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〈第2期〉非公式検討から公式検討へ ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈第2期〉非公式検討から公式検討へ
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第3節 〈第2期〉非公式検討から公式検討へ

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 皇太子殿下の御結婚から10年が過ぎましたが、男子はお生まれにならず、ほかならぬ皇太子殿下から「人格否定」発言が飛び出す状況にさえなりました。政府の皇室典範改正は非公式検討から公式検討に移り、「女性宮家」は一般マスコミ、論壇のテーマとなりました。皇室典範有識者会議が発足し、女性天皇・女系継承を容認する報告書がまとめられましたが、「女性宮家」の表現は消えました。

 16年5月10日、皇太子殿下が欧州歴訪前の記者会見で「人格否定」発言。
 皇太子殿下のご発言は、奇しくも、政府が極秘文書をとりまとめた当日でした。

 同日、政府の非公式検討会が女性天皇・女系継承容認の極秘文書をまとめる。

 同年7月、「週刊朝日」7月9日号の「お世継ぎ問題 結婚しても皇籍離脱しない道 雅子さま救う『女性宮家』考」に、所功京都産業大学教授のコメントが掲載される。

 同月、内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けた準備を開始。

 同月、民主党が参議院選のマニフェストに女性天皇容認の方針を掲載。
「『日本国の象徴』にふさわしい開かれた皇室の実現へ、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とする」

 同月、「Voice」2004年8月号に所教授の論考「“皇室の危機”打開のために──女性宮家の創立と帝王学──女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」。

 同年12月、皇室典範に関する有識者会議が発足。座長は吉川弘之元東京大学総長、座長代理は園部逸夫元最高裁判所判事。メンバーに古川貞二郎前内閣官房副長官。

 17年6月8日、同有識者会議ヒアリングで、所功教授が「女性宮家」創設を提案。
「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」
 本論では触れませんでしたが、この日、高森明勅拓殖大学客員教授もまた「女性宮家」に言及しています。
「かりにそれらの旧宮家の方々が御同意をなさって、例えば、女性宮家に入られる、あるいは廃絶に瀕している宮家を継承されるというようなことが選択肢として実現した場合でも……」

 同月30日、同有識者会議の意見交換で「女性宮家」に関する発言があった。
「少なくとも皇族女子が婚姻後も皇籍にとどまる可能性について検討する必要があるのではないか」
「女性天皇・女系天皇を可能とした場合に、長子優先か兄弟姉妹間男子優先かということと、女性宮家を認めるかどうかということが、今後の検討のポイントになるのではないか」

 同年7月26日、有識者会議が中間報告としての論点整理。「女性宮家」の表現が消える。
 けれども、「読売新聞」7月28日付社説は、「天皇の直系子孫でも、長子を優先させるか、兄弟姉妹間では男子が優先か、という皇位継承順位や、女性宮家の創設の在り方など、難問が控えている」と書き、「女性宮家」の議論が続いていることをうかがわせます。

 同年11月15日、紀宮(のりのみや)清子(さやこ)内親王殿下が帝国ホテルで結婚式。皇籍を離脱。

 同月24日、皇室典範有識者会議が女性天皇・女系継承容認の報告書を提出。報告書に「女性宮家」は表現としては掲載されなかったが、婚姻後も皇室にとどまるという中味は文章化された。
 鳩山由紀夫民主党幹事長は「開かれた皇室への思いを大事にすべきで、典範の改正も視野に入れて、国民の側に立った、国民が期待する、国民の象徴としての天皇、天皇家のあり方を議論していただきたい」と評価しました。

 同月25日付「読売新聞」に所功教授の感想が掲載された。
「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」

 18年1月20日、小泉首相が施政方針演説で皇室典範改正案の提出を明言。
「象徴天皇制度は、国民の間に定着しており、皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」

 一般には「女性宮家」創設論は平成23年秋ごろ、急速に浮上してきたように見られていますが、そうではありません。
 逆に、女帝容認・女系継承を容認する皇室典範改正と一体のかたちで、「女性宮家」創設が10数年もの間、政府部内で公式、非公式に議論されてきたのだとすれば、「女性宮家」創設論の浮上は女性天皇・女系継承容認論の再浮上を意味することになります。
 つまり、渡邉允前侍従長ほか、政府関係者が主張していた「切り離し」論はまったくあり得ません。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第2節 〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始

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 今上天皇の第2皇子、文仁親王殿下(秋篠宮)が昭和40(1965)年にお生まれになって以来、男子皇族が久しく御誕生にならず、皇太子殿下の次の代の皇位継承者の候補がおられないという「皇統の危機」を背景に、政府内で皇室典範改正研究が潜行しました。当時のテーマはあくまで皇位継承論ですが、じつは「女帝」容認論と軌を一にして、「女性宮家」創設が検討されたのでした。

