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際限なく蹂躙される新嘗祭──皇太子殿下のお出ましまでが簡略化 [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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際限なく蹂躙される新嘗祭
──皇太子殿下のお出ましまでが簡略化
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 陛下が発熱と気管支炎でご入院なさったのが6日(日曜日)の夜でしたから、それからちょうど2週間になります。昨日18日の皇室医務主管の発表によれば、39度近くあったお熱は前々日から下降傾向にあるようです。まずは一安心です。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1108.html#K1118

 気がかりなのは祭祀です。同じく昨日、宮内庁が公表したところによれば、皇室医務主管、東大病院の医師の判断に従って、陛下は「新嘗祭へのお出ましを差し控えられることになりました」。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1118

 旧皇室祭祀令では、新嘗祭は大祭に位置づけられています。第8条2項に「天皇喪ニ在リ其ノ他事故アルトキハ前項ノ祭典ハ皇族又ハ掌典長ヲシテ之ヲ行ハシム」とありますが、宮内庁関係者によれば、新嘗祭だけは別で、代行できないこととされています。

 したがって、皇室の伝統に従えば、陛下がいますが如くに神事が粛々と進められ、神饌御親供、御告文奏上、御直会の分、時間が短縮されることになります。

 けれども今回はそのような祭儀とはならないようです。


▽1 無原則に祭祀に介入する宮内庁

 すでにお話ししましたように、今月1日の段階で、宮内庁は、陛下のご健康問題を理由として、新嘗祭の新たな簡略化を打ち出しました。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1101

 2月の精密検査の結果がいまごろ報告されたということ自体信じがたいのですが、ともあれ、陛下のお出ましの時間を短縮し、夕の儀も暁の儀と同様に、儀式半ばから出御され、皇族および諸員の拝礼前に御退出(入御)されるようにお願いした、というのです。

 ところが、それだけではないのです。

 八束清貫の「皇室祭祀百年史」によると、本来なら、午後6時に天皇陛下が出御になり、皇太子殿下も相次いで参進されます。神事が進み、神饌が退下し、庭上に参列していた皇族諸員の拝礼がすんで、天皇陛下、皇太子殿下が相次いでお退がりになり、夕の儀が終了することになります。そのあと、暁の儀が繰り返されます。

 けれども、18日の宮内庁発表によれば、「なお、皇太子殿下は、夕の儀及び暁の儀の両儀式とも、儀式の半ば過ぎに、拝礼のために参進され、皇族及び諸員による拝礼の前に退出なさいます」とされています。

 新嘗祭簡略化の理由は陛下のご健康問題ですから、皇太子殿下のお出ましまで簡略化する必要はないはずです。宮内庁は何を根拠として、皇室の伝統に無原則の介入をしているのでしょうか?


▽2 10月1日の旬祭も親拝がない

 すでにご承知のように、戦前の皇室令は日本国憲法の施行に伴い、廃止されましたが、宮中祭祀の伝統は守られてきました。その根拠とされたのは、昭和22年5月の宮内府長官官房文書課長名による依命通牒で、そこには「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」と明記されていました。

 しかし依命通牒は50年8月、側近たちによって突然、廃棄され、祭祀は明文的根拠を失ってしまいました。その背景には厳格な政教分離主義がありました。昭和天皇の晩年、そしていま、祭祀がむちゃくちゃに扱われているのはその結果です。

 その無軌道ぶりは、陛下の祭祀へのお出ましが際限なく減り続けていることから明らかです。

 宮内庁が発表している陛下の「ご日程」に基づいて、陛下が宮中祭祀にお出ましになった日数を単純に数え上げると、以下のようになります。伝統を無視し、ご負担軽減の標的にされているのは、火を見るより明らかです。

平成 17年 18年 19年 20年 21年 22年 今年
1月 5日 5日 6日 5日 4日 6日 5日
2月 3日 3日 3日 3日 2日 3日 1日
3月 4日 3日 2日 3日 1日 2日 1日
4月 4日 3日 1日 2日 2日 3日 1日
5月 1日 3日 4日 1日 1日 1日 1日
6月 3日 4日 3日 4日 3日 2日 2日
7月 2日 2日 3日 2日 3日 1日 2日
8月 2日 1日 2日 2日 0日 0日 0日
9月 2日 2日 2日 3日 1日 1日 1日
10月 3日 1日 2日 2日 2日 3日 1日
11月 2日 2日 3日 2日 3日 1日
12月 6日 5日 5日 2日 4日 4日
合計 37日 34日 36日 31日 26日 27日

 2月11日は建国記念の日で、陛下は例年なら宮中三殿で御拝をなさるところですが、今年は検査入院のためお取り止めとなりました。

 10月1日は旬祭のお出ましがあるはずでした。21年1月の宮内庁が公表した御負担軽減策では、「毎月1日に行われる旬祭について、5月と10月以外は御代拝により行う」としていましたが、今年10月は親拝がありませんでした。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/gokomu-h21-0129.html

 というのも、国体開会式御臨場に伴う山口県行幸の日程が入っていたからです。以前なら、祭祀を優先し、日程をずらしていましたが、いまは逆に祭祀がしわ寄せを受けています。「祭祀は天皇の私事」という発想なのでしょう。占領前期への先祖返りです。

 さらにいえば、祭祀への無理解、無神論的対応が背景にあるものと想像されます。

 以前から左翼チックな研究者やマスコミが「天皇が祭祀に出席・欠席」という表現を使用していましたが、いまでは宮内庁までが、「平成23年10月17日(月)天皇陛下、神嘗祭神宮遙拝の儀(神嘉殿)。天皇陛下、神嘗祭賢所の儀(賢所)。皇后陛下には右膝下の下腿筋膜炎のためご欠席」などと公表するようになりました。

 新嘗祭にお出ましになれない陛下がどれほど無念か、拝察するに余りあります。公正にして無私なる祈りを神々に捧げることこそ、天皇の天皇たる所以だからです。

 平成の大嘗祭で、政府は「稲作中心社会の収穫儀礼」と定義しました。そのような理解は、日本はもはや農耕社会ではない。農耕儀礼は形骸化している。祭祀の根本的見直しという選択肢もあり得る、と宮中祭祀廃止論を展開した皇室研究家のレベルと大して変わりません。

 今日、TPP参加をめぐる議論が賑やかに展開され、日本の稲作の前途を悲観する声も聞こえますが、もはや稲作農業の時代ではないから、天皇の稲作儀礼は簡略化されてかまわない、という論も可能です。

 つまり、当メルマガで指摘してきたように、天皇の祭祀が米だけではなく、米と粟の祭祀であることの意味が理解できないのです。


▽3 減らない御公務

 祭祀の伝統が崩れる一方、陛下のご公務はご負担軽減はかけ声ばかりで、ご多忙の日々が続いてきました。

 陛下のご公務日数を月ごとに計算すると、以下のようなデータが得られます。

平成 17年 18年 19年 20年 21年 22年 今年
1月 22日 21日 22日 21日 19日 23日 23日
2月 17日 18日 19日 22日 19日 17日 17日
3月 23日 22日 22日 25日 24日 26日 22日
4月 21日 22日 20日 20日 21日 22日 23日
5月 20日 25日 22日 19日 20日 23日 20日
6月 24日 23日 22日 25日 25日 23日 23日
7月 18日 20日 21日 22日 27日 20日 23日
8月 23日 18日 22日 19日 19日 23日 21日
9月 22日 26日 22日 25日 22日 23日 23日
10月 25日 25日 24日 24日 26日 24日 25日
11月 26日 25日 26日 26日 22日 24日
12月 22日 24日 22日 16日 24日 23日
合計 263日 269日 264日 264日 268日 271日

 一目瞭然、ご公務は減りません。なぜでしょうか?

 宮内庁は6日、ご体調について、「これまでのご疲労が相当蓄積し、お身体の抵抗力が低下しているご状況にあられると拝察されますので……」と発表していますが、まるで他人事のように聞こえませんか?

 考えてもみてください。陛下の国事行為は、7日以降、皇太子殿下が臨時代行されていますが、15日には、皇太子殿下だけでなく、秋篠宮殿下もご公務の代行をはじめてお務めになりました。皇太子殿下が長野県を行啓なさっていることから、秋篠宮殿下が陛下に代わり、秋の叙勲者などと面会されました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111115/t10013972971000.html

 御公務を皇太子殿下のみならず、秋篠宮殿下までが代行できるのなら、なぜもっと早い段階で、そのような対応をしなかったのでしょうか。陛下はご高齢で、しかも療養中なのに、です。

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皇室の御繁栄こそが国の基本 by 後藤俊彦──宮中祭祀の簡略化を憂える [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 皇室の御繁栄こそが国の基本 by 後藤俊彦──宮中祭祀の簡略化を憂える
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◇新嘗祭の日に始まる「高千穂の夜神楽」

 11月23日は国の祝日で“勤労感謝の日”に制定されているが、戦前は“新嘗祭
(にいなめさい)”と言って天皇陛下が自らおつくりになった新米を神々に捧げ、自身でも召しあがられる祭日であった。

 この日は全国各地の神社においても、新穀を神前に供え、秋の実りに対する感謝と報告を行う新穀感謝祭がとり行われる。私の地方(宮崎県高千穂町)では、この日から“高千穂の夜神楽”が始まる。

 高千穂の夜神楽は、それぞれの地域に鎮座する氏神様を“神楽宿”と称する民家にお招きして、秋の実りに感謝し、神々と共に収穫を喜び、新穀を共食して夜を徹して歌舞を行うもので、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 この一大行事が終わると春の到来まで、山も神々も人々も冬のおこもりの時期を迎えることから、民俗学ではこの日のことを「神楽正月」とも呼び、生活史の上で大変重要なお祭りなのである。

 神楽の起源は、遠い神代の昔に天岩戸にお隠れになった天照大神さまを再び導き出すために、岩戸開きの神事が行われ、天宇豆売命(アメノウズメノミコト)が調子面白く踊りを踊ったことに始まると言われ、神話の世界にまでさかのぼる古いものである。

 このような古い伝統行事が、宮中でも民間でも連綿として継承されていることは、わが国の誇りであり、民族固有の信仰と文化のアイデンテティ(自己同一性)を示すものでもある。


