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もう一度、古代の酒に迫る──白酒・黒酒に秘められた謎。製法から浮かび上がる国家哲学 [新嘗祭]

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もう一度、古代の酒に迫る
──白酒・黒酒に秘められた謎。製法から浮かび上がる国家哲学
(「神社新報」平成9年12月8日号から)
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 先月(11月)下旬、宮中・神嘉殿で新嘗祭が親祭された。各県から献上された米と粟の新穀の御饌(みけ)と神酒(みき)とを陛下みずから皇祖神以下、天神地祇に奉る、皇室第一の重儀である。

 陛下はこの祭りによって、天皇たる御徳を高められ、同時に皇室・国家・国民の平和と繁栄を祈られる(八束清貫「皇室祭祀百年史」)。

 ご承知のとおり、新穀を醸した神酒には、白酒(しろき)と黒酒(くろき)とがある。白酒は米から造った原酒を漉した酒、黒酒はこれに久佐木(くさぎ)という植物の根の焼灰を加えた酒である。

 なぜわざわざ木灰を加えたりするのだろうか。美味しくなるとはとうてい、思えない。大きな謎である。

「薬草の灰のアルカリ分で酸味を中和させる」

 という一見、科学的な説明もあるが、神事に用いられる神酒の説明としては十分とはいえまい。もっと信仰的に深い意味があるのではないか?

 久佐木という聞き慣れない植物にも、謎がありそうだ。

 酒の原料となる米や水の分量を、じつに精緻に定める『延喜式』の製法の記述も、なにやら謎めいている。

 ということで、今回は、厚い神秘のベールに包まれた白酒・黒酒に迫る。


▢ 「仕へまつらむ黒酒白酒を」
▢ 『延喜式』記載の製法の意味

 白酒・黒酒は宮中の大嘗祭、新嘗祭のほかに、伊勢神宮の三節祭にも供せられる。

 明治維新以後、大神に捧げられる神酒は白酒・黒酒・醴酒(れいしゅ)・清酒の4種となったが古くは内宮(ないくう)では白酒と黒酒が供された。

 延喜23(804)年に太政官に提出された、神宮最古の文献とされる『皇太神宮儀式帳』には、酒作(さかとく)物忌(ものいみ)が造る白酒、清酒作(きよさかとく)物忌が造る黒酒、並びに二色(ふたいろ)の神酒を、由貴大御饌(ゆきのおおみけ)に添えて供する、と記されている。

「並びに二色の神酒」とあるから、合計4種の神酒かと思ったら、そうではないという。

 安永4(1775)年に脱稿された『儀式帳』の注釈書、中川経雅の『大神宮儀式解』に、「並びに」は、「白黒の神酒ともに」の意味と記述してある。

 芦屋大学教授、皇學館大学理事長などを歴任した櫻井勝之進さんは、「特殊な用法」と説明するのだが、「二色」と強調するところに何か意味がありそうだ。

 面白いことに、『儀式帳』によると、酒作物忌は白酒、清酒作物忌は黒酒とあるのは誤記で、逆に、白酒は清酒作物忌、黒酒は酒作物忌が造ったという。

 なるほど、建久3(1192)年に神宮禰宜・荒木田忠仲が編述した『皇太神宮年中行事』では、白御饌は清酒作内人、黒御饌は酒作内人が造る、との記載がある。

 建久以後、ほどなくして物忌と呼ばれる童女が酒造りに関与する風が絶え、内人に代わったようだ(『儀式解』)が、「清酒作」というだけに白酒に、より重きが置かれたのかと思いきや、「清酒作物忌があとから分かれた」と櫻井さんは指摘する。

 また、『万葉集』の歌は、

天地(あめつち)と久しきまでに萬代(よろずよ)に仕へまつらむ黒酒白酒を

 と順序が逆で、黒酒に重きがあるように見えるが、「思想的原理の違いで変わるのだろう。重要性は一律には決めがたい」と解説する。

 神宮では、由貴大御饌の中心をなす黒酒・白酒を醸す御酒殿(みさかでん)は殿舎のなかでもとくに神聖なものとして位置づけられ、毎年、神嘗祭の前に黒木の苫葺き、または萱葺きで新造された(阪本廣太郎『神宮祭祀概説』)。

 けれども、白酒・黒酒の製法は、神宮の文献には記されていない。

 製法が記述されているのは、『延喜式』の「造酒司(さけのつかさ)」の項で、「新嘗会白黒二酒料」として「官田稲廿束」など、必要な原材料や道具が列記され、そのあとに次のような記述が続く。

