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またしても宗教性排除か?──政府が大震災犠牲者追悼の国営施設を計画 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 またしても宗教性排除か?
 ──政府が大震災犠牲者追悼の国営施設を計画
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 まもなく東日本大震災から3年になりますか、NHKが昨日、伝えたところによると、政府は、岩手、宮城、福島各県にそれぞれ1か所ずつ、慰霊碑など、国営の復興祈念施設を建設する計画を調整中なのだそうです。

 犠牲者への追悼と被災地の復興に向けた強い意志を国内外に示すため、という目的は理解できないわけではないのですが、心配なのは、死者を悼む日本人の宗教伝統を離れた無宗教的な施設、もしくは宗教性を排除した非宗教的な施設になりはしないか、ということです。

 現行憲法が定める「政教分離」主義なるものが、日本の宗教政策、あるいは宗教的空間をひどく歪めてきた前例がいくつもあるからです。

 たとえば、広島・長崎に建てられた原爆の犠牲者を悼む平和祈念館は、その典型でした。

 日本国憲法は宗教の価値を否定しているわけではありませんが、憲法の精神に反して、宗教性そのものの排除が追求されたのでした。

 そのことは、くすぶり続ける靖国神社に代わる国立の無宗教施設建設問題とも密接に結びついています。

 というわけで、雑誌「論座」2003年10月号に掲載された拙文「戦没者追悼『宗教性の排除』に異議あり──国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に思う」を転載します。



戦没者追悼「宗教性の排除」に異議あり
───国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に思う


 平成15年7月、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が、長崎市平野町の原爆資料館に隣接してオープンしました。基本構想の検討から十余年、44億円の国費を投じて建設されたと伝えられます。「原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するための施設」(長崎祈念館のホームページ)という位置づけで、前年8月1日には同じ趣旨の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が広島の平和記念公園に開館しています。

 長崎祈念館は、ホームページ(http://www.peace-nagasaki.go.jp/)などで紹介されているところによれば、鉄筋コンクリート造りで、地上1階、地下2階、敷地面積は約1万5400平方メートル、延べ面積は約3000平方メートルあります。

 地上には、原爆投下の日、被爆者たちが「水をください」と飲み水を求めながら焦土をさまよったことに由来する直径30メートルの水盤がおかれ、夜になると7万人の犠牲者を象徴する7万個の灯りが、光ファイバーにともされます。

 施設の中心は「原子爆弾の投下により亡くなられたすべての方々の冥福を祈るとともに、核兵器による惨禍を二度と繰り返さないことを祈念する」(長崎祈念館のパンフレット)ための「追悼空間」で、緑色に光るガラス製の12本の「光の柱」が林立しています。

 その奥には死没者の名簿を安置する高さ9メートルの同じくガラス製の名簿棚が直立し、棚の前には献花台があります。棚の方角には爆心地が位置しています。

「死没者追悼」を名に冠し、「冥福を祈る」(パンフレット)とうたう祈念館は、広い意味での宗教的な目的で建てられたかのように見えますが、国は逆に「宗教性」を排除したと主張します。

 祈念館によると、「来観者の妨げ」になるような既成の宗教儀式を追悼空間で行うことは認めていません。読経や讃美歌の合唱などは禁じられています。献花は認められますが、神式の玉串(たまぐし)拝礼は想定されておらず、焼香は「火気の使用」に当たるという理由で認められていません。

 つまり神道、仏教、キリスト教など、在来の宗教形式による慰霊・追悼の場としては想定されていないのです。

「たとえば、入館者が一日中ゆっくりと厳かな雰囲気のなかで、静かに死没者に思いをいたし、祈り、そして平和について深く思索することができるような空間」(「原爆死没者追悼平和祈念館設立準備検討会最終保報告」平成10年9月=http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1009/h0928-2_11.html)として設置された祈念館は、既存の宗教形式によらない「無宗教」形式による「死没者追悼」の機会を来観者に与えているのですが、伝統宗教の立場からは不評です。


▽「弔意」「慰霊」が消え、「追悼」に一元化

 こうした祈念館がどのようにして建設されたのか、経緯を振り返ってみましょう。

「最終報告」によれば、平成2年に原爆死没者調査の結果が公表されたのを契機に、「国の原爆死没者に対する弔意の表し方」について、政府内で検討が始まったそうです。

 翌3年5月に厚生省(当時)に「原爆死没者を慰霊し、永遠の平和を祈念するための施設の基本理念、内容等」について検討する「原爆死没者慰霊等施設基本構想懇談会」が設けられ、「恒久的な慰霊・追悼の場」を設置すること、「慰霊の場」「資料・情報の継承の拠点」「国際的な貢献を行う拠点」の三機能を持たせることが適切とされ、続いて「原爆死没者慰霊等施設基本計画検討会」(5年7月設置)、「原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会」(7年11月設置)が段階的に設けられ、具体的な開設準備が進められました。

 とくに「平和祈念・死没者追悼のあり方」については、「国立の施設である以上、特定の宗教色を排し、厳かな雰囲気のなかで、入館者がその思想、信条を超えて、原爆死没者に思いを致しながら、平和について深く思索することができるよう工夫することが必要である」(「最終報告」)と結論づけられました。

 けれども実際は、「特定の宗教色の排除」どころか、厚生省によれば、「宗教性の排除」が国の方針だったようです。つまり無宗教施設ではなく、非宗教施設の設置が追求されたということでしょう。

 その背景にはいうまでもなく、「政教分離」の考え方があります。「信教の自由は何人に対しても保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受けてはならない」「国およびその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定する憲法を、国は厳格に解釈し、政治と宗教の完全な分離を図ろうとしています。

「宗教性の排除」は、祈念館設置の過程での用語の変遷からもうかがえます。

 出発点は国としての「弔意の表し方」の検討であったし、当初の「基本構想懇談会」の段階では、「死没者を慰霊」「慰霊の場」という表現が使われていました。しかし、平成5年7月に設置された「基本計画検討会」では「慰霊」が消えます。

 翌6年12月には「被爆者援護法」が成立し、このとき衆院厚生委員会では同法案の採択に際して、「原爆死没者慰霊等施設のできるだけ早い設置」などを求める付帯決議を行っていますが、そこでは「死没者慰霊」と記しています。

 ところが、7年11月に設置された「開設準備検討会」になると、もっぱら「追悼」という表現が用いられます。「弔意」「慰霊」には宗教的な意味があり、政教分離が建前の国の施設には相応しくない、非宗教的な「追悼」こそ相応しい、と国は考えたようです。

 その結果、建てられたのが広島・長崎の両祈念館です。


▽「追悼」に「宗教色」はないのか

 これに対して、最初から最後まで「追悼」を貫いたのが内閣官房長官の諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(追悼懇)です。

 平成13年8月に小泉首相が靖国神社を参拝したのに対して、韓国・中国などからきびしい批判がわき上がったのをきっかけに、同年末に設置され、翌年の暮れ、「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要であると考える」とする報告書をまとめました。

 この報告書は「追悼」の意味について、「この施設における追悼は、『死没者を悼み、死没者に思いを巡らせる』という性格のものであって、宗教施設のように対象者を『祀る』『慰霊する』または『鎮魂する』という性格のものではない」と明記しています。

「追悼」と「慰霊」を区別し、「無宗教」の国の施設としては、「慰霊」ではなく「追悼」を選択するというのですが、「無宗教」と「非宗教」とを混同しているだけでなく、不謹慎な言葉遊びのようにも聞こえてきます。

 国がそのように規定したからといって、来館する公人・私人の心の内は区別のしようがないし、第一、祈念館自体が混乱しています。たとえば、先述したように、長崎祈念館のパンフレットは「冥福を祈る」といかにも宗教的だし、広島祈念館のホームページ(http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/index.php)は英語版で「追悼する」を「mourn」と表現しています。「mourn」には「死を悼み、悲しむ」以外に「服喪」という意味があります。「喪に服する」ことは宗教的行為にほかならないでしょう。

 追悼懇は「追悼」には「宗教色」がないかのように主張していますが、本音は「慰霊」を認めてしまえば、「日本には明治以来、靖国神社という国家の危機に殉じた国民を『慰霊』する公的施設がある。それで十分であり、屋上屋を架するような新たな国立施設の建設は不要である」という結論になる。そこで、「慰霊の排除」を主張する、ということではないのでしょうか。

 百歩譲って、「追悼」に「宗教色」はないと認めたとして、「死没者追悼」と「不可分一体」(追悼懇報告書)である「平和祈念」はどうでしょうか。これも「宗教色」がないというのでしょうか。「祈り」こそ宗教的行為そのものではないでしょうか。

 もっといえば、神社や寺院、教会を建てることと同様、「祈り」の場を設けること自体、宗教的行為なのではありませんか。もはやこの世にいない死者と向き合うことそれ自体、広い意味での宗教的行為にほかなりません。「追悼」と「慰霊」の区別は無意味でしょう。

「宗教性の排除」は生者の論理です。日本政府は、戦争という非常時にあって、交戦国の原爆投下がもたらした「犠牲と苦痛を重く受け止め、心から追悼の誠を捧げる」(長崎祈念館銘文)のですが、かけがえのない命を失った死者に悲しみを慰め、丁重に弔うことより、「まず憲法」「まず政教分離」という生者の都合を無慈悲にも優先させていませんか。もしそうなら、「慰霊」はいうにおよばず、「追悼」の名にさえ値しないでしょう。政府は、不慮の死者に対して、とりわけ国に殉じた国民に対して、国家がまず第一に果たすべき祈りの責務を軽視していませんか。


▽アメリカ政府が捧げる祈り

 ここで海外に目を転じてみましょう。

 日本の政教分離政策の源流であるとともに、「国家と教会の分離」原則を厳格に採用していると一般には考えられているアメリカには、案外、知られていないことですが、この国の宗教伝統に基づいて、国家が祈りを捧げる「全国民の教会」、ワシントン・ナショナル・カテドラルが百年も前から存在します。

 この聖堂では、2001年の「9・11」同時多発テロの3日後、ホワイトハウスの依頼によって、「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が厳かに斎行され、ブッシュ大統領夫妻をはじめ歴代大統領夫妻、政府高官、ユダヤ教やイスラム教の代表者ら数1000人が参列しました。

 式は、軍楽隊の演奏とイギリス国教会ワシントン司教の先導で始まり、讃美歌合唱、聖書朗読に続いて、テレビ伝道師として高名なバプテスト派のビリー・グラハム師が「神への信頼こそがすべての根源」と説教し、そのあと大統領が「世界中からテロを撲滅する」と宣言し、神の御加護を求めて祈りました。

