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アメリカに飛び火した日韓「歴史」問題──「朝鮮語使用禁止」の誤り [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年5月9日)からの転載です


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アメリカに飛び火した日韓「歴史」問題
──「朝鮮語使用禁止」の誤り
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 韓国の朴槿恵大統領がアメリカのオバマ大統領との会談で、「日本は正しい歴史認識を持つべきだ」と「直訴」したと伝えられます。オバマ大統領は深入りを避けた、とされるのがせめてもの救いです。

 現代の韓国人はハングルで教育を受け、漢字で書かれた文献が読めません。なかにはハングル表記しかできない名前の韓国人さえいるくらいです。

 自分たちの言語を奪っているのはじつは自分たちであることが理解できないのですが、それはともかく、都合のいい「歴史」しか知らず、「正しい歴史認識」をもたないのは彼ら自身であり、自業自得というべきです。

 けれども、一面的な事実を並べた「歴史」をアメリカで言いふらし、アメリカの世論を味方につけようとする動きが、ついに大統領から大統領へというレベルにまで行き着いたのは、きわめて危険です。

 日米関係さえ損ないかねないからです。

 日本政府はきちんと反論すべきです。アカデミズムもジャーナリズムも「正しい歴史」とは何か、を追究すべきです。日韓の歴史認識のズレを引き起こした責任が、多分に日本の研究者の未熟とマスメディアの誤報にあるのですから、なおのことです。

 というわけで、平成17年6月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。

 日本が朝鮮を植民地支配していた時代、日本は私たち朝鮮人から朝鮮語を奪った。私の曾祖父は朝鮮語の辞書を編纂したため逮捕された──そのようにつづる韓国系女子高生の作文が、アメリカ国内のコンクールで優勝し、あろうことか大統領の前で読み上げられ、大統領は絶賛したというのです。

 けれども、それは完全なる歴史の捏造なのでした。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。また、掲載紙の編集方針に従って、記事は歴史的仮名遣いで書かれています。



 日韓の歴史問題が米国にまで飛び火した。

「曾祖父は、日本政府が朝鮮語を禁止してゐた一九四〇代の朝鮮で、最初の朝鮮語辞典を共同編纂したため逮捕された」。

 奴隷解放で知られるリンカーン大統領の偉業を称へる博物館が今年四月、同大統領の第二の故郷、イリノイ州スプリングフィールドに竣工し、開館記念の作文コンクールで大賞を射止めた在米韓国人二世の女子高生がブッシュ大統領ほか一万人の参列者の前で「日帝」批判の作文を読み上げた。

「自由の伝道師」ブッシュは「自由社会を流麗に表現した」と称へた、と韓国紙は報道した。


▽朝鮮語学会事件

「従軍慰安婦」「創氏改名」「神社強制参拝」などとともに「朝鮮語使用禁止」は「日帝」批判の常套句だが、「禁止」は事実なのか。

 日本統治下の朝鮮では昭和十三年(一九三八)の第三次朝鮮教育令以降、内地人と朝鮮人が机を並べて勉強できるやうになり、朝鮮語が「必修」から「随意科目」となってのちも日本人校長の学校では朝鮮語の授業が続いた。

 皇居遙拝を呼びかける国民精神総動員朝鮮聯盟のポスターは日本語とハングルで書かれてゐた。漢字ハングル混じりの総督府機関紙「毎日申報」は終戦まで発行されてゐたし、ラヂオの第二放送は朝鮮語が用ゐられた。

 終戦の玉音放送のあと、京城中央放送局は「進駐軍到着まで総督府に協力してほしい」と朝鮮語で呼びかけてゐる(日本放送協会編『二十世紀放送史』など)。

「朝鮮語禁止」はまったく事実ではない。

 だとすると、辞典編纂を理由とした検挙・投獄はあり得ない。理由は何だったのか。

 もともと朝鮮には朝鮮語辞典がなかった。漢字辞典と漢文の文書があればいいといふ発想で、朝鮮人は朝鮮語辞典を必要と感じてゐなかった。

 近代になってフランス人、米国人、英国人、日本人がそれぞれの言語で朝鮮語辞典を作り、その後、「自分たちの辞典がないのは恥であり、文化向上を妨げる」と悟った朝鮮人が一九一〇年に辞典編纂を計画した。だが試みは実を結ばなかった。