◇祭祀こそ天皇の第一のお務め

 思うにわが国は、皇室そのものが神話に起源を有する世界で最も古く、伝統ある国家である。わが国の皇室及び天皇は、世界に多く見られる征服王や契約王ではなく、わが国の成り立ちの当初から自然に発生し、国民と国の歴史と文化を共有して存在してきた。

 表現を変えれば、神々によって国が生まれ、その神々の中でも最も貴い神(天照大神)の子孫が、高天原の神々の理念のもとに国を治めてきたというのがより正しい理解の仕方である。

 そして、その本質は“稲作と祭り”であったことは、皇室の歴史や多くの文献が明確に示している。いわば天皇及び皇室が第一義になさねばならないことは、個々の政治や行政に関与することではなく、天下泰平や五穀豊穣を祈る祭祀であり、文化の継承や護持であった。

 勿論、元寇(蒙古襲来)や明治維新など国家非常の危機にあった時、より政治的、軍事的支柱としてその御存在は発揮されたが、そのような時変においても“祭祀王”としての天皇の祈りは変わらず、有史以来常に御所(皇居)の奥深く「国安かれ、民安かれ」と国家国民の平和と繁栄を祈ってこられた。


◇わが皇室に国民が期待するもの

 しかるに敗戦後、わが国は7年余に及ぶ米国を中心とした占領軍の支配をうけ、わが国の伝統を否定し、信仰と文化を無視した国家、社会の体制を強いられ、政界、官界、教育界、言論界の多くの分野で反日的、非日本的風潮が蔓延して、皇室の尊厳やその御本質に無理解な人々が皇室と国家を危うくしているのは、誠に危険で恐れ多いことである。

 今上陛下は今年12月で77歳になられる。一昨年暮れ、御体調を崩されてご公務の負担軽減が検討されたのは当然のことである。しかし、その標的とされているのが宮中祭祀で、その他の政治行政上のご日程の件数が逆に増えているといわれることは由由しき問題である。

 ここ数年のわが国政の混乱と弱体化は目にあまるものがあるが、にも拘らずわが国が世界の先進国としてかろうじて信頼を得ているのは、天皇及び皇室の御存在をおいては考えられない。

 今上陛下に対し御憂念なきよう務めるのが政治家、官僚の仕事であって、自らの都合で利用することは厳に慎むべきことである。

 皇室の御繁栄と永続性こそがわが国の安泰と繁栄の基本であり、わが皇室に国民が求め期待するものは一時一局の政治やイベントの場に天皇陛下の御出席を煩わすことではなく、祭祀や祈りを通して国家と国民の文化や精神性に関わる永続的な部分を第一義に優先していただきたいということではないだろうか。

「平成の宮中祭祀簡略化」に尊皇派が慎重な理由──石橋がコンクリート橋になっても渡らない!? [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 「平成の宮中祭祀簡略化」に尊皇派が慎重な理由
 ──石橋がコンクリート橋になっても渡らない!?
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「石橋を叩いて渡る」ということわざがありますが、広い世の中には、鉄筋コンクリートに変わっても渡ろうとしない、根っからの慎重派がいるものです。橋が改修された事実が見えないのか、それとも見ようとしないのか。

 何がいいたいのか、といえば、むろん「平成の宮中祭祀簡略化」です。目前で進行している一目瞭然たる宮内官僚たちの無法に、すべてではありませんが、尊皇派の多くは沈黙状態で、正常化を促す社会的な声は生まれていません。

 振り返れば、30年前、「昭和の簡略化」が明るみに出たとき、尊皇派の態度は当初はやはり同様に慎重でした。それは、官僚たちの判断と陛下のご判断との関係が微妙であること、内邸のことは天皇の聖域であって、陛下のご心中を拝察すればただちに公開討論するのははばかれること、という冷静な判断があったからです。

 しかしその姿勢がほどなくして一変します。憂慮する照会者に対して、宮内官僚たちが紋切り型の対応に終始し、「祭祀は天皇の私事」とする占領時代前期の古臭い憲法解釈を繰り返していたからです。

 破られてはならない原則が踏みにじられている現実を知って、尊皇派は危機意識を強め、「もはや遠慮は許されない」と及び腰の姿勢を転換させ、一気に痛烈な批判行動へと向かったのでした。

 尊皇派の腰が重かったのは十分に理解できます。いまでこそ、入江日記など当事者による一次資料が公にされ、無軌道な祭祀の「簡素化」(入江日記)の推移をつぶさに知ることができますが、当時はそうではなかったからです。

 昭和57年暮れに現職の掌典補が勇気をもって問題提起するまで、入江侍従長の祭祀嫌いに発する「工作」(入江日記)の着手から十数年ものあいだ、部外者には、何が起きているのかさえ、はっきりとは見えなかったのです。

 ましてや密室で進められた祭祀変更の背景などは、関係者以外、知り得るものではありませんでしたから、尊皇派が石橋を叩くことになったのは無理もありません。

 しかし、いまはまったく違います。慎重さを必要とする理由がありません。

 昭和の簡略化は密室で進められ、卜部日記などは昭和51年の新嘗祭で「侍従長・侍従次長は暁の儀まで待機……あと(の侍従たち)は(夕の儀のあと)車にて密かに退庁」したと記録しているほど、秘密が押し通されましたが、いまは「平成の簡略化」の張本人がみずから尊皇派たちの前で講演し、「私が陛下にくり返し進言した」「祭祀は天皇の私事」と公言してはばかりません。

 となれば、もはや石橋を叩く必要もないはずで、昭和の尊皇派なら猛然と抗議するところでしょうが、平成の尊皇派は寂として声がありません。

 かつては尊皇派が宮内庁に対して、「祭祀は天皇の私事」と放言しているのは黙過できないと抗議の声を上げたのです。皇太子殿下(今上天皇)の御結婚の儀が「国事」として行われたのを誤りであり、不法だと富田長官らは考えるのか、と迫ったのです。ところがいまは逆に、尊皇派自身が「いつから追従者、傍観者に変節したのか」と問われかねない状況にあるのです。

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1 「掌典の御代拝」となった「建国記念の日」の御拝 by 斎藤吉久 [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 体調を少しばかり崩しているので、手短に書きます。鳩山政権批判は次号にします。

 先週木曜日、2月11日は「建国記念の日」でした。メディアは、各地で祝賀行事と反対集会がそれぞれ開かれたと伝えています。毎年恒例の、よくいえば客観中立的報道ですが、十年一日のごときステロタイプの記事だなとつくづく思います。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20100212-OYT8T00044.htm

 報道したメディアがあるのかどうか、知りませんが、今年は例年と違うことがありました。この日、陛下はいつもなら宮中三殿で拝礼されるのですが、宮内庁の発表によると、掌典による御代拝となったのです。ノロウイルス感染症の影響によるものです。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h22-0202.html

 御不例ですから、やむを得ないのですが、初代神武天皇の即位に由来するこの日、行われる御拝には、陛下のことのほか深いお思いがあるものと拝察されます。しかし宮内庁の扱いはあくまで「三殿御拝」であって、「紀元節祭」ではありません。


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 1 「掌典の御代拝」となった「建国記念の日」の御拝 by 斎藤吉久
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▽1 「紀元節祭」を避けている

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書いたように、昭和の宮中祭祀簡略化が表面化した昭和58(1983)年、尊皇意識に燃える神道人たちは抗議の声を上げました。とくに神社本庁は渋川健一事務局長名で、富田朝彦宮内庁長官に対して質問書を提出しました。

 質問内容は、三種神器や宮中三殿の法的位置づけ、伊勢神宮との関係など多岐にわたりましたが、2月11日の紀元節祭に関する質問も含まれていました。

 つまり、昭和20年暮れの神道指令との関連で、紀元節祭が廃されたほか、いまでは明治節祭も行われなくなった。41年に「建国記念の日」が法制化されたのにもかかわらず、紀元節祭は復活していない。廃止の理由を承りたい、と問い詰めたのです。

 これに対して、宮内庁サイドは5月になって、富田長官ではなく、宮中祭祀にたずさわる掌典職のトップ、東園基文掌典長が「宮内庁の公式見解」を発表します。

 神社界唯一の専門紙「神社新報」が伝えるところによると、「公式見解」には「皇室祭祀については諸般の事情により多少の変化はあるにせよ、その本筋は寸毫(すんごう)も変わることなく執行されており、将来も変わることがないと確信している」と記されています。けれども「紀元節祭」に関する具体的な回答は見当たりません。

「紀元節祭」について、現在も将来も、「寸毫も変わることなく」と回答したのだとすれば、まったく事実に反します。明治41年の皇室祭祀令では、紀元節祭は大祭に位置づけられていましたから、親拝ではなく、陛下みずから祭典を執行することになりますが、そのような実態はないからです。要するに、東園回答書は明確な回答を避けています。


▽2 なぜ及び腰なのか?

 たとえばアメリカでは、独立戦争さなかの1776年に独立宣言が公布されたことを記念して、7月4日が独立記念日の祝日となり、大統領がスピーチするほか、各地でパレードや花火大会などが官民を挙げて盛大に行われます。しかし、日本はまったく違います。

 皇位継承後、皇后陛下とともに宮中祭祀を学び直され、祭祀の正常化に努められてきた今上陛下は、この日、欠かさず宮中三殿に拝礼されています。けれども、民間による奉祝行事はあっても、日本政府が主催する祝典はありません。

 宮内庁だけでなく、歴代日本政府が及び腰なのです。問題は、なぜそうなるのか、です。

 紀元節反対派は、この日は神話に由来し、歴史的根拠がない。「紀元節」は天皇制の確立、侵略戦争の正当化に利用された、などと批判します。今年の陛下の御拝が側近の侍従による御代拝ではなく、掌典による御代拝となったのは厳格な政教分離主義によるもので、敗戦と占領政策を引きずっています。

 つまり、天皇論、靖国問題、侵略戦争論、政教分離問題は1つにつながっています。しかし、それらはどこまで科学的に解明されたことなのでしょうか?

