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またしても宗教性排除か?──政府が大震災犠牲者追悼の国営施設を計画 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 またしても宗教性排除か?
 ──政府が大震災犠牲者追悼の国営施設を計画
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 まもなく東日本大震災から3年になりますか、NHKが昨日、伝えたところによると、政府は、岩手、宮城、福島各県にそれぞれ1か所ずつ、慰霊碑など、国営の復興祈念施設を建設する計画を調整中なのだそうです。

 犠牲者への追悼と被災地の復興に向けた強い意志を国内外に示すため、という目的は理解できないわけではないのですが、心配なのは、死者を悼む日本人の宗教伝統を離れた無宗教的な施設、もしくは宗教性を排除した非宗教的な施設になりはしないか、ということです。

 現行憲法が定める「政教分離」主義なるものが、日本の宗教政策、あるいは宗教的空間をひどく歪めてきた前例がいくつもあるからです。

 たとえば、広島・長崎に建てられた原爆の犠牲者を悼む平和祈念館は、その典型でした。

 日本国憲法は宗教の価値を否定しているわけではありませんが、憲法の精神に反して、宗教性そのものの排除が追求されたのでした。

 そのことは、くすぶり続ける靖国神社に代わる国立の無宗教施設建設問題とも密接に結びついています。

 というわけで、雑誌「論座」2003年10月号に掲載された拙文「戦没者追悼『宗教性の排除』に異議あり──国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に思う」を転載します。



戦没者追悼「宗教性の排除」に異議あり
───国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に思う


 平成15年7月、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が、長崎市平野町の原爆資料館に隣接してオープンしました。基本構想の検討から十余年、44億円の国費を投じて建設されたと伝えられます。「原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するための施設」(長崎祈念館のホームページ)という位置づけで、前年8月1日には同じ趣旨の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が広島の平和記念公園に開館しています。

 長崎祈念館は、ホームページ(http://www.peace-nagasaki.go.jp/)などで紹介されているところによれば、鉄筋コンクリート造りで、地上1階、地下2階、敷地面積は約1万5400平方メートル、延べ面積は約3000平方メートルあります。

 地上には、原爆投下の日、被爆者たちが「水をください」と飲み水を求めながら焦土をさまよったことに由来する直径30メートルの水盤がおかれ、夜になると7万人の犠牲者を象徴する7万個の灯りが、光ファイバーにともされます。

 施設の中心は「原子爆弾の投下により亡くなられたすべての方々の冥福を祈るとともに、核兵器による惨禍を二度と繰り返さないことを祈念する」(長崎祈念館のパンフレット)ための「追悼空間」で、緑色に光るガラス製の12本の「光の柱」が林立しています。

 その奥には死没者の名簿を安置する高さ9メートルの同じくガラス製の名簿棚が直立し、棚の前には献花台があります。棚の方角には爆心地が位置しています。

「死没者追悼」を名に冠し、「冥福を祈る」(パンフレット)とうたう祈念館は、広い意味での宗教的な目的で建てられたかのように見えますが、国は逆に「宗教性」を排除したと主張します。

 祈念館によると、「来観者の妨げ」になるような既成の宗教儀式を追悼空間で行うことは認めていません。読経や讃美歌の合唱などは禁じられています。献花は認められますが、神式の玉串(たまぐし)拝礼は想定されておらず、焼香は「火気の使用」に当たるという理由で認められていません。

 つまり神道、仏教、キリスト教など、在来の宗教形式による慰霊・追悼の場としては想定されていないのです。

「たとえば、入館者が一日中ゆっくりと厳かな雰囲気のなかで、静かに死没者に思いをいたし、祈り、そして平和について深く思索することができるような空間」(「原爆死没者追悼平和祈念館設立準備検討会最終保報告」平成10年9月=http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1009/h0928-2_11.html)として設置された祈念館は、既存の宗教形式によらない「無宗教」形式による「死没者追悼」の機会を来観者に与えているのですが、伝統宗教の立場からは不評です。


▽「弔意」「慰霊」が消え、「追悼」に一元化

 こうした祈念館がどのようにして建設されたのか、経緯を振り返ってみましょう。

「最終報告」によれば、平成2年に原爆死没者調査の結果が公表されたのを契機に、「国の原爆死没者に対する弔意の表し方」について、政府内で検討が始まったそうです。

 翌3年5月に厚生省(当時)に「原爆死没者を慰霊し、永遠の平和を祈念するための施設の基本理念、内容等」について検討する「原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会」が設けられ、「恒久的な慰霊・追悼の場」を設置すること、「慰霊の場」「資料・情報の継承の拠点」「国際的な貢献を行う拠点」の三機能を持たせることが適切とされ、続いて「原爆死没者慰霊等施設基本計画検討会」(5年7月設置)、「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会」(7年11月設置)が段階的に設けられ、具体的な開設準備が進められました。

