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「竹島の日」制定と「慰安婦歴史観」開館 ──「日韓友情年」に不信と対立が増す皮肉 [慰安婦問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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「竹島の日」制定と「慰安婦歴史観」開館
──「日韓友情年」に不信と対立が増す皮肉
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 報道によると、一昨日、日米関係をテーマとするシンポジウムがワシントンで開かれ、これに出席したシーファー前駐日大使は、安倍内閣の閣僚らが靖国神社を参拝したことについては、「国家に命をささげた人々に敬意を表したいという気持ちは分かる」と理解を示した一方で、従軍慰安婦問題に関しては「正当化できる理由はない」と述べたといわれます。

 けれども、前大使は何を事実と考えて、そのように判断したのでしょうか?

 というわけで、慰安婦問題について書いた、2本の拙文を転載します。

 1本は、平成17年4年に宗教専門紙に掲載された記事を一部、加筆修正したものです。この年は日韓国交正常化40年の記念すべき年でしたが、現実には今日と同様、両国関係は竹島と慰安婦で大揺れに揺れていました。

 それでは本文です。



 日韓両国政府は「国交正常化40年」の今年(平成17年)を「友情年」と位置づけ、多角的な交流を推進しています。ところが、3月下旬、島根県議会が「竹島の日」を制定したことから、韓国側は日本の国旗を焼くなど猛反発しました。これではもう「友情」どころではありません。

 火種はもっぱら日本かといえば、そうではありません。折しも第2次大戦「終戦60年」で、韓国ではおよそ友好的ではない「独立60年」記念事業が進行しています。

 たとえば、「独立運動が開始された日」の3月1日には、女性省がインターネット上に「日本軍慰安婦サイバー歴史館」(http://www.hermuseum.go.kr/ 韓国語。現在は英語のページもある)を開設しました。目的は「独立60年を機に、日本の悪行に対する韓国人の認識を促進するため」だそうで、これでは不振と対立が激化するのは当然です。


◇1「日本大使館に抗議を」とアニメで教える「子供教室」

「歴史館」のサイトを開くと、木立に囲まれた建物群が立体的に浮かび上がります。「掲示板」「資料室」「運動館」などと並んで、「慰安婦を簡単に学べる」と注釈のついた「子供歴史教室」まであります。「教室」をクリックすると新しいウインドウが開き、中央のスクリーンに元慰安婦のお婆さん(ハルモニ)と女の子がアニメーションで登場します。

 メニューから「慰安婦とは」を選ぶと、お腹の大きな女性たちや「身も心も捧ぐ大和撫子のサービス」と墨書された慰安所の正門などがスライドで次々に現れるかたわらで、ハルモニが女の子に「慰安婦というのはね、日本が引き起こした戦争で日本軍に従軍し、性の奴隷になった女性たちを指すのよ」などと、お婆ちゃん言葉で説明します。

 いわく、日本は朝鮮侵略では足りず、アジア全域から太平洋地域まで侵略した。慰安所は1930年代初めから陸軍、海軍、空軍全体に設置された。占領地域では強姦事件が多発し、反日感情が高まった。不祥事と性病の発生を防ぎ、あわせて軍人の士気昂揚のため慰安所が設けられた。ある軍医官は慰安婦を「天皇からの賜り物」と表現している。11歳の少女から30歳を超えた、あらゆる年代の女性が動員された。過酷な毎日だった。工場で働くとだまして連れて行かれた──。

 日本軍に「空軍」があったとは初耳ですが、それはともかくも、嘘であざむいて女性をさらい、自由のない慰安所に押し込め、慰みものにしたという残虐なイメージを、韓国政府は子供にまで植え付けようとしているかに見えます。

「子供教室」の「問題解決のために」のページでは、元慰安婦は、「歴史を真摯に学」び、「誤った歴史をただす」ことを主張しているだけでなく、関心の薄い国会に投書することや、元慰安婦たちが10年前から続けている毎週水曜日の日本大使館に対する抗議行動への参加を呼びかけ、さらには「豚の貯金箱に毎日100ウォンずつ入れれば、月3000ウォン貯まる」と博物館建設の募金活動への協力を訴えています。

「歴史館」は韓国政府による「反日」教育施設であるばかりでなく、「反日」活動の拠点といえます。

「歴史館」では、元慰安婦の顔写真や証言のほか、裁判記録や学術論文、関係図書、新聞資料、映像資料などが閲覧できます。

 けれども、なかには掲載意図が理解できないものもあります。

 たとえば、昭和12年に上海派遣軍野戦郵便長として従軍した佐々木元勝の『野戦郵便旗』は郵便局近くにあった「上海寮、皇軍将兵慰安所」に言及しているのですが、「ここは半島人(朝鮮人)が営業していた」とあります。

「日本の悪行に対する認識の促進」が目的のはずの「歴史館」が、図らずも「朝鮮人自身の悪行」を暴露しています。

 映像資料には、日本政府に謝罪と補償を要求する圧力団体の総本山といわれる挺身隊問題対策協議会が制作したドラマも含まれています。

 このほか、元慰安婦を原告とし、北朝鮮工作員とされる人物が検事役を務め、弁護人不在のまま、昭和天皇を「人道に対する罪」「強姦罪」などで「有罪」とした「2000年女性国際戦犯法廷」の判決資料なども提供されています。

 一見、豊富な資料を集める「資料室」ですが、慰安婦問題を客観的資料と証言で総合的に検証した第一級の研究書である、秦郁彦・日本大学教授の『慰安婦と戦場の性』などは見当たりません。

 表向きは「IT先進国」ならではの巧緻な「サイバー歴史館」ですが、その内容は一面的で公平性に欠けるといわざるを得ません。結果として、仮想空間内で相互不信が肥大化していくのは避けられません。


◇2 なぜ宮沢首相は「謝罪」したのか。誤った「政治判断」のツケ

 慰安婦問題の発端は、韓国ではなく日本だ、と指摘されています。

「真珠湾50周年」の平成3年暮れ、元慰安婦などが日本政府を相手どり、計7億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしました。「青春を返して」。名乗りを上げた元慰安婦第1号・金学順さんの涙の訴えは、多くの日本人の同情を誘いました。

 けれども、家庭の貧困から身売りされたのが転落の人生の始まりだった、という重大な事実は、このときは伏せられていました。訴訟の原告は日本人運動家らがわざわざ訪韓して捜し出し、裁判費用も日本側が提供していたといわれます。

「加害者」の日本人が、「被害者」の韓国人の痛みを代弁して訴える「ゆがんだ構図」と指摘されています。

 もともと勝訴の見込みはありませんでした。

 というのも、40年前、日韓両国は基本条約の締結と同時に、「日韓請求権並びに経済協力協定」を結びました。日本が無償協力3億ドル、円有償協力2億ドル、民間借款3億ドルという、当時の韓国の国家予算をはるかに上回る経済協力をする代わりに、韓国は国および国民の請求権を放棄し、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」したからです。

 韓国政府は経済協力金の一部を召集・徴用で命を失った国民に補償金として支払いました。誰に戦後補償を実施するかは政府の裁量権の範囲であり、元慰安婦が補償の対象とならなかったとしても、訴えるべき相手は韓国政府でなければなりません。

 このため日本政府は「解決済み」との姿勢でしたが、慰安婦に肩入れするマスコミは違っていました。翌4年1月、朝日新聞は、吉見義明・中央大学教授が防衛庁の図書館で「軍関与を示す資料」を「発見」した、という「特ダネ」を掲載し、事態は一転します。

「資料」は「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌」ですが、じつは研究者の間では周知で、しかもその内容は官憲による「強制連行」を裏付けるのではなく、「慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察沙汰になるなどしたため……募集に当たっては、派遣軍が統制し、社会問題上遺漏なきよう配慮……するよう指示」したものでした。

 軍・警察は業者による「強制連行」をやめさせようとしていたのです。

 しかし「挺身隊の名で強制連行した」と用語解説し、「軍関与は明々白々。謝罪はもとより補償すべき」という吉見教授のコメントが載る1面トップの「スクープ」は、大反響を呼びます。