 日米戦争中、アメリカ政府が「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉である、と本気で考えていたことは確かのようです。だからこそ、戦時国際法にあえて違反して、神道撲滅運動に血道を上げ、「国家神道」の中心施設であると理解する靖国神社を焼却処分にしようとまで考えたのでしょう。

 しかし占領後期になると、アメリカの神道敵視政策はいとも簡単に転換され、松平参院議長の参議院葬が議長公邸で、神道式で行われます。貞明皇后のご大喪もほぼ宮中の伝統にのっとって執り行われました。


▽3 進まない「国家神道」研究

 なぜアメリカは神道を敵視するようになったのか? なぜ数年も経ずに敵視政策をやめたのか? この2つは歴史の謎のままです。

 いま当メルマガに連載を寄せている佐藤雉鳴さんの「『国家神道』異聞」は、この謎に大胆に切り込んでいます。

 占領軍の「国家神道」観に影響を与えたのは、『日本の天皇と神道』の著者として知られるアメリカの宗教学者ダニエル・ホルトムです。しかし彼は日本人の著作などを疑いもなく引用するばかりです。そして、国家神道の聖典とされた教育勅語を、じつは日本人自身が「日本の影響を世界に及ぼす」と誤解していました。

 釈迦は弟子たちに「正しい教えを説き広めよ」と命じ、イエス・キリストも「全世界に行って、福音を述べ伝えなさい」と教えています。しかし、自然発生的な日本の神道には布教という概念がそもそもありません。世界布教などあり得ないのです。

 今日、朝鮮侵略のシンボルとされている朝鮮神宮は、植民地支配の道具として建設が提案されたのではありません。創建を訴えた神道人は、日韓の融和のために「朝鮮民族の祖神をまつれ」と呼びかけたのです。であればこそ、天照大神と明治天皇を祭神とする朝鮮神宮が鎮座するというとき、猛反対したのがほかならぬ神道人でした。

 戦後唯一の神道思想家・葦津珍彦は、大東亜戦争には伝統的な神道的道義精神と明治以来の帝国主義の野望という2つの潮流が流れていた、と書いています。歴史的に問われているのは、日本人の宗教伝統ではなくて、近代化の末に道義的宗教伝統を喪失したことでしょう。私流にいえば、多神教的な日本人ではなくて、一神教化した日本人のあり方が問われているのです。

 それにしても、毎年、天皇制批判を繰り返している反天皇派の、なんと進歩のないことでしょうか? いや、天皇擁護派とて、同様です。敗戦から60年以上が過ぎたというのに、佐藤さんが指摘するように、実証的な国家神道研究は遅々として進みません。アカデミズムもジャーナリズムも怠慢のそしりを免れません。


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御所から神嘉殿南庭に復した四方拝───私たちの祈りと声が通じた [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 元日に日本年金機構が発足しました。社会保険庁からの移行で、500人以上が分限免職(解雇)となりました。社保庁職員として給与をもらい、実際は無許可で組合活動ばかりしていたという「ヤミ専従」で懲戒処分を受けた約20人は採用が見送られました。

 労組活動の専従者なら労組から報酬を得るべきです。税金から得ていた給与は返還されるべきです。まして年金記録問題には組合との不適切な関係が背景にあると指摘されています。不採用は当然でしょう。けれども、組合は訴訟で対抗する構えです。

 興味深いのは組合の綱領です。「戦前、日本の労働者と労働組合は、諸外国に例を見ない天皇制軍国主義のもとで、人間らしい生活を求め、侵略戦争に反対するたたかいを続けました……」。

 「諸外国に例を見ない天皇制軍国主義」って何のことでしょう。19世紀風の国家観を唱え、対立と破壊を信仰し、革命を実践する人たちがいる。だから「反動国家」からカネをむしり取ることも正当化されているのではないのですか? 時代錯誤の歴史論が年金記録問題の遠因ではないのでしょうか?

 気になるのは、革命家たちと同じニオイが、あの「天皇特例会見」をゴリ押しした小沢民主党幹事長にすることです。多数派を形成すれば天皇をも動かすことができる、という発想ですが、それはまた次の機会にお話しします。

 さて、先週は「天皇特例会見」のその後について書きましたが、肝心なことを書き忘れました。習近平国家副主席の今後のことです。


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 御所から神嘉殿南庭に復した四方拝───私たちの祈りと声が通じた
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▽暗雲漂う習近平副主席の前途

 ちょうど1か月前になりますが、「副主席は血なまぐさいウイグル弾圧の責任者だから、陛下がご引見になるのはふさわしくない」というような、保守派からのきびしい抗議の声があがりました。けれども、「弾圧の責任者」という理解は実態とずれているようです。

 昨年7月のウイグル「暴動」は、胡錦涛国家主席がイタリアで開かれたG20に出かけていたときに起きました。中国ウォッチャーの情報によれば、王楽泉新彊ウィグル自治区書記は血の弾圧を主張したのに対して、留守番役の習近平氏はむしろ煮え切らぬ態度で、そのため政治局会議で逆に批判されたというのです。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4614804/

 予想に反して、9月に軍事委員会副主席になれなかった理由はここにあり、来日の打診が10月にずれ込んだのも失地回復に手間取ったのかと推測されます。

 だとすると、日本国民の反発を招いた「天皇特例会見」騒動は、習近平氏にとって、対日外交の主導権を手中に収め、権力の階段を駆け上がる踏み台としての目論見がはずれただけでなく、前途にふたたび暗雲をもたらすに違いありません。習近平氏は巻き返しに必死になるはずです。乱はさらなる乱を呼び、隣国の乱はわが国にも跳ね返ってきます。

 政治闘争を日常茶飯事とする中国の権力者たちに、「友愛」だとか「国際協調」などときれい事をいって、日本の最高権威である陛下を差し出すような特例会見をゴリ押しした政府民主党の罪はそれでなくとも重いといわざるを得ません。

 ということで、本題に入ります。この正月、宮中祭祀に関して、特筆すべきことが起きました。私たちの祈りが届いたのです。


▽注目すべき元日の宮中行事

 宮内庁は昨年末、今年1月1日の行事について、以下のように発表しました。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/gyoji-h22.html

平成22年1月1日(金)
午前5:30 天皇陛下 四方拝 神嘉殿南庭
同 5:40 天皇陛下 歳旦祭 三殿
同 9:05 両陛下 祝賀及びお祝酒 侍従長始め侍従職職員 御所
同 9:30 天皇陛下 晴の御膳 花の間
同 9:45 両陛下 祝賀 長官始め課長相当以上の者、参与及び御用掛 鳳凰の間
同10:00 両陛下 祝賀の儀 皇太子同妃お始め皇族各殿下 松の間
同10:10 両陛下 祝賀 元皇族、御親族 竹の間
同10:15 両陛下 祝賀 未成年皇族 鳳凰の間
同11:00 両陛下お始め祝賀の儀 内閣総理大臣始め 梅の間
次いで 両陛下お始め 祝賀の儀 衆議院議長及び参議院議長始め 松の間
次いで 両陛下お始め 祝賀の儀 最高裁判所長官始め 竹の間
同11:30 両陛下お始め 祝賀の儀 認証官等 松の間
同11:40 両陛下 祝賀 堂上会総代(3名) 鳳凰の間
午後1:10 両陛下 祝賀 宮内庁職員及び皇宮警察本部職員 北溜
同 1:20 両陛下 祝賀 旧奉仕者会会員(元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員) 北溜
同 1:30 両陛下 祝賀 元参与、松栄会会員、元側近奉仕者、元御用掛 竹の間
同 2:30 両陛下お始め 祝賀の儀 各国の外交使節団の長及びその配偶者 松の間

 注目したいのは一昨年および昨年との違いです。


▽平成の祭祀簡略化が進行中

 一昨年暮れのご不例直後、宮内庁はご公務の取りやめなどを発表し、羽毛田長官は「当面、1か月程度はご日程を可能なかぎり軽くし、天皇誕生日や年末年始の行事などについて所要の調整を行いたい」と12月11日の定例会見で語りました。

 ところが昨年元日の行事は、少なくとも宮内庁発表によれば、調整前の前年とほとんど変わりません。変わったのは、午前5時40分の宮中三殿での歳旦祭が親拝ではなくご代拝となったこと、9時5分の「祝賀およびお祝酒」の「お祝酒」がはずされたことです。

 長官のいう「可能なかぎり軽く」の実態がこれなのです。言行不一致そのものです。

 それなら今年はどうだったのか、というと、歳旦祭の親拝と「お祝酒」が復活しただけではありません。注目すべきことに、19年以来、御所で行われていた四方拝が神嘉殿南庭での神事に復したことが宮内庁の発表で分かります。

 このメルマガの読者ならご存じのように、まだ明け初めぬ元旦、陛下は宮中の奥深い神域、宮中三殿に付属する神嘉殿の南庭で、伊勢神宮、山陵、四方の神々を拝する四方拝を行われます。庭上で行われるのは、「庭上下御」といい、天皇がみずから地上に降り立って謙虚に神々を仰ぐ崇敬の誠を示しているといわれます。

 しかし昭和の時代、祭祀嫌いの入江相政侍従長は、天皇しかなさらない、一年最初の四方拝の破壊に熱中しました。昭和44(1969)年12月26日の入江日記には、入江が当時68歳の昭和天皇に「四方拝はテラス、御洋服で」と提案したとあります。

 そしていま、羽毛田長官のもと、昭和の祭祀簡略化を先例とする平成の簡略化が進行しています。


▽宮内庁の説明不足

 19年から四方拝の場所が御所に変更されていることは宮内庁のホームページから明らかです。昨年もお召し物は黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなくモーニングで、場所は御所の庭上で行われていますが、何を基準とした変更なのか、分かりません。

 しかし昨年末の発表では、先述したように、今年は神嘉殿南庭にもどされています。そして先週末に「平成22年1月1日(金) 天皇陛下 四方拝(神嘉殿)」というご日程が発表されました。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h22/gonittei-1-2010-1.html

 私たちの声が届いたということで オょう。私たちの主張を理解する方がおられるのでしょう。ありがたいことです。

 ただ、ひと言だけ申し上げれば、なぜ宮内庁はきちんと説明しないのでしようか?