 平成2年6月29日、礼宮親王殿下御結婚の儀。秋篠宮家の創設。

 3年10月、秋篠宮殿下第1女子、眞子(まこ)内親王御誕生。

 5年6月9日、皇太子殿下御結婚の儀。

 6年12月、秋篠宮殿下第2女子、佳子(かこ)内親王御誕生。

 7年9月、自民党総裁選に立候補した小泉純一郎議員(のちの首相)は、公開討論で女性天皇容認を打ち出す。

 8年、鎌倉宮内庁長官の指示で、宮内庁内で皇位継承に関する基礎資料の整理・作成が開始された(阿比留産経新聞記者の記事)。

 9年4月、内閣官房の協力により、工藤敦夫元内閣法制局長官を中心に、古川貞二郎内閣官房副長官、大森政輔内閣法制局長官らが研究会、懇話会を設置した。第1期は皇室制度に関する非公式研究会(〜11年3月)。

 10年6月、総合情報誌「選択」6月号「『皇室典範』改定のすすめ──女帝や養子を可能にするために」が「女性宮家」にも言及。
「皇族女子は結婚すれば皇族の身分から離れるが、これを改め天皇家の長女紀宮(のりのみや)が結婚して宮家を立てるのはどうか。そこに男子が誕生すれば、男系男子は保たれることになる」
内親王の子孫はもはや男系ではないのに、男系と言い切る議論が当時は行われていました。そのように言いくるめようとする勢力があったということでしょうか。

 11年4月、政府内で、皇室法について、第2期研究会(〜12年3月)。園部逸夫元最高裁判事が新たに参加した。

 同年12月、高森明勅『この国の生い立ち──あなたは『天皇』の起源を知っていますか?』(PHP研究所)に女帝容認論をいち早く展開。新進気鋭の皇室研究者による問題提起だった。

 同月10日、朝日新聞が「雅子さま、懐妊の兆候。近く詳細な検査」をスクープ報道。けれども結局、流産の悲劇を招くことになった。
「皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候が見られることが9日、明らかになった」

 12〜15年、政府内で資料整理。宮内庁長官、次長に随時報告。

 13年4月、第1次小泉内閣が発足。

 同年12月、皇太子殿下第1女子、愛子内親王御誕生。

 14年2月、「文藝春秋」3月号、森暢平記事「女性天皇容認! 内閣法制局が極秘に進める。これが「皇室典範」改正草案──女帝を認め、女性宮家をつくるための検討作業」
この記事は、メディアが記事のタイトルに「女性宮家」という表現を用いた初例と見られます。

 15年5月、内閣官房、内閣法制局、宮内庁が共同で皇位継承制度改正を非公式検討(〜16年6月)。

 16年5月10日、政府の非公式検討会が女性・女系天皇容認を打ち出した極秘文書「皇位継承制度のこれからのあり方について」をまとめる(「産経新聞」18年2月17日)。
「皇位継承資格を男系の男性に限定する現行の制度では、象徴天皇制度が維持できず、皇位継承資格を女性にも認めるべきだ」

 結局のところ、検討会に関わった政府関係者たちには、千数百年を超える皇統がなぜ男系男子によって継承されてきたのか、天皇の祭祀のお務めがなぜ男系男子によって受け継がれてきたのか、天皇はなぜ「祭祀王」とされてきたのか、「祭祀王」とは何か、が理解できなかったのでしょう。理解しようともしなかったのではありませんか。現代的に解説できるアカデミズム、議論を喚起するジャーナリズムの不在も影響しています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会をえました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3

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 44年12月、入江相政侍従長が祭祀の「簡素化」を昭和天皇に提案。

「お上に歳末年始のお行事のことにつき申し上げる。四方拝はテラス、御洋服。歳旦祭、元始祭は御代拝。他は室内につきすべて例年通りということでお許しを得、皇后様にも申し上げる」(入江日記12月26日)

侍従長へ一気に駆け上がった入江相政は、異常な執念で祭祀の「簡素化」(入江日記)を開始しました。これが昭和の祭祀簡略化であり、皇室行事の無法化の始まりです。

 45年11月23日、新嘗祭が「夕(よい)の儀」のみ親祭となる。

 49年11月、昭和天皇の伊勢神宮行幸に際して、昭和21年以来、中止されていた剣璽御動座が復活。

入江侍従長は「おれの眼の黒いうちは復活させない」と暴言を吐いていたようです。11月8日の日記に入江はこう書き込みました。

「剣璽も御無事でよかったがくだらないことだった」

 50年8月15日、宮内庁長官室会議で、毎朝御代拝の改変などが決まる。

毎朝御代拝は侍従が烏帽子、浄衣に身を正し、宮中三殿の殿内で拝礼する形式から、洋装のモーニング・コートで庭上から拝礼する形式に変わりました。皇室の伝統より、憲法の解釈・運用が優先された結果でした。

 64(平成元、1989)年1月7日、昭和天皇が崩御。今上天皇が践祚。

践祚(せんそ)から即位大嘗祭まで、御代替わりの一連の行事が行われるのに際して、政府は、憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統を尊重し、内閣の責任において、といいつつ、実際は、「皇室の伝統」と「現行憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、結局、千年以上にわたる皇室の伝統が断絶されました(拙文「宮中祭祀を『法匪』から救え」=「文藝春秋」2012年2月号)。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会をえました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2

