは平坦ではなかったらしい。何度か公演が企画されたが実現しなかった。今回も竹島問題などを契機とする反日感情の高まりから一時は暗礁に乗り上げてゐた。困難を乗り越えての成功であった。

 しかし韓国メディアは素直に喜んでゐない。「民間レベルの努力はきらびやかなスローガンに終はった。日韓首脳会談は両国の温度差を確認したまま、冷ややかなムードの中で終はった」とこき下ろしてゐる。


▽シュミット首相が語った「独仏和解の真相」

 民間先行はいまに始まったことではない。四年前、日韓教科書摩擦が沸騰したとき、韓国では日本人歌手・尾崎豊の曲が大ヒットし、ソウルの街中でこの歌が流れてゐた。韓国民衆は一貫して日本を心から受け入れてゐる。

 今度の首脳会談で盧武鉉大統領は「いくら(靖國神社参拝についての)首相の考へを善意に解釈しようとしても、韓国民は絶対に受け入れることはできないだらう」と語ったが、和解が妨げられてゐる真因は果たして小泉参拝なのか。

 日韓関係はしばしば独仏関係と比較されるが、市村眞一・京都大学名誉教授が興味深い逸話を紹介してゐる。

 十年前、韓国対外経済政策研究所の柳荘煕所長がドイツのシュミット首相と南北朝鮮統一について対談し、話題が日本の「過去」におよんだ。

 柳所長が「ドイツは戦争の原因が自分たちにあると認め、謝罪した。なぜ日本は謝罪しないのか」と問ふと、ドイツ首相はかう答へた。

「和解の手を差し伸べたのはフランスであり、ドイツではない。フランスが協力を呼びかけ、そして私たちがそれに応へたのです」。

 柳氏は自著『Real success, financial fall』にこの対談を載せてゐるが、著書は日本の国会図書館にも収められてをらず、和訳もないため、ほとんど知られてゐない(同書はいまはアマゾンでも売られていますが、当時、私は幕張の研究施設にまで足を伸ばし、原文を読んだものです)。
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韓国メディアが描く「正しい歴史」の中味──観念が先行する日韓の摩擦 [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です

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 韓国メディアが描く「正しい歴史」の中味
 ──観念が先行する日韓の摩擦
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 橋下徹・日本維新の会共同代表の「慰安婦」発言が波紋を広げています。

 なぜ橋下共同代表の発言が話題を呼ぶことになったのか、なぜ市長が歴史問題について発言しなければならないのか、私としてはしっくりこないのですが、ともかくも従軍慰安婦問題が日韓の歴史問題の最大のテーマであることは間違いありません。

 ソウルでは元従軍慰安婦だったという韓国人女性たちが日本大使館前で抗議デモを行い、韓国外務省は橋下市長の発言を「女性の権利に対する尊重と、歴史認識を著しく欠いている」と批判したと伝えられます。

 さらに、中国外務省も「驚きと怒り」を表明したようです。

 それなら、彼らは何を「正しい歴史」と考えるのでしょうか?

 というわけで、平成13年5月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。同紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。

 それでは本文です。



 韓国のマスコミなどから「歴史の歪曲」といふ厳しい批判を突きつけられた日本の中学歴史教科書が先月、文部科学省の検定に合格したことから、韓国・中国などの反発がいよいよ強まってゐる。

 韓国の新聞・東亜日報の報道によると、韓国人の「怒り」は遠くアメリカにまで飛び火してゐる。第二次世界大戦被害賠償請求韓国人連合会など在米の韓国人団体に所属する二百人あまりの会員は先月中旬、横断幕を掲げてロサンゼルス市内をデモ行進し、日本領事館前で大いに気勢を上げたといふ。

 他方、抗議の意味で一時帰国してゐた崔相龍駐日大使は、十九日に帰任してまもなく河野洋平外相(当時)と会談し、韓昇洙外交通商部長官(外務大臣)の抗議の書簡を手渡した。韓国政府はこの書簡で、「今回の日本政府の教科書検定結果は我々の国民感情を刺激した」として「深い遺憾の意を表」してゐる。

 しかし韓国マスコミ、あるいは韓国政府はいったい何を、具体的に「歴史の歪曲」と認識し、批判してゐるのか。


◇抽象的で具体性に乏しい批判
◇「従軍慰安婦」が最大の関心事

 先月の東亜日報(ネット版)を読み返してみる。

 日本の教科書検定の結果が発表された四月三日、沈揆先、李英伊両記者連名の記事はかう伝へてゐる。

「『新しい教科書をつくる会』の教科書は……たとえば韓国併合について『列強の支持を受けて合法的になされた』という記述を、『武力を背景に韓国内の反対を押し切って併合に踏み切った』という内容に修正した。しかし従軍慰安婦について記述しないなど、加害事実の認定には消極的だった。既存の七種の歴史教科書も従軍慰安婦の記述を縮小したり緩和させ、『侵略』という表現を『進出』に変更した」

 同日の社説「日本に国際社会のリーダーとなる資格はあるのか」は、こう記述してゐる。

「一部の教科書が自国中心的に過去の過ちを合理化し美化する内容を盛り込んでいる」

「総体的に『自国自賛』史観をもとにした歪曲と問題点」

「日帝の植民地支配も加害行為などを最少化し、これらの膨張政策と侵略戦争を肯定的に書き、隣国の韓国や中国の歴史は見下げ、日本の優越性を浮き彫りにした。いわば、太平洋戦争、満州占領、中国侵略に関する記述も美化したり、日本式自賛史観に合わなければ削除するということで教科書検定を終えた」

「日本はみずから侵した歴史的な過ち、戦争犯罪、加害行為について、心から反省し、歴史に記述すべきである」

 批判の中心は「韓国併合の合法性」「従軍慰安婦」「侵略」のやうだが、「歪曲」の追及は抽象的で歴史叙述の中身や歴史検証にまで具体的に深く踏み込んだ議論とはなってゐない。

 翌四日づけ沈記者による「日本の教科書、どう変わったか」の批判はいくぶん具体的である。

「韓国への加害事実が多数削除されているか、縮小されている」

「第二次世界大戦の戦犯裁判である極東軍事裁判の正当性を否定しながら、『太平洋戦争』の代わりに『大東亜戦争』の用語を使用する一方、アジア諸国の独立を支援したと抗弁した部分もある」「日本の加害事実は扱わないように努力した。……日本軍慰安婦に関する記述を除外した」

 しかし、これが「韓国側から見ると満足できない水準」だとしても、「歴史の歪曲」と決めつける論拠として十分とはいへない。

 この日からスタートした同じ沈記者による連載「日本の教科書 どこへ向かうのか」には「自国中心主義的な史観に基づいて、過去の過ちを正当化し、美化しようとする内容が、依然として残っている」とある。

 ここでは具体的な歴史事実への言及はなく、歴史認識の妥当性を超えて、一足飛びに歴史観の批判に移ってゐる。といふより、最初から「日本悪玉論」の前提に立って、日本史および日韓関係史を見ようとしてゐる姿勢さへうかがへる。

 ついでながら「自己中心主義的史観」との批判は、前回、この欄で紹介した韓国国定歴史教科書の「反日」「民族主義」的な記述からすれば、当を得た議論といへるのかどうか。

 韓国政府が崔駐日大使を一時召還した翌十一日の社説「後手に回っている『日本教科書』外交」は、「日本の誤った歴史教科書が再修正されなければ、韓日関係は回復が難しい泥沼にはまる可能性すらある」と予測し、日韓両政府の姿勢を批判するのだが、「教科書の誤り」の具体的な中身についてはやはり言及がない。

 十三日づけ夫亨權記者の「政府の日本教科書修正全面戦争」は、金大中大統領が韓日経済協会の日本代表団と接見した際、「遺憾」の意を表明したのをきっかけにして韓国政府が「ついに全面戦争を宣告した」ことを伝へてゐるけれども、何を「歴史歪曲」と理解するのかについては、これまた説明がない。

 同日づけ「崔大使、教科書歪曲は日本政府の責任」は、崔大使が記者懇談の席で「全体の流れや精神、基底の歴史観は韓日パートナーシップの確かな後退」と指摘し、とくに「慰安婦に関する内容を削除した」ことを事例にあげて、「確かに歴史的事実に対する縮小・隠蔽・歪曲がある」と指摘したと伝へる。

「もっとも象徴的な歴史的事実に対する隠蔽は、軍隊慰安婦問題の削除だ」と崔大使は語り、「慰安婦問題は全世界に知れ渡っている確認済みの事実であり、日本の官房長官も認めたもので、かならず教科書に記載されるべきだ」と強調したといふ。

 記事によれば「慰安婦」に関する記述のあり方が韓国側の最大の関心事のやうにも見えるが、「慰安婦」の歴史をどのやうなものと認識し、教科書にどのやうに記述すべきかについては具体的な記述がない。


◇再修正を要求する韓国政府
◇「事実認識」より「価値判断」

 東亜日報に掲載された教科書批判記事でもっとも具体的で詳しいのは、社内記者の執筆した記事ではなく、韓国の通信社・聯合ニュースの配信記事である。

 四月二十四日づけの「韓国政府、日本の歴史教科書の再修正を要求する方針」がそれで、「韓国政府は歴史的事実の歪曲、縮小、脱落などが顕著な二十~三十カ所に対する再修正を、日本政府に正式に要求する方針」だと伝へてゐる。

「韓国教育部の専門家による分析作業」などに基づく再修正要求には「任那日本政府説の既成事実化、韓日併合の強制性の正当化、植民統治および太平洋戦争の正当化、従軍慰安婦に対する記述の縮小・隠蔽、などが含まれる」と説明し、同時に「皇国史観に対する根本的な問題点を指摘し、『誤った史観』の是正も韓国政府は併行して要求する方針」と説明してゐる。

 この報道の通りだとすれば、この連載記事が活字になるころには、数十項目に及ぶ「日本歴史教科書の誤り一覧」が韓国政府によって発表されてゐるのだらうが、「歪曲」「隠蔽」の指摘はどこまで具体的で客観的なものとなるだらうか。「皇国史観=誤った歴史観」といふ図式的な理解では心許ない。

 逆に韓国側は、どのやうな歴史教科書が望ましいと考へてゐるのであらうか。

 韓国の国定歴史教科書は周知の通り、とくに近現代史において、手厳しい日本批判を加へてゐる。

 たとへば中学校の国史教科書(日本語訳『入門韓国の歴史』)には、こうある。

「日帝はわれわれの物的・人的資源を略奪する一方、わが民族と民族文化を抹殺する政策を実施した。彼らは内鮮一体と皇国臣民化などのスローガンを掲げ、韓国人を日本人にして韓民族をなくしてしまおうとした。そこで韓国語の使用を禁じ、日本語を使用するよう強要し、学校で韓国の歴史についての教育を禁止した。日帝は韓国人の姓名を変え、日本式の姓と名を使うよう強要した。また各地に日本の神社を建てて参拝させ、子供たちに皇国臣民の誓詞を覚えさせた」