 とくに「平和祈念・死没者追悼のあり方」については、「国立の施設である以上、特定の宗教色を排し、厳かな雰囲気のなかで、入館者がその思想、信条を超えて、原爆死没者に思いを致しながら、平和について深く思索することができるよう工夫することが必要である」(「最終報告」)と結論づけられました。

 けれども実際は、「特定の宗教色の排除」どころか、厚生省によれば、「宗教性の排除」が国の方針だったようです。つまり無宗教施設ではなく、非宗教施設の設置が追求されたということでしょう。

 その背景にはいうまでもなく、「政教分離」の考え方があります。「信教の自由は何人に対しても保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」「国およびその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定する憲法を、国は厳格に解釈し、政治と宗教の完全な分離を図ろうとしています。

「宗教性の排除」は、祈念館設置の過程での用語の変遷からもうかがえます。

 出発点は国としての「弔意の表し方」の検討であったし、当初の「基本構想懇談会」の段階では、「死没者を慰霊」「慰霊の場」という表現が使われていました。しかし、平成5年7月に設置された「基本計画検討会」では「慰霊」が消えます。

 翌6年12月には「被爆者援護法」が成立し、このとき衆院厚生委員会では同法案の採択に際して、「原爆死没者慰霊等施設のできるだけ早い設置」などを求める付帯決議を行っていますが、そこでは「死没者慰霊」と記しています。

 ところが、7年11月に設置された「開設準備検討会」になると、もっぱら「追悼」という表現が用いられます。「弔意」「慰霊」には宗教的な意味があり、政教分離が建前の国の施設には相応しくない、非宗教的な「追悼」こそ相応しい、と国は考えたようです。

 その結果、建てられたのが広島・長崎の両祈念館です。


▽「追悼」に「宗教色」はないのか

 これに対して、最初から最後まで「追悼」を貫いたのが内閣官房長官の諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(追悼懇)です。

 平成13年8月に小泉首相が靖国神社を参拝したのに対して、韓国・中国などからきびしい批判がわき上がったのをきっかけに、同年末に設置され、翌年の暮れ、「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要であると考える」とする報告書をまとめました。

 この報告書は「追悼」の意味について、「この施設における追悼は、『死没者を悼み、死没者に思いを巡らせる』という性格のものであって、宗教施設のように対象者を『祀る』『慰霊する』または『鎮魂する』という性格のものではない」と明記しています。

「追悼」と「慰霊」を区別し、「無宗教」の国の施設としては、「慰霊」ではなく「追悼」を選択するというのですが、「無宗教」と「非宗教」とを混同しているだけでなく、不謹慎な言葉遊びのようにも聞こえてきます。

 国がそのように規定したからといって、来館する公人・私人の心の内は区別のしようがないし、第一、祈念館自体が混乱しています。たとえば、先述したように、長崎祈念館のパンフレットは「冥福を祈る」といかにも宗教的だし、広島祈念館のホームページ(http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/index.php)は英語版で「追悼する」を「mourn」と表現しています。「mourn」には「死を悼み、悲しむ」以外に「服喪」という意味があります。「喪に服する」ことは宗教的行為にほかならないでしょう。

 追悼懇は「追悼」には「宗教色」がないかのように主張していますが、本音は「慰霊」を認めてしまえば、「日本には明治以来、靖国神社という国家の危機に殉じた国民を『慰霊』する公的施設がある。それで十分であり、屋上屋を架するような新たな国立施設の建設は不要である」という結論になる。そこで、「慰霊の排除」を主張する、ということではないのでしょうか。

 百歩譲って、「追悼」に「宗教色」はないと認めたとして、「死没者追悼」と「不可分一体」(追悼懇報告書)である「平和祈念」はどうでしょうか。これも「宗教色」がないというのでしょうか。「祈り」こそ宗教的行為そのものではないでしょうか。

 もっといえば、神社や寺院、教会を建てることと同様、「祈り」の場を設けること自体、宗教的行為なのではありませんか。もはやこの世にいない死者と向き合うことそれ自体、広い意味での宗教的行為にほかなりません。「追悼」と「慰霊」の区別は無意味でしょう。

「宗教性の排除」は生者の論理です。日本政府は、戦争という非常時にあって、交戦国の原爆投下がもたらした「犠牲と苦痛を重く受け止め、心から追悼の誠を捧げる」(長崎祈念館銘文)のですが、かけがえのない命を失った死者に悲しみを慰め、丁重に弔うことより、「まず憲法」「まず政教分離」という生者の都合を無慈悲にも優先させていませんか。もしそうなら、「慰霊」はいうにおよばず、「追悼」の名にさえ値しないでしょう。政府は、不慮の死者に対して、とりわけ国に殉じた国民に対して、国家がまず第一に果たすべき祈りの責務を軽視していませんか。


▽アメリカ政府が捧げる祈り

 ここで海外に目を転じてみましょう。

 日本の政教分離政策の源流であるとともに、「国家と教会の分離」原則を厳格に採用していると一般には考えられているアメリカには、案外、知られていないことですが、この国の宗教伝統に基づいて、国家が祈りを捧げる「全国民の教会」、ワシントン・ナショナル・カテドラルが百年も前から存在します。

