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近代化に伴う改革 ──支離滅裂な「論点整理」 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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近代化に伴う改革
──支離滅裂な「論点整理」 3
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第7節 支離滅裂な「論点整理」──変更された制度改革の目的意識


▽3 近代化に伴う改革
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 このような改革はなぜ起きたのでしょうか。

『皇室制度史料』は、明治19年の皇族叙勲内規制定に関する『明治天皇紀』の文章を引用しています。

「皇族叙勲のこと、従来、成法なし。欧州諸国にありては皇族の品秩おのずから備わり、生まれながらにしてその国最高勲位を帯ぶるものとす。しかれども本邦においてはまたおのずから皇族待遇の慣例あり。概して欧州の法にならうべからずといえども、外交、日に熾旺なるに際し、彼我の権衡を得しむることまた必要なりとす……」

 日本の皇位継承とヨーロッパの王位継承を比較すると、ともに世襲でありながら大きく異なるのは、父母の同等婚という原則の有無です。

 たとえばイギリスやスペインで女子の王位継承を可能にしているのは、父母がともに王族だからで、女系子孫に王位が継承されれば王朝が交替し、新たな父系の継承が始まります。

 しかし日本の天皇は父母の同等婚を要求しない代わりに父系の皇族性を厳格に求めてきたのです。万世一系という原則上、女系が認められるはずはないからです。

 別ないい方をすれば、日本では臣家の女子が皇太子妃や皇后となる可能性が大いにあります。近代の日本はその場合、欧米列強に伍していくために、たとえ臣家の出身であったとしても皇族待遇とした歴史に学んで、皇后や皇太子妃を皇族扱いとし、近代の皇室制度を整備したものと思われます。

 宮内庁のHPも同じですが、政府の「論点整理」は「天皇皇后両陛下の御活動」として、「国事行為など」「行幸啓」「外国御訪問」などを説明し、「宮中祭祀」までが「両陛下の御活動」とされています。伝統的概念からの逸脱はいうに及ばず、現行憲法にも違反する疑いがあります。

 すでに指摘したように、たとえば平成24年2月、今上陛下がご入院されたとき、「見なし皇族」であるはずの皇后陛下がお一人で、フィジーなどに赴任する日本大使夫妻と「お茶」に臨まれ、3月には離任するペルー大使を「ご引見」になりました。

 その延長線上に、皇族身分を失った女性皇族による「皇室の御活動」の「御分担」論が生まれているのでしょう。

 そして、「まとめ」では、こう結論づけられています。

「象徴天皇制度の下で、皇族数の減少にも一定の歯止めをかけ、皇室の御活動の維持を確かなものとするためには、女性皇族が一般男性と婚姻後も皇族の身分を保持しうることとする制度改正について検討を進めるべきであると考える」


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』掲載の大礼使官制 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』掲載の大礼使官制
──平成の御代替わり「2つの不都合」 3
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 大正天皇の即位の礼・大嘗祭について解説を試みた赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)に、大礼使について、数ページにわたって説明しているので、紹介します。
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 赤堀はまず「大礼使」の概略を次のように説明しています。

「つつしみて按ずるに、即位の礼および大嘗祭の事務を掌るために大礼使をおかるる由は、登極令に見え、一昨年践祚のことありてのち大礼準備委員をおかれしが、昨年11月22日に大礼使の官制を公布せられ、即日任命ありたり。その官制によれば、総裁、長官、次官、参与官、事務官、典礼官などをおかるるなり。大礼使の任命とともに準備委員は罷(や)められたり」(漢字を開くなど適宜編集した。以下同じ)