 一昨年末も長官会見は「祭祀の調整」にふれていません。1か月半後の翌年1月末になってようやく宮内庁は祭祀の調整を具体的に発表したのですが、ご負担軽減といいながら、その後、ご承知のようにご日程件数は増え、歴代天皇が第一のお務めとしてきた祭祀だけが激減したのでした。

 どうしても祭祀を「調整」する必要があるというのなら、納得がいくように説明されるべきではないのでしょうか? 元にもどすのなら、その説明も必要でしょう。もう1つ、忘れてならないのは、陛下のご負担軽減は急務でしょうし、ご公務のあり方を再考する必要があることに変わりはないでしょう。


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伊勢神宮広報誌が明らかにした宮中祭祀簡略化の経緯 [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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伊勢神宮広報誌が明らかにした宮中祭祀簡略化の経緯
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 ある先輩から重要な情報が寄せられました。伊勢神宮の広報誌「瑞垣(みずがき)」最新号に、渡邉允前侍従長の講演録が載っているというのです。

 今年6月に前侍従長が伊勢でおこなった講演の要旨です。数カ月前、このメルマガが「祭祀の簡素化を進言した張本人?」として取り上げたのは、まさにこの講演です。

「天皇皇后両陛下にお仕えして」と題された講演録は24ページにわたっていますが、このうち今号では、祭祀簡略化問題と関連する部分を紹介し、検証してみます。

 そんなわけで、橋本明『平成皇室論』の批判はお休みです。


▽渡邉前侍従長の伊勢講演

「日々のお祈り」という見出しがつけられた章で、前侍従長は次のように述べています。

1、陛下の1年は元旦の四方拝・歳旦祭に始まる。1年が祭祀で始まるのは非常に象徴的である。

2、陛下は年に30数回、賢所で祭祀を行っておられる。

3、明治時代の皇室祭祀令には法的効力はないが、それにならってずっと祭祀が行われてきた。祭祀令が定める祭祀のほかに、歴代天皇の式年祭、外国ご訪問の前後に行われる賢所のご参拝があり、そのほか毎月1日の旬祭の親拝があった。

4、今年はご即位20年の節目であり、お年も75を数えられるので、ご公務を見直し、軽減してあげられないかと、みなで申し上げてきた。

5、私の時代にもずいぶん考えたが、陛下は絶対お聞き入れにならず、私はまだ大丈夫だから、やるんだ、とおっしゃっていた。しかし、さすがに75歳にもなられ、お体のこともあったので、若干のご公務について軽減の工夫などをした。

6、祭祀については、昭和天皇が60代後半になられたときにも、みなで考え、いくつかの祭祀は掌典長の御代拝に代えていただくことにした。

7、その1つが旬祭で、5月と10月だけ親拝とし、あとは御代拝とした。たしか四方拝は吹上御所でなさり、歳旦祭は御代拝、新嘗祭は夕(よい)の儀は親祭、暁の儀は御代拝になった。

8、それに倣うことを我々も進言したが、陛下は旬祭については同意されたけれども、四方拝、歳旦祭、新嘗祭については「いままで通りで」とおっしゃり、現在はそういう形になっている。

9、陛下は依然としてお祭りをずっとなさるおつもりだ。昭和天皇の前例について申し上げるが、「御足の具合が良くなくて、正座をなさるのがたいへん苦痛でいらしたらしい。だから、みなで考えてそうなった。自分は大丈夫」とおっしゃっている。

10、新嘗祭は肉体的にもたいへんなお祭りで、陛下は2時間ずつ、あわせて4時間、正座される。

 以上、簡単にいえば、前侍従長は、今上陛下のご高齢をきっかけに前侍従長ら側近が進言し、昭和の前例を踏襲して、祭祀の簡略化が始まった、という経緯を説明しています。


▽語られていないこと

 このメルマガの読者なら、もうお気づきでしょう。前侍従長が語っていない肝心なことがいくつかあります。

 第1は、明治の皇室祭祀令についてです。拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、たしかに皇室令は現行憲法の施行に伴い、その前日に廃止されました。しかし宮内府長官官房文書課長名の依命通牒で「従前の例に準じて事務を処理すること」(第3項)とされ、祭祀の伝統は引き継がれました。

 効力を失った祭祀令に基づいて、戦後の祭祀が行われてきたのではなく、文書課長の依命通牒が法的根拠なのです。

 ところが、絶対分離主義的な政教分離の考えが行政に蔓延し、主流となった昭和50年代、具体的には50年8月15日の宮内庁長官室会議で、「神宮御代拝は掌典、毎朝御代拝は侍従、ただし庭上よりモーニングで」(入江日記)というように「改正」(卜部日記)が行われ、戦後の宮中祭祀の法的根拠である依命通牒第3項が反故にされたのです。

 前侍従長はこの経緯を知らないのか、それとも知っていて、上記のような説明をするのでしょうか。

 第2に、いまの宮内庁の考えでは、「祭祀は陛下の私的活動」とされています。そのことは前侍従長の雑誌インタビューでも説明されており、その根拠は憲法の政教分離です。公務員は特定の宗教である神道祭祀には関われない、というわけです。

 だとすると、渡邉前侍従長は、というより、前侍従長の講演では「みなで申し上げた」ことになっていますから、宮内官僚がこぞって、公務員として関わってはならない陛下の宗教に関わったことになります。憲法に違反する行為をみずから行ったことを告白したことになります。


▽天皇とは何か

 第3に指摘したいのは、昭和の祭祀簡略化について、歴史事実の理解が正確でないことです。拙著に書いたし、このメルマガでもさんざん繰り申し上げてきたことなので、繰り返しませんが、昭和天皇がご高齢で、そのために祭祀が簡略化されたという理解は誤っています。

 昭和時代の掌典長による旬祭のご代拝こそ、祭祀の破壊そのものでした。本来なら側近の侍従による御代拝であるべきものを、入江侍従長らは祭祀嫌いの俗物的発想と誤った政教分離主義から掌典による御代拝に変えたのです。

 前侍従長は戦後の祭祀改変の歴史を正しく理解しないで、今上陛下に簡略化を進言したのでしょうか。それとも知らないふりをしているのでしょうか。

 第4に、前侍従長は「昭和天皇をかばおうとなさる陛下のお気持ちを感じることがある」と語っています。

 つまり、側近が昭和天皇に祭祀の簡略化を勧め、これに対して昭和天皇は、足の具合が悪いため、やむなく受け入れた、と今上陛下はおっしゃっている、というのですが、侍従長の講演では、今上陛下が昭和天皇の何をかばうのか、なぜかばうのか、がはっきりと見えません。

 キーワードはむろん祭祀王でしょう。天皇第一のお務めは国と民のために無私の祈りを捧げる祭祀である、と考えるなら、足が悪いという肉体的な理由で簡略化を受け入れざるを得なかった昭和天皇は、どれほど耐え難いことだったか。同様に祭祀王を自覚し、同じ状況に臨んで、今上陛下は先帝の無念が身にしみるのでしょう。

 だとすれば、「陛下のお気持ち」を察せられるのならなおのこと、前侍従長は、なぜ簡略化を勧めたのでしょうか。簡略化などしなくても、御代拝で十分なのに、です。

 結局のところ、天皇とは何か、という本質論が、陛下と側近とでは異なるということなのでしょう。名目上の国家機関の1つに過ぎないという官僚的発想では、「昭和天皇をかばおうとされる今上陛下のお気持ち」を理解することは難しいでしょう。

 前侍従長の講演からは、今上陛下がお一人で祭祀の伝統を守ろうとされている実態が、問わず語りに浮かび上がってきて、胸が痛みます。


▽神道人の心意気が問われる

 第5番目として、それほど陛下のご負担を軽減したいのなら、ご公務そのものにメスを入れるべきです。ご負担軽減は名ばかりで、ますます増え、一方で、祭祀ばかりが標的にされているのは、なぜなのでしょうか。

 祭祀簡略化を側近として陛下に進言した前侍従長は、この根本的問いに答える義務を負っています。

 さて、この前侍従長の講演は、聴衆のほとんどが、祭祀の専門家であり、かつ宮中祭祀の重要性をもっともふかく理解する神道人だったようですが、神道人たちは今後、どう対応するのか。その対応が注目されます。

 天皇の祭祀は宮中の奥深い神域で、人知れず行われています。しかし国と民のためにひたすら祈る天皇の祭りこそ、多様なる国民を多様なるままに統合してきた日本の多神教的文明の根幹です。したがって祭祀簡略化問題は日本の文明に関わる大問題なのです。

 であればこそ、昭和の簡略化問題が火を噴いたときには、多くの神道人が反対の声を上げました。神社本庁は事務局長名の質問書を宮内庁長官あてに提出しています。占領中も侍従の毎朝御代拝は認められた。神道指令失効後の社会党内各時代も同様だが、なぜ古来の伝統的祭服からモーニングに替えたのか、などと詰め寄ったのです。

 神社人だけではありません。保守派を代表する評論家の福田恒存は「もしこんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を宮内庁から救出する落下傘部隊が要りますねえ」と週刊誌にコメントしています。

 何年か前、ある大社の長老が雑誌インタビューで、「一朝ことあるときは、神職2万人が皇居を取り囲んで陛下をお守りする」と表明しているのを読み、感銘を受けたことがあります。その心意気がいま示されるのかどうか。

 次回は、前侍従長の講演をふたたび取り上げ、あらためて全体的に検証してみたいと思います。


以上、斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンから。
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宮中祭祀を蹂躙する人々の『正体』──「ご負担軽減」の嘘八百。祭祀を簡略化した歴代宮内庁幹部の狙いは何か [宮中祭祀簡略化]

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宮中祭祀を蹂躙する人々の『正体』
──「ご負担軽減」の嘘八百。祭祀を簡略化した歴代宮内庁幹部の狙いは何か
(「正論」平成21年9月号から)
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 今上陛下は昨年(平成20年)末、御年75歳になられました。ご高齢で、しかもガンを患い療養を続ける陛下にとって、日々のご公務のご負担軽減は何にもまして急務ですが、相変わらず超多忙の日々が続いています。

