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御代替わり諸儀礼は皇室の伝統と憲法の理念を大切に ──朝日新聞の社説「憲法の理念に忠実に」を批判する [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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御代替わり諸儀礼は皇室の伝統と憲法の理念を大切に
──朝日新聞の社説「憲法の理念に忠実に」を批判する
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 朝日新聞は今月16日、「天皇即位儀式、憲法の理念に忠実に」と題する社説を掲げ、「危うい空気が漂うなかで進む代替わりに対し、憲法の原則や理念からの逸脱がないよう、目をこらし続ける必要がある」と訴えました。

 しかし、じつのところ、危ういのは、古来、125代続いてきた天皇の価値を理解できない、もしくは理解しようとしないジャーナリズムの方ではないのでしょうか。ジャーナリズムが歩むべき道を踏み外さないよう、私たちは監視し続ける必要がありそうです。


▽1 なぜ憲法重視なのか

 朝日新聞の社説が問題にしているのは、政府が検討を進めている御代替わりの儀式と憲法との関係です。「最も重視すべきは憲法との関係である。改めて言うまでもない」と述べ、政教分離問題に言及しています。

 しかし、なぜ憲法重視なのでしょうか。なぜ皇室の伝統ではなくて、憲法の理念なのか。なぜ皇室の伝統と憲法の理念を対立化させ、一方を選択するのではなく、同時に追求することを求めようとしないのでしょうか。

 少なくとも今上陛下は、皇位継承後の朝見の儀で仰せになったように、「大行天皇の御威徳に深く思いを致し」「憲法を守り」と両方の価値を求めておられます。皇室の伝統と憲法の規定の重視は、その後もことあるごとに明言されています。当然のことです。

 社説を書いた論説委員は、歴史的天皇の存在にもともと関心がないのか、もしくは価値を認めないのか、考えようという意思がさらさらないのでしょうか。千数百年以上続いてきた天皇の伝統的価値とはそれほどに低いものなのでしょうか。

 おそらくや政治部出身であろう論説委員には、思いもおよばぬことなのかも知れません。縦割りジャーナリズムの限界でしょうか。

 社説は、大嘗祭訴訟の合憲判断に言及しつつも、「安易に踏襲することなく、一つ一つ点検する姿勢が肝要だ」と訴えるのですが、憲法は宗教の価値を否定しているわけではまったくありません。むしろその逆です。

 論説委員は大嘗祭を単なる宗教儀礼だとお考えなのでしょうか。「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める憲法に抵触する特定の宗教であるとお思いなのでしょうか。そのような儀礼が千年を超えて引き継がれると信じておられるのでしょうか。


▽2 30年間、進歩がみられない

 聞くところによると、カトリックの信仰篤き女性が何十年も前から天皇の祭祀に携わっていると聞きます。「あなたには私をおいてほかに神があってはならない」という絶対神の戒律を固く守るカトリック信徒が宮中祭祀を奉仕している事実があるとすれば、天皇の祭祀は信教の自由を侵さないことの何よりの証明ではないでしょうか。

 それどころか、バチカンは300年以上も前から、たとえ異教的儀礼であっても、信仰心や道徳に反しないかぎり、変更を求めてはならないという指針を示しています。

 むろん、宗教性が否定されない儀式などに国はいっさい関われないとするほど、日本国憲法は完全中立主義、非宗教主義を採用してはいません。

 朝日の社説は御代替わり諸儀礼を、無慈悲にもバラバラに分解して点検せよと要求していますが、むしろ逆に、全体として国の行事とされるべきでしょう。ごく当たり前のことです。

 そして本来なら、皇室の歴史と伝統、同時に憲法の理念に照らし合わせて、どのような儀礼が相応しいのか、英知を集め、時間をかけて、整備し直すべきなのではありませんか。日本国憲法施行以来、政府が宮務法の整備を怠ってきたことこそ、批判されるべきでしょう。

 朝日新聞は昭和天皇崩御の3日後、やがて国の儀式として行われる大喪の礼が政教分離原則に反しないないようにするよう政府に要求する社説を載せましたが、あれから30年、ジャーナリズムとしての進歩がまったく見られません。


▽3 なぜ宗教性否定なのか

 今回の社説は、践祚後の剣璽渡御(剣璽等承継の儀)についても噛みついています。

 三種の神器に含まれる剣璽の継承儀式は、神話に由来し、宗教的色彩が濃いのだから、国事行為には相応しくないという主張ですが、なぜ宗教性を否定しなければならないのでしょうか。

 宮中の祭祀は、教義もなく、宣教師も信者もいません。憲法の政教分離原則に抵触する特定宗教ではありません。

 憲法が定める国事行為は天皇の政治的権能を否定しているのであり、他方、政教分離規定は国民の信教の自由確保が最大の目的でしょう。

 今上陛下の御成婚のとき、賢所大前での結婚の儀は「国の行事」(天皇の国事行為)と閣議決定されましたが、朝日新聞は反対運動を展開したのでしょうか。

 社説はまた、剣璽等承継の儀に女性皇族が立ち会わなかったことを「排除」と表現し、問題視していますが、皇位継承資格者が参列すれば足りるのではないのでしょうか。

 それとも論説委員は、皇位継承権を男系男子に限定する現行憲法を改めよと主張されるのでしょうか。もしそうなら、この社説のタイトルに「憲法の理念に忠実に」は相応しくありません。

 社説は、時代に相応しい御代替わりのあり方を再検討し、国民に説明すべきだと政府に求めていますが、ジャーナリズムこそ天皇の歴史と伝統の価値を学び直すべきではありませんか。


▽4 皇室の歴史と伝統の意味

 社説はまた、自民党内に旧憲法を懐かしみ、天皇を神格化する空気が根強いことに懸念を示していますが、思想・良心の自由は現行憲法で認められています。

 もっとも後者についていえば、戦後唯一の神道思想家と言われた葦津珍彦が書いているように、天皇は古来、祀られる神ではなくて、みずから神々を祀るお立場なのです。古代の律令には「およそ天皇、即位したまはむときはすべて天神地祇祭れ」と明記されています。昭和天皇は現人神とされることに否定的でした。

 懸念されるのは、天皇の神格化ではなくて、天皇が多神教的祭祀を行われることの歴史的意義が十分に理解されず、価値多元主義的意味が見失われていることではないでしょうか。朝日新聞の社説はまさにその典型です。

 今日、天皇・皇室のあり方をめぐって議論が混乱する理由のひとつは、そうした皇室の歴史と伝統が理解されず、その一方で、憲法の国民主権主義との衝突が過度に強調されるからです。この社説はその一例に過ぎません。

 社説は明治憲法にノスタルジアを感じる保守派を牽制しますが、日本国憲法とてけっして「不磨の大典」ではあり得ません。

 明治人は国務法と宮務法を別体系としましたが、現行憲法では両者が一元化され、皇室典範は下位法と位置づけられています。それでいて、日本国憲法施行とともに全廃された皇室令に代わる明文法は、70年経ったいまなお整備されていません。これでは混乱した議論が収束するはずはありません。

 国のあるべき姿を、先入観ぬきで、歴史的に、多角的に、謙虚に検討し直していただくことはできないでしょうか。
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保守政権にして平成の悪しき前例が踏襲される!? ──式典準備委員会の配付資料・議事概要を読む [御代替わり]

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保守政権にして平成の悪しき前例が踏襲される!?
──式典準備委員会の配付資料・議事概要を読む
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 1月9日、天皇陛下の御退位および皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会を内閣に設置することが閣議決定され、その初会合が同日、開催されました。
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 公表された資料を読むと、案の定、さまざまな不都合が指摘された、平成の悪しき前例が繰り返されるのではないかと強く懸念されます。


▽1 前回指摘の不都合に目をつぶる?

