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一面的な谷沢永一先生の雅子妃批判  ──「WiLL」掲載論考の問題点 [谷沢永一天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 一面的な谷沢永一先生の雅子妃批判
 ──「WiLL」掲載論考の問題点
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 また、です。今度は谷沢永一・関西大学名誉教授が「WiLL」誌上で、皇太子妃殿下の父・小和田恒氏への批判を始めました。

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「小和田恒の自虐史観徹底批判」と題する谷沢先生の論考は、冒頭で西尾幹二・電通大名誉教授の「皇太子さまへの御忠言」に共感を表明しています。

 ──皇室は近代の理念が立ち入る余地のない界域(エリア)である、と規定する西尾幹二の規定は至極当然である。

 そこへ競争原理の体現者であるかのごとき雅子妃が嫁したことが今日の惑乱の原因であるという規定は動かしがたい。

 外務省へ入るための銓衡(せんこう)を経た合格者である雅子妃が参入したのは相当に異例であった。

 日本女性としてもっとも知力に秀でているという自負を抑えきれないであろう雅子妃の目から、宮中祭祀の伝統は異様な古式の儀礼であると感じられた。

 だからこそ、雅子妃は平成15年9月以降、宮中祭祀にいっさい出席しないという姿勢を貫いている。

 皇室の神聖な伝統に敬虔の意を持ち得ない批判精神が心底にわだかまっているゆえであろう。

 このような固定観念はご父君の小和田氏に問題がある、と西尾幹二が予感したのは慧眼(けいがん)であった。

 以上のような論理から、谷沢先生は小和田批判を進めるのでした。


▽1 祭祀の破壊者をなぜ批判しないのか

 言論も表現も自由です。小和田氏を批判するのも勝手ですが、谷沢先生は西尾先生と同様に重大な過ちを犯しています。

 つまり、宮中祭祀が異様な儀式だと感じられたから、雅子妃は「いっさい出席しない」という推論は、まったくもって一面的です。

 原武史・明治学院大学教授の宮中祭祀廃止論批判で何度も言及してきたように、昭和50年8月、宮内官僚たちは皇后、皇太子、皇太子妃のご代拝の制度を廃止してしまいました。ここに問題の核心があります。

 たとえば、入江日記をひもとくと、香淳皇后が風邪気味のため、ご自分で拝礼されず、ご代拝になった、というような記述が散見されます。体調が思わしくないのなら、ご自身で拝礼されなくても、ご代拝で十分なのです。

 ところが入江侍従長らは、憲法の政教分離を厳格に考える絶対分離主義の発想から、側近によるご代拝の制度を無くしてしまったのです。

 谷沢先生が「自虐史観」を批判するのは十分に理解できますが、それなら、戦時国際法にも違反する、敗戦直後の神道指令を引きずるような皇室祭祀の破壊を、なぜ批判しないのでしょうか?


▽2 祭祀の価値を語る知識人がいない

 皇室の伝統に敬虔の意を持ち得ない、という雅子妃批判も一面的です。

 若い皇太子妃が祭祀の伝統に畏敬の念を感じられるかどうかより、戦後の日本が宗教的情操観念をほとんど否定してきたことこそ批判すべきです。

 もし宮中祭祀の価値を現代的に、科学的に、文明論的に再評価し、国民を啓発する知識人がいれば、日本でもっとも知力に秀でた女性ならなおのこと、皇室の伝統の意義をたちまちにして理解するでしょう。

 しかしそのような知識人は、谷沢先生も含めて、見当たりません。そこに問題があるのです。

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