 昨年暮れのご不例を受けて、宮内庁は今年1月、ご公務の見直しを前倒しする具体的な削減策を打ち出し、それから、はや半年あまりがたちました。ご容態がとくに好転したとは聞きませんが、まったく驚くべきことに、ご日程の件数は減るどころか、逆に増えるばかりです。7月には2週間におよぶカナダ、ハワイ公式ご訪問までが実施されました。

 一方、これとは対照的に、ご負担軽減の標的にされているのが宮中祭祀です。順徳天皇の『禁秘抄(きんぴしょう)』(1221年)に「およそ禁中(きんちゅう)の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあるように、歴代天皇が第一のお務めとしてきた祭祀は、伝統無視の簡略化が進められています。

 今年はご即位20年、ご結婚50年のこの上ないお祝いの年ですが、ご負担軽減とは名ばかりで、悠久なる歴史に立つ皇室の伝統がないがしろにされ、ご高齢の天皇は「象徴」という国の機関として無慈悲にも利用するだけ利用されているとの印象を免れません。


▽1 ご不例で祭祀の簡略化を前倒し

 6年前、前立腺ガンの手術をされ、療養を続けてこられた陛下が、不整脈などの不調を訴えられたのは昨年11月のことでした。

 12月上旬に新たな症状が現れ、宮内庁は検査と休養のためすべてのご公務を取りやめることなどを発表しました。

 名川良三東大教授は会見で「AGML(急性胃粘膜病変)があったのではないかと推測される」とご病状を説明します。

 羽毛田(はけた)信吾宮内庁長官は会見で「所見」を発表し、当面の対応として、1か月程度はご日程を可能なかぎり軽くし、天皇誕生日(12月23日)や年末年始の行事などについて調整することを表明しました。

 長官は祭祀の「さ」の字も語りませんでしたが、実際、調整の狙い撃ちにされたのは祭祀でした。日程調整は「可能なかぎり」とはほど遠く、年末の誕生日記者会見が中止され、新年一般参賀のお出ましの回数が七回から五回に減らされた程度、その一方で、祭祀は無原則に蹂躙(じゅうりん)されています。

 例年なら元旦、皇居の奥深い聖域・宮中三殿の西に位置する神嘉殿(しんかでん)南庭で伊勢神宮、山陵、四方の神々を遥拝する四方拝が行われ、引き続き、歳旦祭が宮中三殿で行われますが、四方拝は神嘉殿南庭ではなくお住まいの御所の庭で、お召し物も天皇だけが身にまとう黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなくモーニング姿でお務めになり、歳旦祭はみずから拝礼なさる親拝ではなく、また側近の侍従による御代拝でもなく、掌典次長による御代拝となったと伝えられます。

 分刻みの祝賀行事はストレスにならず、天皇第一のお務めである宮中祭祀こそがストレスの原因だといわんばかりです。

 祭祀を狙い撃ちにする今回のご負担軽減には、昭和の時代の前例があります。

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に詳しく書きましたが、戦後の宮中祭祀の「簡素化」(『入江相政日記』)は入江侍従長(当時)の工作で始まりました。 入江侍従長の昭和45年ごろの日記には、新嘗祭の取りやめ、四方拝の洋装、歳旦祭の御代拝に取り組んだことが記録されています。たとえば44年12月26日には、入江が昭和天皇に「四方拝はテラス、御洋服で」と提案したとあります。

 提案は昭和天皇のご高齢・ご健康に対する配慮を名目にしていましたが、口実にすみません。入江の祭祀嫌いに端を発し、後述するように、やがて富田朝彦長官が登場すると、誤った政教分離主義によって祭祀の空洞化・破壊が本格化していきました。

 それから約40年後のいま、祭祀簡略化の先例を忠実に引き継いでいるのがテクノクラート官僚たちです。

 昨年2月、宮内庁は、両陛下のご健康問題について発表し、とくに天皇陛下については、ガン治療の副作用に抗する新たな療法が必要なことから、ご日程のパターンを見直すことを明らかにしました。

 風岡典之次長はこのとき、見直しは昭和天皇の先例に従うとともに、「平成の御代が20年を超える来年(21年)から」という陛下のお気持ちを尊重して実施される、と補足説明しています。

 3月には、宮中祭祀のあり方について調整が進行中とも発表されました。

 さして昨年暮れの御不例で対応は急を要することとなり、前倒しされました。

 羽毛田長官らは祭祀の「調整」に口をつぐんだまま、昭和の「悪しき先例」の踏襲に踏み出したのです。


▽2 逆に増えたご日程の件数

 今年1月発表のご負担軽減策は陛下のご高齢とご健康問題を理由とし、「拝謁の回数、日程を縮減する」「全国植樹祭などは、基本的にお言葉はなしとする」「新嘗祭の暁の儀は時間を限ってお出ましいただく」などというのが、具体的な内容でした。

 ご公務の件数の多さに神経をとがらせながらも、件数を大胆に削減するという方法は採らず、あるいは採れずに、ご公務の重要性と両陛下のご姿勢を理由に、そして昭和の先例を口実にして、中身をきめ細かく調整するという玉虫色の対応策が示されました。

 そして案の定、ご日程の件数は逆に増えました。

 論より証拠。宮内庁がネット上に公表している「ご日程」から、過去3年間について、1〜7月までの件数を単純に加算してまとめたのが「表1」ですが、一目瞭然、ご公務の件数は全体で前年比9%、3%と増え続けています。
表1ご公務件数.png
 月ごとに見ると、例年2月は、陛下は皇后陛下とともに、葉山で静養されますので、ご日程の件数は減るのですが、今年は鳴り物入りの削減策発表の直後なのに、去年より件数が増えています。逆に一昨年5月の件数が少ないのは、ヨーロッパ御訪問を「1件」と数えているからです。

 御結婚50年の祝賀行事が行われた今年4月は、過去にない水準にまで件数が増加し、5月は伸び率が抑制されましたが、6月にはふたたび増加が目立つようになりました。7月にはじめて減りましたが、これは3〜17日までの半月におよぶカナダ、ハワイ公式御訪問のためです。

 中身を見てみます。今年7月のご公務を、宮内庁による分類方法に準拠して「宮中のご公務など」「行幸啓など(国内のお出まし)」「国際親善」の3つに区分し、比較すると、「表2」のようになります。「国際親善」は省いてあります。
表2 7月期のご公務.png
 表をご覧ください。宮内庁が意識して減らしているはずの国内関係者の拝謁が、6月までは増加傾向にありましたが、さすがに7月は増えていません。

 ところが結論はまだ早いのです。

 いわずもがなですが、外国ご訪問で今上陛下が皇后陛下とともに、相手国の国家元首とご会見になっても、「宮中のご公務」にはなりません。晩餐会のご出席や大学へのお出ましも同様ですが、これらをあえて「宮中のご公務」あるいは「地方行幸」と見立てて、数え上げたのが、「表2」の「21年(2)」です。

 ご覧になってお分かりのように、「ご会見・ご引見」は「0件」から「13件」に、「拝謁・お茶・ご会釈」は「16件」から「23件」に、などと、とたんに数値は跳ね上がります。

 当局がご無理のないような日程を組んでいると信じたいところですが、午餐・晩餐はほとんど毎日、続いています。

 ご出発前に金沢一郎皇室医務主管が発表したところでは、陛下の不整脈はいまなお散発的に見られるため、ご体調次第では海外ご訪問の日程が変更を余儀なくされる可能性もある、とのことでした。

 実際は杞憂に終わったようで、幸いですが、陛下のご健康よりご公務が優先されているとの疑いが否めません。

 つまり、少なくとも公開情報では、ご公務はけっして減ってはいません。宮内庁のご公務ご負担軽減策は言行不一致以外の何ものでもありません。

 たとえば、陛下のご名代として皇太子殿下にお出まし願い、陛下のご公務そのものを大胆に削減するというような抜本的方法を採らなければ、陛下のご負担の軽減は覚束ないのに、宮内庁は思い切った対策をとれずにいます。

 仄聞では、その理由として「陛下のご意向」があげられていますが、違うでしょう。

 ご公務は良かれ悪しかれ官僚社会の反映です。拝謁の大半は官僚たちが対象で、陛下の行幸は官庁のイベントに駆り出されているのが実態です。

 大胆な削減ができないのは、各省庁寄り合い所帯である宮内庁組織の限界なのでしょう。出向組の官僚がどうして本省に楯突くことができるでしょうか。


▽3 皇室の伝統を破壊

 名ばかりのご負担軽減の一方で、後ろ盾となる巨大官庁もなく、情け容赦なしに削られたのが宮中祭祀です。

 19年以降、1〜7月期の祭祀の件数を表にまとめたのが「表3」ですが、今年は文字通り激減しています。元日の歳旦祭、1月3日の元始祭、2〜4月、6、7月それぞれ1日の旬祭が御代拝となったからです。
表3祭祀件数.png
 しかし御代拝はご負担軽減にはなりません。千年余の皇室の伝統を破壊しただけです。

 宮内庁の言い分では、昨年2月、3月の発表でも、今年1月の発表でも、陛下のご健康問題と昭和の先例がご負担軽減の理由とされています。しかし今回の軽減策のきっかけとなったご不例は医師によれば急性で、原因は精神的、肉体的なストレスと説明されていました。だとするなら、肉体的なご負担ばかりを軽減しようとする宮内庁の方針は誤りです。

 羽毛田長官にいたっては「急性病変」という医師の診断を無視し、「ここ何年かにわたり、お心を離れることのない皇統の問題」などと、あたかも皇位継承問題がご心労の原因であるかのように「所見」で述べています。診断を否定する特別の根拠があるのでしょうか。

 拙著に書いたように、「国中平らかに安らけく」とつねに祈られ、喜びのみならず悲しみをも、そして命すら国民と共有しようとされるのが祭祀王たる天皇ですから、ご心労の原因を特定することは困難です。たとえ箇条書きにして100項目並べ立てたとしても、陛下のお悩みは尽くせるものではないでしょう。

 あえて特定化するなら、百年に一度ともいわれる未曾有の経済危機でしょう。医師は心身のストレスから発症まで数時間から1、2か月と説明しています。症状が現れた昨年末からさかのぼって、2か月以内に何があったのか。

 いみじくも陛下は、新年の「ご感想」などで、「秋以降、世界的な金融危機の影響により、わが国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます」と述べられました。