 この聖堂では、2001年の「9・11」同時多発テロの3日後、ホワイトハウスの依頼によって、「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が厳かに斎行され、ブッシュ大統領夫妻をはじめ歴代大統領夫妻、政府高官、ユダヤ教やイスラム教の代表者ら数1000人が参列しました。

 式は、軍楽隊の演奏とイギリス国教会ワシントン司教の先導で始まり、讃美歌合唱、聖書朗読に続いて、テレビ伝道師として高名なバプテスト派のビリー・グラハム師が「神への信頼こそがすべての根源」と説教し、そのあと大統領が「世界中からテロを撲滅する」と宣言し、神の御加護を求めて祈りました。

 2003年6月には、スペースシャトル「コロンビア号」の爆発事故で亡くなった宇宙飛行士たちの追悼式が、やはりこの聖堂で、キリスト教典礼に基づいて行われています。

 首都ワシントンの市街地を見下ろす丘の上に建つこの聖堂は、イギリス女王・エリザベス2世を首長とするイギリス国教会の傘下にあり、「祈り、感謝、葬儀などの国家的目的に使用される教会」として建てられました。

 1907年の定礎式で建設を宣言したのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトです。それから65年後の聖堂外陣の完成式典には、エリザベス2世やカンタベリー大司教がはるばる渡米し、参列しています。

 国家的性格を持つ宗教的儀式を斎行する大聖堂の存在や、そうした儀式の開催を政府機関がしばしば依頼し、大統領ら政府関係者が参列することは、アメリカ憲法が定める「国家と教会の分離」原則に抵触しないのか、と疑う人も多いでしょう。

 1791年に追加された合衆国憲法修正第1条は「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と規定しています。それなのにアメリカ政府は、現実にはこの一宗教法人に対して、宗教的儀式の開催を依頼し、直接的な形を避けつつも、儀式に必要な費用を負担しています。

 アメリカの法理ではこれは違憲ではありません。

 カテドラル関係者は、儀式の「宗教性」については、「当然、宗教的です。『追悼』は必ずしも宗教や祈りなどに基づく必要はないが、『祈り』は宗教的行為以外の何ものでもありません」と明言した上で、「『国家と教会の分離』には抵触しない。憲法修正第1条は『祈り』を禁じているわけではない。禁じられているのは、国家が国民に祈りを強制することだ」と語ります。

 祈りは二の次で、できもしない政治と宗教の完全分離、「宗教性の排除」に固執する日本との違いは明らかではありませんか。


▽宗教的伝統に従うアメリカ

 追悼懇は第7回の会合(平成14年11月18日)で、「諸外国の主要な戦没者追悼施設について」という事務局作成の資料を配付しています。

 16カ国の事例の冒頭はアメリカで、アーリントン国立墓地の「無名戦士の墓」「硫黄島記念像」など5つの例が挙げられ、すべて「宗教性なし」と記されていますが、カテドラルについては取り上げていません。

 アメリカは建国の伝統に従い、キリスト教会というまぎれもない宗教的空間で、宗教者も、政治家も、官僚も、国を挙げて、国難に殉じた死者たちのために心からなる祈りを捧げています。そうしたカテドラルの存在を無視したのか、あるいは単に知らないだけなのか、軒並み「宗教性なし」と断定した追悼懇の資料の根拠はどこにあるのでしょうか。

 まさかとは思いますが、追悼懇が「必要だ」と結論づけた新たな国立の追悼施設を「宗教性なし」としたいがための詭弁でしょうか。

 国が関わった戦争で悲運にもたった1つしかない命を失った国民に対して、アメリカは自国の宗教的伝統に従って慰霊の誠を尽くし、その上で、憲法との整合性を図っています。ところが日本政府は、戦後輸入された「政教分離」を金科玉条とし、伝統的な祈りの形としての「宗教性」を排除しようとしています。その姿勢は卑屈にも見えます。

 追悼懇のある委員は、「国のために亡くなった人をどう慰霊するのか。その国の文化と宗教的伝統に従って行われるのが人間文明の当然の選択である。文化・伝統と無関係の『無宗教施設で慰霊を行う』という考え自体、まったく非人間的な革命国家の発想である」と主張した、と記録されています。

 アメリカより古い歴史をもつ日本には、死者に対する作法について、はるかに豊かな固有の文化があります。けれども、日本政府は祖先が築いてきた祈りの歴史と伝統に反する「無宗教」革命を推し進めているかのようです。まるで狂信的無神論者のように、ことさらに「宗教」を否定し、「無宗教」に固執する。逆に、「無宗教」にこだわるあまり、あたかも「無宗教」という宗教の伝道師を演じるという自家撞着に陥っています。あまつさえ「無宗教」の教会まで建設し、「無宗教」を国民に押しつけているのではありませんか。