 韓国マスコミは制度的にまったく異なる「挺身隊」と「慰安婦」を混同し、「小学生までが女子挺身隊に動員された」と報道して「反日」をあおり、韓国民の怒りに油を注いだのです。挺身隊の名目で慰安婦にされた事例は見つかっていないのに、です。

 感情むき出しの外圧に屈して、加藤紘一内閣官房長官は「関与は否定できない」と談話を発表し、宮沢喜一首相は、抗議デモが荒れ狂う韓国で、何度も「謝罪」しました。

 首相訪韓は以前から予定され、北朝鮮の核武装や南北統一問題を協議するはずでしたが、本題はすっかりかすんでしまいます。

 同年7月、加藤長官は「政府は関与したが、強制連行を裏付ける資料はなかった」と報告しました。

 他方、同じ時期に韓国政府がまとめた報告書は「黒人奴隷狩りのような手法で」と表現しました。根拠とされる吉田清治『私の戦争犯罪』には「済州島で軍の協力により、1週間で205人の女性を強制連行した」とありますが、地元紙や秦郁彦教授の現地調査によってでっち上げであることが証明されています。

 宮沢首相は真相究明も不十分なまま、簡単に「謝罪」してしまったことになります。

 翌5年の終戦記念日を前に、宮沢内閣はふたたび調査結果を公表し、河野洋平官房長官は「官憲による強制連行」を事実として認めてしまいます。

 けれども、これは石原信雄官房副長官が「根拠は元慰安婦の証言しかない。『強制連行がなかった』とすると韓国世論を抑えられない。賠償は要求しないから『あった』ということにしてほしい、と依頼され、政治的に認めた」と証言し、政治的産物であったことが知られています。

 この日、宮沢内閣は総辞職するのですが、誤った外交取引は今日まで禍根を残すことになりました。

「慰安婦」は事実認識の誤りが正されることなく、日韓の教科書に記述され、国際社会に浸透していきました。国連人権委員会のクマラスワミ報告書は十分な歴史検証を怠ったまま、「日本政府は法的責任を認めよ」と迫っています。

 戦争中、日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史的事実で、否定する研究者はいないといいます。

 売春は「世界最古の職業」であり、軍隊用の慰安婦も歴史とともに古い。戦地の慰安所で働くからには「軍の関与」は当然です。戦前は売買春は合法で、大戦中の日本をことさら犯罪的と断じることはできないし、「性の奴隷」と一方的に断定することもできません。

 陸軍大将の2倍稼ぐ慰安婦もいるほどでしたから、数カ月で前借金を返済し、自由の身になる者もいました。それでも「商売」をやめなかった、といわれます。

 慰安婦と将兵との心情的交流や恋愛話はしばしば元慰安婦自身が伝えています。両者の間には連帯感さえあり、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。

 先の大戦で朝鮮が日本と戦争した事実はなく、朝鮮および朝鮮人は大東亜戦争をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様です。慰安婦出身の女兵伝説すらあります。

 けれども反日色を強める当世の韓国では対日協力者=売国奴で、であればこそ、慰安婦たちは生き延びるために「被害者」を演じ続けざるを得ないということでしょうか。

「社会の公器」たるべき大新聞の責任も問われています。

 元慰安婦第一号の名乗りを「スクープ」した朝日新聞記者は個人補償請求裁判の原告側代表者と姻戚関係にあるといいます。「軍関与資料発見」の記事は宮沢訪韓にタイミングを合わせたものといわれます。

 2000年女性国際戦犯法廷は元朝日新聞記者が代表を務める女性団体などの主催で、のちに、政治家の介入の有無をめぐって朝日新聞とNHKが真っ向から対立した「NHK番組改変問題」の要因ともなりましたが、突然の記者会見で政治的圧力をかける、いつもの手法が繰り返されている、といえば、うがった見方になるでしょうか。


◇3「心からの謝罪と賠償を」と韓国大統領が「正常化」を否定

「慰安婦サイバー歴史館」が開館したのと同じ3月1日、韓国の盧武鉉大統領は「3・1独立運動」記念式典で演説し、「日本は過去の過ちに対して、心からの謝罪と賠償をしなければならない」と強く主張しました。

 高野紀元駐韓大使の「竹島は日本領」発言や島根県議会の「竹島の日」制定の動きなどを牽制しながら、「日帝」期の「強制徴用」に言及し、「これまで政府は解決の努力を欠いていた。国交正常化は不可欠だったが、被害者個人の賠償請求権を処理すべきではなかった」と朴正煕政権下での正常化を批判しました。

 朴政権下、日韓条約に基づく経済協力金は経済建設に投入され、「漢江の奇跡」とよばれる経済発展の基礎が築かれたほか、一部は国民への補償に充てられました。

「解決済み」の請求権問題を持ち出した盧大統領の「謝罪と賠償」要求は、前年夏の首脳会談で「任期中は歴史問題を提起しない」と述べた大統領自身の約束を反故にしたばかりか、主権国家同士が結んだ正常化の枠組みを公的立場で否定したことになります。

 日本政府はちょうど10年前、元慰安婦に対する国民的な「償い」に取り組むアジア女性基金を設立し、「償い事業」を実施しました。韓国側は当初は肯定的態度でしたが、やがて否定的評価に変わっていきました。

 女性基金に問題がないわけではありませんが、日本側の問題解決の努力を蔑ろにし、日本糾弾自体を目的としたかのような今回の歴史館開館および大統領演説は、「国交正常化40周年」の今年を「日韓友情年」と位置づけ、「未来志向」的に多角的交流を推進する両政府合意の趣旨に反していないでしょうか。

 大統領はさらに北朝鮮の拉致問題に言及し、「日帝時代に従軍慰安婦として強制徴用された韓国人被害者の苦しみを日本人も理解すべきだ」と述べましたが、韓国風に表現すれば、これこそ「歴史の歪曲」といえます。「慰安婦」が「強制徴用」されたという史実はないし、「慰安婦」問題と「拉致」問題を同次元で論ずるべきでもありません。

 大統領は演説の中で、国交回復40周年の今年、「二国間協力によって北東アジアの時代を切り開くために誠実を基礎とした親しい隣国として生まれ変わる必要性を強調した」と伝えられますが、「誠実」が求められるのは日本なのでしょうか。

 大統領は「過去の真実の究明」を主張しますが、誰がそうすべきかは「サイバー歴史館」の設立とその内容から明らかです。3月1日の大統領発言が過激なのは毎年のことで、あくまで「国内向け」との見方もありますが、それではすまされないでしょう。

 新たな事態も生まれています。

 日本では、野党議員らが国家の責任を明確にする法案を参議院に再提出しました。国際的な女性団体が夏に向けて、日本の謝罪と補償を求める100万人署名、慰安婦博物館建設運動を展開する動きも伝えられます。署名は国連に提出されるといいます。

 韓国では、日本の歴史教科書検定に対する反発もにわかに強まっています。

 韓国文化研究者の一人は、「儒教文化が根強い韓国社会では形式が尊重され、現実が軽視される。あらまほしき幻影の正当化に全精力が傾注され、人々は気分だけで突っ走る」と指摘し、「客観性や冷静さを期待できない社会に対抗するには、たとえば韓国・朝鮮人犯罪博物館などを建て、相手が尻尾を巻くほどの『気分論理』でギャフンといわせるしかない」と主張します。

 報復合戦は望ましくはありませんが、その場しのぎの「謝罪」では日本の国際的な地位が保てないのも確かで、政府の毅然たる態度こそ望まれます。ちょうど韓国側の反発にも揺るがず、「竹島の日」条例を賛成多数で可決した島根県議会のように。(参考資料=秦郁彦『慰安婦と戦場の性』、上杉千年『検証・従軍慰安婦』、西岡力『コリア・タブーを解く』など)
タグ:慰安婦問題

国民的和解と融和について考える──両陛下のオランダ公式御訪問を前に [慰安婦問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 国民的和解と融和について考える──両陛下のオランダ公式御訪問を前に
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 一昨日、シーファー前駐日アメリカ大使は、ワシントンで開かれたシンポジウムで、従軍慰安婦問題について言及し、「正当化できる理由はない」と述べ、いわゆる河野談話の見直しの動きについて、「見直せば、アメリカやアジアでの日本の国益を大きく損なう」との見方を示し、慎重な対応を求めました。