 メディアの報道によると、菅内閣官房長官を委員長とする同委員会は、月1回程度、非公開で開催され、陛下の譲位(退位)に伴う皇位継承の儀式のあり方、日程、規模などを検討し、3月中旬には基本方針をとりまとめると伝えられます。

 テーマは御代替わりに関する重要事項ですが、たった3回程度の会合で、何を根拠に検討するのでしょうか。本格的検討には遠くおよばず、125代続く皇室の伝統はほとんど顧みられず、もっぱら平成の先例ばかりが根拠とされるのではないかと憂慮されます。

 そのように予測されるのは、初会合で配付された資料を読めば十分です。

 官邸のサイトに公表された配付資料「陛下の御即位に伴う式典等の実例」をみると、「御在位20年記念式典」「平成の御代替わり時の式典一覧」「御即位関係」「立太子の礼関係」がそれぞれカラー画像付きで説明されています。

 一目瞭然、初回に配付された資料は、今上陛下の御即位に関するものばかりで、皇室の長い歴史を感じさせるものはありません。即位大嘗祭を説明した貞観儀式も一条兼良の「代始和抄」も、光格天皇のご譲位に関する歴史資料もありません。

 となれば、政府は平成の前例を踏襲することしか念頭にないということではありませんか。安倍長期保守政権にして、皇室の歴史の軽視、厳格すぎる政教分離原則への執着という不都合が繰り返され、悪しき先例が日本国憲法様式として確定されることは目に見えています。

 日本の保守主義とは何かが問われます。同時に、今日、天皇・皇室問題の正常化がいかに困難かがあらためて理解されます。

 実際、初会合の1週間後に公開された議事概要には、「平成の式典は、現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたのだから、今回も基本的な考えや内容は踏襲されるべきだ」という発言が記録されています。

 前回、指摘されたさまざまな不都合には目をつぶるということでしょうか。それとも事なかれ主義なのか。


▽2 今回も「国の行事」と「皇室行事」の二分方式で?

 2つ目は、「国の行事」と「皇室行事」の二分方式の踏襲です。

 配付資料の中の、前回の御代替わり時に行われた式典の一覧表をみると、興味深い点がいくつか指摘されます。

 1つは、「賢所に期日奉告の儀」など、宮中三殿で行われた祭儀にいたるまで細かく言及されていること、しかもそれらが「国事行為」「総理主催行事」「皇室の行事」とに区分され、見やすいように色分けされていることです。

 しかしその一方で、旧登極令の附式に定められていた「践祚の式」のうち、前回、今上天皇が皇位を継承された当日にも行われたはずの「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」は取り上げられていません。大嘗祭の諸儀については詳細が列挙されているのに、です。

 つまり、政府は最初から「国の行事」と「皇室行事」とを分けて考えており、宮中三殿で行われる祭祀などは「国の行事」ではなくて「皇室行事」として挙行されることが当然視され、そのため準備委員会の検討事項には想定されていないということでしょうか。

 天皇の祭祀について、その本質を深く探求せずに「皇室の私事」と決め付け、宗教性があるから憲法が定める政教分離の原則から国は関与できないとする、占領後期にはGHQでさえうち捨てた古くさい厳格主義から、政府は一歩も脱せずにいるようです。

 けれども他方では、大嘗祭は公的性格があるから公金を支出することは憲法上、許されるとする、一連の大嘗祭訴訟を踏まえた、私にいわせれば誤った憲法判断に基づき、国の一定の関与を認めて、今回の御代替わりが進められているということでしょう。

 大嘗祭は古来、宗教儀式というより国民統合の儀礼であって、国民の信教の自由を侵すものではありません。信仰篤きキリスト者が祭祀に携わっているとされるのは何よりの証明です。祭祀を「皇室の私事」と断定する法解釈を前提とする大嘗祭訴訟はやり直すべきだと私は考えます。

 それはともかく、準備委員会の議事概要をみると、ある出席者は「諸儀式の検討に当たっては、日本国憲法に整合的であること、皇室の伝統に即したものであること、の2つの観点を踏まえてほしい」と発言しています。

 じつのところ前回は、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とが対立的に捉えられ、皇室の伝統行事が伝統のままに行うことは憲法の趣旨に反するとされ、「国の行事」と「皇室行事」との二分方式が採られたのです。

「2つの観点」を両立させるのは容易ではありません。大嘗祭のみならず天皇の祭祀とは何かが問われています。それなくして、二分方式の正常化はあり得ないでしょう。


▽3 日程調整だけでは済まされない

 もう1点は、昭和の御代替わりのような特別の機関の設置はまったく想定されていないらしいということです。

 議事概要には次のような発言が記録されています。

「即位の礼については、平成度の考え方を踏襲していくことが基本である。日程については、即位礼正殿の儀と大嘗祭の間は、連日儀式や行事が行われ、参加する方々にはかなりの負担がかかったと聞く。大嘗祭は11月中頃となっているので、即位礼正殿の儀をもう少し早めに行い、日程に余裕を持つようにしていただきたい」

 けれどもこれは日程の問題なのでしょうか。

 大正、昭和の御代替わりでは登極令第4条に基づき、即位の礼と大嘗祭は引き続き行われ、前回の平成の御代替わりでは10日の間をおいて行われました。それでも関係者はひたすら眠い目をこすって、長時間勤務に耐えました。

 さらに日程に余裕を持たせれば参加者の負担が軽減できるのか、といえば、そうではないでしょう。抜本的解決は特別の機関を置くこと以外にはないのではありませんか。

 以前、書いたように、大正の御代替わりについて解説した赤堀又次郎によれば、古代の即位の礼は臨時のことながら儀式は元日恒例の朝賀と同じで、とくに職員の任命はなく、事務は式部省などが掌りました。近世には摂政関白が総裁し、伝奏が事務を統括しました。ただ大嘗祭についてはより繁雑なことから職員が任命されたとされます。

 大正、昭和の御代替わりでは大礼使という機関が臨時に置かれましたが、前回の平成の御代替わりでは特別機関は設置されず、日常業務と併行して作業することとなり、その結果、関係者の負担はいや増しに増したのです。

 前回の反省に基づき、臨時機関、あるいは第三者機関の設置を提言する有識者はいないのでしょうか。長時間労働が社会的に許されないご時世に、平成の悪しき先例踏襲はまったくあり得ません。

 御代替わりを全体的に国事とし、国を挙げて、あるいは国と民がこぞってお祝いできる方法を本格的に模索するわけにはいかないのでしょうか。保守政権の真価が問われます。
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皇位継承儀礼の「伝統」とは何か ──小堀桂一郎先生の「正論」を読んで [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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皇位継承儀礼の「伝統」とは何か
──小堀桂一郎先生の「正論」を読んで
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 1月8日、「皇位継承儀礼は伝統に則して」と訴える小堀桂一郎先生の文章が、産経「正論」欄に載ったのを拝読した。次の御代替わりが来春に迫ったいまになって、ようやくまともな意見が現れたのかと感慨深かった。
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 そして、守られるべき皇位継承の「伝統」とは何か、なぜ「伝統」なのか、をあらためて考えさせられた。


▽1 いかなる理由で何を重視するのか

 先生が訴えておいでなのは、次の御代替わりの諸儀礼を、平成から昭和への前例を踏襲するのではなく、むしろ200年前の光格天皇から仁孝天皇への先例にならうべきだ。今回こそ古来の宗教的な伝統を再生させる重要な機会だ、ということだ。

 今回のご譲位は超憲法的に行われており、もはや平成の前例を固定的に踏襲する必要はなく、前回は顧みられなかった「践祚」の概念を復活させるべきだと仰せなのはさすがの卓見だと思う。

 超憲法的措置の結果としての「国事」なのだから、憲法の政教分離原則(20条3項)にびくびくと気兼ねせず、むしろ克服すべきだ。伝統儀礼が復活すれば、20条が改憲できたのも同然で、全文改訂への足がかりになろうとも仰せだ。

 保守の論客として面目躍如たるものがあり、おおむね同意できるが、あえていくつかの問題点を指摘することにしたい。

 1点目は「伝統」である。なぜ「伝統」重視なのか。何が「伝統」なのか。

 先生が「皇室の祭祀儀礼に於ける古来の伝統」と仰せであるからには、ならうべき先例が光格天皇のご譲位の例にとどまらないことは文意上、明らかだが、私たち現代人にとって、長い皇室の伝統を踏襲することの意義とは何であろうか。

 現代の日本人はけっして、「伝統」を無条件で後世に守り伝えるべきものとは考えていない。であればこそ、前回の御代替わりでは「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とが対立的に捉えられ、さまざまな不都合が生じた。宮内庁関係者が装束を着ることさえ、猛烈な反対があったといわれる。


▽2 厳格主義は占領政策の結果か

 それどころか、何が「伝統」かさえ、私たちは見失っている。その日本人に対して、「伝統に則して」と訴えても、無条件の賛意は得られないだろう。

 室町期の才人・一条兼良は「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。これは毎度のことなり」(『代始和抄』)と書き、光格天皇はまず内裏から桜町殿(仙洞御所)に、剣璽とともに行幸になり、このため数百人規模の行列が組まれたことを克明に記録した極彩色の絵巻2巻が伝えられている。