▽反映されなかった宗教者の意見

 日本政府は「宗教性」と同時に、「宗教者」をも排除しました。

「祈念館を後代にわたった国民の共感と支持が得られる施設とするためには、広く国民の意見を聴くことが重要である」(前掲の「最終報告」)と認識されながら、祈念館設置の検討過程で、宗教関係者に意見を求めることはありませんでした。

 こうした状況に対して、被爆者の慰霊を真剣に考えようとする長崎の宗教関係者は、「たとえば平和公園なら、各宗教がある程度、自由に慰霊のための宗教儀礼が行える。そのように諸宗教に平等に開かれた儀礼ができるようにしてほしい」という主旨の「意見書」を四に提出したが、思いは通じず、関係者は「厚生省の原案で押し切られた」とほぞをかみます。

 一方、長崎祈念館は「特定宗教に便宜が図られている」という見方もあります。「祈念館が採用する黙祷形式、献花方式は許もとキリスト教に由来する。聖書朗読や讃美歌は認められないが、花を捧げ、静かに祈り、十字を切れば、キリスト教儀礼として通用する。祈念館は神道や仏教には違和感のある非宗教空間だが、キリスト者にはなじみやすいといえる」と政教関係に詳しい研究者は指摘します。

 それどころか、追悼空間の「光の柱」こそは、長崎祈念館のキリスト教色そのものを反映している、との指摘もあります。

 旧約聖書では、天地創造に際して、創造主が最初に語った言葉が「光あれ」です。キリスト教の教えでは、「光」は神であり、神の言葉であり、真理です。キリストも福音もキリスト者も「光」です。

 とすると、日本政府は「宗教性の排除」に執着するのみならず、キリスト教ににじり寄っているということになるでしょうか。

 政府のエリート官僚であれ、諮問会議に参加する学識経験者であれ、あるいは名もなき国民であれ、日本人の宗教イメージはどうしても日本的、伝統的にならざるを得ません。したがって「宗教性」の排除は伝統的「宗教」イメージの排除、伝統宗教の排斥につながり、いきおい非伝統的な異国の神にすり寄ることになるのでしょう。長崎祈念館がキリスト教的な新興宗教の臭いがするのは同様の結果でしょうか。

 長崎祈念館は流れ落ちる水、むき出しのコンクリート、ガラス、アルミ材で表現された斬新な現代建築ですが、設計者は地方紙のインタビューで「来観者が、押しつけではなく自然に、祈り、平和を考える雰囲気になるように」「静寂さと緊張感を保てるよう、装飾を極力排除した」と語っています。

 一つの見識には違いありませんが、古来の日本人の祈りの形式にしたがったものとはいえないでしょう。


▽日本人は変わったのか

 日本人の祈りの形式といえば、明治神宮の創建が思い起こされます。

 東京都心に広大な緑のオアシスを提供している明治神宮は、京都の伏見桃山御陵に鎮まる明治天皇の聖徳を追慕する国民の熱い思いが政府を動かし、創建されました。

 東京帝国大学教授で、明治神宮造営局参与の立場で建設の指揮を執った、日本近代建築の巨人・伊東忠太によれば、当時、建築様式に関してはさまざまな意見があったそうです。

 なかにはモダンな大賞の御代に相応しい斬新な様式を創出すべきだ、という革新的な意見もあったといいます。「神社建築の様式は時とともに変遷している。大正の御代において大正の新様式を創り出すのは当然だろう。一切万事現代式に執り行うことが現代の天皇を奉祀するに相応しい道理である」と主張です。

 しかし最終的には「流れ造を適当」とする伊東の意見が採択されました。

 伊東はこう主張しました。「建築様式の変遷は一般論としては正しき事実だが、それは世の中の事情、世人の観念・要求が変わるにより、やむを得ず変ずるのである。世人の神社に対する観念は、古来何ほど変化し来たったか。祭祀の様式を一変せしむるほど、神社に対する新要求をもっているか。余輩の見るところそうではない。わが国民の神に対する観念は古来変わらぬ、といいたい。祭祀の式典も古今大なる相違はないと思う。しからばいかにして神社建築の様式が変わりえようぞ」(『伊東忠太建築文献』第二巻)

 伊東の論理に従えば、日本人の死者に対する観念、慰霊の様式は変わってしまったのでしょうか。民族の歴史とともに培われてきた人の死を悲しみ、悼み、慰霊する独自の伝統を排除して、新たな施設と新たな追悼の形式を作らなければならないほど、日本人は変わってしまったのでしょうか。