 2003年6月には、スペースシャトル「コロンビア号」の爆発事故で亡くなった宇宙飛行士たちの追悼式が、やはりこの聖堂で、キリスト教典礼に基づいて行われています。

 首都ワシントンの市街地を見下ろす丘の上に建つこの聖堂は、イギリス女王・エリザベス2世を首長とするイギリス国教会の傘下にあり、「祈り、感謝、葬儀などの国家的目的に使用される教会」として建てられました。

 1907年の定礎式で建設を宣言したのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトです。それから65年後の聖堂外陣の完成式典には、エリザベス2世やカンタベリー大司教がはるばる渡米し、参列しています。

 国家的性格を持つ宗教的儀式を斎行する大聖堂の存在や、そうした儀式の開催を政府機関がしばしば依頼し、大統領ら政府関係者が参列することは、アメリカ憲法が定める「国家と教会の分離」原則に抵触しないのか、と疑う人も多いでしょう。

 1791年に追加された合衆国憲法修正第1条は「連邦議会は、国教を樹立し、あるいは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」と規定しています。それなのにアメリカ政府は、現実にはこの一宗教法人に対して、宗教的儀式の開催を依頼し、直接的な形を避けつつも、儀式に必要な費用を負担しています。

 アメリカの法理ではこれは違憲ではありません。

 カテドラル関係者は、儀式の「宗教性」については、「当然、宗教的です。『追悼』は必ずしも宗教や祈りなどに基づく必要はないが、『祈り』は宗教的行為以外の何ものでもありません」と明言した上で、「『国家と教会の分離』には抵触しない。憲法修正第1条は『祈り』を禁じているわけではない。禁じられているのは、国家が国民に祈りを強制することだ」と語ります。

 祈りは二の次で、できもしない政治と宗教の完全分離、「宗教性の排除」に固執する日本との違いは明らかではありませんか。


▽宗教的伝統に従うアメリカ

 追悼懇は第7回の会合(平成14年11月18日)で、「諸外国の主要な戦没者追悼施設について」という事務局作成の資料を配付しています。

 16カ国の事例の冒頭はアメリカで、アーリントン国立墓地の「無名戦士の墓」「硫黄島記念像」など5つの例が挙げられ、すべて「宗教性なし」と記されていますが、カテドラルについては取り上げていません。

 アメリカは建国の伝統に従い、キリスト教会というまぎれもない宗教的空間で、宗教者も、政治家も、官僚も、国を挙げて、国難に殉じた死者たちのために心からなる祈りを捧げています。そうしたカテドラルの存在を無視したのか、あるいは単に知らないだけなのか、軒並み「宗教性なし」と断定した追悼懇の資料の根拠はどこにあるのでしょうか。

 まさかとは思いますが、追悼懇が「必要だ」と結論づけた新たな国立の追悼施設を「宗教性なし」としたいがための詭弁でしょうか。

 国が関わった戦争で悲運にもたった1つしかない命を失った国民に対して、アメリカは自国の宗教的伝統に従って慰霊の誠を尽くし、その上で、憲法との整合性を図っています。ところが日本政府は、戦後輸入された「政教分離」を金科玉条とし、伝統的な祈りの形としての「宗教性」を排除しようとしています。その姿勢は卑屈にも見えます。

 追悼懇のある委員は、「国のために亡くなった人をどう慰霊するのか。その国の文化と宗教的伝統に従って行われるのが人間文明の当然の選択である。文化・伝統と無関係の『無宗教施設で慰霊を行う』という考え自体、まったく非人間的な革命国家の発想である」と主張した、と記録されています。

 アメリカより古い歴史をもつ日本には、死者に対する作法について、はるかに豊かな固有の文化があります。けれども、日本政府は祖先が築いてきた祈りの歴史と伝統に反する「無宗教」革命を推し進めているかのようです。まるで狂信的無神論者のように、ことさらに「宗教」を否定し、「無宗教」に固執する。逆に、「無宗教」にこだわるあまり、あたかも「無宗教」という宗教の伝道師を演じるという自家撞着に陥っています。あまつさえ「無宗教」の教会まで建設し、「無宗教」を国民に押しつけているのではありませんか。


▽反映されなかった宗教者の意見

 日本政府は「宗教性」と同時に、「宗教者」をも排除しました。

「祈念館を後代にわたった国民の共感と支持が得られる施設とするためには、広く国民の意見を聴くことが重要である」(前掲の「最終報告」)と認識されながら、祈念館設置の検討過程で、宗教関係者に意見を求めることはありませんでした。

 こうした状況に対して、被爆者の慰霊を真剣に考えようとする長崎の宗教関係者は、「たとえば平和公園なら、各宗教がある程度、自由に慰霊のための宗教儀礼が行える。そのように諸宗教に平等に開かれた儀礼ができるようにしてほしい」という主旨の「意見書」を四に提出したが、思いは通じず、関係者は「厚生省の原案で押し切られた」とほぞをかみます。

 一方、長崎祈念館は「特定宗教に便宜が図られている」という見方もあります。「祈念館が採用する黙祷形式、献花方式は許もとキリスト教に由来する。聖書朗読や讃美歌は認められないが、花を捧げ、静かに祈り、十字を切れば、キリスト教儀礼として通用する。祈念館は神道や仏教には違和感のある非宗教空間だが、キリスト者にはなじみやすいといえる」と政教関係に詳しい研究者は指摘します。

 それどころか、追悼空間の「光の柱」こそは、長崎祈念館のキリスト教色そのものを反映している、との指摘もあります。

 旧約聖書では、天地創造に際して、創造主が最初に語った言葉が「光あれ」です。キリスト教の教えでは、「光」は神であり、神の言葉であり、真理です。キリストも福音もキリスト者も「光」です。

 とすると、日本政府は「宗教性の排除」に執着するのみならず、キリスト教ににじり寄っているということになるでしょうか。

 政府のエリート官僚であれ、諮問会議に参加する学識経験者であれ、あるいは名もなき国民であれ、日本人の宗教イメージはどうしても日本的、伝統的にならざるを得ません。したがって「宗教性」の排除は伝統的「宗教」イメージの排除、伝統宗教の排斥につながり、いきおい非伝統的な異国の神にすり寄ることになるのでしょう。長崎祈念館がキリスト教的な新興宗教の臭いがするのは同様の結果でしょうか。

 長崎祈念館は流れ落ちる水、むき出しのコンクリート、ガラス、アルミ材で表現された斬新な現代建築ですが、設計者は地方紙のインタビューで「来観者が、押しつけではなく自然に、祈り、平和を考える雰囲気になるように」「静寂さと緊張感を保てるよう、装飾を極力排除した」と語っています。

 一つの見識には違いありませんが、古来の日本人の祈りの形式にしたがったものとはいえないでしょう。


▽日本人は変わったのか

 日本人の祈りの形式といえば、明治神宮の創建が思い起こされます。

 東京都心に広大な緑のオアシスを提供している明治神宮は、京都の伏見桃山御陵に鎮まる明治天皇の聖徳を追慕する国民の熱い思いが政府を動かし、創建されました。

 東京帝国大学教授で、明治神宮造営局参与の立場で建設の指揮を執った、日本近代建築の巨人・伊東忠太によれば、当時、建築様式に関してはさまざまな意見があったそうです。

 なかにはモダンな大賞の御代に相応しい斬新な様式を創出すべきだ、という革新的な意見もあったといいます。「神社建築の様式は時とともに変遷している。大正の御代において大正の新様式を創り出すのは当然だろう。一切万事現代式に執り行うことが現代の天皇を奉祀するに相応しい道理である」と主張です。

 しかし最終的には「流れ造を適当」とする伊東の意見が採択されました。

 伊東はこう主張しました。「建築様式の変遷は一般論としては正しき事実だが、それは世の中の事情、世人の観念・要求が変わるにより、やむを得ず変ずるのである。世人の神社に対する観念は、古来何ほど変化し来たったか。祭祀の様式を一変せしむるほど、神社に対する新要求をもっているか。余輩の見るところそうではない。わが国民の神に対する観念は古来変わらぬ、といいたい。祭祀の式典も古今大なる相違はないと思う。しからばいかにして神社建築の様式が変わりえようぞ」(『伊東忠太建築文献』第二巻)

 伊東の論理に従えば、日本人の死者に対する観念、慰霊の様式は変わってしまったのでしょうか。民族の歴史とともに培われてきた人の死を悲しみ、悼み、慰霊する独自の伝統を排除して、新たな施設と新たな追悼の形式を作らなければならないほど、日本人は変わってしまったのでしょうか。

 国が原爆死没者に対して、あるいは戦没者に対して、心から「弔意」を表し、「慰霊」「追悼」の誠を捧げることは当然です。そして、日本人が日本人である限り、そこには古来の日本人の「慰霊」「追悼」の心が素直に反映されなければならないでしょう。伝統的日本人の宗教性を軒並み排除し、あまつさえ異国の神にすり寄るかのようにして、長崎祈念館を設置した政府の姿勢は、この国に宗教革命をもたらすものと危惧せざるを得ません。国はさらに「国立の無宗教の恒久的施設」の建設を予定しています。心ある国民はこれを容認するでしょうか。(筆者注。一部に加筆修正があります)
タグ:政教分離
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昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相──「政教分離」カトリック教会の論理破綻 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相
 ──「政教分離」カトリック教会の論理破綻
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 報道によると、今月1日、天皇陛下は皇后陛下とともに、上智大学創立100周年記念式典にお出ましになりました(http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110101002293.html)。

 同大学はカトリック修道会のイエズス会によって設立されました。

 近代以降、日本の皇室はキリスト教の社会事業に深い理解を示され、物心両面で支援してこられ、側近にもカトリックおよびプロテスタントの信仰者がいました。

 けれども、戦後、日本のキリスト教指導者は一転して、強烈な皇室批判や靖国批判を展開するようになりました。

 以下の記事は、戦前の教会が「迫害」を受けていたという主張に対する反批判を試みたものです。昭和7年の「上智大学生靖国神社参拝拒否事件」をきっかけに「迫害」を受け、危機に陥ったというのですが、まったく事実に反しています。

 なお、記事は掲載された宗教専門紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。若干の加筆補正があります。



 昨年(平成17年)十一月に来日したブッシュ米大統領夫妻は、京都での日米首脳会談に先立って、小泉首相とともに、臨済宗・北山鹿苑寺(金閣寺、有馬頼底住職)に参詣した。夫妻は首相に出迎へられたあと、住職の案内で境内を首相と一緒に散策し、金閣の本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌した、と伝へられる。