 だが、そのような王朝絵巻が今回、再現されるべきだとは、おそらく先生もお考えではないはずだ。とすれば、何が「伝統」として回復されるべきなのか。

 日本人が「伝統」の価値を忘れているのは、けっして占領政策の結果ではない。

「目的は宗教を国家より分離すること」とした、いわゆる神道指令の解釈運用は、占領後期になると「国家と教会の分離」すなわち限定主義に変更されている。

 宮中祭祀の形式は神道指令下でも守られてきた。現行憲法施行に際して、「従前の例に準じて、事務を処理すること」(依命通牒第3項)と定められ、祭祀は旧皇室祭祀令に準じて、ひきつづき励行された。

 つまり、宮中祭祀については格別に、神社神道と同様、厳格主義がしばしば採られるのは、占領政策とは別の要素からである。

 政教分離原則に抵触するとして、側近らによって祭式が変更されたのは、昭和50年9月からである。側近らが占領前期の法解釈に、無用の先祖返りを図った結果である。なぜそんなことが起きなければならなかったのか。

 ちなみに、昭和22年5月の依命通牒は廃止されてはいない。したがって旧登極令に準じて粛々と、御代替わりの事務を処理することは法的に可能である。


▽3 祭祀は「宗教」なのか

 皇室はしばしば「伝統」の世界だと考えられているが、けっして「伝統」オンリーではない。「伝統と革新」こそが古来、皇室の原理なのであって、一連の皇位継承儀礼を伝統精神に則り、毅然として遂行すべきだというのなら、「伝統」というだけではなくて、たとえば大嘗祭の現代的意義が見いだされ、説明されるべきではなかろうか。

 つまり、天皇の祭祀とは何か、である。先生は御代替わりの諸儀礼を「宗教」とお考えのようだが、そうなのであろうか。

 もし「宗教」だということになると、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と定める憲法20条3項が立ちはだかる。御代替わり諸儀礼は「国事」とはなりづらい。

 けれども、たとえば大嘗祭が、政府や宮内庁が理解するような「稲の祭り」という宗教的儀礼ではなくて、米と粟の新穀を皇祖神ほか天神地祇に捧げて祈る多神教的、多宗教的な、国民統合のための国家的儀礼だと理解されるなら、どうだろうか。

 それでも、国民の信教の自由を侵す「宗教的活動」と解釈しなければならないだろうか。

 聞くところによると、何十年も前から、カトリック信徒の女性が内掌典として陛下の祭祀に携わっているようにも聞くが、もしそうだとしたら、その事実こそは宮中祭祀が信教の自由の原則に抵触しないことの何よりの証明ではないか。


▽4 憲法の改正より憲法体制の変革を

 バチカンは350年以上も前に、宣教先の国々の儀礼や習慣の尊重を謳う指針を、海外宣教団に対して与えている。その結果、中国では国家儀礼や孔子崇拝、祖先崇拝が認められ、1692年にはキリスト教は公許されている。

 1659年の古い指針は現代にも引き継がれている。つまり、20条3項問題はすでにして解決済みなのであり、したがって、先生が仰せのように、「政教分離原則への恟々たる気兼ねは不要」なのである。

 もう1点は憲法改正である。先生は伝統回帰を憲法改正へのワン・ステップともお考えだが、必要なのは憲法の改正だろうか。それで十分なのか。

 先生が仰せのように、今回のご譲位はまさに超憲法的措置で進められた。陛下のご意向が出発点である紛れもない事実を、国民の総意が出発点であったかのように再起動させなければならなかったのは、天皇に国政上の権能を認めない、国民主権主義を基本原則とする現行憲法の限界を露呈させた。

 というより、憲法を最高法規とする一元的憲法体制の限界が明らかになったのだと私は思う。皇室の「伝統」など歯牙にもかけぬような国民的なる議論の大混乱を避けるためには、皇室は皇室独自の法によって自立すべきではなかろうか。

 憲法と皇室典範を同格とし、それぞれを頂点に置く国務法と宮務法が並立する法体系に再編成すること、そして宮内庁は内閣府の外局、あるいは独自機関というのではなくて、一般の行政機関とは別の独立機関とすることが、本来あるべき姿ではないかと私は思う。

 先生はいかがお考えだろうか。
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国事行為しか認めない憲法にこそ問題がある ──朝日新聞発行月刊誌掲載の横田耕一論考を読む [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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国事行為しか認めない憲法にこそ問題がある
──朝日新聞発行月刊誌掲載の横田耕一論考を読む
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 明けましておめでとうございます。
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 陛下の譲位(退位)がいよいよ来春に迫りました。政府は来週にも、今上陛下の退位と皇太子殿下の即位に向けて準備組織を発足させると伝えられます。即位の礼・大嘗祭の日程も具体的に聞かれるようになりました。

 事態は先へ先へと進んでいますが、年の初めに当たり、改めて、今回のご譲位問題を振り返り、検証することは意味のないことではないでしょう。少なくとも千数百年におよぶ天皇の歴史に何が起きているのでしょうか。


▽1 「憲法の原点に立ち返れ」

 今回は考える材料として、朝日新聞社が発行する月刊誌「Journalism」一昨年11月号(特集「いまこそ考える天皇制」)に載った横田耕一九大名誉教授(憲法学)の「務め過多の象徴天皇像を前提とせず──憲法の原点に、いま一度立ち返ろう」を取り上げます。

 一昨年夏の陛下のビデオ・メッセージのあと、そのご真意を探り、象徴天皇のあり方を根本的に考えようとする企画で、寄稿を求められた4人の筆者の論考の1つです。

 横田先生は私とは異なる思想的お立場なのでしょうが、それゆえに、より根源的に考えるヒントを与えてくれそうです。

 先生のご主張は、要するに、日本国憲法は国事行為以外の公的行為を認めていないにもかかわらず、天皇は能動的な活動を行い、政府も国民もこれを容認し、受け入れてきた。それで公務が多すぎるというのなら、憲法の原点に帰り、憲法に反する天皇の行為を見直すべきだ、ということのようです。

 天皇の「お気持ち」には、憲法上、説明しがたい「務め」が多すぎること、天皇ご自身の「あるべき象徴天皇像」がそれをもたらしていることがうかがえる。したがって、「生前退位」問題を考えるには、その是非は別にして、それらの「務め」が必要不可欠なのか、憲法の原点に立ち返るべきではないか、と訴えておいでです。


▽2 国民は知っている

 先生の論考はWEBRONZAで全文を読むことができますので、ご興味のある方はそちらにアクセスしていただきたいと思います。URLは以下の通りです。
http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2016102800006.html

 指摘したいことはいくつかありますが、1点だけ申し上げます。それは、先生は「憲法上の疑念」を指摘されますが、むしろ憲法にこそ問題があるのではないか、ということです。天皇に国事行為「のみ」を認め、政治的権能を認めない、日本国憲法の限界です。

 じつのところ、そのことを、多くの国民は百も承知なのでしょう。今回の一連の経緯を振り返ると、私にはそのように思えます。

 先生は、議論の出発点を一昨年8月8日のビデオ・メッセージに置いています。しかし、陛下が「譲位」のご意向を最初に示されたのは、8年も前の平成22年7月の参与会議といわれます。

 近代以降、終身在位制度が採られ、譲位は認められていません。しかも、憲法は天皇の政治的権能を認めておらず、天皇のご発意に基づいて、政府や国会が皇室制度の改革を進めることは憲法に抵触します。

 したがって側近たちは、職を賭してでも、陛下を説得し、思い留まっていただくべきだったと思いますが、逆に、退位の仕組み作りに走り出しました。そして、ご意向が物語の始まりだった事実関係を逆転させ、憲法の国民主権主義が出発点となるように、無理矢理ストーリーを書き換える荒技に打って出たのでした。

 関係者によるリークと思われるNHKのスクープは、メディアを利用して世論を喚起する仕掛けであり、さらにテレビを通じた「お気持ち」の表明は、国民の総意に基づく退位の気運を創出するための世論工作だったことが容易に想像されます。


▽3 放置してきた為政者の不作為

 宮内庁は陛下の「お気持ち」を国民に対して、正式に説明することさえしませんでした。あくまで起点は「国民の総意」でなければならないからでしょう。「生前退位のお気持ちを強くにじませた」という枕言葉付きで「お言葉」を伝えたのは、宮内庁ではなくて、メディアでした。

