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日韓歴史認識の埋めがたき溝──韓国「反日」教科書の凄まじさ [日韓関係]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 日韓歴史認識の埋めがたき溝
 ──韓国「反日」教科書の凄まじさ
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 報道によれば、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は7日、アメリカのオバマ大統領と会談し、「北東アジア地域の平和のためには、日本が正しい歴史認識を持つべきだ」と日本を名指しで批判しました。

 同じ日、ワシントン・ポスト紙に掲載されたインタビューでも、「日本は韓国だけでなく周辺国の過去の傷口をかき回し結束を弱めている」とあらためて批判しました

 翌8日にはアメリカ上下両院合同会議で演説し、北東アジアで政治や安全保障面の連携が進まないのは「正しい歴史認識を持てない」ためだと指摘し、名指しは避けながらも、日本を批判したと伝えられます。

 さらに、10日には、こんどは韓国の国会議員で構成される「正しい歴史教育のための議員の会」が、日本の閣僚らによる靖国神社参拝についての謝罪、靖国神社に朝鮮人の合祀を止めることなどを要求する抗議の書簡を、安倍首相に送ったと報道されています。

 とどまるところを知らないかのような日本批判ですが、韓国にとっての「正しい歴史」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?

 というわけで、平成13年4月、宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。当時はいわゆる歴史教科書問題が沸騰していました。それで、韓国の国定歴史教科書を読んでみることにしたのです。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。



 検定中で内容が公開されていないはずの日本の中学歴史教科書問題をめぐって、日本と韓国・中国との間に波紋が生じている。

 韓国最大の新聞・朝鮮日報などは「日本政府が『韓国併合は合法的』などという内容の『歴史歪曲教科書』を承認しようとしているにもかかわらず、韓国政府の対応は生ぬるい。……日本政府がこのような歴史教科書の検定を不可として処理するまで、全国的な反対運動を繰り広げるべきだ」(2月下旬の社説)と、ものすごい剣幕で韓国政府をけしかけている。

 韓国政府は先月、事実上の特使として金鐘泌元首相を来日させて日本政府に「配慮」を求め、一方、中国の江沢民国家主席は新任の阿南惟茂駐中国大使に「中国人民の心配に配慮を」と要求した。

 しかし韓国・中国両政府は何をもって「歴史の歪曲」と批判しているのか。逆にどんな歴史理解を「正しい」と見なしているのだろうか?

 今回はとくに韓国の「国定歴史教科書」をひもときながら、日韓「教科書問題」が発生する真因と解決への展望を探ってみたい。


◇編纂委員会作成の国定教科書
◇「民族史観」教える必修科目

 韓国の歴史教育の最大の特徴は日本とは異なり、「国定教科書」を使用するという点にある。国定の歴史教科書の中味が、それすなわち韓国政府が理解する「正しい歴史」だということになる。

 まず、どんなプロセスで、教科書が編纂されるのか、を見てみる。

 歴史教育者協議会編『新しい歴史教育 第五巻 世界の教科書を読む』によると、「国定教科書」は日本の文部省に当たる「教育部」の委嘱により、「国史編纂委員会」が作成する。

 編纂委員会は韓国史に関する史料を収集し編纂する国立の研究機関で、実際には大学や研究所に籍を置く歴史研究者が執筆する。

 教育部が定める編集方針に基づいて作られた原案は、専門の研究者によって内容が検討され、歴史教育の専門家やとくに選ばれた現場の教師によって内容面と教育的側面から整理・修正される。

 さらに教育部指定の実験校で試用され、問題点が補われ、修正が加えられたのち、教育部から発行され、各学校に供給される(横田安司「韓国の歴史教育」)。

 以前の「検定教科書」制度から、この「国定教科書」制度に変わったのは、1970年代らしい。

 近年、韓国の初等学校(小学校)から高等学校までの歴史教科書が日本国内で翻訳・出版されているが、高校用『国史 上下』を日本語訳した『韓国の歴史』によると、73年の「第3次教育課程」から「国史」が「社会科」から分離され、国民学校(96年に「初等学校」に改称)の5、6年から高校までは「必修独立科目」となった。

 大学では「国史」が「教養必修科目」となり、各種国家試験では「必修受験科目」として出題されるようになった。

 当時は朴正煕大統領時代で、「維新体制」の理念を具体化する「国策科目」として「国史」の学習が強調された。

 このため教科書の編纂方法も変わり、民間の筆者が執筆する「検定教科書」から、「国史編纂委員会」が編纂し、「文教部」(92年から「教育部」に改称)が発行する「国定教科書」に一本化されたという(翻訳者・宋連玉による「あとがき」)。