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 34年1月16日、皇太子(今上陛下)御成婚について、政府は「国の儀式」として結婚の儀、朝見の儀、宮中祝宴の儀を行うことを決定。
国立公文書館は平成21年秋に、天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環として、特別展示会を開催しました。公文書館のHPには再構成された「デジタル展示」が掲載され、このなかに御結婚の儀を「国の儀式」として行うことを決めた文書が載っています〈http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/gozaii/〉。
以下、デジタル文書館の資料をできるだけ忠実に再現したいと思います。
資料は4点あり、1点目は岸総理から昭和天皇への上奏文書で、内閣の事務用箋に筆文字で、以下のように書かれ、昭和天皇が承認されたことを示す、赤い印が押されているのがうっすらと見えます。原文は縦書きです。

 皇太子結婚式における国の儀式について
右慎んで裁可を仰ぐ。
  昭和三十四年一月十六日
   内閣総理大臣 岸 信介(内閣総理大臣印)


 2点目は、閣議の資料です。やはり筆文字です。

 総甲第一号
起案昭和三十四年一月十四日
閣議決定昭和三十四年一月十六日
施行 年 月 日
上奏昭和三十四年一月十六日
公布 年 月 日
御下付(朱印)昭和〃年一月十六日

内閣総理大臣(花押) 内閣官房長官(花押) 内閣参事官(朱印) 法制局長官 内閣官房副長官(朱印)
愛知国務大臣(花押) 坂田国務大臣(花押) 寺尾国務大臣(花押) 伊能国務大臣(花押) 藤山国務大臣 三浦国務大臣(花押) 倉石国務大臣 世耕国務大臣(花押) 佐藤国務大臣(花押) 高碕国務大臣(花押) 遠藤国務大臣(花押) 山口国務大臣(花押) 橋本国務大臣(花押) 永野国務大臣(花押) 青木国務大臣(花押)
別紙内閣総理大臣請議
 皇太子結婚式における国の儀式について
右閣議に供する。
 なお、本件は日本国憲法第七条の儀式に関するものであるので、閣議決定の上は、上奏することといたしたい。
指 令 案
「皇太子結婚式における国の儀式について」は、請議のとおり。

 3点目は、宮内庁の資料のようで、宮内庁事務用箋に仮名タイプで記されています。

  皇太子結婚式における国の儀式について
一 皇太子明仁親王殿下の結婚式における結婚の儀、朝見の儀及び宮中祝宴の議は、国の儀式として行う。
二 右の諸儀を行う時期は、昭和三十四年四月中旬を目途とし、場所は、皇居とする。
三 儀式の日時及び細目は、宮内庁長官が定める。

 最後は参考資料です。資料は2つで、1つは儀式一覧表で、もうひとつは参照される条文です。事務用箋ではなく、「資料一」は赤茶けたわら半紙に謄写版印刷されたもののようで、「資料二」は仮名タイプと思われます。「資料一」は結婚の儀の期日が抜けていますので、期日が決定される前に作成されたものと考えられます。

資料一
  皇太子明仁親王殿下の結婚儀式一覧
 挙 行 案
諸儀名(説明。期日。旧皇室親族令附式事項)
一 成 約
1、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に勅使発遣の儀(天皇が神宮山陵に成約報告のため、お使を命ぜられる。昭和三十四年一月十二日。神宮神武天皇先帝先后山陵に勅使発遣の儀)
2、納采の儀(皇太子のお使が后となる方の邸に至って、いわゆる結納を行う。一月十四日。納采の儀)
3、賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀(皇太子が宮中三殿に成約を奉告される。同日。賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀)
4、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に奉幣の儀(天皇のお使が神宮山陵に御幣物を奉り、成約を奉告する。同日。神宮神武天皇先帝先后山陵に奉幣の儀)
  (勲章を賜うの儀。斎藤吉久注、このときは期日が変更されたらしい)
  (贈剣の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
二 告 期 の 儀(天皇のお使が結婚の儀を行う期日を后となる方に伝える。結婚の儀の約 二週間前。告期の儀)
  (贈書の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
三 結 婚 諸 儀
 1、賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀(皇太子に代って東宮侍従が結婚の儀を行うことを宮中三殿に奉告する。 月 日。賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀)
〇2、結婚の儀(皇太子、同妃が結婚の誓をされる。 同 日。后氏入宮の儀。賢所大前の儀)
 3、皇霊殿神殿に謁するの儀(皇太子同妃が皇霊殿神殿に結婚を奉告される。 同 日。皇霊殿神殿に謁するの儀)
  (皇太子妃に勲章を賜う。同 日)
〇4、朝 見 の 儀(皇太子同妃が天皇皇后にあいさつをされる。 同 日。参内朝見の儀)
 5、供 膳 の 儀(皇太子同妃が初めてお膳を共にされる。 同 日。供膳の儀)
 6、三箇夜餅の儀(皇太子同妃にお祝いの餅を供する。 同 日から三日間三箇夜餅の儀)
〇7、宮中祝宴の儀(皇太子同妃の結婚御披露の祝宴。約三日間。宮中饗宴の儀)
四 神宮神武天皇 大正天皇貞明皇后 山陵に謁するの儀(皇太子同妃が神宮山陵に結婚を奉告される。結婚の儀後適宜の月日。神宮神武天皇並びに先帝先后山陵に謁するの儀)
 備考 〇印は国の儀式として行うものを示す。