 国が原爆死没者に対して、あるいは戦没者に対して、心から「弔意」を表し、「慰霊」「追悼」の誠を捧げることは当然です。そして、日本人が日本人である限り、そこには古来の日本人の「慰霊」「追悼」の心が素直に反映されなければならないでしょう。伝統的日本人の宗教性を軒並み排除し、あまつさえ異国の神にすり寄るかのようにして、長崎祈念館を設置した政府の姿勢は、この国に宗教革命をもたらすものと危惧せざるを得ません。国はさらに「国立の無宗教の恒久的施設」の建設を予定しています。心ある国民はこれを容認するでしょうか。(筆者注。一部に加筆修正があります)
タグ:政教分離
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昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相──「政教分離」カトリック教会の論理破綻 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相
 ──「政教分離」カトリック教会の論理破綻
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 報道によると、今月1日、天皇陛下は皇后陛下とともに、上智大学創立100周年記念式典にお出ましになりました(http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110101002293.html)。

 同大学はカトリック修道会のイエズス会によって設立されました。

 近代以降、日本の皇室はキリスト教の社会事業に深い理解を示され、物心両面で支援してこられ、側近にもカトリックおよびプロテスタントの信仰者がいました。

 けれども、戦後、日本のキリスト教指導者は一転して、強烈な皇室批判や靖国批判を展開するようになりました。

 以下の記事は、戦前の教会が「迫害」を受けていたという主張に対する反批判を試みたものです。昭和7年の「上智大学生靖国神社参拝拒否事件」をきっかけに「迫害」を受け、危機に陥ったというのですが、まったく事実に反しています。

 なお、記事は掲載された宗教専門紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。若干の加筆補正があります。



 昨年(平成17年)十一月に来日したブッシュ米大統領夫妻は、京都での日米首脳会談に先立って、小泉首相とともに、臨済宗・北山鹿苑寺(金閣寺、有馬頼底住職)に参詣した。夫妻は首相に出迎へられたあと、住職の案内で境内を首相と一緒に散策し、金閣の本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌した、と伝へられる。

 大統領が日本の代表的な社寺を参詣するのは、今回が初めてではない。

 平成十四年の来日では明治神宮を表敬参拝した。ところがこのときは当初、首相も一緒に参拝する案が検討されたものの、一部の反発を恐れて見送られ、外国の元首が日本の伝統的宗教文化の一端に触れる折角の機会にもかかはらず、首相は流鏑馬観覧にのみ同行するといふ失態を演じ、逆に「祭神に対して不敬」「国際儀礼上失礼」との批判を受けた。

▽憲法を盾に神道攻撃

 明治神宮表敬参拝に強硬に反対したのは、キリスト者である。

 たとへばカトリックは、小泉首相に対して、「カトリック正義と平和協議会長・松浦悟郎司教」の名前で「参拝中止」を文書で申し入れた。「憲法が定める信教の自由・政教分離原則に違反する」「宗教を外交の、外交を宗教の手段として利用することは許されない」といふのだが、批判の矛先は、直接は関係のないはずの首相の靖國神社参拝にまで向けられてゐる。

 同じ論理に立つなら、寺院参詣も「憲法違反」になるはずで、キリスト者は「中止」を要求すべきだが、今回の金閣寺参詣には何らの抗議行動も起こされてゐない。キリスト者の論理は首尾一貫してゐない。

 なぜなのか。

 それは反対活動が護憲の政治的信念に発してゐるからではなく、異教を攻撃的に排撃する一神教的の発想から憲法を神道攻撃の道具に利用してゐるからではないのか。

 日本のカトリックはいかなる理由から、いかなる論理で神道を排撃しようといふのか、教会の公文書をひもといてみる。

 たとへば昨年の「戦後六十年」に際して、日本のカトリックは今年元旦まで「平和キャンペーン・今こそいかそう平和の宝」を展開したが、このために日本司教団が発表した「平和メッセージ・非暴力による平和への道」には、「この春(平成十七年春)、とくに中国、韓国では反日運動がこれまでになく激しかった。その背景の一つには日本の歴史認識、首相の靖國神社参拝、憲法改正論議などの問題が挙げられる」などと神道批判、靖國神社批判が繰り広げられてゐる。「憲法の政教分離は天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争に邁進したといふ歴史の反省から生まれた」とも述べてゐる。

 メッセージを解説する日本カトリック司教協議会・社会司教協議会編の小冊子によると、カトリックが靖國神社問題などに拘るのは、戦前の「過ち」を忘れられないかららしい。昭和七年の上智大学学生「靖國神社参拝拒否事件」の記憶である。

 言ひ分によれば、日本のカトリックはこの事件をきっかけに軍部と世論による迫害、教会の存亡に関はる危機に陥った、これを回避するために神社参拝は教育上の理由でおこなはれ、敬礼を愛国心と忠誠の表現と公的に理解し、靖國神社の本質的な宗教性に触れず、宗教的参拝を儀礼として容認するといふ過ちを犯した、これをきっかけに教会は参拝を奨励することになり、戦争協力の道を歩んだ──とされる。

▽「迫害」とはほど遠い

 しかしながらこの歴史理解はどこまで正しいのだらうか。

 少なくとも事件の当事者とは認識に大きな隔たりがある。渦中の人であった上智大学の丹羽孝三幹事(学長補佐)の回想によると、事件はおよそ「迫害」とはほど遠いものであった。

