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アナン事務総長『アジア歴訪』の伝えられ方 [歴史問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。


 今週日曜日の14日から韓国、日本、中国などアジア歴訪の旅を続けるアナン事務総長が歴史問題、靖国問題に言及する発言を繰り返しているように伝えられています。アナン事務総長は問題の「克服」を呼びかけているのでしょうが、「解決」どころか、事務総長の意に反して、その発言が靖国参拝批判に利用されているようにも見えます。

 まず手始めは、10日、アジア歴訪を前にしたニューヨークの国連本部でのアジア主要メディアによる合同インタビューです。

 朝日新聞の報道では、歴史問題をめぐる対立について、アナン事務総長は「あなた方は隣人を選ぶことはできない」と語り、その一方で「歴史には誠実に向き合うべきだ」「過去の過ちを理解し、それを繰り返さないようにしなければならない」と歴史教育の重要性にふれたと伝えられています。
 http://www.asahi.com/international/update/0511/010.html

 しかし、中国の中国国際放送局(CRI)はもっぱら「アナン事務総長が日本に歴史を見直すよう促した」と伝えています。
 http://www.china.com.cn/japanese/237140.htm

 この報道では、小泉参拝について、アナン事務総長が、江沢民ばりに「過去を直視し、未来に目を向けて」と表現し、「第二次大戦の歴史に対処するよう希望する」と語ったことにもなっています。

 最初の訪問国である韓国では、国連のブリーフィングによると、北朝鮮の核問題や日韓関係などについて盧武鉉大統領や潘基文外相と意見交換したと報告されています。
 http://www.un.org/News/ossg/hilites/hilites_arch_view.asp?HighID=563

 しかし、ソウル到着時点の韓国政府の発表では、3日間の滞在中に、第二次大戦後のヨーロッパのように、アジアの和解への希望が表明されることが期待されていると伝え、ニューヨークの会見を引用して、歴史に誠実であることの必要性を強調した、と、まるでアナン訪問の主たるテーマが歴史問題にあるかのように伝えていました。
 http://www.korea.net/News/News/NewsView.asp?serial_no=20060514008

 ところが、アナン・盧武鉉会談後の発表は一気にトーンダウンします。
 http://www.korea.net/News/News/NewsView.asp?serial_no=20060516024

 アナン事務総長は、韓国と国連との間の一般的な歴史と特殊な関係を引用しながら、韓国を急速に経済成長し、民主化を成し遂げたモデル国家と描写し、国際社会に大きな役割を果たすよう期待を語ったと伝えるばかりで、歴史問題は「事務総長は北朝鮮の核問題と日本の歴史問題のただ中にあるアジアを訪問中」という表現の中に押し込まれています。

 韓国の中央日報が、盧武鉉大統領はアナン事務総長を前にして、日本を真正面から批判したと伝えているのとは、かなりの温度差があります。
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=75782&servcode=200§code=200

 その昔、日露戦争後、日韓協約が調印され、韓国は日本の保護下に置かれることとなりました。外交権を奪われたことを不満とする韓国皇帝は、オランダでの万国平和会議に密使を派遣して条約の不当を訴えようとして失敗、退位しましたが、そんな古い歴史を思い出すのは、私だけでしょうか。

 その後、アナン事務総長はソウルを発ち、16日に来日しました。日本のマスコミは、事務総長が小泉首相や麻生外相に、靖国参拝などで冷却化する日中、日韓関係の改善を要請し、記者会見では小泉首相の靖国参拝について懸念を示した、と伝えています。
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060518i416.htm?from=main4

 しかし国連のブリーフィングでは、アナン事務総長は小泉首相の野口英世賞創設をたたえた、と伝え、日韓関係はテーマの1つに過ぎません。アナンの第一の関心事が北朝鮮の核問題であることはいうまでもありません。
 http://www.un.org/News/ossg/hilites/hilites_arch_view.asp?HighID=564

 さて、アナン事務総長は北京に発ちました。今度はどのような報道がなされるのでしょうか。

タグ:歴史問題
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中国に引き渡されていた旧日本軍『遺棄』化学兵器 [歴史問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。「中国に引き渡されていた旧日本軍『遺棄』化学兵器」