 大統領が日本の代表的な社寺を参詣するのは、今回が初めてではない。

 平成十四年の来日では明治神宮を表敬参拝した。ところがこのときは当初、首相も一緒に参拝する案が検討されたものの、一部の反発を恐れて見送られ、外国の元首が日本の伝統的宗教文化の一端に触れる折角の機会にもかかはらず、首相は流鏑馬観覧にのみ同行するといふ失態を演じ、逆に「祭神に対して不敬」「国際儀礼上失礼」との批判を受けた。

▽憲法を盾に神道攻撃

 明治神宮表敬参拝に強硬に反対したのは、キリスト者である。

 たとへばカトリックは、小泉首相に対して、「カトリック正義と平和協議会長・松浦悟郎司教」の名前で「参拝中止」を文書で申し入れた。「憲法が定める信教の自由・政教分離原則に違反する」「宗教を外交の、外交を宗教の手段として利用することは許されない」といふのだが、批判の矛先は、直接は関係のないはずの首相の靖國神社参拝にまで向けられてゐる。

 同じ論理に立つなら、寺院参詣も「憲法違反」になるはずで、キリスト者は「中止」を要求すべきだが、今回の金閣寺参詣には何らの抗議行動も起こされてゐない。キリスト者の論理は首尾一貫してゐない。

 なぜなのか。

 それは反対活動が護憲の政治的信念に発してゐるからではなく、異教を攻撃的に排撃する一神教的の発想から憲法を神道攻撃の道具に利用してゐるからではないのか。

 日本のカトリックはいかなる理由から、いかなる論理で神道を排撃しようといふのか、教会の公文書をひもといてみる。

 たとへば昨年の「戦後六十年」に際して、日本のカトリックは今年元旦まで「平和キャンペーン・今こそいかそう平和の宝」を展開したが、このために日本司教団が発表した「平和メッセージ・非暴力による平和への道」には、「この春(平成十七年春)、とくに中国、韓国では反日運動がこれまでになく激しかった。その背景の一つには日本の歴史認識、首相の靖國神社参拝、憲法改正論議などの問題が挙げられる」などと神道批判、靖國神社批判が繰り広げられてゐる。「憲法の政教分離は天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争に邁進したといふ歴史の反省から生まれた」とも述べてゐる。

 メッセージを解説する日本カトリック司教協議会・社会司教協議会編の小冊子によると、カトリックが靖國神社問題などに拘るのは、戦前の「過ち」を忘れられないかららしい。昭和七年の上智大学学生「靖國神社参拝拒否事件」の記憶である。

 言ひ分によれば、日本のカトリックはこの事件をきっかけに軍部と世論による迫害、教会の存亡に関はる危機に陥った、これを回避するために神社参拝は教育上の理由でおこなはれ、敬礼を愛国心と忠誠の表現と公的に理解し、靖國神社の本質的な宗教性に触れず、宗教的参拝を儀礼として容認するといふ過ちを犯した、これをきっかけに教会は参拝を奨励することになり、戦争協力の道を歩んだ──とされる。

▽「迫害」とはほど遠い

 しかしながらこの歴史理解はどこまで正しいのだらうか。

 少なくとも事件の当事者とは認識に大きな隔たりがある。渦中の人であった上智大学の丹羽孝三幹事(学長補佐)の回想によると、事件はおよそ「迫害」とはほど遠いものであった。

 ──第一次大戦後、軍縮の時代が到来し、軍は将校の失業対策として学校の軍事教練のために配属した。上智大学の配属将校は、課外授業は学長の許可を要するといふ規則を破って学生の靖國神社に参拝させた。カトリック信者の学生が非キリスト教形式の拝礼を拒否し、将校が憤激したのを、翌日の新聞は「参拝拒否」「軍部激怒」と書き立てた。しかし文部省は軍に批判的だったし、丹羽幹事と陸相との面談で事態は収拾した。

 ところが数カ月後、事件がぶり返され、「邪教」「売国奴」「スパイ」といふ批判が教会に対して浴びせられる。しかしじつは軍部による政党打倒運動に事件が利用されたのであった。そもそも濡れ衣だったから、支援者は少なくなかった。不穏な動きがあれば、在校生の父兄でカトリック信者の麹町警察署長から情報が伝へられたし、國學院大學や仏教関係の大学の学長が見舞ひにやってきた。軍内部の同情者からも関係する極秘資料が届けられた。そして宮様師団長のお耳に達するところとなり、事件は急速に解決する(『上智大学創立六十周年──未来に向かって』昭和四十八年)。

 苦難の中にある当事者の心中は察するに余りあるが、これは宗教的な「迫害」とはいへまい。

 しかし今日、カトリックは「迫害」を言ひ募って殉教者を装ひ、返す刀で日本の神道を攻撃してゐる。「政教分離」に関する日本のカトリックの論理は破綻してゐる。

 当然、教会の「平和メッセージ」に対して、根本的な疑問を投げかける一般信徒もゐる。

「宗教者の目から見て、一国の指導者が戦歿者に敬意を表し、平和を祈念するのは正義に合致してゐないのか」

「厳格な政教分離解釈を指示すれば、教会は無宗教、無信仰の立場に与することにならないか」

 この真摯な問ひかけに、日本のカトリック教会はどう答へるのか、答へられるのか。

タグ:政教分離
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宗教的な米国の「国家と教会の分離」──日本の「政教分離」は宗教を否定 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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宗教的な米国の「国家と教会の分離」──日本の「政教分離」は宗教を否定
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 15日にアメリカのボストンで起きた連続爆弾テロ事件から3日後の18日、事件現場に近い聖十字架大聖堂(ローマ・カトリック)で犠牲者を追悼するミサが行われ、出席したオバマ大統領が「あなた方は再び走るはずだ」と市民らを激励するメッセージを送ったと伝えられます。
https://www.youtube.com/watch?v=9rpHxn00Zr4

 その前日には、イギリス・ロンドンのセントポール大聖堂(イギリス国教会)で、サッチャー元首相の葬儀が営まれ、エリザベス女王をはじめ政府高官、諸外国の代表者が参列しました。
https://www.youtube.com/watch?v=drJoWMn0nlE

 それぞれの国ではそれぞれの宗教伝統に従って、国家的な宗教行事が行われています。

 ところが、日本はそうではありません。

 というわけで、宗教専門紙に平成17年2月に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。本文は同紙の編集方針に従って、歴史的仮名遣いで書かれています。



 なぜこれほどに行政の姿勢が対照的なのか。

 日本政府が採用する厳格な「政教分離」主義は米国の「国家と教会の分離」を源流とする、と一般には考へられてゐる。ところがその米国では「政教分離」主義の厳守どころか、大統領の就任式に宗教家が参列し、牧師が祈りを捧げる。

 一方、日本の公的慰霊式は宗教家も宗教儀礼も排除される。

 米国では自国の宗教伝統を肯定した上で宗教政策が推進されてゐるのに対し、日本ではまるで無神論者のやうに宗教の否定が追求され続けてゐる。


◇ 震災十年で教会音楽を演奏
◇ 非伝統化する公的追悼式


▽「♪ 愛しい御身は」

 阪神淡路大震災から十年。兵庫県はじめ官民合同による追悼式典(主催=同式典委員会)が先日、神戸の県公館などで開かれた。政府関係者や遺族、被災者の参列はもちろんだが、とりわけ天皇皇后両陛下が御参列になり、お言葉や献花を賜ったことは犠牲者の御霊をどれほど慰めたことだらう。

 けれどもその一方で、公的慰霊追悼式典の無宗教化、非伝統化が浮き彫りになった。

 式典ではまづ「献奏曲」と称し、オーケストラによる「G線上のアリア」の演奏が流れた。名曲中の名曲だが、なぜバッハなのか。

 続いて「追悼の灯り」。慰霊・感謝・未来への期待を込めた被災十七市町の灯りを持ち寄り、復興をともに担ってきた五百六十万県民の思ひをこめた灯りとして、両陛下の御臨席のもと、一つに集められたあと、式典会場に運ばれ、遺族代表の手で会場正面の祭壇中央にともされた。

 慰霊と感謝、希望をつなぐ火がともされた祭壇は、兵庫の山並みをイメージしてゐる。杉の葉で成形された山並みの頂上には震源地・淡路島の白いカーネーション二千本が植ゑられてゐる。県土に浮かび上がる希望を意味してゐるといふ。

 けれども犠牲者の御霊が憑りまして、祭祀の対象となる神籬、木牌はない。

 その代はり、犠牲者の名簿が祭壇に安置されてゐる。

 両陛下の御入場後、式典が始まり、国歌斉唱ののち、全員が黙祷し、県知事の式辞、陛下のお言葉、政府代表、遺族の言葉と続いたが、黙祷し、追悼の言葉を述べる目標物は名簿とされる。

 そのあと「一・一七宣言」を挟んで二曲の献唱曲が捧げられた。二曲目はモーツアルトの「アベ・ベルム・コルプス」。誰もが知る名曲だが、「♪いつも愛しい真の御身は処女マリア様からお生まれになりました」と「聖体における神の現存」を簡潔に表現した教会音楽を捧げることは、「政教分離」に牴触しないのか。

 追悼式典の職員によると、「宗教色をいっさい排除」し、「仏教儀式などは採用しなかった」。「アベ・ベルム・コルプスは本来は教会音楽かも知れないが、宗教的な音楽とは考へてゐない」。


▽戦前も宗教性排除

 大正十二年の関東大震災では、「四十九日」に当たる十月十九日に東京府市合同の大追悼式が本所・被服廠跡で行はれてゐる。

 一般常識的には「戦前は宗教と政治が一体化してゐた」との理解が流布してゐるだけに、いはゆる「国家神道」的な慰霊祭が斎行されたと考へる人も少なくなささうだが、事実は逆である。

『東京震災録』(大正十五年、東京市役所発行)などによれば、宗教者の関与も、宗教的な儀礼も排除されてゐた。追悼式は振鈴とともに始まり、軍楽隊の奏楽に続いて、府知事、市長、首相などの追悼文が続き、一同が礼拝するといふきはめて簡素、非宗教的な式典であった。仏教連合会主催の追悼会や全国神道連合会の五十日祭は、これとは別に開かれた。

「宗教儀礼抜き」「国家は宗教に干渉せず」が政府の基本姿勢であったからだが、それでも府市合同の追悼式は、「黒白だんだら」の鯨幕や木牌など伝統的葬送の手法が用ゐられ、府知事の追悼辞には宗教用語が多用されてゐた。

 戦後、独立恢復直後の昭和二十七年に始まった政府主催の全国戦歿者追悼式では当初、祭壇中央に「全国戦歿者之標」と書かれた高さ二間半の檜柱が設けられてゐた。「戦後三十年」の同五十年に白木の標柱の文字は「全国戦歿者之霊」に変はる。政府は「無宗教」儀式と称してゐたが、黙祷し、花を捧げて、戦歿者を拝する霊位の趣旨を明らかにしたのだ。

