So-net無料ブログ作成
検索選択
橋本明天皇論 ブログトップ
前の10件 | -

女系継承を否定するだけでは不十分───橋本明著『平成皇室論』を批判する 番外編その2 [橋本明天皇論]

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 女系継承を否定するだけでは不十分
 ───橋本明著『平成皇室論』を批判する 番外編その2
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽小堀先生の評価点こそ最大の欠陥

 小堀先生の記事は、橋本さんの著書を検討する前半と小林さんの本を俎上にあげた後半と、完全な二部構成になっています。

 橋本批判では、小堀さんはまず、有益で面白いところがある、と評価しています。それは先入見にとらわれないよう、意識して中立的に読んだ結果で、とくにネパール王制崩壊の悲劇や近代ヨーロッパの王室の没落を「他山の石」と見ていることは、私の注目をひきました。

 というのも、私と完全に見方が異なるからです。

 ネパール王制の崩壊について、一般国民が注目していなかった、と小堀先生が指摘するのはその通りだと思いますが、「他人事ではない」として橋本さんが王制崩壊の分析に注意を促していることが、珍しい着目だ、と評価する見方にはにわかに賛同できずにいます。

「有益な情報や著者特有の聴くべき見解が十分に織り込まれている」とは、私にはとても思えません。同じ君主制だからといっても、ネパール王制と日本の皇室では大きな相違点があります。それは権力の制限の有無であり、王朝交代の有無です。

 小堀先生が、橋本さんの史実認識や概念的浅薄と杜撰さを大目に見ることができない、と指摘しているのは大いに同感ですが、小堀先生が評価している橋本さんの着目・考察にこそむしろ、橋本さんの皇室論の最大の欠陥があると私は考えます。

 橋本さんのネパール王制論、ヨーロッパ王室論はあまりにもかび臭く、図式的で、有益とはほど遠いものです。ネパールこそ日本の皇室に学ぶべきだったし、一方、ヨーロッパの王室はすでに日本の象徴君主制に学んでいます。

 他者に学ぶ謙虚さは大切ですが、自己批判が先に立ちすぎて、みずからの価値を見失っているのではないか、という疑いが否めません。


▽なぜ男系男子でなければならないのか

 さて、小林さんの『天皇論』の女系容認論について、です。小堀先生は、「見事な論述展開に潜在する1点の論理的欠陥」と指摘します。

 小林さんは全編の巻末に、突如、女系天皇の容認を宣言します。天照大神は女性神だから、歴代天皇は女系だったと考えられる、と記している。女系天皇の出現が易姓革命であることに気がつかないわけではないだろう。易姓革命に嫌悪しながら、最後の土壇場で肯定するのは自己矛盾であり、論理の破綻だ、と小堀先生はきびしく指摘します。

 なぜ小林さんが「早とちり」をしたのか、について、小堀先生は解説し、女系天皇容認論の誤りについて論を展開し、そして最後に、小林さんに対して、女系容認を主張する学説の「暗く怪しい政治的党略性」に引きずられてはならない、と切言するのでした。

 小堀先生の批判はじつに分かりやすいものです。女系容認論は政治的、処世術的で、否認論は尊皇敬神の信仰である。前者は「腐儒の曲説」でしかない、ときびしく戒めています。

 万世一系の皇統を何よりも重視するのが小堀先生でしょうから、女系継承を否認するのは大いに理解できます。しかし、なぜ皇位の継承が男系男子でなければならないのか、についての積極的な説明は、少なくともこの論考にはうかがえません。

 問題は、女系継承を否認し、女系容認論者を批判するだけではなくて、男系男子による皇位継承の本質的意義を解明することにあるだろうし、それともう1つは、今回のご即位20年の陛下の会見でも言及されている皇位継承のあり方について、具体案を提示することでしょう。


▽現実主義者でもあった先駆者・葦津珍彦

 小堀先生の論考には、ありがたいことに、私の名前も登場します。小林さんが入江相政侍従長を宮中祭祀衰退の元凶と名指ししているのには、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』によく学んだ結果だろうと書いています。

 小堀先生はまた、小林さんが今後、依拠すべき学究たちの実名を何人か、あげています。しかし、けっして無視してはならない重要な先人の名前が抜け落ちています。戦後唯一の神道思想家といわれ、先駆的な女帝否認論を書き残した葦津珍彦です。今年はいみじくも葦津の生誕百年です。

 昭和29(1954)年暮れに発行された『天皇・神道・憲法』という本があります。「はしがき」は葦津が書いていますが、「皇位継承法」についての1章では、戦後、憲法学者の間でわき起こった女帝容認論に対して、皇室の「万世一系」とは「男系子孫一系」の意味であることは論をまたない。女系の子孫(男子であれ、女子であれ)に皇位が継承されるとすれば、それは「万世一系の根本的改革」を意味し、断じて承認しがたい、と断言しています。

 葦津が晩年、草案をまとめた『共同研究現行皇室法の批判的研究』(皇室法研究会編、昭和62年)も同様で、「われわれは、女帝は国史に前例があっても、これを認める必要がないと確信している」と言い切っています。

 葦津の女帝論でもっとも重要なことは、天皇は万世一系の祭り主であるという一点にあります。葦津の女帝否認論は、そこから必然的に導かれています。

 しかし、万策尽きた場合に、それでも皇統の連続性を保つための女帝をも、葦津が頑迷固陋(がんめいころう)に否定し去っていたわけではない、という重要な証言があります。葦津は教条主義とは無縁な現実主義者でもありました。


▽男系男子が絶えないようにする制度

 今日、伝統主義者たちの天皇・皇室論は、葦津の影響を抜きに語ることはできませんが、まさに伝統主義者自身が女帝否認論と容認論に二分されているのは、葦津の女帝論に両面性があったからだろうと私は見ています。

 それは制度的原則論と現実論の両面性です。積極的容認論の背景にあるのは「皇統断絶」に対する強い信仰的な危機意識です。小堀先生がいうように、容認論者に信仰がないわけではありません。しかし、一方の女帝否認論は、歴史に前例のない女系継承への飛躍を戒めますが、十分な現実論を示しきれずにいます。

 それなら先駆者である葦津はどのような現実的打開策を考えていたのか?

 葦津が原案執筆者となってまとめ上げられた『大日本帝国憲法制定史』(昭和55年)は、女統継承論を掲げ、伝統的な日本人の君臣の意識を動揺させるよりも、まず男統の絶えない制度を優先的に慎重に考えるべきではないか、と主張しています。

 しかし、どのようにして男系男子が絶えないようにするのか、その具体的な制度論についての提言はありませんでした。ここに、いわば後継者たちの不統一の原因を見出すことができます。葦津の女帝否認論を十分に発展・昇華させることができないでいるのです。

 そのことは私にもいえるかもしれません。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

小林よしのりさんの橋本明批判に欠けている戦後史論───橋本明『平成皇室論』を批判する 番外編 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 小林よしのりさんの橋本明批判に欠けている戦後史論
 ───橋本明『平成皇室論』を批判する 番外編
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽橋本批判のポイント8点

 小林さんの橋本批判の主要なポイントは、以下の8点かと思います。西尾批判についてはこの際、割愛します。

(1)「皇太子には人徳がないから『廃太子』して皇統を秋篠宮に譲れ」などと言っているが、皇室は万世一系の血統によるもので「徳」は関係がない。この呼びかけは革命を誘導する。

(2)無知に加え、戦後民主主義と国民主権意識が相まって、「俺たちが認めない人間は天皇になれない」「廃太子せよ」と迫るのはおこがましい。それが実現すれば、皇室は終わる。

(3)伝統的な皇室を論じるのに近代的批判精神を発揮するのは、矛盾である。

(4)「雅子妃殿下がご病気で公務や祭祀を行えないこと」を理由に、皇太子殿下、雅子妃殿下が天皇皇后両陛下になられると「皇室はめちゃくちゃになる」と思っているようだが、2つの根本的な誤解がある。

(5)1つは祭祀についてで、祭祀は天皇ひとりでも成り立つ。

(6)もう1つの誤解は「天皇と皇后は2人そろって公務に行かれなければならない」と思い込んでいる点である。両陛下がそろって公務をこなされるのは「平成流」であり、伝統ではない。

(7)皇太子殿下が妃殿下といることで心が平穏なら十分であり、「離婚」まで持ち出して、間を裂こうとするのは異常である。

(8)何より心配しなければならないのは悠仁親王で、その代まで皇室をほったらかしにすれば皇族がお一人になる、もっとも逼迫(ひっぱく)した「皇室の危機」を迎える。


▽小林さんと私の4つの違い

 私はここ数カ月にわたって、橋本さんの「廃太子論」を批判してきましたが、結局のところ、橋本さんの誤りは、(1)「級友」としての進言の手法、(2)橋本さんの天皇・皇室観、(3)歴史理解および事実認識、の3つの観点から指摘されると思います。

 その点で言えば、小林さんと私の批判は、君徳論、祭祀論、一夫一婦天皇制など、共通するところが多いのですが、違いもあります。

 1つは、(3)の伝統と近代の対立という発想を小林さんがしていることです。しかし私は、この発想は誤りだと考えています。

 皇室は伝統の世界であり、近代と対立する、という考えは、小林さんが批判する西尾先生と同じになってしまいます。皇室は伝統のシンボルであると同時に、変革のエネルギーであることは、明治維新の歴史を振り返れば明らかです。

 2つ目は、「平成流」とされる一夫一婦天皇制について、です。

 小林さんのいうとおり、一夫一婦天皇制は歴史的に古いものではありません。しかしそこで指摘しなければならないのは、「平成流」と指摘するだけでは不十分だということです。

 つまり、その背景には、両陛下を支えるべき藩屏(はんぺい)の不在という否定しがたい事実があります。それは、戦後、祭祀の正常化が政府をあげて取り組まれたのに、現在では逆に、陛下の意思に反して、側近たちによって平成の祭祀簡略化が断行されていることからも明らかです。

 3番目は、そのことと関連するのですが、小林さんには戦後の歴史論が抜けています。

 たとえば、皇太子妃殿下がご病気のため、長らく祭祀にお出ましにならなかったこと、そのために批判を浴びたことについて、小林さんは「祭祀は天皇ひとりでも成り立つ」と反論しています。

 そのことはまったく正しい指摘ですが、昭和50年8月15日宮内庁長官室での会議において、硬直した政教分離主義の考えから、皇后、皇太子、皇太子妃のご代拝の制度が廃止された、という歴史的事実に目を向ける必要があります。


▽なぜ「女系継承容認」なのか

 ご代拝の制度さえあれば、ご自身が拝礼できない場合は、側近に拝礼させればすむことであり、妃殿下が批判される必要はありません。批判されるべきなのは、ご代拝の制度を一方的に廃止した官僚たちです。

 小林さんの橋本批判には、昭和ならびに平成の祭祀簡略化の歴史についての言及がありません。宮中祭祀の重要性、すなわち天皇が祭祀を行うことによって日本という国を統治してきたという歴史と伝統の大原則について、漫画という手法によって、一冊の著書をあらわし、多くの読者を得ていることはたいへん大きな功績で、賞賛に値しますが、惜しいことに、より現実的な戦後の天皇史の観点が欠けています。

 もう1つ、4番目として、大きな違いを指摘しなければなりません。それは、小林さんの「女系容認」です。

 小林さんも私も天皇の祭祀をもっとも重要視していますが、この点についてはまったく異なります。

 なぜそうなるのか? 私の場合は、国と民に捧げられる天皇の祈りが公正無私なるものであるがゆえに、その継承は必然的に男系男子たることが要件となると考えています。

 しかし、小林さんの場合は、なぜ女系継承容認なのか、分かりません。少なくとも「WiLL」の論考では、「伝統とは何か」と問いかけ、形骸化を戒めた皇后陛下のお言葉を引用しているだけです。