 すでに述べましたように、登極令(明治42年2月)には、「大礼使」の規定がありました。

第5条 即位の礼および大嘗祭を行ふときは、その事務を掌理せしむるため、宮中に大礼使を置く

 大礼使官制は勅令第303号として、大正2年11月22日に公布されています。赤堀は下記のように、その全文を掲げています。

 長くなりますが、全文を引用します。

第1条 大礼使は、内閣総理大臣の管理に属し、即位の礼および大嘗祭に関する事務を掌る。
第2条 大礼使に、総裁1人を置く。
 総裁は、皇族のなかより、これを勅命す。
第3条 大礼使に、左の職員を置く。
 長官1人。次官2人。参与官若干人。事務官若干人。典礼官若干人。書記若干人。典礼官補若干人。
 前項職員のほか、必要あるときは、御用掛を置くことを得。
第4条 長官は、これを勅命す。
 次官、参与官、事務官および典礼官は、内閣総理大臣の奏請に依り、内閣において、これを命ず。御用掛を命ずるとき、また同じ。
 書記および典礼官補は、長官、これを命ず。
第5条 長官は、書部の職員を統括し、使務を総理す。
 長官事故あるときは、内閣総理大臣の指名したる次官、その事務を代理す。
第6条 次官は、長官を輔(たす)け、長官の定むるところにより、その分任の使務を掌理す。
第7条 参与官は、長官の命を承け、使務を輔く。
第8条 事務官は、上官の命を承け、事務を掌る。
 典礼官は、上官の命を承け、典式を掌る。
第9条 書記および典礼官補は、上官の指揮を承け、庶務および典式に関する事務に従事す。
第10条 長官は、親任官、次官および参与官は勅官任(ママ)、事務官および典礼官は奏任官、書記および典礼官補は判任官の待遇を受け、御用掛の待遇は各別にこれを定む。ただし、他の官職を有する者の待遇は、その官職につき受くる待遇に依る。
第11条 他の官職を有するに依り、大礼使職員を命ぜられたる者、その官職を退きたるときは退職す。
第12条 使務の処理に関する規定は、長官これを定む。

 附 則
 本令は、公布の日よりこれを施行す。

タグ:御代替わり
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「皇族」の概念が混乱している ──支離滅裂な「論点整理」 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「皇族」の概念が混乱している
──支離滅裂な「論点整理」 2
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第7節 支離滅裂な「論点整理」──変更された制度改革の目的意識


▽2 「皇族」の概念が混乱している
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 2つ目の混乱は、「皇室の御活動」とは何か、あるいは、「皇族」とは何か、です。もっといえば、「天皇」とは何か、です。

 今回の制度改革は「皇室の御活動」維持が目的ですが、2月の段階では、「皇室の御活動」について具体的な説明がまったくありませんでした。「両陛下のご負担」軽減を謳いながら、「両陛下の御活動」と「皇室の御活動」の関連についての説明もありません。

 そのためヒアリングでは、ご活動の具体的中味について、有識者の言及はほとんどなく、

「『権威』と『権力』を分離した象徴天皇制度は、我が国を安定させ、国民に深く根付いている」

「国民との強い信頼関係に基づき、国家、国民統合の象徴となっている」

「国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる要因となっている」

 などという抽象論にとどまっています。

 それが「論点整理」になって、ようやく具体的な「御活動」の中身が示されるようになりました。たとえば、こう書いてあります。

「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆をより強固なものとされてきておられる」

 驚いたことに、天皇の御公務と皇族の御活動が同列に論じられています。

「天皇陛下は、日本国及び日本国民統合の象徴として、憲法に定められた国事行為のほか、様々な御活動を通じて、国民との絆を深められており、天皇陛下を支える皇族方についても、皇室と国民の間をつなぐ様々な御活動を分担されている」

 これも同じです。天皇と皇族の違い、あるいは皇族の概念が混乱しているために、天皇の国事行為、天皇の御公務と両陛下の御活動、皇族の御活動の違いが不明確になり、その結果、女性皇族との安易な「御分担」論が展開されることになります。

 本来、皇族とは、皇統に連なり、皇位継承の資格を持つ血族の集まりを意味します。現行の皇室典範第5条は皇族の範囲を、

「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする」

 と定めていますが、これは、小嶋和司東北大学教授(故人)が指摘しているように、明治の皇室典範が本来、「皇族」ではないはずの、臣籍出身の后妃をも「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させ、その本質をぼやけさせてしまったことがいまに尾を引いています。

