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オウム真理教・元代表の死刑確定──宗教行政の責任について [宗教行政]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です


 最高裁第三小法廷はきのう、殺人罪などに問われていたオウム真理教の麻原彰晃・元代表について、控訴を棄却した東京高裁の決定を支持、弁護側の特別抗告を棄却する決定をおこないました。これにより、松本被告の死刑が確定しました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060915it11.htm?from=top

 この機会にあらためて事件の犠牲者のご冥福を祈りたいと思います。

 ふり返ってみると、上九一色村の教団施設に強制捜査が入ったのは平成7年5月で、その半年後、東京地裁は宗教法人法に基づいて教団の解散命令を決定し、12月に確定しました。
http://www.npa.go.jp/keibi4/it6.htm

 以前の宗教法人法は、信教の自由を尊重する立場に立っており、一定の要件を満たしていれば、所轄官庁は宗教法人の認証をしなければならない制度になっていました。実際、オウム真理教も平成元年8月に東京都から宗教法人の認定を得ています。
 
 事件のあと、宗教法人法の改正気運が高まり、改正宗教法人法が平成8年に施行されました。法改正によって行政の管理は強化され、宗教法人は財産目録などの写しを所轄官庁に提出する義務を負うことになりました。

 以前の宗教法人法は占領中の昭和26年に制定されました。戦前は宗教団体法がありましたが、この法律は治安維持法とともに戦前・戦中の宗教弾圧を象徴する元凶のように見なされ、占領軍によって廃止され、代わって宗教法人法が制定されたのでした。

 しかしこの戦前の宗教団体法については、かなりの誤解があるようです。

 宗教団体法が成立、公布されたのは14年4月です。長い間、宗教法の制定が懸案とされていたにもかかわらず、手つかずのまま放置され、何か問題が生じると明治初年の「太政官達」を援用して、弥縫するというのが実態だったといいます。

 明治30年代になって政府は宗教法案を議会に提出しますが、猛反対に遭い、不成立になりました。このため関係法の成立は遅れ、最初に宗教法案が提案されてからじつに40年の歳月を経て、名前も改まり、非常時の波に乗って国会を通過したのでした。

 戦後のキリスト者たちが批判するような、宗教団体法が弾圧の道具に使われた、というのも誤解でしょう。この法律は神道、仏教、キリスト教の三教体制が基本だったし、これに加えて法律制定過程ではイスラム教公認の動きさえあったほどです。

 宗教団体法が成立したころ、東京帝国大学宗教学科を卒業し、宗教学研究室の副手を経て、文部省宗教局で宗教行政に関わった村上俊雄氏の貴重なインタビューが「東京大学宗教学年報」(平成9年3月発行)に載っています。

 村上氏は、宗教団体法の対象となる宗教団体ではない「インチキ宗教」、のちにいう擬似宗教、類似宗教について、教義や行事、儀式の指導をしていたといいます。

 これらは宗教団体法では宗教結社とされ、認可は得られないものの、行政はその存在を視野に入れていました。何とか宗教として認められたい宗教結社は既成の宗教団体の軒下を借りて活動していたのでしたが、それ以前は「国家は宗教に干渉せず」を基本としていたはずの行政が宗教団体法の成立で教義づくりにまで関わるようになった、というのは驚きです。

 もう一点、当時の宗教合同について、村上氏は注目すべき証言をしています。合同問題は戦時体制下にあって、プロテスタントは日本基督教団、仏教は二十八の宗派、という具合にそれぞれの違いを無視して国家権力でむりやり合同させられたように一般には理解されていますが、じつはそうではなくて、村上氏によれば、従軍布教団が戦地で戦死者の葬儀をするのに、宗派同士で奪い合いをするのを軍部が見かねて、一本化を要望したことが発端だと説明されています。

 国家権力の発動で一方的に実施されたものとはいえない、ということになります。しかし、一方で各教団の教義を作り、その一方では合同しろ、というのでは不平不満が起こるのは当然です。

 戦後の宗教法人法の制定については、村上氏は概要、次のように語っています。

「戦後、合同問題も解消され、宗教法人法ができた。すぐに作れ、といわれて、宗務部が泣く泣く、泣きの涙でこしらえた。しかしあってもなくてもなんの役にも立たない。擬似宗教や各教会を管理するつもりが、雨後のタケノコのように宗教団体が族生(ぞくせい)した。宗教法人法は無きにも等しい。それはやはり戦時中の宗教行政の欠陥だった」

 宗教団体法による規制は戦時体制下のたかだか6年に過ぎませんが、その反動から、戦後はいかがわしい宗教法人が野放し状態になり、その1つの結果がオウムの悲劇だったのだとしたら、悲劇の責任を教団やその代表者のみに押しつけることはできないのではないでしょうか。

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