 伝統は大切だが、固守するだけでは不足だ、というのはごく当たり前のことです。「綱渡り」とも表現されている男系男子による皇位継承が、それでも歴史的に固守されてきたのはなぜなのか、を謙虚に見つめ直さなければ、「伝統的な皇室を論ずるのに、近代的な批判精神を発揮している」と小林さん自身が批判している人たちと同じになってしまいます。

 さて、それなら、この難問をどう考えればいいのか? それは次週、「正論」最新号に掲載されている小堀桂一郎先生の「『平成皇室論』『天皇論』を読む」を読み合わせつつ、考えたいと思います。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

君主制の凋落を鵜呑みにする「うかつ」───橋本明『平成皇室論』を読む その4 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 引き続き、橋本明『平成皇室論』を批判します。今週は第5章です。

 その前にひと言申し上げます。当メルマガは前回が創刊100号でした。一昨年秋に並木書房社長のご助言でスタートし、その後、多くの方々のご声援を受け、読者数も増えました。いまはイザ! などもふくめると、3000人を優に超える方々のもとに毎週、届けられています。

 このメルマガから生まれたのが拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』(並木書房)で、いくつかのメディアに取り上げられるなど、手応えを感じています。目下、これに続く執筆計画を進めているところです。日本の文明の根幹であるはずの天皇・皇室に関する本質的な理解が失われている現状を、皆さんとともに、何とか打開していかなければならない、というのが切なる願いです。

 今後ともよりいっそうのご支援をお願いします。メルマガの末尾にある「あなたの評価」で高い採点をしてくださると、ランキングに反映され、当メルマガの注目度が増し、ひいては天皇・皇室問題の正常化を推進させる原動力になります。

 それともう1つ。雑誌「正論」10月号に書きましたように、いまはごくふつうの常識人の発言と行動が求められていると思います。「陛下の級友」や某大学教授、名誉教授もそうですが、既成のアカデミズムやジャーナリズムには多くを期待できません。現実はむしろ逆です。陛下の側近もしかりで、「脱官僚支配」などと観念的にお題目を唱えればいいというものでもありません。本質的議論を草の根から深めていくことが、緊急の課題です。

 幕末の時代に坂本龍馬が海援隊を組織したように、新しい組織が必要なのだと思います。そのためのヒト、モノ、カネが早急に求められていると痛感しています。

 あるカトリック司教が興味深い指摘をしています。ソ連時代の70年間、徹底して宗教を弾圧したロシアでは、人間の心が荒廃し、ボランティア精神や助け合いの理念さえ失われているそうです。一度失われた精神伝統を回復するのは絶望的なほど至難ですが、日本がそうならないとは限りません。皆さんの声が必要なのです。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 君主制の凋落を鵜呑みにする「うかつ」
 ───橋本明『平成皇室論』を読む その4
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽かび臭い単線的社会発展説

 さて、橋本さんはこの章で、ネパール王朝の崩壊を取り上げ、日本の皇室に警告を発しています。しかし、展開されているのは、21世紀のジャーナリストとは思えない、前世紀の教科書を読むような、かび臭い歴史論です。

 すなわち、橋本さんの考えによれば、第2次大戦は世界に民主主義の波をおこし、王制と大衆政治派(共和制支持派?)のせめぎ合いを生み、カンボジアやイランで王制が倒れた。20世紀は「革命の世紀」だった、というのです。

 君主制が民主制にとって代わられ、さらに革命運動を経て社会主義社会が必然的に実現される、というような単線的社会発展説が、20世紀ならいざ知らず、逆に「革命国家」ソ連が崩壊したいまもなお、あろうことか日本を代表する通信社のOBによって、無邪気に信じられているのは、驚きを超えています。

 このメルマガの読者なら、この運命史観の科学性をめぐって、50年前、「思想の科学」誌上で、神道思想家・葦津珍彦(あしづ・うずひこ)と政治学者・橋川文三の論争が繰り広げられたことをご記憶のはずです。

 このとき葦津は、敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に一様に移行する、とする俗説に根本的な疑問を呈しました。「君主制が少なくなり、やがて日本も共和国になる」という一般的公式を立て、具体的事実を無視して、具体的な国の運命を抽象理論で予見しようとするのは浅はかである、などと指摘したのです。

 橋川はこれに対して、まともな反論すらできませんでした。天下の橋川でさえ、観念的な歴史論から抜け出せないでいたのだと思います。

 ましてや、というべきか、橋本さんは、(1)敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に移行するというドグマ、(2)個別性を無視し、世界の君主制をいっしょくたに論ずるドグマ、に完全にとらわれています。


▽抽象論に安住している

 考えても見てください。

 日本とネパールは同じ君主制とはいっても多くの点で異なります。ネパール王制の歴史は日本と同様、神話の世界にまでさかのぼりますが、「万世一系」の日本とは異なり、リッチャピ王朝、タクリ王朝、マルラ王朝など、幾多の王朝交代がありました。

 240年に及んだネパールのグルカ王朝が廃されたのは、昨年、制憲議会が王制廃止、共和制樹立を圧倒的多数で決議したからと伝えられますが、そのきっかけは2001年のビレンドラ国王暗殺事件という血生臭い国王交代劇でした。それ以上に異様なのは、今回の王制廃止を主導したのが武装闘争を展開してきた共産党毛沢東主義派だという事実です。

 ソ連崩壊につづいて、いまロシアで起きているプーチンの強権政治は、まるで革命以前のツァーリズムへの先祖返りです。したがってもはや、マルクスの唯物史観は博物館のかび臭い陳列物にすぎない、と思っていたら、ネパールでは今ごろになって、毛沢東主義者が王制を打倒したというのですから、時代錯誤というほかはありません。

 図式論でとらえきれない個別の事実に目を向け、いちだんと深い真実を追究するのがジャーナリストの役割だと私は考えますが、橋本さんは、「ロシア革命を皮切りに、20世紀は『革命の世紀』と称されるほど各国の王権が廃され、一方ではマルクス・レーニンが掲げた共産主義、社会主義へ、他方では自由、民権尊重へと国家体制が様変わりした」などと、一昔前の抽象論に安住しています。


▽ヨーロッパ王制こそ天皇に学んでいる

 そればかりではありません。橋本さんは、基本的人権尊重の流れがイギリスの名誉革命にはじまり、アメリカ、フランスを経て、戦後の日本に到達した、という単線的な歴史観を示しますが、現代のアカデミズムからは、逆の流れが指摘されています。

 下條芳明・九州産業大学助教授の『象徴君主制憲法の20世紀的展開』によると、ヨーロッパにおいて、象徴君主制が復権しているといいます。

 フランス第五共和制やアメリカの大統領制などのように、今日の共和制は、「君主制的なもの」の意義が認められ、積極的な吸収が行われている。一方の君主制も、共和制では代替できない、君主制固有の伝統性・世襲制から派生する政治的権威の意義が見直されている、というのです。

 橋本さんのいう「危機感」どころではないのです。下條助教授はこう指摘します。

 ──今日、ヨーロッパの君主政治では、憲法上は立憲君主制を維持しながらも、君主の国政上の役割は象徴的・統合的機能の行使に移っている。君主制を安易に廃止すれば、そうした効用は期待できない。一度廃すれば、復活は至難である。そのことが自覚されて、現存の君主制を慎重に扱う姿勢が求められる。君主制の弱化・減少傾向の現象にばかりこだわり、君主制の凋落という言葉を鵜呑みにしているなら、うかつのそしりを免れまい。

 別ないい方をすれば、ヨーロッパの象徴的君主制の復権は、とりもなおさず日本の天皇制を学んでいる、ということではないか、と私は考えます。下條助教授によれば、イギリスの研究者が現代日本の天皇制に強い関心を示していることは、政治学者の福田歓一が40年も間に指摘しているようです。


▽古代から行われた「権力の制限」

 橋本さんは、「20世紀から21世紀にかけて崩壊の道をたどったネパール王朝の歩みは他人事ではあり得ない。とくに皇太子が愛する相手を親たちに認めてもらえなかったことが王朝崩壊の引き金になった経緯を考えるとき……現在皇室を覆っている諸問題の解決に当たらねばと痛切に思う」と書いていますが、下條助教授の言葉を借りれば、「うかつ」そのものです。

 ネパール王制における「父子対立」「皇太子妃選定問題」を、いわゆる雅子妃問題と無理にでも結びつけ、君主制崩壊の要因を王室・皇室内部に見出し、他山の石とせよ、呼びかけているつもりでしょうが、独り相撲といわねばなりません。逆にネパールこそ、日本の天皇制に学ぶべきだったのです。

 橋本さんの誤りは、何度も繰り返し指摘したように、いわゆる雅子妃問題は、橋本さん自身が身を置くマスコミが、不作法にも、東宮のプライバシー暴きに血道を上げた、という外的要因をきっかけにしていることを見落としていることです。

 さらにもっと重要なこととして見落とされているのは、300年も継続せずに崩壊したネパール王制と古代から連綿と続く日本の天皇制との最大の相違点、すなわち、以前、指摘したように、王権の制限の有無かと思います。

 哲学者の上山春平が指摘しているように、日本は古代律令制の時代、すでに権力の制限が行われています。天皇がみずから権力を振るったのではなく、権力は官僚機構の頂点にある太政官に委任されました(上山『日本文明史』など)。近代においても、明治元年の五箇条の御誓文は最初に、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」と議会主義を宣言しています。

 政治の実権を握るネパール王制とも、「地上の支配者」とされるヨーロッパの王制とも異なります。

 さらに上山は指摘しています。プラトンは君主制と民主制とを兼備していなければ善い国家とはいえない、とし、アリストテレスは多くの国制が混合された国制ほど優れている、と書いた。つまり、奇しくも日本では、絶対君主制などとはまるで異なる、望ましい混合体制が古来、実現されてきたのでした。

 しかし、行動する天皇が時代を作り、時代を象徴するという、いわば「行動する天皇」論に固まる橋本さんには、違いが見えないのです。


▽戦争と平和の二元論に基づく観念論

 橋本さんはこの章の後半で、ネパールから視野を広げ、近世から近代の、とくにヨーロッパの王室の盛衰を解説するのですが、戦争と平和の二元論にもとづく、例の「新学習院」史観にしばられる橋本さんは、ますます観念論にみがきをかけています。

 ───世界はこれ以上戦争を起こす試みの持つ馬鹿さ加減に気がつき、何とか有限の資源を仲良く分配して生き延びようと模索し始めている。

 とんでもありません。戦後60年、世界のどこかでつねに戦闘がくりかえされてきたし、資源争奪戦はいよいよ激化しています。この冷厳な現実が、元通信社記者になぜ見えないのでしょうか。

 ───日本の皇室は20世紀に犯した帝国主義残滓の後追い時代をけっして再現させず、国の方向をコントロールして平和1点に固定するだけの勇気、胆力および権威をもって将来に望むのが理想的だ。

 どのような天皇観を持とうとも個人の自由ですが、天皇が行動する精神指導者として国をリードすべきであるというような考えは、橋本さん自身が否定する近代の天皇像そのものであり、論理が一貫しません。また、国際関係はまさに関係論であって、戦争か平和かは、一国の姿勢だけでは決まりません。それでも平和を祈り続けてきたのが天皇です。

 ───軍靴の音を聴くような時代をふたたび天皇が象徴するようであったら、我々に皇室は不要である。

 橋本さんの象徴天皇論は、天皇の文明が天皇のみによるのではなく、歴代天皇とわが祖先たちがともに築いてきたという歴史を見失っています。日本各地にはさまざまな天皇の物語が伝えられています。国と民のために祈る天皇がおられ、民たちのさまざま天皇意識があり、これらが1つになってこの国の平和と安定が続いてきたのだろうと私は考えます。橋本さんには民の論理が抜けています。それどころか、民の天皇意識を壊そうとけしかけている。それこそがまさに皇太子「廃太子」の勧めです。

 次回はひきつづき第6章を読みます。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

今上陛下の「祭祀継承」が見えていない───橋本明『平成皇室論』を読む その4 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 橋本明『平成皇室論』の批判をつづけます。今回は第4章を読みます。

 橋本さんは、第3章で今上陛下の皇太子時代を見渡したのにつづいて、この章では即位後の足跡について、昭和天皇の崩御から即位大嘗祭へ、と平成の時代を振り返り、さらにご公務、宮中祭祀について論じています。

 しかし、じつのところ私には、橋本さんが何を言いたいのかよく分かりません。歴史理解の間違いが目立つだけでなく、全体的な論理性に欠けていると思うからです。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 今上陛下の「祭祀継承」が見えていない
 ───橋本明『平成皇室論』を読む その4
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽昭和天皇が戦争を指導した?