 前大使には慰安婦問題に関する正確な情報が不足しているのではないかと私は思います。

 たとえば、オランダという視点からは、別の見方ができます。

 そんなわけで、前回に続き、拙文を転載します。平成12年5月に宗教専門紙に掲載された記事です。

 この年は「日蘭交流400年」で、両陛下の公式ご訪問も予定されていましたが、両国間には重苦しい歴史問題が横たわっていました。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。



 慶長5(1600)年、オランダ船リーフデ号がいまの大分県臼杵市に漂着した。それからちょうど400年を迎えた今年、各地で記念の行事が催されている。

 先月19日には臼杵市で大分県などが主催する「日蘭交流400年記念式典」が開かれ、オランダのアレキサンダー皇太子とともに御臨席になった皇太子殿下は、「本日、400年前のヤコブ・クワケルナック船長らの漂着と同じ日に、記念式典が開かれることは誠に意義深いことであります」とお言葉を述べられた。

 今月下旬には天皇皇后両陛下が同国を公式訪問されるが、友好親善どころか、「歴史と向き合う旅になりそうだ」と伝える新聞もある。

 2月にコック首相が来日したとき、小渕首相は「両国関係が損なわれた一時期があったが、戦後50年の村山談話の立場を再確認する」と語り、第2次世界大戦のオランダ領東インド(インドネシア)の「戦争被害者」問題について反省とお詫びの気持ちを伝えた。

 いったい両国間に何があったのか?


◇「歴史のトゲ」はインドネシア
◇ 苦難の日本軍強制収容所生活

 日本とオランダの「歴史のトゲ」は蘭印と呼ばれたインドネシアにある。

 慶応大学の倉沢愛子教授(インドネシア現代史)によると、オランダ東インド会社がバタビア(いまのジャカルタ)の町を建設したのは1619年、オランダの東洋での根拠地がこの町であった。

 東インド会社は交易を進めながら領域を拡大していったが、放漫経営のために1799年に倒産、その後の植民地支配はオランダ国家の手に移される。領地は拡大し、スマトラ、ボルネオ、セレベスなどの島々にまで及んだ。

 1941(昭和16)年12月8日、日・米英間に先端が開かれ、翌年2月にシンガポールが陥落、3月1日、日本軍がジャワ島に上陸した。

 電撃的攻撃で9日目にはオランダは降服する。慌ててオーストラリアに逃げた者もあったが、オランダ人20数万人の多くが取り残された。

 日本軍による占領統治が始まり、ジャワ島は陸軍第16軍の統治下に入った。

 やがて民間人への締め付けが厳しさを増し、すでに収容所に入れられていた元高級官吏や重要企業幹部など4492人の「敵性濃厚者」のほか、青年・壮年男子1万5252人の「居住制限者」は刑務所、学校、民家などに収用され、婦女子や少年、老人男性の「指定居住者」4万6784人は一定地区に生活することを義務づけられた。

 収容所の衛生状態、食糧状態は劣悪で、戦後のオランダの発表では、オランダ領東インド全体で13万5千人が捕虜もしくは抑留者となり、そのうち約2割に当たる2万7千人が死亡したとされる(ジャン・ラフ=オハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』の倉沢教授による「解説」から)

 7年前の夏、國學院、皇學館両大学の学生ら数人とバングラデシュのマングローブ植林に出かけた帰り、インドネシアに立ち寄った。

 スカルノ・ハッタ空港に到着後、日本の援助団体オイスカの人たちに案内されたのが、ボゴールの植物園である。オランダ総督府が置かれていたところで、総督邸が日本時代には軍司令部となり、いまは迎賓館として使われていると聞いた。

 翌日、ジャカルタで独立記念塔(モナス)を見学した。台座に設けられた大パノラマは48場面の独立史がテーマで、「インドネシア人が労務者として強制労働させられ、何千人もの死者を出した」とする日本時代のひとこまもあった。

 ジャワ島の伝説に、稲穂が黄色く稔るころ、北方から使者がやって来て、それまで自分たちを苦しめていた奴らを追い出す、という物語があり、日本軍が上陸してきたとき、「あれは日本軍のことだったのか」と囁き合ったと聞いたが、それから3年半の日本占領の記憶はインドネシア人にとってもけっして明るいものではない。

 戦後50年で出版された『日本軍強制収容所(ヤッペンカンプ) 心の旅 レオ・ゲレインセ自伝』の難波収氏による「訳者まえがき」によれば、蘭印の降服で9万3千の蘭印軍と約5千の米英豪軍が日本軍の捕虜となった。

 うち3万8千の蘭印軍の将兵と3千の海軍軍人の計4万1千人が捕虜として収容されたが、捕虜たちは飢餓、傷病、暴行などに苦しんだほか、道路、飛行場、鉄道などの建設作業に従事させられた。

 タイ─ビルマ間を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道の敷設に駆り出された連合軍捕虜の数は6万1千人で、そのうち1万6千あまりが死亡し、1万8千人のオランダ兵には3100人の犠牲者が出た。

 パカンバル鉄道建設では、オランダ兵とイギリス兵合わせて6593人が送り込まれたが、輸送船の沈没で1626人が死亡し、現地で696人が斃れた。ほかに1万7千人の労務者が命を失った。

 自伝を書いたゲレインセは「ガニ股野郎ども(日本人)」が進攻してきたとき14歳で、母親と妹とともに強制収容所に移され、飢えと暴行、強制労働で肉体的、精神的な死の苦しみを味わい、戦後、オランダ本国に引き揚げたあとも少年時代の忌まわしい記憶に苛まれ、失業や家庭崩壊を経験したという。

◇ オランダ人「慰安婦」の恐怖
◇ 「女の楽園」カンビリ抑留所

 前出の『ジャンの物語』はオランダ人「慰安婦」の手記だが、これによれば、1923年にジャワ島に生まれたジャンは日本軍のジャワ島侵攻後、母親や妹らといっしょにアンバラワ収容所に抑留され、そのあと44(昭和19)年2月から約2か月間、17歳以上のオランダ人女性35人とともに、スマラン日本軍慰安所の「慰安婦」であることを強いられた。

「これほどすさまじい苦しみがあろうとは思ってもいませんでした」とジャンは語る。

 倉沢教授によると、インドネシアでは当初、現に売春を営んでいる者のなかから、本人の自由意思に基づいて「慰安婦」が採用された。やがてオランダ人女性が目を付けられ、最初は希望者から採用されたが、ジャンたちは「強制的」に収容所から連れ出された。

 その後、1944年4月から抑留所の管理が州庁から軍に移管されたのに伴って、俘虜を「慰安婦」として強制した「国際法違反」が第16軍上層部に知られ、慰安所は閉鎖された。

 戦後の戦犯裁判では、スマランのオランダ人慰安婦問題に関して13人が起訴され、1名が死刑、10名が懲役刑となった。懲役刑を受けた10名には性病検査を担当した2名の軍医も含まれていた(『ジャンの物語』の「解説」)。

 日本軍の「罪状」の連続には気が滅入るが、ホッとさせられる物語も伝えられている。

「文藝春秋」昭和34年10月号に、「白い肌と黄色い隊長」と題する菊地政男の記事が掲載されている。弱冠27歳の山地正二等兵曹(海軍)が所長を務めるカンビリ抑留所の秘話である。

 抑留所には1800人の婦女子が収容されていたが、総督令嬢や知事夫人、市長夫人など反抗的、ヒステリックな女性たちは扱いづらかった。

 そのなかで山地はヨーストラ夫人というリーダー格の協力を得、抑留者の自治を認めて安心して生活できる抑留所づくりに努力する。新しい宿舎のほかに診療所や老人ホーム、教会や学校が建てられた。200台のミシンが導入され、農園も作られ、自給自足の体制ができあがる。

 衣服や靴、食器、鏡、石鹸なども支給され、抑留所は「女の楽園」の異名をとる、明るく秩序のある模範的存在として知られ、陸軍から見学者も訪れるほどだったが、民政部長の決裁で慰安婦の提供を求められたときには山地は頭を抱え込んだ。

