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園部内閣参与の質問を読む──皇室制度ヒアリング議事録から その1 [皇室制度有識者ヒアリング]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 園部内閣参与の質問を読む──皇室制度ヒアリング議事録から その1
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 引き続き、皇室制度有識者ヒアリングの議事録を読むことにします。

 今回は最大のキーパーソンである園部逸夫「女性宮家」検討担当内閣官房参与の質問を拾い読みします。

 第六回ヒアリングで、八木秀次高崎経済大学教授の挑発的意見発表に対して、「私は女系天皇論者ではない。ターゲットにされてははなはだ迷惑」といささか激高ぎみに反応したのが園部参与でした。

 それなら園部参与の問題関心はどこにあるのか、その問題関心をさぐり、今後の皇室制度改革の方向性を占ってみたいと思います。


▽1 「行動する」天皇論の当否──第1回ヒアリングの今谷明帝京大学特任教授(国際日本文化研究センター名誉教授。日本中世政治史)の意見に対して

「長く歴史を顧みます場合に、今も藩屏の話、武家の話が出ましたけれども、一般国民は天皇との関係を日本の長い歴史の中でどのように考えてきたか。また、どのようにして、つながれてきたか。その点はいかがでございますか」

 園部参与は雑誌「選択」1月号の巻頭インタビューで、「皇室は天皇陛下を中心にご一家が一体となって国や国民のために多くの活動をなさっている。そうしたご活動を通じて皇室と国民とのつながりが維持され日本がまとまっている。この大切な皇室の存続をまず考えるべきだ」と述べ、活動されることが天皇・皇室のお務めで、ご活動が国民との関係を築いてきたという考えを示しています。

 今谷教授への質問は、「行動する」天皇論の当否を確認したものと思います。けれども、今谷教授は「一般の人々が天皇の存在を知るというのにも、それなりの歴史がずっとあります」と述べているにとどまっています。


「もう一つだけお聞きしますけれども、今、天皇陛下の御公務を少しでも減らして頂きたいという考え方が一方でありますが、おっしゃったように、国事行為は別としてと。これを、皇族方で支えて頂かなければなりませんが、その皇族そのものが女性を除いて減少しているという状況の下で、私は女性宮家というのは、非常に誤解を招く言葉だとはっきり申し上げますけれども、そうではなくて、女性皇族方を含めて、天皇陛下の御公務の継続をお助け頂くという体制といいますか、御公務を助けるための皇族方の役割というもの。それは御結婚なさるかなさらないかということとは別に、皇族方の中で女性が多数おられますので、女性にも御公務を分担して頂きたいという気持ちが湧き上がってくるわけですが、先生はいかがお考えでございましょうか」

 今回のヒアリングの趣旨について、政府は「今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下の御負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」と説明していますが、園部参与の発言からは、国事行為を除く両陛下のご活動を重視し、ご活動そのものを削減するのではなく、皇族方とりわけご結婚後の女性皇族に分担していただくことが、緊急に求められているという認識が見てとれます。


「昔流に言うと、皇族が結婚して臣下に降嫁されるということになりますね。その場合にそういう例もあったわけですけれども、そういう状況になっても、皇族である女性は、皇族としての地位あるいは尊称を維持することは可能だと思われますでしょうか」

 今谷教授が、女性皇族が婚姻後も陛下のご公務を分担することについて、「差し支えない」と答えたことに対しての質問で、今谷教授はご結婚後の尊称維持や入夫される男性の待遇についても、「一代限り」とすることを「法律を改正すればできる」と答えています。


▽2 「皇族」とは何か──第1回ヒアリングの田原総一朗氏(ジャーナリスト)の意見に対して

「どういう形の女性の皇族方の御身分の継続ということが可能か、あるいは好ましいかと いう問題ですが、宮家と申しますと、要するに女性皇族を当主とする一つの宮家をつくる ということになります。そこに配偶者もお迎えする、お子様もお誕生になるという形にな りますと、その場合に相手方が必ずしも旧皇族とは限らないし、皇族とも限らないわけですが、一般の人が配偶者となるときに、これは色々な皇室の御活動の中で、その相手の男性は具体的な国賓の御接遇とか、園遊会、記念式典にお出になる可能性もあります。そういう場合に相手の男性は、皇族でない御配偶ということになりますと、参列されることがよろしいのか。それとも皇族だけがそういうことをなさるのがいいのか」

 もともと天皇は「上御一人」であり、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践されてきた宮中祭祀はあくまで天皇の祭りです。皇后以下、皇族の拝礼、参列は、天皇に供奉するお立場です。憲法が定める国事行為も、もちろん天皇の行為です。

 ところがやっかいなことに、宮内庁の説明では、「皇室のご活動」は「天皇皇后両陛下のご活動」「皇太子同妃両殿下のご活動」などとなり、宮中祭祀でさえ「両陛下は皇太子同妃両殿下の時代から祭祀を大切にしてこられました」と、まるで「男女平等」「一夫一婦」天皇制に変質したかのような解説をしています。