 まず、歴史理解の誤りについて、指摘します。

 橋本さんの「象徴天皇」論は、天皇個人の行動が時代を作る。だからそれぞれの天皇は各時代の象徴となる、と考えるのが特徴で、たとえば、戦前・戦中は大元帥として戦争を指導した昭和天皇が時代の象徴であった。戦後、成長を遂げた昭和天皇は、A級戦犯などを合祀した靖国神社に背を向け、世界平和を祈念することで戦後日本を象徴した、といういい方をします。

 しかし、昭和天皇が直接、戦争を指導したという歴史はないし、靖国神社が戦争犯罪者を神としてあがめ奉ってきた歴史も、昭和天皇が同社を嫌った歴史もないでしょう。

 いつの時代でも国の平和と国民の平安を祈るのが祭祀王たる天皇であり、昭和天皇も同様です。橋本さんの歴史理解はあまりに一面的、観念的すぎます。

 橋本「象徴天皇」論は、天皇個人に視点を定め、細切れの歴史を観察しますが、個人を超えた、もっと高い次元に位置するのが天皇なのであり、歴史的存在としての天皇が悠久の歴史を通じて国と国民統合の象徴、つまり文明の象徴と考えるべきだと思います。

 もう1つだけ、例をあげると、橋本さんによれば、今上陛下が即位時に「朝鮮民主主義人民共和国を視野に入れた旧交戦国との和解」を表明された、と解説しています。

 しかし、朝鮮半島が南北に分断され、北朝鮮がソ連の後ろ盾で成立したのは1949年であり、日本と戦火を交えた「旧交戦国」ではありません。

 このくだりは、今上陛下の即位礼当日に、共同通信から加盟社に配信された記事の一部で、およそ非歴史的といわざるを得ないこのような記事が、世界に配信されただけでも驚きですが、さらに得々としてというべきか、20年後のいままた自著に転載する神経が理解に苦しむところです。


▽旧時代否定のためのご公務?

 それよりも、第4章の問題は全体の論理性です。

 橋本さんの考えでは、今上陛下の原点は「敗戦」です。陛下は東宮時代から妃殿下(皇后陛下)とともに、国民主権下の新しい象徴天皇像を切り開いてきた。この今上天皇の気風に合った責任を果たすことが平成の東宮に求められている。すなわち、旧時代とは異なる、新しい象徴天皇像の踏襲が求められている。なのに、皇太子同妃両殿下はその期待を裏切っている。だから「廃太子」を、というのが著書全体の論理です。

 したがって、橋本さんの主張では、新たな象徴天皇像を拓く今上陛下は、東宮時代から一貫して、旧時代を否定し続けなければなりません。

 橋本さんは天皇の歴史を、(1)平安~江戸期の理想的な時代、(2)幕藩体制から太政官制度に移行したあとの明治~戦前・戦中期、(3)敗戦後、明治憲法から現憲法に変わった現代、の3つの時代に区分したうえで、(2)の時代を否定し、さらに今上天皇もそのようなお考えだ、と大胆に推測します。

 近世までの天皇は政治に直接関与しない、文化と伝統の守護者であり、理想の天皇像だが、明治以後3代の天皇は外国王制の擬似態であって、現天皇はもっとも不幸な時期ととらえている。現天皇は民衆レベルまで天皇家を押し下げ、国民に奉仕し、韓国に謝罪し、憲法を高く持して、平和を希求し、北朝鮮など旧交戦国との和解を求める。過去の過ちにメスを入れ、不戦の誓いを立てた世代の代表者として、国民レベルにあって燦然(さんぜん)と輝いてほしい──というわけです。

「天皇陛下、バンザイ」と言わせて、人の命を奪う。そのような天皇あり方には敢然と抵抗し、平和の基盤をゆずらず、我々を守ってほしい、と考える橋本さんにとって、明仁陛下が国事行為などのほかに、沖縄、広島をはじめ戦跡地慰霊の旅を重ね、美智子皇后が夫人として支えていることは、望ましいことであるということになります。

 両陛下の慰霊の旅は旧時代の否定である、と橋本さんには映るようです。しかしそうでしょうか?


▽なぜ陛下は祭祀を重視されるのか?

 問題はこのようなご公務と祭祀との関係です。

 今上陛下が「弔いの旅」を重ねてきたのは、皇后のお言葉である「皇室は祈りでありたい」という精神だというのが、橋本さんの理解です。しかしここでいう「祈り」が、歴代天皇によって継承されてきた祭祀とどう関わるのか、が見えません。

 祭祀についての橋本さんの理解は、両陛下には祭政一致から切り離された祭祀という私的分野がある、というものです。旧時代は祭政一致の政治が行われていたが、現憲法下では祭祀は私的行為として行われている、という意味なのでしょう。

 ───皇国史観が隆盛を極めた時代は、神道は八百万(やおよろず)の神をあがめる宗教というより、絶対現人神(あらひとがみ)の天皇を国の家長とあがめる人心掌握の手段だったが、軍国主義一掃とともに政治から切り離され、皇祖以来、継承されてきた精神的な文化遺産に変質した。陛下は「遊び」の精神を神道に持ち込み、老いの歩みにまかせて、先祖と遊んでいる。

 つまり、これら橋本さんの表現から浮かび上がってくるのは、古い時代が過ぎてもなお、アナクロニズムに浸っている今上天皇というイメージです。「皇室は祈りでありたい」という精神と祭祀は別物なのです。

 それでいながら、橋本さんはかなりのページを割いて、「文化遺産」「遊び」であるはずの祭祀に言及しようとします。

 橋本さんは、祭祀は戦前までは公的行事だったが、現憲法下では天皇・皇族の私的行為であって、公務ではない。しかし人魂(ひとだま。皇祖神の意味か?)と交わり、五穀豊穣の祈りを真面目に実践する男がこの日本に1人いることこそ貴重であり、ありがたい、と話を展開するのでした。

 橋本さんは、祭祀を重視する陛下の姿勢が理解できるのでしょう。けれども、なぜ祭祀を重視するのか、が橋本さんには理解できていないのだと思います。


▽「天皇に私なし」と「級友」は矛盾する

 つまり、今上陛下が継承されたのは、旧時代の否定ではなくて、「国中平らかに、民安かれ」と祈る祭祀であり、内外での慰霊の旅はその結果であることが、橋本さんには理解されていないのです。

 天皇の祈りは先祖と遊ぶことではありません。皇祖天照大神を太陽神と決めつけることもできません。祖先崇拝や太陽信仰という理解は正確ではありません。天皇の祭りは農耕儀礼ではなく、神と天皇と人間が命を共有する食儀礼です。日々の祭祀を通じて、喜びや悲しみだけでなく、命をも共有しようとする天皇だからこそ、橋本さんが指摘するように、天皇は「身障者」や「沖縄」、そしてすべての国民に心を寄せられるのです。

 皇太子時代とは異なり、みずから真剣な祈りを捧げる天皇であればこそ、国民に寄せる心はいよいよ切なるものとなるのでしょう。

「陛下の級友」だというのなら、なぜそれが理解できないのでしょうか?

「陛下の級友」を自認する橋本さんの著書ですから、橋本さんしか知らないようなエピソードがいくつも登場します。ところが、たいへん興味深いことに、この第4章に即位後の体験談は見当たりません。「級友」と称するほど、身近におられるなら、陛下の祭祀に対する思いを独自の取材で描けるはずなのに、それがありません。

 おそらく皇位継承後は「級友」取材ができないからでしょう。

「天皇に私なし」といわれます。皇太子時代ならいざ知らず、天皇はすべての国民にとっての存在です。個人的な友だち関係は大原則に反します。「級友」という立場は即位後の陛下にはふさわしくありません。したがって「級友」天皇論も望ましくありません。

 まして、一面的で不正確な知識を振り回し、憶測にもとづいて、あまつさえ皇太子殿下の「廃太子」を国民的な議論にせよ、などと迫るのは、およそ「陛下の級友」のすることではない、と私は思います。


▽ご結婚の儀は「国事」であった

 さて、今週も長くなってしまいました。最後に1点だけ、すなわち祭祀の歴史について、補足します。

 橋本さんは、50年前、賢所で行われた両陛下のご結婚の儀が国事として行われたという事実を完全に見落としています。憲法が変わって、祭祀が天皇の私的行為と解釈されるようになったのではありません。祭祀の法的位置づけは、戦後、二転、三転しています。

 敗戦直後は過酷な神道指令で神道圧迫政策が行われましたが、占領後期になれば、占領軍の政策は変わり、貞明皇后の大喪儀はほぼ伝統に従い、事実上の国葬として行われました。政教分離原則の厳格主義が蔓延するようになったのは昭和40年以降であって、それでも58年には宮内庁は「(宮中祭祀は)ことによっては国事、ことによっては公事」とする「公式見解」を表明しています。

 歴代天皇が第一のお務めとしてきたのが祭祀ですが、その歴史からいえば、(1)近世まで、(2)明治以後、敗戦まで、(3)戦後という、義務教育の歴史教科書に載っているような単線的な歴史区分では不十分です。

 橋本さんは、皇后陛下がなぜ「皇室は祈りでありたい」とおっしゃったのか、天皇の祭祀との関係について、歴史的に、そして謙虚に学ぶべきでした。それがあれば、例の単純素朴な「新学習院」史観を克服できたのではないかと思います。橋本さんの祭祀の解説はあまりに即物的で、神聖さが感じられません。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

「不戦の決意」が皇太子の役割か?───橋本明『平成皇室論』を読む その3 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 当メルマガはこのところ、皇太子殿下の「廃太子」を国民的な議論に、と呼びかける橋本明『平成皇室論』を取り上げ、批判しています。今週はそのつづきです。

 その前に、ひと言申し上げます。2016年夏期オリンピック開催に名乗りを上げている東京都とJOCが、オリンピック招致の切り札として、今年10月2日に開かれるIOC総会に皇太子殿下のお出ましを要請してきた件についてです。

 すでに伝えられるように、殿下がご出席になる可能性は消えたようですが、じつに情けないことに、それでも皇室利用のはかりごとがやむ気配がありません。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 「不戦の決意」が皇太子の役割か?
 ───橋本明『平成皇室論』を読む その3
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽元皇族のJOC会長でも不十分なのか

 報道によれば、先週の16日、竹田恒和JOC会長は、殿下の総会出席が「難しい」との見通しを示しました。10月4日に長崎で開かれる育樹祭へのご出席が決まっている、という連絡が宮内庁からあったのだそうです。