 しかし平成十四、十五年に広島、長崎に相次いで開館した国立原爆死没者追悼祈念館はまったく異なる。

 死歿者を追悼し、平和について考へるために設けられた広島祈念館の「追悼空間」は円形の空間で、中心にあるのは水盤のモニュメント。祭壇も神籬もない。

 緑色に光る「光の柱」が林立する長崎祈念館の「追悼空間」には献花台があるが、正面には死歿者の名簿を収めた棚が直立する。来館者は名簿棚に向かって手を合はせ、黙祷する。「来館者の妨げ」になるやうな読経、「火気の使用」に当たる焼香は認められてゐない。玉串拝礼は想定されてゐない。「光の柱」をキリスト教的と指摘する声もある。


▽新宗教儀式を創作

 そして今度の大震災十周年追悼式典である。

 県では、県民をあげて犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げることなどを目的に、昨年夏、官民合同の式典委員会(委員長=県知事)を設立した。県や県議会、市長会など立法行政機関のほか、市民団体や商工会議所、労組や婦人会などが名を連ねてゐるが、宗教者は見あたらない。委員会が「政教分離」問題を議論したことはとくにないといふ。

 日本の公的追悼式は、厳格な「政教分離」主義の立場から、当たり前のやうに宗教者の参加を排除し、日本の伝統的な宗教の手法を採用しない姿勢を強めてゐる。その意味では「無宗教」だが、戦前の政府がいづれの既成宗教にも偏しない方針だったのに対して、近年の公的追悼施設や追悼式典はキリスト教文化に傾斜する傾向が見える。

 本来、死歿者を慰霊する行為には広義の宗教性があり、追悼式典が「無宗教」儀式であり得るはずはないが、浅薄にもそれを認めようとしない行政は、日本の宗教伝統を逸脱した新宗教儀式を創作し、あまつさへ異国の神ににじり寄ってゐる。


◇ 「自由の宣教師」ブッシュ
◇ 米大統領二期目の就任式


▽「大統領に聖霊を」

 再選されたブッシュ米大統領の就任式が一月二十日、雪で真っ白に染まった首都ワシントンの連邦議会前特設会場で行はれた。「九・一一」同時テロ後、初の就任式とあって、一万数千人の軍・警察を投入する空前の警備体制が敷かれた半面、米国らしい宗教的雰囲気の中での式典であった。

 就任式に先立って午前九時半、大統領はローラ夫人と双子の娘をともなひ、ホワイトハウスから北に三百メートルのところにある英国国教会の聖ヨハネ教会の礼拝に参列した。百九十年の歴史を持つ同教会は「大統領の教会」として知られる。

 参列は就任式の日の最初の公式行事で、父ブッシュ元大統領や政府高官、支持者らも出席した。説教台に立ったレオン牧師は「選挙で大統領を支持した州か否かにかかはらず、国民を導いてほしい」と訴へた。同牧師はキューバ移民で、大統領の指名で説教を行った。

 正午、いよいよ就任式。歴代大統領や政府高官、家族、十万人の観衆が待ち構へる中、軍楽隊の演奏に先導され、副大統領、大統領の順に威儀を正して会場に入場すると、万雷の拍手がわき起こる。一様に頭を垂れる参列者の前で、前出のレオン師が祈る。「神が大統領らに聖霊のシャワーを与へたまはむことを」。

 やがて法衣をまとったレンキスト連邦最高裁長官が入場する。副大統領に続き、参列者が起立する中、長官の立ち会ひで、ブッシュ大統領は夫人が持つ聖書に左手をおき、右手をあげ、誓ひの言葉を述べた。

「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓ふ。神よ、我を守り給へ」

 誓ひの言葉は合衆国憲法に定められてゐる。末尾の「神よ、我を守り給へ」は条文にはないが、歴代の大統領が用ゐてきたといふ。誓ひのあと大統領は家族と抱擁を交はす。拍手がわき起こり、二十一発の祝砲が会場に響き渡った。

 続く就任演説で大統領は、建国の理念である「自由」の重要性を何度も繰り返し訴へた。

「わが国の自由の存続は、諸外国での自由の成功にますます依存するやうになった。世界平和を実現する最良の方法は、世界中に自由を拡大することである」との呼びかけは「自由の宣教師」の面目躍如たるものがあるが、大統領は自国と友人を守るためには武力も辞さないとも強調した。

「圧政と絶望の中に生きるすべての人々は知ってゐる。米国は抑圧を黙殺しないし、抑圧者を許しはしないことを。諸君が自由のために立ち上がるなら、我々もともに立ち上がる」。

「自由の戦士」たる大統領の信念はもちろんキリスト教信仰に基づく。「自由が最後に勝利することを確信して、我々は前進する。歴史を動かすのは神であり、歴史は神の意思による選択だ。米国は新世紀の初めにあたり、世界中に、世界中の人々に自由を宣言する」と演説は結ばれてゐる。


▽信仰に基づく信念

 就任式後、伝統ある議事堂内での昼食会は上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終はった。続いて、高校生の鼓笛隊や西部劇スタイルのバンドなどが参加する記念パレードが夕刻までにぎやかに行はれた。夜は舞踏会。同時に十カ所の会場で、夜半過ぎまで開かれた。

 翌二十一日午前には、「全国民の教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで礼拝が行はれ、正副大統領ほか政府関係者らが参列した。

 大統領が心の師と仰ぐ福音派のビリー・グラハム牧師が「我々は神がその本分において二期目の政権を与へたまうたと信ずる。混乱のただ中にあっては清らかで温かな心を、落胆のときには勇気を与へ、そしてつねに神の存在を大統領にお示しください」と祈ったほか、ユダヤ教やキリスト教各派など諸宗教諸宗派による祝福が与へられ、祈りが捧げられた。

「国家と教会の分離」政策が厳守されてゐると一般には考へられてゐる米国だが、自国の宗教伝統に従って国家元首の就任式が行はれてゐる。


◇ ウクライナ新大統領
◇ 聖書に手を置き宣誓

 宗教伝統に基づく国家元首の就任式は、かつて無神論に席捲され、宗教否定の政策が展開されてきた旧東欧・共産圏でも復活してゐる。

 新ロシア派首相との一騎打ちで、やり直し選挙まで行はれるほど激しい大統領選挙に勝利したウクライナの親欧米派ユーシェンコ新大統領の就任式が一月二十三日、同国国会で行はれ、大統領は古い聖書と憲法典に腕をおき、宣誓した。

 聖書はウクライナが独立を保ってゐた一五五〇年代のもので、議場には一六五〇年代にロシアの征服に抵抗した指導者の戦旗も掲げられた。式にはパウエル米国務長官や旧共産圏の七人の大統領などが参列した。

 同国の主な宗教は、東方正教(キリスト教)の一派であるウクライナ正教とウクライナ・カトリック。ウクライナ正教の大部分はモスクワ主教に属するが、一九九一年の独立後、キエフ主教が分離独立した。国民の大半は正教徒を自認するといはれる。
  
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絶対分離主義は誤っている、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月26日水曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「ニュース、イザ!」12月25日、「首相の伊勢神宮参拝、どうして?」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/112029/

福田首相が1月4日に恒例のお伊勢参りをするようです。

今村記者の記事は歴史をふり返り、その意義を見出そうとしていますが、紙幅上の理由からか、戦前の歴史にまでは踏み込んでいません。私もくわしいことは調べていないので、正確なところは分かりませんが、昭和20年9月の東久邇首相で途絶え、30年1月に復活というからには、戦前は恒例の参宮となっていたのでしょう。

もっと歴史をさかのぼるなら、2000年前のご鎮座の歴史にまでふり返らないといけませんが、記事にある官邸の説明のように「太陽の神様」云々という説明では、異論が聞こえてきそうです。『日本書紀』には大神が「天下(あめのした)の主者(きみたるもの)」として誕生されたと記述されており、皇祖神以外の何ものでもない、という議論があるからです。

難しい神学的な話はおくとして、神宮といえば私幣禁断(しへいきんだん)の社といわれ、もともとは一般国民のお詣りを認めないところだったようです。それでも江戸時代後半になると、じつに年間数十万の人々が全国からやってきました。百人に1人という計算でしょうか。

伊勢参宮を名目にすれば関所手形の申請を役所は拒否できなかったので、庶民は、産経と称して、もとい、参詣と称して諸国を物見遊山したのだといわれます。

▼政教分離問題は占領後期に解決済み

今村記者の記事では、戦後、昭和30年になって首相の年頭参宮が復活したとなっており、あたかも独立後まで復活できなかったようにも読めますが、そうではないでしょう。

終戦の年の暮れ、神道指令が出され、「宗教の国家からの分離」が図られました。被占領国の宗教に干渉することは明らかな戦時国際法違反でしたが、あえて国際法に違反してまで干渉しようとした背景には、「国家神道」を「軍国主義・超国家主義」の源泉と見る誤解があったようです。

そのGHQも誤解が解かれたからなのか、占領後期になると、「宗教と教会の分離」ではなく、「宗教教団と国家との分離」(教会と国家の分離)に解釈をあらため、昭和24年には松平参議院議長の参議院葬が神式で行われ、26年には吉田首相の靖国神社参拝も認められています。

その意味では、30年の首相の年頭参宮復活は遅きに失したといえるかも知れませんし、政教分離問題はすでに解決されているというべきです。

しかし今村記者が触れているように、きわめてわずかながら、首相の参宮を「憲法が厳格に定める政教分離の原則から見て、問題なしとしない。政府による特定宗教の特別視につながる懸念がある」という指摘があります。たとえば共産党の赤旗は昨年そのような記事を掲載しています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-04/2006010402_04_1.html
 
赤旗の記事は、「伊勢神宮は、天皇家の祖先神・天照大神を祭る宗教団体で、戦前、国家神道の頂点として、国民に対する思想統制の中核的役割を担い、靖国神社とともに侵略戦争遂行の精神的支柱となった歴史を持つ。憲法が定める信教の自由や政教分離原則は、国家神道が国民の思想統制の柱とされたことへの反省に基礎を置くもので、首相の伊勢参拝を、一般市民の“初もうで”のように「慣例行事」としてすますわけにはいかない」と主張しています。

これにはいくつか誤解があるようです。

▼明らかな論理矛盾

まず神宮は「天皇家の祖先神」をまつっている、つまりある私的な家系の祖先崇拝の神社だというのではありません。国家的歴史的性格が見逃されています。また、神宮はもともと私幣禁断の社であって、首相の参宮は公人としての表敬であり、信仰の表明とはいえません。だからこそクリスチャンの太平首相も参宮したのだろうと思います。

