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天皇陛下「被災地御訪問」の祈り──なぜ天皇は祈られるのか [震災復興]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 天皇陛下「被災地御訪問」の祈り──なぜ天皇は祈られるのか
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 昨日発売の月刊「文藝春秋」8月号に拙文「20キロ圏の神社が消える?」が載りました。地震、津波、原発事故、さらに政府の避難政策に苛まれながら、神社再興に向けて苦闘する、わが郷里・福島県の神社人たちの群像を描きました。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm

 友人たちから「読みやすい」「分かりやすい」というご感想を頂戴しました。お誉めにあずかるのはありがたいことですが、被災地の復興、郷土の再生、神社の再興はまだまだこれからです。


▽1 侍従長が描く陛下の祈り

 さて、同じ号に、川島裕侍従長による「天皇皇后両陛下 被災地訪問の祈り」が最新号のメイン・ディッシュとして掲載されています。3月30日の都内の避難所御訪問に始まるお見舞いのすべてが記録されています。

 侍従長によれば、両陛下は震災後、なるべく早い機会にお見舞いを開始したいと思っておられた。関係者にさらなる負担をかけることは避けたいとのお気持ちだった。両陛下は被災者のところにまっすぐに歩み寄られ、床に膝をつかれ、やさしく一人ひとりに言葉をかけられた。その多くは深い労りのお言葉だった──。

 侍従長の客観的で飾らない文章から、両陛下の一挙手一投足が目の前に、鮮やかに浮かび上がり、読むものの胸を打たずにはいきません。

 陛下の側近中の側近である川島侍従長は、その立場において、陛下の祈りの姿を感動的に描き切っています。


▽2 なぜ犠牲者に黙礼されたのか

 それなら陛下はなぜ祈り、被災者に心を寄せられるのでしょうか?

 川島侍従長の文章は、冒頭、両陛下の相馬市原釜・尾浜地区での祈りから始まります。相馬市長から津波による犠牲者のことが説明されると、両陛下は傘をたたみ、瓦礫撤去作業の現場の方角に向かって、深々と一礼されたのでした。

 陛下はなぜそのようにされるのか、残念ながら、少なくとも今回の記事からは答えが見いだせません。

 天皇はなぜ祈られるのか、それは天皇が歴史的に、その本質において、祈りの人だからでしょう。


▽3 民の命はわが命

 今回の大震災は貞観11(869)年の貞観地震の再来ともいわれます。

 畏友・佐藤雉鳴氏が当メルマガに書いてくださったように、1000年以上前に、同じ陸奥国を未曾有の震災が襲ったとき、清和天皇は、「百姓(ひゃくせい)、何の辜(つみ)ありてか……責め深く予にあり」と自らを責められ、「すでに死せる者はことごとく収殯(しゅうひん)を加え、その存する者は詳(つまび)らかに賑恤(しんじゅつ)を崇(おも)くせよ」と詔(みことのり)し、租税を減免されたことが史書に記録されています。

 古来、国民の喜びのみならず、悲しみや憂い、さらに命をも共有し、国と民のためにひたすら祈られるのが天皇です。歴代天皇は毎朝、地べたまでへりくだり、国と民のために祈られました。平安時代には行われていたという石灰壇の御拝ですが、明治になって、側近の侍従を宮中三殿に遣わし、拝礼させる毎朝御代拝に代わりました。

 天皇の祈りは、危機のときにこそ発揮されます。陛下は歴代天皇がそうであったように、未曾有の天災を真正面から受け止め、民の命をわが命とし、民の苦しみを共有し、であればこそ、被災地におもむき、犠牲者を悼み、被災者に心を寄せ、復興のために尽力する人々を励まされるのでしょう。


▽4 天皇は個人ではない

 つまり、天皇はけっして個人的存在ではないということでしょう。陛下の行動は、陛下の個人的思いに由来するのではないということだと思います。

 天皇を個人的存在と見て、天皇の個人的言動を記録し、分析する手法には、おのずと限界があることになります。


タグ:震災復興
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国会図書館の納本漏れと両陛下の被災地御訪問 [震災復興]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 国会図書館の納本漏れと両陛下の被災地御訪問 by 斎藤吉久
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▽1 昭和天皇御大喪の公式記録が国会図書館にない 

 ひとつは国立国会図書館でのことです。

 平成の御代替わりのあと、宮内庁は『昭和天皇大喪儀記録』と『平成大礼記録』の2冊を出版しています。これに対して、内閣総理大臣官房は『昭和天皇大喪の礼記録』と『平成即位の礼記録』の2冊を公式記録としています。

 いずれも書店では手に入りにくいですが、国会図書館では読めます。いや、読めるはずなのですが、じつに面白いことに、内閣総理大臣官房が編集、出版した『昭和天皇大喪の礼記録』はどうも国会図書館に所蔵されていないようです。国会図書館の書誌検索ではヒットしないし、カウンターで調べてもらっても見つかりません。