 このメルマガが主張してきたように、オリンピック招致の熱意は十分に理解できるし、心から応援したいと思います。しかし、招致決定後ならいざ知らず、決定前の段階で、権謀うずまく国際スポーツ政治のただ中に皇室を引き込むようなことは、ものごとの順序が誤っています。

 そもそも昨年夏の段階で、話は曲がっていました。石原都知事は森元首相とともに福田首相を訪ね、皇太子殿下のご協力を正式要請したと伝えられました。不思議なことに、このとき福田首相が何と応じたのか、伝えられていません。本来なら、「それには及ばない。首相の私が全面協力する」といえば、足りることなのです。

 けれども、「永田ムラ」ならいざ知らず、国際政治の舞台では、元首相も現役の首相も知名度もなければ、力量もない。だからいきおい、皇族のお出ましを願う、という発想になるのでしょう。日本の政治家の資質が問われているのです。

 皇太子殿下のお出ましは避けられることになったものの、JOCは懲りずに、今度は高円宮妃殿下を担ぎ出そうとしています。どうあっても皇室のご威光が必要だということのようですが、JOCのトップは元皇族の竹田会長です。それでは不十分なのでしょうか。


▽今上陛下の東宮時代

 さて、橋本さんの『平成皇室論』の批判です。8月11日発行のvol.94では結論部分の第7章を読みました。つづくvol.95では第1章と第2章を検討しました。今週は第3章をひもとくことにします。

 第3章のテーマは、皇太子のご公務とは何か、です。

 橋本さんはまず、皇太子徳仁親王が「公務の見直し」を宮内庁に強く要求するなど、「時代に即した」東宮家のあり方を模索してきた、と理解します。もともと東宮家で定番となっている行事は、両陛下の東宮時代と変わらない。秋篠宮文仁親王が指摘したように、「受け身」の公務がほとんどだ。ご希望に添える、ふさわしい公務とは何か。「見直す」ためには、両陛下の足跡をたどらなければならない。両陛下も先帝の足跡をたどり、その手に余った願いを解きほぐし、ご自分らの時代に公務として実現、試行錯誤の末に新しい時代に沿う責務として切り開いてきたのである、という論理を展開し、今上陛下の東宮時代をエピソードたっぷりに振り返ります。

 橋本さんによれば、東宮職の原点は「敗戦」だといいます。習字の時間に明仁親王は「平和国家建設、文化国家建設」と大書した。ヴァイニング夫人と魂の交わりをした皇太子は、旧皇族旧華族を妃供給源と見なさなかった。親とはどういうものか想像すらつかなかった明仁親王は、ご成婚後、乳人(めのと)制度を廃し、食事の毒味を不要とした。両陛下が東宮時代に拓いた公務として大きいのは、「身障者」と「沖縄」だ、と指摘します。

 そのうえで、平成の東宮に求められているものは何か、と問いかけ、天皇の公務は憲法が規定している。皇太子は天皇が打ち立てた気風に適合してその責めを果たす責任がある。時代とは日本国憲法下のみで考えられるのであり、不戦の時代を生きる断固とした決意が求められる、と解説するのでした。


▽近代の枠組みから出ていない

 この章には橋本さんの「時代」観がよく現れています。章の最後は「時代の変化とは明治憲法下から現憲法に変わったときに大きく刻まれた。近代では幕藩体制から明治太政官制度に移行した時期をふくめ、二度の変化しか記録していない」とまとめられています。

 以前、書いたように、安倍能成院長が作詞した戦後の学習院の院歌は、「死」と「廃墟」から「不死鳥」のように蘇ることを歌い上げています。橋本さんの単純素朴な時代観は、この院歌を思い起こさせるのに十分です。であればこそ、「見直し」「時代に沿って」という皇太子殿下の言葉に強く反応したのでしょう。

 指摘したいことは、5点あります。

 第1は、橋本さんは旧憲法下の時代をきわめて否定的にとらえるのですが、じつのところ近代の天皇像の枠内から一歩も出ていません。つまり、橋本さんが暗黙のうちに認めている「行動する天皇」像は近代そのものです。

 たとえば、明治天皇の東北・北海道ご巡幸(明治14年)は稲作禁止から推進へという寒地農業政策の大転換点でした。民の前に姿を現すことがそれ以前にないわけではありませんが、国民の前で行動するのは近代の天皇そのものといえます。

 現在も同様です。いまの宮内庁は「皇室のご活動」と呼び、「ご日程」を公表していますが、英語表記では「activity」です。皇室がactionを起こすというイメージです。しかしそのようなあり方が、皇室の本来のあり方なのかどうか、よく考える必要があります。


▽憲法がご公務の根拠とはならない

 第2に、同様にして、橋本さんのように、天皇個人に時代を象徴させ、時代を区分するという、一世一元的発想も近代そのものです。

 橋本さんは「陛下の級友」という個人的体験の印象が強すぎるからなのか、個人レベルではない、たかだか数十年単位の物差しでは計れない、悠久なる歴史的存在としての天皇が見えないようです。

 第3は、橋本さんは、再三、「現行憲法を守り」を強調していますが、憲法を基本に考えるのなら、憲法7条に列記された国事行為以外の「天皇の公務」はあり得ないし、法的根拠のない皇太子の公務を想定する必要もありません。

 橋本さんが言及するインターハイのご臨席など「8大行啓」は憲法のどこにも規定がありません。ましてや、それ以外に皇室が積極的に、主体的に、時代の象徴として、「公務を拓く」根拠はどこにあるのか。橋本さんの文章には説明が見当たりません。

 別ないい方をすると、橋本さんの平和憲法論からは、東宮時代にさかのぼる今上陛下の「新しいご公務」は説明できないと思います。ご公務を語る議論の枠組みを見誤っているのです。

 ご存じのように、「内閣の助言と承認」(憲法)に基づく10項目の国事行為は憲法に明記されています。けれども、天皇や皇太子がなさるがゆえに「ご公務」とよばれるお務めの根拠は、憲法以前の皇室の歴史と伝統から導かれていると見るべきでしょう。

 究極的には、それは、橋本さんが「遊び」(第4章)と理解する祭祀です。多様なる国民を多様なるままに統合する天皇の祭りの機能です。


▽はるかに次元の高いところに

 第4に、橋本さんは「天皇に私なし」という大原則が理解できずにいるようです。

 橋本さんは、明仁親王が、親とはどんなものか想像すらつかなかった、と述べています。学習院高等科時代、発禁小説を回し読みしたとき、橋本さんの父親は涙を浮かべて説教したのでしたが、その話を聞いた明仁親王は「父親ってそういうものなのか」というひと言だけだったというのです。

 橋本さんは、乳人制度のなかで、たった1人で生活されてきた明仁親王は、温かい家庭を知らない不幸な人間だ、というイメージでとらえています。しかしそうではないでしょう。封建的悪弊ではなくて、公正無私なるお立場ゆえの乳人制度だったはずです。

 最後に、それなら皇太子のご公務とは何か、です。

 前にも書いたことですが、殿下は、平成の時代の「見直し」のうえに、新しいご公務を考えようとされているのではありません。私なき立場で「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈られることが天皇第一のお務めであることを十分に理解され、そのうえで新しい時代の公務のあり方を模索されているのだと思います。

 たとえば平成13年のお誕生日会見で、殿下は「公務の内容も時代ごとに求められるものがある。時代に即した公務の内容を考えていく必要がある」と答えられたあとに、「その根底にあるのは国民の幸せを願っていくことだと思う」と続けています。

 ご公務とは何か、という議論は、憲法問題も含むことであって、皇室任せにすべきことではないと考えます。少なくとも「不戦の時代を生きる断固とした決意……」(橋本さん)というような次元をはるかに超えたところに、本来のお務めはあるはずです。

 次回は、引き続き第4章を読みます。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

沈黙した政治学者・橋川文三───知られざる「象徴天皇」論争 その3 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 先週お休みした橋本明『平成皇室論』の批判を続けます。

 その前に、ひとこと申し上げます。新連立政権の発足を直前にひかえ、羽毛田長官が先週の10日、記者会見で、皇室典範の改正問題に取り組むよう要請する意向を表明した、と伝えられます。
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091001000994.html

 つまり、男系男子に限定している現行の皇室典範を改正し、女性天皇のみならず、女系継承をも認める法改正を推進しようというわけです。

 一点だけ手短に申し上げます。「歴史上、女性天皇がおられるのに、なぜ認めないのか」とおっしゃる方がしばしばいますが、不正確な歴史理解だと私は考えます。

 なるほど推古天皇以来、女性天皇は古代から近世まで、8人10代おられます。しかしすべて未亡人か未婚で、独身を貫かれています。夫をもつ女性、あるいは妊娠中や子育て中の女性が即位した歴史はありません。この事実が重要です。

 理由は何か。祭祀が天皇第一のお務めだからでしょう。私心を捨て、国と民のために、ひたすら公正無私なる祈りを捧げることを最優先するからです。

 女性が夫を愛することは大切です。命をかけてでも子供を愛する女性は美しい。その価値を認めるならば、祭祀王にはふさわしくありません。女性に祭祀が務まらないというのではありません。女性差別でもありません。むしろ逆です。

 天皇の切なる祈りの継承によって、国の平和と民の平安を築いてきた文明のかたちを深く理解するならば、女性天皇容認、女系継承容認の法改正は反対せざるを得ません。宮内官僚らが進める皇室典範「改正」は、日本の歴史と伝統を破壊し、天皇を完全に名目上の国家機関化する「ネオ象徴天皇国家」への変質を招きます。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 1 沈黙した政治学者・橋川文三
   ───知られざる「象徴天皇」論争 その3
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽これまでのおさらい

 さて、当メルマガはvol.91から、皇太子殿下の「廃太子」を進言する「ご学友」橋本明・元共同通信記者の『平成皇室論』を取り上げ批判しています。vol.94からは、約50年前に「思想の科学」誌上で展開された、知られざる論争を紹介しています。

 目的は、政治体制の歴史を世界史的に単線的にとらえる一方で、国の安定性の要因を君主の倫理性に求める橋本さんの皇室論の誤りを、浮き彫りにするためです。

 簡単におさらいすると、同誌昭和37年4月号の天皇制特集号に載った、戦後唯一の神道思想家・葦津珍彦(あしづ・うずひこ)の論文は、唯一の天皇擁護論で、敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に一様に移行する、というようなドグマに根本的な疑問を呈しました。

 これに対して、明治大学教授で評論家の橋川文三による批判論文が同年8月号に載ります。しかし内容は批判とはほど遠いものでした。橋川は真正面からの論争を避け、自分の十八番(おはこ)の政治学、政治思想史の分野で天皇制批判を試みます。

 つまり、(1)近代天皇制は、悠久の天皇史とは異なる、明治時代の創作ではないのか、(2)明治以後の国体論は膨張主義、帝国主義のシンボルだったのではないか、と指摘するのでした。


▽根拠をつまみ食いする非科学的態度

 葦津の問題提起を避け、橋川は自分の土俵に引き込もうとします。これに対して、葦津は翌年10月号で、相手の土俵のうえでの論争に真っ向から応じ、具体的に丹念に批判します。

 まず第1点。明治の「国体」思想は無からの創造だったのか否か。橋川と葦津の見方を以下、対比させてみます。

 まず、思想を科学する手法について、です。橋川は「老人のつぶやき」に耳を傾けます。

橋川 明治維新は上からの革新で、それまで日本人の生き方になかった要素を加えた。宮本常一『村里を行く』にあるように、「昔は良かった」というのが終戦までの老人たちのつぶやきのほとんどだったが、終戦後はまるで変わった。「昔は良かった」という者はほとんどいない。明治維新と敗戦のあいだにあったものが過渡的な異物であったことを暗示する。