第2に、神宮が靖国神社とともに侵略戦争の精神的支柱だとすれば、これは断じて許し難いことです。GHQも心底そのように理解していたようで、靖国神社の焼却処分まで議論されたのでしたが、やがて誤解は解けたからこそ、首相参拝も認められているのではないでしょうか。

第3に、憲法が厳格な政教分離主義、言い換えれば絶対分離主義に立っているというのは誤りでしょう。GHQで宗教政策を担当したウッダードは、厳格な分離主義の本家本元と考えられているアメリカの政策を引き合いにして、「アメリカの世論は非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しないだろう。アメリカでは明らかに宗教と国家とのあいだに密接な関連がある」と述べています。

人間は宗教的存在であり、憲法は宗教を悪とは考えていないはずです。共産党自身、たとえば、16年1月、党大会で開会挨拶に立った不破議長は前大会以降の党員物故者追悼の黙祷を参加者に求めたと伝えられます。中国では「抗日戦争勝利・反ファシズム戦争勝利60年」の2005年、盧溝橋の抗日戦争記念館改装オープンの記念式典で、共産党・政府関係者らは戦争犠牲者に黙祷を捧げたといわれます。無神論者といわれる人たちも宗教的心理を持っています。

もしそれでも、国家は宗教的に無色中立であるべきだと信じ、絶対的分離主義を絶対的に主張されるのなら、靖国神社や伊勢の神宮だけでなく、小泉首相とブッシュ大統領による金閣寺参詣も問題にされなければならないでしょう。長崎県による教会群の世界遺産登録運動も取りやめなければなりません。

そうではなしに、特定の宗教のみ「分離」されなければならない、と主張することは、逆に、特定の宗教を特別視することになり、明らかな矛盾です。


2、「長崎新聞」12月25日、「宗教超え座禅組み、神父の詩編拝聴。厳かにクラシック演奏も」
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20071225/07.shtml

 南島原市口之津はその昔、長崎と並ぶキリスト教伝道の拠点といわれ、海岸の砂丘からキリシタン墓碑が発見されています。
http://www.city.minamishimabara.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1142061166976&SiteID=0&ParentGenre=1000000000046

 記事に出てくる玉峰寺は永平寺を大本山とする曹洞宗のお寺のようですが、キリシタン時代には教会があったところともいわれます。

 そのような土地柄だからなのか、お寺の付属幼稚園はスペイン・アンダルシア地方を思わせるデザインの園舎で、正面にはステンドグラスもあります。12月にはクリスマス会も行われるようです。

 記事によると、この日、お寺の本堂では座禅とピアノ演奏、カトリック神父の詩編朗読が行われ、市内外から詰めかけた市民は厳かな雰囲気に浸ったのでした。

 一言いえば、記事は「宗教を超え」と書いていますが、これこそ宗教であり、古来、多宗教的、多神教的文明を築いてきた日本なればこそのニュースといえます。


2、「救う会全国協議会ニュース」12月26日、「福田政権で日朝国交正常化? 自民党朝鮮半島問題小委員会発足」

 救う会事務局長の平田さんが、「政府の対北朝鮮外交をバックアップする」という小委員会が自民党外交部会内に設置されたことを取り上げ、なぜいま正常化を議論するのか理解できない、と述べています。

 報道では、北とのパイプを持つ山崎拓前副総裁の主導で設置されたといわれ、山崎氏は18日の初会合で、「党側にもバックアップして欲しい、という首相の意向がある。正常化交渉を福田政権のあいだに達成したい」と挨拶したようです。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/ntok0001/list/200712/CK2007122302074499.html


3、「Reuters」12月25日、「イスラム聖職者団体、異例のクリスマス・メッセージ」
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-29509920071225

 キリスト教世界に対話を呼びかけているイスラム教各派の聖職者が、呼びかけに応じてくれたことへの謝辞を述べているようです。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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帝国憲法を記念する讃美歌づくり?、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月5日水曜日)からの転載です


〈〈 帝国憲法発布を記念する讃美歌づくり? 〉〉


 ブログの読者のお一人である佐藤雉鳴さんが、2冊目の著書を出されました。前回の本は『本居宣長の古道論』、今回は『繙読「教育勅語」』で、勅語に記されている「中外」の解釈が1世紀以上にもわたって、「国の内外」と誤読されている、戦前の日本が誤解された一因がここにある、と指摘しています。

 そのエッセンスは勅語衍義批判という形で人形町サロンに掲載されていますので、ご興味のある方はどうぞお読みください。
http://www.japancm.com/sekitei/note/2007/note39.html

 著書の方は、まえがきの冒頭、築地界隈を散策しながら、明治維新の時代風景を描き出し、憲法発布、教育勅語渙発へと話を進めています。

 私が興味を持ったのは、明治22年2月の帝国憲法発布、とりわけ信教の自由の明記を大いに喜んだ、というくだりです。というのも、今日のキリスト教指導者たちは、旧憲法の信教の自由は条件付きであって、不十分であった、という批判がもっぱらだからです(「信教の自由と政教分離」日本カトリック司教協議会ら編、2007年など)。
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 当時の新聞に載っている、ということなので、佐藤さんの助言にしたがって、さっそく調べてみると、ありました。まずは「時事新報」、2月7日付、2面、「憲法発布式における市中の賑わい」と題して、次のように書かれています。

 「キリスト教信者は今度の盛典を祝せんとて、当日、午前8時を期し、各町部の会堂に参集して、讃美歌を唱え、祈祷をなし、皇帝の万歳を祝したてまつらんとの手はずなるが、前代未聞の大典なればとて、さらに新詠の讃美歌をつくらんとの計画もありという」

 新しい讃美歌までつくるというのですから、喜びはひとしおだったのでしょう。

 発布当日はどうだったか、というと、翌12日付の4面に「名古屋の11日」という記事があり、「耶蘇教信徒は議事堂に会して感謝会を開き、委員を選び、電信によりて宮内大臣に祝詞を呈し……」と伝えています。

 キリスト教徒らはいったい何をそんなに喜んだのでしょう。

 小崎弘道というプロテスタントの牧師がいます。東京・霊南坂教会の設立者、同志社の総長です。昭和13年に出た『日本基督教史』(小崎全集2)に読むと、とくに信教の自由のことが最大の関心事であったことが分かります。

 「思想、集会、信教の自由を保障せられたことは、大いに慶賀すべく、ことに信教の自由においては、枢密院においてすこぶる強硬なる反対論があったにもかかわらず、伊藤公らの尽力により、この一項の掲げられたことは、吾人キリスト信徒の大いに感謝せねばならぬところである」

 なぜ信教の自由について、それほどに感謝すべきこととされたのか。その解説をしているのは、ヨハネス・ラウレスの『日本カトリック教会史』(中央出版社、昭和31年)です。

 第11〜13章では、幕末・明治維新期の宣教師の再来日、潜伏キリシタンの発見、迫害、追放がつづられています。禁教が解かれた後も、キリスト教は黙許されただけでした。

 そして明治憲法の発布により、完全な礼拝の自由が認められ、キリスト教の布教に対する障害が取り除かれたのです。その最初の果実は、翌年3月、日本・朝鮮両管区長による宗教会議で、浦上のキリスト教徒発見第25回記念祭とともに長崎で開かれました。

 会議に先立って、浦上から大浦教会まで聖体行列が行われましたが、警察も「わずかの敵意さえ示さなかった」のでした。

 ラウレスの史論には興味深い数字が載っています。カトリック信者の数の推移です。今日のカトリック指導者は昭和7年の上智大学生靖国参拝拒否事件をきっかけに、軍部と世論による迫害、教会の存亡に関わる気危機に陥った、などと主張していますから(「非暴力による平和への道」司教協議会ら編、2005年)、さぞかし信者数が減ったのだと思いきや、まったく逆です。

 1891年  44,505人
 1900年  55,091人
 1910年  65,107人
 1931年  96,323人
 1941年 121,128人

 憲法発布から50年で3倍近くにまで信者数はうなぎ登りに増えています。これでもなお「迫害」を主張しなければならないのは、何か別な理由があるのではないでしょうか。



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「日経ネット」12月5日、「靖国のA級戦犯、小沢氏『分祀を』」
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20071205AT3S0401T04122007.html

 訪中を前にして、分祀論をあらためて表明したようです。中国でもそのような話をされるのでしょうか。

 ならば、分祀とは何か。具体的に何をどうすることを分祀といっているのか、また、分祀すべきA級戦犯とは7人なのか、12人なのか、それとも14人なのでしょうか。取材記者はきちんと取材していただきたい。


2、「MNS産経ニュース」12月4日、「台湾海峡通過に重大な関心。中国、米に慎重対応求める」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/071204/chn0712042059004-n1.htm

 米中関係がにわかにきな臭くなっているようです。

 当ブログ(メルマガ)の読者が、以下のようなアジア・タイムズの記事を教えてくれました。
http://www.atimes.com/atimes/China/IL01Ad02.html

 火種はチベット問題かと思っていたら、軍事的な背景がどうもありそうです。


3、「AFPBB News」12月5日、「米カトリック教会、聖職者による子供の性的虐待を防ぐ塗り絵を配布」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2321532/2429671

 これほどまでとは深刻です。聖職者と信徒の深い信頼関係がもはや成り立たなくなっているということなのでしょう。


4、『中日新聞』12月4日、「那須御用邸用地を編入。環境省、日光国立公園に」
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007120401000648.html

 中央環境審議会の答申で、来年3月にも正式決定されるようです。


5、「ロイター」12月5日、「中国人観光客、「買い物多い」。ツアーに抗議し警官隊と衝突」
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-29210820071205

 むりやり買い物をさせようとしたからといって、暴徒化する必要があるんでしょうか。日本人とは違いますね。


6、「MNS産経ニュース」12月4日、「南京事件70周年、反日作品目白押し」
http://sankei.jp.msn.com/world/america/071204/amr0712042004017-n1.htm

 ドキュメンタリー映画の「南京」はアカデミー賞の有力作品に挙げられているのだそうです。金持ちケンカせず、が日本人の美徳ですが、悠長に構えていられなくなりました。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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行政は宗教に関与できない?、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年11月26日月曜日)からの転載です


◇先月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
先週発行の第6号のテーマは「米と粟の祭り──多様なる国民を統合する新嘗祭」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/



〈〈 行政は宗教に関与できない? 〉〉


 おとといのブログ(メルマガ)で、栃木の足利学校について取り上げました。東京新聞の記事によると、世界遺産を目指している足利学校で、孔子らを祀る伝統儀式が100回目にしてはじめて民間団体の手で行われたのでした。参列した市長は「政教分離の視点も考慮して」と語ったようです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20071124/CK2007112402066895.html