 歴史的に見れば、臣家出身の皇后や皇太子妃は皇族とは認められなかったようです。

 宮内庁書陵部が編纂した『皇室制度史料』には、古代の法体系である大宝律令では親王・王の配偶者は内親王・女王でないかぎり皇族とは認められなかったと推測される、とあります。

 日本書紀に載っている皇后の出自を見ると、仁徳天皇の皇后以降は皇女を通例としています。皇后の出自が皇女もしくは皇族に限られるとする慣習は、大宝律令以前に成立していたと考えられていますが、聖武天皇は新例を開き、その後、臣家の女子の立后が相次ぎました。

 けれども、江戸時代までは、臣家の女子は皇族に嫁したあとも皇族の範囲には入りませんでした。明治維新になって、つまり明治の皇室典範で、皇后や皇太子妃が皇族と称することが規定されたのです。

 皇后が陛下の敬称で呼ばれ、したがって天皇・皇后両陛下と併称されるようになったのも、明治の皇室典範が制定されてからのことです。古代においては、太皇太后、皇太后、皇后の三后、皇太子は殿下の敬称を用いることとされていました。

 また、明治の皇族身分令などで、皇后は大婚に際し、皇太子妃は結婚成約に際して勲一等に叙し、宝冠章を賜うことが定められました。

 皇后の崩御も古代においては必ずしも「崩」とは呼びませんでした。「崩御」と呼ぶようになったのは大正15年の皇室喪儀令以後であり、天皇と同じく追号を贈られるようになったのも近代になってからのことです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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皇室喪儀令と登極令の規定 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 2 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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皇室喪儀令と登極令の規定
──平成の御代替わり「2つの不都合」 2
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 平成の御代替わりでは、制度が整備されず、特別の組織もありませんでした。そのため官僚たちは、御代替わりという国家の重大事にもかかわらず、ひたすら眠い目をこすりつつ、毎日午前様の状態にならざるを得ませんでした。

 なぜそうなったのか。

 それは戦後70年間、皇室に関わる法制度が整備されなかったツケですが、それなら「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」(依命通牒第3項。昭和22年5月)に基づき、戦前の皇室喪儀令および登極令に準じて「大喪使」「大礼使」を設置すればいいものを、政府はそうはしなかったのです。

 皇室喪儀令は、永田忠興元掌典補が指摘しているように、「大正天皇が崩御になる2カ月前の大正15年10月に公布された、大正天皇の御大喪に合わせたようなものでしたが、当時の頭脳を結集して制度が作られました。けれども平成の御代替わりにはそれがありませんでした」。

 明治の皇室典範(明治22年2月)は「第二章 践祚即位」で、

第10条 天皇崩ずるときは皇嗣すなはち践祚し、祖宗の神器を承く
第11条 即位の礼および大嘗祭は京都において、これを行ふ

 と定め、さらに皇室喪儀令(大正15年10月)には、「大喪使」について、こう定められていました。

第5条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后崩御したるときは大喪儀に関する事務を掌理せしむるため、宮中に大喪使を置く
 大喪使の官制は別にこれを定む

 登極令(明治42年2月)も同様に、次のように「大礼使」について定めています。

第5条 即位の礼および大嘗祭を行ふときは、その事務を掌理せしむるため、宮中に大礼使を置く
 大礼使の官制は別にこれを定む
(原文は漢字片仮名交じりだが、適宜編集した)

 けれども、昭和から平成の御代替わりでは、「国の行事」とされ、内閣が主催した「大喪の礼」については、「大喪の礼委員会」(委員長は竹下登首相)が置かれましたが、即位礼・大嘗祭の事務を取り仕切る「大礼使」は設置されなかったのです。