 日本の歴史教科書もこのやうに記述されることを、韓国側は望んでゐるといふことなのだらうか。

 ある韓国人特派員は、記者の取材に答へて、「加害者と被害者とでは目線が違ふから同じといふわけにはいかないが、ひどいことをしたことに変はりはない」として、前述した内容を含む「歴史の過ち」の明記をあくまで主張する。

 しかし「ひどいこと」といふ理解は、「歴史認識」ではなく、すでに「歴史解釈」を含んでゐる。「価値判断」の正当性を求めるなら、前提として主観を排した実証的な歴史検証が慎重に求められるはずだが、韓国の歴史教育の場合、十分といへるだらうか。


◇朝鮮戦争時も「慰安婦」はゐた!?
◇中韓朝の「反日教科書包囲網」

「美しい季節 Spring in My Hometown」といふ題の韓国映画がある。三年前の東京国際映画祭で金賞を受賞したほか、欧米の映画祭で高い評価を受けた。脚本・監督は李光模。映画は朝鮮戦争当時の米軍基地近くにある村での日常を、叙情豊かに描いてゐる。

 物語はかうだ。

 主人公の少年ソンミンの父親チェは基地に就職して羽振りがいい。一見善良さうだが、村の貧しい未亡人や娘たちを性に飢ゑた米軍兵士に紹介する女衒でもあった。

 ソンミンには仲良しの友達がゐた。名前はチャンヒ。戦争未亡人の母親とともにソンミンの家に転がり込んできた居候だ。ふたりの少年は水車小屋でよくいっしょに遊んだ。

 しかし小屋は米軍兵士が村の女たちを連れ込む秘密の場所でもあった。ある日、少年たちは見てはならないものを見てしまふ。のぞき込んでゐた小屋にチャンヒの母親が現れたのだ。衝撃のあまりチャンヒは自殺する。

 やがてソンミンは、米軍物資の横流しが露見して基地を追ひ出された父親とともに、村を出ていく。追はれるやうにリヤカーを引きながら、寂しく立ち去っていく一家。

 ソンミンの横には身重の姉。チェは自分の娘までも道具にしてゐた。最後のシーンをバックにテロップが流れる。「この映画は監督が父から聞いた実話を基にしてゐます」。ソンミンは李監督の父親であり、チェは祖父なのだ。

 社会派的ながら情感豊かな美しい作品は、「慰安婦」がけっして「日帝」時代に限定されたものではないことを浮き彫りにしてゐる。

 もちろんチェの女衒行為が当時、広く一般的だったのか、あるいは公的機関が関はった組織的な売春制度といふべきものだったのかどうか、はこれだけでは分からない。しかしチェの行為はしばしば聞かれる「日帝」時代の悲しい物語と不思議に一致する。

 もし朝鮮戦争当時、米軍や韓国政府が組織的に関与する公的な「慰安婦」事業が展開されてゐたとした場合、今日の韓国人は「過去の過ち」としてこれを断罪し、韓国のみならずアメリカの歴史教科書に明記することを強硬に求めるのだらうか。

 そもそも歴史教科書とは何を記述すべきなのか。歴史教育とは何を教へるべきものなのか。神ならぬ生身の人間が織りなす現実を、「善玉悪玉論」的に単純化し、「加害者の悪行」を一方的に断罪し追及することが「歴史」なのか。

 一衣帯水と表現される日韓の近代史は悲哀に満ちてゐる。新たな友好関係を築くには、なぜ悲史が生じたのか、冷静かつ建設的な歴史検証こそが求められてゐる。

 しかし現実には逆に北朝鮮、中国まで巻き込んだ政治臭の強い「反日教科書包囲網」といふべきものさへ目前に構築され、いよいよ日韓関係は抜き差しならないものとなりつつある。

 東亜日報によると、韓国と北朝鮮の国会は先月四日、キューバで開かれた国際議会連盟(IPU)の場で、日本の教科書問題に対して共同で対処することに合意し、中国とも連携していくことを記者会見で明らかにしてゐるのである。


◇日本が大好きな韓国人
◇「尾崎豊」が大ヒット

 ところが、一方で、これとはまるで異なる現象も起きてゐる。

♪アイ・ラ~ブ・ユー~

「ソウルのどこへ行っても、この曲が流れてゐた」

 韓国の有名企業に勤めた経験もある、韓国通で知られる友人が感慨深げに語る。

 日本人シンガーソングライター尾崎豊のバラードを韓国の人気歌手ポジションが韓国語で歌ふCDは、ヒットチャートのトップを数週間にわたって独走した。

 それは今年二月から三月にかけて、ちょうど教科書摩擦が韓国で沸騰し始めたころのことである。日本の大衆文化が解禁になって最初の大ヒットがこの「アイ・ラブ・ユー」だといふ。

 音楽ばかりではない。食の世界にも、日本文化は着々と浸透してゐる。

 十年ほど前からあるにはあった豚カツ屋やうどん屋が、昨年あたりから急にソウルの街に蔓延するやうになった。日本風の名前の店もある。「のり巻き」専門店や「回転寿司」もある。

「のり巻き」とはいっても、酢飯の苦手な韓国人に合はせて、寿司酢の代はりにごま油を用ゐ、韓国海苔で巻く。中の具は牛肉のそぼろや韓国ソーセージなどで、韓国風にアレンジしてある。

「見た目は日本だけど食べると韓国。日本にすり寄りながら、きっちり韓国を自己主張してゐる。食べるたびに換骨奪胎といふ四文字熟語が頭に浮かぶ」と友人は笑ふ。

「韓国人は食に関して保守的で、家庭ではほとんど洋食を食べない。せいぜいカレーライスどまり。日本人と違って、韓国人は外国文化を自分流に加工するのが下手だから、日本食の浸透は注目される」

 去年、初夏のソウルを散策してゐた友人が驚いたのは、若者で賑はふソウル一の繁華街明洞(ミョンドン)のアクセサリーを扱ふ店に日本の雪駄や下駄に似たサンダルが並んでゐることだった。

 韓国人がしばしば用ゐる日本人の蔑称「チョッパリ」は「豚の足」の意味で、下駄を履く日本人の足先が豚のひづめに似て、二つに割れてゐるところに由来する。韓国には古来、鼻緒の付いた履き物はない。ところが、その「チョッパリ」が韓国の若者の間で流行してゐるといふ。

「韓国人の日本好き」はいまに始まったことではない。「お金持ちの間では一九六〇年代から、衣食住全般にわたって日本製品をそろへることがステータスだった。七〇年代には日本からのお土産にネスカフェやクリープを持っていくと喜ばれた。この間も映画のロケで飴をなめてゐたら、おばちゃんたちが群がってきた」

 それほど日本が好きなのだ。

「戦後の韓国人は日本統治時代の遺物にふれることを意識的に避けてきた。言及すれば、日本文化を否定しつつ愛用してゐる矛盾が一気に吹き出すからだ。けれどもいつまでも拒否してばかりはゐられない。八八年のソウル五輪で自信もついた。廬泰愚大統領時代には実質的に日本語が解禁され、金蓮子など韓国人歌手が日本で大活躍するやうにもなった。九八年には日本大衆文化の解禁で、政府レベルでの本音と建て前の使ひ分けが終はった。去年は日本の侍映画が解禁され、黒沢明の『影武者』の広告が市内バスのボディーを覆った。侍といへば軍国主義と同義だったから、隔世の感がある」

 だとすると、歴史教科書をめぐる強硬姿勢は何なのか。「アイ・ラブ・ユー」との落差をどう理解したらいいのか。

「国内向けの年中行事です。日頃は論調がバラバラの新聞各紙も歴史問題では一致する。国を挙げての娯楽なんです。でも一般庶民はけっこう醒めてゐる。日本人は真面目で批判をまともに受け止めすぎる」

 友人はむしろ日本側の過剰反応にくぎを差す。
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日韓歴史認識の埋めがたき溝──韓国「反日」教科書の凄まじさ [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 日韓歴史認識の埋めがたき溝──韓国「反日」教科書の凄まじさ
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 報道によれば、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は7日、アメリカのオバマ大統領と会談し、「北東アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持つべきだ」と日本を名指しで批判しました。

 同じ日、ワシントン・ポスト紙に掲載されたインタビューでも、「日本は韓国だけでなく周辺国の過去の傷口をかき回し結束を弱めている」とあらためて批判しました

 翌8日にはアメリカ上下両院合同会議で演説し、北東アジアで政治や安全保障面の連携が進まないのは「正しい歴史認識を持てない」ためだと指摘し、名指しは避けながらも、日本を批判したと伝えられます。

 さらに、10日には、こんどは韓国の国会議員で構成される「正しい歴史教育のための議員の会」が、日本の閣僚らによる靖国神社参拝についての謝罪、靖国神社に朝鮮人の合祀を止めることなどを要求する抗議の書簡を、安倍首相に送ったと報道されています。

 とどまるところを知らないかのような日本批判ですが、韓国にとっての「正しい歴史」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?

 というわけで、平成13年4月、宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。当時はいわゆる歴史教科書問題が沸騰していました。それで、韓国の国定歴史教科書を読んでみることにしたのです。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。



 検定中で内容が公開されていないはずの日本の中学歴史教科書問題をめぐって、日本と韓国・中国との間に波紋が生じている。

 韓国最大の新聞・朝鮮日報などは「日本政府が『韓国併合は合法的』などという内容の『歴史歪曲教科書』を承認しようとしているにもかかわらず、韓国政府の対応は生ぬるい。……日本政府がこのような歴史教科書の検定を不可として処理するまで、全国的な反対運動を繰り広げるべきだ」(2月下旬の社説)と、ものすごい剣幕で韓国政府をけしかけている。

 韓国政府は先月、事実上の特使として金鐘泌元首相を来日させて日本政府に「配慮」を求め、一方、中国の江沢民国家主席は新任の阿南惟茂駐中国大使に「中国人民の心配に配慮を」と要求した。

 しかし韓国・中国両政府は何をもって「歴史の歪曲」と批判しているのか。逆にどんな歴史理解を「正しい」と見なしているのだろうか?