資料二
  参照条文
 日本国憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 十 儀式を行ふこと。

 閣議の資料には「憲法第7条の儀式に関する」とありますから、天皇の国事に関する行為の1つとしての「儀式」であり、「国の行事」としての儀式=「天皇の国事行為」としての儀式と考えられていることが想像されます。宮内庁のHPが「国事行為たる儀式」と記述しているのは、そのためでしょう。

 ともかく、占領期以来、祭祀は「皇室の私事」とされてきたことからすれば、賢所大前での結婚の儀が、「国の行事」とされたことは時代を画するものでした。また、皇室親族令に準じて行われているのは、依命通牒第3項に沿ったものと思われます。

 ただ、惜しむらくは、皇太子御成婚の全体が「国の行事」とされず、諸行事が因数分解され、「国の行事」とそうでないものとに二分されたことです。

 のちに昭和から平成への御代替わり当時、政府が、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが憲法の「政教分離」原則に反するとして、国の行事と皇室行事とを二分し、挙行したことの先駆けのように見えます。

 皇太子御成婚は、占領期にゆがめられた宮中祭祀を、正常化に向けて大きく前進させたはずなのに、逆にその後の揺り戻しの出発点ともなっているように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった

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 いわゆる「女性宮家」創設論議の歴史的経緯を、年表風にまとめて、振り返ってみたいと思います。なお、これは「産経新聞」平成18年2月17日付3面に掲載された一覧表「皇室をめぐる最近の主な出来事」を参考にしています。

 阿比留瑠比記者による、この日のスクープは、平成8年に宮内庁内で皇位継承制度に関する基礎資料の作成が始まり、政府の非公式検討会がすでに16年5月に女性天皇・女系継承容認を打ち出していたことなどを明らかにしました。

 阿比留記者の場合は皇位継承論がテーマですが、以下の年表は、戦後の皇室関係史全体を俯瞰し、とくに宮中祭祀と「女性宮家」創設論に焦点を当て、組み立て直したものです。


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで


▢昭和20(1945)年7月26日、ポツダム宣言

「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」

▢同年8月15日、玉音放送。
「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

▢同年10月6日、アメリカ国務省のヴィンセント極東部長がラジオ放送で対日占領政策をアメリカ国民に説明。
「日本政府に指導され、強制された神道ならば廃止されるだろう」

▢同年12月15日、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の禁止に関する件」)が発令される。
「本指令ノ目的ハ宗教ヲ国家ヨリ分離スルニアル」。
 指令は過酷で、神道に対する差別的圧迫が加えられました。
「(神道指令発令で)わが国における祭祀は(伊勢)神宮・皇室・各神社とを問わず、すべて宗教行為としてこれを官辺にて管理することを一切禁じたのである。まさに有史以来の一大変革と申さねばならぬ」(八束清貫「皇室祭祀百年史」)
 宮中祭祀は「皇室の私事」とされ、存続しました。

▢昭和21年1月1日、いわゆる「人間宣言」。
「朕(ちん)ト爾等(なんじら)國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信?ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳?トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ」〈http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056_001r.html〉。

▢同年7月12日、GHQのバンス宗教課長が教育課長宛文書で、学校での教育勅語の奉読を禁止。
「もっともリベラルな解釈をしたとしても、新憲法の精神に反している。教育勅語は、たぶん歴史的史料として取り扱う大学レベルを除き、公立学校で奉読されるべきでないし、教科書にも掲載すべきでない」

▢同年10月8日、文部省が教育勅語の奉読を禁止。
「式日等において従来、教育勅語を奉読することを慣例としたが、今後は之を読まないこととする」(発秘第三号、文部次官通牒)

▢昭和22年5月3日、日本国憲法、皇室典範が施行。旧皇室典範、皇室令が廃止。宮内庁は宮内府(宮内庁の前身)となり、内閣総理大臣所轄の機関に代わった。祭祀を担当する掌典職は官制を離れ、職員は内廷費で雇われる内廷の職員となった。
 以前は、大日本帝国憲法を頂点とする国務法の体系とは別に、皇室典範を根拠とする、皇室に関係する宮務法の体系があり、たとえば明治以降、近代的に整備された宮中祭祀は皇室祭祀令(明治41年)によって明文化されていました。
 日本国憲法施行に伴い、皇室典範、皇室令は廃止され、天皇の祭祀は明文法的根拠を失いました。新しい皇室典範は新憲法に基づき、一般の法律として制定されました。宮務法の体系が国務法に一元的に吸収され、失われたのです。
 けれども、新憲法施行と同じ日に、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒(皇室令及び付属法令廃止に伴い、事務取扱に関する通牒)によって、祭祀令に定められた祭祀の伝統は守られました。

▢23年6月19日、衆議院本会議が「教育勅語等排除に関する決議」を全会一致で可決。
「民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである」