 健康を害されるまでに国民に心を寄せられるのは天皇が「祈る王」だからですが、宮内官僚は逆に天皇から祈りを奪おうとしているかのようです。

 テクノクラートたちには、天皇という存在が祭祀王だという認識がないのでしょう。祭祀軽視は昭和の時代から続く、不動の既定方針なのです。なぜそういえるのか、まずエリート宮内官僚の言い分を聞いてみます。

 今回の祭祀破壊の経緯を浮かび上がらせる資料に、「諸君!」の昨年7月号に載った渡邉允前侍従長のインタビューがあります。

 前侍従長が説明するのは、祭祀、とりわけ寒さがつのる晩秋に行われる新嘗祭の肉体的、精神的なご負担です。

 陛下のお祭りは秘儀ですから、詳細を述べることは差し控えなければなりませんが、アウトラインを申し上げると、11月23日の夕刻、神嘉殿にお出ましになった陛下は、数々の神饌を作法に従い、時間をかけてご自身でお供えになります。

 拝礼のあと、神社の祝詞に当たる御告文を奏され、さらにご神前で米と粟の新穀、白酒・黒酒(しろき・くろき)の神酒を召し上がり、この直会(なおらい)がすむと、神饌を順次、撤下され、一通りの神事が終わります。

 これが「夕(よい)の儀」で、3時間後、ふたたびお出ましになり、同様の神事が繰り返されます。これが「暁の儀」です(八束清貫「皇室祭祀百年史」=『明治維新百年史第一巻』所収)。

 渡邉前侍従長がインタビューで述べているように、神事のあいだ、「侍従長と東宮侍従長は外廊下で2時間、正座して待っています」が、慣れていない立ち上がるときは必死の思いだと吐露しています。さらに「陛下もずっと正座なのです」と、肉体的苦痛がさも祭祀簡略化の直接的な理由であるかのように前侍従長は説いています。

 けれども、これは誤りです。


▽4 侍従長の負担をすり替え

 前侍従長のインタビューで言及されているように、神事をみずからなさる陛下が身動きもせずに、ただじっとしているわけではないのは、いわずもがなです。また、能楽師などのように、幼少のころから板の間に正座して稽古に励む人たちもいますから、畳の上での長時間の正座が難行苦行であるかのように、断定的に解説するのは正しくありません。

 そもそも新嘗祭とは、神々と天皇と国民が命を共有し、命の蘇りを図る食儀礼であって、宮中の最重儀とされる、この祭りの本質と意義を忘れるべきではありません。

 陛下にとって祭祀が激務なのは、むしろ精神的なものでしょう。皇祖神の命令に従い、歴代天皇が引き継いできた私心なき祈りを、ひたすら国と民のために捧げることが、どれほど大きな緊張を強いることか。

 とはいえ、ご高齢で療養中の陛下にとって、長時間の祭祀が肉体的に過酷であることは間違いありません。

 祭祀簡略化の第2の理由として、前侍従長はいかにも官僚らしく、昭和の先例を引き合いにします。

「昭和天皇の例では、いまの陛下のご年齢よりもだいぶ前から毎月の旬祭を年2回にされ、69歳になられたころからは、いくつかの祭祀を御代拝によって行われたりした。私も在任中、両陛下のお体にさわることがあってはならないと、ご負担の軽減を何度もお勧めしましたが、陛下は『いや、まだできるから』と、まともに取り合おうとはなさいませんでした」

 しかし、この説明も一面的です。すでに申し上げましたように、昭和40年代に始まる昭和の宮中祭祀簡略化は昭和天皇のご高齢が理由ではなくて、入江侍従長の祭祀嫌いが諸悪の根源です。

 入江は昭和9年から50年以上、昭和天皇に仕え、宮中祭祀の神々しさに誰よりも多く接したはずなのに、あの膨大な日記に祭祀の神聖さはまったくうかがえません。それどころか、年末年始の重要な祭祀に「出なくていいのはうれしい」と手放しで喜んでいるほどです。

 昭和天皇のご高齢は口実に過ぎません。別ないい方をすれば、昭和の祭祀簡略化の動機は、昭和天皇ではなくて、入江自身の加齢でしょう。入江の肉体的負担が昭和天皇の負担にすり替えられたのです。

 平成のいま、渡邉前侍従長が「ご負担」を強調するのと構造的に似ています。

 あにはからんや、祭祀の簡略化によって激務から解放されたのは陛下ではなく、側近の侍従でした。

 たとえ御代拝となっても、その間、陛下は御座所で正座のまま祈りのときを過ごされます。宮中三殿の祭儀だけでなく、1年365日、つねに祈りを捧げている天皇にとって、形式的な祭祀簡略化は無意味です。

 しかし御代拝なら、侍従に出番はなく、着慣れぬ装束も、長時間の正座も不要です。

 入江による昭和の祭祀簡略化は動機が不純で、論理的一貫性にも欠けていました。ご負担軽減を理由に祭祀を「簡素化」しておきながら、昭和天皇・香淳皇后のヨーロッパ(46年)、アメリカ(50年)への公式ご訪問が行われたのはその最たるものです。

 そしてこの矛盾を官僚的な先例主義で引きずっているのが、いまの宮内庁です。


▽5 「退位」を口にされた昭和天皇

 入江侍従長は祭祀の本質をほとんど理解できずに、「お上のお祭、来年は春秋の皇霊祭と新嘗祭。御式年祭もおやめに願い、再来年にはぜんぶおやめ願うこと、植樹祭、国体はやっていただく」(入江日記、昭和56年11月7日)などと公言してはばからない、いわば俗物でした。

 入江は祭祀の「簡素化」を皇太子(今上天皇)の発議、皇族の総意によって進めようという工作までしたようですが、祭祀の空洞化は、「無神論者」を自称する、警察官僚出身の富田朝彦宮内庁次長(のちの長官)が登場し、憲法の政教分離原則への配慮が前面に押し出されることで本格化します。

 転換点は50年8月15日の長官室会議で、天皇に代わって侍従が宮中三殿を拝礼する毎朝御代拝は、烏帽子、浄衣に身を正すのではなくてモーニング姿で、三殿の外陣ではなくて庭上から行われることなどが決まった、と側近の日記に記されています。

 その背景には、公務員は特定の宗教である神道儀式には関われない、という誤った絶対分離主義的発想がありました。

 際限ない祭祀簡略化に対して、祭祀王を自覚する昭和天皇が同意されるはずはありません。それどころか、陛下は「退位」を口にされました。入江日記にはこう記録されています。

「11月3日の明治節祭を御代拝に、そして献穀は参集殿で、ということを申し上げたら、そんなことをすると結局、退位につながるから、と仰せになるから……」(昭和48年10月30日)

 この年の入江日記からは、昭和天皇が幾度となく退位、譲位について表明されたことが読み取れます。祭祀こそ天皇第一のお務めであるという大原則に立てば、入江らが工作する無原則の祭祀簡略化がどれほど受け入れがたいことだったでしょうか。

 しかし入江らの簡略化は舞台を「オク」から「オモテ」に移し、激化したのです。

 そしてその一部始終を皇太子のお立場でご覧になっていた今上陛下が、40年後のいま、先帝と同様の状況に立たされています。

 しかし側近たちが昭和の先例を持ち出して、祭祀の簡略化を迫るのを、陛下は「まともに取り合おうとはなさいませんでした」(渡邉前侍従長の「諸君!」インタビュー)。当然です。

 天皇の祭祀には御代拝の慣習があります。戦前の皇室祭祀令は、大祭・小祭のうち、元始祭や紀元節祭など大祭の場合、天皇がみずから親祭になれないときは、皇族または掌典長に祭典を行わせる、と明記していました。

 祭式は形式ですが、単なる形式ではありません。茶道などでもそうですが、所作の形に意味があるのであって、形を破ることは神への冒涜につながります。

 にもかかわらず、入江が旬祭の親拝を年2回に削減し、新嘗祭を夕の儀のみとするなど、祭式を改変させたのは、俗物なるがゆえに、単なる形式と考えたからでしょう。もしご健康に不安があれば、祭祀の簡略化などせずとも、旧祭祀令に準じて、御代拝を採用すれば十分なのです。

 けれども、新嘗祭だけは御代拝ができないという考え方があります。明治になって成文化された祭祀令では、新嘗祭も大祭に分類されていますから、掌典長に祭祀を行わせればいいはずですが、そうではないというのです。

 それは天皇の本質と関わっています。

 天皇は私を去って、ひたすら国と民のために祈ることで、この国を治め、民をまとめ上げ、社会を安定させてきました。

 拙著に書いたように、稲作民の米と畑作民の粟の新穀をともに捧げ、神人共食の直会をなさる新嘗祭は、天皇がなさるからこそ意味を持つ国民統合の儀礼と理解できます。天皇以外の皇族や掌典長が祭りを奉仕しても意味をなしません。

 したがって昭和天皇が、入江侍従長から新嘗祭の簡略化を進言されて、退位まで口にされたのには、それだけの理由があります。

 歴代天皇は祭祀こそ最大のお務めと考え、実践されました。昭和天皇も今上陛下も同じお考えでしょう。その天皇から祭祀を奪うことが、陛下ご自身にとっていかなる意味を持つのか、拝察するのもはばかれます。


▽6 天皇の祭祀は「私的な活動」?