 毎年9月2日に畿内の官田で料稲を供進する国郡を卜定する。次に黒木、茅葺きの酒殿、臼殿、麹室各1宇を建てる。10月上旬の吉日を選んで醸造が始まり、10日のうちに終わる。

 原料は米1石。このうち2斗8升6合で糵(げつ。麹)をつくる。残り7斗1升4合を蒸米とする。麹と水5斗を合わせて2つの甕に仕込む。

 1つの甕から1斗7升8合5勺の酒ができあがる。

 熟後、一方に久佐木灰3升を入れる。これが黒酒で、混合しないもう片方が白酒となる。

 注目されるのは、分量の意味ありげな数字である。いや、実際、これらの数値には、哲学的な意味がありそうなのである。


▢ コクのある赤米の白酒
▢ 見事なまでの「経験則」

 宮中の酒造りは、戦後しばらくして、外注に変わった。それでも、『延喜式』の酒造りは忠実に踏襲されているという。

 その製法を実験的に再現させた人がいる。前回の火無浄酒(ほなしのきよさけ)復元にもご登場いただいた、岩瀬平・元山口県農業試験場長である。

 以下、「山口県神道史研究」(平成6年)に発表された論文を追ってみる。

 再現に取り組むきっかけは、「畏敬の念をいだく」という神宮赤米との出会いである。

 なぜ「畏敬」なのか、その背景には「懼れすら覚えるものがあった」のだが、テーマがずれるので、ここでは触れない。

 大嘗祭が斎行された平成2年の春、岩瀬さんは学徒出陣以来、生涯2度目の伊勢参宮を果たし、このとき足を伸ばした神宮神田で、神宮赤米を特別の厚意で分譲される。

「つややかな赤褐色の赤米」は、「古希を迎え、わが生涯を締めくくる作業として、『延喜式』新嘗会白黒2酒の再現へと私を促すものとなった」という。

 平成4年の秋、岩瀬さんは『延喜式』の分量に従って酒を仕込んだ。

 現代の酒造りと違って、水の量が半分以下なので、最初は「パラパラの状態」で、「酒になるかと懸念」されたが、「2〜3日経つと、全体に湿り気がまわり、撹拌も楽になり、アルコール発酵の匂いが立ってきて、10日を迎えるとベトベトに溶けて」きた。

 10日後、「粗い麻布で醞るとドロドロのすり潰された粥状のピンクを帯びた白酒が得られた」。

 2等分して、「一方に久佐木の木灰を混和すると、木灰に混じる消炭の微粉が白酒を美しい灰黒色に仕上げ、ここに黒酒が誕生」した。

 さっそく味わってみた。

「白酒はさすがに神宮赤米、コクのある味」で、アルコール分は18・4度を示した。他方、「黒酒は、渋くて、とてもいただけるものではなかった」。

 実験でいくつかのことが明らかになった。

 米の総量1石に対して、なぜ加える水の量が5斗と半分なのか? 現在の醸造法では総米100に対して汲水は130だから、あまりに少ない。

 しかし「汲水を多くすれば、上澄みに清酒がすぐ浮いてくる」ため、全体が白っぽくなってしまい、白酒はまだしも、黒酒が黒い酒にならない。

 したがって黒酒を得るには、上澄みが浮いてこないドロドロの粥状の酒でなければならないのである。

 新嘗祭は白酒・黒酒の醸造が終了してから1か月後で、それまで「2色の神酒」の色調が確保されていなければならない。それには、上澄みが生じないよう、汲水を抑制しなければならない。

 つまり、「酒造に適したぎりぎりの時季」も確保されている。「見事なまでの経験則」と岩瀬さんは感嘆する。

 つぎに、『儀式帳』がわざわざ「二色の神酒」と断っている理由について、である。なぜ白酒・黒酒なのか?

 岩瀬さんは陰陽五行説と古代の酒造り神事に注目した。

 まず陰陽五行説だが、民俗学者の吉野裕子さんは、「伊勢神宮で重んぜられるのは、北辰の北と、天を象る西北、乾(いぬい)である。北は玄天で黒、西北は白である。神酒の白酒・黒酒をはじめ……」(『大嘗祭』)と書いている。

 また、醸造史家の加藤百一さんは、『日本の酒5000年』で、和歌山の旧官幣大社日前(ひのくま)神宮、國懸(くにかかす)神宮の興味深い酒造り神事を紹介している。

 同社の祭神は天照大神とされ、『延喜式』神名帳には「名神大社」とあり、祈年・月次・相嘗・新嘗の祭りには、奉幣にあずかっていた。

 平安以後、伊勢神宮に次ぐ別格の扱いを受け、「神宮」と呼ばれて、神階授与もなかった(松前健「日前・國懸神宮の祭神と古代宮廷」)。

 酒造り神事はとうに絶えてしまったが、古文書には「神酒水迎え」「御麹合せ祭」「白御酒祭」と続き、吉日を選んで「黒御酒祭」が斎行された、黒御酒には臭木(くさぎ)灰のほか、米麹や麦芽が加えられた、と記述されている。