 今回はとくに韓国の「国定歴史教科書」をひもときながら、日韓「教科書問題」が発生する真因と解決への展望を探ってみたい。


◇編纂委員会作成の国定教科書
◇「民族史観」教える必修科目

 韓国の歴史教育の最大の特徴は日本とは異なり、「国定教科書」を使用するという点にある。国定の歴史教科書の中味が、それすなわち韓国政府が理解する「正しい歴史」だということになる。

 まず、どんなプロセスで、教科書が編纂されるのか、を見てみる。

 歴史教育者協議会編『新しい歴史教育 第五巻 世界の教科書を読む』によると、「国定教科書」は日本の文部省に当たる「教育部」の委嘱により、「国史編纂委員会」が作成する。

 編纂委員会は韓国史に関する史料を収集し編纂する国立の研究機関で、実際には大学や研究所に籍を置く歴史研究者が執筆する。

 教育部が定める編集方針に基づいて作られた原案は、専門の研究者によって内容が検討され、歴史教育の専門家やとくに選ばれた現場の教師によって内容面と教育的側面から整理・修正される。

 さらに教育部指定の実験校で試用され、問題点が補われ、修正が加えられたのち、教育部から発行され、各学校に供給される(横田安司「韓国の歴史教育」)。

 以前の「検定教科書」制度から、この「国定教科書」制度に変わったのは、1970年代らしい。

 近年、韓国の初等学校(小学校)から高等学校までの歴史教科書が日本国内で翻訳・出版されているが、高校用『国史 上下』を日本語訳した『韓国の歴史』によると、73年の「第3次教育課程」から「国史」が「社会科」から分離され、国民学校(96年に「初等学校」に改称)の5、6年から高校までは「必修独立科目」となった。

 大学では「国史」が「教養必修科目」となり、各種国家試験では「必修受験科目」として出題されるようになった。

 当時は朴正煕大統領時代で、「維新体制」の理念を具体化する「国策科目」として「国史」の学習が強調された。

 このため教科書の編纂方法も変わり、民間の筆者が執筆する「検定教科書」から、「国史編纂委員会」が編纂し、「文教部」(92年から「教育部」に改称)が発行する「国定教科書」に一本化されたという(翻訳者・宋連玉による「あとがき」)。

 こうしてできあがった国定歴史教科書の特色は、小学校用教科書『社会科1』(1945年までの韓国史)を全訳した『分かりやすい韓国の歴史』の「あとがき」(監訳石渡延男・東京大学講師)が指摘するところです、「民族主義歴史観に基づくものである」といわれる。

 石渡講師によれば、ベトナム戦争に参加し、大国による和平交渉の切り回しを体験した韓国は、大国に依存しない国づくりの必要を痛感し、そのため教育の充実が図られた。第3次教育課程では「国籍のある教育」が命題となり、「国語」と並んで、「国史」教育が重視された。なかでも「植民史観」(日本でいう「植民地史観」)の克服と民族的自尊心の矜持の2点が重んじられたという。

 現行の教育課程では、中学・高校の「国史科」が廃止され、科目としては「社会科」に戻されたが、歴史教科書に見られる「民族主義歴史観」はずっと継承されている。


◇日本に文化を「教えてあげた」
◇日本を「悪玉」に描いた近代史

 その中味はいかなるものなのか、義務教育の小学校用「社会科1」を開いてみる。

 古代から近世までを扱う第1章「わが民族と国家の発展」の特徴は人物史として描いていることだが、第1節の最初に誇らしげに登場するのは建国の祖「檀君王倹」である。

 韓国の歴史教科書は「神話」を否定していない。

 第2節の「国を守った先祖たち」には隋の侵略を退けた乙支文徳、契丹の侵入を防いだ姜邯賛の既述のあとに、壬申倭乱(じんしんわらん。秀吉の朝鮮出兵)で日本軍を撃破し、「痛快な勝利」を収めた李舜臣が登場する。

 3人はけっして同列ではない。第2節を学んだあとの「発展学習」には5つの課題が掲げられているが、そのうち3つが「壬申倭乱」に関連し、「当時、国のために命を捧げた義兵と僧兵の勇士に、感謝の気持ちを表す文章を書こう」と呼びかけている。

 日本人ほど悪い奴はいないといわんばかり。批判されるべき侵略国の筆頭はあくまで日本である。

 第3節「歴史を輝かせた先祖たち」には、和冦を追い払うために火薬の製法を中国から導入した崔茂宣、壬申倭乱の前に日本の侵略を予見し、王に国防の必要を建言した李珥が登場する。

 第4節「わが民族の海外進出」では、千字文や論語など「百済の文化を日本に教えてあげた王仁(わに)」、紙、筆、墨などの「高句麗の文化を日本に伝えてあげた曇徴(どんちょう)」が取り上げられ、日本に対する文化的優越感が強調されている。

 また、秀吉のあとに現れた「新しい支配者は、朝鮮侵略を深く反省して、朝鮮通信使の派遣を求めてきた」。「日本の知識人はわが国の先進文化を受け入れようと努力した」とつづる。

 第2章は「近代化への努力」である。

 第1節の「外国文化との出会い」では、日本の幕末期に通商を求めて侵入してきたフランス、アメリカを興宣大院君が撃退したものの、大院君の引退後、日本が武力をカサに不平等条約(江華島条約)締結を強要したことが描かれる。

 第2節「新しい社会への動き」では、朝廷から日本に派遣された修信使が、日本が強国に変容したのを知り、開化政策の推進を図ることになる。

 けれども開化運動は必ずしも民衆の暮らしを豊かにせず、民衆は苦しんだ。旧式軍人の不満が爆発して起こったのが壬午軍乱で、日本公使館は焼かれ、日本公使は日本に逃げ帰った。

 しかしその後、今度はふたたび清の干渉を受ける。金玉均の改革、東学農民運動と改革運動がわき上がるが、日清戦争後は日本の干渉が激化する。日本を嫌ってロシアに近づこうとした明成皇后(閔妃)は、日本に殺害され、憤慨した高宗はロシア公使館に移った。

 この危機の時代に、独立運動家・徐載弼は亡命先のアメリカから帰国し、元山では民族独立の精神を呼び覚ますために初めての近代的学校が建てられた、とする。

 日本はものの見事に「悪玉」に仕立て上げられている。しかし近隣の強国に挟まれて右往左往する韓国人自身の自己批判はうかがえない。

 第3節の「近代文化の発達」では、西洋の文物が流入して衣食住が変わり、新しい民族宗教が誕生し、愛国心、民族精神を広めたことが記述されている。

 キリスト教の社会的貢献にも触れられているが、儒教支配を脱し、信教の自由が認められたのは日本時代以後であることには言及がない。

 交通、通信の変化も取り上げられているが、京釜鉄道建設などに果たした役割には触れられない。

 池錫永の種痘療法導入やソウル大学付属病院の前身の建設も説明されているが、それらに日本が深く関わっていることは記述がない。


◇近代日本の貢献を完全に無視
◇儒教に基づく屈折した苛立ち

 第3章は「国権回復のための努力」である。

 第1節の「光復のための努力」では、日本の侵略に対抗して、「義兵戦争」が展開されたが、1910年に「国の主権が奪われた」。それから45年まで「わが民族は数えきれない苦しみを味わった」と説明する。

 祖国のためではなく、日本の欲のために、女性までが戦場に引っ張られ、多くの人々が命を失った。誇り高いハングルを使わせず、姓名を日本式に改めさせ、民族の精神を抹殺しようとした。日本の祖先を祀る神社に強制参拝させた──と畳みかけたあとで、教科書は「蛮行を犯した日本とどう向き合うか」と生徒たちに問いかける。

 1919年3月の高宗皇帝の葬儀の日、「大韓独立万歳」を叫ぶ、3・1運動が始まる。日本は運動を妨害するため発砲、砲火、虐殺など、あらゆる悪行を犯した、と記述する。

 第2節の「大韓民国臨時政府」では、中国・上海の大韓民国臨時政府樹立が高らかに語られたあと、「日本の国王」(昭和天皇)が乗った馬車に爆弾を投げつけた李奉昌、「日本王」(昭和天皇)誕生日の記念式場に爆弾を投げた尹奉吉を「義士」と称える。

 第3節「民族の実力養成と文化守護運動」では、民族精神覚醒のため教育運動を展開した安昌浩、新聞発行によってハングル普及に貢献した周時経について書いているが、近代教育改革に日本が果たした役割や漢字ハングル混じりの新聞を最初に発行した日本人については言及がない。

 いずれの民族であれ、民族固有の文化や歴史を尊重すべきだとする基本的立場に立てば、韓国の「民族主義」は評価に値するが、韓国・朝鮮問題の第一人者として知られる佐藤勝巳氏は、「これはナショナリズムではない」と指摘する。

「韓国は日本の侵略は批判するが、中国の侵略は問わない。精神的、文化的に自分たちより上だと思う中国に対しては何も言わず、日本にだけ矛先を向ける。これはナショナリズムといえるのか?

 韓国人は日韓関係を上下関係で見ようとする。儒教倫理に照らして、『弟分』の日本が自分たちを植民地支配し、いまなおアジアのリーダーとなっていることに屈折した苛立ちがある。これが『反日』となって現れている」

 この姿勢が典型的に現れているのが教科書問題、歴史認識問題なのだが、もっと悪いことに、「韓国には客観的な歴史認識さえない」と佐藤氏は指摘する。

「韓国には資料や事実に基づいて、実証的に考察する文化がない。『強制連行』『慰安婦』の問題でも、数字と声が大きければいいという考えだ。民族・文化がまったく異なる日韓の歴史理解の共有は容易ではない。文化そのものを改めなければ、解決はできない。しかしそれは不可能に近い」

 それなら積年の教科書問題、歴史認識問題を解決し、新たな友好関係を構築するために、日本はどうすればいいのか?

「日本は自己主張するしかない。『教科書編纂は国家主権に属する。日本が韓国の教科書に干渉することを韓国は認めるのか? 認めはしないだろう。自国の考えばかりを頑強に主張し、互いに押しつければ、最終的には戦争するしかない。わが国はそれを選択しない』と主張すべきだ。ところが毅然と語れる政治家がいない。逆に政府は植民地支配を愚かにも謝罪している。

 長年、主張してきたように、国立の歴史研究所を設立すべきだ。近隣諸国の批判に客観的・合理的に対応できる公的体制をつくることだ。いまは民間の個人の力に任されている。これではいけない」

「日韓融和」の実現の日は、いつになったら、めぐってくるのだろうか。ほとんど絶望的とみるのは、私だけだろうか?
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韓国の歪んだナショナリズム──「反日」日本勢力に「支配」される「反日」 [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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韓国の歪んだナショナリズム──「反日」日本勢力に「支配」される「反日」
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 韓国の朴槿恵大統領が訪問先のアメリカで、「正しい歴史批判をもたなければならない」と日本批判を強めています。

 前回のメルマガでお伝えしたように、韓国の教科書制度が「国定教科書」に変わったのは、朴槿恵大統領の父で、日本の陸軍士官学校に学んだ経歴を持つ、朴正煕大統領(1917─1979)による「維新体制」の時代でした。

 父・朴正煕時代に「国史」教育が強調されたのは、今日のような日本批判が目的ではありません。なぜ韓国は植民地化されたのか、民族内部の弱点を直視し、克服しようという狙いがありました。

 ところが今日、長女の朴槿恵大統領はもっぱら日本批判に終始しています。これでは韓国は変われません。なぜ朴槿恵大統領は父の姿勢に学ぼうとしないのでしょうか?