 現実を憲法に力尽くで整合させた不自然な運用のあり方は、そのようにしなければならない憲法の規定にこそ、むしろ問題があることを示しています。けれども国民はみな知り尽くしています。

 多くの国民にとっての天皇は、先生が仰せの、国事行為しか認められないという日本国憲法的な存在ではなく、たとえば王朝文学に親しみ、雛祭りを祝ってきたというような、憲法だけでは語れない多面的な存在です。先生は「(日本国憲法上)明仁天皇は2代目の天皇である」と仰せですが、国民にはあくまで125代続く歴史的な天皇なのです。

 国民が支持している象徴天皇とは、日本国憲法が定める象徴天皇ではなくて、歴史に基づく象徴天皇なのです。

 国と民のために祈られ、国民と親しく接せられる天皇像は、横田先生には憲法違反と映るかも知れませんが、多くの国民が圧倒的賛意を示していることは、古来、さまざまな形で天皇と民の間に深い絆が築かれてきた日本の歴史の反映です。

 そのような関係性に目を向けない、日本国憲法原理主義こそ改められるべきでしょう。ご譲位問題をめぐって疑念の対象とされるべきなのは、国事行為以外を認めないとする憲法のあり方でしょう。

 さらなる問題は、より望ましい憲法体制もしくは天皇制度が模索されてしかるべきなのに、戦後70余年、放置してきた政治の不作為です。これが陛下のお悩みの真因だろうと私は思います。

 とくに、「皇室の私事」とされている宮中祭祀の位置づけは、見直されるべきでしょう。

 先生は、憲法上、天皇は「国民統合の象徴」と規定されているけれども、「国民統合」を積極的に果たすことを期待されるわけではないと解説しておられますが、「国中平らかに、安らけく」と祈られ、国と民をまとめ上げてきたのが、古来の天皇です。


▽4 たちの悪い官僚社会

 横田先生の論考には、お言葉にある「何よりも国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて」という陛下の祭祀への言及が抜け落ちています。先生が「私事」と切り捨てる祭祀こそ、皇室の伝統からすれば、皇室第一のお務めです。

 敗戦後の神道指令で、宮中祭祀=「皇室の私事」とされたことに、占領期の政府は不満で、「いずれは法整備を図る」という方針だったようですが、独立回復後も実現への動きはなく、それどころか、いまや側近たちは「私事」説に先祖返りしているようです。

 そして、陛下のご高齢とご健康問題を理由として、ご公務ご負担軽減が求められ、その結果、昭和の悪しき先例を踏襲する祭祀簡略化が敢行され、一方でいわゆるご公務は減るどころか、逆に増えました。

 先生は日本国憲法が求める「象徴天皇像」が脅かされることを危惧しておられますが、祭り主たる伝統的天皇像の否定こそ、むしろ憂慮されます。

 先生は、限界が不明確なまま「公的行為」が大幅に拡大していることを問題視しています。まさにその通りですが、具体的には何が増えているのか、ご存じですか。

 宮内庁がもっとも気にしていたのは「拝謁」の多さでした。春秋の勲章受章者の拝謁などはほぼ延べ1週間にもわたって続きます。宮内庁といえば外務省OBが幅を効かせる組織ですが、ご負担軽減策にもかかわらず、外務省関連の「お茶」はいっこうに減りません。

 先生は「過多であれば制限すればよい」と簡単に仰せですが、たちの悪い官僚社会の現実と問題提起すらままならない政治の不作為を打ち砕くのは容易ではありません。

 法的基準の不明確な拝謁やお茶を削減できるなら、「生前退位」だ、皇室典範改正だと騒ぎ立て、国民的議論をあおる必要はありません。ところが、ご多忙なご公務を婚姻後の女性皇族にも分担していただくためと称して、皇室の歴史にない「女性宮家」創設論さえ飛び出しています。議論すべきテーマはほかにあります。
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政府予算案で大嘗祭の準備は万全か ──宮廷費は6割増しだが、内廷費は増えず [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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政府予算案で大嘗祭の準備は万全か
──宮廷費は6割増しだが、内廷費は増えず
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 今上陛下の譲位を再来年平成31年の春に控え、先週の22日、関連予算を含む、来年度(30年度)宮内庁予算の政府案が閣議決定されたと伝えられます。
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 その概要は宮内庁のサイトに公開されており、誰でも見ることができますが、スムーズに御代替わりを迎えることができるのか、不安はないのでしょうか?


▽1 儀典関係費は2倍以上に

 政府予算案では、皇室の費用すなわち皇室費98億6000万円(前年度比36億4200億円増)と宮内庁の組織を運営するための114億6600万円(同2億4800億円増)を合わせて、213億2500万円(同38億9000万円増)が歳出予算として計上されています。

 皇室費の内訳は、天皇陛下ならびに内廷皇族(皇后、皇太子、皇太子妃)の御手元金である内廷費が3億2400万円(同増減なし)、各宮家の皇族に支出される皇族費が3億6400万円(同1億4900万円増)、皇室の御活動や皇室用財産の維持管理のため、内廷費以外の宮廷諸費に充てられる宮廷費91億7100万円(同34億9300万円増)となっています。

 誰が見ても明らかなのは、皇室費が前年度比で6割近くも急増していることです。増額分のほとんどは宮廷費で、いわゆる退位特例法の施行に向けた準備に必要な経費と説明されています。

 その内訳は、新侍従職・皇嗣職の準備に従事する職員等の人件費など「お支え関係」が1億7800万円、東宮御所や御仮寓所、秋篠宮邸の工事費など「お住まい関係」が17億3000万円、そして即位礼に用いられる高御座等の輸送・修理、装束、儀式用具など「儀式関係」が16億5300万円、計35億6000万円となっています。

 前年度比で6割方増加した宮廷費のうち、とくに増えたのは儀典関係費23億6500万円で、前年度より金額で16億1200万円、比率ではじつに214%増と、文字通り倍増しています。

 それだけ御代替わりに伴う重要な儀式が執り行われるということでしょうが、絶対に忘れてならないのは、この儀典関係費には御代替わりに関わる宮中祭祀の予算はまったく含まれないということです。


▽2 内廷費は定額制

 天皇の祭祀は「皇室の私事」であるという法解釈によって、関係する予算、すなわち掌典職の予算は、宮廷費ではなく、内廷費に含まれます。ところが、内廷費は平成8年度以来、3億2400万円に据え置かれたままです。

 それは、皇室経済法で、内廷費は「定額を毎年支出する」と定められているからです。

 以前、書いたように、天皇の祭祀に関わる掌典職の人たちが心配するのは、天皇一世一度の大嘗祭です。毎年、神嘉殿で行われる新嘗祭とは異なり、新たに大嘗宮を建て、大規模に斎行される大嘗祭はそれだけ人員も必要です。

 大嘗祭そのものについては、前回の先例を踏襲するのなら、関係予算は宮廷費から支出されますが、それ以外は別です。前回は、大嘗祭の前年の新嘗祭に7人を臨時に雇いあげ、本番に向けた予行練習を体験してもらうことになったようです。そのためには当然、予算が費用です。

 仮に1人月30万円として、9月から11月まで雇った場合、月210万円、3か月で630万円、ざっと1000万円弱の予算がかかる計算になります。けれども、内廷費定額制のもとでは、宮廷費のように臨機応変に予算を増やすことができません。

 前回の場合は、何しろ大嘗祭自体が内廷費で賄わなければならない最悪の事態も想定されていたぐらいでしたから、皇室では万が一に備え、以前からやり繰りをして、少しずつ積み立てを行っていたそうですが、いまはどうなのか。

 かといって、皇室経済法第4条第3項に基づき、皇室経済会議を開いて、「定額について変更」するというレベルの問題ともいいがたいのですが、それにしても20年以上も内廷費が据え置きなのは理解に苦しむところです。

 来年の新嘗祭に臨時祭員を参加させる予算がまったく確保できないとなれば、再来年の秋に予定される大嘗祭はぶっつけ本番で執り行わなければならないことになりますが、それで大丈夫なのか、とOBは心配するのです。


▽4 「退位の翌日に即位」の意味

 さて、蛇足ながら、以上のことに関連して、気になる情報を得ましたので、書き添えることにします。当メルマガで何度も言及している「退位の翌日に即位」とされている譲位の日程のことです。

 前々回も書きましたように、明治の皇室典範も、現行の皇室典範も、「天皇が崩じたときは、皇嗣が直ちに即位」というように規定し、空位を認めないことを明文化しています。当然のことです。

 この基本原則に基づけば、再来年4月30日に退位の儀式が行われ、この儀式をもって今上天皇が「退位」され、翌5月1日になにがしかの皇位継承の儀式をなさることにおいて「即位」されるという解釈なら、24時間の空位が生まれることになります。

 これは、崩御という事実の瞬間を皇位継承の区切りとする代わりに、譲位に関する儀式が行われる時間を「退位」「即位」の発生する日時と解しているわけですが、別の考え方もあり得ます。

 つまり、空位あるべからずという法の原則を遵守するなら、退位の儀式は行われるとしても、その事実にかかわらず、法的には今上天皇の「退位」は4月30日の午後11時59分59秒99をもってし、翌5月1日午前0時の瞬間に皇太子殿下が践祚(皇位継承)すなわち「即位」されると解釈するということです。

 法的な解釈としてはそれも可能なのですが、厄介なのは祭祀です。掌典職のOBがこれを指摘しています。


▽5 5月1日午前0時に賢所で御拝?