 女性皇族の配偶者の待遇に関する質問の背景には、近代化もしくは現代化した皇室、あるいは宮内庁の姿勢があるようですが、田原氏は「参列したらいい」と述べる一方、「女性宮家ができたときには、当主は宮家で、配偶者は当主ではない」とし、「皇族に準ずる」という立場には職業など「いろいろと制約される」との考えを示しました。


「もう一つだけですけれども、これは歴史的な問題もあるのですが、皇室と国民とはどの程度の距離を保つのがいいのか。距離を保たないのがいいのか。その辺は如何でございますか」

 以前、小嶋和司東北大学教授(故人)の女帝論の紹介で言及しましたが、皇族とは何かという本質論が失われていることが、今日の議論の背景にありそうです。小嶋教授は、日本では、世襲君主制が前提とする王朝の概念が忘れられていると指摘しています。「上御一人の支配」に視線が集中し、皇室による支配が等閑視され、明治の皇室典範は「皇族」とされることについての条件を確定しなかった。それどころか、臣籍出身の后妃をも「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させてしまった、と小嶋教授は解説しています。

 すでに何度も申し上げましたが、皇室制度ヒアリングを脇目で見ながら、政府・宮内庁はすでに、陛下御不例中の2、3月、臣籍出身で、「見なし皇族」であるはずの皇后陛下に、外国などに赴任する日本大使夫妻とのお茶、離任する外国大使のご引見を設定しています。

 たとえばアメリカ大統領が入院したという場合、大統領夫人が全権大使を引見するでしょうか。おそらくそれは副大統領の仕事になるでしょう。

 陛下のご公務を皇族が分担する場合、誰が何を分担するのか、そもそも政府が大がかりに介入して、改革すべき陛下のご活動とは何か、が問われます。


▽3 陛下のご公務削減は念頭にない──第2回ヒアリングの山内昌之東京大学大学院教授(イスラム地域研究、国際関係史)の意見に対して

「それでは、御質問を申し上げます。私は最初から女性宮家という言葉は使っていないんです。これはマスコミの方で広がっておりますけれども、これは誤った考え方を広めることになりますので、そういう言葉はあえて使わない。例えば宮家というのは三笠宮家があり、親王がおられ、内親王がおられましたけれども、今は女王がおられるということで、一つの大きな枝葉に分かれた宮家があるわけです。これは三笠宮家の一つの姿ですが、女性宮家というと女性が当主であって、そこに婿養子の人が来て、それから、また2代目、3代目と続いて、だんだん広がっていくと。それでは、女系天皇になるのではないか。あるいは女性天皇になるのではないかというような言いがかりを付けられていて、 私は甚だ迷惑をしております。

 およそ私は今回の改正の問題については、女性天皇、女系天皇ということは全く頭にない。

 一つは、天皇陛下の大変な数の御公務の御負担をとにかく減らさないと。それは大変な 御負担の中なさっておられるわけでして、そうした天皇陛下の御公務に国民はありがたい という気持ちを抱いていると思いますが、国民として手伝えるのは天皇陛下の御公務の御 負担を減らすことなんです。そのためには、どうしてもどなたかが皇族の身分をそのまま 維持して、その皇族の身分で皇室のいろいろな御公務を天皇陛下や皇太子殿下や秋篠宮殿 下以外の方も御分担できるようにする。そして、減らしていくというのが最大の目的です。ですから、女系につながるとか、女性天皇というのは全くの言いがかりでございまして、 これは訂正をむしろ求めています」

 園部参与は、女系継承容認論者といわれていることについて、よほど腹に据えかねているのでしょう。それはともかく、女性皇族を当主とする宮家の創設ではなく、お相手はともかく、婚姻後の女性皇族に陛下のご公務を分担していただくことを園部参与は想定しているようです。陛下のご公務の削減については対策を考えないということになります。

「そういうふうに一般に言われておりますので、私の質問はそういう具合に聞こえるといけないから申し上げているのです。そこで今回の問題を皇位継承問題とつながらないようにするためには、どういう配慮が必要なのか。それをまずはお教えいただきたいと思います」

「眞子内親王殿下、佳子内親王殿下がそれぞれ御結婚されても、その身分を失わず皇族として、あるいは皇族の尊称を得たまま、実際にお住みになるところは、必ずしも皇居の中とか東宮御所の近くとかではなくて、ちょうど黒田清子様のような状態になる可能性もないわけではない。その場合に、その2代目以後について、あるいは配偶者になる男性については、どういう待遇をするのがよろしいでしょうか」

「その準皇族はあくまでも配偶者までですね。その次の世代には行かないと」

「わかりました。もう一つ、皇室像といいますか、皇室観というのはどうあるべきか。それは皇室の方々のいろいろな御活動とか、我が国の歴史における皇室の意義とか、我が国の体制における皇室の位置づけとか、さらにはメディアを通した皇室のお姿といういろいろな事柄を国民は知り、かつ知ろうとしているわけですが、国民の皇室観とか皇室像の形成というものについては、どういう点が重要でございましょうか」