 もとより昭和天皇の御大葬では、葬場殿の儀などは「国の行事」とされず、今上陛下の即位の礼・大嘗祭のうち、大嘗祭は「皇室行事」とされたのです。

 したがって、一貫して事務を掌握する「大喪使」「大礼使」が設置されるはずはなかったということでしょう。そのしわ寄せを職員たちは被ることになったというわけです。明治・大正の日本人の方が合理的、現実的ではなかったでしょうか。

タグ:御代替わり
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悠仁親王殿下の時代に飛んでいる ──支離滅裂な「論点整理」 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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悠仁親王殿下の時代に飛んでいる
──支離滅裂な「論点整理」 1
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
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 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第7節 支離滅裂な「論点整理」──変更された制度改革の目的意識


▽1 悠仁親王殿下の時代に飛んでいる
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 いわゆる「女性宮家」創設に関する「論点整理」がまとまり、平成24年10月5日、政府が公表しました〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html〉。

 けれども、議論がますますおかしいのです。

 第1点は、政府の問題意識です。

 平成24年2月の段階で、政府は、ヒアリングを実施する趣旨を、

「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることとなっていることから、今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下のご負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」

 と説明していました。

 つまり、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、

(1)皇室の御活動の安定的維持
(2)天皇皇后両陛下のご負担の軽減

 の2つで、緊急性が高いという認識を政府は持っていました。たしかに、ご高齢で、ご健康問題を抱えておられるのに、陛下の御公務はご負担軽減策の実施にもかかわらず、増えています。

 2月からの有識者ヒアリングでは、

(1)象徴天皇制度と皇室の御活動の意義について
(2)今後、皇室の御活動の維持が困難となることについて

 など6項目の質問事項が提起されました。最大のキーワードは「皇室の御活動」でした。

 園部逸夫内閣官房参与(元最高裁判事)はヒアリングの質問タイムでたびたび、こう繰り返しています。

「天皇陛下の大変な数の御公務のご負担をとにかく減らさないと。それは大変なご負担の中なさっておられるわけでして、そうした天皇陛下の御公務に国民はありがたいという気持ちを抱いていると思いますが、国民として手伝えるのは天皇陛下の御公務のご負担を減らすことなんです。そのためには、どうしてもどなたかが皇族の身分をそのまま維持して、その皇族の身分で皇室のいろいろな御公務を天皇陛下や皇太子殿下や秋篠宮殿下以外の方も御分担できるようにする。そして、減らしていくというのが最大の目的です」

 御高齢になった天皇陛下のご負担軽減なら、緊急を要します。

 ところが、「論点整理」では、別の問題にすり替わっています。

「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆をより強固なものとされてきておられる」

「他方、(皇族女子の皇籍離脱によって)皇族数が減少し、そう遠くない将来において皇室が現在のような御活動を維持することが困難になる事態が生じることが懸念される」

「とりわけ、悠仁親王殿下の御世代が天皇に即位される頃には、現行の制度を前提にすると、天皇の御活動を様々な形で支え、また、摂政就任資格を有し、国事行為の代行が可能な皇族がほとんどいなくなる可能性が高く、憂慮されるところである」(「問題の所在」)

 2月の段階では、

「天皇皇后両陛下のご負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」

 と説明していたのに、「論点整理」では、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来の問題に飛んでしまっています。

 これは「緊急性の高い問題」(「論点整理」)とはいえません。支離滅裂です。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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特別な組織の不設置と即位礼・大嘗祭の日程 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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特別な組織の不設置と即位礼・大嘗祭の日程
──平成の御代替わり「2つの不都合」 1
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 昭和から平成への御代替わりには、さまざまな不都合が指摘されています。直接、携わった宮内庁職員OBの証言もあります(「昭和天皇の忠臣」が語る「昭和の終わり」の不備──永田忠興元掌典補に聞く)=「文藝春秋」2012年2月号。聞き手は私です)。

 そのなかでとくに納得しがたいものとして、私の印象に残っているのは、特別の組織が設置されず、政府職員が日常業務と併行して、御代替わり諸儀礼に取り組んだこと、それと、即位礼の10日後に大嘗祭が行われるという日程について、元掌典補の永田氏が批判したことでした。

