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韓国人の「国への帰属意識」に変化!? [韓国・朝鮮]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月21日土曜日)からの転載です

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 バージニア工科大学の銃乱射事件はアメリカに移民した「移民1.5世代」の孤独感を浮かび上がらせています。移民1世代でもなく、現地で生まれた第2世代でもなく、自我の確立がなされていない幼少期に移民した1.5世代は異なる言語や文化に適応できない困難にぶつかり、疎外感や孤独感にさいなまれ、異常な行動に走る場合が少なくないようです。

 韓国人の海外移民が目立つようになったのはベトナム戦争以後といわれます。韓国は1964年に参戦し、30万の軍隊が派遣されました。いま150万人を数える在米韓国人の大半はこの当時、韓国人に対する移民枠が拡大されたのを受けて、海を渡った人々でした。在外韓国人は兵役を延期することができ、二世以降は兵役を免除されましたから、明らかに兵役忌避の意味合いを持つ移民です。

 ふたたび移民が増えたのは盧武鉉政権成立以後です。ホームショッピングでカナダへの「移民商品」が売り出されたところ、2回の放送でじつに4000人が殺到し、商品を扱った企業は175億ウォンという「ホームショッピング史上最高の売上」を記録したことが韓国マスコミの話題となりました。

 申請者の7割は、「高卒以上」を唯一の条件とし、現地で2年間の語学・技術教育を受けたのちに移民資格が与えられる「技術教育移民」(2800万ウォン)に集中していました。年代別では30代が申請者の半数を占め、40代が3割を超えていました。働き盛りの韓国人がまるで家電製品を買うように、いとも簡単に祖国を離れようとしていました。

 いわゆる頭脳流出が危惧されるほど、韓国人が「韓国離れ」を募らせていたのは、景気低迷や政治的不安など先行き不透明感が理由だ、と韓国紙は分析していました。生活苦や事業の失敗を理由とする自殺者が激増し、住宅費や教育費の重い負担は30代の韓国人に

「脇目もふらずに働く自分が哀れに見える」

 と思わせ、40〜50代の専門職は「韓国を離れることばかり考えて」いたのです。高学歴の中流以上の階層が

「この国には未来がない」

 と見限り、さっさと母国を離れていったのです。

 その一方で、生まれてくる新生児に英語圏の国籍を取得させるため、アメリカやカナダ、ニュージーランドで出産する「海外遠征出産」も増えていました。属地主義をとるこれらの国では、現地で生まれた子供すべてに市民権が与えられるからです。海外出産のパック旅行をネット販売する旅行会社もありました。

「兵役や子供の将来が心配」
「韓国語より英語」
「幼稚園で英語を学ばせるより、誕生時に英語圏の国籍を」

 という発想から海外で出産する韓国人が庶民層にまで拡大したのです。不法移民が目に余るようになって、アメリカで検挙されるケースも増えました。

 韓国人学生の約45パーセントが

「二重国籍ならアメリカ国籍を選ぶ」

 と答えたというアンケート調査の結果が伝えられたことがあるほど、韓国人の「韓国離れ」は深刻ですが、それは「転職好き」に似ているという指摘もあります。

 韓国人のサラリーマンは一生の間に平均4.2回、職を変えるという調査もあります。高い給料やキャリアアップを理由に韓国人はいとも簡単に転職するというのです。自分が勤める企業への忠誠心の低さはそのまま国家への帰属意識の希薄さに結びついているという指摘です。

 しかしここへ来て、少し風向きが変わってきたようにも見えます。金大中、盧武鉉と続く「親北」左派政権支配は社会秩序の崩壊を生み、頭脳流出を招き、韓国人の国への帰属意識をさらに輪をかけて希薄にしてきたことに対する反発と反省がようやく生まれてきたと伝えられるからです。

 ほとんどマスコミには取り上げられませんが、ソウルでは毎週のように反盧武鉉デモがあり、ときには数十万人規模に膨れ上がるのだそうです。親北的な民族主義ではなく、自由主義的な国民意識を、とくに注目すべきことには国の中枢にいる韓国人たちが、行動で示すようになったのです。

タグ:韓国・朝鮮
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朝鮮語抹殺政策と漢字抹殺政策 [韓国・朝鮮]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月14日水曜日)からの転載です

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 朝鮮日報が韓国の国語学者・李煕昇氏の自叙伝を紹介しています。
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007031402688