 日本人の天皇観は多面的であり、総合的なものだと思います。私の郷里には、古代において天皇の妃が養蚕と機織りを教えてくれたという天皇の物語が伝えられていますが、地域に独自の皇室像もあります。文学や音楽、年中行事によって、歴史的に受け継がれてきた皇室観もあります。神戸や東北などの被災地で現代の天皇物語が生まれていることはたしかですが、今上天皇が皇后陛下とともに行われるご活動が皇室観のすべてではありません。むしろ、なぜ陛下のご活動が新たな皇室物語を生むのか、という視点が必要ではないのか、と私は思います。つまり、祭祀王としての天皇です。


▽4 皇族でも一般国民でもない?──第2回ヒアリングの大石眞京都大学大学院教授(憲法学)の意見に対して

「皇后陛下、皇太子妃殿下、秋篠宮妃殿下と次々と民間からお嫁がれになって、皇室と民間との距離が非常に近づいたという感じがあったのですが、逆に言うと身分制がなくなりましたので、昔ですと内大臣がいて宮内大臣がいて、枢密顧問官がいて元老がいて、多数の貴族院議員がいて、天皇の周りをずっとそういう藩屏がいた時代に比べますと、かえって遠くなってしまって、例えば皇室典範の改正について、天皇陛下がどうお考えになっているのかということを気軽にお聞きしようと思っても、それは国会に任せてある、それは国政に関する問題だということで、それは皇太子殿下も秋篠宮殿下もこの問題をどういう場合でも、政治的に発言されることを大変遠慮しておられるために、本来は家の中の問題であるから、皇室の中で議論をされたものをこちらにお示しいただいて、皇室典範の改正が必要であれば、改正をする。運用上何か問題があれば、それも考えるというふうにしていけばいいと思いますが、皇室の方々の御意見をお伺いする手順とか方法とか、公表の在り方というようなものを何か法的に可能な方法に持っていけるかどうかということについては、いかがでございましょうか」

「そういう場合の役割としては、皇室会議についてはどうお考えですか」

「皇室会議のほかに、皇族会議というものを設けるということも考えられますでしょうか」

「天皇陛下が親臨されていたわけですが、そういうようなものを復活するということはいかがでしょうか」

「皇族会議でも外側から入っていったわけですから、今は逆に皇族の人がずっと減ってしまったと。それでは皇室会議としては仕事ができないということになるのではないかと、私は思います」

「先ほど運営基準ということをおっしゃいましたが、これは非常に大事な問題だと思いますけれども、これはやはり法律で決めるべきことなのか。それとも皇室内部基準として、皇室令のような形にするか。どちらの方がようございますか」

 憲法は、天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、と定めています。小泉内閣時代の皇位継承有識者会議は皇族の意見を聞くこともなく、それどころか宮内庁長官は国民こそ主権者といわんばかりに、女系継承容認を危惧する寛仁親王殿下に対して、「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」と口止めしました。

 望ましい皇室制度は、誰がどのようにして決めるべきなのか、慎重な議論が求められます。


「最後に、内親王や女王の尊称を続けられるという形を取った場合に、それは内親王や女王の尊称はあるけれども、皇族ではないというふうにとらえますと、皇族でもないけれども、一般国民でもないという何か新たな身分ができることになるのではないでしょうか」

「李王殿下は、皇族ではなかったわけです。臣下扱いになって降嫁された。降嫁されたけれども、女王の尊称は保持するという形ですか」

「そうすると、一般国民とは違うという話ですね」

「尊称の保持は特別にその関係だけでしょうね」

 憲法は法の下の平等を定め、貴族制度を否定しています。皇族でないけれども、一般国民でもないという立場は憲法上、あり得るのでしょうか。
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もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──八木秀次教授の「女性宮家」ヒアリングを読む [皇室制度有識者ヒアリング]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止
 ──八木秀次教授の「女性宮家」ヒアリングを読む
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 前回に引き続き、7月5日に行われた第6回皇室制度有識者ヒアリング(いわゆる「女性宮家」有識者ヒアリング)の議事録を読むことにします。今回は八木秀次高崎経済大学教授の議事録です。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html

 その前に、先日、政府がヒアリングの論点整理に取り掛かっていることが伝えられました。今秋までにとりまとめられるようです。その後、国民からパブリックコメントを募集し、政府の素案をまとめ、来年の通常国会に皇室典範改正案を提出するというのが政府の考えのようです。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120801-OYT1T01203.htm