 しかし現実にいま、宮内官僚たちはご負担軽減と称し、昭和の先例を持ち出し、さらに「陛下のお気持ちに沿って」と強弁して、祭祀の簡略化を断行しています。

 それほど陛下のご健康問題が深刻なら、法的根拠があるわけでもないご公務を削減すればいいものを、ご公務の件数はいっこうに減らないどころか、ますます増え、長期の外国ご訪問までが実施されました。

 問題は天皇の本質をどう見るかにかかっています。

 古来、天皇は祭祀王の立場にあります。しかしテクノクラートたちにとっての天皇は、政府すなわち官僚の意思のままに動く近代的な国家機関に過ぎません。

 宮内官僚たちが女性天皇容認、女系継承容認の皇室典範改正を熱心に推進していることとも共通しますが、エリートたちが考える天皇は、悠久なる歴史的存在としての天皇ではない、ということでしょう。天皇が名目のみの国家機関の1つに過ぎないのなら、男性でも女性でもかまいません。

 渡邉前侍従長は先のインタビューで、こう語っています。

「宮中祭祀は、現行憲法の政教分離の原則に照らせば、陛下の『私的な活動』ということにならざるを得ません」

「つねに国民の幸せを祈るというお気持ちをかたちにしたものとして祭祀がある」と語るほど、祭祀への理解が浅からぬ前侍従長ですが、それでも、通俗論的な憲法解釈から抜け出せないのでしょう。

 しかし、天皇の祭祀が天皇の私的な行為だというのなら、渡邉前侍従長が公務員の立場で進言し、介入したのは、分をわきまえぬ不遜な越権であると同時に、官僚たち自身の政教分離主義に反することになります。自家撞着です。

 前侍従長はインタビューの最後に、憲法論に触れ、「今上陛下はご即位のはじめから現憲法下の象徴天皇であられた。陛下は、そのような立場で何をなさるべきかを考え続け、実行し続けて、今日までこられた」と述べています。

 現行憲法には、天皇は日本国の象徴、日本国民統合の象徴である、と規定され、陛下は会見などでしばしばこのことに触れられていますが、前侍従長とはニュアンスが異なるのではないか、と私は思います。

 簡単にいえば、前侍従長はあくまで現行憲法を起点とする象徴天皇論ですが、陛下は歴史的な背景を十分に踏まえたうえでの議論だと思います。それは当然のことで、古来、祭祀の力で国と民をまとめ上げてきた長い歴史があるからこそ、象徴たる地位があるのです。

 しかし官僚たちの天皇論は、天皇の歴史への関心は薄く、時代が変わり、憲法が変われば、右に左に揺れる融通無碍の危うさがあります。そしてそれがまさにテクノクラートたるゆえんなのです。

 官僚たちが進める理屈の通らないご負担軽減で、これから先、何が起きるのか。間違いなくいえるのは、天皇が非宗教化し、単なる「象徴」という存在に成り下がるということでしょう。

 それは天皇の祈りを中心に、多様なる国民が多様なるままに統合してきた日本の多神教文明が崩壊し、無神論国家化するということです。


▽7 取り込まれた保守派人士

 そのような状況に際して、反天皇論者ならいざ知らず、祭祀の専門家たちも、尊王論者たちも沈黙しています。知らぬ間に取り込まれているからです。

 渡邉前侍従長は今年6月、伊勢神宮のお膝元で開かれた神社関係者の集まりで講演し、「祭祀簡略化を進言したのは私だ」とみずから告白したといいます。

 しかし、曾祖父は宮内大臣、父親は昭和天皇のご学友という高貴な出自を誇り、自身は東大法学部を卒業したあと、外務官僚としてキャリアを積み、その後、宮内庁に入り、8年12月から10年以上も陛下のお側にお仕えした華麗きわまる経歴の持ち主ならではのお話に、聴衆はむしろ感激したと聞きます。

 前侍従長の告白はこれが初めてではありません。私が知るかぎり、最初は15年暮れに行われたという雑誌インタビューです。

「昭和天皇が今上陛下のお歳のころは、冬の寒いときや夏の暑いときには旬祭はなさらず、掌典長が御代拝を勤めていました。陛下のご負担を思うと、そうしていただいた方がよいかと思うこともありますが、陛下はなかなか『うん』とはおっしゃいません」(渡邉『平成の皇室』所収)

 読者はもうこの発言の誤りが理解されるでしょうが、インタビューは保守派の運動団体の機関誌に掲載されました。タイトルは「国民とともにある皇室」。国民1人ひとりに心を寄せられる両陛下の日常を紹介し、「国民の幸せを願われ、具体的なかたちに現れたのが宮中祭祀である」とまで述べ、天皇の祭祀への理解を示した記事でした。

 そこにさりげなく添えられた打ち明け話に目をとめ、疑問を抱く人はまれだったでしょう。

 やがてインタビュー記事は、ほかの講演録などとともに小さな本にまとめられましたが、出版社の代表は保守派の重鎮中の重鎮です。

 祭祀の専門家たちも、保守派の運動家たちも、保守派の重鎮も、まさか皇室の伝統を度外視した宮中祭祀の簡略化に賛成しているわけではないでしょう。しかし、結果として、簡略化推進派に押し流されてきたのでしょう。それだけ有能な日本の官僚は根回しが巧みなのです。

 皇室を大切に思うことにかけては誰にも引けを取らないはずの保守派人士たちが、平成の宮中祭祀簡略化につゆほどの抵抗も見せていないどころか、お墨付きを与えている、ということになれば、事態はさらに悪化します。

 私がいま、もっとも心配するのは、今年11月の新嘗祭です。御在位20年、御結婚50年という佳節の年に、2千年を超えるとされる皇室の伝統を無視した無残な祭りとなっては、歴史に禍根を残します。

 私と問題意識を共有し、現状を憂える読者の皆さん、どうぞ発信してください。それでなくても、目下、私のメルマガで追及しているように、皇室洋語を謳いつつ、破壊を促すような、皇太子殿下の「廃太子」を騒ぎ立てる「陛下の級友」さえいるご時世です。

 ごくふつうの常識人の声が必要なのです。

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2 神と人間のどっちを向いているのか [宮中祭祀簡略化]

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 2 神と人間のどっちを向いているのか
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 たいていの県には少なくとも1社、護国神社があり、近代の戦争で命を落とした人々の慰霊が行われていますが、護国神社がない例外もあります。神奈川県です。

 正確にいうと、昭和17年に建設が始まったのですが、竣工間近の20年5月、横浜大空襲で焼失したのです。

 いまその跡地は陸上競技場などスポーツ施設が並ぶ三ツ沢公園の一部となり、現代的なデザインの横浜市慰霊塔が建っています。神社の再建はありませんでした。

 昭和26年に講和条約が締結され、条約の発効で日本が独立を回復すると、各地で慰霊塔の建設が行われるようになりました。神奈川県も例外ではありませんでした。

 外交官出身で、カトリック信徒といわれる内山岩太郎知事は熱心でした。紆余曲折の末、28年、横浜市港南区大岡台に慰霊堂が完成します。秩父宮妃殿下のお出ましを願い、竣工式・慰霊祭が行われました。

 神奈川県で特徴的なのは、官民合同、諸宗教合同の慰霊祭が行われていることです。「神奈川方式」と呼ばれています。

 その後、大きく変化したのは49年で、慰霊堂奉賛会が主催する宗教儀礼を含む奉賛行事と県が主催する非宗教的な慰霊祭とが切り離されました。政教分離原則への配慮と想像されますが、57年には戦没者追悼式と呼び名も変わります。

 私が取材したときは、宗教家たちによる奉賛行事に知事の参列はありませんでした。もっとも興味深いのは、知事の挨拶が、慰霊堂にまつられている戦没者ではなく、追悼式に集まった参列者に向かって行われることです。

「知事はどっちを向いているのか。遺族も大事だが、あるべき慰霊とはどういうものなのか」と疑問の声が上がっていました。

 同様のことは宮中祭祀簡略化問題についてもいえます。

 天皇の祭祀は、天皇が私を去り、皇祖神と一対一で相対峙され、行われます。しかし入江元侍従長ら側近たちによる祭祀の簡略化は、神を見ずして、企てられたのです。そして神という視点を持たないものたちは沈黙しています。

 宮中祭祀を空洞化させたのは、私たち自身の内なる無宗教性だといえます。

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1 常識人の声が祭祀を正常化する [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 当メルマガの読者登録件数(melma!)が、おかげさまで2700を超えました。「歴史」のジャンルでは、堂々の1位です。

 当メルマガはこのところ、宮中祭祀簡略化問題を取り上げてきました。文明の根幹に関わると同時に、国民一人一人の暮らしと直結する大きな問題である、と私は考えています。天皇の祈りこそは、多様なる国民を多様なるままに統合してきた文明の中核だと思うからです。

 ご高齢で療養中の今上天皇にとってご負担の軽減は急務ですが、軽減とは名ばかりで、ご公務の日程は増えるばかり、その一方で天皇第一のお務めである祭祀は無原則に削られています。こんな馬鹿なことがあるでしょうか。

 正常化には皆さんの力が必要です。宮中祭祀に関する理解が深まり、現状についての問題意識が共有できるように、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』がより多くの方々に読まれること、メルマガの読者がさらに増えることを願っています。このメルマガの末尾にある評価も忘れずにお願いします。


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 1 常識人の声が祭祀を正常化する
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▽天皇制形成の再現
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 さて、当メルマガはこのところ、渡邉前侍従長が「在任中、ご負担の軽減を何度もお勧めした」(「諸君! 」昨年7月号インタビュー)ことを取り上げ、批判してきました。

 前侍従長はインタビューで「象徴的なのは、陛下の1年が祭祀で始まる」と指摘し、祭祀の重要性を語っています。まったく仰るとおりなのですが、それなら毎朝御代拝はどうなのでしょう。その伝統を破壊したのが、宮内官僚自身ではないのでしょうか。

 天皇の1日は祭祀で始まります。それが毎朝御代拝です。明治以前は文字通り、天皇ご自身の御拝から1日は始まりました。

 橋本政宣東京大学史料編纂所教授の論文「天皇の毎朝御拝と臨時御拝」は、「後水尾院年中行事」にもとづき、早朝に起床されたあと、御所で手水をされ、御湯殿で行水をされ、さらに御所で御直衣を召され、御清手水の儀のあと、御拝の臨まれる、と説明しています(「古文書研究」第54号)。

 毎朝御拝の起源は明らかではないが、9世紀末、宇多天皇のころには行われていた。その作法は即位後、白川神祇伯から伝授されることになっていた。石灰壇(いしばいだん)での御拝に続いて鏡御拝(かがみのぎょはい)が行われていた。鏡御拝は天皇として「御心クモリナカランコト」を祈り求めるのが本意ではなかったか。大嘗祭が天皇制の形成なら、毎朝御拝・鏡御拝はその再現というべきものではないか、と橋本教授は指摘しています。