 前者については、永田氏はこう語っています。

「総体的に見ると、国および国民統合の象徴である天皇の御位が継承されるという歴史の節目にあって、諸行事が無原則に、場当たり的に、ご都合主義で行われたことです。
 戦前は皇室喪儀令という成文法がありました。大正天皇が崩御になる2カ月前の大正15年10月に公布された、大正天皇の御大喪に合わせたようなものでしたが、当時の頭脳を結集して制度が作られました。けれども平成の御代替わりにはそれがありませんでした。
 特別の組織も設けられず、宮内庁の職員は日常の業務をこなしながら、併行して御代替わりに関する仕事に従事することになりました。詳細な記録が作られなかったのはそのためです。職員は正直、ひたすら眠りたいという思いをこらえつつ、毎日午前様の状態が続きました」

 制度も作られず、特別の組織もない。そのため官僚たちは、御代替わりという国家の重大事について、眠い目をこすりつつ、関わらざるを得なかったのでした。

 どうしてそういうことになったのでしょうか。

 後者については、こうです。

「即位礼の10日後に大嘗祭が行われるという日程も、再考する必要がありそうです。
 昭和の御代替わりが行われたときもそうでした。京都御所で行われた紫宸殿の儀のあと、京都市内はどんちゃん騒ぎでした。天皇陛下の一世一度の重儀が行われる、もっとも静謐(せいひつ)が求められるときに、京都は喧噪の巷と化していたのです。
 即位礼と大嘗祭とを、もっと期間を空けるべきだ、と民俗学者の柳田国男が書いているのを読んだことがあります」

 なぜ「10日後」なのでしょうか。何か、決まりがあるのでしょうか。以前はどうだったのでしょうか。

 いずれも改めるべき点があるのなら、大胆に改めるべきです。過去はどうだったのか、少し考えてみたいと思います。
タグ:御代替わり
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「神学論争」を超えて ──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 8 [女性宮家創設論]

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「神学論争」を超えて
──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 8
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
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 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第6節 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──提唱者を標的にしない八木秀次高崎経済大教授の反対論


▽8 「神学論争」を超えて
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 最後に4点目です。

 園部参与に狙いを定めた八木教授の鋭い批判は、何をもたらしたでしょうか。

 女帝容認=「女性宮家」創設推進派に一撃を与えたことは確かでしょうが、辛辣(しんらつ)な批判は官僚たちの暴走を食い止められたでしょうか。推進論を反対論に転換させることができたでしょうか?

 痛罵は友情を生まず、敵対関係を深めます。感情的な対立は問題解決をもたらしません。

 たとえ天皇に刃向かう者とて、天皇の赤子(せきし)です。天皇はすべての民のため、「安かれ」と祈ります。「天皇無敵」。とすれば、敵を作る天皇・皇室論は自己矛盾です。

 八木教授は、園部参与が

「(皇位継承に関する)いわゆる男系女系論争はもはや神学論争の域に達しており」

 と「選択」24年1月号の巻頭インタビューで述べていることに対して、「揶揄(やゆ)」と批判しています。

 しかし、たとえば、すでに指摘したように、女系継承容認派が古代律令制の時代、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令(けいしりょう)」に

「女帝子亦同(女帝の子もまた同じ)」

 という規定があることに着目し、「女帝の子」も親王・内親王とされ、女系継承が認められていたと主張するのに対して、対極にあるはずの女系容認反対派もまた同様の読みと解釈を加え、「例外」規定だと苦しい説明をしています。

 一方、

「女(ひめみこ)も帝の子はまた同じ」

 と読むべきだという指摘もあります。つまり、天皇の兄弟、皇子と同様に、女子も(内)親王とする、と解釈すべきで、「女帝子亦同」は女性天皇の子孫についての規定ではないし、古代に女系継承が認められていた根拠とはならないというのです。同様の理解は古代史の専門家たちにもあるようです。