「ブログ、面白いですね」。知り合いの編集者におだてられて、その気になっている今日この頃ですが、皆さん、お変わりありませんか。

 ……なんて、「きっこの日記」をまねして、遊んでいる場合ではありません。中国大陸で旧日本軍が「遺棄」したとされる化学兵器のことです。やっぱりそうだったのか、ということになってきました。

 3年前の夏、終戦記念日を前に、中国政府は要人総出で小泉首相の靖国参拝に釘を刺しました。そんな折も折、旧満州のチチハル市で日本軍が「遺棄」した毒ガス兵器で複数の被害者が出た、と伝えられました。「日本軍国主義のよる中国侵略という罪の証」などと中国政府は批判の声を上げ、日本政府は現地調査の結果、「日本軍遺棄化学兵器であることが判明」と発表し、年末には被害者らに「協力金」3億円の支払いを決めました。

 しかしどうもおかしいのです。もちろん被害者は気の毒なのですが、「日本軍遺棄」の根拠がまったくもって不明確だからです。

 終戦直前、ソ連軍は日ソ中立条約を破棄して、怒濤のごとく満州に侵入しました。終戦を告げる玉音放送のあと、日本軍は陛下の御命令により、陛下の御意思を遂行するために、自発的に武装解除しました。しかしソ連は「関東軍は降伏命令を受け付けず、猛烈な反撃を続けている」とウソで固めて、攻撃を続けたといわれます。「日本野郎をたたきのめせ」。スターリンは日露戦争敗北の恨みを晴らそうとしていたといわれます。

 日本軍の「軍事捕虜」60万人をシベリアに送り込み、武器をことごとく奪っておいて、毒ガスだけが例外だったはずはありません。毒ガスを「遺棄」する時間的な余裕が関東軍にあったとも思えません。ソ連軍が奪い取った日本軍の兵器はその後、中国・八路軍すなわち人民解放軍にわたっているようですから、「日本軍遺棄毒ガス」は言い掛かりということになります。

 そして、その証拠が見つかったというのです。発売されたばかりの雑誌「正論」6月号に、武装解除した日本軍が兵器を引き渡したことを記録した「兵器引継書」のことが載っています(水間政憲「スクープ “遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた」)。

 記事によると、「兵器引継書」は戦後、ロシア各地の公文書館に保管されていましたが、斎藤六郎・元全抑協会長が1990年代に600冊を合法的に日本に持ち帰り、その後、山形の「シベリア史料館」に眠ったままになっていたのでした。今回、水間氏がこれを発見したのです。巻頭ののグラビアには、封印を解かれた引継書の写真がたくさん載っています。

 これまでの経過では、日本が負担する「遺棄」化学兵器処理の費用は最終的に1兆円に達するともいわれます。国民1人あたり1万円の負担です。中国の報道によれば、訪中した公明党議員らに、中国関係者は一昨日、「化学兵器禁止条約」と日中間の覚書に基づいて、化学兵器の廃棄を速やかに進めるよう要求さえしています。
 http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/05/02/1@62400.htm

 しかし日本軍の「遺棄」でないなら、日本が処理費用を負担する必要はないはずです。ところが、驚きあきれるのは、日本軍政府が3年前、ろくな歴史検証もせずに、「引継目録」さえ確認せずに、「日本軍遺棄」と認めてしまったことです。何と無能な政府でしょうか。これでは、たった一つしかない命を国に捧げた人たちが浮かばれないではありませんか。

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朝日新聞自身は『過去』を知ってますか [歴史問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。 「朝日新聞自身は『過去』を知ってますか」

 東京裁判の開廷から、明日でちょうど60年だそうです。

 ところが、今朝の朝日新聞によると、驚いたことに、裁判の内容を「知らない」人が7割もいるようです。20代ではじつに9割にのぼるそうです。

 朝日の記事は、これらのアンケート調査の数字を「戦後、日本が国際社会に復帰するに当たった前提となった東京裁判の内容が、国民に継承されていないという事実」ととらえ、「60年を過ぎてなお戦争責任の空白が問われている現状を映し出しているともいえそうだ」と指摘しています。