▼市長の議会での答弁

 いったい何をどう「考慮」したのか、手がかりを求めて、足利市議会の会議録を閲覧してみました。
http://www.kaigiroku.net/kensaku/ashikaga/ashikaga.html

 調べた限りでは、市長が「足利学校」と「宗教」に関して発言したのは平成15年6月の定例会のみで、足利学校ほか、入場者が減少している市内の観光名所「日本一の足利3名所」のPRについて議員が質問したのに対して、市長は次のような答弁をしたのでした。

「観光協会としてPRは大いにやっていかなければならないと思っていますし、市が表に出る、ダイレクトに表に出るよりは、ワンクッション置いて観光協会がいろいろな事業を取り上げることがいろいろな面で仕事がしやすいというふうなことになると思います。
 例えばの話、足利学校で字降松というのがありますし、あそこを拝むと頭がよくなる、いや、拝むということではなくて、足利学校へ行くと頭がよくなると、字が覚えられるというような伝説がありますが、昨今は受験競争も昔ほどの苛烈な状態ではないのでありますが、足利学校をお参りすることによって、行くことによって大学受験がうまくいくというような、仮にそういうお札を売るような場面、市が宗教に関与するわけにまいりませんからなかなか難しいと。
 とすると、ワンクッション置いて観光協会ならばそういう手だても講ぜられるだろうというような考え方も生まれてまいります。したがいまして、観光協会には大いに力を入れて、また市でもいろいろな意味でのバックアップをして、そして特にいろいろなPR等については極力頑張ってもらいたいと思います」

 この答弁で、市長はじつに明確に「市が宗教に関与するわけにはまいりません」と語っていますが、足利学校は「宗教」なのでしょうか。歴史の教科書にも登場する、中世の教育機関であって、いまでは足利市が所有管理する史蹟ではないのでしょうか。

 市長は「お札を売る」云々といっていますが、足利学校は特定の宗教の教えを布教する宗教活動を行うための宗教団体ではないはずです。宗教団体でないなら、類似品はともかく、「お札」はないはずです。それとも、市長には足利学校を宗教と認識し、関わるべきではないとする、何か特別の根拠があるのでしょうか。

 仮にたとえば、今回の「釋奠(せきてん)」を行うことが宗教的行為だと考えた場合、市長は「市は関わるわけにはいかない」と自明のことのように断言していますが、なぜ「関与するわけにはいかない」のでしょうか。もし、いっさい「関与するべきではない」とすれば、もはや足利学校の所有・管理も放棄しなければならないでしょう。


▼憲法は宗教的無色性を要求していない

 公機関と宗教(宗教団体)との関係について、日本国憲法は次のように規定しています。

「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権能を有してはならない」(第20条第1項後段)

「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(第20条第3項)

「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用もしくは維持のため……これを支出し、またはその利用に供してはならない」(第89条)

 もう何度も書いてきたことですが、たとえば憲法学者の小嶋和司・東北大学教授は、これらの規定は行政に対して宗教的無色性までも要求しているわけではないと解説しています(憲法論集3)。

 89条も、宗教団体に対する使用、便益、維持を結果するものはいっさい禁止しているというようには解釈されず、であればこそ、神社、仏閣、教会の修復に公金を支出することは許されています。

 そればかりではありません。おとといのブログにも書きましたが、東京都慰霊堂は都の土地に建てられた都が所有する宗教的施設で、都の外郭団体が主催する慰霊法要が、仏教団体の持ち回りで、完全な仏式で行われています。長崎の二十六聖人慰霊碑は列聖100年を記念して、宗教団体が市有地に建てたもので、その後、市に寄贈され、いまも定期的に野外ミサが行われています。

 これらについて、たとえば首相の靖国参拝が違憲だとくり返し主張しているキリスト教指導者たちが、「憲法違反」という声を上げたことがあるとは聞きません。


▼アメリカ、韓国の場合

 海外ではどうでしょうか。

 厳格な政教分離(国家と教会の分離)の本家本元と一般には目されているアメリカは、完全分離主義どころではありません。国家元首たる大統領の就任式は宗教者が参列し、牧師が祈りを捧げます。

 たとえば2005年1月20日に行われたブッシュ大統領の就任式では、まず式に先立って、この日の午前、大統領一家はホワイトハウスに近いイギリス国教会の聖ヨハネ教会の礼拝に参列しました。190年の歴史を持つ同教会は「大統領の教会」として知られます。参列はこの日の最初の公式行事で、父・ブッシュ元大統領や政府高官も出席しました。

 正午、いよいよ就任式が連邦議会前の特設会場で始まります。大統領が入場すると、牧師は「神が大統領らに聖霊のシャワーを与えたまわんことを」と祈りました。連邦最高裁長官が入場し、参列者が起立する中、長官の立ち会いのもと、大統領は夫人が持つ聖書に左手をおき、右手を挙げ、誓いの言葉を述べました。

 「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う。神よ、我を守りたまえ」

 誓いのあと、大統領は家族と抱擁します。万雷の拍手がわき起こり、21発の祝砲が会場に響き渡りました。就任式後、伝統ある議事堂内での昼食会が行われましたが、それは上下両院専属の牧師による祈りに始まり、祈りで終わりました。

 翌日は「全国民のための教会」と位置づけられるワシントン・ナショナル・カテドラルで礼拝が行われ、正副大統領のほか、政府関係者らが参列しました。ユダヤ教やキリスト教各派、諸宗教の祝福と祈りが捧げられました。

 大統領の就任式だけではありません。2001年9月、同時多発テロの3日後、やはりワシントン・ナショナル・カテドラルで、ホワイトハウスの依頼による「テロ犠牲者を追悼し、祈りを捧げる儀式」が催され、歴代大統領や政府高官、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の代表者が参列し、国家的な祈りが捧げられました。

 この追悼ミサでは、アメリカ政府が一教会に対して宗教的儀式の開催を依頼し、しかも間接的ながら費用を負担しています。これは国教を定めず、国民の宗教上の自由を保障するという合衆国憲法(修正第1条)に違反しないのでしょうか。

 しかしカテドラル側は取材に対して、即座に否定しています。「憲法は祈りを禁じているわけではありません。禁じられているのは国家が国民に祈りを強制することです」

 国家の祈りを禁じていないのは、靖国問題をしばしば批判している韓国も同様です。韓国では6月6日の顕忠日に、国立墓地・顕忠院で政府が主催する戦没者追悼式が行われ、国民がいっせいに黙祷をささげます。

 顕忠院で行われる焼香、献花、黙祷の国家的儀礼は政教分離を定める憲法に違反しないのか。顕忠院関係者は取材に対して、こう聞き返してきます。「焼香が宗教ですか?」


▼徹底的な政教分離は健全な社会生活を阻害する

 日本の憲法も、アメリカも韓国も、「行政が宗教に関われない」という絶対分離主義ではなく、「一定の条件で関わりが許される」という緩やかな分離主義に立っています。

 市長のいうように、「行政は宗教に関与することはできない」とした場合、小嶋教授が指摘しているように、国民の精神生活を否定し、信教への保護を失わせることになるでしょう。逆にいえば、信教の否定を促進し、かえって憲法の精神を踏みにじる結果にならないでしょうか。

 「行政は宗教に関われない」なら、行政は斎場や墓地の所有・管理も許されません。戦没者や大震災の犠牲者を追悼することも許されません。社寺の祭礼のために交通規制を行うことも許されないでしょう。それが国民の健全な精神生活を確保することになるのでしょうか。

 小嶋教授はこう指摘しています。「純粋な徹底的政教分離要求が適当な社会生活を確保するとは考えがたい」。もっといえば、絶対分離主義の主張は、精神的、宗教的存在としての人間の存在を否定することになるでしょう。

 重要な判例として知られる津地鎮祭訴訟の最高裁判決は、憲法の規定について、「国家が宗教的に中立であることを要求するものであるが、国家が宗教との関わり合いをもつことをまったく許さないとするものではなく、宗教との関わり合いをもたらす行為の目的および効果にかんがみ、その関わり合いが社会的、文化的諸条件に照らし、掃討とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするもの」と解釈すべきである、と判断しています。

 憲法が禁じる「宗教的活動」についても、「当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、または圧迫、干渉などになるような行為をいう」とされています。

 判例も絶対分離主義の立場をとってはいません。小嶋教授が指摘するように、そもそも行政は宗教的無色中立であるべきだとされるならば、その行為の目的や社会的効果を判断する必要はありません。

 だとすれば、足利学校の釋奠を市が行うことは、憲法に抵触するような宗教的活動といえるものだったのかどうか。「市は宗教に関与できない」ではなく、そこをきちんと問うべきでなのです。


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「FujiSankei Business i」11月24日、「ドイツ『大連立』に亀裂。対中外交で表面化」
http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200711240023a.nwc

 案の定です。記事によれば、旧東ドイツに育ったメルケル首相(キリスト教民主同盟党首)が、9月にダライ・ラマと会見したことに中国側が反発し、ドイツとの会合を軒並みキャンセルしました。これに対して、連立を組む社会民主党のシュタインマイヤー外相が理解を示したことから、大連立政権内部の不協和音が一気に噴出したというのです。

 これは靖国問題と非常によく似た構図です。

 中国にとっての靖国問題は、昭和60年8月15日の中曽根首相による靖国神社「公式参拝」のあとにおきました。中国外務省は「日本軍国主義により被害を受けた中日人民の感情を傷つける」と批判しました。首相は「軍国主義や超国家主義の復活、戦前の国家神道にもどることは絶対にない」と反論しましたが、通じませんでした。

 それは当たり前のことで、中国側の視点はもとより別のところにあったからです。中国国内の権力闘争です。

 現代中国学が専門の中嶋嶺雄先生などによると、当時は、数千人規模の青年交流が計画されるほど、日中関係は良好で、対日関係を重視する胡耀邦、鄧小平両首脳は事態の深刻化を望まなかったのですが、時あたかも「抗日戦争40周年」。過去の記憶を呼び覚まされた長老たちは違っていました。

 保守派の対日批判はやがて胡耀邦総書記の「対日柔軟外交」への攻撃に発展し、親日派の総書記は追い詰められたのでした。そのような中国国内の情勢をどこまで知っていたのかどうか、中曽根首相の言い分では、中国の反発を考慮し、60年秋の例大祭時の参拝を中止したとされます。

 小泉首相の靖国参拝に関しても同様で、江沢民が「絶対に許せない」と憤慨したのとは異なり、胡錦涛政権は当初、歴史問題を後景化させようとしていました。2003年5月にロシアで実現した小泉・胡錦涛会談で、胡錦涛は靖国参拝に触れることはありませんでした。