 こうしてできあがった国定歴史教科書の特色は、小学校用教科書『社会科1』(1945年までの韓国史)を全訳した『分かりやすい韓国の歴史』の「あとがき」(監訳石渡延男・東京大学講師)が指摘するところです、「民族主義歴史観に基づくものである」といわれる。

 石渡講師によれば、ベトナム戦争に参加し、大国による和平交渉の切り回しを体験した韓国は、大国に依存しない国づくりの必要を痛感し、そのため教育の充実が図られた。第3次教育課程では「国籍のある教育」が命題となり、「国語」と並んで、「国史」教育が重視された。なかでも「植民史観」(日本でいう「植民地史観」)の克服と民族的自尊心の矜持の2点が重んじられたという。

 現行の教育課程では、中学・高校の「国史科」が廃止され、科目としては「社会科」に戻されたが、歴史教科書に見られる「民族主義歴史観」はずっと継承されている。


◇日本に文化を「教えてあげた」
◇日本を「悪玉」に描いた近代史

 その中味はいかなるものなのか、義務教育の小学校用「社会科1」を開いてみる。

 古代から近世までを扱う第1章「わが民族と国家の発展」の特徴は人物史として描いていることだが、第1節の最初に誇らしげに登場するのは建国の祖「檀君王倹」である。

 韓国の歴史教科書は「神話」を否定していない。

 第2節の「国を守った先祖たち」には隋の侵略を退けた乙支文徳、契丹の侵入を防いだ姜邯賛の既述のあとに、壬申倭乱(じんしんわらん。秀吉の朝鮮出兵)で日本軍を撃破し、「痛快な勝利」を収めた李舜臣が登場する。

 3人はけっして同列ではない。第2節を学んだあとの「発展学習」には5つの課題が掲げられているが、そのうち3つが「壬申倭乱」に関連し、「当時、国のために命を捧げた義兵と僧兵の勇士に、感謝の気持ちを表す文章を書こう」と呼びかけている。

 日本人ほど悪い奴はいないといわんばかり。批判されるべき侵略国の筆頭はあくまで日本である。

 第3節「歴史を輝かせた先祖たち」には、和冦を追い払うために火薬の製法を中国から導入した崔茂宣、壬申倭乱の前に日本の侵略を予見し、王に国防の必要を建言した李珥が登場する。

 第4節「わが民族の海外進出」では、千字文や論語など「百済の文化を日本に教えてあげた王仁(わに)」、紙、筆、墨などの「高句麗の文化を日本に伝えてあげた曇徴(どんちょう)」が取り上げられ、日本に対する文化的優越感が強調されている。

 また、秀吉のあとに現れた「新しい支配者は、朝鮮侵略を深く反省して、朝鮮通信使の派遣を求めてきた」。「日本の知識人はわが国の先進文化を受け入れようと努力した」とつづる。

 第2章は「近代化への努力」である。

 第1節の「外国文化との出会い」では、日本の幕末期に通商を求めて侵入してきたフランス、アメリカを興宣大院君が撃退したものの、大院君の引退後、日本が武力をカサに不平等条約(江華島条約)締結を強要したことが描かれる。

 第2節「新しい社会への動き」では、朝廷から日本に派遣された修信使が、日本が強国に変容したのを知り、開化政策の推進を図ることになる。

 けれども開化運動は必ずしも民衆の暮らしを豊かにせず、民衆は苦しんだ。旧式軍人の不満が爆発して起こったのが壬午軍乱で、日本公使館は焼かれ、日本公使は日本に逃げ帰った。

 しかしその後、今度はふたたび清の干渉を受ける。金玉均の改革、東学農民運動と改革運動がわき上がるが、日清戦争後は日本の干渉が激化する。日本を嫌ってロシアに近づこうとした明成皇后(閔妃)は、日本に殺害され、憤慨した高宗はロシア公使館に移った。