 というわけで、平成13年7月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。テーマは朴正煕大統領亡き後、歪んでしまった韓国のナショナリズムについて、です。なお、一部に加筆修正があります。

 それでは本文です。



 ある意味では、じつに象徴的なことが起きた。

 先月上旬、「新しい歴史教科書をつくる会」主導の中学校歴史教科書に反発する市民団体のメンバー二百数十人が、集会のあと、この教科書を検定合格させた文部科学省に抗議しようと、東京・虎ノ門の庁舎を「人間の鎖」でぐるりと取り囲んだのである。

 韓国からはるばる来日した元「従軍慰安婦」も参加する、このイベントを呼びかけたのは、元朝日新聞のジャーナリストやプロテスタント系のキリスト者、いわゆる進歩的文化人などであった。

「赤旗」なども記事に取り上げた、これらの人たちの行動は、近隣諸国との抜き差しならない外交問題にまで発展した、今回の教科書摩擦の政治的な構図をあぶり出し、韓国の民族主義者と日本の進歩派とが政治的に連帯する「呉越同舟」の性格を浮き彫りにしたのである。


◇日本の進歩派と韓国の民族派
◇思想・論理不在の「呉越同舟」

 それぞれ民族が異なる民族主義者同士というのも同居しがたいだろうけれども、民族派と進歩派という取り合わせも本来的には並び立たないはずである。ところが、少なくとも日韓教科書摩擦に関しては、日韓の「反日」的な国際連帯が成立している。

 今回の騒動は、反権力、反政府的な言動を繰り返してきた日本の左翼勢力が、「新しい歴史教科書をつくる会」攻撃という政治目的のために、韓国の民族主義者をたき付けるという実態が指摘されている。

 検定中で本来は非公開はずの「白表紙本」段階の教科書を密かに入手し、コピーして販売するなど、日本国内ばかりか海外にまで、極秘情報を意図的に流し、煽り立てたというのである。

 日本の左翼進歩派によるルール無用のリークや一部マスコミを含むキャンペーンが韓国内の「反日」世論に火を付け、その結果、検定合格以前の非公開の段階から韓国政府までが過剰反応し、日韓関係を危うくさせているのである。

 たとえば「日の丸・君が代」法制化反対にも中心的役割を果たした、日本のある教育学者などは、「つくる会」の教科書を、「神武天皇が史実であったかのように紹介している」「日本の歴史を正当化しようとする面が目立つ」と批判している。

 つまり、神話教育を否定し、自民族中心・自国正当化の歴史記述を排除すべきだという考えで、それならそれで「檀君神話」から説き起こし、民族の誇りを重んじ、祖先たちの功績を称えるのに終始する韓国国定教科書をも同時に批判すべきだが、そうした声は聞こえてこない。

 日本の進歩派にとっては批判の対象はあくまで日本の民族派であって、そのため韓国の民族主義を政治的に利用しているのである。なかには、韓国政府が日本の教科書の「再修正要求」を突きつけたことについて、礼状を韓国紙に寄稿した東大名誉教授さえいるらしい。

 これに対して、韓国の民族主義者もまた、日本の左翼文化人にしきりに政治的エールを送っている。

 教科書問題を批判的に伝える韓国紙は、しばしば「ノーベル文学賞受賞者」や「東大名誉教授」という日本の「権威」にすがり、驚いたことに、連帯しうる「日本の良心的勢力」として、日教組や朝日新聞などの名前まで挙げている。

 韓国の民族主義者たちは、みずから民族の自立性と主体性に基づくのではなく、「反日」的日本人に煽られ、情報提供を受けて、「反日」的言動に走っている。

 既述した「つくる会」の教科書は、文科省の検定で137カ所の修正を受け、「ごく普通の教科書」になったとされている。

 たとえば、「白表紙本」の段階では、韓国紙などからも批判されたように、「韓国併合は、国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」という記述があったが、「併合過程の実態について誤解を招くおそれがある」という検定官の指摘を受けて削除され、修正されている。

 韓国問題の専門家によると、韓国政府はこの日本政府の「努力」を評価し、振り上げた拳を下ろすことも可能であったし、日本政府もそうした対応を期待したともいう。

 ところが、検定合格後も韓国政府は強硬姿勢を貫いた。

 その結果、国家主権に属するはずの他国の教科書編纂に介入するという前代未聞の過ちを犯し、3年前の日韓共同宣言のあとに「もはや過去のことが外交問題になることはない」と語った金大中大統領の発言を反故にしてしまったのである。

 その背景には、日本の進歩派から煽られて対日強硬論を展開する韓国のマスコミや世論、議会の存在がある。

 韓国の民族主義者は「日帝」といかに勇敢に戦ったかを強調する「抵抗史観」に立つ。だがいまや、日本の「反日」勢力に依存・従属して「反日」を叫んでいる。

 完全な矛盾といわざるを得ない。


◇朴政権以後、「国史」の変化
◇民族内の欠点克服を見失う

 じつはもっと恐るべき事実が指摘されている。

 以前、紹介したように、韓国の歴史教科書は、制度的には韓国の一流の歴史研究者や教育者によって編纂されているといわれる。1970年代、朴正煕大統領の時代、「維新体制」の理念を具体化する「国策科目」として「国史」の学習が強調され、「国定教科書」制度が導入されたのである。

 ところが朴政権後、大きな変化が現れた。学問的実証性より時代性、政治性が色濃く反映されるようになったのだ。そしてここにも日本が絡んでいることが、韓国問題の専門家から指摘されている(「現代コリア」5・6月号の特集記事)。

 たとえば「歴史歪曲」の典型とされ、「反日」キャンペーンの切り札となっている「慰安婦」だが、1980年代までは韓国の教科書に記述はなかったという。

 80年代後半になり、「女性までも侵略戦争の犠牲にされた」という記述が登場する。

 ある日本人が「自分は軍の命令で挺身隊員として韓国女性を連行し、慰安婦にした」と回想録に書き、慰安婦問題が一気に沸騰した直後であった。

 震源は日本であった。けっして学問研究の成果ではない。

 90年代半ばになると、「女性までもが挺身隊という名目で連行され、日本軍の慰安婦として犠牲になりもした」という記述が現れる。

 92年の宮沢首相訪韓の前後から慰安婦問題が大きく取り上げられるようになった影響と考えられている。

 ここにも日本が関与しているのである。しかも挺身隊と慰安婦とはまったく別のはずなのに、韓国では同じものと見なされている。

 まったく事実に反する虚構の歴史が、歴史学の名の下に政治的にでっち上げられ、韓国の子供たちに教えられているのである。

 この態度は朴政権時代とはまるで異なる。

 朴大統領の時代はむしろ、なぜ韓国が植民地化されたのか、なぜ独立後の近代国家建設が順調に進まなかったのか、という問題意識が強かった。韓国民族内部の弱さや欠点を直視し、克服しようという姿勢があった。

 ところが、その後の韓国の歴史教育では、植民地化の原因としてもっぱら「日帝の侵略」が指摘され、日本批判に軸足が大きく移ったという。

 そしていまや、内省どころか、日本の「反日」勢力に依拠して、日本批判を展開している。これは韓国の民族主義の歪み、後退というほかはない。


◇なぜに「過去」を否定するのか
◇「日本人」になりかけた韓国人

 韓国の歴史教科書は終始一貫、「反日」に貫かれている。まるで日本という存在がなければ、自画像が描けないかのようである。

 なぜそれほど日本にこだわるのか?

 韓国・朝鮮問題の専門家として知られる産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏は、『韓国人の歴史観』のなかで、興味深い指摘をしている。

 韓国の「反日」は日本に支配されたことへの反発それ自体よりも、日本支配から脱するのに、自力では果たせなかったことへの鬱憤のせいではないか、と推理するのである。

 韓国人は酒の席でよく「日本と一度、戦争をして勝ってみたい」と冗談半分に言うらしい。インドやベトナム、インドネシアなどの国々は宗主国と戦い、勝利して独立を勝ち取ったが、韓国はそうではない。連合国には加われなかったし、東京裁判の原告席にも座れなかった。

 韓国の教科書は「抗日」のシンボルとしての「光復軍」について言及しているが、黒田氏に言わせれば、「光復軍」はアメリカ軍の指導下にあり、金日成の「人民解放軍」もソ連軍に組み入れられていたのであって、韓国・朝鮮独自の「独立戦争」は存在しなかった。

 そのうえで、黒田氏はさらに注目すべき事実を指摘する。韓国の歴史教科書では1940年代が「空白」に近い簡単な記述になっているというのだ。

 黒田氏によれば、戦争末期のこの時期こそ、日本に対する「抵抗」ではなく、「協力」がもっとも進み、当時の韓国人はほとんど日本人になりかけたのである。「慰安婦」を含めて、戦時体制に対する最大の協力者が韓国・朝鮮人であった。

 しかし、日本時代が突然、終わりを告げ、新しい国づくりのために、韓国は本当の「韓国人」を必要とするようになる。そこで韓国は困り果てる。日本人化した韓国人はいるが、本当の「韓国人」が見当たらない。

 韓国人を本当の韓国人に作り替えるためには、韓国は過去を全面否定し、日本を全否定する「反日教育」の断行に迫られた。戦前・戦中の日本支配への「協力」が切なるがゆえに、かえって戦後は「反日」が強調されることになった──と黒田氏は指摘している。

 韓国人の「反日」とは自分のなかの「対日協力」の記憶を消す作業だというのである。

 これは歴史の連続性を重視する日本人には異質の歴史感覚である。日本人はあの朝鮮総督府でさえ、朝鮮歴代王朝の始祖を祀る斎場や墳墓での伝統祭祀を厳修し、李舜臣を祀る祠廟をも公認したのである。

 しかし韓国人は現代という時点に立って、「過去」を否定しようとする。黒田氏によれば、韓国人は「過去」にこだわるように見えて、意外にもあるがままの「過去」を認めようとせず、「過去」を作り替えてしまう。

 翻って、日本にも「過去」を図式的に理解し、後知恵で断罪しようとする人たちがいる。教科書問題は「過去」重視ではなく、「過去」を軽視する日韓双方の勢力の連帯によって、ますます混迷を深めている。

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アメリカに飛び火した日韓「歴史」問題──「朝鮮語使用禁止」の誤り [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 アメリカに飛び火した日韓「歴史」問題──「朝鮮語使用禁止」の誤り
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 韓国の朴槿恵大統領がアメリカのオバマ大統領との会談で、「日本は正しい歴史認識を持つべきだ」と「直訴」したと伝えられます。オバマ大統領は深入りを避けた、とされるのがせめてもの救いです。

 現代の韓国人はハングルで教育を受け、漢字で書かれた文献が読めません。なかにはハングル表記しかできない名前の韓国人さえいるくらいです。

 自分たちの言語を奪っているのはじつは自分たちであることが理解できないのですが、それはともかく、都合のいい「歴史」しか知らず、「正しい歴史認識」をもたないのは彼ら自身であり、自業自得というべきです。

 けれども、一面的な事実を並べた「歴史」をアメリカで言いふらし、アメリカの世論を味方につけようとする動きが、ついに大統領から大統領へというレベルにまで行き着いたのは、きわめて危険です。