 李煕昇氏は日本による朝鮮語抹殺政策のシンボルといわれる1942年の朝鮮語学会事件の渦中の人です。

 昭和13年の第三次朝鮮教育令によって朝鮮半島ではそれまでとは異なり、内地人と朝鮮人が机を並べて勉強できるようになりました。一方で、朝鮮語が「必修」から「随意科目」となりましたが、とくに日本人校長の学校では朝鮮語の授業が続いていたといわれます。

 朝鮮総督府の機関紙「毎日申報」は漢字ハングル混じりで終戦まで発行されていたし、ラジオの第二放送は朝鮮語が用いられていました。朝鮮総督府が編纂した朝鮮語辞典もあります。最近では、在朝鮮日本人に対する朝鮮語奨励政策までが実施されていたことが知られています。これが今日、韓国で「日帝の国語抹殺政策」といわれる実態でした。

 朝鮮語の辞典を共同編纂したために逮捕された、といわれるのが朝鮮語学会事件ですが、朝鮮語の禁止が事実でないのですから、辞典編纂を理由とした検挙・投獄はあり得ません。

 日本には江戸以後、百数十冊以上の国語辞書(節用集)が確認されていますが、もともと朝鮮には朝鮮語辞典がありませんでした。漢字辞典と漢字の文書があればいいという発想だったからです。

 ある歴史事典は、事件について、こう説明しています。

「女子高生の日記に『日本語を使い処罰された』とあったのに端を発して、教員が検挙され、学会にまで弾圧がおよび、言語学者が裁判に付され、拷問のため獄死した。朝鮮語の使用か禁止される状況で、苛酷な弾圧を受けた」

 しかし、韓国研究院発行の雑誌「韓」は昭和52年にこの事件を特集し、判決文(予審終結決定書)を載せていますが、そこには、主犯格の被告について、高麗共産党や民族宗教団体との関連、ベルギーの世界弱小民族大会に朝鮮代表して出席し、朝鮮独立要求の議案を提出していたことなどが記されています。

 拷問の末の「自白」がどこまで事実を反映しているのか不明ですが、同被告は戦後、北朝鮮の要人となっています。

 一方、同じ雑誌に掲載されている李煕昇(梨花女子専門学校教授)氏の回想はじつに興味深いものです。

 ──事件発端の日記の記述はいたずら書きに過ぎず、刑事仲間の間には立件の断念を勧める者もいたが、朝鮮人の刑事が事件にもっとも熱心に取り組み、もっとも苛酷な拷問を容疑者に加えた。

 ほかならぬ朝鮮人が無実かも知れない同朋を攻め立てている構図は背筋の寒くなる思いがしますが、いまやそれが日帝批判に姿を変えています。

 今度の李煕昇氏の自叙伝は事件をどのように描いているのでしょうか。東亜日報の書評は、

「事件で同志たちが死んでいったことは個人の苦難であり、韓国文化にとっての試練だった」

 とじつに大仰に訴えています。

 しかし朝鮮語学会が起きたのは、朝鮮人が朝鮮の言語文化を大切にしてきたからではなく、その逆の現実があったからでしょう。そして、同様の誤りを韓国人は戦後も繰り返しています。

 それが漢字の抹殺です。ハングルの価値を称えるあまり、二千年近くに及ぶはずの漢字文化を韓国人は自分から捨ててしまいました。その結果、いまや韓国人大学生の5人に1人は自分の名前を漢字で書けないのです。

 朝鮮日報の社説がそのことを嘆いています。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/14/20070314000014.html
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泣かない子供にお乳はやらない [韓国・朝鮮]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年1月30日火曜日)からの転載です

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 韓国文化にくわしい友人が教えてくれた韓国のことわざです。泣けばお乳をあげるけど、泣いてもいないのに、お乳をほしがっているんじゃないか、と思いやってお乳をあげる、という発想は、韓国人にはない、というのです。

 自分中心にやりたい放題、言いたい放題で、買い物に行けば、同じ韓国人同士でも、相手が外国人ならなおのこと、市場の店員は高い値段をふっかける。文句があるなら、いえばいいじゃないか、黙っているのは負けを認めたのと同じことだ──韓国人にはそういう発想があるといいます。

 面白いことには、最近、そのような考えを思い直す姿勢が韓国人の中に少し見られるようです。「韓国は住みにくい」と声を上げる外国人がかなりいることが韓国人に知られるようになってきたからです。