 ──第一次大戦後、軍縮の時代が到来し、軍は将校の失業対策として学校の軍事教練のために配属した。上智大学の配属将校は、課外授業は学長の許可を要するといふ規則を破って学生の靖國神社に参拝させた。カトリック信者の学生が非キリスト教形式の拝礼を拒否し、将校が憤激したのを、翌日の新聞は「参拝拒否」「軍部激怒」と書き立てた。しかし文部省は軍に批判的だったし、丹羽幹事と陸相との面談で事態は収拾した。

 ところが数カ月後、事件がぶり返され、「邪教」「売国奴」「スパイ」といふ批判が教会に対して浴びせられる。しかしじつは軍部による政党打倒運動に事件が利用されたのであった。そもそも濡れ衣だったから、支援者は少なくなかった。不穏な動きがあれば、在校生の父兄でカトリック信者の麹町警察署長から情報が伝へられたし、國學院大學や仏教関係の大学の学長が見舞ひにやってきた。軍内部の同情者からも関係する極秘資料が届けられた。そして宮様師団長のお耳に達するところとなり、事件は急速に解決する(『上智大学創立六十周年──未来に向かって』昭和四十八年)。

 苦難の中にある当事者の心中は察するに余りあるが、これは宗教的な「迫害」とはいへまい。

 しかし今日、カトリックは「迫害」を言ひ募って殉教者を装ひ、返す刀で日本の神道を攻撃してゐる。「政教分離」に関する日本のカトリックの論理は破綻してゐる。

 当然、教会の「平和メッセージ」に対して、根本的な疑問を投げかける一般信徒もゐる。

「宗教者の目から見て、一国の指導者が戦歿者に敬意を表し、平和を祈念するのは正義に合致してゐないのか」

「厳格な政教分離解釈を指示すれば、教会は無宗教、無信仰の立場に与することにならないか」

 この真摯な問ひかけに、日本のカトリック教会はどう答へるのか、答へられるのか。

タグ:政教分離
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宗教的な米国の「国家と教会の分離」──日本の「政教分離」は宗教を否定 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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宗教的な米国の「国家と教会の分離」──日本の「政教分離」は宗教を否定
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 15日にアメリカのボストンで起きた連続爆弾テロ事件から3日後の18日、事件現場に近い聖十字架大聖堂(ローマ・カトリック)で犠牲者を追悼するミサが行われ、出席したオバマ大統領が「あなた方は再び走るはずだ」と市民らを激励するメッセージを送ったと伝えられます。
https://www.youtube.com/watch?v=9rpHxn00Zr4

 その前日には、イギリス・ロンドンのセントポール大聖堂(イギリス国教会)で、サッチャー元首相の葬儀が営まれ、エリザベス女王をはじめ政府高官、諸外国の代表者が参列しました。
https://www.youtube.com/watch?v=drJoWMn0nlE

 それぞれの国ではそれぞれの宗教伝統に従って、国家的な宗教行事が行われています。

 ところが、日本はそうではありません。

 というわけで、宗教専門紙に平成17年2月に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。本文は同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 なぜこれほどに行政の姿勢が対照的なのか。

 日本政府が採用する厳格な「政教分離」主義は米国の「国家と教会の分離」を源流とする、と一般には考へられてゐる。ところがその米国では「政教分離」主義の厳守どころか、大統領の就任式に宗教家が参列し、牧師が祈りを捧げる。

 一方、日本の公的慰霊式は宗教家も宗教儀礼も排除される。

 米国では自国の宗教伝統を肯定した上で宗教政策が推進されてゐるのに対し、日本ではまるで無神論者のやうに宗教の否定が追求され続けてゐる。


◇ 震災十年で教会音楽を演奏
◇ 非伝統化する公的追悼式


▽「♪ 愛しい御身は」

 阪神淡路大震災から十年。兵庫県はじめ官民合同による追悼式典(主催=同式典委員会)が先日、神戸の県公館などで開かれた。政府関係者や遺族、被災者の参列はもちろんだが、とりわけ天皇皇后両陛下が御参列になり、お言葉や献花を賜ったことは犠牲者の御霊をどれほど慰めたことだらう。

 けれどもその一方で、公的慰霊追悼式典の無宗教化、非伝統化が浮き彫りになった。

 式典ではまづ「献奏曲」と称し、オーケストラによる「G線上のアリア」の演奏が流れた。名曲中の名曲だが、なぜバッハなのか。

 続いて「追悼の灯り」。慰霊・感謝・未来への期待を込めた被災十七市町の灯りを持ち寄り、復興をともに担ってきた五百六十万県民の思ひをこめた灯りとして、両陛下の御臨席のもと、一つに集められたあと、式典会場に運ばれ、遺族代表の手で会場正面の祭壇中央にともされた。