 日米関係さえ損ないかねないからです。

 日本政府はきちんと反論すべきです。アカデミズムもジャーナリズムも「正しい歴史」とは何か、を追究すべきです。日韓の歴史認識のズレを引き起こした責任が、多分に日本の研究者の未熟とマスメディアの誤報にあるのですから、なおのことです。

 というわけで、平成17年6月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。

 日本が朝鮮を植民地支配していた時代、日本は私たち朝鮮人から朝鮮語を奪った。私の曾祖父は朝鮮語の辞書を編纂したため逮捕された──そのようにつづる韓国系女子高生の作文が、アメリカ国内のコンクールで優勝し、あろうことか大統領の前で読み上げられ、大統領は絶賛したというのです。

 けれども、それは完全なる歴史の捏造なのでした。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。また、掲載紙の編集方針に従って、記事は歴史的仮名遣いで書かれています。



 日韓の歴史問題が米国にまで飛び火した。

「曾祖父は、日本政府が朝鮮語を禁止してゐた一九四〇代の朝鮮で、最初の朝鮮語辞典を共同編纂したため逮捕された」。

 奴隷解放で知られるリンカーン大統領の偉業を称へる博物館が今年四月、同大統領の第二の故郷、イリノイ州スプリングフィールドに竣工し、開館記念の作文コンクールで大賞を射止めた在米韓国人二世の女子高生がブッシュ大統領ほか一万人の参列者の前で「日帝」批判の作文を読み上げた。

「自由の伝道師」ブッシュは「自由社会を流麗に表現した」と称へた、と韓国紙は報道した。


▽朝鮮語学会事件

「従軍慰安婦」「創氏改名」「神社強制参拝」などとともに「朝鮮語使用禁止」は「日帝」批判の常套句だが、「禁止」は事実なのか。

 日本統治下の朝鮮では昭和十三年(一九三八)の第三次朝鮮教育令以降、内地人と朝鮮人が机を並べて勉強できるやうになり、朝鮮語が「必修」から「随意科目」となってのちも日本人校長の学校では朝鮮語の授業が続いた。

 皇居遙拝を呼びかける国民精神総動員朝鮮聯盟のポスターは日本語とハングルで書かれてゐた。漢字ハングル混じりの総督府機関紙「毎日申報」は終戦まで発行されてゐたし、ラヂオの第二放送は朝鮮語が用ゐられた。

 終戦の玉音放送のあと、京城中央放送局は「進駐軍到着まで総督府に協力してほしい」と朝鮮語で呼びかけてゐる(日本放送協会編『二十世紀放送史』など)。

「朝鮮語禁止」はまったく事実ではない。

 だとすると、辞典編纂を理由とした検挙・投獄はあり得ない。理由は何だったのか。

 もともと朝鮮には朝鮮語辞典がなかった。漢字辞典と漢文の文書があればいいといふ発想で、朝鮮人は朝鮮語辞典を必要と感じてゐなかった。

 近代になってフランス人、米国人、英国人、日本人がそれぞれの言語で朝鮮語辞典を作り、その後、「自分たちの辞典がないのは恥であり、文化向上を妨げる」と悟った朝鮮人が一九一〇年に辞典編纂を計画した。だが試みは実を結ばなかった。

 総督府が『朝鮮語辞典』を出版した翌二一年に、編纂計画が再開されたが再び挫折し、二八年に辞典編纂会が創設され、やがて朝鮮語学会(戦後「ハングル学会」と改称)が編纂事業を引き継いだ(ハングル学会編『最新ハングル大辞典』の巻頭辞)。

 そして事件は起きた。

 女子高生の曾祖父・鄭寅承氏は三五年以降、朝鮮語学会理事として編纂に関与したらしい。鄭氏ら朝鮮語学会の会員三十三名が検挙・投獄されたのは四二年。「朝鮮語学会事件」と呼ばれる。

 平凡社の『朝鮮を知る事典』は、容疑は「治安維持法違反」と説明してゐる。

「女高生の日記に〈日本語を使ひ処罰された〉とあったのに端を発し、教員が検挙され、学会にまで弾圧が及び、言語学者が裁判に付され、拷問のため獄死した。朝鮮語の使用が禁止される状況で、過酷な弾圧を受けた」。

 だが、「朝鮮語使用禁止」はをかしい。既述したやうに、歴史の事実に反してゐる。

 治安維持法は「国体変革を目的に結社を組織した者、または結社の役員その他指導者たる任務に従事した者」を厳罰に処する法律だが、会員たちは「独立団体を仮装して独立運動を図った」と疑はれた、と山川出版社『朝鮮史』は説明してゐる。

 これなら納得がいく。

 朝鮮総督府が作成した第八十四回帝国議会説明資料(十八年)に、「咸鏡地方法院予審掛で審理中」の事件の概要が載ってゐる。

 義本克魯(李克魯)、月城鉉培(崔鉉培)らが朝鮮独立の目的で、上海の大韓民国臨時政府(独立運動家による亡命政権)と連絡し、その指令に基づき、活溌な独立運動は至難であるため、文化運動の展開を通じて民族意識の昂揚に努めてゐた、独立運動の実践団体に改組された朝鮮語学会で不穏策動があったのを咸鏡南道の警察が察知し、検挙した──。


▽「抑圧」といへぬ

 朝鮮人当事者の生々しい証言も残されてゐる。

 韓国研究院発行の「韓」は昭和五十二年九月号で事件を特集し、判決文(予審終結決定書)を載せた。

 そこには主犯格の李克魯被告について、高麗共産党や民族宗教団体大倧教との関連、ベルギーの世界弱小民族大会に朝鮮代表で出席し、朝鮮独立要求の議案を提出したことなどが記されてゐる。

 拷問の末の「自白」がどこまで事実を反映してゐるか不明だが、同被告は戦後、北朝鮮の要人になってゐる。

 一方、同じ号に掲載された李煕昇・梨花女子専門学校教授(事件当時)の回想によれば、事件発端の日記の記述はいたづら書きに過ぎず、刑事仲間の中には立件の断念を勧める者もゐたが、朝鮮人の刑事が事件にもっとも熱心に取り組み、もっとも過酷な拷問を容疑者に加へたといふ。

 朝鮮人容疑者を責め立てたのは日本人ではなく、朝鮮人だったと朝鮮人自身が証言してゐる。だとすれば、「日本による朝鮮語抑圧政策」といふやうな単純化はできない。

 最近の研究では、総督府の綴字法整理の審議に学会員が参加し、その学説が反映されるなど「配慮」が示されてをり、従来の「支配─抵抗」史観では把握し切れないことが分かってきた(三ツ井崇「朝鮮語学会の朝鮮語規範化運動と朝鮮語学会事件」)。

 また、在朝鮮日本人に対する朝鮮語奨励政策は植民地支配末期まで続き、対象は日本人官吏全体に及び、朝鮮語のできる日本人は朝鮮人から歓迎されてゐたことも明らかになってゐる(山田寛人『植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策』)。

 朝鮮社会全般に日本語を強制したり、朝鮮語の使用を禁止した事実は過去にないが、いま一般社会では「日帝」批判の政治的プロパガンダが大手を振るひ、日韓のみならず日米関係をも損ねてゐる。
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「親日派」金玉均の朝鮮独立運動───歴史理解を歪める韓国人の日本蔑視 [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


 1950年代、イギリスが植民統治していたケニアの独立運動を弾圧したことについて、イギリスが賠償することを決めたようです。

 朝鮮日報は5月8日の社説でこのニュースを取り上げ、まるで鬼の首でも取ったかのように、日本はどうなのか、と声を荒げています。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/05/08/2013050800789.html

 どうやら韓国人は、日本が独立運動を弾圧したどころか、日本人がアジアの独立運動家たちを支援してきたことを知らないものと思われます。

 当メルマガはvol.23〈4月28日号〉に、「朝鮮を愛した神道思想家の知られざる軌跡───大三輪長兵衛、葦津耕次郎、珍彦の歩み」を転載し、日本の神道人たちが朝鮮独立運動家・呂運亨を支援していた歴史をご紹介しました。呂運亨を暗殺したのは、李承晩派の韓国人でした。

 今回は、平成17年8年、金玉均をテーマに、宗教専門紙に書いた拙文を転載します。

 蛇足ですがこの記事の掲載をきっかけに、その後、東京・青山にある金玉均の墓で、心ある日本人による墓前祭が毎年、行われるようになりました。

 金玉均の祖国独立への思いを共有しようとする日本人がいまもいることを、朝鮮日報の記者たち、そして韓国人はどう思うのでしょうか?

 それでは本文です。一部に加筆修正があります。


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「親日派」金玉均の朝鮮独立運動
───歴史理解を歪める韓国人の日本蔑視
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金玉均墓所.jpg
 日韓の歴史の溝がいっこうに埋まりません。

 4年前(平成13年)、歴史教科書問題が沸騰しました。

 そのことをきっかけに、両国首脳の合意に基づいて、正確な歴史事実の確定と認識を通じて日韓の相互理解を促進しようと、翌年14年春に日韓歴史共同研究委員会(事務局=日韓文化交流基金、日本側座長=三谷太一郎東大名誉教授)が発足しました。

 両国の歴史研究者らによる3年間の活動が実を結び、17年6月に報告書の全文が公表されましたが、とくに近代史について、研究者の見解や主張が鋭く対立し、歴史の断絶感は縮まるどころかかえって尖鋭化しています。

 どうしてこうも溝は埋まらないのでしょうか。その理由を、朝鮮近代史を彩る一人の歴史的人物を通して考えたいと思います。


▽安らぎの場を失う近代日本の恩人たち?

