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米の「減反」について考える──命を支え、信仰を育んできた稲作農業の暗澹 [日本の稲作]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 米の「減反」について考える
 ──命を支え、信仰を育んできた稲作農業の暗澹
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 報道によると、政府・与党は米の減反政策の抜本的見直し、廃止の検討を進めているようです〈http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131027-OYT1T00299.htm〉。

 日本の稲作農業の歴史にとって、大きな転換点となるばかりでなく、日本人の精神文化にも大きな影響をもたらしそうです。

 というわけで、15年前に書いた記事を転載します。当時は史上空前の減反が進められていました。なお若干の加筆修正があります。



 記者たるもの、方向音痴であってはならない。つねづね自分に言い聞かせている筆者だが、不覚にも迷ってしまった。関東中部の稲作地帯を取材したときのことである。

 あぜ道をひたすらさまよい歩いて、そして驚いた。道を聞こうにも、留守宅ばかりで、番犬に吠え立てられるのが関の山だった。いまどきの農家は土日型の農業で、平日はほとんど不在らしい。

 ヨシの生える荒れ放題の休耕田は珍しくないが、ところどころにこんもりと築かれた小山は異様である。ひとつやふたつではない。お山の大将よろしく、ショベルカーが頂きに陣取っているものもある。名づけて「平成新山」。

「昭和の時代にはなかった。あれは絶対に復田できない」。農家はつらそうに語る。

 建設残土などが休耕田に運び込まれ、たちまち山をなした。祖先が営々として築き上げた水田が、産業社会の掃きだめになっている。荒涼たる減反の風景は、ひとつの文明の終わりを暗示しているようでもある。

 というわけで、今回は米の生産調整について考えてみたい。

▽40年代に需給関係が逆転
▽食管維持のために生産調整

 減反政策が始まったのは、昭和40年代である。

 30年代までは300万ヘクタールの水田でフル生産しても需要を満たせず、「まずい外米」を輸入せざるを得なかった。

 ところが、40年代に入って状況は一変する。42年から3年連続して1400万トンの総生産量を記録したのである。品種改良や生産技術の進歩で、反収が453キロ(42年)に跳ね上がり、とくに東北・北海道で収量が急増した。

 農業人口が減少する一方で、米価の値上がりと生産性の向上で農業所得は増加し、勤労者との所得格差も縮まる。

♪ 笹に黄金が成り下がる──

 39年の東京オリンピックを機に高度経済成長期を迎えた日本。それは米の黄金時代の到来でもあったが、あまりにも短いわが世の春であった。

 というのも、米の消費量が減少し、需給関係が逆転したからである。

 43年10月末には300万トン、44年には550万トン、45年には年間消費量の6割におよぶ720万トンもの大量の古米を在庫として抱えることになった政府は、増産政策を撤回し、過剰対策に取り組むことになる。

 対策としては、(1)自主流通米制度の創設、(2)生産調整すなわち減反、(3)古米の処理──の3つの方法が考えられた(岸康彦『食と農業の戦後史』)。

(1)の自主流通米制度の生みの親は、檜垣徳太郎食糧庁長官である。自主流通米は食管の傘の下にはあるが、政府が売買や保管をするわけではないから、膨大な赤字を抱える食管会計の負担を減らすことができる。

 しかし自主流通米制度の創設は、政府が生産量の全量を管理する建前の食管制度を、政府みずから突き崩す結果にもなった。

(2)の生産調整は要するに減反である。供給が需要を上回ったとき、市場原理に従えば米価を引き下げるのが筋だが、もともと食管法は市場原理に基づいてはいない。確実に減産効果を上げる方法として、減反が考え出された。