 悩んだ末に、大河原長官に決死の直訴を試み、やがて慰安婦採用は不許可になる。

 終戦後、ヨーストラ夫人は「人間山地はわれわれか弱い婦女子をよく理解し、民族を超越した人間的な温かい愛情を注いでくれた」と感謝の言葉を捧げ、451名の抑留者は山地への感謝状に署名した。

 視察にやって来た連合国軍の調査団は「抑留所内に学校があるというのは連合国側にも見られない。感謝と敬意を表する」と山地に握手を求めた。

 のちに本国に帰国したヨーストラ夫人は「オランダ金鵄勲章」を授与され、また山地との交流も続いた、と菊地は書いている。


◇ 「親善を壊すようなことはして
◇ くれるな」と語られた昭和天皇

 インドネシアでの戦犯裁判では236名が死刑に処せられ、サンフランシスコ講和条約に基づいて日本政府は抑留民間人への補償金1千万ドルを支払った。

 にもかかわらず、オランダの日本に対する「戦争責任」の追及は止まない。

 昭和46年秋に昭和天皇が香淳皇后とともにヨーロッパを御訪問になったときには、オランダでは過激派の反対運動が激しく、水の入ったビンがお車に投げつけられるといった不祥事などが起き、オランダ政府は陳謝の意を表明した。

 平成の時代になってからは新たな個人賠償訴訟が持ち上がった。ジャワ島スマランのオランダ人慰安婦事件が一般に知られるようになったのは、平成4年夏の朝日新聞の報道がきっかけという。

 補償事業を進めている「アジア女性基金」が一昨年の夏、オランダでの事業を開始したほか、当時の橋本首相はお詫びの親書をコック首相宛に送った。

 しかしこの一方で、オランダ人の中に、日本批判ではなく、オランダ自身の植民地支配を反省しようという気運が生まれている。

 オランダ領東インドに生まれ、抑留経験を持つ、オランダの著名な評論家ルディ・カウスブルックは、『西欧の植民地喪失と日本』(原著の『オランダ領東インド抑留所シンドローム』はオランダでベストセラーになった)で、「背が低くて黄色い曲がり足のサル」という日本人像がオランダでは戦時中ならいざ知らず、いまも信じられている。植民地を奪われた挙げ句に捕虜となった遺恨のままに造り上げたステロタイプのイメージから一歩も出ようとしない、とオランダ人に自省を求めるのである。

 オランダ人は横柄に日本人に謝罪を求め、日本人が謝罪すると、「謝るそぶりだけ」と拒絶する。日本人の誠意を受け入れないのは日本人に対する恨み、闇雲な遺恨だ、とカウスブルックは指摘している。

 しかし偏見なら日本側にもある。オランダ人「慰安婦」が「白馬」と呼ばれたのは、白人に対する民族的優越感御市区はコンプレックスのなせる技であろう。

 それにしても、あってはならない戦争が残したあまりにも深い傷を癒し、人種的偏見や恩讐を超えて、両国の新の和解、融和を図るにはどうすればいいのか?

 昭和46年10月15日付の朝日新聞は、昭和天皇御訪欧に随行した宇佐美宮内庁長官の帰国会見の言葉をこう伝えている。

「オランダなどでの反対運動については、陛下には前もって情勢を申し上げていたので、十分承知されておられた。……陛下は、国民の親善を壊すようなことはしてくれるな、とだけいわれたし、反対運動をして実際に捕まった者に対しては穏便に取りはからって欲しいと伝えた」

 昭和天皇にとって50年ぶりの御訪欧は、変わりやすいヨーロッパの秋空がウソのように晴れたと伝えられる。まさに「天皇晴れ」。そして「皇后スマイル」はわだかまりの消えないヨーロッパ人の心を洗ったという。

 今回はどうであろうか?
タグ:慰安婦問題

ああ、民主主義国家アメリカ [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月27日水曜日)からの転載です


 アメリカ下院外交委員会が慰安婦問題に関する対日非難決議案を、原案を一部修正した上で、圧倒的多数で採択しました。

 原案より穏やかな修正案を提出したのは、外交委員会のラントス委員長(民主党)とロスレイティアン筆頭理事(共和党)ですが、そのラントス委員長がコメントを発表しています。
http://foreignaffairs.house.gov/press_display.asp?id=379

 ラントス委員長は、対日批判決議案を提出したホンダ議員と同じカリフォルニア州の選出です。ハンガリーのブダペストの生まれで、ナチスによる支配下でレジスタンス運動に参加し、ホロコーストの唯一の生き残りといわれます。
http://lantos.house.gov/HoR/CA12/About+Tom/

 その経歴から委員長は当然、歴史問題に対する高い関心を持っているはずで、しかも穏やかな修正案の提出は優れたバランス感覚の証左でもあるのでしょう。しかし、それでもなお正しい歴史理解にまではなお隔たりがあることは、

「日本政府が公式の謝罪を拒否している」
「戦後のドイツは正しい選択をしたが、日本は積極的に歴史の記憶喪失を促進した」

 とつづる、委員長自身のコメントが明らかにしています。

 日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史の事実でしょう。戦地で働くからには軍の関与も当然です。しかし、当時は売買春は合法でした。類似の制度はドイツやイタリア、アメリカ、イギリス、ソ連などにもあったことが知られており、日本をことさら犯罪的と断じることはできません。

 慰安婦と将兵との心情的交流や恋愛話はしばしば元慰安婦自身が伝えています。たとえば、以前、あるテレビ番組で、ミッちゃんと呼ばれていた元韓国人慰安婦が、こんな思い出話を語っていました。

 ミッちゃんには明良(あきら)という名前の相思相愛の戦闘機乗りがいました。けれども甘い日々は長くは続きません。とうとう別れの日がやってきました。

「ミッちゃん、行ってまいります」。

 直立して敬礼する青年はそれっきり帰ってきませんでした。ミッちゃんの右の二の腕で、その日本兵の名前が深いシワに埋もれています。

「わたし、靖国神社に行きたいよ」。

 ミッちゃんはしんみりとカメラに向かって語るのでした。

 兵士と慰安婦の間には連帯感さえあり、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。朝鮮および朝鮮人は大東亜戦争をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様です。慰安婦出身の女兵伝説すらあるといいます。けっして「性の奴隷」ではありません。

 オランダが植民地支配していたインドネシアでは、日本軍が占領したあと、収容所にいたオランダ人女性が慰安婦としてむりやり狩り出されたという国際法違反事件がありましたが、責任者たちは日本の降伏のあと、戦犯として裁かれました(ジャン・ラフ=オハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』の倉沢愛子教授による「解説」)。

 一方、朝鮮人慰安婦については本人の証言以外、「強制」を裏付ける証拠は聞きません。しかも、個人補償問題は国交正常化によって日韓間では解決済みです。日本が補償を拒んだ事実もありません。正常化交渉で日本は個人補償を繰り返し提案しましたが、韓国政府が同意しなかったのです(高崎宗司『検証・日韓会談』岩波新書)。

 日本が謝罪していないわけでもありません。宮沢首相も村山首相もお詫びを述べています。安倍首相も、「官憲による強制連行」を事実として認めた河野談話を踏襲し、今春の訪米の際に

「心から申し訳ない」と謝罪しました。

 ラントス委員長は

「歴史を歪めている」

 と日本を批判していますが、ほんとうに歴史を歪めているのは誰なのでしょう。

 アメリカは良くも悪しくも民主主義の国であり、アメリカでは錦の御旗は世論であって、ときに集団ヒステリー状態になり、衆愚政治におちいる危険がつねにあります。

 大量破壊兵器がある、という妄想にとらわれて、アメリカがフセインのイラクを攻撃したのは4年前でした。当時の世論調査によると、ブッシュ大統領の最後通告直後、アメリカ国民の66%が24時間以内にフセイン大統領が国外退去しない場合の開戦を支持し、開戦直後の段階では国民の4人に1人が対イラク攻撃に賛成していました。