▢同日、参議院本会議が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議。
「われらは、さきに日本國憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが國家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に拂拭し、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかりわれらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の眞の権威の確立と國民道徳の振興のために、全國民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する」

▢26年6月、貞明皇后大喪儀。皇室喪儀令に準じて行われ、国費が支出され、国家機関が参与した。
 占領後期になると、神道指令の解釈・運用は厳格主義から限定主義に変更されましたが、宮中祭祀は「皇室の私事」という位置づけを克服できませんでした。
 斂葬当日の22日、全国の学校で「黙祷」が捧げられました。政府は、当日に官庁等が弔意を表することを閣議決定し、文部省は「哀悼の意を表するため黙祷をするのが望ましい」旨、次官通牒を発したのですが、その数日後、「日本の学校で戦前の国家宗教への忌まわしい回帰が起きた。生徒たちは皇后陛下の御霊に黙祷を捧げることを命令された。キリストに背くことを拒否した子供たちはさらし者にされた」と訴えるアメリカ人宣教師の投書がニッポン・タイムズ(現ジャパン・タイムズ)の読者欄に載ったのをきっかけに、新聞紙上で宗教論争が始まりました。

▢27年4月28日、サンフランシスコ条約発効。日本が独立回復、神道指令は失効。
 しかし「宮中祭祀は天皇の私事」とする憲法解釈はその後も超えられませんでした。
 調印日にふたたび学校で「黙祷」「宮城遥拝」が実施されると、アメリカ人宣教師が「また命令された。新憲法は宗教儀式の強制を許すのか」と再抗議し、紙上論争は10月半ばまで続きましたが、GHQは宣教師たちの立場を擁護しませんでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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縄文人以来の和の精神 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
縄文人以来の和の精神
──憲法理論は法廷闘争の方便か 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽4 縄文人以来の和の精神

koukyo01.gif
 靖国問題はいつの時代にも、キリスト教信仰者に限らず、靖国神社参拝に限らず、熱心な信仰者ほど、起こりえます。それなら諸宗教の共存を図るにはどうすればいいのか、解決のための知恵が、天皇の祭祀に秘められています。

 米と粟を捧げる天皇の祭祀は、その起源をさかのぼれば、おそらく縄文人の自然崇拝と弥生人の稲作信仰とを引き継ぐものでしょう。両者が対立せず、抗争もせずに共存できるのは、自然の猛威と争わずに共存する縄文人の自然観が、和の心として日本人の精神を形成し、現代に引き継がれてきたからではないしょうか?

 稲作民の米と畑作民の粟を捧げる天皇の祭祀こそ、崇高な日本の精神的な伝統そのものです。古来、信教の自由を保障する要であり、天皇の祈りの存在があればこそ、日本では深刻な宗教対立を経験することなく、宗教的共存が図られてきたのだと思います。

 これに対して、一神教世界ではまったく異なります。

 上智大学の設立母体イエズス会の総本山とされ、「東洋の使徒」フランシスコ・ザビエルの切断された右腕とロヨラの遺骸が安置されるローマのジェズ教会の聖堂には、天使が悪魔を踏みつけている大理石の彫像があり、悪魔には「カミ、仏、阿弥陀、釈迦」とラテン語で刻まれているそうです。

 異端を弾圧し、魔女裁判を行い、異教徒を殺害し、異教世界を侵略し、異教文化を破壊してきたのが、一神教世界です。

 キリスト教世界の国王が、あるいは大統領が、国民のなかにイスラム教徒がいたとしても、そのためにイスラムの神に祈ることはあり得ません。一神教なら当然です。

 けれども日本の天皇は違います。日本の多神教的、多宗教的文明は一神教世界とは異なるのです。

 たとえば、「キリシタン迫害」が過酷さを増した将軍徳川家光の時代、天皇がおられる京の都では八坂神社の祭礼・祇園祭に、驚くなかれ、旧約聖書の物語をデザインした、ヨーロッパ舶来のタピストリーが山鉾の前掛けにされ、都大路を巡行していました。

 一神教世界の政教分離論と同列に、天皇の祭祀を論ずるべきではありません。

 宮中祭祀=「皇室の私事」、大嘗祭=宗教的儀礼とするような百地先生流の政教分離論を学問的に克服していく必要がありそうです。そのためには縦割りの学問に安住せず、関連する学問研究の総合的な深化が求められます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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「双方に死者は出たか?」 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「双方に死者は出たか?」
──憲法理論は法廷闘争の方便か 3
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽3 「双方に死者は出たか?」

koukyo01.gif
 大学時代のサークルの先輩に、危機管理の専門家として知られる佐々淳行初代内閣安全保障室長がいます。

 佐々さんは昭和44年の東大安田講堂事件の警備を指揮し、そのときの体験を『東大落城──安田講堂攻防七十二時間』に記録しています。

 私が興味を持ったのは、昭和天皇のエピソードです。

──安田講堂の攻防が決着したあと、秦野章警視総監が内奏のため参内した。昭和天皇から御嘉賞のお言葉があれば、機動隊員の士気昂揚につながると期待されたが、帰庁した秦野氏はけげんそうな表情を浮かべていた。
「天皇陛下ってえのはオレたちとちょっと違うんだよなァ。……『双方に死者は出たか?』と御下問があった。幸い双方に死者はございませんとお答えしたら、たいへんお喜びでな、『ああ、それは何よりであった』と仰せなんだ」

