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保守の再生のために大同団結を───起こるべくして起きた「天皇の政治利用」 [天皇統治]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 今年最後のメルマガです。

 先日、時代の変化を予感させる出来事がありました。天皇特例会見の「政治利用」に抗議し、政府・与党の責任を追及する保守系団体の抗議集会が急遽、開かれ、皇居と国会のすぐそばにある会館に、じつに千人を超える人たちが馳せ参じたというのです。このうち国会議員はわずか20名に過ぎず、国民の批判がいかに高まったかが分かります。

 私が注目したいのは、民主党政権による特例会見設定の非ではありません。むしろ事件が日本人の天皇意識に火を付けたことです。日本人の聖なる感覚の頂点に位置するのが天皇です。日ごろは心の奥に隠れているけれども、危機のときには燃え上がります。日本人の天皇意識のたしかな存在を実感させる出来事でした。

 しかし問題はこれからです。選挙で多数派を形成すれば、天皇をも意のままにできるかのように増長した政府与党を糾弾し、退陣を迫るだけではすまないからです。

 肝心なのは、失墜した保守政治を本格的に再興することであり、そのためには少なくとも千年を超える天皇の文明的な価値を再確認し、保守の神髄を現代に蘇らせることだと思います。それには、保守派が糾合し、天皇論を学問的に深化させることが急務です。

 このメルマガはそのような思いを秘めながら、あまりにも誤解・曲解が多すぎる天皇・皇室論の現状を憂えて、おととしの秋にスタートしたのでした。おかげさまで今年1月、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』を世に問うこともできました。しかし1人でできることには限界がある、とつくづく痛感します。皆さんの力が必要です。


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 保守の再生のために大同団結を
 ───起こるべくして起きた「天皇の政治利用」
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▽危険なマニフェスト政治

 政権発足からわずか100日にして末期症状を示す鳩山内閣ですが、「宇宙人」首相は悪びれもせずに、こんどは「憲法改正」に意欲を示しています。「地方と国とのあり方を大逆転させる地域主権という意味の改正をしたい」というのです。むろん老朽化した憲法の改正は必要でしょう。しかし、思いつき程度のリップサービスは混乱を深めるだけです。

 国家の基本法である憲法の改正をいうなら、その中心は間違いなく、国家と文明の根幹に関わる天皇の法的位置づけのはずで、特例会見の政治的ゴリ押しで馬脚をあらわした、いまの民主党には託しようがありません。

 マニフェスト選挙に大勝利した有権者の圧倒的支持を背景にして、選挙公約を実現するという現政権の政治手法は間違いではありません。けれども、肝心のマニフェストの中身がいかに底の浅いものだったか、普天間基地移転問題の大混乱からすでに明らかです。

「政治家主導の政治」で「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直す」のはけっこうですが、言葉が空回りしています。国家百年の計が求められているのに、チラシ広告のような見せかけだけで、所詮は目先の票目当てだったのか、という失望感を深めています。小沢幹事長が見せた、天皇の国事行為と公的行為との混同などは、為政者として天皇を語る資格性を疑わせます。民主党のマニフェスト政治はきわめて危険です。官僚依存政治の方がまだましです。


▽保守政治家たちの不作為

 けれども一方、政府の責任を追及する保守陣営も、事情は変わらないように見えます。

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、歴代天皇が第一のお務めとしてきた宮中祭祀は、いまや「皇室の私事」という占領時代そのままの解釈に先祖返りしています。戦後の正常化への努力は最初の20年で頓挫(とんざ)しています。その核心は憲法の解釈・運用で、問題を放置してきた為政者たちの怠慢といわざるを得ません。

 先日、自民党が天皇特例会見を検証しようと特命委員会を設け、皇室制度史や憲法学の研究者を招きました。勉強は必要ですが、いかにも泥縄です。保守政治家が深い天皇観を持っていれば、いまさら研究者に教えを請う必要はないのです。皇室制度や憲法学というジャンルを選んだのもあまりにも常識的、近視眼的で、これまでの不作為がかえってあぶり出された感が否めません。