 過剰米対策には農協の協力が不可欠であった。しかし「食管制度をパンクさせないためには生産調整が避けられない」という認識は浸透していたが、意思統一が進まなかった。

 44年秋、長谷川四郎農相は大口駿一事務次官と檜垣食糧庁長官を伴い、宮脇朝男全国農協中央会会長をお忍びで訪問し、「減反を頼む」と直談判した。

 農協が最終的に生産調整への協力に踏み切ったのは、同年12月の農協中央会・連合会会長合同会議だった。

 議論は紛糾してまとまらない。宮脇会長の依頼を受け、農林事務次官に昇格した檜垣氏が会場に乗り込んだ。

「減反は神武以来の悪政である。しかし過剰で食管制度が維持できなくなるから、悪政をあえてやろうとするのである」

 数時間にわたる事務次官の異例の説得に、農協は「生産調整やむなし」で固まった。歴史的な生産調整はこうして始まり、2年後の46年から本格化する。

▽余剰問題を放置した政府
▽民族の信仰的基盤が崩壊

 不可解なのは、過剰問題が急に浮上したことである。

 需要の伸び以上に供給が増えていけば、いずれ供給過剰の事態に陥ることは容易に想像がつくはずで、実際、研究者の間では供給過剰は10年も前に予見されていたらしい。

 それどころか政府自身、37年春にはじめて発表した「農産物の需要と生産の長期見通し」で、10年後の46年には100万トン程度の生産過剰になると予測している。

 政府は過剰問題が顕在化するまで、打つべき手を打たずにほうちしてきたのではないか。長期的戦略の欠如は如何ともしがたい。

 無策のツケを稲作農家に押しつけて、責任を回避したのが、減反だったのではないか。

 しかも、である。

 前掲『食と農業の戦後史』の筆者、日経の岸記者が指摘するように、40年代になってもなお、各県では「米づくり運動」が強力に推進され、秋田県では八郎潟の干拓が国家プロジェクトとして進められた。

 政策が首尾一貫していない。

「米が余るのが分かっていながら、もっと作れとシリを叩き、いまさら減反では──」

「米が余っていると、どっちを向いても言われ、だんだん『俺たちは国賊なのではないか』といういやな感じを持つようになっています」(林信彦『コメは証言する』)

 農家の不満や嘆きは無理もなかろう。

 46年の減反目標は230万トン、面積にして54万7000ヘクタール、全水田面積の17パーセントにおよんだ。勤労者でいえば、6日に1度の自宅待機を命じられるようなものである。

 最初は「緊急避難」であったはずの「悪政」はその後も続いた。それどころか、政府が全量を統制する食管制度が幕を閉じ、「作る自由」「売る自由」が認められたはずの現行の新食管法の下でも続いている。

 減反の常態化は国家と農民との信頼関係を著しく損ね、稲作農家の誇りや生産への意欲を奪い、民族の信仰的基盤を崩壊させた。

 それにしても、ほかに妙案はなかったのか。

 古米処理では、韓国に輸出されたのをはじめ、対外援助や酒、味噌、煎餅などの書こう原材料、飼料に利用された。米を「主食用」と固定的に考えるかぎり、こうした在庫処理は弥縫策でしかないが、単なる過剰対策ではなく、もっと積極的に構想することはできなかったのか?

 農業ジャーナリストの林信彦氏がいうように、食糧の安全保障を考えれば、多収を追求するのは当然だろう。そのうえで余剰分は青刈りし、飼料に転用する。あるいは良質な米を食糧とし、くず米を飼料にする。いざというときには、飼料から食糧に転用する。

 そうすれば、在庫米が売れ残る心配はなく、稲作と畜産の新たな関係が構築できる。自給率も上がる(前掲『コメは証言する』)。

 林氏の20年前の提言はいまなお新鮮さを失っていない。問題は採算が合うかどうからしいが、何よりも重要なのは、国家的農業戦略の確立ではなかろうか。

▽今年の減反は「過去最大」
▽食糧危機の備えは万全か

 今年(平成10年)の史上空前の減反は国家戦略の欠如をあらためて強く印象づけている。

 昨年8月、「4年連続の豊作」が確実となり、官民合わせての在庫は10月末に400万トンを突破し、平成10年秋には500万トンに達するとの予測まで飛び出した。国内消費量の半年分に相当する量である。過剰問題は焦眉の急を告げた。