 しかし結局、大量破壊兵器は見つかりませんでした。独裁政権は倒れましたが、平和回復の兆しは遠く、アメリカの若者の犠牲は増えるばかりです。

 事実は何か、を突き詰めず、一方的な情報に踊らされ、耳に心地よい正義を振り回すのはアメリカ民主主義の危うさです。対日批判決議は本会議でも可決される見通しと伝えられますが、こうしたアメリカとどううまく同盟関係を維持していくのか、日本はよく考える必要があるでしょう。

 歴史を振り返れば、二十世紀の日米戦争前夜、両国の経済関係は緊密でした。

 当時のアメリカは人口が本国1億3000万、属領1900万人。「世界一の持てる国」で、綿花、小麦、トウモロコシ、牛豚、牛乳、バター、石油、石炭、鉄、銅、亜鉛、鉛の生産は世界一を誇っていました。第一次大戦後、英国をしのいで世界経済の中心地となり、世界の金の80%を保有し、GNPは日本のじつに8倍。

 対日貿易は輸入が6億4000万円、輸出が10億円(昭和14年)で、日本はイギリス、カナダに次ぐ第三の貿易相手国でした(昭和17年「朝日年鑑」など)。

 アメリカ人の対日観もけっして悪いものではありません。サイデンステッカー・コロンビア大学名誉教授によれば、大正末期の排日法もカリフォルニア・ロビーの議会工作がなければ成立しなかったといいます。日本に関心を示していたのは西海岸に限られていたのでした(「アメリカ人は日本をどう見てきたか」=『日米の昭和』アステイオン、ディダラス国際共同編集、TBSブリタニカ、1990年)。

 ラントス委員長は

「日本は明らかに、アジアでもっとも偉大な友人であり、世界でもっとも親密なパートナーの一国である」

 と述べていますが、ひとたび歯車がかみ合わなくなったとき、両国にとって悲惨な悪夢が再来しないとは限りません。かつてもそうだったように、日米の離反を望み、謀略を練る国もあるのですから。
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告白の文化と禊祓の文化 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月7日月曜日)からの転載です


 私小説作家でもエッセイストでもないので、個人的なことや、主観的なことは書くまいと心に決めているのですが、今回のタイトルにあやかって少しだけ「告白」しますと、家人が思わぬ事故に遭い、緊急入院、手術という慌ただしい日々が続き、このブログ(メルマガ)もすっかり間が空いてしまいました。幸い軽傷で済みましたが、私も家族も仕事と生活のリズムが取り戻せないままでいます。

 そんなこんなで古い話になってしまいましたが、とても気になることなので、あえて取り上げることにします。それは産経新聞の古森義久論説委員が先月、日経BPネットに書いた「国が謝るとき」と題するエッセイです。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/47/

 エッセイのテーマは、アメリカ下院で審議されている日本に謝罪を求める慰安婦決議案で、主権国家が対外的に謝罪するという行為は基本的にどのような意味を持つのか、と問いかけています。

 古森さんによると、国家が謝罪を表明するというのは意外と珍しいのですが、ハーバード大学のマーサ・ミノー教授によれば、1980年代から90年代にかけて、かなり変わってきたといいます。レーガン大統領も先代のブッシュ大統領も日系アメリカ人の戦時中の集団収容に謝罪しました。クリントン大統領はアメリカのハワイ武力制圧を謝りました。この背景には、民主主義の深化と拡大、マスコミュニケーションの発達があるといいます。

 しかしそれでもなお現代の主権国家はそう簡単には謝りません。対外的な謝罪となるとなおさらで、それはウェスリアン大学のアシュラフ・ラシュディ教授によると

「対外的な謝罪は無意味に終わる場合が多いからだ」

 と指摘しています。

「謝罪は相手の許しを前提とするため、その謝罪のそもそもの原因となった行為の真の責任を曖昧にするマイナスの効果もある」

『第二次大戦への日本の謝罪』を書いた日本研究者ジェーン・ヤマザキは、日本が1965年の日韓国交正常化以来、国家レベルで表明してきた各種の謝罪の内容をすべてすくい上げ、紹介し、

「主権国家が過去の自国の間違いや悪事をこれほどに認め、対外的に謝ることは国際的にみて、きわめて珍しい」

 と指摘したうえで、日本の謝罪努力は「失敗」と断じているそうです。

「謝罪が成功するには、謝罪の受け手がそれを受け入れる用意があることが不可欠なのに、中国や韓国の側にはそもそも日本の謝罪を受け入れる意思がなく、歴史問題で日本と和解する意図もないといえる」

 だとすれば、中国系の反日団体の後押しを受けているといわれるホンダ議員の謝罪要求は何を目的としているのか、日本の安易な謝罪が何をもたらすことになるのか、改めて考える必要があります。その場合、見落としてはならないのは、やはり「謝罪」が意味する文化の違いなのでしょう。

 キリスト教文化圏では、どんな罪でも「告白」し、悔い改めれば、赦される、と信じられています。いわゆる「赦しの秘跡」です。

 前ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世などは、西暦2000年春に「赦しを願うミサ」を行い、過去二千年にわたる教会の過ちを認め、神に赦しを求めています。この教皇の懺悔(ざんげ)をマスコミは「史上初めて」と伝えましたが、文化史家・竹下節子さんの『ローマ法王』によると、教皇は

「公式の文章で何と94回もカトリック教会の非を認めている」

 といいます。バチカンはふつうの国家とは違って物質的な賠償問題から自由で、そのため教皇は

「いとも簡単に謝罪してしまう」。

 そして「侮られないどころか、尊敬される」と、竹下さんは指摘しています。

 何度お詫びをしても、受け入れられず、「謝罪していない」と批判される日本とは何という違いでしょうか。いったい何が違うのか。まずは著名なキリスト者の声に耳を傾けてみます。

 戦時中のキリスト教徒の受難と闘いの代表例として矢内原忠雄・東京帝国大学教授があげられます。雑誌論文などが「反戦的」と攻撃されて、大学を追われました。命の危険まではなかったようですが、個人通信はしばしば発禁処分を受けました。

 その矢内原が戦後の第一声で「日本精神への反省」を講演しています(『矢内原忠雄全集19』)。

 講演の大半は本居宣長批判で、日本人には絶対神、人格神の概念がない。日本精神を反省し、立派なものに仕上げるにはキリスト教を受け入れよ、と訴えたのでしたが、注目されるのはとくに惟神(かんながら)の道の特色として清浄の観念を取り上げ、大祓(おおはらい)について説明し、批判していることです。

 ──罪穢れを6月と12月の年2回、定期的に祓い清めるのが大祓で、その罪穢れは神々によって海に運ばれ、飲み込まれ、根の国底の国に気吹(いぶ)き放たれ、さすらい捨てられる。罪という罪が水に流されるのだ。穢れを忌んで清浄を愛するのは長所であるが、罪の処分を簡単に無造作にしてしまうのは短所で、解決が浅い。

 日本の神道的罪穢れ観とキリスト教的視点から比較し批判していることでは興味深いのですが、日本人は罪の観念が浅い、と断定する矢内原教授の理解の浅さにむしろ驚かされます。論理的に考えれば、逆に

「告白すれば神に赦される」

 と考えるキリスト教の鼻持ちならない傲慢さを指摘することも可能だからです。どちらが優れているということではなく、その違いを理解することが必要です。それなら神道では罪穢れをどう考えるのか。

 葦津珍彦という人物がいます。戦後唯一の神道思想家といわれますが、矢内原教授が大学を追われたころ、東条内閣の思想言論統制に抵抗し、矢内原とは違って、しばしば命までも脅かされたといわれます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/war/H1002asahi.html

 その葦津は、人間は誰でも神聖なるもの、高貴なるものを求めている、といいます。それは人間が罪と穢れから離れがたい存在だということを知っているからだ。人間は罪穢れを祓い、神聖に近付きたいと願っている、というのです。

 しかし祓っても祓っても、罪穢れ、過ちを犯してしまうのが人間です。よかれと思ってした行為が、願わざる結果に終わることもあります。だからこそ、さらにまた禊ぎ祓うのです。