 しかし葦津は、この橋川の姿勢を、根拠のつまみ食いであり、「非科学的」と批判します。

葦津 幾人かの老人の言葉から解釈を引き出し、明治維新の問題を提出するのは、まったく非科学的だ。同じ手法で異なる言葉を引用すれば、まったく反対の説がたやすく展開される。橋川氏も宮本氏も「昔は良かったという者がほとんどない」と思っているようだが、私はそうは思わない。たとえば、憲法改正論が多数派を大きく揺り動かしている。

 次は、明治維新をどう見るのか、です。橋川は「国体」の創出者として伊藤博文を取り上げます。

橋川 伊藤博文らが起草した明治憲法は、国民的統合の創出を最大の任務としていた。それは現代では想像もつかない困難な課題であった。「国家の基軸」とすべきものが欠如していたからである。そこで伊藤は、国体の憲法を作ろうとした。学校や鉄道、運河と同じように、「国民」を作り、「貴族」を作り、「国家の基軸」を創出した。近代国家となるには、自然的・伝統的天皇と異なる超越的統治権者の創出が必要だった。この国体は、民衆の宮廷崇拝やおかげ参りの意識とは異質のものだった。

 これに対して葦津は、伊藤の人物論からはじめ、橋本の言い分をほとんどコテンパンに否定します。


▽基軸として存在するのは皇室のみ

葦津 橋川氏は伊藤を明治帝国建設の英雄と見ているらしいが、大久保利通亡き後、閣内で有力だったのは保守的岩倉具実と進歩的大隈重信の2潮流である。伊藤は欧化貴族主義者で、議会の無力化に熱心なだけだった。そのことは中野正剛が『明治民権私論』に書いている。伊藤は俗物的官僚主義者に過ぎない。「国体を創造」するような政治思想家ではない。

 橋川氏は「我が国にありて基軸とすべきはひとり皇室のみ」という伊藤の演説を引用するが、基軸が現存しないから、新しく創出するという意味ではない。基軸としてすでに存するのは「皇室」だけだということである。『憲法稿本』の朱書にみずから明記しているのを見ても疑う余地がない。伊藤に国体創出のアムビションがあろうはずはない。

 橋川氏は、伊藤が仏教や神道の力を軽視した点に興味を示しているが、問題にするほどではない。伊藤は全野党から極端な欧化主義を糾弾された。神道や仏教を軽視したのは怪しむに足らない。宗教問題を検討するなら、伊藤1人の見解ではなく、憲法そのものの神道に対する公的関係をこそ究明しなくてはならない。

 橋川氏は伊藤と金子堅太郎の「国体」論争を引用しているが、2人の論争は用語論争であって、思想的対決があったわけではない。結局、伊藤は金子説に同意している。しかるに橋川氏は、議論の一致した事実を知らないかのように書いている。事実を知っていながら故意にゆがめるような修辞法は、科学的論文の上では認めがたい。

 帝国憲法の制定によって国体価値が創造された、という説には無理がある。しかし明治維新によって、統治権者としての天皇の本質が創造された、との説をとる学者は少なくない。江戸時代には統治権者としての性格がなかった、という説で、新憲法を弁護する御用学説として現れた。佐佐木惣一博士と和辻哲郎博士の論争が有名で、橋川氏が江戸時代の宮廷崇拝と明治の天皇制とは異質だと主張するのと通ずる。

 私は、佐佐木説の方が正しいと思う。最近、西田広義氏が詳細な研究を発表し、江戸時代における天皇の統治権総覧者としての地位を明快に論証している。そのほか、オランダ商館長など、江戸時代の日本を見た外国人が、天皇を「精神的帝王」と表現している。日常の行政に直接関与しないというだけで、最終の国家統治権は天皇に属すると認めている。

 江戸時代の宮廷崇拝が政治と無縁だったと考えると、明治維新の政治思想史は理解しがたいものとなる。ひな祭りに見られる天皇崇拝と天皇統治の神国思想とは結びついており、現代まで脈々と続いている。伊藤が「創造」したと言うほど、根の浅いものではない。

 しかし「伊藤が貴族を作り出した」とする橋川氏の主張には反対しない。明治の貴族制度は伊藤の創出したものと解釈していい、根の浅いものだったが、国体意識の根の深さはまったく異なる。


▽異民族解放と結びついた国体論

 第2点目として橋川が提起したのは、日本の国体と植民地の人々との関係でした。

橋川 明治の領土拡張のあと、国体は普遍的価値として、「八紘一宇(はっこういちう)」の根源的原理として現れている。単に日本の歴史的特殊事情に基づく国柄という域を超え、人類のための当為─規範の意味を帯びるに至った。膨張主義的規範であった。

 国体論は、「帝国主義」権力そのものの神義論という本質をもっていた。宗教と政治の無差別な一体性の空間的拡大ということが日本の帝国主義の顕著な特質であった。日本の「国体論」はこの百年の歴史について責任を負っている。

 一方、葦津は、橋川のあげた例を否定はしないが、それだけでは不十分だと批判します。

葦津 第1に、明治以来の日本の国体思想家とアジア解放運動との関係を見ていく必要がある。アジア解放の思想と植民地朝鮮・台湾問題とがどのような関係にあるか。頭山満や内田良平、北一輝らアジア解放運動に不惜身命(ふしゃくしんみょう)の活動をし、命を捧げた人もいる。ロシア革命の援助に熱意を示した人もいる。橋川氏のように「帝国主義権力そのものの神学という本質をもっていた」と割り切れない。

 問題は複雑である。内田良平は「日韓合邦」の推進者の筆頭で、典型的な帝国主義者とされているが、韓国農民の指導者・李容九は内田と結び、一進会百万人を動員して日韓合邦のために努力した。しかし、理想は裏切られ、「朝鮮併合」となり、李容九は悲劇的な死を迎えた。国体思想と植民地問題を究明するにのに、もっとも大切な点だ。

 第2に、大戦中の国体論者として、満州国建国の推進者・石原莞爾の国体論は無視できない。満州国を日本の軍と官僚の専制支配下に置くことに反対した石原は、朝鮮・台湾の民族解放に熱意をもっていた。そのため植民地解放を望んだ朝鮮人のなかにも熱心な東亜連盟員がいた。また石原の東亜連盟思想は日本の軍官民にかなりの影響力を持っていた。熱心な仏教的国体論者の石原を、主流派は「反国体的」と評したが、石原は主流派の権力思想こそ「反国体的」と猛烈に批判した。それほど同じ国体論でも性格が異なる。

 神道的国体論についていえば、神道神学者の今泉定助や神兵隊指導者の前田虎雄は、朝鮮独立運動指導者の呂運亨を熱心に支援した。背景には、朝鮮神宮に天照大神を奉祀すべきではないとするなど、異民族の信仰強制に反対してきた思想の流れがある。橋本氏が書いているような側面だけではなく、使命感としての国体論が、異民族解放の論理と結びつくケースもある。


▽国体意識の多様性

葦津 第3番目として、社会主義者の国体論を無視してはならない。たとえば幸徳秋水は、皇統が一系連綿たるのは、歴代天皇がつねに社会人民全体の平和と進歩、幸福を目的としたため、繁栄を来したのである。これこそ東洋の社会主義者の誇りでなければならない。社会主義に反対するものこそかえって国体と矛盾するものではないか、と書いている。仁徳天皇を社会主義と一致するとし、国体を誇っている。これらは当時の社会主義者のあいだでは、不思議な現象ではなかった。

 大正・昭和の安部磯雄にも共通性がある。満州事変後の無産党の国家社会主義的転向時代にはこの論理が著しい。積極的に「国体明徴」を望んだわけではなく、国体論的権力による社会主義思想の圧迫を回避する目的で国体論を利用したと理解するのが自然だろう。つまり、社会主義者たちは国体意識のなかに、みずからの主義主張を防衛しうるもの、政治権力の圧迫を防ぎ得る側面のあることを認識していた。そのような認識を引き出す要素が国体意識のなかにあったのだ。

 このように、日本人の国体意識というものは、途方もなく複雑で、相反するような多様の思想が錯綜(さくそう)している。これを分類整理して、植民地の人々とのあいだにどのような意味を持ったか、論理づけることは容易ではない。けれども、だからといって2、3の例だけで割り切ってしまえば、「思想の科学」は成り立たない。

 政治学、政治思想史の専門家である橋川は自分がもっとも得意とする分野で、一介の市井の神道思想家に過ぎない葦津に完膚無きまでに批判されました。そしてこれに対して、橋川がその後、再批判を試みたのかといえば、どうもそうではなく、完全に沈黙してしまいました。天皇制を思想として科学する機会は、尻切れトンボに終わったのです。

 さて、話を橋本論文批判にもどします。すでに繰り返し申し上げているように、ポイントは、(1)議論の手法、(2)天皇・皇室観、(3)事実認識の3点です。葦津・橋川論争を踏まえて、次週は橋本さんの著書を読み進むことにします。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

橋本明さんの見かけ倒し、西尾幹二先生のお門違い───「WiLL」10月号の緊急対談を読む [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2 橋本明さんの見かけ倒し、西尾幹二先生のお門違い
 ───「WiLL」10月号の緊急対談を読む
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

koukyo01.gif
 今週も橋本明『平成天皇論』の批判を続けます。ただし、予定を変更して、雑誌「WiLL」10月号に掲載されている、橋本さんと西尾幹二先生の「雅子妃問題・緊急対談 雅子妃のご病気と小和田王朝」を取り上げ、批判することにします。

 すでに何度も指摘しているように、この問題のポイントは大きくいえば、3点です。つまり、(1)議論の手法、(2)天皇・皇室観、(3)事実認識の3つです。


▽正確にいえば「昔の級友」

 まず第1に、議論の手法について。

 西尾先生は、「雅子妃問題」を皇太子妃殿下個人の問題ととらえ、療養中の妃殿下に対して、「船酔い」で船に乗っていられないなら「下船せよ」と迫ります。

 一方、橋本さんは、「2代目」の皇太子殿下は公務の大半が単独行動で、今上天皇と皇后陛下がお2人で積み重ねてこられた「象徴天皇」像の継承が難しい、という理由から、殿下の「廃太子」を勧めています。

 西尾先生も、「陛下の級友」の橋本さんも、いずれもマスコミという公の場で議論を進めようとしているところに最大の共通性があります。そして、問題の解決を望んでいるように見せかけて、逆に社会の混乱を呼び寄せているように、私には見えます。

 お2人の対談がのっけから興味深いのは、とくに橋本さんが「級友」を自任し、特別親密な立場から「天皇の心を推し量ることに全力を挙げた」と、あたかも陛下の意思に基づいた「象徴天皇」論であるかのように精いっぱい装いながら、見かけ倒しが見え見えだということです。

 橋本さんは対談の冒頭で、著書の執筆に当たって「天皇に直接、お聞きしなかった」と告白していますが、それどころか「直接、聞ける」立場にないのだろう、と私は想像しています。

 というのも、橋本さんの一連の文章や発言に例示される今上陛下との直接的会話や交流は、50年前の学習院時代か、20年以上前の皇太子時代といった古い記憶しか見当たらないからです。

 橋本さんは、いまも交流が続く「級友」ではなくて、かつて机を並べていた「昔の級友」なのでしょう。


▽友人同士の言語空間を逸脱

 そもそも友人関係というのは、お互いに親友だと認め合えばいいことです。他人に向かって「俺はあいつと友だちだ」などと、ことさら公表する必要はありません。

 しかもです。その親友が取り返しのつかない、大きな過ちを犯しているとしたら、もし親友だというのなら、直接、面と向かって諫言(かんげん)すればいいのです。いくらいっても分かってくれない友人なら、机をたたき、涙を流し、ときには命を張ってでも、説得するはずです。