 すでに市場はだぶつき、米価は低迷している。

 政府は昨年夏、人気スポーツ選手を起用した販売促進キャンペーンを展開するなど、必ずしも手をこまねいているわけではない。しかし、政府売り渡し米価も下がったのに、それでも割高感は否めず、政府米は敬遠される。

 もともと農業団体は儲けの大きい自主流通米の販売を先に進めるのがふつうで、政府米には人気の低い銘柄の売れ残りが集中する。買い上げられた政府米は1年間の備蓄後、古米となって市場に還流するから、売れ行き不振は当然だ。

 他方、かつて「闇米」と呼ばれた計画外流通米の存在がある。

 政府の需給計画とは無関係に自由に売買され、流通経費がかからない分、価格が安い。農家にとっては即金取引の魅力がある。

 330万トンにも及ぶともいわれるが、計画外米が増えれば増えただけ、政府米も自主米も売れ残る。

 10月27日に農水省が発表した作況指数は全国平均で102の「やや良」、予想収穫量は1001万4000トンに上り、過剰問題はいよいよ現実となった。

 農水省が前年より17万6000ヘクタール多い、96万3000ヘクタールを減反目標とする「平成10年度緊急生産調整推進対策」を決定したのは昨年11月20日である。率にして35・5パーセント、面積で100万ヘクタール近い、過去最大の減反である。地域によっては5割にも及ぶというから尋常ではない。

 政府は減反を円滑に進めるため、転作農家を助勢する「全国とも補償」、米価の値下がりを補填する「所得補填」などを柱とする新たな米政策を同時に決定したが、どれほど実効性があるのだろうか。

 第一に、新食糧法は政府による生産調整を定めているが、半強制的な減反はもう限界ではないか。

 米の過剰と米価の低迷は大規模農家を直撃しているという現実は、稲作の展望を失われている。減反に協力しない農家は計画外米に流れ、そのシェアは拡大している。減反強化は計画外米をさらに増やす結果になりはしないか。

 政府は在庫減らしのため新規購入を削減する方針だが、買い入れが減れば市場のだぶつきはさらに進む。売れ行き不振の銘柄を買い入れないともいうが、北海道のような政府の買い入れに依存してきた地域はどうなるのだろう。

 第二に、国家の戦略が見えてこない政府の「適正在庫量」設定や在庫管理にも問題があろう。

「適正在庫」は平成6年10月に自民・社会・さきがけの政治決定で、「150万トン」とされ、昨年11月に「200万トン」に引き上げられた。

 しかし「天明の大飢饉以来の凶作」となった平成5年は280万トンの減収で、政府は259万トンもの緊急輸入を迫られたのではなかったか。在庫は民間にもあるが、「200万トン」で十分なのか。

 最大の問題は、地球的規模で見た場合、すでに食糧不足の時代が到来していることである。

 5年前の凶作が再来した場合、緊急輸入で凌ぐ道はいちだんと狭くなっている。食味の異なるタイ米の輸入は世論が許さないだろうし、中国は4年前、輸出国から輸入国に転落している。

 アメリカとオーストラリアの輸出能力は両国合わせても362万トン(1995年)しかない。政府は食糧危機に備えるつもりがあるのか。

 政府は2年間で過剰在庫を解消すると表明した。今年はエルニーニョ現象の影響で食糧不足が世界的に拡大するとの予測もあるけれども、まさか在庫整理のために凶作を期待しているわけではあるまい。

 国生みによって生まれ、祖先が築き上げてきた国土は、減反という「悪政」によって荒廃していく。日本人の命を支え、民族の信仰を育んできた稲作農業の前途は悲しいほどに暗い。
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