 これを、加藤雅信名古屋大学教授(当時。民法)は『天皇−昭和から平成へ。歴史の舞台はめぐる(日本社会入門1)』のなかで、昭和天皇はすべての国民を赤子(せきし)ととらえ、機動隊と学生の攻防をまるで自分の息子の兄弟ゲンカのように見ておられた、というように解説していますが、同感です。大学闘争の闘士もまた天皇の赤子なのです。

 すべての民のために、公正かつ無私なる祈りを捧げてこられたのが、天皇です。たとえ刃向かうものであろうと、一様に祈りを捧げるのが天皇です。「天皇無敵」です。

 日本列島には古来、さまざまな民がおり、さまざまな暮らしがあります。さまざまな神がいます。天皇は、稲作民の米と畑作民の粟を、皇祖神のみならず天神地祇に捧げ、国民統合の祈りを捧げられます。古代においては仏教の守護者となり、近代以降はキリスト教の社会事業を支援する最大のパトロンでした。

 既述したように、昭和7年に上智大学生靖国神社参拝拒否事件が起きました。カトリック修道会のイエズス会が設立し、経営する同大学で、配属将校が学生を引率して靖国神社に行軍したとき、信徒の学生が参拝しなかったことから、やがてマスコミを巻き込み、大騒動に発展したとされる事件です。

 今日の教会指導者は、この事件を教会への「軍部と世論による迫害」(「非暴力による平和への道」カトリック中央協議会、2005年)などと呼んでいますが、事件の渦中にいた丹羽孝三幹事(学長補佐)の回想(『上智大学創立60周年──未来に向かって』1963年所収)によると、真相はまったく異なります。

 とはいえ、事件が唯一神を信仰する信徒にとって深刻な信仰問題を提起したことは確かでした。

 陸軍省がホフマン学長の出頭を求めてきたのに対して、代わって丹羽が小磯国昭大将(陸軍次官)に面会し、そのとき以下のような会話があったようです。

小磯「陛下が参拝する靖国神社にカトリック信徒が参拝しないのは不都合ではないか?」
丹羽「閣下の宗旨は何ですか?」
小磯「日蓮宗です」
丹羽「それなら本願寺(浄土真宗)や永平寺(曹洞宗)に参拝しますか?」
小磯「他宗の本山には参りません」
丹羽「しかし陛下は参拝されます」

 以上のような問答が続いたあと、

「僕の書生論は取り消します」

 と小磯は抗議を取り下げたのでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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異なる価値観を排除する矛盾 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
異なる価値観を排除する矛盾
──憲法理論は法廷闘争の方便か 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽2 異なる価値観を排除する矛盾

koukyo01.gif
 しかしこれは大きな矛盾です。

 政教分離は

「信教の自由を保障するための制度である」

 というからには、憲法以前の問題として、信教の自由が脅かされかねない社会的な現実があるということです。

 1つの神、1つの信仰だけがあるというのではなくて、複数の神々と複数の信仰が社会に同時に存在する状況があるということです。

 神が異なれば、食べ物も飲み物も、着るものも、住む家も異なります。コミュニティも異なります。あいさつの言葉、立ち居振る舞い、気性も匂いも異なり、したがってコミュニティ同士の争いごとも起こります。

 日本社会では気がつきにくいことですが、東南アジアやインド世界に行けば、それはまさに現実です。

 その現実を克服する1つの方法は、力ずくで強権的に、完全に1つの神、1つの信仰に改宗させると同時に、異教や異端を排除することですが、かえって国内外に対立抗争をもたらすことは自明です。

 たとえば日本では、キリスト教伝来後、九州の大名たちは南蛮貿易をエサに貿易を釣ろうとし、宣教師は貿易をエサにキリスト教を釣ろうとして虚々実々の駆け引きが展開されました。

 領民の多くが事実上、強制的に改宗させられ、神社仏閣のほとんどが破壊され、それがやがてバテレン追放、禁教、そして迫害の時代の序曲となります(松田毅一『南蛮のバテレン』など)。

 ヨーロッパのキリスト教世界では、血で血を洗う悲惨な歴史を経て、逆に、複数の信仰のそれぞれの価値を同等に認め、すべての人々が平安な精神生活を送れるように、国家は特定の宗教との結びつくのではなくて、国民の信教の自由を保障しなければならない、という考え方に到達したわけです。

 百地先生はもちろん「信教の自由の保障するための制度」という定義を否定しているわけではないでしょう。けれども、社会にはいろんな考えがあり、人それぞれ価値観が異なることを認めようとしていないように見えます。