 政治的日程は押し詰まっていますが、肝心の議論は出尽くしたといえるのでしょうか、慎重さが求められるテーマだけに、心配でなりません。


▽1 挑発する八木教授

 さて、八木教授のヒアリングで断然、注目したいのは、巷間、いわゆる「女性宮家」創設推進派とも目される園部逸夫内閣参与(元最高裁判事)との丁々発止です。

 最初のポイントは、園部参与の雑誌コメントです。

 八木教授は、30分間のヒアリングをほとんど皇位継承論で終始しています。政府の基本前提は、「皇位継承とは切り離す」ということですが、「果たして本当に切り離せるのか」という「懸念」があるからです。そして、その根拠の1つとして紹介されているのが、園部参与の「分析」です。

「分析」は「週刊朝日」2011年12月30日号に掲載された岩井克己朝日新聞記者による「『内親王家』創設を提案する」でのコメントで、以下のようなものでした。

「夫、子が民間にとどまるというわけにはいかないから、歴史上初めて皇統に属さない男子が皇族になる。問題はどういう男性が入ってくるか。また、その子が天皇になるとしたら男系皇統は終わる。女性宮家は将来の女系天皇につながる可能性があるのは明らか。たくさんの地雷原を避けながら条文化し着地できるか」

 当メルマガが伝えてきたように、もともと女性天皇・女系継承容認論と「女性宮家」創設論は政府が進める皇室典範改正の2つの柱であり、究極的には同じ議論でしたから、園部参与の「分析」は至極まっとうなもので、八木教授も「極めて論理的」と評価しています。というより、むしろ挑発的です。挑発はさらに続きます。


▽2 園部参与の著書からの引用

 2番目は、日本国憲法と広辞苑が、女系継承容認論の根拠とされている、という指摘で、憲法第2条「皇位は世襲のものであって」という規定に関する、園部参与の著書『皇室法概論』の記述を紹介しています。参与の著書にはこう書かれています。

「『世襲』の意味内容をも、男女両方の血統を含むと考えられる一般的な世襲概念を離れ、男系による継承と解さなければならないとまでは考えない。

 むしろ、旧憲法第二条が『皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス』と定め、旧制度は男子による皇位の継承が憲法上の制度であったのに対し、現行憲法第二条は男子が継承する旨を定めていないことからも、憲法は皇位継承資格を男系男子に限定せず、皇室典範第一条によって皇位継承資格は男系男子に限られたものと考える方が無理がないと思われる」(318ページ)

 八木教授は、こうした園部参与の見解は「皇室を日本国憲法の枠内に閉じ込められる発想であろうか」と述べ、さらに3番目として、園部参与の論は皇室典範を誤読している、と指摘しています。つまり、こうです。

「伊藤博文『皇室典範義解』(同『憲法義解』128頁)に『皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり』とあるが、これは男女両系を含み得る観念である皇統の中から旧皇室典範は制度として男系を選択したということを述べているものと考えられ、同じく伊藤博文の『大日本帝国憲法義解』(同書25頁)には『皇男子孫とは祖宗の皇統に於ける男系の男子を謂ふ』とあり、ここでも男系を皇統として選択したことを前提とした説明をしている」

 ここでは、皇統には男女両系が含まれ、その中から男系を選択し、さらに男子を選択するという「三重構造」をしているけれども、皇室典範はそのような認識に立っていないというのが八木教授の指摘です。明治21年5月に枢密院で、「皇統にして男系の男子」(旧皇室典範)の「男系」の削除が提案されたとき、伊藤博文は「将来において、わが皇位の継承法に女系をも取るべきにいたり、上代祖先の常憲に背くことを免ず」と反対したことが知られているからです。

 さらにもう1点、有識者ヒアリングの5回目の会合で、園部参与が旧皇族の復帰は難しい旨を述べたことについて、八木教授は「賛同しかねる」「最近の世論調査では、国民も半数近くが好意的になっている」と批判しています


▽3 かみ合いかけた議論

 こうした批判に対して、園部参与は意見聴取後の10分間の質問タイムで、反論し、反問を加えています。

 たとえば、「週刊朝日」の記事のコメントについては、「『選択』4月号の岩井記者の記事にあるように、論点を申し上げたのにすぎない。私は女系天皇論者ではない。ターゲットにされてははなはだ迷惑」というのです。

 また、著書に対する言及についても、「皇位継承制度に関する議論に関連したご紹介である」と弁明しています。

 反論にしては、幾分、腰が引けているのですが、そのうえで、「ヒアリングの場であって、議論の場ではない」として、園部参与が以下の3点を質問していることは注目されます。

(1)現行憲法が定める象徴天皇制度について、皇室制度の長い歴史のなかでどう受け止めているのか?

(2)象徴天皇制度は天皇が国家国民のためにさまざまなご活動をなさることで維持されている、という考え方についてどうお考えか?

(3)女性皇族が臣籍降嫁したのち、尊称をお持ちいただく場合、その範囲は内親王、女王、どの範囲までがふさわしいとお考えか?