 しかし胡錦涛の新思考外交は一年もたたずに挫折します。中国情勢にくわしい清水美和・東京新聞編集委員の『中国が「反日」を捨てる日』によると、胡錦涛政権の柔軟姿勢を日本政府が理解できず、対応しなかった。そのため中国共産党内部で新外交への懐疑と反感が高まっていったのでした。

 やがて建国以来最大規模といわれる反日暴動が起き、対日重視派と強硬派の対立が激化し、2004年11月には抑制的だった胡錦涛みずから首脳会談で靖国参拝批判を直接するようにまでなります。

 日本の国内問題が日中の外交問題に発展したというより、中国の内政問題が外交問題に発展したという構図で、今度のチベット問題も同じなのではないでしょうか。

 昨日のブログ(メルマガ)にも書きましたように、おそらくチベット問題をめぐって中国政権内部で、胡錦涛追い落としの熾烈な権力闘争が展開されているのではないかと想像します。

 ダライ・ラマは独立までは主張していませんが、ひとたび独立の気運が起これば、各地に波及することは明らかです。それでなくても世界最大といわれる社会格差への人民の不満に火をつけることになりかねません。

 チベットに武力侵攻し、今日の問題の原因をつくったのは中国であり、解決の責任は中国自身にあります。ところが、ちょうど靖国問題で、あたかも日本が原因を作ったかのように中国が政治宣伝していたように、中国外務省の報道官はドイツ首相とダライ・ラマの会談後、こう非難しています。

「メルケル首相はダライ・ラマと会談することで、中国の民族団結を阻止し、分裂させようとした。中国はどこの国であってもチベット問題で中国の内政に干渉することに反対する。それは中国人民の感情を傷つける行為だ」(朝鮮日報、9月27日)

 非難の口調まで靖国問題とそっくりです。日本は中国の政治手法や政権内部の事情を深く理解せず、「自分が悪い」という涙ぐましいほど謙虚な、そして誤った発想で靖国問題を捉えようとし、当然のことながら問題の解決ができずにいますが、日本人よりはるかに合理的にものごとを考えるらしいドイツ人はどう対応しようとするのか、とりわけ共産主義を知り尽くしているはずのメルケル首相がどう反論するのか、注目されます。


2、「AFPBB News」11月25にち、「キエフで追悼礼拝。1930年代の大飢饉から75周年」
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2316625/2390376

 ソ連の支配下にあった1930年代、作物を没収されたウクライナでは数百万の餓死者を出す大飢饉が発生した。その犠牲者を悼む追悼ミサが首都の大聖堂などで行われ、ユーシェンコ大統領などが参列したのだそうです。

 ユーシェンコ大統領が就任したのは2005年。親ロシア派首相との一騎打ちで、やり直し選挙まで行われるほど激しい大統領選挙に勝利した同大統領は、国会での就任式で古い聖書と憲法典に手を置き、宣誓したのでした。

 その聖書はウクライナが独立を保っていた1550年代のもので、議場には1650年代にロシアの征服に抵抗した指導者の戦旗も掲げられていました。

 ウクライナの主な宗教は、東方正教の一派であるウクライナ正教とウクライナ・カトリックだそうです。ウクライナ正教の大部分はモスクワ主教に属しますが、1991年の独立後、キエフ主教が分離独立。国民の大半は正教徒を自認しているといわれます。

 かつては無神論に席巻され、宗教否定の政策が展開されてきたウクライナですが、永井宗教伝統に基づく儀礼が復活しているのです。


 以上、本日の気になるニュースでした。

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カトリーナ被災2周年、犠牲者追悼の十字架 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月31日金曜日)からの転載です

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 ハリケーン「カトリーナ」がアメリカ・ルイジアナ州を襲い、2000人近くもの犠牲者をはじめ、同国史上最悪といわれる被害をもたらしてから、2周年を迎えた今月29日、各地で追悼の催しが行われています。

 韓国の東亜日報によると、ルイジアナ州セント・バーナード郡ではシェル・ビーチに追悼の十字架が建てられました。
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007083114878

 同郡ではカトリーナの襲来によって、すべての住居が完全に破壊されたのでした。それはアメリカの歴史始まって以来の悲惨事といわれます。

 それから2年、郡は犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑と追悼の十字架を建てることになったようです。
http://www.sbpg.net/au2907.html

 ところが思わぬ事態が持ち上がりました。東亜日報の記事はまったく触れていませんが、強面で知られるアメリカ自由人権教会(ACLU)から、「国家と教会との分離」を定めるアメリカ憲法に違反するのではないか、と批判を突きつけられているようなのです。キリスト教のシンボルである十字架を建てるのは、政府が特定の宗教を推進、助長することであり、違憲行為だというわけです。
http://www.beliefnet.com/story/197/story_19725_1.html

 日本では、「正論」九月号に書きましたように、こと神社・神道に関しては、「国家と宗教の分離」を厳格に要求する絶対的分離主義が貫かれ、他方、仏教やキリスト教に関して、緩やかな分離主義が採られ、その不統一な宗教政策にほとんど疑問が持たれないでいます。

 たとえば、以前、来日したブッシュ大統領が明治神宮に表敬参拝したとき、日本のキリスト教指導者は政教分離を盾に猛反対しましたが、金閣寺を参詣したときは、憲法九条改正反対の同志だからということなのかどうか、キリスト者は完全に沈黙しました。

 かつて愛媛県県知事が靖国神社に玉串料を公費から支出していたことについて裁判が起こり、10年前、最高裁は高裁の合憲判決を破棄し、違憲の判断を下しました。ところが、市有地内にあるキリシタン領主・後藤寿庵廟(奥州市)では、地元教会が主催する大祈願祭に市長が参列し、ご祝儀を交際費から支出していますが、問題にもなっていません。
http://www.city.oshu.iwate.jp/icity/browser?ActionCode=genlist&GenreID=1147308219906

 長崎の二十六聖人記念館および記念碑は戦後、昭和三十年代にイエズス会が市有地に建てたもので、聞くところによると、記念館は土地の無償使用が認められているようです。その後、市に寄贈された記念碑では、毎年、野外ミサが捧げられています。

 また、島原の乱の舞台、原城址(南島原市、旧南有馬町)には、天草四郎の像と並んで、町が建てた十字架があります。阪神大震災10周年の追悼式典では、モーツアルトの傑作、キリストの生誕から受難までを歌い上げた「アベ・ベルム・コルプス」が流れました。これらも何ら問題とされていません。

 キリスト教だけではありません。関東大震災と東京大空襲の犠牲者の遺骨を納める東京都の慰霊堂では、都の外郭団体の主催による仏式の慰霊法要が行われています。

 神道については完全分離主義が主張され、他の宗教に関しては緩やかな分離主義が採用される二重基準が存在することについて、あるキリスト教指導者はこう語ります。

「キリスト者が問題にしてきたのは、靖国神社や護国神社と国家との関わりであり、実際、裁判でも争ってきたが、逆にキリスト教と国家との関わりについて議論したことはない」

 政教分離主義がキリスト教の歴史の反省から生まれたことを、このキリスト者はまったく理解していないばかりか、ダブル・スタンダードの実態についての問題意識もないということになりますが、たとえば冒頭に取り上げたアメリカで起きている政教分離の議論などはどうお考えなのでしょう。

 自分たちは緩やかな分離主義の受益者でありながら、他者に対しては宗教の否定につながる完全分離主義を主張することの矛盾に気づかないのか、それともそんなことを考えもしない憐れむべき独善主義なのか。

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韓国に政教分離はあるのか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月30日木曜日)からの転載です


 アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人19人について、韓国政府との合意が成立し、一部の釈放が始まったと伝えられます。合意の内容は「駐留する韓国軍の年内撤退」と「国内でのキリスト教布教の禁止」の二つとされています。

 読売新聞はこれを社説に取り上げ、朗報ではあるが、不透明な部分があると指摘しています。ほんとうに2条件だけなのか。年内撤退は事件発生前からの規定方針であり、布教禁止については交渉の初期段階から提起されていた。韓国が身代金の支払いに応じたのではないかという見方もある。

「テロリストとは取引しない」

 という国際的原則を破り、

「譲歩した」

 という誤解を生む恐れがある、というわけです。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070829ig91.htm

 どんな具体的な交渉が行われたのか、裏取引があったのかどうか、はいずれ明らかになるでしょうが、今度の事件では、このブログ(メルマガ)で何度も指摘してきたように、歴史や現実を省みず、観念的に自分のあらまほしき幻影をしゃにむに追い続ける韓国人の国民性が浮かび上がったのと同時に、韓国には政教分離原則があるのかという大きな疑問が沸いてきたように思います。

 まず第一点目です。東西文明を結ぶアフガンはシルクロードの要衝に位置しています。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が滞在していた時代は仏教の時代でしたが、いまは国民のほとんどすべてがイスラムです。

 コーランには

「神を持たぬ異端者にムスリムを支配する権利はない」

 と書かれてありますが、いかにイスラムが異教徒の支配を嫌うかは、1838年、イギリスの侵入に始まる第一次アフガン・イギリス戦争で、カブールが陥落し、国王が降伏したあとも、ゲリラ戦でついに一万六千人のイギリス人を全滅させたという歴史からうかがえます。

 ボランティアという形でアフガンに入った韓国人キリスト教徒たちは、そのような歴史をどこまで理解していたのでしょうか。信仰に熱心なのはけっこうなことですが、キリスト教伝道に限らず、ともすると相手を省みないやり方が、移民の国アメリカですら大きな反発を招き、悲劇が生じたことはよく知られているところです。その教訓が生かされているのかどうか。

 アフガンでのボランティア活動といえば、ペシャワール会の中村哲医師が思い出されます。1984年から活動を開始し、パキスタン、アフガニスタン両国にいくつかの病院を運営し、年間16万人の患者を診察しています。そのほか1000カ所以上の水源を確保する事業を継続しています。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

 というのも、人々が苦しんでいるのは何十年と続いている戦乱だけではないからです。これまた何年も続く大干魃で国民の半数以上が被災したのはつい最近のことです。ヒンズークシ山脈にふる雪の量が目立って減り、雪解け水の激減は耕地を砂漠化させ、百万人単位の飢餓を発生させました。

 ペシャワール会の用水路工事が始まったのは2003年で、今年上旬、第一期13キロが完成したと伝えられます。
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r123.html

 中村医師は、拉致された韓国人と同じクリスチャンです。危ない目にも遭っています。十数年前には診療所が襲撃されました。

「死んでも撃ち返すな」。

 職員たちに報復の応戦をやめさせ、そのことで人々の信頼の絆を得たといわれます。いまでは説教の機会さえ与えてくれる。中村医師は

「イスラムの方が心が広い」

 と語ります。

 日本の援助団体の草分けであるオイスカでも同じような話を聞きました。オイスカが最初に農業指導員を送り込んだのがインドでしたが、折悪しくインド・パキスタン戦争が火を噴きます。