 それは現人神(あらひとがみ)ともいわれる天皇でさえ、いやむしろ天皇であればなおのこと、国家第一の祭り主として、「国平らかに、民安かれ」と祈る絶対無私のお務めを深く認識されるがゆえに、罪や過ちのないことを期して厳重に潔斎し、日々の祭りをお務めになるのでしょう。

 禊祓いを単なる形式と見るような矢内原の批判はまったくの的外れです。

 告白の文化であれ、禊祓の文化であれ、その文化を共有していない者同士の場合、それぞれの謝罪は相手に通じません。それぞれの主権国家が国益を主張し合う国際社会ならなおのことで、事実、「悔悛の世界化」が進む現代、アルメニア人を虐殺したオスマン・トルコと日本だけが「悔悛」を拒否している、と批判する政治学者もいるほどです。まして、前近代的な中華思想の発想から日本に謝罪を迫る国の存在はじつに厄介です。

 それなら日本はどうすればいいのか、葦津珍彦は、戦後日本の「謝罪外交」を批判し、こう主張しています。

 ──戦争に敗れた日本人が卑屈な低姿勢で「陳謝」するのは、相手の軽蔑を招くだけである。日本は過去を陳謝するより弁明すべきだ。過去の日本に非がなかった、と強弁するつもりはないし、重苦しい過去の重圧を十分、感じているが、それは二倍にも三倍にも増幅されて、全世界の前で糾弾、断罪されてきた。これ以上、追認するのは無意味であり、愚かだ(『アジアに架ける橋』)。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1104ashizu.html

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今度はアメリカ政府を追及するマイク・ホンダ議員 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月6日日曜日)からの転載です


 AP通信によると、慰安婦問題の

「責任を認めよ」
「謝罪せよ」

 と日本に迫るアメリカのマイク・ホンダ下院議員が、今度はというべきか、今ごろというべきか、アメリカが日本占領中にアメリカ兵のために設置した売春宿について調査するよう議会調査局に要求しているようです。
http://www.iht.com/articles/ap/2007/05/04/america/NA-GEN-US-Japan-Comfort-Women.php

 記事によると、ホンダ議員は、日本による慰安婦とアメリカによる売春宿との比較を拒否し、日本の慰安婦は政府と軍が準備し、女性たちを強制連行したのであり、アメリカとは異なると主張するのですが、AP通信の調べでは、女性たちに対する強制の内部報告があったにもかかわらず、アメリカ当局が営業許可を与えていたことを明らかにする文書もあるようです。

 秦郁彦教授の『慰安婦と戦場の性』によると、アメリカ軍の進駐を前にして、日本政府は「良家の子女」を守るため、「性の防波堤」として「特殊慰安施設協会」をつくり、女性たちを募集しています。

 読売新聞のデータベースで調べてみると、昭和20年9月3日づけ二面に、「急告 特別女子従業員募集 衣食住および高級支給 前借りにも応ず 地方よりの応募者には旅費支給す 特殊慰安施設協会」という広告が載っています。

 秦教授の著書によると、ピーク時には7万人、半年後の閉鎖時には55,000人の慰安婦がいて、一人が一日で15〜60人のアメリカ兵の相手をさせられたといいます。それでも、1000万人餓死説が出るほどの時代でしたから、食うや食わずの戦争未亡人や素人女性がどっと押し寄せたといわれます。

 AP通信によると、ホンダ議員の支持者たちは今度はアメリカ政府に謝罪を要求しているそうです。ちょうど戦争中、日系人を収容所送りしたことをレーガン大統領が謝罪したようにです。議員はいったい何をしたいのでしょう。日米間の課題はもっとほかにあるでしょうに。

 ついでながら、読売新聞の戦前の記事を検索すると、慰安婦に関する記事が2本見つかりました。

 一つは、昭和7年1月18日夕刊7面の

「娘子軍大挙して錦城入城、まず150名、なお続々と。戦乱のあとに時ならぬ春風」

 という電通電で、一番輸送を待ってましたとばかりに内鮮人の女性がどっと乗り込んできたので、憲兵隊が城内外での開業を許可した、と書かれています。

 もう一本は、15年1月5日づけ朝刊二面に載っている読者の投稿です。

「職工という呼び方は侮蔑的だから、工員と言い換えたらどうか、という意見があるが、大事なのは人間としての中身だ」

 という主張のなかで、「雑誌で読んだ話」として、かなりいい条件で慰安婦を募集する新聞の求人広告につられて、応募した娘さんが働き先の北支に着いたあと、どんな仕事をするのか、と思っていたら、何と売春だと知って驚いた、という話が載っています。

 つらい体験だとすれば心からの同情を禁じ得ませんが、いずれの記事もホンダ議員の正義感あふれる「謝罪要求」とはずいぶん次元が異なる印象が否めません。それでも謝罪を要求しないといけないなら、ホンダ議員はあらゆる国に対して要求を突き付けなければならなくなりそうです。同様の制度はドイツやイタリア、イギリス、ソ連などにもあったことが知られているようですから。
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中国による対米工作の憂鬱 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月24日土曜日)からの転載です


 アメリカ下院での慰安婦対日非難決議案の採決が当初、いわれていた今月中ではなく、5月になる見通しと伝えられています。4月下旬に予定される安倍首相の訪米が、いよいよもって反日デモの高まりに迎えられる可能性が指摘されています。

 ここで思い起こされるのは2つの歴史です。1つは十数年前、猛烈な反日デモに迎えられた宮沢首相の訪韓、もう1つは70年前の蒋介石による日米開戦に向けた対米工作です。

 平成4年1月、朝日新聞は、ある大学教授が慰安婦問題に日本軍が関与していたことを示す「資料」を「発見」したとする「特ダネ」を載せました。資料は関係者の間ではよく知られていたもので、「発見」ではありません。しかも内容は、官憲による「強制連行」を裏付けるものではなく、業者によるトラブルを軍・警察がやめさせようと指示するもので、完全な誤報といわれます。

 しかし、一面トップの「スクープ」は大反響を呼び、韓国マスコミは反日をあおり、宮沢首相は抗議デモが荒れ狂う韓国で「謝罪」を迫られました。首相訪韓は以前から予定され、北朝鮮の核武装や南北統一問題を協議するはずでしたが、本題はすっかりかすんでしまいました。

 日韓が連携するアジア外交の完全な失敗で、誰が漁夫の利を得たのかは明らかです。今日、北朝鮮の核問題がこれほど憂慮されていることからすれば、このときの外交の失敗が返す返すも悔やまれます。

 朝日新聞の「スクープ」記事は宮澤訪韓に合わせたものといわれ、当然、「社会の公器」としての責任を追及する声もありますが、今回のアメリカ下院の慰安婦決議も安倍訪米に焦点を合わせ、指摘されているように、外部勢力が政治工作を行っている点で類似性が見られます。震源は同じなのではないかと疑わせるほどです。目的は日米関係の離反でしょうか。

 となれば、思い起こされるのは日米開戦の歴史です。当時、けっして関係が悪くはなかった両国が、なぜ戦争しなければならなかったのでしょうか。

 昭和17年の「朝日年鑑」によると、当時のアメリカは、人口が本国1億3000万人、属領1900万人でした。「世界一の持てる国」で、農産物、エネルギー資源の多くは生産量世界一を誇っていました。

 第一次大戦後、イギリスをしのいで世界経済の中心地となり、世界の金(gold)のじつに80%を保有し、GNPは日本の8倍。対日貿易は輸入が6億4000万円、輸出が10億円(昭和14年)で、日本はイギリス、カナダに次ぐ第三の貿易相手国で、経済関係は親密でした。

 当時のアメリカ人は日本人をどう見ていたのでしょう。面白いことに、サイデンステッカー・コロンビア大学名誉教授は、日本人のアメリカ観が均一的なのに対して、アメリカ人の日本観は

「漠然として取り止めがない」

 と評しています。

 アメリカが排日移民法を成立させ、その発効の日に日本全国で前代未聞の反米デモが繰り広げられたのは1924年ですが、当時のアメリカの対日観はそれほど明確ではなく、日本に関心を示していたのは西海岸に限られていました。排日法にしてもカリフォルニア・ロビーの議会工作がなければ成立しなかったのです。