 韓国メディアによると、韓国消費者保護院が先日、発表した報告書には、韓国で生活する外国人のじつに4割が「不満足」と答えたといいます。

「意思の疎通がむずかしい」

「外国人への配慮が足りない」

 などが理由で、スーパーなどの試食コーナーで試食した外国人をつかまえて

「試食したら買え。そのまま行くのか」

 と怒り出す店員もいることなどが伝えられています。

 このような調査がおこなわれ、メディアが報道するのは、言いたい放題・やりたい放題の国民性に変化が見られると解釈すべきなのでしょうか。友人は、そうではない、と答えます。外国人から批判されて、体面を気にしているのだ、というのです。

 儒教文化にどっぷりと浸かった韓国人は表向きの体裁や形式を重んじる。体面を失って、態度を変えざるを得なくなった、と友人は見るのです。体面を気にしなくていい局面では、自己中心的なやりたい放題がつづきます。

 その韓国人がいま言いたい放題・やりたい放題なのは、竹島問題でしょう。たとえば韓国のメディアは、先日の冬季アジア大会入場式で南北合同行進がおこなわれ、団旗の統一旗には独島(竹島)が「鮮明」に描かれていた、と誇らしげに伝えています。

 南北に約1100キロある朝鮮半島をかりに縦110センチに縮小して描けば、南北1キロの竹島は1ミリにしかなりません。それでも「鮮明」といえるのかどうか。

 日本人の場合、そんなバカバカしい話を聞けば、あっけにとられて、言葉を失い、話題にするのもはばかれますが、友人の指摘によれば、韓国人相手の場合は、黙っていては交渉が成立しないことになります。声を上げないといけないのです。

 いちばん良くないのは「日本人の無関心」だと指摘するのは、韓国・朝鮮問題が専門の元大学教授です。

 たえず中国やロシアの脅威にさらされてきた半島国家は、国際政治の荒波を、権謀術数を弄して必死に泳ごうとします。しかし、穏和な海に守られてきた日本人はそのしたたかさが理解できず、まんまと乗せられます。韓国が「侵略」「植民地支配」を持ち出すと、日本人は十分な歴史検証もせずに、

「日本がひどいことをした」

 と情緒的に反応し、国益を顧みないのです。

「明治の先人たちが朝鮮を重視するようになったのは、ロシアの南下で安全保障上、重要になってからだ。日本の安全が脅かされる事態にでもならないと日本人は関心を持とうとしない」

 つまり、日韓関係がうまくいかないのは、無関心で、話題にもしない日本人の方に問題があることになります。韓国人に言いたい放題、やりたい放題をさせているのは、韓国人ではなく、日本人だということです。

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スポーツに政治を持ち込んだ韓国と北朝鮮 [韓国・朝鮮]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年12月3日日曜日)からの転載です


 アジア大会の開会式で、韓国と北朝鮮の選手団は「Korea」の名のもと、「統一旗」を先頭に、合同で入場しました。北朝鮮が核実験を強行し、国際的に孤立を深めるなか、合同行進は南北宥和をあらためて印象づけたと伝えられています。

 政治とスポーツは別であり、スポーツの交流を通じて平和の礎を築いていくことは大きな意味がありますが、今回の合同行進は新たな政治を持ち込む悪しき前例を作ってしまったのではないでしょうか。

 ほかでもありません。今回の「統一旗」には「独島がはっきりと描かれ」(朝鮮日報)ていたからです。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/02/20061202000020.html

 朝鮮日報は、アメリカ、イギリス、フランスの通信社が、独島が描かれた統一旗をかかげて合同入場する瞬間を全世界に発信した、と興奮気味に伝えています。

 6年前、金大中・金正日会談の直後に開かれたシドニー・オリンピックではじめて使用されたのが統一旗ですが、今回の合同行進はほとんど幻想に近い南北宥和を政治的に演出し、一方で、日韓・日朝の政治的対立を世界的にアピールする政治ショーとなったのではありませんか。

 日本の新聞は「核実験危機を超えて」とまるで美談であるかのように伝えていますが、まったく間違っているでしょう。南北統一が民族の悲願であることはむろん理解できますが、これは平和の追求を目的としない、二重の意味でのスポーツの政治利用です。

