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赤飯──なぜ赤いのか [食文化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 赤飯──なぜ赤いのか
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 モチ米に小豆(あずき)を混ぜ、蒸籠(せいろ)で蒸し上げる赤飯を、神祭りのお供えにしたり、冠婚葬祭の儀礼食として食べる習慣は、ほぼ全国に共通します。

 ご存じのように、米にはウルチ米とモチ米とがあります。米の胚乳に含まれるデンプンにはブドウ糖分子が直線状につながったアミロースと枝状につながったアミロペクチンの二種類があり、ウルチ米が両者を含むのに対して、アミロペクチンのみを含むのがモチ米です。蒸してつくと粘りが出るのはこのためです。

 現代の日本人はウルチ米を炊いて常食としていますが、赤飯はモチ米を蒸すのが第一の特徴です。

 米を蒸すといえば、先月(十一月)二十三日の夕刻から夜半まで、天皇陛下は宮中最大の重儀とされる新嘗祭をみずからお務めになり、米と粟(あわ)の新穀を神前に供え、国の平和と国民の平安とを祈られました。

 供え物の御饌(みけ)には御飯(おんいい)と御粥(おんかゆ)の二種類があります。御飯は米と粟をそれぞれ蒸した強飯(こわめし)で、御粥は水で炊いた、いま私たちが日常的に食べる煮飯(にめし)です。

 万葉集の山上憶良(やまのうえのおくら)の歌に「甑(こしき)には蜘蛛(くも)の巣懸(か)きて飯炊く事も忘れて」とあることから、奈良・平安の時代には甑で蒸した強飯が、とくに上流社会では常食とされたといわれます。いまも東南アジアに行くと、モチ米の強飯をふだんから食べている地域がありますが、古代の日本ではモチ米だったのかどうか。

 赤飯の呼び名は鎌倉末期の『鈴鹿家記(すずかけき)』などに現れはじめ、室町以降、盛んに使われるようになり、ハレの日の食物として作法も定まっていったようですが、最大の疑問はなぜ赤飯は赤いのか、です。

 柳田国男の民俗学では、古代の日本人は赤米(あかごめ)を栽培し、儀礼などに用いた。その印象が白米を小豆で染める習慣を生み、神祭りなどに用いられるようになった、と説明しています。

 赤米というのは果皮と呼ばれる外層部分に赤い色素が蓄積されるため、玄米では赤い色をしている米のことです。完全に精白すると、色素は糠(ぬか)として除かれます。白米ほどではありませんが、たくさんの品種が知られ、ウルチ米もあれば、モチ米もあります。

 赤米は赤い色ゆえに特別視され、古くから栽培されて、神祭りの際の赤飯や貴族の日常食に用いられたようです。古代から現代まで、赤米を神聖視し、神田に植え続けている神社が全国に四社あります。

 しかし柳田が説明するように、古代人が赤米を食べていた名残が赤飯だとすれば、白米を着色すれば十分のはずで、小豆を豆ごと加える必要はありません。

 なぜ小豆を加えるのか、といえば、不思議な力が宿っていると考えられたからです。小正月の朝、一年の邪気を祓うため小豆粥を食べる習慣が残されている地方はかなりあります。小豆粥を用いて作物の豊凶を占う神事を行う神社は少なくありません。


以上、「教育再生」22年12月号から転載。
タグ:食文化
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