 旧登極令では、第1条に「天皇践祚の時は、すなわち掌典長をして賢所に祭典を行わしめ、かつ践祚の旨を皇霊殿・神殿に奉告せしむ」とあり、附式の第一編に、「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」「剣璽渡御の儀」「践祚後朝見の儀」からなる「践祚の式」を掲げています。

 このうち「賢所の儀」は、神饌を供したのち、掌典長が祝詞を奏し、掌典長が天皇の御代拝を務め、御告文を奏し、掌典が皇后の御代拝を務めることとされています。「三日間これを行う。ただし第2日、第3日の儀は御告文なし」とされます。

 昭和天皇崩御に基づく平成の御代替わりでは、諒闇中であり、当然、天皇、皇后の御代拝でしたが、譲位に基づく今回の御代替わりでは御拝とされるのかどうか。そして、5月1日の午前0時をもって践祚とするのなら、このときをもって賢所の儀が執り行われることになるのかどうか。

 それとも退位の儀式と同時進行で、もしくは先行して賢所の儀が行われるのかどうか。

 5月1日は旬祭の親拝が行われる日でもあります。昭和40年代に入江相政侍従長の腕力で、毎月1日の旬祭の親拝は年2回に縮減され、平成の祭祀簡略化でも踏襲されましたが、それでも5月と10月の旬祭は御代拝とはなりませんでした。今回は、践祚の式で御拝が行われるとすると、旬祭はどうなるのか、掌典職のみならず注目せざるを得ません。

 もう1点、改元についていえば、登極令第2条には「践祚の後は直ちに元号を改む」とあり、大正、昭和とも即日改元が行われましたが、平成の御代替わりでは翌日改元でした。元号法には「直ちに」の定めはありません。

 昭和天皇崩御ののち、賢所では直ちに賢所の儀が行われ、宮殿では剣璽等承継の儀、朝見の儀が行われて、皇位は継承されたのですが、元号の「昭和」はこの日の午後12時まで続いたのです。

 それにしても「退位の翌日に即位」とする政府の説明は絶対的に不足していませんか。これを伝えるメディアの報道も同様でしょう。平成の御代替わりを踏襲するのなら、「翌日改元」という説明で十分です。それを「翌日即位」といえば混乱します。践祚を「即位」と無理に言い換えるから混乱するのです。

 退位の儀式すなわち践祚の式をもって皇位の継承とし、翌日の午前0時をもって改元するという説明では、なにか差し障りがあるのでしょうか。



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大学のテストなら65点のトンデモ天皇論!?──宮中祭祀は年間18回? 法的な裏付けはない? [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です

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大学のテストなら65点のトンデモ天皇論!?
──宮中祭祀は年間18回? 法的な裏付けはない?
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 プレジデント・オンラインに先日、「天皇さえ実物を見られない『三種の神器』」という記事が載りました。

 経済誌の「プレジデント」が分野の違う宮中祭祀について取り上げていることに、編集者の意欲を感じ、心からの敬意をもって読み進み、その結果、私は逆に腰を抜かしそうになりました。デタラメと言えば言い過ぎでしょうが、内容がかなり不正確だったからです。

 筆者は、何度かお会いしたこともある島田裕巳先生でした。先生は宗教学者でしょうから、神道の歴史や皇室(先生の用語では天皇家)の祭祀について詳しくはないのかも知れませんが、それにしてもひどすぎませんか。

 お書きになるのは自由ですが、テーマは私たちの文明の根幹に関わる、奥深い世界なのですから、入念に調べたうえで取りかかるべきではないでしょうか。そのことは編集者にもいえます。結果として筆者に恥をかかせるような企画は進めるべきではないでしょう。


▽1 皇室に流れる仏教信仰
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 島田先生の記事は『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)という著書の「第1章 近代が大きく変えた天皇の信仰」からの抜粋だそうです。仏教系書店のシリーズだそうですから、いかにもそれらしい結論、それらしいタイトルになっています。

 しかし、皇室に仏教的信仰がいまも流れているとしても、島田先生が仰せの根拠とは違うように私は思います。

 たとえば、明治になって門跡制度が廃止されてもなお、伏見宮邦家親王の三姉妹は復飾を拒否し、なかでも誓圓尼は廃仏毀釈の嵐から善光寺を守り抜いた中興の祖とされています。昭憲皇太后は明治天皇崩御ののち、自我偈を写経され、納経されたそうです。

 いわゆる国家神道の時代とされる戦中期でさえ、真言宗総本山の東寺(京都)では国家的な仏事であり、最高の秘儀とされる後七日御修法が行われていました。

 戦後、昭和27年は日蓮宗開宗700年でした。最澄寺と久遠寺で特別の法要が行われるのに際して、昭和天皇は金一封を賜り、勅使を差遣されました。

 41年に御寺(泉涌寺)を護る会が設立されたとき、総裁となったのは三笠宮親王(いまは秋篠宮親王)でした。貞明皇后、秩父宮親王の柩には南無妙法蓮華経の半紙が納められたと聞き及びます。

 昭和天皇には仏教を詠み込まれた最晩年の御製が残されています。

夏たけて堀のはちすの花みつつ 仏のをしへおもふ朝かな

 こうしてみると、皇室には古代から現代まで仏教の信仰が脈々と続いていることは、誰の目にも明らかです。しかしその信仰は島田先生のいう「信仰」とはけっして同じではないように思われます。


▽2 天皇第一のお務めは神事

 先生が記事に書かれている「信仰」「祭祀」「宗教」という概念は学問的に未整理なだけでなく、皇室の信仰、あるいは天皇と民による日本ならではの宗教的空間を解説するには不十分であるように思われます。

 先生は、一般に、と前置きしつつ、天皇あるいは皇室の「信仰」が「神道」であると考えられているとし、この通説を否定することで天皇=「仏教」徒説を説明しようと意図し、「祭祀」の解説を試みているわけです。

 先生の宗教学では、「神道」「仏教」はそれぞれに独立した「宗教」であり、「信仰」上、両立することはないとお考えなのでしょうが、皇室ではけっしてそうではないのです。なぜそうなのか、をこそ、先生には宗教学者として探求していただけないものでしょうか。

 日本書紀を見れば、日本の天皇は、仏教公伝以前から皇祖神のみならず天地社稷を祀ってこられたことが分かります。皇室が神道という宗教を信じたというより、天皇は信仰を異にする各氏族による多神教的、多宗教的な宗教的共存を図るため、諸神を祀る祭り主として機能していたということでしょう。

 推古天皇の時代に仏教が国家的に受容されるようになったのちも、それは変わりませんでした。聖武天皇以来、歴代天皇が仏教に帰依されるようになったのちも、同様です。王朝ごとに国家の宗教が何度も移り変わる古代中国や朝鮮とは違うのです。むろん絶対神信仰に基づくキリスト教社会とも異なります。

 養老律令には「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と記され、宇多天皇のときに四方拝は定着し、毎朝御拝が始まったとされます。宗教的共存の中心に天皇の祭祀が位置しています。

 順徳天皇は「禁秘抄」に「およそ禁中の作法は神事を先にし」と記し、天皇第一のお務めは敬神、崇祖、神祭りであると明言され、歴代天皇はこれを守ってこられました。

 天皇の「信仰」は神道か、それとも仏教か、どちらかでなければならないという考えが皇室においては無意味なのではありませんか。島田先生はどうお考えですか?

