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バチカンは靖国神社を一貫して認めてきた──教皇庁の指針を否定する日本の教会指導者 [靖國問題]

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バチカンは靖国神社を一貫して認めてきた
──教皇庁の指針を否定する日本の教会指導者
(「神社新報」平成19年2月26日号から)
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 過去30年間、靖国神社の国家護持運動や首相参拝に強く反対してきた日本のカトリック教会の指導者たちが、今度は信者の靖国参拝を認めるバチカンの公文書を無効とする挙に及び、反靖国的姿勢を募らせています。

 カトリック中央協議会が「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」と題する小冊子を発行したのは昨年(平成18年)秋でした。1936(昭和11)年にバチカンの布教聖省が日本の教会に与えた指針「祖国に対する信者のつとめ」は、国家神道の神社(靖国神社)の儀礼は宗教的なものではない、とみなし、信者の参加を公的に認めていましたが、今回の冊子は

「70年が経過し、状況が変わった以上、そのまま今の教会に適応できない」

 と効力を否定し、

「信者の参列は差し支えないとはいえない」

 と主張しています。

 しかし東京大司教が執筆し、司教協議会が編集した冊子は、史的理解が正確でないなど、多くの問題点が指摘されます。


▢ 儀礼は宗教的か否か

 このバチカンの指針は、昭和7年の上智大学生靖国参拝拒否事件のあとに出されました。

 事件は、軍事教練の配属将校に引率され、靖国神社まで行軍した学生のうち信者数人が参拝(敬礼)を「拒否」したのをきっかけに大混乱に発展したもので、今日の教会は戦前の「迫害」の象徴ととらえています。今回の小冊子も

「教会は弾圧と迫害にさらされていた」

 と書いています。

 しかしほんとうにそうでしょうか。『上智大学史資料集』は多くのページを割き、事件に関する一次資料を網羅しています。ちょうど日本の教会指導者が反靖国的傾向を強めていった時期に編集、刊行されていますが、「弾圧と迫害」の事実を読み取るのは不可能です。

 渦中にいた大学関係者は

「軍部による政党打倒運動に事件が利用された」

 と回想しているほどで(『未来に向かって』など)、軍部の嫌がらせはともかく、日本政府が政策的に教会を弾圧した歴史はないはずです。

 ただ、信者にとって信仰上の問題をはらんでいたのは事実でしょう。キリスト教は一神教です。敬虔な信者であればあるほど、唯一神以外の神を礼拝することは許されません。靖国神社での敬礼は宗教行為なのか否か、事件は問いかけたのです。

 今回の小冊子は、靖国神社を宗教と断定し、その前提で、事件を政教分離問題として政治的に理解しようとしていますが、問題の本質はそうではなく、異教の国での戦没者追悼という国民儀礼に一神教の信仰者は参加を許されるのか否か、という信仰問題なのでしょう。

 であればこそ、事件さなかの昭和7年9月、シャンポン東京大司教は鳩山文相宛に書簡を送り、学生らの神社の儀式への参列は愛国心と忠誠を表すものなのか、宗教に関するものか、回答を求め、これに対して文部省は、

「神社参拝は教育上の理由に基づくもので、学生らの敬礼は愛国心と忠誠とを表すものにほかならない」

 と答えました。

 靖国神社での敬礼は宗教的意義を有さない、という公式回答を得て、信者らは安心して参拝できるようになったのです(田口芳五郎『カトリック的国家観』など)。

 この教会の判断はバチカンによって追認されました。それが1936年の指針です。

 日本の教会は、異教儀礼に由来すると思われる行為などを公的に求められたときの信者の対応について何度も照会し、これに応じて布教聖省はこの指針を発したのです。

 この指針が注目されるのは、同じ布教聖省が一六五九年に宣教師に与えた古い指針を冒頭に引用していることです。

「各国民の儀礼や慣習などが信仰心や道徳に明らかに反しないかぎり、それらを変えるよう国民に働きかけたり、勧めたりしてはならない」

「キリスト教信仰はいかなる国民の儀礼や習慣をも、それが悪いものでないかぎり、退けたり傷つけたりせず、かえってそれらが無事に保たれるように望んでいる」

 この賢明な原則を想起するのは有益である、と1936年の指針は述べています(カトリック中央協議会編『歴史から何を学ぶか』など)。

 布教聖省が約300年前の指針を引き合いにしたのには理由があります。古い指針は中国に布教する宣教団に与えられたものです。キリスト教徒が異教世界の儀礼に参加することの是非論は昨日、今日に始まったものではないのです。

 16世紀末に中国宣教を開始したイエズス会は、中華思想に固まり、排外的で自尊心の強い中国人に布教するため、画期的な「適応」政策を編み出しました。現地語を学び、現地の習俗、習慣を積極的に採り入れ、絶対神デウスを中国流に「天」「上帝」と表現し、皇帝による国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝の儀礼に参加することをも認めました。

 この布教戦略は功を奏し、イエズス会士は宮廷に迎えられ、高級官僚となり、やがて信者は増え、1692年にはキリスト教は公許されました。

「適応」政策の成功は、その成功ゆえに、遅れてやってきたドミニコ会やフランシスコ会の嫉妬と反感を買い、修道会同士の人間臭い陰湿な対立抗争を招きました。そして典礼問題が発生し、孔子崇拝の儀礼参加の是非がバチカンで論争になります。結局、イエズス会が敗北を喫し、1773年には解散させられます。

 しかし20世紀になって適応主義は蘇ります。日本の教会は1936年に靖国参拝が認められ、中国では39年に孔子廟での儀式参加が許されました(矢沢利彦『中国とキリスト教』など)。

 東京大司教の冊子には、こうした広い世界宣教史的視点が欠けています。


▢ 指針を見直す権限

 今回の小冊子は70年の時の経過で、1936年の指針の効力が失われている、と主張していますが、靖国神社の儀礼参加を認めた指針の有効性は、戦後、1951年に出されたバチカンの新しい指針が確認しています。

「戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民儀礼と見なされてきた。日本政府は明確に言明してきたし、この数世紀間に儀式の意味は変化した。だから靖国参拝は許可され、教皇特使ドハーティ枢機卿は昭和12年に参拝したのだ」

「この数世紀間に」という文言に、三百数十年の典礼論争を経た教会にとっての靖国問題の本質が見えます。しかし今回の小冊子には新しい指針への言及がありません。バチカンの指針を見直す権限は、当然、バチカンにあるでしょう。そしてバチカンが70年前の神社参拝許可を取り消した、という事実は聞きません。

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