 園部参与がいう「神学論争」とは浮き世離れした、堂々巡りの論争という意味でしょうが、むしろ学問の未熟というべきでしょう。歴史論しかり、法律論しかりです。

 学問研究の一層の深まりこそ、緊急に求められています。「女性宮家」賛成派も反対派も、対立を超え、天皇・皇室論の学問的発展をともに目指すべきでしょう。皇室の弥栄(いやさか)を願うことについて変わりはないのです。天皇のお立場では、けっして敵ではありません。

 共同研究の実現に必要なのは、まず大局を見据えられる名プロデューサーの存在でしょうか。かつて「戦後唯一の神道思想家」と呼ばれた葦津珍彦(うずひこ)は、

「学問は一人でするものではない」

 という考えから、意見の異なる左翼研究者たちとの交わりをみずから進んで求め、天皇研究、歴史研究をみがき、親密な友誼を結びました。総合的な天皇・皇室論の深化には、学際的な協力が不可欠です。第2、第3の葦津珍彦が必要です。

 私は八木教授のリーダーシップに心から期待しています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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共通する立脚点 ──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 7 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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共通する立脚点
──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 7
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第6節 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──提唱者を標的にしない八木秀次高崎経済大教授の反対論


▽7 共通する立脚点
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 つまり、2点目として指摘されるのは、八木教授の「女性宮家」反対論は、皇室の歴史と伝統を重視するようでいて、じつのところ、園部参与と同じ「御活動」なさる近代的天皇・皇室論の立場に立っているように見えることです。

 歴代天皇は「御活動」なさるのではなく、国と民のために無私なる祈りを捧げることを、第1のお務めとして継承してこられました。祭祀王こそが天皇の本義です。125代の歴史的天皇制度の視点からは、つねにみずから行動し、積極的に社会的活動をなさる天皇・皇室論は生まれてこないはずです。天皇・皇族がとくに社会的活動に励まれるようになったのは、すぐれて近代的な現象といえます。

 政府サイドの園部参与が、「御活動」なさる近代的天皇論の立場から、「女性宮家」創設にコミットするのは何の不思議もありませんが、歴史に前例のない女系継承容認=「女性宮家」創設に反対を唱えているはずの八木教授自身がヒアリングの意見発表で、「女性宮家」を創設しなくても、内親王・女王の称号の継続と予算措置によって、「皇室の御活動」をサポートしていただくようにすればよい、と結論していることには、違和感を覚えずにはいられません。

 天皇の歴史と伝統を重んずるという立場なら、「皇室の御活動を安定的に維持する」という「女性宮家」創設の目的論に、むしろ批判の矛先が向けられるべきなのに、八木教授は問題性をまったく感じないかのように、最初から「皇室の御活動」維持論に与(くみ)しています。

「御活動」なさる近代的天皇論の立場に立つのなら、立脚点は「女性宮家」創設論者と変わりません。論理の一貫性を欠くことになります。行動する近代的天皇論の立場に立つのなら、立脚点は「女性宮家」創設論者と変わらないことになるでしょう。

 近代以前の天皇は文字通りの祭祀王でしたが、近代の天皇は祭祀王の側面と欧米列強に対抗できる立憲君主としての側面を併せ持っていました。現行憲法下の天皇にも両面がありますが、民主党政権下で進められた「女性宮家」創設は、いずれをも否定した非宗教的な名目的君主制度への変質を促しているように見えます。同時並行的に宮中祭祀が改変されていることからも明らかです。

 これに対して、八木教授の反対論は十分な抵抗力を発揮し得ていないようです。

「右手に憲法、左手に広辞苑」

 というジャーナリスティックな指摘では足りません。

 3点目は、これに関連して、「女性宮家」創設の目的が、「皇室の御活動」維持論から、天皇の「御公務」論に、政府関係者によって、しばしば言い換えられていることです。政府が手をつけたいのは天皇の「御公務」を制度化し、その一環として「女性宮家」を創設するということなのでしょうか?