 天皇の祭祀は、四方拝のように道教的要素を含むものもありますから、神道だと言い切るには無理があるでしょう。神道的ではあるにしても、神道という1つの信仰体系のみとはいえないでしょう。自然発生的な神道を1つの信仰体系と捉えるのも、少なからず無理があります。

 皇室では幕末の頃には神仏混淆どころか、陰陽道なども複雑に入り交じった祭儀が行われていたといわれるほどです。なぜそうなるのか、が先生の宗教学の本来的なテーマではないでしょうか。


▽3 日々の祈りが抜けている

 さて、最後に、宮中祭祀について、いくつかの基本的な誤りを指摘させていただきます。

ア、宮中三殿 賢所、皇霊殿、神殿の3つの建物から成立しているという説明は間違いありませんが、新嘗祭が行われる神嘉殿の説明が抜けています。
 皇室第一の重儀とされる祭儀がなぜ三殿では行われないのか、そこが学問的テーマとなるでしょう。

イ、法的裏付け 先生は、戦前は皇室祭祀令によって規定されていたが、戦後、皇室令が廃止され、現在は法的裏付けを失っていると書いておられますが、完全な間違いです。
 日本国憲法施行とともに皇室令が全廃されたのは事実ですが、当メルマガの読者なら周知の通り、このとき宮内府長官官房文書課長による依命通牒が発せられ、「従前の条規が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」とされ、これが法的根拠となり、戦後70年、いまに至るまで祭祀は存続しているのです。
 日本は古代から続く法治国家です。法的裏付けのないことが、世界に冠たる官僚機構の中で継続し得ると先生は本気でお考えなのですか。担当した編集者も、そんなことがあり得るのか、よくよく考えていただきたいものです。

ウ、年間の宮中祭祀 先生は元日の四方拝から大晦日の節折、大祓まで「全体で18回」、旬祭を含めると「年間で30以上」と説明していますが、不正確です。
 2月11日、11月3日の臨時御拝が抜けているのはまだしも、平安期に始まる石灰壇御拝に連なる、明治以来の、側近を三殿に遣わし、拝礼させる毎朝御代拝が説明されていません。天皇は昔も今も毎日、国と民のため祈られるのです。
 この日々の祈りを抜きにして、皇室の信仰を先生は考察しようとされたのですか。
 このほか、先帝祭は小祭ではなく、大祭ですし、新嘗祭は夕刻から深夜にまで及びます。「2時間」では到底終わりません。

エ、三種の神器 先生は、陛下も見たことがないと書いていますが、実物を見なければならない理由があるのですか? 冗長とした説明も不要でしょう。
 先生は、天皇の信仰が神道だとする1つの根拠は宮中三殿の存在にある、と説きますが、その説明の仕方がまどろっこしい解説の原因ではありませんか。
 祭り主である天皇がいかなる祭祀をなさるのか、古来、皇祖神のみならず天神地祇をみずから祀り、祈られることの意味と意義を、ご専門の宗教学的に深く探求すべきではないでしょうか。


▽4 なぜ天皇=現御神とされたのか

オ、神武天皇 先生は架空の神話的な人物だといいますが、125代続いているのなら初代が存在するのは至極当然で、それを神武天皇とお呼びしたとしても、何ら不思議ではないでしょう。
 近代科学で証明できないものは存在しないという論理は成立しません。それとも、たとえば先生の家系が何代まで遡れるか知りませんが、架空の先祖から始まったとでもお考えでしょうか。

カ、現人神信仰 先生は勘違いをなさっておられませんか。天皇=現人神とする考え方ははたして正統的でしょうか。
 戦後、昭和天皇はいわゆる人間宣言によって、ご自身の神性を否定されたという教科書的な解釈が流布していますが、詔書作成に関わった木下道雄はこれを否定し、「予はむしろ進んで天皇を現御神とすることを架空なることに改めようと思った。陛下もこの点はご賛成である」と記録しています。
 昭和12年に文部省が編纂した「国体の本義」には「天皇は現御神である」と明記されていますが、昭和天皇はこの神格化を嫌っておられたのです。
 古代の天皇の宣命には「現御神と大八嶋国しろしめす天皇」などとありますが、「現御神と」は「現御神のお立場で」の意味と解釈すべきだともいわれます。天皇=現人神ではないということです。
 東條内閣時代に文部官僚らが天照大神信仰に統一する官製の神道論を広めようとしていたとき、真っ向から戦いを挑んだのは在野の神道人たちであり、著書の神道本が発禁処分を受けることさえありました。
 他方、キリスト教世界の文化的影響を強く受けた知識人たちは一様に天皇=現御神と解釈するようになったのです。
 皇室の伝統においては、天皇は祀られる神ではなくて、神々を祀る祭り主なのです。それがなぜ天皇=現人神と解されるようになったのか、むしろそこを学問的に解明していただけないでしょうか。

 宗教学者が畑違いの分野に挑戦されたチャレンジ精神は高く評価されなければなりませんが、今回の記事は大学の学年末試験ならとても「優」は差し上げられないでしょう。積極性を最大限に評価して、さしずめ65点というところでしょうか。

 相撲好きで知られる昭和天皇は、贔屓の力士の名をけっして口外なさいませんでした。その昭和天皇に「信仰される宗教は仏教ですか、神道ですか」とうかがっても、お答えにはならないでしょう。それが天皇というお立場です。違うでしょうか。



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政府は何を根拠に「翌日即位」を決めたのか? [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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政府は何を根拠に「翌日即位」を決めたのか?
──皇室典範も特例法も「直ちに即位」なのに
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 先週金曜日の閣議で、陛下が再来年4月30日に退位(譲位)されることが決まりました。メディアは、翌日、皇太子殿下が即位される日程が正式に決まったとも伝えていますが、なぜ「退位の翌日に即位」なのか、そのように決めた根拠は何なのか、いうところの「即位」とは何を意味するのか、私にはまったく理解できません。


▽1 「翌日即位」を会見で明言した官房長官
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 今月1日に皇室会議が開かれたのは、陛下の「退位等」について定める、いわゆる退位特例法に定めがあるからです。特例法施行の期日、すなわち退位日を政令で定めるに当たっては、「内閣総理大臣は、あらかじめ、皇室会議の意見を聞かなければならない」とされているからです。

 そして、「特例法の施行日」を議案とした皇室会議で、「平成31年4月30日とすべきである」との意見がまとめられ、これを受けて8日の定例閣議で退位の期日が決定されました。

 菅官房長官は閣議後の会見で、「特例法の施行期日を定める政令を閣議決定した」「陛下の御退位と皇太子殿下の御即位がつつがなく行われるよう、最善を尽くす」と述べました。

 ここまでは「翌日即位」はありませんが、記者の質問を受けて、菅長官は、「翌5月1日に皇太子殿下が御即位されることになった」「こうした内容を総理から閣僚懇談会の中で発言をされた」と述べたのでした。

 また、改元については、元号法は「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と規定しているので、皇太子殿下の御即位後に速やかに改元は行われるという観点から、5月1日を軸に検討したい、と述べています。改元に関する初めての言及と伝えられます。

 どうやら「翌日即位」「翌日改元」は、特例法でも、皇室会議でもなくて、政府自身が決めたことのようですが、なぜそうするのか、政府として説明が不足していないでしょうか。菅長官の説明は法的根拠があるかのようにも聞こえますが、皇室典範も特例法も「翌日即位」を定めているわけではありません。


▽2 皇室典範も特例法も「空位」を認めていない

 むしろ法は「翌日即位」ではなく「即日即位」を定めていると解釈されます。退位の「翌日」に即位なら、1日の空位を認めることになると考えられるからです。

 明治の皇室典範は「天皇崩ずるときは皇嗣すなわち践祚(皇位継承)し」と定め、現行典範もまた「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定めています。「すなわち」「直ちに」は空位を一時たりとも認めないことを明文化したものでしょう。

 いわゆる退位特例法も同様で、「天皇は、この法律の施行の日かぎり、退位し、皇嗣が直ちに即位する」とされています。

 皇室典範も特例法も「直ちに即位」と定めているのに、なぜ政府は「翌日即位」と決めたのでしょうか。政府はいかなる法的基準に基づいて、これを決めたのか。政府のいう「即位」とは何でしょうか。

 まして新元号は、「直ちに改元」と定められているわけではないのに、なぜ「速やかに」なのでしょう。

 この20年、政府・宮内庁は、女帝容認ならいざ知らず、過去の歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設に道を開き、今回は特例法で「上皇」という略称を正式な法律用語と定めるなど、国民主権主義に基づく日本国憲法下での象徴天皇制はもはや何でもありの観があります。