 とすれば、岩瀬さんが「黒酒こそ神の酒として造られなければならなかった」と思ったのは当然である。

 遠く中国北部では、黒黍で醸した酒が祭祀に用いられたといわれる。

 これに対して、「(わが国で)黒米を手にしていなかったとすれば、白酒から神酒中の神酒たる黒酒が造られなければならなかったのであろう。このとき久佐木灰を和合して黒酒を仕上げるという手法が選択されることになったと思われる」と岩瀬さんは推理する。


▢ 久佐木灰を加える理由
▢ 最高の哲学思想と技術

 さて、あらためて、製法に記された精緻な数値について考えてみたい。

「易においては一切の森羅万象を数に還元し、それによって理を究めていく」(吉野前掲書)とすれば、『延喜式』の数値は「経験則に基づく単なる数値ととらえる事はできなくなる」のであり、強い「意志」が込められているに違いないからである。

 けれども謎は容易には解けない。数年ものあいだ、疑問は岩瀬さんの頭を離れなかった。

 ある日、「虚心に数字に向かえば、解ける」という「確信にも似た内心の声」が聞こえてきた。謎は一気に氷解した。

 紙幅の制約から、詳しい説明はできないが、たとえば神酒の原料は米10斗(1石)と水5斗である。「土気成数10」と「土気生数5」を合わせて、酒が造られるとともに、土気完成を見る。

 醱酵後、1つの甕から1斗7升8合5勺、2つの甕を合わせれば、3斗5升7合の酒が得られるのは、3+5+7=15で、やはり「土気成数10」と「土気生数5」の組み合わせで、土気が完成する──という具合である。

 土気は四季を支配する。生命は土気の作用で生育する。豊穣を祈り、収穫を感謝する祭りは強く土気を意識した祭りとなるだろう。神酒もまた土気を意識して造られなければならない。

 岩瀬さんは「飛び上がらんばかりに驚いた」という。

『延喜式』の製法の「数字の背後には、周到なまでに割り出された易の理と意味の構図が書き込まれていた」からである。

 最後に残った難題は、久佐木である。

 黒酒造りでいちばん難しいのは久佐木の焼き方だそうだが、いったいなぜ久佐木灰なるものを加えるのだろうか?

 解明の糸口は平成3年の冬に島根・美保神社の諸田船(もろたぶね)神事を拝観したことだった。

 この神事は「八百穂祭(いやほのまつり)」とも呼ばれる新嘗の祭りだが、宵祭りの「一ノ御供(ごく)」に供せられる、大椀に盛られた強飯にはクサギの箸が添えられている。

 それを聞いて、岩瀬さんは「言葉を失った」という。そして「古人はクサギに特別の意味を見ていたと確信するようになった」のだった。

『延喜式』を読み返してみたところ、「久佐木灰3升」の下に「採御生気方木」の割注があった。

「その年の星と天皇の御生年の星との関係から、吉とする方角に生えている木を採れ」とする指示である。それだけの重みがあるということだ。

 さらに、『延喜式』の「典薬寮」では、「久佐木」が「恒山」と表記されている。「恒山」は中国の名山五嶽のひとつ、北嶽のことである。

 岩瀬さんは理解した。

「北は神の座すところ、配される色は黒、配当される気は水気である。水気のもっとも旺んなるもの酒とするならば、国家の最重儀であり、天皇親祭の祭祀である新嘗祭に奉献される神酒中の神酒たる黒酒は、天皇生気(しょうげ)の方(かた)に生える恒山の木灰によって仕上げられてこそ、その首尾を一貫することができるというものであった。

 白酒から黒酒を仕上げるのに久佐木灰が用いられる理由は、ここにあったと考えられる」

 そして、岩瀬さんはこう結論づける。

「新嘗祭の白酒・黒酒は、当時の醸造技術の先端に立ち、かつ天地・自然・人間の事象を認識する中国の易と五行説を援用して、精緻なまでの配慮のもとに、奈良時代に構想された神酒であった」

 岩瀬さんはまた、「新嘗祭白黒二酒酒造法の背後に蔵された易と五行の理と論理を解読したとき、息を呑む思いがした」という

 それは、「最高の哲学思想と技術を縦横に駆使して構築したその構図は、神酒誕生という動的場における、易という『簡』と『不変』の単純明快な数にまで、昇華した配慮に打たれたからである」。

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