 慰霊と感謝、希望をつなぐ火がともされた祭壇は、兵庫の山並みをイメージしてゐる。杉の葉で成形された山並みの頂上には震源地・淡路島の白いカーネーション二千本が植ゑられてゐる。県土に浮かび上がる希望を意味してゐるといふ。

 けれども犠牲者の御霊が憑りまして、祭祀の対象となる神籬、木牌はない。

 その代はり、犠牲者の名簿が祭壇に安置されてゐる。

 両陛下の御入場後、式典が始まり、国歌斉唱ののち、全員が黙祷し、県知事の式辞、陛下のお言葉、政府代表、遺族の言葉と続いたが、黙祷し、追悼の言葉を述べる目標物は名簿とされる。

 そのあと「一・一七宣言」を挟んで二曲の献唱曲が捧げられた。二曲目はモーツアルトの「アベ・ベルム・コルプス」。誰もが知る名曲だが、「♪いつも愛しい真の御身は処女マリア様からお生まれになりました」と「聖体における神の現存」を簡潔に表現した教会音楽を捧げることは、「政教分離」に牴触しないのか。

 追悼式典の職員によると、「宗教色をいっさい排除」し、「仏教儀式などは採用しなかった」。「アベ・ベルム・コルプスは本来は教会音楽かも知れないが、宗教的な音楽とは考へてゐない」。


▽戦前も宗教性排除

 大正十二年の関東大震災では、「四十九日」に当たる十月十九日に東京府市合同の大追悼式が本所・被服廠跡で行はれてゐる。

 一般常識的には「戦前は宗教と政治が一体化してゐた」との理解が流布してゐるだけに、いはゆる「国家神道」的な慰霊祭が斎行されたと考へる人も少なくなささうだが、事実は逆である。

『東京震災録』(大正十五年、東京市役所発行)などによれば、宗教者の関与も、宗教的な儀礼も排除されてゐた。追悼式は振鈴とともに始まり、軍楽隊の奏楽に続いて、府知事、市長、首相などの追悼文が続き、一同が礼拝するといふきはめて簡素、非宗教的な式典であった。仏教連合会主催の追悼会や全国神道連合会の五十日祭は、これとは別に開かれた。

「宗教儀礼抜き」「国家は宗教に干渉せず」が政府の基本姿勢であったからだが、それでも府市合同の追悼式は、「黒白だんだら」の鯨幕や木牌など伝統的葬送の手法が用ゐられ、府知事の追悼辞には宗教用語が多用されてゐた。

 戦後、独立恢復直後の昭和二十七年に始まった政府主催の全国戦歿者追悼式では当初、祭壇中央に「全国戦歿者之標」と書かれた高さ二間半の檜柱が設けられてゐた。「戦後三十年」の同五十年に白木の標柱の文字は「全国戦歿者之霊」に変はる。政府は「無宗教」儀式と称してゐたが、黙祷し、花を捧げて、戦歿者を拝する霊位の趣旨を明らかにしたのだ。

 しかし平成十四、十五年に広島、長崎に相次いで開館した国立原爆死没者追悼祈念館はまったく異なる。

 死歿者を追悼し、平和について考へるために設けられた広島祈念館の「追悼空間」は円形の空間で、中心にあるのは水盤のモニュメント。祭壇も神籬もない。

 緑色に光る「光の柱」が林立する長崎祈念館の「追悼空間」には献花台があるが、正面には死歿者の名簿を収めた棚が直立する。来館者は名簿棚に向かって手を合はせ、黙祷する。「来館者の妨げ」になるやうな読経、「火気の使用」に当たる焼香は認められてゐない。玉串拝礼は想定されてゐない。「光の柱」をキリスト教的と指摘する声もある。


▽新宗教儀式を創作

 そして今度の大震災十周年追悼式典である。

 県では、県民をあげて犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げることなどを目的に、昨年夏、官民合同の式典委員会(委員長=県知事)を設立した。県や県議会、市長会など立法行政機関のほか、市民団体や商工会議所、労組や婦人会などが名を連ねてゐるが、宗教者は見あたらない。委員会が「政教分離」問題を議論したことはとくにないといふ。

 日本の公的追悼式は、厳格な「政教分離」主義の立場から、当たり前のやうに宗教者の参加を排除し、日本の伝統的な宗教の手法を採用しない姿勢を強めてゐる。その意味では「無宗教」だが、戦前の政府がいづれの既成宗教にも偏しない方針だったのに対して、近年の公的追悼施設や追悼式典はキリスト教文化に傾斜する傾向が見える。

 本来、死歿者を慰霊する行為には広義の宗教性があり、追悼式典が「無宗教」儀式であり得るはずはないが、浅薄にもそれを認めようとしない行政は、日本の宗教伝統を逸脱した新宗教儀式を創作し、あまつさへ異国の神ににじり寄ってゐる。