 朝日新聞は、きょうの社説でも東京裁判を取り上げています。「あの裁判は、戦後の日本にとって、2つの意味で線を引く政治決着だった」と述べています。

「2つの意味」のうちの1つは国内的意味です。「平和条約で日本は東京裁判を受諾し、国際社会に復帰した。平和条約は締結国の対日賠償放棄をもうたい、両者のセットで日本は戦後処理を受け入れた」とあります。

 もう1つは、「国内的な意味」で、「A級戦犯に戦争責任を負わせることで、他の人を免責にした。その中には昭和天皇も含まれる」と述べています。

 東京裁判が不当だという立場をとったとしても、戦後処理をやり直すことはできないし、「日本の過去」が免責されるはずもないのであって、まずその「過去」と向き合うべきだ、と訴えています。

 論理としては理解できないこともないのですが、それなら「過去」とは何でしょうか。社説にある「日本の侵略戦争」「日本軍による虐殺」「関東軍の謀略」が向き合うべき「過去」なのでしょうか。

 昭和9年から18年末まで朝日新聞主筆として筆政を担当した緒方竹虎は戦後、戦犯に指定された1人でした。朝日新聞は連合国が追及した「過去」とけっして無関係ではありません。

 緒方は、昭和11年2月、2・26事件のあと、東京・大阪両本社の主筆を一本化し、全朝日の主筆となりました。戦後を見据え、「朝日新聞の看板を次代にまで通用させるため」に一切の「戦争責任」を独りでかぶろう、と覚悟したようです。

 戦時中、朝日新聞は、「戦争美術展覧会」「聖戦美術展」「大東亜戦争美術展」「陸軍美術展」など、国民の戦意を高揚させるイベントをいくつも手がけています(『朝日新聞社史』)。昭和14年1月には靖国神社を主な会場とする「戦車大展覧会」を主催し、戦車150台を連ねた「大行進」が東京市中をパレードしたこともあります。

 10年前の朝日新聞の連載「戦後50年 メディアの検証」は、言論統制下の新聞の実態をみずから検証し、新聞が統制の次代に迎合した姿を、「言論報道の自由は窒息状態に追い込まれた」「新聞は『政府・軍部の伝声管』となり、紙面を『戦意高揚』で塗り込めた」と描きました。
 
 画期的な連載でしたが、「自由」を奪われて、時代に「迎合」したのではなく、むしろ大新聞は積極的に「戦争の時代」を演出していったことが知られています。

 大新聞はジャーナリズムよりもビジネスを優先させたのではありませんか。緒方は「新聞社の収入が大きくなればなるほど資本主義の弱体を暴露する」と書いています。皮肉にも、情報統制が進むことで、新聞社の販売経費は節減され、発行部数は戦後の高度成長期を上回る勢いで拡大、倍増し、社の収入も増大したのです。『朝日新聞七十年小史』は「経理面の黄金時代」とまで表現しています。

 戦後、朝日新聞は社説に「みずから罪するの弁」などを載せ、「新聞の戦争責任」をみずから追及しましたが、その中身は具体性の乏しい観念的なものでした。重役が総退陣したものの、その実態は資本と経営の分離であり、敗戦を機会に新聞経営を近代化させたのです。しかも社主に退いたはずの元社長、会長は日本の独立回復と同時に取締役に復帰しました。

 このような朝日新聞の「歴史」を振り返るとき、「歴史を知らずして、過去は判断できない。まずは歴史と向き合うこと。東京裁判60年を機会に、あらためてその重要性を考えたい」というきょうの社説の言葉は、まさに「天に唾する」ことではないかと私は考えます。

「歴史」が知られず、継承もされていないのは、大新聞とて例外ではないのでしょう。まさか、東京裁判を受け入れることで、「新聞の戦争責任」を免責しようという深謀遠慮ではないでしょうけど……。

 ついでながら、朝日新聞のアンケート調査は靖国神社問題にも触れていますが、緒方竹虎は、靖国神社に国家が援助することは当然、と考えていたようです。

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