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葦津珍彦の韓国紀行──隣国との信頼・友愛を築くため必要なこと [韓国・朝鮮]

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葦津珍彦の韓国紀行
──隣国との信頼・友愛を築くため必要なこと
(「神社新報」平成10年11月16日号)
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 昭和四十一年春、葦津珍彦は韓国を訪問した。国交正常化の翌年のことで、ほぼ20年ぶりの韓国であった。
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 1週間のソウル滞在で、葦津は学生たちと10時間以上も討議した。その印象を「韓国紀行」(神社新報社刊『葦津珍彦選集2』所収)に書いている。

 学生たちが自国の歴史に切々たる愛情を持っているのは好ましかったが、知識は明らかに偏っていた。

 近代の日韓対立史は詳しいのだが、李朝内部の対立関係の知識は乏しかった。抗日烈士の活躍には詳しかったが、反日戦線内の思想対決はよく知らない。憎むべき日本人の存在については詳細な知識を持ちながら、好ましい日本人の存在は知らなかった。

 それは現代のハングル教育の結果でもあった。ハングルの教科書で歴史を学ぶ学生たちは、漢字の多い独立以前の文書が読めないのであった。多くの知識が不足するのは当然であった。

 たとえば、ハングルの創始者である世宗王の知識は豊富だが、ハングルが19世紀末に市民権を得るに際して、福沢諭吉がハングルの活字を作らせ、門下生の井上格五郎ハングル混じりの新聞「漢城周報」を発行させた歴史を知る者は1人もいなかった。

 葦津が韓国近代史上、もっとも尊敬する近代化の先覚者たる金玉均については、学生たちは日本に欺かれて反乱をおこして失敗、日本に亡命したが見捨てられ、上海で惨殺された、と日本人の背信と冷淡を語ったが、終始、金玉均に同情と援助を惜しまなかった福沢や頭山満、来島恒喜ら民間人の存在は知らなかった。

 日韓併合に対する恨みは深いが、それは伊藤博文に集中していた。抗日烈士安重根を英雄視するあまり、伊藤以上の弾圧者であるはずの山県有朋、桂太郎などは過小評価されていた。

 葦津は語った。

 諸君は1907年の皇帝譲位と10年の日韓合邦を評論するが、十数年前の1896年に李朝はすでに滅びていたのではないか。高宗王はみずからロシア大使館に入り、ロシア海兵隊に守られて、自分が任命した金弘集首相以下の臣僚を惨殺させた。このとき国の独立は失われている。

 諸君は外国権力の責任を追及するが、外国が非道だから国が滅びざるを得ないというのでは、そもそも独立を保てない。むしろ諸君は、韓国内部の亡国理由を直視すべきではないか。

 学生たちと別れ、機上の人となった葦津は韓半島の山々を眺めながら、父・耕次郎を思った。耕次郎は若き日に、韓国の人民が無力にも暴政に苦しめられているのを思い、

「天皇陛下の御心を安んじ奉りたい」

 と即席の韓国語を学び、ドン・キホーテのごとく海を渡った。

 耕次郎の父・磯夫は福岡・筥崎宮の祀掌で、神祇官復興、教育勅語起草に関わるなど、神社界の重鎮であった。その兄・大三輪長兵衛は事業家にして政治家で、韓国に招かれて貨幣制度改革に取り組み、日韓攻守同盟条約の締結を斡旋、韓国皇帝から勲三等に叙せられている。

 耕次郎自身は朝鮮神宮に朝鮮民族の祖神ではなく天照大神を祀ることに強く抵抗し、韓国併合に猛反対したことで知られる。

 葦津は明治の青年たちの壮大な志と情熱を懐かしみながら、これからの青年たちが対日不信に固まった隣国の青年と交わり、その意識を揺り動かし、深い信頼と友愛を築き上げることは容易ではない。それは偉大にして困難な、男子畢生の大業というべきものである。山をも動かさねばならぬというほどの情熱と大志が要求される、と「韓国紀行」に書いた。

 葦津の訪韓から30年あまりが過ぎ去った。先月(平成10年10月)は小渕首相と金大中大統領の共同宣言で「過去の清算」と「日韓新時代」が謳われた。

 しかし、この間、両国間の深い信頼と真の友愛を築くために、山をも動かすほどの情熱と志を持った日本の青年たちは現れただろうか。そうした若い人材を育てる努力はなされてきたのか?

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