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朝儀を復興させた近世と何でもありの現代の違い ──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月9日)からの転載です

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朝儀を復興させた近世と何でもありの現代の違い
──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 3
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 今夏、渋谷の國學院大学で、御代替わりをテーマに、神社本庁の研究大会が開かれました。その批判を続けます。

 前々回(当メルマガ9月17日付)は浅山雅司神社本庁総合研究部長心得の報告、前回(同10月8日付)は齊藤智朗國學院大学教授の発題を取り上げました。


▽1 朝廷の権威向上が図られた近代

 9月3日付神社新報の一面トップ記事によると、齊藤教授のあと、松本丘皇学館大学教授が登場しました。主題は「近世における朝儀の復興」で、先行研究にもとづいて、「後水尾天皇から後西天皇まで」「霊元天皇から東山天皇まで」「中御門天皇から桜町天皇まで」「光格天皇を中心とした近世後期」について解説しました。

 松本教授によると、中世以来、途絶えてきた朝儀が後陽成天皇の御代にいくつか再興されたものの、朝幕関係が不安定だったこともあり、継続は困難で、中断が余儀なくされました。その後、歴代天皇の事績によって、幕府との折衝などを通じて、諸儀式は復興していきました。

 とくに大嘗祭は、東山天皇の御代、霊元上皇によって再興されました。中御門天皇の御代では斎行されませんでしたが、つづく桜町天皇の御代にふたたび執り行われ、このとき将軍吉宗が朝儀に深い関心を持っていて、幕府が積極的だったことなどから、新嘗祭も再興されることとなりました。

 光格天皇の御代になると、内裏の再建に際して、老中松平定信などの尽力があり、平安期を思わせるような造営がなされました。とくに神嘉殿の再興では、御神鏡が奉安される内侍所の床が紫宸殿よりも高く設計されました。「天皇の敬神の御深慮が拝せられる」と松本教授は考察しています。

 そのほか、臨時祭が再興するなど、この時期、朝廷の権威向上が図られました。

 朝儀が復興した背景には何があったのか、松本教授によると、公家の有職家などが朝廷内で研究を進めていたばかりでなく、武家の世界でも水戸藩などで研究が進められていました。

 さらに、先行研究によると、天皇や公家のあいだで垂加神道の影響が指摘されているのですが、松本教授によると、具体的な解明には到っていません。

 最後に、近年の研究について、松本教授は、「朝廷と幕府との相互補完関係の維持という視点ばかりが強調され、結果的に、皇室における朝儀の意義が等閑に付されがちだ」と指摘しました。


▽2 批判の声すら上げない現代の研究者

 松本教授の発表は、オーソドックスな研究者らしいそつのないものでした。

 あえて批判するなら、「復興」の背景は何か、です。松本教授が説明する朝廷や武家で研究が進んだことの背後にある復興へのエネルギーとは何か、です。少なくとも記事からは、それが見えてきません。

 当メルマガで取り上げてきたように、近世の践祚式や即位礼・大嘗祭は民衆が自然体で拝観していたことが知られています。堅苦しい権威的なものとしてではなく、民衆の身近な存在としての朝儀が復興されたのには、広く民衆が支持する天皇制のあり方が強く意識されます。

 ひるがえって、近現代はどうなのでしょうか。あるいは今回の御代替わりはどうでしょうか。

 皇室の伝統の尊重が謳われながら、践祚という用語が消え、したがって践祚と即位の区別が失われ、代わりに退位の礼という前代未聞の儀礼が行われます。3日間にわたる賢所の儀を待たずに、践祚当日に朝見の儀は行われます。政府は祭祀については何も検討していません。

 代始改元は践祚同日改元にこだわり、新元号の事前公表が行われることとされています。御代替わりは国事とはされていません。もはや何でもありです。

 近世の朝儀復興を担った人びとなら、この現代の混乱ぶりをどう見るのでしょうか。現代の研究者たちは、政府のヒアリングに応じても、批判の声すらあげません。近世と現代と、何が違うのか、そもそも、松本教授が口に仕掛けたらしい、朝儀の意義とは何なのか、研究者の一人として、いかがお考えでしょうか。
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