 もし認めているのなら、すでに申し上げたように、なぜ横田耕一九大名誉教授などを「一部学者」と突き放すことも、私を「粗雑な頭脳」と切り捨てることもないでしょう。

 憲法は、国家、社会の基本的あり方を定めるとともに、一面では国民の義務を定めるなど、国民の生活のありようをも規定していますが、先生の憲法理論は、憲法をめぐる訴訟に勝つための便法であり、先生ご自身の生き方とは別の次元にあるように見えます。

 少なくとも千年以上の歴史を持つ、日本の天皇のあり方、日本人のおおらかな宗教性とは異質のように見えます。


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第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽2 異なる価値観を排除する矛盾


 しかしこれは大きな矛盾です。

 政教分離は

「信教の自由を保障するための制度である」

 というからには、憲法以前の問題として、信教の自由が脅かされかねない社会的な現実があるということです。

 1つの神、1つの信仰だけがあるというのではなくて、複数の神々と複数の信仰が社会に同時に存在する状況があるということです。

 神が異なれば、食べ物も飲み物も、着るものも、住む家も異なります。コミュニティも異なります。あいさつの言葉、立ち居振る舞い、気性も匂いも異なり、したがってコミュニティ同士の争いごとも起こります。

 日本社会では気がつきにくいことですが、東南アジアやインド世界に行けば、それはまさに現実です。

 その現実を克服する1つの方法は、力ずくで強権的に、完全に1つの神、1つの信仰に改宗させると同時に、異教や異端を排除することですが、かえって国内外に対立抗争をもたらすことは自明です。

 たとえば日本では、キリスト教伝来後、九州の大名たちは南蛮貿易をエサに貿易を釣ろうとし、宣教師は貿易をエサにキリスト教を釣ろうとして虚々実々の駆け引きが展開されました。

 領民の多くが事実上、強制的に改宗させられ、神社仏閣のほとんどが破壊され、それがやがてバテレン追放、禁教、そして迫害の時代の序曲となります(松田毅一『南蛮のバテレン』など)。

 ヨーロッパのキリスト教世界では、血で血を洗う悲惨な歴史を経て、逆に、複数の信仰のそれぞれの価値を同等に認め、すべての人々が平安な精神生活を送れるように、国家は特定の宗教との結びつくのではなくて、国民の信教の自由を保障しなければならない、という考え方に到達したわけです。

 百地先生はもちろん「信教の自由の保障するための制度」という定義を否定しているわけではないでしょう。けれども、社会にはいろんな考えがあり、人それぞれ価値観が異なることを認めようとしていないように見えます。

 もし認めているのなら、すでに申し上げたように、なぜ横田耕一九大名誉教授などを「一部学者」と突き放すことも、私を「粗雑な頭脳」と切り捨てることもないでしょう。

 憲法は、国家、社会の基本的あり方を定めるとともに、一面では国民の義務を定めるなど、国民の生活のありようをも規定していますが、先生の憲法理論は、憲法をめぐる訴訟に勝つための便法であり、先生ご自身の生き方とは別の次元にあるように見えます。

 少なくとも千年以上の歴史を持つ、日本の天皇のあり方、日本人のおおらかな宗教性とは異質のように見えます。


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モグラたたきの政教分離論──憲法理論は法廷闘争の方便か 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
モグラたたきの政教分離論
──憲法理論は法廷闘争の方便か 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か

koukyo01.gif
 月刊「正論」平成25年3月号に掲載された百地章日大教授(当時)の拙文批判を読み続けています。前節に引き続き、先生が専門とする政教分離について考えます。

 突然ですが、私は学生のころ、しょっちゅう風邪をひきました。きまって扁桃腺炎を併発し、高熱に悩まされ、ぜんそく症状を引き起こしました。これでは就職もままならない、と心底、思い悩みました。

 そのころ出会い、その後、20年以上にもわたって、お付き合いすることになった、元海軍軍医の主治医は、名医中の名医でした。外科医としての腕もさることながら、ふつうの医者なら、解熱剤や気管支拡張剤などを処方してすませるところを、主治医はまったく違っていました。

 主治医が投薬のほかに、私に与えたのは、自分も長年愛用しているというタワシでした。

「皮膚を摩擦して鍛え、風邪にかからない体質を作りなさい」

 というのです。

 皮膚を鍛えたおかげで、いつの間にか滅多に風邪をひかなくなりました。実の息子以上に可愛がっていただき、海外旅行もご一緒した、いまは亡き主治医に、感謝の言葉もありません。

 熱が出たから解熱剤、風邪には抗生物質という対症療法は、患者には即効性が期待できるし、処方箋で点数を稼ぐ医療ビジネスにとっても好ましいかも知れません。タワシではふつうの患者は喜ばないだろうし、医者は一文の得にもなりません。

 けれども安易なモグラたたきは、患者になんら根本的解決を与えず、結果的に国民医療費を増大させ、抗生物質の効かない耐性菌の恐怖を招きかねません。

「闘い」の人である百地先生の憲法論にも、そのような側面がないでしょうか?


