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5つの「改元日」。プラスとマイナス ──日本だけの無形文化財を後世にどう伝えるべきか [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年9月30日)からの転載です

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5つの「改元日」。プラスとマイナス
──日本だけの無形文化財を後世にどう伝えるべきか
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▽1 「二重権威」問題が避けられない政府の事前公表案

 政府は、来年5月1日に皇太子殿下が践祚(皇位継承)されるのと同時に改元するため具体的な準備を進めています。行政機関の情報システム改修には1か月を要するとされ、1か月前の4月1日に新元号を公表することを菅官房長官が会見で明らかにしたのは今年の5月でした。

 当初の予定では新元号の公表は今年夏とされていました。けれどもこれだと今上陛下と皇位を継承する皇太子殿下との「二重権威」が生じることが懸念されるとして、公表日を遅らせることとなりました。

 1か月前に公表されることになれば、官邸ほか各省庁のコンピュータ・システムや金融機関など民間のシステムの改修が余裕をもって進められ、5月1日午前0時にはスムーズに新元号に移行できると判断されたものと推測されます。

 しかしこの事前公表は大きな欠点を伴っています。「二重権威」問題がやはり避けられないことです。

 平安時代以降、践祚の翌年に改元する踰年改元が慣例となりました。延暦25(806)年3月に桓武天皇崩御ののち皇太子(平城天皇)が践祚され、当日に「大同」と改元されたとき、年内の改元では臣下は二君に仕えることになると批判されています。踰年改元はその後、「明治」まで続きました。

 今回は200年ぶりの譲位による御代替わりです。政府はすでに公然と改元の準備に取りかかっていますが、改元の権限は、本来、誰に帰属するのか、原則が問われています。

 古くはむろん朝廷内で改元作業が行われました。天皇の指示で、文章博士らが新元号案を選定し、公卿が侃々諤々の審議をしたのち、天皇に奏上し、決定されました。しかし武家の時代になると、幕府が介入し、主導するまでになりました。

 禁中並公家諸法度には「改元は、漢朝の年号の中から、吉例によって定めるべきこと。重ねて習礼に熟するようになれば、本朝先規の作法に沿って行うべきこと」とありますが、徳川家光は「年号は武家から定めることが当然」と発言していたといわれます。改元の費用は幕府が負担していました。

 明治42年の登極令では「元号は枢密顧問に諮詢したるのち、これを勅定す」(第2条)と定められ、天皇の諮詢に応えて、枢密顧問が審議し、天皇が決定することとされ、天皇の権限が回復されましたが、現行憲法下ではこうはいきません。


▽2 日本会議はIT技術論の裏付けを

 昭和54年の元号法成立後は、内閣総理大臣が有識者に新元号の候補の考案を委嘱し、内閣官房長官が検討・整理し、選定作業を進め、閣僚会議で協議し、閣議決定することとされています。

 つまり、改元の権限は政府にあります。憲法は天皇に国政上の権能を認めていません。

 元号法は「元号は、政令で定める」と規定しています。政令の公布は天皇の国事行為ですが、元号決定過程に天皇は関わりません。それでも前回は、政府発表の前に新元号が伝えられたといわれます。

 平成の御代替わりの前例を踏襲するといいつつ、前代未聞の新元号の事前公表を決めた政府に対して、案の定、保守系の国民運動団体である日本会議が異議を申し立てています。

 日本会議の提案は、新元号の事前公表はやめて、5月1日の践祚(即位)当日に公表・施行されるべきだというものです。新帝のもとでの公表は、原則論としては当然で、これだと「二重権威」問題を回避することができると考えられています。

 ただ、問題点が2つ指摘されます。今日のIT社会において実現可能かということです。IT技術論の問題です。

 1つは、システム改修に1か月かかるとされるのに、践祚当日にトラブルなく、速やかに移行できるのか、もうひとつは、前回、践祚当日の午後2時半に官房長官が「平成」を発表したように、5月1日の午後に政府が新元号を公表するとして、それから14時間以上もさかのぼってコンピュータ・システムを切り替えることは可能なのか、です。

 当日午前には皇居で剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)、践祚(即位)後朝見の儀が予定されていますが、官邸や宮内庁のサイトはリアルタイムでは当然、「平成31年」と表示されます。これが午後になって、遡及的に新元号に切り替わることは可能でしょうか。

 この日の朝、区役所に婚姻届を提出した若いカップルがいたとして、婚姻届は「平成」のままですが、夕方に婚姻届受理証明書を申請したら新元号に書き換えられているのでしょうか。

 日本会議の関係者は「可能だ」と断言しています。なかにはITに詳しい方もおられるのでしょう。システム会社にお勤めの方もおられるかも知れません。それなら技術的な根拠が明示されるべきではありませんか。そうすれば、政府も納得して受け入れるはずです。