 両国の帰属争いが続くパンジャーブ州で農業指導をしていたオイスカ・マンがいました。日本大使館は帰国命令を出しましたが、帰るに帰れません。第一、大使館との連絡すらつきません。

「あなたのことは私たちが守る」。

 砲弾が飛び交うなか、オイスカ・マンを守り抜いたのは現地の人たちでした。住民にはムスリムもいれば、ヒンドゥー教徒もいましたが、両方がこのオイスカ・マンを守ったといいます。それほど、現地にとけ込み、深い信頼関係を築いていたのです。
 
 今回の韓国人拉致事件から浮かび上がる第二の問題は、宗教団体ではない大統領府が「布教の中止」を約束し、韓国の宗教界が布教方法についての反省を表明していることです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90672&servcode=400§code=400

 韓国の憲法は第20条で、

「すべての国民は、宗教の自由を有する」
「国教は認められず、宗教及び政治は、分離される」

 と定めているようですが、「布教活動中止」を政府が合意し、宗教界がこれを歓迎するかのような態度を示しているのは、憲法の原則に抵触するのではないかと疑われます。しかし、伝えられるニュースからはそうした発想も見えません。

 韓国政府が日本の靖国神社、あるいは閣僚の参拝に無遠慮に、政治的に干渉するのは、やはり同じように大原則としての法的規範意識がそもそも薄いからではないか、との疑いがあらためて持たれます。
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上告しないよう要求したキリスト者 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年7月9日月曜日)からの転載です


 クリスチャン・トゥデイによると、北海道砂川市の市有地にある神社が憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われている裁判で、日本キリスト教協議会(NCC)靖国問題委員会は先日、砂川市長が上告しないよう声明を発表しました。
http://www.christiantoday.co.jp/society-news-602.html

 声明文の全文はNCCのホームページに載っています。
http://ncc-j.org/diarypro/archives/224.html

 この神社は砂川市空知太(そらちぶと)にある空知太神社です。札幌の北東約70キロ、北隣の滝川市との境を流れる空知川の左岸に位置し、『砂川市史』によると、市発祥の地に鎮まる、この地方では最古の神社で、明治の開拓者たちはかならずこの神社に参拝し、成功を祈願したといわれます。宗教法人ではない、神職もいない、村の鎮守です。

 クリスチャントゥデイは「市有地にある」と記述し、NCCの声明は「市有地内に建設」と説明するのみで、歴史的経緯が省略されています。どういう経緯があるのでしょうか。

 一般の神社の場合、これは仏教寺院も同様のようですが、明治維新後、上知令によって全国の社寺境内地が国有化されました。空知太神社の場合は明治25年ごろ、開拓民たちが五穀豊穣を願って、いまは小学校がある土地に祠を置いたのが始まりとされ、その後、北海道庁に境内地の御貸下願を提出し、認められ、神社が建てられたのでした。その維持管理は地域の青年たちによって行われたといわれます。

 戦後になると、一般の神社は国有境内地の払い下げを受けたのですが、空知太神社はこの制度改革に洩れてしまったようです。しかも昭和23年ごろ隣接する小学校が拡張することになり、境内地に白羽の矢が立ち、神社はある住民が無償提供した近くの私有地に移転しました。ところが固定資産税などの負担が残ったことから、境内地は砂川町(当時)に寄付され、代わりに無償使用が認められたのでした。こうして市有地内の神社という形になったのです。

 違憲訴訟を起こした原告の1人は、クリスチャントゥデイによるとプロテスタントのキリスト者とのことですが、平和遺族会の代表者といわれます。また、今度のNCCの声明は靖国問題委員会から出されています。靖国神社反対運動を展開してきた人たちが、なぜいま、靖国神社とは直接結びつかない公有地内の村の鎮守の問題を取り上げ、肩入れすることになったのでしょう。

 ここ数年、靖国反対論者が全国で熱心に活動してきたのは小泉靖国参拝訴訟ですが、今年の春、原告敗訴の最高裁判決がすべて出揃い、決着しました。これに代わって、狙いを定められているのがどうやら公有地内神社のようで、空知太神社以外にも長野・信州大学構内神社についても訴訟があり、北海道ではほかの神社へ拡大しそうな気配があります。「公有地内の神社が合憲なら、靖国神社の境内を国有化できる。国家神道の復活が避けられない」というのがその言い分です。

 空知太神社の場合、キリスト者らが市を相手取って住民訴訟を起こしたのは平成16年春のことです。札幌地裁は昨年春、「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を使用させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」とする違憲判決を下し、二審の札幌高裁も先月末、「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」との判決を言い渡しました。

 このためNCCは市に対して上告をしないようにと要求したのでしょう。

 キリスト者たちがなぜこれほど靖国問題にこだわるのか。その理由は、何度もこのブログ(メルマガ)で言及してきたように、戦前の「国家神道」が自分たちキリスト者の信仰を脅かしたと認識し、その苦い経験から「国家神道の亡霊」が目を覚まし、シンボルとしての靖国神社がふたたび国家と結びつくことに、強い不安と警戒感を抱いているからとされます。

 キリスト者のその理解が妥当かどうか、も問題ですが、私が理解に苦しむのは、空知太神社の裁判のように、小さな祠(ほこら)だろうが、地蔵像だろうが、庚申塚だろうが、公有地にはいっさいの宗教施設も憲法の政教分離原則から認められず、撤去されるべきだという、いわゆる絶対分離主義が司法判断として確定することになると、キリスト教自身の首を絞める結果になるということをキリスト者自身はどう考えているのか、ということです。

 たとえば、これも何度も書いてきたことですが、岩手県奥州市(旧水沢市)にはキリシタン領主・後藤寿庵の館跡があり、昭和初年度に建てられた廟堂が置かれています。いまは市有地で、地元のカトリック教会が主催する大祈願祭が行われ、市長が参列しています。長崎市には戦後、市有地内に宣教団の手で二十六聖人記念館と記念碑(レリーフ)が建てられました。その後、市に寄贈された記念碑では毎年、野外ミサが行われているようです。

 キリスト者たちは、こうした宗教施設が公有地からすべて撤去されるべきだ、とお考えなのでしょうか。もしそうなら、国家は非宗教的存在であるべきだという、いわば革命国家の論理を主張することになり、神を信じる信仰者としては矛盾この上ないだろうし、キリスト教だけは棚上げし、もっぱら神道と公機関との関係を法的に規制すべきだというのなら、まったくの独善であって、信教の自由を侵すことになるでしょう。

 もしそうではなく、終戦直後、あの神道指令を発した占領軍自身、占領末期には、国家と宗教の分離から、国家と宗教団体との分離というアメリカ型の緩やかな政教分離主義に解釈変更し、それゆえ松平参議院議長の参議院葬が神式で行われ、永井隆博士の長崎市葬が浦上天主堂で行われたように、あるいはいま多くの自治体が公営の墓地や斎場を所有・運営しているように、国家の宗教的寛容の重要性を認めるのであれば、NCCは砂川市に上告しないよう要求するのではなくて、市が先週、決定した上告をむしろ支援すべきではないでしょうか。

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神への祈りを訴えるブッシュ大統領 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月21日土曜日)からの転載です


 アメリカのバージニア州立バージニア工科大学で16日に発生した銃撃事件は全米に衝撃を与えています。教授・学生ら32人が死亡するという史上最悪の事件に、さぐさまブッシュ大統領は声明を発表し、下院議長は黙祷を呼びかけ、国中に半旗が翻りました。バージニア州のケイン知事は非常事態を宣言しました。

 悲惨な事件は銃社会の恐ろしさを見せつけただけでなく、一方で、同じく政教分離原則を憲法に掲げながらも、日本とは際立った違いのあるアメリカの政治と宗教の関係を浮かび上がらせています。

 事件翌日の17日に大学で行われた、一万人が参加する追悼集会で、ブッシュ大統領は犠牲者を悼むスピーチを読み上げ、

「力の源は信仰にある。一度も会ったことのない人が諸君のために、亡くなった友人のために祈っている。この祈りにこそ本当の力がある。神の導きのなかに安らぎがある」

 と訴えました。

 同じ日、ワシントンの地域教会協議会などが主催する、キリスト教徒ら800人が参列する追悼ミサで、李泰植・駐米韓国大使は、犠牲者を追悼し、悲しみを共有するための、在米韓国人による32日間のリレー断食を提案しました。

「事件を契機に韓国人社会が自省、懺悔し、アメリカ社会とふたたび融和する機会を作るべきである」

 という訴えを出席者たちは快く受け入れたと伝えられます。

 バージニア州のケイン知事は20日の金曜日を追悼の日とし、32人の犠牲者のために正午に黙祷を捧げることを呼びかけました。全米の教会が特別の礼拝を予定し、コネティカット州のレル知事(バージニア州生まれ)は犠牲者を偲んで、自由の鐘を32回、ならすことを決めました。金曜日を公式に追悼の日と定め、黙祷を呼びかけた州は、40近くにのぼりました。

 明日の日曜の夕刻には、「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで犠牲者に対する特別のミサが捧げられます。
http://www.cathedral.org/cathedral/worship/sunday.shtml#vatech

 日本の政教分離主義の本家本元で、厳格な政教分離政策が採用されていると一般には考えられているアメリカでは、明らかに政治と宗教との間に密接な関係があり、宗教的伝統が尊重されています。

 日本でもかつてはこのような公的慰霊が行われていました。関東大震災の翌年、東京府市および民間団体による震災記念事業では、震災発生時刻に神社や寺院、教会などが太鼓や鐘を、工場や船舶が汽笛を鳴らし、電車は停車、乗客は黙祷することが決められました。

 戦後も同様で、みずから被爆しながらも被災者の救護に当たった永井隆博士の公葬は昭和26年春、長崎市葬というかたちで浦上天主堂で行われ、当日は、教会やお寺の鐘のみならず、市内のサイレンや船の汽笛が鳴りひびき、市をあげて博士を見送ったのでした。

 日本国憲法が発布されて間もない、いまだ占領中に、このような公葬が行われていることは、立法者たちが想定する政教分離は絶対分離主義ではなく、アメリカ型の緩やかな分離主義であることの何よりの証明ですが、最近ではとみに、驚くべきことに宗教者までが、国家の無色中立性を要求しています。国立の追悼施設は無宗教でなければならない、というようにです。

 人間が宗教的、倫理的存在である限り、絶対分離などあり得ません。憲法を口実にした国家に対する非宗教性の要求は、じつは憲法とは別次元の理由に由来していると理解されます。

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