 日米関係が急速に悪化したのは、反日的な政治工作、世論工作があり、功を奏したからということになります。事実、アメリカが日中戦争に介入していった背後には

「夷をもって夷を制す」

 という蒋介石のたくみな工作がありました。

 日中戦争で劣勢に立つ蒋介石は宋美齢夫人の長兄、キリスト者でハーバード大学卒の親米派・宋子文をワシントンに派遣して、援助獲得交渉に乗り出しました。宗美齢夫人も流暢な英語でアメリカ議会をはじめ、各地で中国の窮状を訴え、アメリカの孤立主義的世論を中国支援へと変えたことが知られています。

 真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルトは

「汚辱の日を忘れるな」

 と演説しましたが、その日、重慶ではまるで大勝利を手にしたかのような歓声が沸き上がりました。蒋介石には、アメリカの対日戦参加は日本の敗北を意味したからです(臼井勝美『日中戦争』など)。

 今回のアメリカ下院の決議案に対して、日本政府が大物ロビーを雇って決議案阻止に動いている、という批判がされていますが、実態は逆であって、中国のアメリカに対する政治工作が長期的に継続的に行われています。日本の外交は明らかに後手に回っています。

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また曲がってしまった慰安婦問題 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月18日日曜日)からの転載です


 慰安婦問題に関する河野談話(平成5年8月)に関して、日本政府は先週の金曜日、

「軍などによる強制連行を直接示すような資料は見当たらなかった」

 とする答弁書を閣議決定しましたが、これに対して、案の定というべきか、韓国政府が

「歴史の誤魔化し」

 と強く反発しています。しかし、韓国政府の反発の中身をみると、またしても議論のすれ違い現象が起きているようです。

 まず、Korea.netにもの悲しい写真付きで載っている韓国政府の遺憾表明(昨日付)をみてみましょう。
http://www.korea.net/news/news/newsview.asp?serial_no=20070317009

 ──韓国は土曜日、軍も官憲も女性たちに強要しなかった、という日本の発表に強い遺憾の意を表明した。
 日本政府は、慰安所設置に果たした政府の役割を1933年に謝罪したのを否定した。
 朝鮮人など20万人の女性が慰安所で働くことを強制された、と歴史家はいっている。
 
 ここには重大な事実誤認があります。

 第一は、日本政府の答弁書は、社民党の辻元議員の質問書に対するものであり、広く「発表」するという性質のものではないでしょう。それを「発表」と理解した根拠はどこにあるのでしょうか。衆議院のホームページにも質問主意書、答弁書いずれも、いまだ掲載されていません。どんな情報の「発表」に基づく批判、反発なのでしょうか。誰かが「発表」したのでしょうか。

 何年か前、検定中の日本の教科書について、韓国政府がその中身について批判したことがありました。検定作業中で、原稿が公開されていない教科書の中身を批判することは非公開段階の日本政府の情報を入手し、その了解もなしに勝手に公にするという友好国としての国際的信義に反する行為を韓国政府が行ったことになりますが、今回も同様の構図なのでしょうか。

 答弁書は辻元議員のホームページには載っています。日本のメディアなどがアウトラインを報道していますが、韓国政府は何らかの方法で答弁書を入手し、正しく読んだうえで、「遺憾の意」を表明しているのでしょうか。

 答弁書を入手せずに、読まずに、反発しているのなら、主権国家としてあまりに軽々しい行動といわざるを得ませんが、逆に、答弁書を入手したうえでの反発なら、これもまた問題です。韓国の反発は答弁書の中身を正しく理解しているようには見えないからです。

 日本政府の答弁書は、河野談話の段階に時間をもどして、当時の調査において、

「強制連行を示す資料が見当たらなかった」

 ことについて、あらためて確認したまでのことです。それがどうして、河野談話を否定した、という解釈になるのでしょうか。答弁書には否定どころか、

「歴代の内閣が継承している」

 と明記されています。

 辻元議員の質問書にある「強制性」とは、軍・官憲による強制連行があったか否か、ですが、韓国政府は、慰安所で働くことを軍などが「強要した」という話にねじ曲げ、さらには根拠があるとも思えない20万人説を持ち出しています。これでは話し合いは成り立ちません。

 かつて慰安婦が存在したのは事実だし、慰安所の設置・管理に軍が行政的に関わるのは当然でしょう。しかし、「人間の尊厳」という大仰な正義を持ち出して、日本を非難する資格が韓国にあるのでしょうか。戦後の韓国で駐留アメリカ軍向けの将兵慰安総合遊興村が運営され、ベトナム戦争時には韓国軍直轄の慰安婦が組織されたことが知られているではありませんか。

タグ:慰安婦問題
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慰安婦答弁書に韓国メディアが過剰反応 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月17日土曜日)からの転載です


 政府はきのうの閣議で、慰安婦問題に関する河野談話に関して、

「軍などによる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」

 とする政府答弁書を閣議決定しました。

 答弁書は、社民党の辻元議員が提出した、安倍首相の慰安婦問題に関する質問主意書(3月8日付)に対するもので、答弁書はまだ衆議院のホームページにも載っていませんが、同議員のサイトに質問主意書と答弁書の両方が載っています。
 http://www.kiyomi.gr.jp/kokkai/inquiry/01_q/20070308-1200.html
 http://www.kiyomi.gr.jp/kokkai/inquiry/02_a/20070316-1214.html

 辻元氏の質問は大きく4つあります。

1、安倍首相の発言について、
2、アメリカ下院での発言について、
3、河野談話について、
4、中曽根回顧録について、

 の4つで、とりわけ1では「官憲による強制連行」について、質問が並んでいます。

 これに対して、答弁書は、この強制連行に関して、政府は河野談話に先立って、平成3年12月から5年8月まで資料と聞き取りによる調査を行ったが、軍・官憲による強制連行を直接示す資料はなかった、その詳細については河野談話と同じ日に公表されている、と答えています。

 河野談話が出された当時の状況をそのまま答弁したという内容ですが、案の定、早くも韓国のメディアが過剰反応を見せています。

 朝鮮日報は、日本の共同通信の報道をほぼそのまま伝えるかたちですが、「狭義の強制性を裏付ける証拠がないのは事実」という安倍発言を追認したかたちで、韓国など被害当事国からの反発がさらに強まる見通しだ、と伝えています。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/17/20070317000010.html

 曲解もはなはだしいのは、中央日報で、日本政府は河野談話が認めた強制性を否認する公式の立場を決めた、と報道しています。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=85584&servcode=200§code=200

 たしかに河野談話は、慰安婦の募集について、官憲などが直接これに荷担したこともあった、と述べています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/

 しかしこれは朝鮮人慰安婦ではなく、インドネシアでの戦争犯罪に関するもので、この場合は関係者は戦争裁判で死刑をふくむ処罰を受けています。

 また、政府の答弁書は、慰安婦に対してお詫びと反省の気持ちを申し述べた河野談話の継承を表明しているのであり、中央日報が伝えるような「河野談話が認めた強制性を否認」したわけではありません。

 客観的事実よりもあらまほしき幻影を追い続けるのが韓国メディアの悲しいサガなのでしょうが、内容の如何に関わらず、このような答弁書が出されれば、過剰反応は目に見えています。とすれば、むしろ日本政府に、内外に曲解を拡大させる悪循環を断ち切るようなきちんとした対内、対外広報戦略が求められるのではないのでしょうか。

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アメリカ下院、慰安婦追及に中国のカゲ [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月15日木曜日)からの転載です


 アメリカ下院では、慰安婦問題を追及し、日本政府に公式謝罪を要求する決議案の審議が続いているようですが、案の定というべきか、驚くべきニュースが飛び込んできました。

 産経の古森記者によると、この決議案を提出したマイク・ホンダ議員は、中国系団体の政治献金に異様なほど依存しているというのです。献金者には中国当局に連なる在米反日団体の幹部たちがおり、ホンダ議員の日本の「戦争責任」追及にはこれら中国系団体との連携があったことは明らかだ、と古森記者は書いています。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070315/usa070315001.htm