(1)(2)の質問は非常に重要で、政府が進める、「皇室のご活動」維持を目的とする「女性宮家」創設の核心部分かと思われます。

 八木教授が指摘したように、日本国憲法と広辞苑が女系継承容認論の、そして「女性宮家」創設論の根拠です。戦後の憲法と戦後の常識が議論の出発点なのです。私が言う、1・5代象徴天皇制度です。125代にわたる歴史的天皇制度でも、明治以来の4代目近代天皇論でもありません。

 八木教授は今回のヒアリングで、いみじくも光格天皇の事例を紹介し、伊藤博文の『皇室典範義解』を引き、旧皇室典範を引用し、意見を述べていますから、歴史的な天皇制度を基本に置く立場から、園部参与の質問にまっ向から答えるかと思いきや、意外にも、そうではありませんでした。

 八木教授は、(1)の質問について、現行憲法の定める象徴天皇制度がイギリスのウォルター・バジョットの著書がルーツであることを説明し、「イギリスの立憲君主制のあり方が、図らずも天皇の制度のあり方をよく表現したものになっている」と指摘するにとどまっています。

(2)については、八木教授は「趣旨がよく理解できない」と答え、議論がかみ合いません。園部参与は「象徴天皇制度は天皇陛下がさまざまなお仕事をなさることで維持されている」という今回の「女性宮家」創設論の基本的考えを示したのに対して、八木教授は天皇の機能の部分だ」という理解を示します。

 すると、園部参与は「機能であり、天皇陛下のご意思の問題である」とはじめて議論めいた言葉を発し、八木教授は「前提は世襲だ」と応じていますが、残念ながら議論はここで終わりました。


▽4 本質論を避けている?

 指摘したいのは、次の2点です。

 1点は、125代の歴史的天皇制度の視点からは、つねに行動し、社会的に活動する天皇・皇室論は生まれてこないはずです。歴史的天皇は国と民のために無私なる祈りを捧げることを継承してきたのです。祭祀王としての天皇です。

 政府サイドの園部参与が、行動する近代的天皇論の立場から、「女性宮家」創設を議論するのは理解できるのですが、女系継承および「女性宮家」創設に反対を唱える八木教授が、「女性宮家」を創設しなくても、内親王・女王の称号の継続と予算措置によって、皇室の活動をサポートしていただくようにすればよい、と結論するのは、いかなる立場に立ってのことでしょうか? 行動する近代的天皇論の立場に立つのなら、立脚点は「女性宮家」創設論者と変わらないことになるでしょう。

 近代の天皇制度は、歴史的天皇としての祭祀王の側面と欧米列強に対抗できる近代的立憲君主としての側面を併せ持っていたはずですが、今日の「女性宮家」創設論議はいずれをも否定した非宗教的な名目的君主制度への変質を促しているように見えます。同時並行的に宮中祭祀の改変が進んでいることからも明らかです。

 これに対して、反対派の議論は十分に対抗し得ていないように思います。「右手に憲法、左手に広辞苑」というジャーナリスティックな指摘では足りません。

 2点目は、これに関連して、「女性宮家」創設論の目的が、「皇室のご活動」維持論から、天皇のご活動論に、政府関係者によって、しばしば言い換えられていることです。政府が手をつけたいのは天皇のご公務を制度化し、そのために「女性宮家」を創設するということなのでしょうか?

 以前にも申し上げたように、憲法は天皇の国事行為については規定しています。けれども、陛下のご活動は憲法に規定されてはいません。まして皇族方のご活動は法的に定められているわけではありません。それでいながら、今年2月、陛下がご入院されたとき、皇后陛下は、海外に赴任する日本大使夫妻とお茶に臨まれ、離任するペルー大使をご引見になりました。天皇陛下はご入院・ご不例で拝謁、ご引見をお取り止めになり、皇后陛下がお一人でご公務に臨まれたのですが、そのようにする法的根拠はどこにあるのでしょうか?

 歴史的に存在しない「女性宮家」なるものを創設してまで、維持しなければならない「皇室のご活動」とは何でしょうか? 八木教授は、皇位継承論に目を奪われ、より本質的な議論を避けているように、私には見えます。

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何のための歴史論なのか──所功教授の「女性宮家」ヒアリング議事録を読む [皇室制度有識者ヒアリング]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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何のための歴史論なのか──所功教授の「女性宮家」ヒアリング議事録を読む
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 今月5日に行われた第6回皇室制度有識者ヒアリング(いわゆる「女性宮家」有識者ヒアリング)の議事録が、先週末、やっと官邸のサイトに公表されました。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html

 意見を述べたのは、所功京都産業大学名誉教授(モラロジー研究所教授。日本法制史。女性宮家賛成派)と八木秀次高崎経済大学教授(憲法学。女性宮家反対派)のお2人ですが、今日は所先生の意見について考えます。

 とくに、歴史と向き合う姿勢について、考えてみたいと思います。悠久なる皇室の歴史は日本の歴史そのものであり、皇室について語ることは必然的に歴史と向き合うことを迫られます。