 東京・青山霊園のほぼ中央に、129基の洋風の墓石や十字架が肩を寄せ合う外国人墓地があります。

 近代日本の代表的なキリスト者である内村鑑三や新渡戸稲造に洗礼を授けたプロテスタント宣教師M・C・ハリス、切手や紙幣の印刷技術を指導したお雇い外国人E・キヨッソーネ、日英通商航海条約の改正草案を作成した駐日英国公使H・フレーザーなど、明治の日本を愛し、近代国家建設に寄与した恩人たちなどが眠っています。

 歴史人物名鑑の趣さえあるこの外人墓地に、16年秋、白い「お知らせ」の看板があちこちに立てられました。管理者である東京都が、霊園再生計画に基づいて無縁墳墓の改葬に踏み切ったからです。

 5年以上、管理費の納入がない墓地は「申し出がなければ無縁仏として改葬」される。対象は全体の6割に当たる78基。期限は翌年9月末日ですが、「いまのところ祭祀継承者からの照会はない」(都霊園課)というのです。

 宣教師のように生涯独身なら「祭祀継承者」がいるはずもなく、宗教団体や学校、大使館などには墓地の継承は認められていません。都では「歴史的墓地空間として残す」可能性を模索中ですが、近代の先駆者たちの御霊(みたま)が安らぎの場を失いかけています。


▽日本の支援を期待。甲申事変に失敗し亡命

 撤去が心配されるなかに金玉均(1851─94)のひときわ大きな自然石の墓があります。親日派の朝鮮独立運動家ですが、その波瀾万丈の生涯は今日、日本ではほとんど忘れられています。

 金玉均が生きた李朝末期、朝鮮は対外的には中国・清の属国であり、国内的には国家崩壊の淵に立っていました。

 当時の朝鮮は厳しい身分社会で、自分でキセルを持つことすらしない不労支配階級の両班が、驚いたことに、人口の過半数を占めていました。

 四書五経を学んで悠々とし、社会に寄生するばかり。体を動かさないことが両班の両班たる所以で、それが国王所有の土地を預かり、農民を収奪し、常民の妻や娘、財産をいつでも奪うことができました。

 官職は公然と売買され、両班は常民の犠牲のうえに増殖し、党派抗争にふけりました。

 行政機能は麻痺し、百姓一揆が慢性化していました。

 宮廷内部には国王・高宗の実父・興宣大院君と王妃・閔妃一族との骨肉の争いがあり、閔妃の策略で復古派の大院君が追放されたあと、朝鮮は1876(明治9)年、日朝修好条規締結によって開国したものの、実権を握る閔氏一派は清国に従属する事大主義に固執しました。王室の権威は地に墜ちていました。

 欧米列強のアジア進出という国家存亡の危機に直面して、朝鮮は中国を中心とする華夷秩序を破壊し、東アジアの世界秩序を緊急に再構築する必要がありました。明治維新を成し遂げた日本と連携することによって、封建社会の改革、近代化に乗り出した青年たちの指導者が金玉均です。


▽福沢諭吉らと親交

 両班出身、21歳で官吏登用試験の科挙に首席で合格。若くして頭角を現し、国王高宗にもその才覚を認められました。20代半ば、同じく両班出身の朴泳孝らと憂国慨世の士を糾合して、開国・開化を目指す独立党を組織します。

 明治15年、高宗の命に従い初来日しました。福沢諭吉や自由民権運動の立役者・後藤象二郎らと親交を結び、外務卿・井上馨と意気投合。金玉均は明治維新後の日本の驚異的発展に強く刺激され、日本を手本とした朝鮮近代化の必要性に確信を抱きました。

 17年、金玉均は福沢の多大な影響のもと、武力による閔妃政権転覆、開化派政権樹立の秘密工作に着手します。

 決起日は12月4日。事大党の有力者を暗殺、国王を擁して親日改革派の新内閣を組織するや、清に囚われの身となっている大院君の帰国、清への朝貢廃止、門閥廃止など14カ条の政綱を発表しました。

 けれども防衛を要請した日本公使館側の積極的支援が得られないまま、6日には閔妃と内通した守旧派の要請で、清国駐在武官袁世凱が2000人の兵を率いて王宮に闖入、国王は清国兵営に拉致されます。

 衆寡敵せず、わずか400人の日本軍は竹添進一郎公使の命令で撤退します。日本政府は中国との衝突を回避する方針をとりました。開化派は孤立無援に陥り、金玉均らは日本に亡命します。

 このとき清兵の略奪に朝鮮人暴徒が加わり、在留邦人へのすさまじい虐殺暴行が朝鮮各地で多発しました。これが世にいう甲申事変です。


▽国王高宗が暗殺を命令。上海で凶弾に倒れる

 まさしく三日天下。朝鮮政府は亡命した金玉均らの引き渡しを要求しましたが、日本政府は犯罪人引き渡し条約がないこと、国際法上、国事犯を引き渡す例がないことを理由に拒否します。

 すると今度は金玉均暗殺の刺客を朝鮮政府が送り込んできました。しかし結局、未遂に終わります。

 一方、政変失敗後も福沢、後藤、井上角五郎、頭山満らの日本の民間人は金玉均を庇護しました。

 そんな折も折、旧自由党員が朝鮮独立運動支援と日本の立憲政体樹立とを結びつけようとして計画した大阪事件が発覚します。日本政府は金玉均の事件関与を認め、小笠原さらには北海道に移送します。

 日本政府は甲申事変後、金玉均を厄介者扱いし、国外退去を望んだのですが、国内世論の高まりと欧米の批判とを恐れて、配流処分としたのです。日本政府の冷淡さに強く反発する金玉均を拘束するのが真の狙いともいいます。

 一方、玄洋社の来島恒喜らはその後も金玉均への支援を惜しみませんでした。

 24年に赦されて東京にもどり、朝鮮改革の機会をうかがう金玉均を暗殺するため、朝鮮政府は2人の刺客・李逸植と洪鍾宇を日本に送り込みました。

 暗殺はかつて金玉均を頼みとした高宗直々の命令で、国王は計画遂行のために莫大な内帑金を下賜したともいわれます。

 洪鍾宇はたくみに甘言を用いて金玉均を中国の上海に誘い出します。

 頭山や福沢は「ただのネズミではない」「命が危ない」と注意しましたが、金玉均は朝鮮守旧派の背後に清の李鴻章がいることを知りつつ、日本での政治活動の自由が制限されている中で、李鴻章を直接説得し、朝鮮維新への一歩を歩み出そうと決意し、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と頭山らに語って上海に向かい、27年3月28日、洪鍾宇の凶弾に倒れます。

 暗殺までの経緯は、『明治天皇紀』にも記載されています。

 その後、金玉均の遺体は、李鴻章の命令により、清国軍艦で朝鮮に送られました。朝鮮政府は遺体の首をはね、肢体を切り刻み、「謀叛大逆不道罪人玉均」の標札を立てて野ざらしにするという凌辱刑を加えました。この惨刑は日本に伝わり、朝野を憤激させました。

 民間有志によって5月20日に浅草本願寺で営まれた葬儀には、犬養毅、尾崎行雄ほか2000余名が参列した、と当時の読売新聞が伝えています。

 遺髪と衣類の一部を納めた棺は青山墓地に葬られ、10年後、犬養や頭山らの支援で墓碑が建てられました。日韓併合に際しては、畏きあたりから遺族に金1万円を賜い、生前の功労が追賞されたと伝えられます。


▽日本の横暴を強調する韓国の国定歴史教科書

 今年(17年)の外人墓地「撤去」報道で、日本の朝日新聞や韓国の朝鮮日報などは、北朝鮮系の元朝鮮大学校教授・琴秉洞氏に取材し、「酷薄無情な措置」「あまりにも無慈悲で冷酷」と語らせています。

 しかし、その怒りは現代日本の行政機関にだけ向けられているのではありません。

 驚くべきことには、琴秉洞氏は自著『金玉均と日本』で、金玉均暗殺は従来いわれてきた朝鮮と清国の謀議ではなく、日本を加えた三国共同の政治的謀議である、と結論づけています。

 その根拠に、大阪の豪商・大三輪長兵衛が資金5万円を提供していたことをあげ、その出所は日本政府ではないか、と論理を飛躍させています。

 ちなみに大三輪は戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦の外祖父に当たり、日本初の手形交換所を創立し、朝鮮の貨幣制度改革に取り組むなど内外で活躍しました。

 さらに、日本語訳の発行が約40年前と少し古いのですが、本家本元・北朝鮮社会科学院の歴史研究(邦訳『金玉均の研究』渡部学編)では、「金玉均が上海に渡ったのは朝鮮を侵略しようとする凶悪な日本侵略主義者の野望と妥協することができなかったためであり、刺客洪鍾宇による金玉均の暗殺は朝鮮、日本、清国の反動勢力の庇護と指図のもとで実行された」と説明されています。

 そのうえ巻末の年表には「頭山満が金玉均に上海行きの旅費を提供するとウソの約束をした」「頭山は刺客の李逸植らと密談を進めた」と記述され、金玉均を支援した日本人が逆に悪者に仕立て上げられています。

 しかも、朝鮮人自身が金玉均を冷遇した歴史についての記述は見当たりません。


▽何が何でも日本を「侵略国」にしたい

 むろん北朝鮮の研究だけではありません。韓国の国定高校用歴史教科書もまた歪んでいます。

 たとえば、「甲申政変後、日本の強要によって朝鮮は賠償金支払いや公使館新築費負担などを内容とする漢城条約を日本と締結した」と記述し、日本の横暴を強調するのでした。

 けれども、日韓歴史共同研究のメンバーでもある近代日韓関係史の専門家、首都大学東京・森山茂徳教授によると「日本政府は甲申政変に対する日本の関与を否定して、責任は朝鮮にあり、という方針をとり、他方、清国代表・李鴻章が日本との平和的解決を望んだ結果、日本は朝鮮側の謝罪と損害賠償などの成果を得た」のでした。

「日本の強要」などとはいえないのです。

 また、韓国の歴史教科書は、「清・日両国軍の撤収、将来、派兵する場合には事前に相互通告することなどを内容とする天津条約が締結され、これによって日本は清同様の派兵権を得た」とあたかも日本が朝鮮侵略の足がかりを得たかのような書きぶりです。

 けれども、森山氏によると「伊藤博文の渡中で同条約が締結され、日中間の緊張が一時小康を得た。天津条約は確かに朝鮮に対する日中の権利の平等を承認したのだが、そのあと中国は『宗主権』の強化を推し進めて日本を圧迫し、日本もこれに対抗したことから、同条約は成立直後から空文化した」のです。

 韓国の教科書は何が何でも日本を「侵略国」としたいようです。しかし、日本が「侵略」するはるか以前に李朝は国家破綻していたのではないでしょうか。


▽日本人を野蛮と見る華夷思想を脱せず

『韓国併合への道』などの優れた朝鮮近代史研究で知られる呉善花・拓殖大学教授はこう指摘します。

〈金玉均を批判する韓国人の多くは、金玉均が日本の力を借りたことについて「日本の侵略意図を見抜けなかった」「日本の侵略に手を貸した」と断じ、「親日売国奴」とこき下ろす。一方、支持派は「金玉均は親日家ではなく、日本に頼ったのでもなく、日本を利用したのだ」と弁護する。批判者も支持者も、「日本人は野蛮」と決めつけて蔑視する華夷思想、小中華思想から脱していない〉

 近年は、「朝鮮ではじめて近代的な改革を推進した人物」という評価が定まり、「売国奴」の汚名は晴らされましたが、「日本の裏切りで政治改革を挫折させられた金玉均」という歴史認識は、日本を悪者と見ることにおいて変わりがありません。

 朝鮮独立の理想を実現するために、東アジアで唯一、華夷秩序破壊の意思を持った日本との提携にかけた金玉均の見果てぬ夢は皮肉にも華夷思想を抜け出せない人々によってなおも歪められ続けています。

 日本人の多くは、日韓双方が互いに歩み寄ることによって歴史認識の溝を埋めることができる、と単純に考え期待しています。ところが韓国・朝鮮ではそれはあり得ません。

 呉善花氏が主張しているように、韓国・朝鮮人は、「神功皇后の三韓征伐以来、日本民族は野蛮で侵略的な性格を持ち、朝鮮を蔑視している。日本人に野蛮な性格を気づかせ、謝罪させ、反省させ、直させなければならない」と固く信じ込んでいます。