 以前にも申し上げたように、憲法は天皇の国事行為については規定しています。けれども、「御公務」と呼ばれる陛下の公的な御活動は憲法に規定がないどころか、憲法には「天皇は国事行為のみ行う」と明記されています。まして皇族方の「御活動」は法的に定められているわけではありません。

 それでいながら、既述したように、たとえば陛下御不例中の24年2、3月、臣籍出身で、歴史的には「みなし皇族」というお立場の皇后陛下に、政府・宮内庁は、海外に赴任する日本大使夫妻との「お茶」、離任する外国大使の「ご引見」を設定しています。

「お茶」や「ご引見」は本来、天皇陛下が皇后陛下を伴われてなさる「御公務」であって、両陛下が共同でなさる「御公務」ではないはずですが、宮内庁のHPでは「両陛下の御活動」とされています。

 つまり、「上御一人」の「御公務」が、八木教授が指摘するように、戦後の憲法と戦後の常識とに立脚して、実態面においてすでに、「男女平等」「一夫一婦制」天皇制度に変質しています。皇室という「王朝の支配」に対する挑戦ともいえます。

 それなら、皇室の基本法である皇室典範を改正し、歴史的に存在しない「女性宮家」なるものをも創設してまで、維持しなければならない「皇室の御活動」とは、具体的に何でしょうか?

 八木教授は、皇位継承論に目を奪われ、より重要な議論を避けているようにさえ、私には見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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批判は諸刃の剣 ──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 6 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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批判は諸刃の剣
──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 6
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第6節 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──提唱者を標的にしない八木秀次高崎経済大教授の反対論


▽6 批判は諸刃の剣
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 八木教授は早くもヒアリングの数カ月前、「正論」24年4月号掲載のエッセイで、園部参与を

「皇室のことを慮っていると見せながら、じつのところ歴史的存在としての皇室を否定し、別物に仕立て上げようというのである」

 と名指ししています。

 八木教授の文章には、「文藝春秋」24年2月号に掲載された拙文「宮中祭祀を『法匪(ほうひ)』から救え」が引用されています。

 拙文は同じ号に掲載されている、「昭和天皇の忠臣」とも呼ばれた永田忠興元掌典補へのインタビュー(聞き手は私)とともに、皇室の歴史と伝統にそぐわない不都合がさまざまに生じた平成の御代替わりの問題点と今後の課題について、検証を試みたものでした。

 元掌典補はインタビューで、次のように証言しています。

──敗戦後、GHQは「宗教を国家から分離すること」を目的とする過酷な神道指令を発し、日本国憲法の施行に伴って皇室令が廃止されて、宮中祭祀の法的根拠が失われたけれども、「従前の例に準じて事務を処理すること」とする宮内府長官官房文書課長の依命通牒(いめいつうちょう)によって辛うじて祭祀の伝統は引き継がれたこと、ところが、昭和40年代ごろ、職員の世代交代が起こり、皇室の伝統より憲法の規定を重んじる考え方が蔓延し、祭祀が敬遠されるようになったこと、などです。

 かつて占領期の職員は皇室伝統の祭祀を守るために必死の努力を尽くしたが、戦後20年で高級官僚たちは血の滲むような先人たちの努力を踏みにじっている、その姿が「法匪」と表現され、インタビューについての私の解説記事に、編集部は「宮中祭祀を『法匪』から救え」という見出しをつけたのでした。

 八木教授は拙文を引用し、祭祀の激変と皇位継承問題とを対比させ、

「斎藤氏は『天皇より憲法に忠成を誓う「国家公務員」たちによって、皇室の伝統が断絶させられ、天皇の祭祀が激変した』と述べているが、皇位継承の問題でも皇室の伝統よりも憲法に忠成を誓う園部氏のような『法匪』によって『世襲』の意味が大きく変えられようとしている」