 さらにいえば、皇室ではなく、政府が新元号を選考し決定するという現行の国民主権的な改元の制度をこそ根本的に問題提起し、建設的な議論を喚起すべきではないでしょうか。その方が「美しい日本の再建」を掲げる日本会議に相応しいと私は思います。


▽3 便宜主義的な所先生の6月1日施行案

 日本会議案に批判的なのが、元号の歴史に詳しい所功先生です。先生は、5月1日公表、6月1日施行を提起しています。

 情報システム移行に1か月かかるという政府サイドの言い分を認め、改元の施行を1か月延期し、時間的余裕を与える提案は、政府関係者にはるかに受け入れられやすいものとなっています。

 しかし、先生が専門とする元号の歴史にとって、「1か月」にいかなる意味があるのでしょうか。私には単なる便宜主義としか映りません。IT技術がさらに進めば、「1週間」でも「翌日」でも可能になるという議論なら、歴史学は不要でしょう。

 明治以後、一世一元の制に改められ、明治42年の登極令以後、「践祚ののち直ちに元号を改む」こととされましたが、この改革を主導したという岩倉具視は、ほかならぬ所先生の著書『年号の歴史』によると、10人もの公卿たちが長時間、議論したという難陳の改廃とともに、「一世一元の制と為すの議」を建策し、これを裏付けるように「御即位之事」に関する覚書には「一、御即位同日改元、御一代御一号之事」と記されています。

 所先生は、「おそらく三月十四日(五箇条の御誓文)に近いころ、岩倉は半年後の御即位(即位礼)と同日に改元して、その機会に『御一代御一号』の方針を打ち出そうと考えたのであろう」と解説しています。

 結局、「明治」の場合、「御一代御一号」は定められましたが、「御即位同日改元」は実現せず、慶応4年8月27日即位礼、同9月8日改元となりました。踰年改元です。

 先生の著書では、明治の「御一代御一号」採用については説明されていますが、「御即位同日改元」の不採用については詳細が説明されていません。登極令で践祚直後の改元が定められたことについては、「伊東巳代治が(帝室制度の制定に)熱心に取り組んだ」と記述するにとどまっています。

 踰年改元の長い歴史や、明治の先人が即位礼当日改元を提唱したという史実、さらにシステム改修には一定の準備期間を要するという現実を考えるなら、所先生は、5月1日に新元号公表、10月22日の即位礼当日改元を提唱してもよかったのではないでしょうか。


▽4 即位礼当日改元なら即位日を歴史にとどめられる

 ただし、即位礼当日改元にも問題がないわけではありません。

 たとえば今回の場合、践祚当日改元であれ、1か月後であれ、即位礼同日改元であれ、践祚と同じ年に元号を改めることに変わりはありません。「一年にして二君有るに忍びざる」という踰年改元の精神に反します。

 国会図書館調査及び立法考査局の井田敦彦氏がまとめた「改元をめぐる制度と歴史」(2018年8月)によると、登極令が践祚当日改元を定めたのは、すべて践祚という事実を基準として考え、「天皇の御在位年間の記号となす趣旨を徹底せしめられた」からでした。

 かつてのように時日を引き延ばさず、先帝崩御の瞬間を新元号開始の瞬間とし、改元の詔書は先帝崩御の瞬間にさかのぼって効力が発生するものとされたというのです。

 この考え方に従えば、改元の時期を即位礼の日まで延期させるべきではありません。5月1日の践祚の日に改元は行われるべきだということになります。しかし既述したように、現実的ではありません。

 登極令による最初の事例となった「大正」の場合がそうでした。明治天皇の崩御は7月29日午後10時43分。しかし1時間15分あまりでは践祚の儀式すら不可能です。そこで「事実を基準」にせず、崩御の時刻を2時間遅らせ、翌日の午前0時43分崩御とされました。厳密に登極令に基づく改元は、歴史上、「昭和」のみということになります。

 即位礼当日に改元する方法は現実的で、制度化も容易であり、践祚の日ではなくて即位の日を歴史に留めることができる点で優れていると思われます。「平成」以後失われた、平安期以来の践祚と即位の違いを復活させ、明確化させることもできます。けれども、キリのいい日とは限らないという弱点があります。

 今回の御代替わり論議で、当初、元日案、4月1日案が提起され、結局、5月1日案に落ち着いたのは、区切りがいい日が暗黙の了解になっていたと考えることができます。

 とするなら、思い切って、翌年の元日に新元号を施行するというアイデアはどうでしょうか。かつての踰年改元の精神を生かすこともできます。IT業界もカレンダー業界も文句は言わないでしょう。

 ただ、5月1日の践祚に対して、翌年元日の改元はちょっと遠すぎるという反対意見は免れません。

 かつては東アジアの漢字文化圏で広く採用されていた年号制は、いまや日本だけの文化となりました。世界にまれな、千数百年続く貴重な無形文化財を後世まで引き継ごうと思うなら、国民はもっと知恵を絞るべきではないでしょうか。

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