 国民の代表たる国会議員の調査研究に寄与することを第一の目的とする国会図書館は、納本制度に基づいて、国内のすべての出版物が収集・保存される唯一の図書館とされていますが、一般の商業出版ならまだしも、よりによって、国の最高権威の地位にあった、昭和天皇の御大喪に関する、総理大臣官房が刊行した公式記録が収蔵されずに、20年も経過しているのです。驚きました。

 昭和天皇の御大喪は現行憲法下で最初に行われた天皇の葬儀であり、関心を持たれるべきテーマですが、図書館から借りて研究してみようとした議員は1人もいなかったのでしょう。1人でもいれば、納本漏れが見つかるでしょうから。

 先般、国会では「今上陛下は何代目か?」という質問がなされ、官房長官が「知らない」と答える一幕がありましたが、憲法第一章に規定される天皇についての関心度はその程度なのでしょう。

 職員の話では、これから先方に在庫を確認して、在庫があれば納本される。そのあと手続きがかかるから、図書館内で閲覧できるのは少なくとも1か月以上先になるそうです。これまた気の長い話です。


▽2 陛下のお見舞いに感激する被災者

 もうひとつは震災関係のこぼれ話です。

 今上陛下が皇后陛下を伴って、原発事故と政府の避難政策に苦しむ被災地・福島県を訪問されたのは、震災発生からちょうど2か月になる5月11日でした。

 相馬市内の避難所を両陛下がお見舞いになった直後、皇后陛下と親しく会話した家族から、ある神社の宮司さんのもとに電話が入りました。相馬から約30キロも離れた、阿武隈山中のその神社に、月詣りを欠かさない熱心な崇敬者ですが、いつもの荒っぽい漁師言葉ではありません。

「家族全員が皇后陛下とお話させていただきました。生きていて良かったです」

 宮司さんによると、避難所となっている相馬市内の小学校に両陛下がお入りになり、たまたま入り口近くのブースにいた家族のもとへ、皇后陛下はご自分でベニヤ板をよけ、入ってこられ、一家とお話をされた、と感動の涙にむせびながら、すぐさま報告してきたというのです。

 宮司さんも言葉をつまらせながら、私に話してくれました。

「皇室の持つ力は偉大だ」と宮司さんはあらためて痛感したそうです。

 福島県では震災発生直後、「県庁職員や医者たちが家族を圏外に脱出させた」という噂がまことしやかに語られ、県民の不安感をかき立てていたといいます。けれども、両陛下のお見舞いのあとは、逆に、「相馬は安全かも知れない」とささやかれるようになったそうです。

 両陛下は大震災発生の直後から毎日のように専門家から被災状況のほか、原発の安全対策などについてご説明を受けています。ご訪問のとき相馬市は雨でした。「放射能の危険があるなら、傘も差さずに被災地で黙祷されるはずはない」と被災者たちはいうのです。

「ご自分の危険など顧みられるような陛下ではないが、国民が安心感を得たことは間違いない」と宮司さんは振り返るのでした。


▽3 国民の内なる天皇の覚醒

 蛇足ですが、なぜこういう現象が起きるのか、をよく考える必要があると思います。

 天皇研究はたいてい、もっぱら天皇にスポットを当てたアプローチをしています。つまりひとつの原因がひとつの結果を生むという発想で、絶対神が被造物を想像したというキリスト教の考えに通じます。

 しかしそのような一方通行の考えでは不十分なのではないかと思うのです。

 戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦は「日本人の心理」に目を向けました。橋川文三との天皇論争をご紹介したときに書いたように、葦津はつぎのように指摘しています。

(1)日本のいまの天皇制ははるかに非政治的で非権力的であるが、無力を意味しないどころか、もっとも強力な社会的影響力を持ち、もっとも根強い国民意識に支えられている

(2)日本の国体はすこぶる多面的で、抽象理論で表現するのは至難なほどである。国民の国体意識は、宗教的意識や倫理的意識と割り切れず、さまざまの多彩なものが潜在する。政治、宗教、文学、すべてのなかに複雑な根を持つ根強い国体意識が国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている

 私なりに解釈すれば、日本の天皇制は天皇と国民とを相互関係論的にとらえる必要があるのだと思います。異なるものがひとつになり、新しい価値を生むというのが日本の伝統的考えです。天皇は皇居におられるだけでなく、民の心の中に生きておられる。その相互の関係性において、豊かな歴史が築かれてきた。そしていま、大震災という国家の危機のときに、国民の内なる天皇が覚醒しているというふうにいえませんか。いっこうに目覚めない人ももちろんいるのですが……。

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