 と発展させています。

 八木教授の論考のタイトルである「憲法で皇室解体を謀る『法匪』園部逸夫」は、明らかに拙文が下敷きになっています。

 拙文が著名な憲法学者から注目されるのはありがたいことですが、園部参与を、祭祀の伝統を断絶させ、天皇を非宗教的な名目上の国家機関化とし、皇位継承の大原則をも激変させようとする、天皇より現行憲法に忠実な「法匪」の中心的存在と見定めることは、適切とはいえません。

 さらにいえば、です。

 言論は自由であり、批判も自由ですが、八木教授の舌鋒鋭い批判は、諸刃の剣ともなり得ます。

「皇室の存続こそ第一」と口走る園部参与の「皇室」とはもはや歴史や伝統から切り離された存在でしかない、という参与への批判は、そのまま教授自身に向けられているように私には見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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論争すべき相手は園部参与ではない ──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 5 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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論争すべき相手は園部参与ではない
──もっと聞きたい、園部参与との丁々発止 5
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬという思いから、組織も資金もないなか、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。現状では悪しき先例が踏襲されるに違いありません。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を心から求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第6節 もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──提唱者を標的にしない八木秀次高崎経済大教授の反対論


▽5 論争すべき相手は園部参与ではない
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 指摘したいのは、つぎの4点です。

(1)なぜ園部参与が論争の標的にされなければならないのか?
(2)八木教授の立脚点は歴史的天皇論なのか否か?
(3)「皇室の御活動」とは何を指すのか?
(4)鋭く批判することが問題の解決に結びつくのか?

 まず、(1)についてですが、園部参与を批判の標的にすることは適切ではありません。同じ法律家として、園部参与の憲法論・皇室論が気になるだろうことは理解できますが、園部参与が「女性宮家」創設の提唱者と見ることは躊躇(ちゅうちょ)されます。

 このことについては、第一章で詳しく検証したつもりです。

 園部氏が政府部内の非公式検討に加わったのは、11年4月のようです。皇室法をテーマとする第2期研究会が始まったのです。園部氏は約10年にわたる最高裁判事の職から離れたばかりでした。

 もともと行政法が専門だったらしい園部氏が、畑違いとも思える「皇室法」に挑戦し、この分野ではほとんど唯一の学術書といえる『皇室法概論』を著したのは、14年のことです。16年12月に発足した皇室典範有識者会議では座長代理となり、24年1月、「女性宮家」検討担当内閣官房参与に就任したのでした。

 つまり、園部氏は、女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設の提唱者なのではなくて、法的整合性を確保するためにあとから駆り出された側なのでしょう。

 繰り返しになりますが、陛下の御在位20年をひかえて、宮内庁は御公務御負担軽減に取り組み、平成20年11月の御不例で軽減策は前倒しされました。

 しかし軽減策にもかかわらず、御公務は少なくとも日数において、逆に増えました。文字通り激減したのは、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践してこられた宮中祭祀でした。

 祭祀簡略化を陛下に進言したのは、渡邉允前侍従長ら側近でした。

 一方、皇室典範改正に執念を燃やしたのが羽毛田宮内庁長官でした。けれども「女性宮家」創設論を積極的にリードしたのは、羽毛田長官ではありません。むろん園部参与でもなく、祭祀簡略化を進言した渡邉前侍従長でした。

 女系継承容認論と「女性宮家」創設論が一体なら、祭祀簡略化もまた表裏の関係といえます。天皇の聖域に干渉し、祭祀を「私事」に貶めて天皇を非宗教化したうえで、名目上の国家機関とし、現行憲法的な「1・5代」象徴天皇制度の安定を図るという構図が浮かんできます。

 21年11年12日に政府主催の御在位20年記念式典が挙行されましたが、これを前にして、日経新聞の連載に掲載された前侍従長のコメントこそ、「女性宮家」創設論議の狼煙でした。

「女性宮家」創設の提唱者は羽毛田長官ではなく、まして園部内閣参与でもなく、渡邉前侍従長であることが分かります。

 八木教授が狙いを定めて論争を挑むとすれば、相手は園部参与ではありません。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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