◇ 「自由の宣教師」ブッシュ
◇ 米大統領二期目の就任式


▽「大統領に聖霊を」

 再選されたブッシュ米大統領の就任式が一月二十日、雪で真っ白に染まった首都ワシントンの連邦議会前特設会場で行はれた。「九・一一」同時テロ後、初の就任式とあって、一万数千人の軍・警察を投入する空前の警備体制が敷かれた半面、米国らしい宗教的雰囲気の中での式典であった。

 就任式に先立って午前九時半、大統領はローラ夫人と双子の娘をともなひ、ホワイトハウスから北に三百メートルのところにある英国国教会の聖ヨハネ教会の礼拝に参列した。百九十年の歴史を持つ同教会は「大統領の教会」として知られる。

 参列は就任式の日の最初の公式行事で、父ブッシュ元大統領や政府高官、支持者らも出席した。説教台に立ったレオン牧師は「選挙で大統領を支持した州か否かにかかはらず、国民を導いてほしい」と訴へた。同牧師はキューバ移民で、大統領の指名で説教を行った。

 正午、いよいよ就任式。歴代大統領や政府高官、家族、十万人の観衆が待ち構へる中、軍楽隊の演奏に先導され、副大統領、大統領の順に威儀を正して会場に入場すると、万雷の拍手がわき起こる。一様に頭を垂れる参列者の前で、前出のレオン師が祈る。「神が大統領らに聖霊のシャワーを与へたまはむことを」。

 やがて法衣をまとったレンキスト連邦最高裁長官が入場する。副大統領に続き、参列者が起立する中、長官の立ち会ひで、ブッシュ大統領は夫人が持つ聖書に左手をおき、右手をあげ、誓ひの言葉を述べた。

「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓ふ。神よ、我を守り給へ」

 誓ひの言葉は合衆国憲法に定められてゐる。末尾の「神よ、我を守り給へ」は条文にはないが、歴代の大統領が用ゐてきたといふ。誓ひのあと大統領は家族と抱擁を交はす。拍手がわき起こり、二十一発の祝砲が会場に響き渡った。

 続く就任演説で大統領は、建国の理念である「自由」の重要性を何度も繰り返し訴へた。

「わが国の自由の存続は、諸外国での自由の成功にますます依存するやうになった。世界平和を実現する最良の方法は、世界中に自由を拡大することである」との呼びかけは「自由の宣教師」の面目躍如たるものがあるが、大統領は自国と友人を守るためには武力も辞さないとも強調した。

「圧政と絶望の中に生きるすべての人々は知ってゐる。米国は抑圧を黙殺しないし、抑圧者を許しはしないことを。諸君が自由のために立ち上がるなら、我々もともに立ち上がる」。

「自由の戦士」たる大統領の信念はもちろんキリスト教信仰に基づく。「自由が最後に勝利することを確信して、我々は前進する。歴史を動かすのは神であり、歴史は神の意思による選択だ。米国は新世紀の初めにあたり、世界中に、世界中の人々に自由を宣言する」と演説は結ばれてゐる。


▽信仰に基づく信念

 就任式後、伝統ある議事堂内での昼食会は上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終はった。続いて、高校生の鼓笛隊や西部劇スタイルのバンドなどが参加する記念パレードが夕刻までにぎやかに行はれた。夜は舞踏会。同時に十カ所の会場で、夜半過ぎまで開かれた。

 翌二十一日午前には、「全国民の教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで礼拝が行はれ、正副大統領ほか政府関係者らが参列した。

 大統領が心の師と仰ぐ福音派のビリー・グラハム牧師が「我々は神がその本分において二期目の政権を与へたまうたと信ずる。混乱のただ中にあっては清らかで温かな心を、落胆のときには勇気を与へ、そしてつねに神の存在を大統領にお示しください」と祈ったほか、ユダヤ教やキリスト教各派など諸宗教諸宗派による祝福が与へられ、祈りが捧げられた。

「国家と教会の分離」政策が厳守されてゐると一般には考へられてゐる米国だが、自国の宗教伝統に従って国家元首の就任式が行はれてゐる。


◇ ウクライナ新大統領
◇ 聖書に手を置き宣誓

 宗教伝統に基づく国家元首の就任式は、かつて無神論に席捲され、宗教否定の政策が展開されてきた旧東欧・共産圏でも復活してゐる。

 新ロシア派首相との一騎打ちで、やり直し選挙まで行はれるほど激しい大統領選挙に勝利したウクライナの親欧米派ユーシェンコ新大統領の就任式が一月二十三日、同国国会で行はれ、大統領は古い聖書と憲法典に腕をおき、宣誓した。

 聖書はウクライナが独立を保ってゐた一五五〇年代のもので、議場には一六五〇年代にロシアの征服に抵抗した指導者の戦旗も掲げられた。式にはパウエル米国務長官や旧共産圏の七人の大統領などが参列した。

 同国の主な宗教は、東方正教(キリスト教)の一派であるウクライナ正教とウクライナ・カトリック。ウクライナ正教の大部分はモスクワ主教に属するが、一九九一年の独立後、キエフ主教が分離独立した。国民の大半は正教徒を自認するといはれる。
  
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