 保守政治家は、永田町で起きた「天皇の政治利用」には激しく反応しています。けれども、陛下の直近で起きている宮中祭祀の空洞化は見えないようです。

「天皇の政治利用」について懸念を表明した宮内庁長官こそ、昭和の先例を盾にした平成の祭祀簡略化の張本人です。宮内庁こそ、誤った憲法解釈で、天皇を占領下の地位に逆戻りさせているのです。宮中と府中は異なるのであって、長官支持、宮内庁支持は必ずしも皇室擁護とはなりません。宮内庁の改革が必要です。


▽沈黙する祭祀関係者

 ついでにいえば、陛下に近侍する官僚たちの事なかれ主義には辟易(へきえき)します。

 昭和の祭祀簡略化は昭和40年代に始まりましたが、表沙汰になったのは10年以上も過ぎた50年代の後半です。祭祀に携わる官僚たちが口をつぐんできたからです。

 昭和天皇の側近の日記には新嘗祭の「夕(よい)の儀」が終わったあと、午後9時ごろに関係者が「こっそり」と家路についた、と記録されています。やましさがあるからです。本来ならひきつづき「暁の儀」が行われ、翌日の午前1時までかかりますから、9時で帰れるはずはないのです。

 簡略化の現実を問題提起した勇気ある宮内庁職員は、懲罰的に、閑職に追いやられました。陰湿な見せしめです。祭祀嫌いから天皇の祭祀の空洞化に熱中した入江相政侍従長の日記は、この職員を「ウルトラシントイズム」と吐き捨てています。

 沈黙はいまも続いています。昭和の簡略化を知る関係者も、今年開始された平成の簡略化に手を染める官僚たちも、です。

 昨年11月25日のメルマガで、私は「もしかすると、今年(20年)の新嘗祭が最後の親祭となるかも知れない」と書きましたが、まことに残念なことに、予想は現実となりました。

 今年21年の新嘗祭では、「暁の儀」に陛下は最初の30分だけお出ましになり、親祭になったと伝えられます。祭祀簡略化がけっしてご負担軽減にはならないのに、疑問を感じる関係者はいないのでしょうか。いわゆる雅子妃問題なら、これでもか、と情報が漏れるのに、です。


▽天皇理論の深化と制度化

 驚くべきことには、昭和の祭祀簡略化に「憂念禁じがたい」と強く反発し、宮内庁に質問書を送りつけるなど猛抗議した尊皇家たちでさえ、いまは声を潜めています。40年前の強硬姿勢は格好つけではなかったはずなのに、です。

 ご即位20年、ご結婚50年というこの上ないお祝いの年に、昭和の先例を盾に、ご負担軽減と称して進められる平成の祭祀簡略化の悪夢は、これから10年以上の時を経なければ表面化しないのでしょうか。いくらなんでも、それでは遅すぎます。

 権力の中枢にいる者たちが無為無策を続けるなか、天皇の無私なる祈りによって社会の安定は保たれてきた。保守政治家たちはそれに安住し、惰眠(だみん)をむさぼっている。しかしそれですむはずがありません。まさに「天皇の政治利用」は起こるべくして起きたのです。

 本格的な保守の再生が急務のいま、天皇・皇室論の現代的深化こそが求められています。日本の天皇はすぐれて総合的、文明論的ですから、総合的学としての天皇学が必要です。天皇の文明を多角的な視点で謙虚に学び直し、制度化し、政策に反映させていく思索と実践が求められています。

 そのためには日本人が得意とする個人芸では不十分であって、保守派の研究者、言論人の大同団結が求められます。目下、女性天皇・女系継承の認否などをめぐって、内部対立を先鋭化させている日本の保守派は糾合しなければなりません。いかにも日本人的な感情対立を超える、天皇理論の追究が必要だ、と私は考えています。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。


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