▽1 「女性宮家」創設論のパイオニア

 さて、先生は、いち早く「女性宮家」創設を提唱するなど、「女性宮家」創設論に関しては突出したパイオニア的存在です。

 平成16年7月、ちょうど内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けて準備を始めたころ、先生は雑誌「Voice」8月号に、「“皇室の危機”打開のために──女性宮家の創立と帝王学──女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」を書いています。

「管見を申せば、私もかねてより女帝容認論を唱えてきた。けれども、それは万やむを得ざる事態に備えての一策である。それよりも先に考えるべきことは、過去千数百年以上の伝統を持つ皇位継承の原則を可能なかぎり維持する方策であろう。それには、まず『皇室典範』第12条を改めて、女性宮家の創立を可能にする必要がある」

 歴史上、「女性宮家」は存在しませんから、「女性宮家」の創設は皇位継承の伝統を維持することにはなりません。したがって所先生の論理は矛盾しています。歴史的伝統の堅持を宣言し、そのために歴史の断片を提示し、しかし実際は相反する新例に向かって突き進む、というのが先生の最大の特徴のように見えます。

 翌17年6月8日には、皇室典範有識者会議のヒアリングで、先生は「女性宮家」創設を提案しています。

「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」

 皇位継承の安定化のためには皇族の数を増やす必要がある。そのため女性皇族が婚姻後も皇室にとどまり、その子女も皇族とする必要性があると訴えています。

 同年11月の有識者会議報告書は、女性天皇・女系継承容認に踏み出しました。「女性宮家」という表現は消えましたが、「女子が皇位継承資格を有することとした場合には、婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」とその中味は盛り込まれています。

 所教授は「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」と新聞に感想を寄せています。先生は新例創設のパイオニアです。


▽2 古代に女系継承が認められていた?

 女系継承にしても、女性宮家にしても、歴史に前例がありません。歴史家である先生はそれをどうお考えなのか? 「いや、前例はある」と主張されるのか、それとも、「前例はないが新例を開くべきだ」と訴えているのか? そこが必ずしもはっきりしません。

 先生がこれまで女性宮家創設を訴えてきた目的は皇位継承論でしたが、今回は、政府の目的論に沿うように、「皇室のご活動」論に代わっています。

 先生はまず「皇室のご活動」について、こう意見を述べています。

「現在の皇室は、平成に入りましてからも、昭和天皇をお手本とされます今上陛下が中心 となられまして、皇后陛下を始め、内廷と宮家の皇族方に協力を得られながら、多種多様な御活動を誠心誠意お務めになっておられます。その御活動は、日本社会に本当の安心と安定をもたらしており、また国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる大きな要因になって いると思われます」

 行動し、実践するのが天皇本来のお務めではないはずですが、それはともかく、こうした認識に立って、「しかしなか?ら、戦後、日本国憲法の下で法律として制定されました皇室典範は、明治の典範と同様の、かなり厳しい制約を規定するのみならず、さらに皇庶子の継承権をも否認しております。そのため、男性の宮家が減少し、皇族女子も次々に皇室から離れていかれますと、これまでのような御活動の維持が困難になることは避けられません。したがって、早急に改善をする必要があると思われます」という論理で、「女性宮家」創設に賛意を表しています。

 しかし、「ただし、〈女性宮家創設の〉より重い大きな目的は、皇位の安定的継承を可能にすることであります」と指摘し、持論である皇位継承論を展開しています。(注。〈〉内は筆者の補足)

 指摘したい第1の点は、古代律令制の規定の解釈は正確か、ということです。

 先生はこう語っています。

「〈皇位継承について〉最も重要な点を申せば、…〈中略〉…『皇位の継承者は皇統に属する皇族』でなければならない。つまり、正統な血統と明確な身分を根本要件といたします。この点、現在、『皇統に属する男系の男子』が3代先(次の次の次)までおられますから、典範の第1条は当然現行のままでよいと考えられます。

 ただし、その間にもそれ以降にも、絶対ないとは言えない事態を考えれば、将来は改定する、ということを忘れてはならないと思います。その際に大切なことは、一方で従来の歴代天皇が全て男系であり、ほとんど男子であった、という歴史を重視するとともに、他方で古代にも近世にも8方10代の女帝がおられ、また大宝令制(701年)以来、「女帝の子」も親王・内親王と認められてきた、というユニークな史実も軽視してはならないことであります」

 過去に女性天皇がおられたという歴史の事実、古代律令制に「女帝の子」も親王・内親王とする定めがあったという歴史の事実を重んじて、将来の皇位継承制度を考えるべきだという主張かと思います。


▽3 「女帝の子」ではなく「女も帝の子」

 女性天皇が過去に存在することは知られています。問題は後者です。先生は17年の有識者会議のヒアリングでも、8世紀に完成した「大宝令(たいほうりょう)」や、これに続く「養老令(ようろうりょう)」に、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令(けいしりょう)」という規定があることに注目し、同様の発言をしています。