 空位を認めないのは、むろん皇室のルールといえます。

 200年前の光格天皇の場合は、文化14(1816)年3月22日、皇太子恵仁親王(仁孝天皇)に譲位されました。清涼殿で受禅され、剣璽渡御が行われました。こうして践祚(皇位継承)すなわち御代替わりが行われたのです。

 仁孝天皇の即位の礼は9月21日、光格天皇の譲位から半年後でした。文政への改元は翌年4月で、大嘗祭はこの年に行われました。


▽3 政権交代したら何が起きるのか

 報道では、陛下が退位(譲位)される再来年の秋に即位の礼、大嘗祭(大嘗宮の儀)が行われるとも伝えられますが、皇室の伝統に則り、法に基づいて、4月30日に「退位(譲位)ののち、直ちに即位(践祚)」とできない理由は何でしょうか。

 1つは践祚と即位の混同です。法律用語が消えたことによる歴史の喪失です。国民主権主義が招いた皇室の伝統の軽視です。

 平安期以来、事実としての践祚と内外に宣言する即位は区別され、践祚から日を隔てて即位式は行われてきました。その伝統に基づいて、明治の皇室典範は「天皇崩ずるときは皇嗣すなわち践祚」と定めていましたが、敗戦後の混乱は皇室典範改正、一般法律化に当たって、この区別を反映できず、「皇嗣が直ちに即位」としました。

 それでも、皇室典範改正時の帝国議会の議論を見ると、改正案に「践祚」という用語が用いられないことについて、金森徳次郎国務大臣は「践祚」の文字は消えても御代替わりの中身に変更はないと答弁しており、皇室行事の体系は不変と少なくとも当時は認識されていたようです。

 ところがその後、戦後政府は正常化への努力を怠り、ついに平成の御代替わりでは「践祚」の用語と概念が完全に喪失させられ、「践祚と即位は同意語」「皇室典範制定の際、践祚を即位に改めた」(宮内庁『平成大礼記録』平成6年)との詭弁が弄され、「践祚後朝見の儀」は「即位後朝見の儀」と改められました。

 そしていま、安倍長期政権は125代続く皇室の伝統を回復できずにいます。

 保守政権下でさえ、政治主導によって、このようなハチャメチャが生じるのなら、皇室の歴史と伝統を一顧だにしないような政権へ交代した暁には、いったい何が起こるのでしょうか。鳩山内閣時のごり押し天皇会見程度では済まされない、と国民は覚悟しなければならないのでしょうか。



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タグ:御代替わり
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「退位」翌日に「即位の礼」を行う根拠は何か? [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「退位」翌日に「即位の礼」を行う根拠は何か?
──どこへ行く125代続く皇室の歴史と伝統
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 御代替わりの日程について、私は大きな勘違いをしていたようです。しかしそうなると、政府が進める日程は、125代続く歴史的天皇の制度からさらに乖離していく印象をますます強くします。

 前回、当メルマガは、メディアが伝える、「退位」の翌日に「即位」「改元」する日程について、違和感を禁じ得ないと書きました。この「即位」とは皇位の継承を意味する践祚(せんそ)のことだと思っていたら、政府は大胆にも「即位の礼」を行うという考えのようです。

 しかしこれでは、桓武天皇の時代に践祚から日を隔てて即位式を行うようになり、貞観儀式の制定によって践祚と即位を区別するようになった皇室の伝統を完全に裏切ることになりませんか。

 旧皇室典範には

「天皇崩ずるときは、皇嗣、すなはち践祚し、祖宗の神器を承く」

「即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行ふ」

 とありましたが、戦後の混乱期に行われた皇室典範の改正では践祚と即位の区別を反映できず、現行の皇室典範では

「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」

「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」

 と定められ、「践祚」が消えています。このため平成の御代替わりではさまざまな不都合が生じましたが、混乱はさらに拡大しそうです。


▽1 皇室会議で固まった日程

 先週、開かれた皇室会議によって、今上陛下は平成31年4月30日に「退位」され、翌5月1日に皇太子殿下が「即位」され、新元号に「改元」されるという日程が固まりました。

 報道によれば、政府は、過去の例を調査し、「退位」「即位」の儀式の中身を決めるとも、宮殿「松の間」で行われる「退位」の新儀式は「退位の礼」と呼ばれるとも、伝えられています。

 つまり、再来年4月末日に「退位の礼」が行われ、翌5月1日に「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」などが行われ、新元号が施行されるようなのです。これは少なくとも千年を超える皇室の伝統に沿うものといえるでしょうか。

 室町時代に一条兼良が書いた『代始和抄』には「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。これは毎度のことなり」とありますが、今回はどんな退位の儀式が行われるのでしょうか。

 200年前の光格天皇のときには、「日次案」という史料によると、まず光格天皇は桜町殿(仙洞御所)に行幸され、天皇が乗られる鳳輦はふたたび御所に至ります。

 このとき天皇は、剣璽、鈴鎰、大刀契とともに、数百人からなる絢爛豪華な行列を組んで進まれました。この路頭の儀は華麗な極彩色の絵巻物となって記録されており、「桜町殿行幸図」と呼ばれ、ネット上で公開されています。

 光格天皇の行幸ののち、新帝となる仁孝天皇が御簾の中の椅子(いし)に着され、宣命使が版に就いて専制一段、群臣が再拝します。節会が終わり、剣璽が新主の御所に渡され、近衛二人が剣璽を取り、新主の御所に至ったのでした。

 こうして文化14年3月22日、光格天皇から仁孝天皇への譲位は行われたようです。

 2日後、光格天皇に太上天皇の尊号が贈られ、9月21日に即位の礼が行われ、「文政」への改元は翌年4月でした。


▽2 剣璽の継承はいつ、どのように行われるのか

 今回、行われる「退位の礼」はどのように行われるのでしょうか。

 1つは皇位とともにある剣璽の渡御です。これこそが皇位継承の核心です。

 光格天皇の場合は、剣璽とともに、いったん仙洞御所に移られ、そこから紫宸殿に行幸になり、新帝に継承されました。平成の御代替わりでは、先帝崩御の当日、「剣璽等承継の儀」が松の間で行われました。

 今上天皇の譲位後のお住まいについて検討がなされているようですが、今回はおそらく、仙洞御所への行幸も路頭の儀も行われないのでしょう。「剣璽等承継の儀」は再来年4月末日なのか、それとも翌日なのか。

 2つ目は、上表の礼(揖譲の儀)です。

 一条兼良の「代始和抄」では、「父子にあらずして受禅のときは、皇太子参上して、椅子(いし。平安期、宮廷の座具)につきて上表の礼あり」と記されています。

 父子譲国の場合は揖譲の儀は行われないのが習いですが、後朱雀院から後冷泉院への受禅では行われました。光格天皇の場合も仁孝天皇が椅子に着されたことが、既述したように記録されています。

 今回の「退位の礼」ではどうなるのでしょう。

 3つ目は、即位の礼の日程です。

 平安時代以来、践祚(皇位継承)から日を隔てて、新帝の即位は行われました。平成の御代替わりでは「践祚」が消えましたが、皇位継承から一年の服喪を経て、即位の礼が行われました。

 今回は、「退位」の翌日に「即位の礼」が行われる模様です。その根拠はなんでしょうか。皇室典範は「皇位の継承があったときには、直ちに即位の礼を行う」と定めているわけではないのです。125代続いてきた皇室の歴史と伝統はどこに行ってしまうのでしょうか。



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譲位の翌日に即位、改元でいいのか? [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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譲位の翌日に即位、改元でいいのか?
──いよいよ迫ってきた御代替わりの不思議な日程
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 いよいよ御代替わりが迫ってきました。

 先週21日にNHKが伝えたところによると、今上陛下が退位(譲位)される日程の決定に関する皇室会議が来月1日、つまり今週金曜日に開かれる模様です。

 政府案としては、再来年31年4月30日に退位、翌日5月1日即位とする案と、同年3月31日退位、翌4月1日即位の2案があり、皇室会議の意見を考慮して最終的に決められるとも伝えられました。

 再来年4月末退位という新たに伝えられた案は、同年4月に統一地方選挙が予定されていることから、これが終わったあとに皇位継承を設定するという趣旨のようです。これまで伝えられてきた来年30年末に譲位、再来年31年元日に改元という政府案は消えたことになります。