「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と教えたのはイエス・キリストですが、それが親友です。書店に並ぶ分厚い本を書いている時間などないし、その必要もありません。私信で十分です。

 橋本さんが、「皇室は日本文化の砦(とりで)で、いちばん大事なもの」といいつつ、マスコミなど第三者の力を借り、安易に国民的な議論を喚起しようとするのは友情に反することで、橋本さん自身の言葉を借りるなら、「気楽」な印象さえ受けます。

 要するに、親友という立場をすでに失い、余人を交えない親友同士の言語空間を失っているため、直接的に進言したくても、できないのでしょう。そして、もはや「級友」としての言語空間を逸脱した橋本さんの進言は、「級友」としての立場をも、いまや完全に放棄することになったのではないかと心配します。

 皇室が「残さなくてはならない、いちばん大事なもの」だとすれば、公の場で議論するには、それなりの節度があってしかるべきですが、あるべき節度を失っているのは友情を失っている結果でしょう。

 皇太子ならまだしも、天皇は私なきお立場です。すべての国民の天皇であるなら、一部の人間の「友人」という立場はとれません。橋本さんは「陛下の級友」を一方的に装っているに過ぎないということです。


▽問題を直視しないのではない

 さらに橋本さんは、「天皇陛下や宮内庁から反応はあったか」という西尾先生の問いに、「とくにない」と答え、「とくに問題がないからだと思っている」と解説していますが、独善の上塗りというべきです。

「争わずに受け入れる」のが天皇の帝王学であり、したがって天皇は臣下を批判なさらないのです。反応がないのは「とくに問題がない」ことの証明にはなりません。もし「天皇無敵」という天皇のお立場を知ったうえで、自己正当化に利用しているのなら、いよいよ罪が深いといわねばなりません。

 西尾先生もまた「ご忠言」にふさわしい言語空間を見失っています。

 たとえば先生は、皇室問題について知識人たちがそろって「妃殿下には問題はいっさいない」といっていると指摘し、皇室の尊厳が内側から傷つけられ、汚されても、病気なら黙って治癒されることをお祈りしている以外にないといっている、と批判するのですが、これもまた橋本さんと同様、一方的な理解です。

「問題がない」と理解しているのではなくて、皇室を大切に思うがゆえに、公の場で議論すべきではない、と判断するからでしょう。問題を直視しないのではなく、国民としては静かに見守ることが重要だと考えるからです。

 西尾先生にはそうしたデリカシーが決定的に欠けています。

 妃殿下の一日も早いご快復を願うなら、とりわけ主治医を複数にするなど、治療体制の改善が必要だというのなら、私も同感ですが、そのように進言すれば足りることです。「下船せよ」だの「廃太子」だのと、マスメディアを使って声を張り上げれば、張り上げるほど、妃殿下のご快復はますます長引くでしょう。もしやそれがほんとうの目的でしょうか。

 西尾先生も橋本さんも、宮中に頻繁に出入りする小和田家の人々に節度を求め、「小和田王朝の危険」さえ指摘しています。節度は間違いなく必要ですが、節度を求められているのは小和田家の人々だけではなさそうです。


▽橋本さんたちこそ「つべこべ」

 第2に、天皇・皇室観です。

 西尾先生も橋本さんも、(1)一夫一婦天皇制、(2)徳治主義、(3)倫理的要求のドグマから抜け出せないでいます。

 橋本さんはこう述べています。「両陛下がお互いに協力し合って支えるところに『日本の皇室』を守る姿があった」。

 一方、西尾先生は、「現実を見ない人たちは、雅子妃の現状に問題がないことの論拠として、宮中祭祀は天皇が行うもので、皇后が行うものではない、と強調している」と指摘し、これに同意する橋本さんは「論点のすり替え、『つべこべ』だ」と非難しています。

 さらに、「『天皇はひとりでやっていればいい』ということだ。けしからん」(橋本)、「香淳皇后は戦争中、どれだけ昭和天皇を支えたか」(西尾)、「支え合っている姿が重要なんじゃないか」(橋本)と2人の批判はとどまるところを知りません。一夫一婦天皇制こそ本来のあり方であるかのような口ぶりです。

 たしかに、いまは「天皇皇后両陛下」と併称され、宮内庁発表はお2人がおそろいでご公務をこなされているように発表し、マスコミもそのように報道しています。けれども、昔は天皇を「上御一人(かみごいちにん)」と呼び、さらに古くは「陛下」は天皇のみの尊称だったのです。いまも憲法上の国事行為は天皇のみが行います。

「つべこべ」と議論をすり替えているのは、橋本さんたち自身なのです。

 両陛下が互いに支え合うお姿は麗しいことですが、その美徳が天皇制を維持する要因ではありません。天皇は国と民のため無私なる祈りを捧げることを第一のお務めとし、国民の多様なる天皇意識が皇室を支えてきたのであって、天皇皇后両陛下の意識的な行動が皇室を守ってきたのではないと私は考えます。

 したがって、雅子妃問題が国民の天皇意識を揺るがしている。皇室は徳治の世界だが、東宮ご夫妻は逸脱している、などとして、両殿下に倫理性を要求するのも誤りです。

 橋本さんが、皇室を徳治の世界と考える根拠はいったい何でしょう。有徳の士が皇位に就くのではなくて、皇位は世襲によって継承されています。そして祭祀を重ねることで徳を磨かれるのが天皇なのです。


▽まったく逆の事実認識

 3番目、最後は、事実認識の問題です。これには2つの問題があります。(1)雅子妃問題の経緯、(2)陛下のご心痛とは何か、の2つです。

 西尾先生は、自分が「ご忠言」を書いたのは、「両陛下が心配でならなかったからだ。ご病気もあるし、皇統問題や東宮家のことでご心痛が重なっているようにお見受けした」と説明しています。

 そして「案の定、昨年12月、羽毛田長官がご心痛を報告され、皇室が妃殿下にとってストレスであるとの考えに傷つかれたと仰せになった。妃殿下のお振る舞いに対する天皇のご心痛は、同時に国家、国民の問題でもあるからだ」と続けています。

 長官は両陛下が妃殿下のお振る舞いについて心を痛めていることを明らかにしたが、自分はそのことを予見していた、と西尾先生は自慢げですが、まったくのお門違いです。

 もう少し正確に引用すると、昨年暮れの長官「所見」は、こうです。

「妃殿下の適応障害との診断に関し、『皇室そのものが妃殿下に対するストレスであり、ご病気の原因ではないか』、また『妃殿下がやりがいのある公務をなされるようにすることが、ご快復の鍵である』といった論がしばしばなされることに対し、皇室の伝統を受け継がれて、今日の時代の要請に応えて一心に働き続けてこられた両陛下は、深く傷つかれた」

 今上陛下が妃殿下の行動自体に心を痛めているのでもありません。

 いみじくも長官の「所見」は、「天皇陛下は、皇后陛下とともに妃殿下の快復を願われ、心にかけてこられた。この数年、一部の報道の中に『両陛下は、皇太子妃殿下が公務をなさらないことを不満に思っている』『両陛下は、皇太子、同妃両殿下がオランダに赴かれたことに批判的であった』といった記事が散見されるが、妃殿下がご病気と診断されてこの方、両陛下からこのたぐいのお言葉を伺ったことは一度もない」と、逆の内容になっています。


▽的外れの「所見」を先取りしたトンチンカン

 何度も申し上げてきたことですが、この長官の「所見」自体にこそ、誤解を招く原因があります。

「所見」は陛下のご不例のあと、発表されました。医師が「急性胃粘膜病変があったのではないか」と説明した2日後、長官は何を思ったか、「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場からお心を離れることのない皇統の問題をはじめ、皇室に関わるもろもろの問題をご憂慮のご様子……」と述べ、東宮家の問題に言及したのです。

 陛下のご病気が「急性」なら、その原因とされる心身のストレスが「ここ何年かにわたる」問題であろうはずはありません。「所見」自体が的外れなのです。

 トンチンカンな「所見」を先取りして、「ご忠言」を書いた、などというのは、誇るべきことではありません。むしろ逆でしょう。

 西尾先生は「皇室の『民を思う心』と国民の信仰が一致している。その関係が危うくなっていくのではないかというのが、雅子妃のご不例以降の問題である」と語り、一方、橋本さんは「東宮は雅子妃のご病気によってガタガタになってしまった」と述べて、もっぱら妃殿下あるいは両殿下を非難します。

 しかし、平成11年暮れに、全国紙が妃殿下の「懐妊の兆候」をスクープし、その後、流産という悲劇を招いた「勇み足」報道がそもそもの発端であることへの説明は、対談のどこにも見当たりません。情報をリークした宮内官僚とプライバシー暴きを続けるマスコミという外的要因を、西尾先生も橋本さんも完全に黙殺しています。

 ところで、西尾先生は、妃殿下が精神の病を抱えることになることなど、いくつも予感を的中させたと鼻を高くしています。それなら、先生が主張される妃殿下の「下船」のあと、どんなバラ色の世界が広がるとお考えなのでしょう。皇室の平安、社会の安定を招くことになるのでしょうか。

 少なくとも私はそのようには思えません。むしろ逆でしょう。したがって先生の意見に同調することはできません。

 長くなりましたので、今週はこの辺で終わります。 

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

1 真正面の論争を避けた橋川文三──知られざる「象徴天皇」論争 その2 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 橋本明『平成皇室論』の批判を続けます。

 前号から当メルマガは、約50年前、「思想の科学」誌上で展開された、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦(あしづ・うずひこ)と明治大学教授(政治学、政治思想史)で評論家の橋川文三との天皇論論争について紹介しています。

 目的は、一方で政治体制の歴史を世界史的に一様にとらえ、その一方で、国の安定性の要因を君主の倫理性に求める橋本さんの皇室論の誤りを浮き彫りにするためで、前号ではまず、同誌昭和37年4月号に載った葦津論文を取り上げました。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1 真正面の論争を避けた橋川文三
  ──知られざる「象徴天皇」論争 その2
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽前号のおさらい
koukyo01.gif
 軽くおさらいすると、天皇制擁護の立場で書かれた葦津の論文は、

(1)敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に移行するというドグマ、

(2)個別性を無視し、世界の君主制をいっしょくたに論ずるドグマ、

(3)国民意識の多面性に目を向けずに、もっぱら倫理的に理解する学者たちの国体論のドグマ、

 に対して、痛烈な懐疑を呈し、

(ア)「君主制が少なくなり、やがて日本も共和国になる」という一般的公式を立て、具体的事実を無視し、具体的な国の運命を抽象理論で予見しようとするのは浅はかである

(イ)日本のいまの天皇制ははるかに非政治的で非権力的であるが、無力を意味しないどころか、もっとも強力な社会的影響力を持ち、もっとも根強い国民意識に支えられている

(ウ)日本の国体はすこぶる多面的で、抽象理論で表現するのは至難なほどである。国民の国体意識は、宗教的意識や倫理的意識と割り切れず、さまざまの多彩なものが潜在する。政治、宗教、文学、すべてのなかに複雑な根を持つ根強い国体意識が国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている

 と指摘するのでした。


▽歴史上の2つの問題

 同誌編集委員会は「異なった立場を積極的にぶつけ合い、そこからお互いの思想のより着実な成長と実りを求める、という思想の科学研究会の精神に立って、天皇制支持の葦津氏の論文を掲載」(37年4月号)したのですが、今度は、葦津論文批判を書くように、と橋川に要請します。そして、同年8月号に、橋川文三の反論が載りました。