 この危機の時代に、独立運動家・徐載弼は亡命先のアメリカから帰国し、元山では民族独立の精神を呼び覚ますために初めての近代的学校が建てられた、とする。

 日本はものの見事に「悪玉」に仕立て上げられている。しかし近隣の強国に挟まれて右往左往する韓国人自身の自己批判はうかがえない。

 第3節の「近代文化の発達」では、西洋の文物が流入して衣食住が変わり、新しい民族宗教が誕生し、愛国心、民族精神を広めたことが記述されている。

 キリスト教の社会的貢献にも触れられているが、儒教支配を脱し、信教の自由が認められたのは日本時代以後であることには言及がない。

 交通、通信の変化も取り上げられているが、京釜鉄道建設などに果たした役割には触れられない。

 池錫永の種痘療法導入やソウル大学付属病院の前身の建設も説明されているが、それらに日本が深く関わっていることは記述がない。


◇近代日本の貢献を完全に無視
◇儒教に基づく屈折した苛立ち

 第3章は「国権回復のための努力」である。

 第1節の「光復のための努力」では、日本の侵略に対抗して、「義兵戦争」が展開されたが、1910年に「国の主権が奪われた」。それから45年まで「わが民族は数えきれない苦しみを味わった」と説明する。

 祖国のためではなく、日本の欲のために、女性までが戦場に引っ張られ、多くの人々が命を失った。誇り高いハングルを使わせず、姓名を日本式に改めさせ、民族の精神を抹殺しようとした。日本の祖先を祀る神社に強制参拝させた──と畳みかけたあとで、教科書は「蛮行を犯した日本とどう向き合うか」と生徒たちに問いかける。

 1919年3月の高宗皇帝の葬儀の日、「大韓独立万歳」を叫ぶ、3・1運動が始まる。日本は運動を妨害するため発砲、砲火、虐殺など、あらゆる悪行を犯した、と記述する。

 第2節の「大韓民国臨時政府」では、中国・上海の大韓民国臨時政府樹立が高らかに語られたあと、「日本の国王」(昭和天皇)が乗った馬車に爆弾を投げつけた李奉昌、「日本王」(昭和天皇)誕生日の記念式場に爆弾を投げた尹奉吉を「義士」と称える。

 第3節「民族の実力養成と文化守護運動」では、民族精神覚醒のため教育運動を展開した安昌浩、新聞発行によってハングル普及に貢献した周時経について書いているが、近代教育改革に日本が果たした役割や漢字ハングル混じりの新聞を最初に発行した日本人については言及がない。

 いずれの民族であれ、民族固有の文化や歴史を尊重すべきだとする基本的立場に立てば、韓国の「民族主義」は評価に値するが、韓国・朝鮮問題の第一人者として知られる佐藤勝巳氏は、「これはナショナリズムではない」と指摘する。

「韓国は日本の侵略は批判するが、中国の侵略は問わない。精神的、文化的に自分たちより上だと思う中国に対しては何も言わず、日本にだけ矛先を向ける。これはナショナリズムといえるのか?

 韓国人は日韓関係を上下関係で見ようとする。儒教倫理に照らして、『弟分』の日本が自分たちを植民地支配し、いまなおアジアのリーダーとなっていることに屈折した苛立ちがある。これが『反日』となって現れている」

 この姿勢が典型的に現れているのが教科書問題、歴史認識問題なのだが、もっと悪いことに、「韓国には客観的な歴史認識さえない」と佐藤氏は指摘する。

「韓国には資料や事実に基づいて、実証的に考察する文化がない。『強制連行』『慰安婦』の問題でも、数字と声が大きければいいという考えだ。民族・文化がまったく異なる日韓の歴史理解の共有は容易ではない。文化そのものを改めなければ、解決はできない。しかしそれは不可能に近い」

 それなら積年の教科書問題、歴史認識問題を解決し、新たな友好関係を構築するために、日本はどうすればいいのか?

「日本は自己主張するしかない。『教科書編纂は国家主権に属する。日本が韓国の教科書に干渉することを韓国は認めるのか? 認めはしないだろう。自国の考えばかりを頑強に主張し、互いに押しつければ、最終的には戦争するしかない。わが国はそれを選択しない』と主張すべきだ。ところが毅然と語れる政治家がいない。逆に政府は植民地支配を愚かにも謝罪している。

 長年、主張してきたように、国立の歴史研究所を設立すべきだ。近隣諸国の批判に客観的・合理的に対応できる公的体制をつくることだ。いまは民間の個人の力に任されている。これではいけない」

「日韓融和」の実現の日は、いつになったら、めぐってくるのだろうか。ほとんど絶望的とみるのは、私だけだろうか?
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