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原武史教授と宮内官僚の連係プレー──宮中祭祀廃止論の震源 [宮中祭祀廃止論]

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 原武史教授と宮内官僚の連係プレー
 ──宮中祭祀廃止論の震源
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 当メルマガは前号で、宮内庁がネット上に公表する祭祀情報が部分的で、そのため結果として、皇室の伝統である祭祀の全体像および本質を見失わせている、と指摘しましたが、書き漏らしたことがありますので、今号で補足したいと思います。
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 それは宮中祭祀廃止論を主張する原武史・明治学院大学教授と宮内官僚たちの不思議な関係です。皇室の藩屏(はんぺい)であるはずの宮内官僚たちは、表向きはともかく、教授の祭祀廃止論に抗議するどころか、歓迎しているのではないか、と私は想像します。

▽1 原発言の誤りを宮内庁が指摘

 前にも触れましたが、「文藝春秋」4月号の座談会「引き裂かれた平成皇室」での原教授の発言について、宮内庁は3月21日付で、事実関係に誤りがある、とHP上で指摘しています。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/taiou-h200321.html

 宮内庁の指摘は2点。いずれも祭祀に関することで、1点は、「天皇が前立腺がんの手術で静養していた平成15年1月から5月までは、天皇に代わって皇后がずっと出席」と原教授が発言したのに対して、宮内庁は「皇后陛下は、皇后としてのお立場でお出になるべき祭祀にお出ましになった。天皇陛下の御拝礼は、従来どおり掌典長が代拝を務めている」と反論しています。

 つまり、「天皇に代わって」までして、皇后陛下が祭祀に「出席」していることをもって、教授は皇后陛下の祭祀への「こだわり」ぶりを証明しようとしたのですが、「天皇に代わって皇后が」ということは制度的にあり得ない。したがって「こだわり」の証明にはならない、と宮内庁は批判したのです。

▽2 素直に受け入れた原教授

 宮中祭祀はあくまで天皇の祭りですから、教授の解説は、皇室研究家としてはあまりにも初歩的な間違いです。

 宮内庁の指摘に対して、原教授が実際のところ、どう具体的に対応したのか、は分かりませんが、「文藝春秋」4月号の発言と、宮内庁の指摘後の月刊「現代」5月号の論考では、以下のように教授の記述が軌道修正されています。

「文藝春秋」4月号
 いまの皇后は祭祀に非常に熱心です。……天皇が前立腺がんの手術で静養していた平成15年1月から5月までは、天皇に代わって皇后がずっと出席しています。

月刊「現代」5月号
 現天皇が前立腺がん手術に伴い静養していた2003年1月から5月にかけても、皇后は一貫して祭祀に出席しています。

 原教授は宮内庁の指摘を素直に受け入れて、「天皇に代わって」を外したものと思われます。

▽両者とも御代拝の廃止を黙殺

 しかし、「古希を過ぎてもなお止むことのない、現天皇と美智子皇后の祭祀に対するこだわり」(月刊「現代」5月号論考)という認識は取り下げられていません。

 当メルマガの読者ならすでにご承知のように、祭祀こそ皇室の伝統であり、天皇または皇后が個人として祭祀に「熱心」だというようなことはありませんから、教授の説明はまったく無意味です。

 同時に、教授は、昭和50年9月以降、皇后、皇太子、皇太子妃の御代拝が宮内官僚によって廃止されたという事実を知らないか、故意に黙殺しているようです。「こだわり」どころか、御代拝の機会を奪われていることが見落とされています。

 面白いことに、宮内庁側の抗議にも、この御代拝制度廃止についての言及がありません。

 となると、両者のやりとりは、ふつうに見れば、祭祀廃止論の急進的主張と伝統を擁護するはずの皇室の藩屏との対立ですが、むしろ私には祭祀の形骸化のために水面下で連携する両者の「できレース」のように思えてなりません。

 宮内官僚たちが必ずしも伝統擁護派でないことは明らかで、原教授への抗議のなかでも、「天皇陛下の御拝礼は、従来通り掌典長が代拝を努めています」と正直に祭祀の「改変」を告白しています。

 つまり「従来通り」どころか、かつては、小祭の場合、天皇の親拝が困難なら、皇族または侍従に拝礼させたのでしたが、「掌典長の代拝」に変えられているのです。天皇の「御代拝」が掌典長の「代拝」とされ、拝礼の主体が天皇から職員に、概念上、変更されているのも注目されます。

▽3 廃止論の震源は宮内庁自身?

 原教授が主張し始めた祭祀廃止論の震源は、じつのところ宮内庁自身なのではないか、と私は疑っています。いわば「敵は本能寺にあり」なのです。

 たとえば、原教授は「祭祀に出席」というような、きわめて非伝統的な表現を用いていますが、これは原教授自身の「こだわり」というより、宮内官僚たちの非伝統的発想に影響された結果でしょう。宮内庁自身が「お出まし」と表現しているからです。「出席」という教授の表現に対して、宮内庁は抗議をしていません。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/taiou-h200321-1.html

「現天皇は皇后とともに祭祀に熱心だ」と、あたかも天皇皇后両陛下、お二方で祭祀を行っているかのような誤った理解も、同様に宮内官僚の影響でしょう。

 宮内庁のHPでは、天皇が大祭を親祭するとすべきところを、両陛下がお出ましになって御拝礼するとされています。祭祀の主体であるはずの天皇が出席者の立場におとしめられているのです。

 皇室の伝統を否定する原教授は、宮内官僚に対してはあたかも忠実な代弁者を演じています。事実、宮内庁が今年2月、祭祀の「調整」を進めることを発表したことについて、次のように書いています。

「今回の発表から私が感じたことは、むしろ、現天皇の周囲の人々の、74歳という高齢をして『やり過ぎ』の感のある、現天皇の公務や宮中祭祀を何とか軽減してほしいという切実な意向なのです」

「私が感じた」という程度ではなく、踊らされているのではないか。その結果、むしろ積極的に、宮内官僚たちと共闘し、彼らが進める祭祀破壊を援護射撃している、というように、私の目には映ります。

▽4 あうんの協力関係

 昭和天皇は最晩年、病魔との最後の苦闘のなかで、宮内庁長官を呼び止めて、「今年の稲はどうか?」と聞かれ、稲の作柄を心配されました。皇居内の水田での稲刈りをみずから行うことができず、侍従らの手で行われることについて、「やむを得ぬ」とひどく残念がられた、と伝えられます。

 神々に稲の初穂を捧げて、国と民のために祈るのが天皇の祭祀ですが、昭和天皇は最後の最後まで「国平らかに、民安かれ」と祈る天皇としてのお務めを果たそうとされたのだと思います。

 そのように天皇が世界に希なる「祭祀王」であることが深く理解されるならば、ご健康問題を理由として、いきなり祭祀を「調整」するというような発想は出てこないだろうし、ましてや廃止論の主張などあり得ないはずです。

 かつて入江相政侍従長がそうだったように、祭祀の意義を十分に理解せずに、骨抜きにしようと企てる勢力が間違いなく庁内にいるのです。彼らはお濠の外に代弁者を仕立て上げ、あうんの協力関係で世論を誘導している。手の込んだ両者の連係プレーによって、皇室伝統の祭祀がいままた破壊されようとしている、と私は理解しています。

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