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靖國神社批判が収まらない──官僚、メディア、政治家の誤解と曲解 [靖国問題]

以下は斎藤吉久メールマガジンからの転載です


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 靖國神社批判が収まらない──官僚、メディア、政治家の誤解と曲解
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 報道によると、自民党の高市政務調査会長は、今日、放送されたNHKの日曜討論で、閣僚らによる靖国神社参拝が中国や韓国に批判されていることなどについて、次のように述べました。

「閣僚の靖国神社参拝を、ここでやめたら終わりだ。国策に殉じて命をささげた方々をいかにおまつりするかは内政の問題だ。日本の支配を受け、植民地とされた国の方々の民族の誇りを傷つけて大変な苦難を与え、被害を与えたことは確かだが、当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのかどうかだ。安倍総理大臣が、国会で『侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない』と答弁したことは間違っていない」

 また、「(村山談話が)侵略という文言を入れているのは私自身しっくりきていない。自存自衛のために決然と立って戦うというのが当時の解釈だった」と、福井市内で記者団に語ったと伝えられます。

 ポイントは「侵略」という言葉です。

 というわけで、平成18年3月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。当時はまさに「侵略」という表現が話題になっていました。

 それでは本文です。なお、記事は同紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。一部に加筆修正があります。



 根拠に乏しい靖国批判が一向に収まらない。

 栗山尚一・元駐米大使は日本で唯一の外交問題専門のオピニオン誌といはれる「外交フォーラム」一・二月号に連載された論攷で、日本外交の重要課題は近隣諸国との和解で、その実現には過去の過ちを認め、対外行動に反映させる努力が必要だと主張し、小泉首相の靖國神社参拝を「支持できない」と断じてゐる。


▽「謂はれなき侵略」

 栗山氏は、戦歿者の追悼に外国が干渉するのは不当だが、と前置きしながらも、遊就館の展示説明文などを引き合いにして「靖國神社の歴史観」を批判し、「国策の誤り」「植民地支配」「侵略」を表明した終戦五十年の村山首相談話とも、「我が国の戦後の歴史は戦争への反省を行動で示した」とうたふ終戦六十年の小泉首相談話とも相容れない、と指摘する。

 たとへば靖國神社が一貫して使用する「大東亜戦争」といふ呼称は当時の日本政府が戦争を正当化するために掲げた大東亜共栄圏構想と表裏の関係にあり、首相参拝は神社の「大東亜戦争」肯定史観を共有してゐるとの印象を与へかねない。したがって参拝は控へるべきだ、といふのである。

 だが栗山氏は完全に誤解してゐる。

 靖國神社は創建以来、国事に殉じた戦歿者の慰霊を第一義とする祭祀施設である。韓国の国立墓地や中国の人民英雄記念碑とは異なり、特定の歴史観に基づくものではないし、神社は歴史批判の機能を持つものではない。遊就館の展示説明から「侵略戦争肯定」と決めつけるのは濡れ衣である。

 誤解の最たるものは「支配者と被支配者、侵略者と被侵略者との間の和解」といふ階級闘争史観もどきの二項対立的史論の立て方にある。

 栗山氏は村山談話を「政府の歴史認識をはじめて包括的に内外に明らかにしたものとして画期的」と絶賛してゐるが、「植民地支配と侵略によってアジアの人々に多大の損害と苦痛を与へた」といふ談話の認識は観念的すぎないか。

 たとへば外務省は「侵略」を「aggression」と訳してゐる。英単語の語義からいって「挑発もないのに謂はれなき侵略を敢行した」といふ意味に受け取れるが、政府が「日本は挑発がないのに中国を攻撃した」といふ歴史認識を持ってゐるのだとすれば、史実に忠実といへるのかどうか、疑問を呈さざるを得ない。

 マスコミでは、若宮啓文・朝日新聞論説主幹と渡辺恒雄・読売新聞主筆が朝日新聞発行「論座」二月号の対談で意気投合し、「遊就館がをかしい。あれは軍国主義礼賛の施設」(渡辺氏)、「首相参拝が結果的に『A級戦犯がなぜ悪い』『A級戦犯は濡れ衣ぢゃないか』といふ遊就館につながる思想の人たちを喜ばせ、力をつけさせてゐる」(若宮氏)などと靖国批判を展開、国立追悼施設の建設を合唱してゐる。

 渡辺氏は「殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。加害者の責任の軽重を問ふべきだ」と主張し、若宮氏は「A級戦犯の合祀に昭和天皇は不快感を表明し、天皇陛下は四半世紀以上も参拝してゐない。だから陛下が晴れて追悼に行けるやうな国立施設を造ったらいい」と応じてゐる。

 また渡辺氏は、「宮司のいふ神道教学は、国教は神道だけだといふ明治以降の国家神道の教学だ。そんなもののために国民が二分され、アジア外交がめちゃくちゃにされてゐる」と靖國神社批判、首相参拝批判を語り、若宮氏は「東条英機らを称へる神社に首相が参拝を続けてはばからない」と同調してゐる。

 日本を代表する大新聞の最高幹部の対談は、元エリート外務官僚と同様の誤解から抜け出せないでゐる。

 靖國神社は「A級戦犯を合祀してゐる」のではない。独立恢復後、日本政府が戦犯の刑死・獄死を「公務死」と認めたことから、戦犯刑死者は一般戦没者と同様の待遇を受けられるやうになり、それが「戦犯」合祀の道を開いたのである。

 英霊は一視同仁、生前の位階勲等、年齢・性別などの区別なく一座の神として祀られてゐる。責任の重さも無関係で、一命を祖国に捧げたといふただ一点において「靖国の神」となる。慰霊の祭場を「軍国主義」呼ばはりするのは的外れだ。

「昭和天皇の不快感」に到っては下種の勘ぐりといふべきで、年二回の例大祭には変はることなく勅使が差遣され、幣帛が奉られてゐる。

 戦争の惨禍を繰り返さないために歴史検証は必要だが、それは歴史家の仕事であらう。殉国者への慰霊と歴史批判は区別されなければならない。


▽「国家神道の象徴」

 政界の靖國神社批判も激化してゐる。

 小泉首相は年頭会見で記者の質問に答へ、「靖国参拝は外交問題にしない方がいい。哀悼の念をもって参拝し、不戦の誓いを立てることがなぜ批判されるのか、理解できない」と語ったのに対して、政権与党の神崎武法・公明党代表はNHKの政治討論で、「首相、外相、官房長官は参拝を自粛すべきだ。宗教的に中立な国の追悼施設を造ることが大事だが、追悼施設建設は必ずしも靖国問題の解決にはならない」と批判を強めてゐる。

 公明党の機関紙「公明新聞」は一昨年夏、「靖國神社問題に終止符を打つためには、国立追悼施設を創設する以外にない」と書き、昨年暮れに追悼施設議連が発足したあとには「公式の追悼施設ができ、国家の式典がおこなはれていくなら、靖國神社も一宗教法人の本来の姿に立ち返ることができる」と追悼懇の座長代理を務めた山崎正和氏に語らせてゐた。

 しかし、追悼施設建設構想が進まないことにしびれを切らせたのか、それとも自民・民主「大連立」構想への反撥からか、靖國神社を「国家神道の象徴的な施設」(公明新聞)と断定する公明党の神崎氏は、「次の首相は参拝すべきでない」と「ポスト小泉」にまで注文をつけてはばからない。
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