 総督府が『朝鮮語辞典』を出版した翌二一年に、編纂計画が再開されたが再び挫折し、二八年に辞典編纂会が創設され、やがて朝鮮語学会(戦後「ハングル学会」と改称)が編纂事業を引き継いだ(ハングル学会編『最新ハングル大辞典』の巻頭辞)。

 そして事件は起きた。

 女子高生の曾祖父・鄭寅承氏は三五年以降、朝鮮語学会理事として編纂に関与したらしい。鄭氏ら朝鮮語学会の会員三十三名が検挙・投獄されたのは四二年。「朝鮮語学会事件」と呼ばれる。

 平凡社の『朝鮮を知る事典』は、容疑は「治安維持法違反」と説明してゐる。

「女高生の日記に〈日本語を使ひ処罰された〉とあったのに端を発し、教員が検挙され、学会にまで弾圧が及び、言語学者が裁判に付され、拷問のため獄死した。朝鮮語の使用が禁止される状況で、過酷な弾圧を受けた」。

 だが、「朝鮮語使用禁止」はをかしい。既述したやうに、歴史の事実に反してゐる。

 治安維持法は「国体変革を目的に結社を組織した者、または結社の役員その他指導者たる任務に従事した者」を厳罰に処する法律だが、会員たちは「独立団体を仮装して独立運動を図った」と疑はれた、と山川出版社『朝鮮史』は説明してゐる。

 これなら納得がいく。

 朝鮮総督府が作成した第八十四回帝国議会説明資料(十八年)に、「咸鏡地方法院予審掛で審理中」の事件の概要が載ってゐる。

 義本克魯(李克魯)、月城鉉培(崔鉉培)らが朝鮮独立の目的で、上海の大韓民国臨時政府(独立運動家による亡命政権)と連絡し、その指令に基づき、活溌な独立運動は至難であるため、文化運動の展開を通じて民族意識の昂揚に努めてゐた、独立運動の実践団体に改組された朝鮮語学会で不穏策動があったのを咸鏡南道の警察が察知し、検挙した──。


▽「抑圧」といへぬ

 朝鮮人当事者の生々しい証言も残されてゐる。

 韓国研究院発行の「韓」は昭和五十二年九月号で事件を特集し、判決文(予審終結決定書)を載せた。

 そこには主犯格の李克魯被告について、高麗共産党や民族宗教団体大倧教との関連、ベルギーの世界弱小民族大会に朝鮮代表で出席し、朝鮮独立要求の議案を提出したことなどが記されてゐる。

 拷問の末の「自白」がどこまで事実を反映してゐるか不明だが、同被告は戦後、北朝鮮の要人になってゐる。

 一方、同じ号に掲載された李煕昇・梨花女子専門学校教授(事件当時)の回想によれば、事件発端の日記の記述はいたづら書きに過ぎず、刑事仲間の中には立件の断念を勧める者もゐたが、朝鮮人の刑事が事件にもっとも熱心に取り組み、もっとも過酷な拷問を容疑者に加へたといふ。

 朝鮮人容疑者を責め立てたのは日本人ではなく、朝鮮人だったと朝鮮人自身が証言してゐる。だとすれば、「日本による朝鮮語抑圧政策」といふやうな単純化はできない。

 最近の研究では、総督府の綴字法整理の審議に学会員が参加し、その学説が反映されるなど「配慮」が示されてをり、従来の「支配─抵抗」史観では把握し切れないことが分かってきた(三ツ井崇「朝鮮語学会の朝鮮語規範化運動と朝鮮語学会事件」)。

 また、在朝鮮日本人に対する朝鮮語奨励政策は植民地支配末期まで続き、対象は日本人官吏全体に及び、朝鮮語のできる日本人は朝鮮人から歓迎されてゐたことも明らかになってゐる(山田寛人『植民地朝鮮における朝鮮語奨励政策』)。

 朝鮮社会全般に日本語を強制したり、朝鮮語の使用を禁止した事実は過去にないが、いま一般社会では「日帝」批判の政治的プロパガンダが大手を振るひ、日韓のみならず日米関係をも損ねてゐる。
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越後屋

wikiには「朝鮮語学会事件」はありません
執筆されてはいかがでしょう?
by 越後屋 (2019-01-14 08:30) 

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