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お花見──なぜ桜を愛でるのか by 斎藤吉久 [日本文化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 若者たちにとって、春は新しい未来への夢と希望の季節です。しかしいまは違います。高校や大学を卒業し、社会に出ようにも職がない。就職内定率は史上最悪の8割に落ちいています。5人に1人は仕事がない。地域によってはより深刻です。

 政府公報は「ハローワークが応援します」と呼びかけていますが、「職探し」の支援以上に、企業活動を活性化し、新たな産業を興し、景気を回復し、雇用を拡大することが、政府の緊急課題でしょう。

 ところが「小鳩」連立政権はまったく逆のことをしています。おりしも労働者派遣法の改正案が固まったようですが、規制の強化は逆に雇用不安を拡大する恐れが指摘されています。

 鳩山首相などは公式ブログで、「私は日本の食文化、飲食業を、観光や農業と結びつけて、成長戦略の柱としたいと考えています」と述べていますが、まったく他人事のようで、リアリズムに欠けています。

 今上陛下は今年1月、新年のご感想で、長引く不況に苦しむ国民に心を寄せられ、「国民皆が互いに助け合い,励まし合って当面の困難を克服する」ことを呼びかけられました。陛下の方がはるかに現実主義的です。

 政治のリアリズムといえば、「密約」問題もしかりです。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」が3月22日号に、核持ち込みの「密約」を暴露することに政治生命をかける鳩山政権を「愚の骨頂」とこき下ろしています。同感です。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4799696/

「密約」の存在は目新しい情報ではないし、外交に「密約」は必要不可欠です。

 国家の死活に関わる安全保障問題について、しかももっとも重要な日米関係において、「密約」を否定し、ガラス張りにするようなことは、第三国に裸身をさらすも同然で、防衛・外交のイロハに反します。

 かように鳩山政権の「友愛」にはリアリズムがありません。「EUの父」クーデンホーフ・カレルギーの「友愛」は左右の全体主義に対する現実的闘争でしたが、鳩山首相の「友愛」は逆に隣国の全体主義にすり寄る、じつに危険な空想です。

 普天間基地移設問題もまた同様です。

 さて、今日は「教育再生」3月号の連載「子供に伝えたい日本の文化」の第13回「お花見──なぜ桜を愛でるのか」を転載します。

 「教育再生」は日本教育再生機構(八木秀次理事長)の広報誌(月刊)です。同機構はすでにご承知だと思いますが、教育・子育て問題に関して活動する諸団体をネットワークし、教育再生に取り組んでいる民間団体です。

 同機構ではサポーターを募集しています。どうぞご支援ください。
http://www.kyoiku-saisei.jp/index.html


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お花見──なぜ桜を愛でるのか
 by 斎藤吉久
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 お花見の季節となりました。

 落語の演目に「長屋の花見」があります。長屋の連中が卵焼きの代わりに見かけだけよく似た沢庵(たくあん)をかじり、酒ではなく渋茶をすする古典的名作は、江戸の庶民が桜の名所で知られる上野、浅草ににぎやかに繰り出し、酒宴のむしろを広げたようすを伝えています。

 花を鑑賞することを華道にまで昇華させたほど、さまざまな花の美しさを知る日本人ですが、その日本人にして花といえば桜です。見事に咲きそろう春景色に感動しない人はまれでしょう。開花予想や桜前線の動きが季節のニュースにさえなります。

 なぜこれほど日本人は桜を好むのでしょう?

 民俗学者は、サクラ=サ(稲魂)+クラ(乗り物)と解釈します。稲作信仰との関わりを強調し、稲魂の宿る神聖なる桜の咲き具合で、古代人は豊作か凶作かを占ったのだと説明するのですが、稲作以前の日本人が桜の花を愛でなかったわけではないでしょう。


◇樹齢2000年「山高神代桜」の威厳

 私の知り合い、というより、人生の大先輩に、巨樹研究者として名高い牧野和春さんがいます。全国の巨木を訪ね歩いて三十年、その数は数百におよびます。

 きっかけは、山梨県北杜市(旧北巨摩(きたこま)郡武川(むかわ)村)のお寺の境内にいまもある、樹齢じつに二千年、日本最高齢といわれる山高(やまたか)神代桜(じんだいざくら)の衝撃です。

 鉄道からバスに乗り継ぎ、さらに一時間歩いて、一軒宿に投宿した翌日、また延々と歩いてたどり着いたエドヒガンザクラは、イメージしていた天を衝(つ)く巨桜とはまるで異なる、朽ち果てる寸前の老体でした。

 けれども、いうにいわれぬ威厳が立ち込めていました。朽ちて失われた幹の上部。瘤(こぶ)のような巨大な根元は周囲十三メートル。木というより黒い塊。圧倒的な物的存在感。ビリビリと伝わってくる迫力。崩れ果てる前の老樹の厳粛さが身にしみます。

 そして、老いたりとはいえ、生きる証として、力のあらん限り花を咲かせていました。牧野さんは老いとは何かと自問し、生であると納得します。生命の神聖さに胸打たれ、桜という生命体に宿る不思議なエネルギーこそ、桜の神髄だと確信したのです。


◇人間と同じ赤い血が流れている

 さすが牧野さんならではの鋭い感性ですが、古代人はもしかすると、もっと生々しい実感として、人間と同じ命を桜の木から読み取ったのかもしれません。

 なぜなら、やはり知り合いの草木染(くさきぞめ)作家門池高さんから聞いたのですが、桜の樹皮を砕いて煮出した液体で絹糸・絹布を染めると、あざやかな赤肌色・赤樺(かば)色に染め上がるからです。桜には人間と同じ赤い血が流れていると古人は考えたのではないでしょうか?

 そうだとすると、戦死者をまつる靖国神社に慰霊行為として桜が植えられたことがよく理解されるし、乱痴気(らんちき)騒ぎがお花見本来の趣旨でないことも見えてきます。(参考文献=牧野和春『新・桜の精神史』など)

以上、「教育再生」3月号から。
http://www.kyoiku-saisei.jp/kouhoushi/PR_magazine_22.html

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