 韓国・朝鮮人のいう日韓歴史問題の「解決」方法には「歩み寄り」は想定されていません。

「日本人は朝鮮を蔑視している」との見方は韓国・朝鮮人自身の「日本蔑視」の裏返しに過ぎないのですが、事の本質に気づかない日本人は「謝罪」に明け暮れ、それが「平和友好」への道だと思い込んでいます。

 日本が根っからの侵略国なら、一時の謝罪で何が変わるでしょう。改められなければならないのは韓国・朝鮮人の身に染み付いた華夷思想です。しかしこれも変わりようがありません。

 だとすれば、歴史の溝は埋めようがありません。

 100年前、明治維新に成功した日本との提携によって朝鮮維新を成し遂げようとした金玉均なら、現代の歴史問題をどのように見るでしょうか。

 さて、話をもとに戻します。

 甲申事変のあと、金玉均の実父は捕らえられ、息子の暗殺後、同様の極刑に処せられました。

 李朝では国家反逆者の家族は一族郎党、凌辱刑に処せられるのが常で、そのため母親と上の妹は服毒自殺、下の妹は流浪の人生を強いられました。したがって、祖国独立革命の志半ばで客死した金玉均の墓所を継承する子孫を見いだすことは容易ではありせん。

 子孫縁者でなければ継承できない、とされるその墓地の行方はどうなるのでしょうか。

(参考文献=黒龍会『東亜先覚志士記伝』、森山茂徳『日韓併合』、呉善花『「日帝」だけでは歴史は語れない』、崔基鎬『日韓併合』、鄭鳳輝「甲申政変百二十年」など)
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日本を受容し、排斥する韓国人の引き裂かれた精神──米大統領府晩餐会に出された日本料理への不満 [日韓関係]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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日本を受容し、排斥する韓国人の引き裂かれた精神
──米大統領府晩餐会に出された日本料理への不満
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 先日、ジャーナリストの黒田勝弘さんが、訪米した李明博・韓国大統領に対する、ホワイトハウスでの晩餐会について、興味深いニュースを伝えていました。メニューに日本料理が出されたことから、韓国内で不満の声が出ている、とくに韓国メディアは「ホワイトハウスの深刻なミス」と批判している、というのです。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111025/kor11102501340000-n1.htm

 黒田さんの記事によると、朝鮮日報が発行する雑誌「週刊朝鮮」が伝えた晩餐会のメニューは、前菜は「マサゴ」と名付けられた「カリフォルニア巻き」のようなお寿司で、サラダは「ダイコン」。メインディッシュのステーキは「ワギュウ」、添えられた野菜は「カボチャ」でした。

 同誌は「これはホワイトハウスの深刻なミスで失礼にあたる。とくに韓国料理の世界化に努力中の韓国大統領の金潤玉夫人は不満だったはず」と伝えているのだそうです。


▽1 反日的脳細胞を刺激する

 韓国誌の記事は「現実的に米国では日本料理は最高級料理になっている」というアメリカの食の現実を認めつつ、「韓国人出席者は受け入れがたい気持ちではなかったか」と指摘しているというのですが、何をどう受け入れられないのでしょうか?

 結論からいえば、現代の韓国人は「日本」を受け入れられない、ということなのでしょう。現実には日本の文化を多く受け入れているのに、です。韓国人の心は分裂しています。

 アメリカは人種の坩堝(るつぼ)ですから、当然、アメリカの食文化は世界の食文化のモザイクです。アメリカで「最高級」とされる「日本料理」が、賓客をもてなす料理として晩餐会に出されるのにはそれなりの理由があります。

 もちろんアメリカの食文化を代表するハンバーガーが「ハンブルグ風」であるように、「カリフォルニア巻き」はアメリカ風にアレンジされたアメリカ料理のはずです。それを韓国人は「日本料理」と見るから、韓国人自身の反日的脳細胞を刺激するのです。

 どこの国であれ、食文化は多かれ少なかれ、他国との歴史的交流の産物です。韓国誌の記者が強い反発を感じているらしい日本料理の食材も、もともと日本オリジナルではありません。

 ダイコンは地中海沿岸地方が原産地で、日本には弥生時代に伝わったようですし、カボチャはアメリカ原産ですが、室町時代にポルトガル人によって日本にもたらされました。「カンボジア」が名称の由来であることは日本では常識です。ステーキの「和牛」にしても、近代以降、在来の牛に輸入牛をかけ合わせて、新たに改良されたものです。

 こうした食の歴史を、口を酸っぱくして解説しても、日本嫌いの韓国人記者にはたぶん馬耳東風でしょう。

 しかし、それほど日本がいやなら、「韓国料理の世界化に努力中の韓国大統領の金潤玉夫人」は、大根キムチのカクテキを世界化の対象から外すべきではないでしょうか? 大根キムチ追放キャンペーンを新聞社は推進すべきではないですか?


▽2 キムチの唐辛子は日本から伝えられた

 韓国政府が数年来、「韓国の食文化の国際化」を推進するようになった要因のひとつは、日本食が世界に広がっていることへの対抗意識でした。けれども、日本を鏡にするほかに自画像が描けないのなら、日本を否定することは自分の存在を失わせます。

 なぜなら、韓国食文化を代表するキムチそれ自体、日本との交流の結果、生まれたからです。キムチに欠かせない唐辛子は、南米原産ですが、朝鮮半島にもたらされたのは、韓国人が「侵略」と呼ぶ、秀吉の朝鮮出兵のころ、日本からでした。

 朝鮮の実学者・李晬光が1613年に編纂した『芝峰類説』には、朝鮮半島には日本を通じて知らされたので、「倭芥子(ウェゲジャ)」と呼ばれると記載されています。キムチに唐辛子を用いるようになったのは18世紀の半ばで、ピリリと辛いキムチが一般化したのは18世紀後半といわれます。

 大根や白菜のキムチが韓国で大量に流通するようになったのは、日本人女性を母として日本で生まれ、日本で学び、その後、独立直後の韓国で、野菜の種子の自給体制確立に貢献し、やがて「韓国農業の父」と呼ばれた禹長春氏の功績によります。

 食文化ばかりではありません。韓国の新聞の歴史にも日本が関与しています。韓国で最初にハングル文字を用いた新聞は漢城周報ですが、福沢諭吉や井上角五郎など日本人が協力しました。韓国・朝鮮の近代化には多くの日本人が貢献しています。

 ソウルには日本時代の面影がいまも色濃く残されています。ソウル市庁舎は旧京城府庁ですし、市議会議事堂は旧京城府民館です。ソウル一の繁華街・明洞(ミョンドン)はかつて明治村と呼ばれていたのではありませんか。

 どこの国にも他国の文化を受け入れ、発展させてきた歴史があります。韓国の歴史も例外ではありません。韓国・朝鮮は日本の文化を受け入れ、独自の文化を創ってきたのに、その事実を認めることができず、まるで人類の歴史が朝鮮半島から生まれたかのような説さえ、しばしば主張されています。

 日本文化の受容は現代も例外ではありません。10年前、歴史教科書問題をきっかけに日韓関係が抜き差しならない状況になったとき、ソウルの街ではどこへ行っても、人気歌手のポジションが韓国語で歌う、尾崎豊の「アイ・ラブ・ユー」が流れ、そのCDはヒットチャートのトップをずっと走り続けていました。

 日本を受容しながら、日本を排斥する。韓国人の精神は分裂している、といわざるを得ません。


▽3 韓国宮廷料理研究家・黄慧性さんの思い出

 黄慧性(ファン・ヘソン)さんという韓国人女性がいます。忠清南道の裕福な両班の家庭に生まれ、日本の女学校に学んだあと、長年、朝鮮の宮中料理を研究しました。重要無形文化財に指定され、ソウル大など各大学の教壇に立ち、後進の養成に尽くし、5年前、86歳でこの世を去りました。

 黄慧性さんの偉大さは日本と日本人をしっかりと理解し、評価していたことにあります。第2次大戦後、失われかけていた朝鮮の宮廷料理を研究できたのは、ほかでもありません。日本時代に朝鮮総督府が李王職を設け、宮廷文化を保存、記録していたからでした。

 亡くなる何年か前、黄慧性さんを「韓国のお母さん」と慕う、韓国文化に詳しい友人に連れられてソウルを旅しました。戦前は朝鮮神宮の境内だった、南山頂上にある宮廷料理店で、優雅なチマチョゴリ姿の黄慧性さんと食卓を囲んだとき、黄慧性さんが語った言葉が印象的でした。

「最近の人はすぐに栄養学的な意味を考えようとする」

 国王が毎日、食する宮廷料理には儒教的な意味づけがある、それが欧米の学問を学んだ現代の韓国人には理解できない、というのが黄慧性さんの嘆きでした。

 黄慧性さんは、日本および日本人に対する好悪の感情を超えて、客観的に評価する目を持ち、学ぶべきところあり、とすれば、素直に学ぶ姿勢を持っていました。事実を無視して、観念的に日本を批判する、しかも言っていることとやっていることが百八十度違う。そんな親米・反日の李承晩の息子たちとは雲泥の差があります。


▽4 謙虚に他者を受け入れる日本

 ひるがえって日本はどうでしょうか?

 日本は有史以来、水田稲作、漢字、仏教、儒教など、海外文化を積極的に受け入れてきました。そして皇室こそは世界文化受容の中心です。

 たとえば宮中に伝わる雅楽は、唐楽、高麗楽、渤海楽、林邑楽など古代のアジア諸国の音楽が源流となっています。近代以後、キリスト教の社会事業を深く理解され、経済的、精神的に支援されたのも皇室です。

 驕り高ぶらずに、他者を謙虚に受け入れる力が、日本の文化を豊かにしてきたのです。


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正義を共有できる韓国人はいないのか──国連総会で慰安婦問題を取りあげた次席大使 [日韓関係]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 正義を共有できる韓国人はいないのか
 ──国連総会で慰安婦問題を取りあげた次席大使
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 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ平和条約調印直後に正常化交渉が始まり、難航の末、日韓基本条約が締結され、国交が正常化したのは65年6月です。

 同時に「請求権ならびに経済協力協定」が結ばれ、日本が多額の経済協力を実施することになり、一方、韓国は国および国民の請求権を放棄し、両国ならびに両国民の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」するとともに、以後は「いかなる主張もすることができない」とされました。

 日本が実施した無償協力3億ドル、円有償協力2億ドル、民間借款3億ドルにおよぶ、当時の韓国の国家予算をはるかに上回る経済協力は、朴正煕政権によって、ほとんどが経済建設に投入され、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展の基礎が築かれました。

 それから60年、韓国政府はこの条約を反故にしようとしているかに見えます。

▽1 「戦争犯罪であり、人道に反する罪に該当する」

 報道によれば、韓国の辛東益・国連次席大使は10月11日、人権問題を扱う国連総会第3委員会で、「武力紛争の下で行われた性暴力の問題、とりわけ第二次世界大戦当時の従軍慰安婦などを含む組織的な性暴力・性奴隷の問題の深刻さに対し、深い憂慮の念を表する。これは戦争犯罪であり、人道に反する罪に該当する」と指摘し、国連機関と加盟国に対して、(1)効果的な被害者救済措置、(2)賠償金の支払い、(3)加害者の処罰に向けて、最大限の努力をするようにと要求したのでした。