▽全体性を欠く説明

 明治になって都は東京に遷りました。天皇が御拝なさる石灰壇の設置はなく、毎朝御拝は側近の侍従に、潔斎のうえ、烏帽子・浄衣に身を正し、宮中三殿につかわして、拝礼させる毎朝御代拝に代わりました。

 この毎朝御代拝は決まった祭儀があってもなくても、雨の日も風の日も欠かさず行われ、御代拝のあいだ、天皇は御座所で慎まれ、祈りのときを共にされると聞きます。

 ところが、すでにご承知の通り、昭和50年8月15日の長官室の会議で、侍従がモーニングで庭上から拝礼することと変えられたのでした。憲法の政教分離原則に基づく過剰な自己規制です。

 祭祀は天皇の私的な活動とされ、宮内庁のホームページには毎朝御代拝はいまや説明すら載っていません。「天皇の御代拝」ではなく「侍従の代拝」という位置づけなのだろうと思います。祭祀の伝統は破られているのです。

 前侍従長の祭祀に関する説明がいかに一面的で、全体性を欠いているか、お分かりいただけるでしょう。


▽学者ゆえに尊からず

 宮中祭祀について前侍従長に助言したという神道学者についても言及しましたが、これに関して、当メルマガをお読みになった読者が、「学者ゆえに尊からず」「侍従長ゆえに尊からず」という趣旨の感想を述べておられました。

 専門家と称する人の見方が正しいとは限らないし、高級官僚の意見が正しいとも限らない、という意味なのでしょう。この祭祀簡略化問題の経緯を見れば、まさに仰るとおりだと思います。

 同時に、私が強く思うのは、専門家なるものの危うさです。専門的な知識をもった人たちの意見は傾聴に値する、と考えるのが普通ですが、その逆もあり得ます。

 今日、学問の分野はどんどん細分化されています。一方、行政は縦割りです。しかし天皇はすぐれて総合的です。多面的、多角的にアプローチしなければ、知識は一面的にとどまるだろうし、一面的な理解だけでは、焦眉の課題である、文明の根幹に関わる祭祀簡略化問題に対する問題意識さえ望めないかもしれません。

 知識がないよりある方がいいに決まっていますが、井の中の蛙(かわず)になりがちな専門家よりも、深い知識はなくとも、当たり前の常識と感性を備えた、ごく普通の人たちこそ望まれているのではないか、と私は考えています。

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1 抵抗勢力なき宮中祭祀簡略化 [宮中祭祀簡略化]

koukyo01.gif 当メルマガにお寄せいただいたコメントのなかに、「なぜ官僚はロクでもないことばかりするのか?」という書き込みがありました。今日はそのことで私が思うことを少し書いてみます。

 繰り返し申し上げてきたように、ご高齢で療養中の陛下にとって、ご公務のご負担軽減は急務です。ところがご日程の件数はいっこうに減らず、祭祀ばかりが標的にされています。御代拝の慣習は反故(ほご)にされ、伝統を破る祭祀の簡略化が進められています。

 宮内官僚らがこれらを「ロクでもないこと」とみずから認識したうえで推進しているのか、といえば、そうではない、と私は考えています。むしろ官僚として有能であるがゆえに、確信的に「ロクでもない」簡略化を進めるのであり、これは官僚としての悲しいサガなのでしょう。それだけ根が深い、一筋縄ではいかない問題なのだと考えています。

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書いたように、昭和の祭祀簡略化は入江侍従長の俗物性に始まり、富田長官の無神論によって本格化した、というのが私の見方ですが、平成の祭祀簡略化の推進力は、これらに続く官僚的先例主義です。

 問題は、法と先例にしばられ、暴走する官僚たちをコントロールする力が働かないことです。そもそも天皇の祭祀の本質について社会的な理解が乏しいなかで、簡略化に反対する抵抗勢力が見当たらないことです。

 だからこそ、私は読者の皆さんに、私と問題意識を共有し、これではいけない、と思うなら、声を上げてください、と呼びかけているのです。

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 1 抵抗勢力なき宮中祭祀簡略化
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▽前侍従長の講演に感激

 前々回から、簡略化推進の張本人としての渡邉允(わたなべ・まこと)前侍従長について取り上げてきましたが、前侍従長ご本人が「私も在任中、ご負担の軽減を何度もお勧めしました」と、雑誌「諸君!」昨年7月号のインタビューで語っているところからすれば、簡略化推進の張本人は「私も」であって、「私だけ」ではないのかもしれません。

 ある程度、組織的な勢力の存在さえ想像させますが、一方、これに対する対抗する勢力は見えてきません。いや、現実は対抗どころではありません。

 インタビューを載せたこの雑誌もそうでしょうが、前侍従長の告白はけっして反天皇論者たちの媒体で行われているわけではありません。読者の多くは宮中祭祀への理解が浅くないはずですが、簡略化への異議申し立ては聞こえてきません。

 たとえば、すでにお話ししたように、今月上旬、伊勢神宮のお膝元で神社関係者の集まりで前侍従長が講演し、そのなかで前侍従長は「祭祀簡略化を進言したのは私である」と内輪話をしたといいます。けれども、日々、神明に奉仕している祭祀の専門家たちから強い抗議の声が上がったのか、といえば、違います。

 それどころか、曾祖父は宮内大臣、父親は昭和天皇のご学友という高貴な出自で、自分自身は東大法学部を卒業し、外務官僚としてのキャリアを積んだあと、宮内庁に入り、十年以上も侍従長として陛下のおそばに仕えた華麗な経歴の持ち主ならではの講演に、聴衆は感激したと聞きます。


▽保守派の運動団体が載せた告白

 前侍従長の告白はこれが最初ではありません。私が知るところでは5年前、平成15年の暮れに行われた雑誌インタビューです。

「昭和天皇が今上陛下の御歳のころは、冬の寒いときや夏の暑いときには旬祭はなさらず、掌典長がご代拝を勤めていました。陛下のご負担を思うと、そうしていただいた方がよいかと思うこともありますが、陛下はなかなか『うん』とはおっしゃいません」(渡邉『平成の皇室』所収)

 まえにも書きましたから、このインタビュー記事が肝心な点に言及していないことに、このメルマガの読者はすぐに気づかれるはずです。昭和天皇の時代の祭祀簡略化はご健康問題が契機ではなかったし、側近である侍従による御代拝ではなく、掌典長による御代拝がそもそも祭祀の伝統破壊でした。

 ところがです。このインタビューが載ったのは保守派の運動団体の媒体でした。タイトルは「国民と共にある皇室」。国民一人一人に心を寄せられる両陛下の日常を紹介し、「国民の幸せを願われ、具体的なかたちに現れたのが宮中祭祀である」とまで述べ、祭祀への理解を示している記事です。

 そのような記事にさりげなく盛り込まれた簡略化進言の告白に、目をとめ、違和感を感じた読者はごくごくまれだったでしょう。

 やがてこの記事は、昨年暮れ、一冊の本にまとめられました。本を出したのは、保守派の重鎮として誰もが知る人物が社長を務める出版社です。


▽思い出してほしい原教授の祭祀廃止論

 祭祀の専門家たち、保守派の運動家たち、保守派の重鎮は、伝統を度外視した宮中祭祀の簡略化に賛成しているのでしょうか。

 けっしてそうではないでしょう。むしろ逆だと思います。しかし、結果として、簡略化推進派に取り込まれている、ということはいえるかもしれません。

 渡邉前侍従長は「諸君!」のインタビューでみずから述べているように、祭祀の専門家ではありません。そのため「祭祀の専門家に相談に乗っていただいた」ようです。記事には神道学者の名前が実名で載っています。

 この学者が祭祀簡略化の推進派かどうか、私は知りませんが、たぶんこれまた知らぬ間に利用されてしまっているのではないか、と私は想像します。それだけ有能な官僚たちは根回しが巧みだということなのだと思います。

 祭祀の重要性を理解する保守派の抵抗がわき上がるどころか、逆に沈黙している、ということになれば、どうなるのでしょう。

 ここで思い出していただきたいのが、当メルマガが昨年、延々と批判した原武史明治学院大学教授の宮中祭祀廃止論です。

 教授の論文の重要ポイントの1つは、昭和天皇のご高齢を理由として祭祀の簡略化が始まった、という理解でした。簡略化に昭和天皇は言い難い不安を覚えていた。もっと熱心なのが現天皇だが、皇太子の時代はどうだろう。農耕儀礼は形骸化している。それならいっそ廃止してはどうか、と教授は論理を展開させていました。

 昭和の時代の祭祀簡略化に関する教授の理解は、朝日新聞がスクープしたことで知られる卜部(うらべ)侍従の「日記」のようです。日記の冒頭にある岩井克己記者の「本巻解説」には、祭祀簡略化が「老い」の問題として説明されています。

 原教授の祭祀廃止論は保守派の批判を浴びました。しかしどうでしょう、教授はいまや司馬遼太郎賞受賞研究者です。そして、祭祀廃止論の前提となっている、ご高齢を理由として昭和時代の祭祀簡略化が始まった、という誤ったドグマは独り歩きし、平成の祭祀簡略化の論拠となっているようです。


▽保守派がお墨付きを与える

 天皇の祭祀の価値を理解する保守派の人々が、目の前で進行する祭祀簡略化に沈黙している、ということは、原教授の祭祀廃止論をきびしく批判しながら、その前提については容認することにならないでしょうか。

 抗議の声が上がらないなら、うるさ型のお墨付きを得た、と宮内官僚たちが理解したとしても不思議はありません。天皇の祭祀の形骸化がさらに悪化することは確実でしょう。ことさらに祭祀廃止論など叫ばなくても、祭祀は空洞化していきます。

 沈黙は金、どころではありません。私にはほくそ笑む祭祀廃止論者たちのしたり顔が見えます。

 前侍従長によれば、祭祀簡略化の進言に陛下は「まともに取り合おうとはなさいませんでした」(「諸君!」インタビュー)。祭祀王としてのお立場を十分に自覚される陛下なら当然ですが、頼みとする人たちが沈黙するなか、陛下はたったお一人で祭祀の伝統を守ろうとされているかのようです。

 読者の皆さんはこの状況をどう考えますか。これでもまだ沈黙を続けますか。

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