 継嗣令の冒頭の一条は、「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ。親王より五世は、王の名得たりと雖(いえど)も、皇親の限に在らず」(『律令』日本思想大系3、井上光貞ら、岩波書店、1976年)とあります。〈〉の部分は原注です。

 この「女帝の子も亦同じ」について、先生は、「天皇たり得るのは、男性を通常の本則としながらも、非常の補則として『女帝』の存在を容認していたということであります」「これは、母系血縁あるいは母性というものを尊重する日本古来の風土から生まれた、既に6世紀末の推古天皇に始まる『女帝』を、当時の最高法規である律令が公的に正当化したものとして重要な意味を持つものだと思うわけであります」と述べています。

 しかし、「女帝の子もまた同じ」と読む解釈には無理がある、という指摘があります。畏友・佐藤雉鳴氏の指摘です。「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むべきであり、天皇の兄弟、皇子と同様に、女子も(内)親王とする、と解釈すべきだというのです。女性天皇の子孫についての規定ではないというわけです。
http://melma.com/backnumber_170937_5518825/

 根拠のひとつは、「養老令」それ自体にあります。

「継嗣令」は「令」の巻第五に定めがありますが、巻第七に「公式令(くうじきりょう)」という、公文書の様式などを定めた諸規定があり、「皇祖」「先帝」「天子」「天皇」などの文字が文章中に使用される場合は、行を改め、行頭に書いて、敬意を表す「平出(ひょうしゅつ)」や、「大社」「陵号」「乗輿」「詔書」「勅旨」などの場合は、一字分を空けて敬意を表す「闕字(けつじ)」について、説明されています。

 けれども、いずれの場合も「女帝」は登場しません。「継嗣令」の原注を「女帝の子」と読むことに無理があるのではないか、というのが佐藤氏の指摘です。たしかに「女帝の子」と読んでは、全体の意味がとれなくなります。

 佐藤氏だけでなく、同様の疑問は古代史の専門家にもあるようです。

「養老令」施行から2年後の天平宝字3(759)年6月に、光明皇太后が淳仁天皇にお言葉を発せられたことが『続日本紀』に既述され、「是(ここ)を以(もち)て先考(ちちみこ)を追ひて皇(すめら)とし、親母(はは)を大夫人(おおみおや)とし、兄弟姉妹(あにおとあねいも)を親王(みこ)とせよ」とあります。この最後のくだりについては、「継嗣令」との関連が想起されますが、『続日本紀 3』(新日本古典文学大系14、青木和夫ら校注、岩波書店、1992年)では、所先生や日本思想大系とは別の解釈がされています。

 すなわち、新日本古典文学大系の校注には、「継嗣令」の「凡皇兄弟皇子、皆為親王〈女帝子亦同〉」が引用され、「舎人親王を天皇とするので、その子女(淳仁の兄弟姉妹)も親王・内親王と称させる」と記されています。「女帝の子」という解釈は採られていません。

 けれども所先生は、あくまで「女帝の子」と読み、解釈しています。


▽4 淑子内親王の事例は歴史の先例か

 それから7年後の今年、執筆された「宮家世襲の実情と『女性宮家』の要件」(「正論」3月号)では、先生は、「継嗣令」以後の皇室の制度史を概観し、「宮家も男系の男子で世襲されてきたが、正室の嫡子だけでなく側室の庶子が認められていても、それは必ずしも容易ではない。そのため、実子が無ければ、皇族の間から養子を取って継嗣とした」と述べて、「幕末に皇女を迎えて当主とした」という桂宮家の例をあげています。

 指摘すべき2点目はこの桂宮家の事例です。

 先生の指摘は、古代に女系継承容認の法制度があったように、女性宮家の先駆的事例が歴史上、存在する、ということのようです。けれども、これも半信半疑です。

 今回のヒアリングでも、先生はいかにも歴史家らしく、「宮家」の歴史を見渡し、桂宮家のケースに言及しています。

「幕末に至って、同家の家臣らから要請され、文久3年、西暦1862年に、孝明天皇や皇女和宮親子内親王の姉に当たられる敏宮淑子内親王が第11代の当主に就任しておられます。たた?、早く婚約していた閑院宮第5代の愛仁親王に先立たれ、一生独身を通されましたから、明治14年(1881)、その薨去により絶家となってしまいました」

 淡々とした説明は、何をおっしゃりたかったのでしょうか?

 レジュメでは「念のため、宮家の歴史を振り返ると、嫡子も庶子も当代天皇の猶子(名目養子)となり 親王宣下を蒙れば、宮家を相続(世襲)することができた。また桂宮家では、幕末に男子の猶子を得られないため、皇女(淑子内親王)を当主に迎えた実例がある」とされていますから、「女性宮家」は歴史に先例があり、新例ではないと主張されたいのでしょうか?