 韓国が国連総会で慰安婦問題を取りあげたのは14年ぶりだそうです。

 これに対して、日本の児玉和夫次席大使は発言を求め、慰安婦問題について「多くの女性の名誉と尊厳を傷つけた、ゆゆしき問題と日本政府は認識し、誠実に謝罪してきた」と説明し、「先の大戦に関する賠償などの問題はサンフランシスコ条約や2国間条約で法的に解決済み」と反論しました。

 しかし韓国側は、「財産・請求権の問題も含め、2国間で解決はしていない」と応酬し、旧日本軍の行為が「戦争犯罪に相当する可能性」もあると指摘、さらに「日本政府の法的責任は残っている」と述べ、賠償請求権問題に関する協議を日本政府に重ねて要求したのでした。

 韓国メディアは、「日本政府に対し、従軍慰安婦問題をめぐって謝罪や賠償を求める韓国政府の方針を、国際社会を通じて再確認するとともに、慰安婦問題をめぐる2カ国協議の提案を受け入れない日本政府に対し、多国間外交の場で圧力を掛けるための措置だ」という国連韓国代表部の関係者の言葉を伝えています。

 国際問題化させ、国際的な圧力で日本を追い詰めようという、韓国人一流のやり方です。

 今回の発端は、今年8月、韓国の憲法裁判所が元慰安婦の賠償請求権をめぐり、同国政府が具体的な措置を講じてこなかったのは違憲、との判断を下したことにあります。

 その後、韓国政府は9月に賠償請求権に関する協議を日本に申し入れ、10月6日に訪韓した玄葉光一郎外相に対し、「被害者が高齢だ」などとして、元慰安婦の賠償請求権をめぐる政府間協議を開始するよう、改めて提案していました。

▽2 個人補償を徹底しなかった韓国政府の責任

 5年前、日朝交渉再開に関連して、「歴史を無視した日朝交渉「北の言い分」──「過去の清算」はもう終わっている」という記事(雑誌「正論」2006年5月号掲載)を書きました。くわしくはそちらを読んでいただくとして、簡単に問題点を列記します。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1805nicchou.html

 第1点は、日本と韓国が戦争した歴史はありません。したがって賠償はあり得ません。

 第2点は、1945年8月に朝鮮南部で日本に代はって支配者となった米軍政庁は、日本人の公的、私的財産を残らず没収しました。私有財産の没収は明らかな戦時国際法違反ですが、やがてそれらは韓国政府に委譲されました。

 日本はサンフランシスコ条約で、朝鮮でのすべての権利、権限、請求権を放棄させられました。日本人が終戦後の混乱で遺棄を余儀なくされた財産の総額は、GHQの調査によると、軍事資産を除いた分だけでも、53億ドルといわれます。

 一方、韓国は1965年の「請求権ならびに経済協力協定」で、国および国民の請求権を放棄したのです。元慰安婦への賠償請求権は放棄されています。

 韓国側がそれでも請求できるというのなら、日本も請求権を主張せざるを得ません。

 第3に、韓国人個人への補償はすでに行われています。

 韓国の朴正煕政権は日本からの経済協力金のほとんどを経済建設に投入する一方、かつて日本に徴用され死亡した者8500人の遺族に対して、一人当たり30万ウォン、総額92億ウォンの補償を支払いました。

 この個人補償は、日本側が第五次日韓会談で、韓国民個人に対して日本が直接補償する方法を繰り返し提案したのに対して、韓国政府が一括して受け取り、韓国民に仲介する方法を韓国側が主張したことの結果です。

 けれども結局、韓国政府は終戦後に死亡した者や被爆者、慰安婦などを補償対象とせず、そのことが個人補償問題が今日まで尾を引く原因を作りました。責任は韓国政府にあるのであって、日本にはありません。

 しかも十分すぎる対価として、韓国は世界に誇るべき近代化の果実を得たのではないですか。

 第4に、戦争中、日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史の事実で、否定する研究者はいないようです。しかし戦前は売買春は合法で、大戦中の日本および日本人をことさら残虐、非人間的と断定することはできません。

 逆に、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。朝鮮および朝鮮人は過酷な時代をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様でした。慰安婦出身の女兵士伝説すらあると聞きます。けっして被害者ではありません。

 5点目。朝鮮人女性の多数を日本の官憲が強制徴用し、性的な奴隷とした、というような歴史的事実は確認されていません。

 2004年に「日本の指導者たちの悪意に満ちた歴史認識を正す」ために在日の大学教授らが編集を担当し、民団中央本部が発行した小冊子「韓国と日本──あらためて近代史を考える」には、「従軍慰安婦」についての記述がまったくありません。

▽3 韓国政府による韓国人慰安婦は正当化される?

 6点目。日本は村山内閣時代の1995年、元慰安婦への補償などを目的に「アジア女性基金」を設立しました。国家としてはすでに解決済みの問題について、それでも真摯に取り組もうとする日本の努力を、最初は肯定的だったのに、やがて否定的態度に変わり、受け入れなかったのは韓国の方です。

 日本が謝罪していないわけでもありません。宮沢首相も、村山首相もお詫びの言葉を述べています。

 法の精神を忘れ、正義の感覚を失っているのは日本ではなく、韓国です。

 日露戦争に日本が勝利したあと、韓国を日本の保護国とする日韓協約(乙巳保護条約)が調印され、韓国統監府が設置されたあと、外交権を奪われたことを不満とする皇帝が、オランダでの万国平和会議に密使を派遣した歴史を思い起こすのは私だけでしょうか。

 一面的な正義を振りかざし、国際的圧力をかける手法は、韓国人のお家芸かも知れませんが、日本を非難する資格が韓国にあるのでしょうか。戦後の韓国で駐留アメリカ軍向けの将兵慰安総合遊興村が運営され、ベトナム戦争時には韓国軍直轄の慰安婦が組織されたことが知られているのではありませんか。

 日本軍の慰安婦が戦争犯罪、人道に対する罪だというなら、韓国政府による韓国人慰安婦は何でしょうか。正当化されるのですか。

 戦争はいつの時代も過酷です。先の大戦で、朝鮮人民は帝国臣民としてともに戦う、もっとも協力的な戦友でした。24万もの朝鮮人青年が志願兵として戦い、うち2万人が落命し、靖国神社にまつられ、いまの慰霊の誠が捧げられています。

 ポツダム宣言の受諾を国民に知らせる終戦の詔書は、日本とともに戦った関係諸国に遺憾の意を表し、日本国民として命を捧げた人々に対して「五内(ごだい)ために裂く」と御無念を表明されています。

 現代の韓国には正義の感覚を共有できる韓国人はいないのでしょうか。

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日韓の情緒の近さを語り続けた佐藤邦夫 by 佐野良一(イベントプロデューサー) [日韓関係]

以下はインターネット新聞「お友達タイムズ」 2006年5月7日号(第4号)からの転載です

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日韓の情緒の近さを語り続けた佐藤邦夫
by 佐野良一(イベントプロデューサー)
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 映画プロデューサー・韓国文化研究家であった佐藤邦夫(1915~96年)の没後10年の本年、生前の佐藤の仕事に再照明を当て、功績を偲ぶ集い「追悼・佐藤邦夫先生を語る夕べ」が去る4月26日、高田馬場「プラザカフェ」で開かれた。

 佐藤の生涯は韓国の映画、歌謡曲、レヴューなどエンターティメント列の大衆文化を日本に紹介することでほぼ費やされた。しかし彼の生きた時代は、日韓文化コンテンツビジネス面から見れば、実りの少ない冬の時代であった。そのため佐藤の仕事は広がりを持たず、自分の人脈と資金で賄う自己完結で終わることも多かった。しかしそんな彼の周辺には少なからぬ同好の士が集り、次第に門人たちによる“佐藤組”と呼ばれるゼミが形成された。

 佐藤は1930年代に宝塚歌劇のレヴュー作家として芸能界に踏み出すが、その後、映画配給会社の東和商事(現東宝東和)に転身する。ここで「漢江」や「家なき天使」など幾つかの感銘深い朝鮮映画と出会い、それを契機に1941年に映画プロデューサーとして京城に赴くが、その後、彼が召集時まで係わった仕事はレヴュー(朝鮮楽劇団)の総務職であった。

 ここでいう楽劇とは、ミュージカルやバラエティを含むレヴュー風舞台である。それらの多くは宝塚や松竹(SKD〈松竹歌劇団〉、OSK〈大阪松竹歌劇〉)のシステムを真似ていた(ただし男性も加入)。戦前、上海がジャズの都であったことは知られているが、同時期の京城は楽劇の都であり、多くの劇団とスターが生まれた。楽劇育ちの芸能人たちの多くは戦後も韓国芸能界に君臨した。佐藤邦夫が晩年まで持っていた韓国芸能界との太いパイプの核はこのような戦前の映画、楽劇人脈であり、これは余人の追随を許さなかった。

 楽劇の面白さを、佐藤は門人たちに「民族衣装の踊り子が激しく長鼓〔チャンゴ〕(首から懸けて両手の撥で演奏する胴の長い太鼓)を打って踊っていると、そのリズムにドラムが被ってゆき徐々にスイングになるんだよ。そのうちにチョゴリシスターズという3人娘が出てきてジャズを歌うんだ」と語っていた。楽劇の仕事のさ中の1943年、佐藤は召集を受け、中国戦線に出征するが、楽劇団の仲間は舞台で「海征かば」を歌い、彼を送ったという。

 戦後復員した当初、佐藤は大阪で京マチ子や笠置シヅ子を擁するOSKの仕事をしていたようだが、1960年代には東京へ戻り、ビクター芸能社でフランク永井や、橋幸夫、三田明らビクターレコード所属歌手たちのプロデュースを担当した後、1970年代中盤にはフリーとなって韓国映画の日本紹介役に徹するようになる。

 戦前戦後を通して韓国文化が日本で社会現象になることは先ずなく、特に芸能界には長く“韓国モノは当たらない”というジンクスが蔓延っていた。反対に、楽劇にしても映画や歌謡曲にしても、この間の韓国の大衆文化の源はいち早く西洋風に近代化した日本にあり、戦前戦後を通じて韓国は日本型の近代社会が続いている。上記“韓流”は日本型大衆文化が見事に韓国化した成功例だと見ることができる。

 エンターティメントという最も情緒が作用する業界で仕事をしてきた佐藤邦夫は、日韓の情緒の近さを誰よりも熟知していた。そのため言わずもがなの“友好”、“交流”などの薄っぺらな言葉を使うことはなかった。近い情緒を根底としたビジネスライクで冷静な関係を標榜していた。しかし自分自身はそれが全くできない人ではあった。

 佐藤邦夫の語り続けた“日韓情緒の近さ”は、今、“韓流”が証明した。
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