 日本の泥縄式のロビーイング活動など足元にも及ばない政治工作が長期的、継続的に、組織的に行われている一例なのでしょう。心憎いのは、ほかでもない下院で1人しかいない日系議員に目をつけたことです。

 ホンダ議員は1941年、カリフォルニア州生まれ。幼少期を収容所で送ったと伝えられます。人権問題に精力的に関わってきたはずなのに、中国の人権問題に関しては及び腰といわれます。選挙区の住民は3割が中国系、韓国系などアジア系だといいます。

 ホンダ議員のホームページには慰安婦問題に関する議会での演説が載っていますが、その内容は慰安婦20万人説を主張するなど一方的といえます。
http://www.house.gov/list/press/ca15_honda/comfortwomentestimony.html

 韓国側の主張を完全に受け入れる半面で、日本側の反論に耳を貸さず、日本人の支持を失ったといわれ、そうなればなおのこと、中国、韓国系の支持を固めるために、日本への批判を強めていったことは想像に難くありません。現地からの情報によると、日系人はほとんど近寄らないといいます。

 ホンダ議員は韓国メディアの取材に応じ、日本側の反対の動きについて、

「日本が名誉な評価を受ける国になることを心より願う」

 と語ったと伝えられていますが、同じ州に住んでいるわけでもない外国の政治勢力に乗せられ、誤った事実関係をもとに、祖先の生まれた国をおとしめようとする行為は、「名誉」なことなのでしょうか。

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日本軍の「後ろめたさ」が生んだ慰安婦 [慰安婦問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月8日木曜日)からの転載です


 アメリカ下院では日系のホンダ議員が提出した慰安婦決議案の審議が続いていますが、これに対して安倍首相が

「決議があっても、われわれが謝罪することはない」

 と国会で語ったことが内外に波紋を呼んでいます。

 そんな折り、慰安婦問題を深く考えさせてくれる批判的なリポートを知人が送ってくれました。藤永壮・大阪産業大学教授の「植民地公娼制度と日本軍『慰安婦』制度」です。

 藤永教授は、朝鮮半島の近現代史が専門で、慰安婦に関する著書が何冊かあります。ここに取り上げるリポートは、文科省の科学研究費の補助を受けて、京都大学の水野直樹教授らのグループが朝鮮・台湾の植民地支配制度を総合的に研究するプロジェクトの一環としてまとめられたもので、早川紀代『戦争暴力と女性3 植民地と戦争責任』(吉川弘文館、2005年)にも収められています。

 藤永教授がこのリポートで、くり返し強調するのは「欺瞞性」です。

 まず用語の欺瞞性です。

 ──本質は「軍用性奴隷」であったのに、公文書では「慰安所」、あるいは「酌婦」「特殊婦女」などと呼ばれた。将兵の性欲処理施設に過ぎないことに対する日本軍当局の後ろめたさが生んだ欺瞞的用語である。この欺瞞性は軍独自の発想というよりも、帝国日本の性管理システムに共通していた。
 明治初年に、「娼妓解放令」で人身売買の禁止を宣言しておきながら、その後、「売買春」自体は禁止されていない、と解釈され、みずからの意思で「売春」を行う女性が行政の鑑札を受け、同様に鑑札を受けた貸座敷業者が場所を提供する、という欺瞞的な理屈が組み立てられた。

 藤永教授が指摘する欺瞞性とは何でしょうか。なぜ軍は後ろめたさを感じたのでしょう。

 藤永教授はこう説明します。公娼制度が社会の倫理意識に反している。反文明的である、と自覚し、批判的な考えが政府の内部にあった。反倫理性、反文明性を日本国家が自覚していた。反文明が欧米諸国に察知される可能性がある場合には、「娼妓」という言葉が積極的に避けられ、用語の言い換えが行われた、というのです。

 ──日露戦争中、欧米人が多数居住するソウルなどでは、「国家の体面」に配慮し、禁止する建前をとられた。日本人私娼が押し寄せてくると、日本領事館はその取り締まりのため、「第二種料理店」と「抱芸妓」という内地の制度を簡略化した公娼制度を導入した。それでも欧米人の目を気にして、「貸座敷」「娼妓」という用語を避けた。この「言い換え」の手法」は満州、上海でも共通している。
 こうした「言い換え」が頻繁に行われたのは、欧米諸国に対して「国家の体面」を配慮した結果であり、日本の行政が公娼制度の反倫理性・反文明性を熟知していたことを意味する。「慰安婦」という用語は欺瞞性の最終形態で、その本質が何であるかを日本軍自身が自覚していたことの証明である。
 第一次大戦を契機に、朝鮮人接客業者が帝国内を移動するようになり、ネットワークができた。十五年戦争期になると、性管理システムは「慰安婦」動員の装置となった。満州では日本人官僚が朝鮮人女性を「慰安婦」として積極活用するよう指示していた。日本国家は朝鮮人接客婦を「慰安婦」に仕立てていった。朝鮮人接客婦はしばしば暴力的手段で売買された。

 このように藤永教授は論理を展開しています。

 具体的な行政資料をもとにした研究リポートは説得力がありますが、よく分からないのは、欺瞞的用語の言い換えおよびシステムの原因である「後ろめたさ」の本質です。藤永教授は、欧米に対する国家の体面と説明していますが、官僚たちはなぜ体面を気にしたのでしょうか。

 私は二つのことを考えます。ひとつは、そもそも「秘め事」であり、日本人的な感覚で、インテリならなおのこと、直截的な表現が嫌われること。もう一つは、欧米に対する体面というよりも、まさに欧米的な倫理観、つまり性を忌避するキリスト教的倫理観の影響です。近代国家を目指す近代の日本は欧風文化を積極的に導入し、そのことがさまざまな伝統文化とのきしみを生み出しました。その事例のひとつと見ることはできないのでしょうか。

 もともと日本の性観念には古来、キリスト教倫理観とは異質の大らかさがあるはずです。男女の結びつきによって新たな命が生まれる。「むすひ」こそ命の根源だという考え方です。

 たとえば、千葉大学の江守五夫名誉教授は、日本にはルーツの異なる二つの婚姻形態がある、といいます(『婚姻の民俗』)。ひとつは南方系の一時的訪婚、もうひとつは北方系の嫁入婚です。前者は結婚相手の選択がヨバイなど男女の自由な交遊を通して行われ、後者は男女七歳にして席を同じうせず、結婚相手は家長が決します。

 注目したいのはもちろん一時的訪婚です。江守教授は、じつに興味深い同じ民俗学者の瀬川清子・大妻女子大学教授の研究を紹介しています。長崎の五島で、ヨバイに用いられる寝宿をよそ者が侵入するという事件があり、娘宿が廃止されることになりました。別れの会の席で、娘たちは小学校長に食ってかかったそうです。

「娘宿がなくなったら、ヨバイの機会が失われ、結婚相手が見つけられない」。

 結局、一年後に娘宿は復活したというのです。

 欧米の文明的倫理観念とは異質の性の観念がここにはあります。江守教授は、こうしたヨバイの習俗は明治年間まで実際に求愛、求婚の機能を果たしていた、と指摘しますが、それは言い換えれば、南方系の一時的訪婚が明治以降、急速に廃れていったということを意味します。理由として容易に想像がつくのは、キリスト教倫理観の影響でしょう。明治の欧風化によって、日本人の性の観念がピューリタン的なものにゆがめられていった、ということではないでしょうか。

 藤永教授のいう「後ろめたさ」とはそのことでしょう。欧米の倫理を理解できるインテリほど、神経質にならざるを得なかったはずです。藤永教授のリポート全体を流れている厳格な性の観念それ自体がもはやキリスト教的です。売春が、あるいは性奴隷制度が反倫理的であるというより、性の観念それ自体に認識の隔たりがありそうです。

 さて、アメリカ下院の「慰安婦」非難決議案は可決の可能性がかなり高い、と伝えられます。民族の基層文化に関わる性の問題について、文化的に異質の国が、しかも議会という政治の場で取り上げるというところに、もともと無理があるのでしょう。しかし基本的文化に関わることだけに、その違いがなかなか認識できない。今回の決議案が日系議員によって提出されているというのは何という皮肉でしょうか。

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