 けれども結論からいえば、橋川の論文は反論といえるようなものではありませんでした。橋川は論考の冒頭に「葦津論文は、そのままではとくに反論を必要とする性質の論考でもないように思う」と記しているほどです。まるで真正面からの論争を避けているかのようです。

 橋川はその理由を葦津論文においています。すなわち、葦津論文は「国体論そのものとしては、有効な論争の契機を提示していない」。葦津自身、「国体意識の根強く広く大きい事実について、注意を促し、国体研究の必要を力説したに過ぎない」「この論文は討論開始の序曲であり、国体論の本論ではない、と断っている」からだというのです。

 橋川は、葦津が書いたほかのミニコミ雑誌の論文にも目を通し、それらが「むしろ論争のためにはより適当な対象だった」と認識しながらも、「ふれる余裕がなかった」として言及しませんでした。

 そして、政治史的視角を示さず、非歴史的な比較制度論に傾斜している、と橋川が見る「思想の科学」に掲載された葦津論文の指摘に直接、反論するのではなくて、「やや場違いとも思われる歴史上の問題を序論的に提出する」のでした。

 その「歴史上の問題」とは、「明治憲法の天皇制は、民族信仰の伝統の上に成立したものなのか」「かつての日本植民地の人々にとって『国体』とは何だったか」という、2つの命題です。


▽作られた「国家の基軸」

 橋川は、葦津のように比較制度論や社会心理学の立場から国体=天皇の問題をアプローチするにしても、少なくともこの2つの問題を避けては意味がない、と指摘します。真の保守主義者はこの2つの問題から学ばなければならないというのです。

 つまり、橋川は、まず第1に、以下のように指摘します。

1、明治維新は上からの革新であった。それまでの日本人の生き方になかった要素を加えることだった。混沌とアナーキーのなかから1つの秩序を創出するダイナミックな課程であり、「無」からの想像という劇的場面にほかならず、「国体」価値の創造もこの過程で行われた。

2、伊藤博文らが起草した明治憲法は、混沌状態を収束する権力政治上の意味を負わされていただけでなく、国民的統合の創出を最大の任務としていた。それは現代では想像もつかない困難な課題であった。「国家の基軸」とすべきものが欠如していたからである。

3、そこで、伊藤は自然的存在としての国体から憲法を作ろうとしたのではなく、逆に国体の憲法を作ろうとした。学校や鉄道、運河と同じように、「国民」を作り、「貴族」を作り、そして「国家の基軸」を創出した。近代国家となるには、自然的・伝統的天皇と異なる超越的統治権者の創出が必要だった。

4、この国体は、民衆の宮廷崇拝やおかげ参りの意識とは異質のものだった。

 要するに、近代天皇制は、悠久の天皇史とは異なる、明治時代にでっち上げられたものだ、というのが橋川の指摘です。


▽膨張主義的規範

 2つ目の問題は、国体がかつての日本帝国の「新版図」において、どのような意味を持ったか、です。天皇=国体の意識が異民族に対してどのような特質をあらわしたか、確かめる必要がある、と橋川は指摘するのでした。

 つまり、

1、明治の領土拡張のあと、国体は普遍的価値として、「八紘一宇(はっこういちう)」の根源的原理として現れている。単に日本の歴史的特殊事情に基づく国柄という域を超え、人類のための当為(とうい)─規範の意味を帯びるに至った。膨張主義的規範であった。

2、国体論は、「帝国主義」権力そのものの神義論という本質をもっていた。宗教と政治の無差別な一体性の空間的拡大ということが日本の帝国主義の顕著な特質であった。日本の「国体論」はこの百年の歴史について責任を負っている。

3、「国体」が「征服・闘争・帝国主義」のシンボルに逆行しないために、我々は「国体」の自然化を戒める必要がある。そのために、葦津氏と同様、私も「国体研究の必要」を力説したい。

 要するに、どぎつく表現すれば、天皇制こそが海外侵略の血塗られた元凶(げんきょう)だ、という指摘でしょう。

 この反論になっていない橋川論文に対して、葦津は翌38年1月号で、いみじくも「反論ではなく、感想のようである」と指摘したうえで、葦津自身は真正面から反論を加えます。詳しくは次号にゆずりますが、予告的に少しお話しすると、葦津はおおむね次のように橋川論文を批判するのでした。

──日本人の国体論というものは途方もなく複雑で、まったく相反するような多様な思想が錯綜(さくそう)している。橋川氏があげた2つの例のほかにも、大切なものがあるだろう。これを整理し、論理づけるのは容易ではないが、2、3の事例だけで思想史を割り切ってしまっては「思想の科学」は成り立たないだろう。

 簡単にいえば、歴史のつまみ食いでは、科学にならない、というのが葦津の反論です。

 同じことは、橋本さんにもいえそうです。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

2 知られざる「象徴天皇」論争 その1 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 2 知られざる「象徴天皇」論争 その1
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽共通する前提
koukyo01.gif
 橋本明さんの『平成皇室論』は、その背景に、独特の「象徴天皇」論と直線的社会発展論とが結びついているように、感じられます。

 橋本さんは一方で、戦後、日本国憲法下の象徴天皇は両陛下がお二人の協力で編み上げてこられたもので、無から有を生み出すようなご苦労があった、と解説し、その一方で、基本的人権尊重の流れがイギリスの名誉革命にはじまり、アメリカ、フランスを経て、戦後の日本に到達した、という単線的な歴史観を提示します。

 そのうえで、民衆に逆らう王制で長続きした例はない。民主主義が最後に到達した日本で天皇制が存続できるかどうか、今後の皇室の命運は皇室自身の倫理的身の処し方に関わっている、という論理で、象徴天皇制の継承のために、東宮の「廃太子」を勧めています。

 つまり、政治体制の歴史を世界史的に一様にとらえるとともに、国の安定性の要因を君主の倫理性に求める姿勢です。

 橋本さんの皇室論に対して、例の西尾幹二先生のように、同調者が少なくないのは、前提としての歴史理解などに共通するところがあるからなのでしょう。それなら、この考え方は妥当なのか。私は違うと思います。

 何がどう違うのか、を説明するのに、参考になりそうな戦後の知られざる論争をご紹介します。いまから約50年前の雑誌「思想の科学」上での論争です。


▽雑誌「思想の科学」の「天皇制」特集号

 論争は「思想の科学」事件とよばれる出来事と直接関係しています。評論家の鶴見俊介らが編集する同誌は何度か発行元の出版社が代替わりし、昭和34(1959)年からは中央公論社から発行されていました。

 事件が起きたのは、36年暮れ。「天皇制」を特集する12月号を、出版社が編集者の了解を得ないまま裁断してしまったというのです。

 藤田省三、掛川トミ子、福田歓一などによる天皇制に批判的な対談、論文のなかに、1本だけ天皇制擁護の立場で書かれた論文が混じっていたことから、掲載を躊躇(ちゅうちょ)する版元が自己規制したというのが、事件の発端だったようです。

 その後、編集者たちはみずから思想の科学社を設立し、自主的出版の道を模索します。創刊号は幻の「天皇制」特集号でした。そして、論争がはじまりました。戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦の天皇制擁護論と明治大学教授(政治思想史)で評論家の橋川文三との天皇論論争です。

「国民統合の象徴」と題された葦津の記事は、「戦争と敗戦を通じて、日本の天皇制は根強い力を立証した」と、並み居る天皇制反対論者に対して、じつに挑戦的な書き出しではじまります。


▽変わらなかった国民の天皇意識

 葦津の議論は、当時、一般的に流布してきた通俗論的天皇論に痛烈な懐疑を投げかけるものでした。つまり、(1)敗戦国の王朝はかならず廃滅し、共和制に移行するというドグマ、(2)個別性を無視し、世界の君主制をいっしょくたに論ずるドグマ、(3)国民意識の多面性に目を向けずに、もっぱら倫理的に理解する学者たちの国体論のドグマ、です。

 この葦津の指摘は、橋本さんの戦後象徴天皇論にも、じつによく当てはまります。

 具体的に見てみると、葦津は次のような議論を展開しています。

1、敗戦国の王朝はかならず廃滅するものと信じられていたが、日本でのみ例外が見られた。日本では国民投票に問うべきだという主張もなかった。天皇制反対派は愚劣にも外国の軍事裁判の権力によって天皇制を傷つけようとしたが、国民の天皇意識は動かせなかった。占領軍当局は干渉を試みたが、大衆の国体意識を抹殺(まっさつ)することはできなかった。

2、ライシャワーが認めるように、日本国民の天皇意識は「目に見える天皇」がなくなっても変化しがたい。根強い国民意識の支持条件の上に立つ天皇制と、イタリアなどの王制を抽象的形式論で同一視すれば、例外が出てくるのは当然である。

3、「君主制が少なくなり、やがて日本も共和国になる」という一般的公式を立て、具体的事実を無視し、具体的な国の運命を抽象理論で予見しようとするのは浅はかである。


▽個別の歴史の事実を無視している

 橋本さんはたぶん、日本の天皇制は敗戦によっていったん滅びたという認識なのでしょう。現行憲法下の日本は共和制国家であり、そのもとに新たに誕生したのが象徴天皇制である、という理解なのだと想像します。つまり昭和20年8月に革命が起きたとする、憲法学者・宮沢俊義流の8月革命説です。

 しかし葦津の指摘にしたがえば、それは抽象的形式論に過ぎず、歴史の事実とはほど遠いことになります。敗戦の前後に国民の天皇意識に、イタリア王制に見られるような変化がないからです。

 蛇足ですが、昭和21年元日に「新日本建設に関する詔書」が出されました。天皇が神であることをみずから否定した「人間宣言」と理解されていますが、木下道雄侍従は、『国体の本義』(文部省編集、昭和12年)などに明記された天皇=現御神(あきつみかみ)とする理解に誤りがある、と『宮中見聞録』で指摘しています。敗戦によって現人神(あらひとがみ)が人間天皇に変わったのでもありません。

 橋本さんの皇室論は、君主制は必然的に共和制に移行する、と考える歴史必然論に支えられているよう見えますが、葦津は完全に否定しています。個別の歴史の事実を無視しているというのです。

 以前、このメルマガで書いたように、君主制から民主制へ、さらに革命運動を経て社会主義社会が実現される、という社会発展説が無邪気に信じられた時代がありましたが、20世紀末には逆に、革命国家のソ連が崩壊しました。それどころか、いまロシアで起きているプーチンの強権政治は、まるでツァーリズムの先祖返りです。

 橋本さんは、あたかも日本がヨーロッパにはじまる民主制の終着点であるかのように書いていますが、逆にヨーロッパの王制はいま、日本の天皇制のように、象徴君主制化しているという実態を見ることができます。

 葦津が指摘するように、抽象的形式論のドグマから抜け出る必要があります。


▽多彩な国民意識が天皇制を支えている

 葦津の議論は続きます。

4、日本のいまの天皇制ははるかに非政治的で非権力的だが、無力を意味しない。もっとも強力な社会的影響力を持ち、もっとも根強い国民意識に支えられている。

5、仮にいま日本が共和国形式をとると仮定しても、岸信介や池田勇人程度の大統領より、はるかに天皇制の方がよいと日本人は信じて疑わない。国民の過半数の票を集めたとしても、国民の実感が承知しない。国民のあいだに動かしがたい国体意識があるからである。

6、その国体意識とは何か。美濃部達吉博士は「万世一系の天皇を中心として戴き、他国にないほどの尊崇忠誠を致し、天皇は国民を子のごとく慈しみたまい、君民一致する事実を指す」と力説しているが、これに限らず学者の国体論は倫理主義的な狭さを感じさせる。