▽1 モグラたたきの政教分離論


 先生の著書の1つに、一般読書向けに書かれた『憲法の常識 常識の憲法』があります。

「第1章 国家と憲法」
「第2章 占領下に作られた日本国憲法」
「第3章 象徴天皇制と国民主権」

 と続き、第7章で「政教分離について」が取り上げられています。

 書き出しは「政教分離とは何か?」で、「『政教分離』をめぐる混乱」という小見出しのあとに、以下のような文章がつづられています。

「政教分離とは、一般に、国家と宗教の結合を禁止し、信教の自由を保障するための制度であるといわれる。しかしながら、具体的に何が政教分離であり、いかなる場合に政教分離違反が生ずるかという問題になると、なかなか意見は一致しない」

 政教分離の定義をめぐるこの文章は、いかにも百地先生らしさが強くにじみ出ているように思います。

 まず憲法に定められた政教分離規定がある。制度の目的は、信教の自由を保障することにある。しかし現実には、定義が一致していないために、混乱が生じている、という論理の展開です。

 つまり、議論の出発点として憲法があり、社会的混乱はそのあとに存在します。その逆ではありません。最初に社会的混乱があって、そのために政教分離という憲法上の制度が生まれた、という説明ではないのです。「1.5代」天皇論と論理構造が似ています。

 この一節の最後を、百地先生は

「このような混乱を解決するためにも、政教分離とはいったい何なのか、改めて考えてみる必要があると思われる(詳しくは拙著『政教分離とは何か─争点の解明─』)。」

 と締めくくっていますが、私がメルマガでしばしば取り上げてきた、この『政教分離とは何か』についても同様です。

 先生のこの著書は、いみじくもサブタイトルが「争点の解明」とされているように、政教分離制度の成り立ちの背景ではなくて、政教分離をめぐる対立・論争・訴訟問題をテーマにしています。著書の大部分は靖国訴訟、大嘗祭訴訟に割かれています。

 なぜ「国家と宗教の結合を禁止し、信教の自由を保障するための制度」が必要なのか、必要とされるようになったのか、という意味での「政教分離とは何か」の説明は、先生の著書には見当たりません。

 そのため、先生の政教分離論は「争点」の「解明」となり、憲法解釈をめぐる法律論争が主たるテーマとなります。「闘い」の人を自任する先生ならでは、です。激しい調子で拙文を批判するのとも通じるものがあります。

 目の前に現れたモグラを叩きのめす対症療法が、先生の政教分離論のように見えるのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
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https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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敵対者を切り捨てる ──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
敵対者を切り捨てる
──コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第6節 コンクラーベで思い出した白柳枢機卿の信仰


▽4 敵対者を切り捨てる

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 前置きが長くなりました。百地先生の拙文批判のなかで、気になることがあります。

 それは、

「斎藤氏のいう断絶説など、天皇制否定論者の横田耕一教授などごく一部学者の私的学説にとどまり」

 と、横田九州大学名誉教授の固有名詞を挙げ、突き放していることです。

 私が一部学者の説に乗っかって、「断絶説」を唱えていると、意図的かどうかは別にして、曲解しているようにも見えます。

 私がいう「1.5代」象徴天皇論が「一部」にとどまる、という見方も誤っています。それどころか、昭和40年代以降、行政全体に深く浸透したのが今日の皇室の危機を招いたのであり、大きな転機となったのは、先生が

「『廃棄』されたかどうか、真偽の程は定かでない」

 と関心を示そうともしない、昭和50年の依命通牒の「破棄」でした。

 それはともかくとして、日本のキリスト教界(白柳枢機卿とは異なり、プロテスタント)と関係が深く、しばしば百地先生の論考にも取り上げられている横田名誉教授がなぜ反天皇的なのか、を内在的に検証せずに、切り捨てるのは、私を

「粗雑な頭脳」

 と罵り、一刀両断にするのと同様に、注目されます。

 なぜなら、そのような姿勢こそ、逆に「反天皇的」だと思うからです。私たちに必要なのは、非寛容的な憲法理論ではなく、真摯な天皇論の深まりです。

 最後に蛇足ながら、補足しますが、

「地球には感謝しない」

 と言い切った白柳枢機卿が、じつに興味深いことに、神社で玉串拝礼していました。

 WCRPの会合はしばしば著名な神社やお寺の会館などで開かれます。神社での場合は、会議の前に、参加者は神社に正式参拝します。そんなとき、理事長の白柳枢機卿は代表として、神前に玉串を捧げていました。プロテスタントの代表者が拝殿の隅で直立しているのとは、きわめて対照的でした。

 このプロテスタントの代表者は、公共施設でしばしば行われているクリスマス行事について、政教分離原則に違反しないのか、と質問した私にこう答えたものです。

「キリスト者が問題にしてきたのは、靖国神社や護国神社と国家との関わりであって、実際、裁判でも争ってきたが、キリスト教と国家との関わりについて議論したことない。ひょっとしたら曖昧にしてきたのかも知れない」

 それなら、白柳枢機卿はなぜ神社で拝礼されるのか、「拝礼」ではなく、「表敬」という意味だったのか、唯一神信仰と矛盾しないのか、もしも靖国神社でWCRPの会合が開かれたら、やはり参拝するつもりなのかどうか、残念ながら、ご自身の口から直接、伺うことはできませんでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
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