 年明けには菅官房長官を長とする委員会が設置されるようですが、いくつかの問題点が指摘されます。


▽1 改元には準備期間が必要

 まず選挙優先の日程です。

 先月、朝日新聞は、皇后陛下のお誕生日に合わせて、今上陛下の退位(譲位)と改元について、退位日は再来年31年の3月末日で、翌4月1日に新帝の即位、改元することで政府が最終調整に入ったという情報を伝えました。

 この日の会見で、菅官房長官は「そうした事実はない」と強く否定しましたが、4月1日即位なら、4月14日もしくは28日に投票が予想される統一選と完全に重なります。

 となると、政治家たちはどうしても選挙優先にならざるをえないでしょうが、文明の根幹に関わる皇位継承より選挙を優先すべきことなのかどうか。

 2つ目は改元のタイミングです。

 改元の期日が問題となるのは、社会的、経済的な影響がそれだけ大きいからです。とくに前回の御代替わりとは比べものにならないほど、コンピュータ社会が進展している現実があります。プログラムの変更には一定の準備期間が必要です。

 たとえば、国の機関紙である官報はいまやネット上で閲覧できる時代ですが、皇位継承のあと、政令で定められる新しい元号を官房長官が発表したとして、即座に官報を新元号で発行配信するようプログラムを変更することは不可能でしょう。

 しかし、在外公館も含めて、いっせいにコンピュータの設定が切り替えられないと、出生届や婚姻届、免許証の書き換えなど、行政の業務にたいへんな支障をきたします。巷間伝えられるようなカレンダー業界など一部に混乱を与えるという程度ではすみません。

 つまり元号の切り替えには一定の準備時間がどうしても必要です。とすれば、譲位・践祚(皇位継承)と改元の期日をずらし、たとえば改元は数か月あるいは半年後の即位の礼に合わせるとか、それなりの工夫があってしかるべきなのに、「譲位、翌日改元」というワンパターンの情報しか聞こえてこないのはどうしてでしょうか。

 元号法は「皇位継承後、直ちに(あるいは翌日に)改元」と定めているわけではないのです。践祚後直ちに改元された大正、昭和、翌日改元された平成の御代替わりとは事情が異なると説明すれば十分ではないでしょうか。

 前例をそのまま踏襲する必要はありません。ちなみに200年前の光格天皇から仁孝天皇への御譲位では、1年以上、経ったあとに、「文化」から「文政」に改められています。一世一元の制が始まった明治の御代替わりも同様です。


▽2 即日践祚とすべきではないのか


 3点目は、退位(譲位)の翌日に即位(践祚)というスケジュールが当たり前のように伝えられていることへの違和感です。

 旧皇室典範は「天皇、崩ずるときは、皇嗣すわはち践祚し」と定め、現行皇室典範もまた、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とされています。

 先帝が譲位された時点で、直ちに新帝が践祚、すなわち皇位継承するのでなければ、空位が生じてしまいます。

 たとえば、31年4月30日に退位(譲位)、翌5月1日に即位(践祚)とした場合、退位に関する儀式が予定されているということですので、前日に退位の儀式を行い、剣璽の継承が行われたとしたとしても、法的には翌日までは皇位は継承されていないとみなされるということなのでしょうか。

 それともいかなる儀式が行われようとも、退位は前日午後12時に発効し、翌日午前零時をもって皇位継承が行われたと法的に解釈するということでしょうか。

 先述したように、大正、昭和の御代替わりでは、先帝の崩御後、直ちに新帝が践祚し、元号が改まり、平成の御代替わりでは、先帝崩御後、直ちに剣璽等承継の儀が行われ、皇位が継承され、翌日に改元されました。

 こうした過去の歴史に照らせば、譲位の儀式を明確な区切りとし、「翌日即位」ではなくて「即日即位」とされるべきではないでしょうか。即位(践祚)と改元を無理に関連付けようとすれば、かえって混乱を招くことにならないでしょうか。



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即位礼と大嘗祭を同じ月に行う理由 ──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 4 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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即位礼と大嘗祭を同じ月に行う理由
──関根正直『即位礼大嘗祭大典講話』を読む 4
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 大嘗祭は即位の礼のあとに、「続いてこれを行う」と、旧・登極令(明治42年)の第4条に定められていました。

 実際、大正の御代替わりでは、即位の礼は大正4年11月10日、大嘗祭は同月14日に行われ、昭和の御代替わりでは、即位の礼は昭和3年11月10日、大嘗祭は14日でした。

 そのため、御大典が行われた京都では、即位の礼のあと、市内はどんちゃん騒ぎとなり、静謐さとは無縁の喧噪のなかで、大嘗祭が挙行されることとなったと批判されています。

 日本国憲法の施行とともに登極令は廃止され、期日に関する定めは失われましたが、平成の御代替わりでは、即位礼正殿の儀は平成2年11月12日に、大嘗祭は10日後の22日に行われました。

 つまり、同月内に引き続いて行うと規定する旧・登極令に準じたことになりますが、なぜ同月に行われなければならないのでしょうか。


▽1 「京都においてこれを行う」

 以前、当メルマガに書いたように、赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)はこれを「新例」と説明しています(「即位の礼と大嘗祭を引き続き挙行する必要はない──平成の御代替わり『2つの不都合』 6」2017年7月18日号)。

 関根正直によれば、赤堀も解説していたように、即位の礼が7月以前なら大嘗祭は同年冬に行われ、即位の礼が8月以後の場合は翌年冬に大嘗祭を行うというのが、中古以来のならいでした。

 ところが、明治になって天皇が住まわれる宮城が東京におかれることとなり、しかも皇室典範(明治22年)には「即位の礼および大嘗祭は京都においてこれを行う」(第11条)と定められました。

 なぜそのようになったのか、関根は、先帝・明治天皇の聖慮によるものだと、次のように説明しています。

 ──明治13年、明治天皇は伊勢路御巡幸の折、京都に滞在された。当時の世相は、古風=旧弊とされ、破壊の対象とされており、殺風景没趣味に陥っていたのは京都も例外ではなかった。そのさまを御覧になった明治天皇はお嘆きになった。
 その後、ロシア皇帝(アレクサンドル3世)の戴冠式(1883年)が新都ペテルスベルグではなくて、旧都モスクワの旧殿で行われることを知り、一国の大礼は古風を存し、旧儀のままに行い、衆庶をしてその本を崇尚し、その始を忘れないようにするのがいいのだとお思いになり、皇室の大典も京都で行われるべきだとお考えになった。
 のちに岩倉具視贈太政大臣が京都御所の保存を政府に建言し、帝国憲法起草の準備として皇室の儀制調査を建議したのも、明治天皇の聖旨を奉じてのことだった。
 こうして明文規定ができた。


▽2 古例を復活させてはどうか

 しかし、御大典を京都で行うとして、旧例のように即位の礼が7月以前なら大嘗祭は同年冬に行い、即位の礼が8月以降なら大嘗祭は翌年冬に行うとした場合、どうなるのか、関根はまたこう説明しています。

 ──1年も経たないうちに2度も、車駕を移動することになり、儀鑾張行の繁に堪えない。供奉用度の費用も多額になるだろうから、古式に反しないかぎり、繁を避け簡に就くべきだと、明治天皇はお考えになり、即位の礼と大嘗祭はひきつづき行われる旨、登極令に定められることとなった。
 これらは憲法義解に註釈として書かれている。

 このように説明したうえで、関根は

「このたびの慶事は邦家の大典、国民の盛儀であり、国民みな感激狂喜するところであるが、熱情のあまり喧噪狼藉におよぶことが往々にしてあり、忌み慎むべきである」

 と警鐘を鳴らすのですが、現実は冒頭に述べたごとくでした。

 ところで、関根が指摘していないもうひとつの「理由」がありそうです。

 それは以前にも指摘した、今日とは異なる、交通機関の未発達です。明治末年なら新橋・神戸間が13時間かかりました。これでは「儀鑾張行の繁」もむべなるかな、です。即位の礼・大嘗祭を引き続いて執り行わざるを得ない事情がたしかにあったわけです。

 しかし今日では、東京から京都まで新幹線でわずか2時間余りです。しかも御大典を京都で挙行する法規定はもはやありません。即位の礼と大嘗祭を引き続いて執り行うべき理由はありません。

 だとすれば、むしろ古例を復活させてはいかがでしょうか。明治天皇ならば、どのようにお考えになったでしょうか。



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