 所先生のレジュメにまとめられた淑子(すみこ)内親王の事例は宮内省の資料からの抜粋でしょうが、学術的な研究もあります。久保貴子昭和女子大学講師の「女性宮家と女性当主」(「歴史読本」2006年11月号)がそれです。


▽5 次代への継承を予定しない幕引き役

 以下、久保講師の文章を引用することにします。〈〉内は私の補足です。

「〈文久元[1861]年〉12月に入って、淑子内親王は〈妹君の〉和宮が出立して空いた桂御所に入った。〈降嫁目前の和宮が要請し、天皇が命じ、幕府が承諾した〉新殿ができるまでの仮住居である。しかし、淑子内親王にとっては思いも掛けない展開が待っていた。翌文久2年10月、26年間空主の続く桂宮家に仕える諸大夫たちが、淑子内親王の桂宮家相続を願い出たのである。諸大夫たちは、〈天保6[1835]年に、26年ぶりに、2歳で桂宮家を相続し、翌年、没した〉節仁(みさひと)親王〈仁孝天皇皇子〉没後も皇子誕生をひたすら待ち望んでいたが、孝明天皇にも睦仁親王(明治天皇)以外皇子がおらず、皇子による相続は全くめどが立っていなかった。〈9代〉公仁親王没後から数えれば90年余り、ほとんど空主の桂宮家では存続の危機感がピークに達していた。そんな時期に仮住居として淑子内親王に接し、意を決したということかもしれない。

 この願いを受けた天皇は淑子内親王の気持ちをたしかめた上で意向を固め、幕府の了承を得た。文久3年2月、それまで淑子内親王に与えられていた化粧料300石はそのままとし、相続にともなって道具料500石が新たに進献されることに決まる。4月、いったん参内した淑子内親王は行列を整えて桂御所に入った。内親王35歳の時で、もちろん未婚である」

 結局、なぜ内親王が親王家を相続することになったのか? はっきりした理由は分かりません。

「当主の妻が家主、あるいは家主同格として家を守ることはあっても、女性である皇女が親王家を相続したのはこの淑子内親王のみで、幕末という時代を背景に、さまざまな要因が重なり合って生じた極めて希有な出来事であった」

 久保講師は以上のように説明するだけです。

 所先生が説明するように、文政12(1829)年にお生まれになった淑子内親王は、天保11(1840)年に閑院宮5代愛仁(なるひと)親王(文化15[1818]年生)と婚約されましたが、2年後、愛仁親王は薨去され、婚約は自然解消されます。

 天保13年に内親王宣下されますが、淑子内親王はその後、独身を貫かれ、35歳で桂宮家を相続され、慶応2(1866)年4月に一品に叙せられ、准三宮の宣旨を受けられ、以後、桂准后宮と称せられましたが、明治14(1881)年10月、53歳で薨去され、300年続いた桂宮家は絶えることとなりました。

 当時としては適齢期を過ぎているであろう30代半ばまで独身を貫き、親王家を相続してからも結婚することがない。つまり、次代への継承を予定しない、いわば幕引き役としてのお立場といえます。皇統の備えとしての宮家の役割を果たすことはない、内親王による唯一の親王家相続のケースは、「女性宮家」創設の歴史的先例とはいえないでしょう。


▽6 新例を開くための大義名分は十分か

 もちろん、先生はそんなことは百も承知であるかのように、こう述べています。

「この〈まず秋篠宮家の御長女が同家を継がれ、御次女が新しい宮家を立てられ、次いで皇太子家の御長女が新しい宮家を立てられるという〉ような女性宮家の設立は、確かに前例がありませんから、いろいろ慎重に配慮しながら実現する必要があります。ただ、皇室の歴史を広く見渡せば、古代にアジアで初めて皇太后を女帝とし、初めて藤原氏を皇后に立て、中世まで前例のなかった男性宮家を設け、そのうち数家を世襲親王家とし、やがて桂宮家では皇女を養子に迎えて当主としましたが、 これらはいずれも新例を開いたことになります」

 新例だという認識であるのならば、過去の歴史にあったかのような、まどろっこしい説明や議論は不要ではありませんか? 先生は「あらためて歴史に学び、現実を正視しながら、将来への展望を開く」と表明していますが、正確さに疑念のある断片的な歴史論を、何のために展開するのでしょうか? 歴史に学ぶのなら事実に対する謙虚さが求められます。一般人ならもかく、およそ歴史家にとって、歴史はご都合主義の道具ではないはずです。

 逆に、それでも新例を開く必要がある、というのなら、そのための大義名分が求められます。けれども、秋篠宮家、東宮の各内親王に婚姻後も、皇室にとどまり、果たしていただくべき「皇室のご活動」とはいかなるものなのか、具体性が見えません。生身の人間の将来に関わる重大事です。「皇室のご活動」維持という目的は新例の根拠となり得るのでしょうか? 歴史に学ぶなら、行動主義が悠久なる皇室の本質でないことは明らかなはずです。
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