7、私の考えでは、日本の国体はすこぶる多面的で、抽象理論で表現するのは至難だと思う。たとえば、天皇の地方行幸や東宮結婚などに具体的な風景から暗示される国民の国体意識は、宗教的意識や倫理的意識と割り切れるものではない。たぶんさまざまの多彩なものが潜在する。絶大な国民大衆の関心を引きつける心理的な力。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている。

8、この根強い国体意識は政治、宗教、文学、すべてのなかに複雑な根を持っている。その日本人の心理の具体的な事実を見ずして「君主制批判」という抽象理論で天皇制の将来を予想するなど愚かである。この地上からトランプの4つの王が消え失せるとも、日本の天皇制は繁栄し続けるであろう。


▽日本人は変わったか

 橋本さんの皇室論は、皇位を継承する皇太子のみならず、妃殿下にまで徳をきびしく要求します。高い徳を有することによって象徴天皇像の継承が可能だ、と訴えるのですが、葦津の記事によれば、天皇制を安定的に支えているのは、天皇・皇族の倫理性ではなく、逆に国民の根強い国体観念です。

 のちに駐日アメリカ大使となるライシャワーは「臣民の態度は、外国の命令で天皇と皇族とを取り除いても、変わらないだろう」(『太平洋の彼岸』)と述べているようです。たとえ「目に見える天皇」がいなくなっても国民の天皇意識が動かしがたいほど強力なのだとすれば、橋本さんのような倫理的要求は無意味です。

 実際、天皇不在の空位期間がのべ100年間におよぶことを葦津は指摘しています。その間、日本人の国体観念なるものが変化したということは聞きません。

 問題は、昭和20年8月に革命が起き、天皇は現人神から人間に変わった、などとバーチャルな歴史観を吹き込まれた戦後の日本人自身の「国体観念」のありようです。葦津の雑誌記事から約50年、日本人は変わってしまったのかどうかです。その意味で、橋本さんの皇室論に対する読者の反応に興味をそそられます。

 次回は、橋川文三の葦津論文批判について書きます。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

1 皇室擁護を謳いつつ破壊をもたらす橋本明『平成皇室論』 [橋本明天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 当メルマガはこのところ、皇太子同妃両殿下の「別居」「離婚」「廃太子」を進言する、陛下の「級友」橋本明氏の『平成皇室論』を取り上げ、批判しています。

 これまでのおさらいをすると、「週刊朝日」「WiLL」の記事などを読み、次のような指摘をしました。大きく分けると3点になろうかと思います。

 第1に、進言の方法です。陛下の「級友」だというのなら、陛下に直接、申し上げればいいのです。「級友」と称して、陛下の権威やマスコミの力を借り、国民的議論を求めるのは、問題解決より混乱を志向しているように見えます。

 第2は、橋本さんの天皇・皇室観です。橋本さんの天皇論は千年以上続く、祭祀王としての天皇ではなく、現行憲法を起点とする象徴天皇論であり、一夫一婦天皇制です。戦後の象徴天皇像は両陛下が協力して編み上げたと断定し、昭和天皇の存在すら黙殺されています。皇位を継承するわけではない皇后に徳を要求するのも誤りです。皇室像の継承を主張しながら、じつは勝手な皇室像を押しつけようとしています。

 第3は、事実認識です。いわゆる雅子妃問題の背後にある、マスコミが果たした負の役割に目をつぶり、もっぱら妃殿下批判に集中しています。「懐妊の兆候」スクープ報道が流産という悲劇を招いたこと、ショッキングな皇太子殿下の「プライバシー」発言の前にプライバシー暴き報道が繰り返されたことへの言及は見当たりません。

 以上、軽くおさらいしたところで、今回は著書の第七章を読んでみることにします。本のエッセンスがすべて書き込まれている、と思うからです。

 忘れないうちに申し上げますが、来週はお盆のため、メルマガをお休みさせていただきます。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1 皇室擁護を謳いつつ破壊をもたらす橋本明『平成皇室論』
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


▽3つの選択肢
koukyo01.gif
 橋本さんはこの最終章で、次のように論を展開させています。

1、皇太子は大半の仕事を単独でこなされている。残念なことに、雅子妃のお姿が見られない。「象徴天皇制」では、政治大権、主権は唯一国民にある。天皇の務めは国家と国民の象徴にあり、皇后の支えが大切だが、このままでは皇太子は1人で象徴の務めを果たさなくてはならない。東宮時代からつねにご一緒だった現皇室の哲学が継承されるか、陛下は悩まれているのではないか。

2、妃殿下の速やかなご回復を祈るけれども、万一の場合は、一連のご大喪儀に皇后の不参加を想定しなければならない。平成の即位礼で確立した様式も皇后不在となると適用が難しい。「歌会始」もどうなるのか。国賓接遇にあたってもそれなりのプロトコールを編み出さなければならない。予見される不都合を解消する唯一の道は早期のご回復であるが、現状は中途半端であり、抜本的な治療方針を確立すべきである。

 このように議論を進めたあとで、橋本さんは次の3つの選択肢を議論の手がかりとして例示します。

ア、思い切って雅子妃を皇室から遠ざけ、ストレス因子の存在しない空間に身を移し替え、回復に専念する「別居」(完治するまで、皇太子は単独で仕事をさばく)

イ、論理のうえで検討しておく必要のある「離婚」(皇室典範の改正が必要になる)

ウ、治療してもよくならない場合、仮に皇太子が一家庭人として幸福を追求するなら、天皇になる道を捨てる「廃太子」(皇次子秋篠宮文仁親王が立太子礼を経て皇太子になる。同時に徳仁親王は新宮家を創設し、継承順位は秋篠宮、悠仁親王、徳仁親王の順になる)


▽天皇を支えるのは内閣

 以上のように述べたうえで、橋本さんは最後にこう締めくくります。

3、日本の国家と国民を結ぶ節目は、正統な血の流れを保ち、だれもが敬意を表する徳を保持する天皇であり、天皇が高い徳を養ってこそ、象徴性は拡大し、国民は安心を覚える。基本的人権尊重の流れはイギリスの名誉革命にはじまり、戦後の日本に到達した。民衆に逆らう王制で長続きした例はない。国民も皇室も心してこの体制を運用し、世界に類を見ない国家統治の形を国の宝と見つめるべきだ。

 さて、批判です。

 基本的なことは冒頭に申し上げた3点に尽きると思います。とくに、天皇に関する本質論、歴史認識の2つについて誤りを指摘しなければなりません。

1、まず、橋本さんの一夫一婦天皇制について。今上天皇が東宮時代から皇后陛下とつねにご一緒だった、というのは正確ではありません。皇后が天皇を支えているという理解も必ずしも正しくありません。

 現行憲法は、天皇の国事行為は、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が責任を負うこと、しかも国事行為のみを行うことと定めています。天皇を支えるのは内閣です。

 実際、宮内庁が公表している「ご日程」によれば、ご執務や認証官任命式、あるいは国会開会式のご臨席などはお1人でお務めです。宮中祭祀の場合、皇室第1の重儀である新嘗祭などは、皇后の拝礼をそもそも制度的に予定していません。

 両陛下が仲睦まじいのは国民にとって喜ばしいことですが、天皇のご公務はあくまで天皇のものです。お2人でご公務をこなされているように見えるのは、各種行事へのご臨席やお出ましについて、マスコミがそのように報道している結果でしょう。

 したがって、皇太子殿下単独のご公務を神経質に気に病む必要はありません。

 皇室の伝統にはない天皇制を、あたかも伝統のように偽って継承せよと迫るのは、皇室の伝統の破壊にほかなりません。


▽君徳は祭祀によって磨かれる

2、橋本さんの象徴天皇論は、皇室と国民との二項対立を前提とし、憲法が定める国民主権下での天皇には徳が要求される、主権者に逆らえば長続きしないと脅していますが、根拠がありません。

 憲法の枠組みでいえば、皇位はあくまで世襲です。徳などは要求されていません。徳がなければ皇位を継承する資格がない。別居だ、離婚だ、廃太子だ、という橋本さんの進言は、GHQ憲法を前提としても、明らかな逸脱です。

 天皇の徳というのは、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』で述べたように、「国中平らかに、安らけく」と祈り、命を共有する祭祀を継承されてきたことの結果です。祭祀を重ねることによって天皇の徳はみがかれるのです。徳がないから皇太子たることをやめよ、と進言するのは本末が転倒しています。

 皇室と国民とを対立的に理解し、天皇主権か国民主権かと考える近代的な発想も、天皇の歴史を正しく理解するものではないでしょう。ヨーロッパの王室と日本の皇室は違うのです。

 世界に数ある王制のなかで、王妃にまで君徳を要求する国など聞いたことがありません。民主政治がイギリスからアメリカ、フランス、日本に到達したという歴史観も観念的すぎます。

 いま求められているのは、宮内官僚たちによって破壊され、空洞化された祭祀を正常化することです。今年に入って、ご公務ご負担の軽減と称して、毎月1日の旬祭が年2回となり、11月の新嘗祭の簡略化も企てられています。天皇の徳が象徴天皇制の重要な要素だとお考えなら、橋本さんは祭祀の正常化を宮内庁に強く要求すべきです。


▽そのあと何が起きるのか

3、橋本さんは「廃太子」こそがいちばん現実味がある、と結論づけているようですが、いうところの廃太子のあとで、何が起こると考えるのでしょうか。

 皇太子殿下は、マスコミの不作法なプライバシー暴き報道に抗して、ご病気の妃殿下を精いっぱい明るく支えておられます。ご高齢で、しかも療養中の陛下もそうですが、いっしょに病気と闘っている両殿下の姿は、同じように闘病のさなかにある、少なからぬ国民にとっては、希望ではないのでしょうか。

 だとしたら、橋本さんが勧める別居や離婚が行われたとき、日本の社会にどんな影響をもたらすのか。いわゆる家庭の崩壊を一段と進めることになりはしないか。少なくとも私には、いい結果をもたらすとは思えないのです。君徳をきびしく求めるあまり、社会の乱れを引き起こすことは矛盾以外の何ものでもありません。

4、橋本さんは、陛下のご心労について、致命的な誤解をしています。昨年暮れの陛下のご不例は、身心のストレスが原因だとされ、羽毛田長官は「所見」で皇位継承問題などを示しました。橋本さんの進言は羽毛田「所見」を論拠にしていますが、拙著に書きましたように、この「所見」自体が誤っています。

 つねに国と民のために祈る天皇にとって、ご心労は数限りないはずで、特定することは困難です。まして医師は「急性病変」と診断していますから、「ここに何年間かにわたり、ご憂慮の様子」とした羽毛田「所見」はまったくの的外れです。誤った「所見」に基づく橋本さんの進言は誤りです。

 また、皇位継承について、国民が口を出すことは、皇室の伝統に反します。というより、口を差し挟む必要がないといった方がふさわしいかもしれません。皇位は皇祖神の神意に基づき、御代替わりを重ねつつ、地上に蘇り、継承されると信じられてきたのであり、北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)の『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』以来、万一、仁政が行われ難きときには、皇位は傍系の仁者に移る、と認められてきたからです。人間よりも神の意思がそうさせるのです。

 結局、結論的にいえば、「ご学友」と称する橋本さんの進言は、皇室擁護を謳いつつ、それとは逆に破壊をもたらすものであるといわざるを得ません。皇室の破壊を国民的な議論にしようとする「ご学友」など、私の理解をはるかに超えています。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース
前の10件 | - 橋本明天皇論 ブログトップ