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岡田先生、粟は貧しい作物なんですか? ──神道学は時代のニーズに追いついていない [大嘗祭]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年2月17日)からの転載です

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岡田先生、粟は貧しい作物なんですか?
──神道学は時代のニーズに追いついていない
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▽1 粟は「飢饉対策」

 全国の神社関係者を主な読者とする宗教専門紙「神社新報」(2月4日付)に、じつに興味深い記事が載った。

 何が興味深いかというと、御代替わりを文字通り目前に控えたいま、社会的なニーズがもっとも高く要求されながら、逆にまったく追いついていない神道学の研究水準というものが、図らずも浮き彫りにされているからである。

 つまり、大嘗祭のもっとも中心的な儀礼である、大嘗宮の儀で捧げられる神饌の米と粟について、なぜ米だけではないのか、なぜ粟なのか、学問的な探求がいっこうに深められていないのである。それはとりもなおさず、大嘗祭とは何か、が神道学的には解明されていないということになる。

 いつまでたっても「大嘗祭は稲の祭り」という固定観念から脱せず、そのことが大嘗祭は「宗教」であり、憲法の政教分離原則に抵触する、という反神道的原理主義者たちの法律論を結果的に後押ししているという、みずからのオウンゴールに気づかないのだろうか。

 私のつたない経験でいえば、いつぞやほかならぬ神社本庁でのあるシンポジウムで、私が新嘗祭・大嘗祭の米と粟について話したところ、新進気鋭の神道研究家が、「斎藤さんは間違っている。新嘗祭や大嘗祭の神饌に粟はない」と私に迫ったことがある。

 あまりにも単刀直入で驚いた。信じがたいことに、事実を知らないのである。

 さらに、ある講演会では、私の発表のあとに、著名な神道学者が、「大嘗祭は稲の祭りではないのか」と質問されたことがある。

 先述の神道研究家と同様に、米と粟の神饌が新帝によって手ずから神前に供され、御拝礼、御告文奏上ののち、御直会で米と粟を神人共食なさるという事実とその意味が深く理解されていない。これにも驚いた。

 学問的思考を停止させる固定観念というのはじつに恐ろしいものである。先生ご自身、水田稲作民の文化圏とは異なる世界に生まれ育ってきたはずなのに、非稲作文化圏の歴史を忘却しているのである。稲が至高の作物とされていった歴史の裏返しなのであろう。「日本人は稲作民族ではなく、稲作願望民族だ」と看破した柳田国男の偉大さをつくづく思う。


▽2 救荒作物を供饌する神社があるのか

 そして今度は、粟は「飢饉対策」だというのである。記事を読んで、私は思わず天を仰いだ。

 記事によると、1月24日に、「政教関係を正す会」の研究会が神社本庁で開かれ、岡田荘司・國學院大学教授が「大嘗祭について」と題して発表した。粟に対する見解はそのなかで語られたという。

 記事によると、岡田教授は、大嘗祭斎行の古来の歴史を振り返り、大嘗祭は地方民が新帝即位を奉祝する祭儀として始まったこと、新たに大嘗宮を建てて祭祀を執り行うことが本義であること、などについて説明されたあと、粟の神饌について言及した。

 粟の存在に注目されたのはさすがである。そういえば、先述した神道研究家からの批判のあと、まさかと思って、電話で確認した私に、「古来ずっと、大嘗祭では米と粟が用いられた」と答えられたのが岡田教授だった。

 その岡田教授が「粟は腹持ちが良く、飢饉対策に適していることなどから、天皇が大御宝(国民)の生活の安定を祈ることを目的に用いられたのではないか」と述べたというのである。唖然とするばかりである。

 つまり、岡田教授の見解では、粟というのは飢饉のときに食べられる貧しい作物である。貧しい救荒作物であるがゆえに、天皇の即位儀礼として、民の生活安定の祈りを込めて、象徴的に神饌とされているということになる。

 しかし、完全な誤解ではないだろうか。

 第一に、粟は貧しい食べ物でも、救荒作物でもない。逆に、神聖な作物なのではないか。神聖だからこそ、神事に用いられるのであろう。

 もし粟が飢饉対策の作物という位置づけだとしたなら、神道において神前に神饌を捧げる意味が、宗教学的に、根本的に問われることになるし、そんなことはあり得ない。全国8万社のお宮で、救荒作物を供饌するケースがあったらお教えいただきたいものである。

 岡田教授の考えでは、皇祖神が授けてくださった命の糧としての米とともに、民の暮らしの安定を祈って、飢饉対策の作物として粟を捧げられるというのだが、民への祈りだというのなら米の神饌で十分であろう。わざわざ貧しい食べ物を捧げる必要はないし、不敬だろう。


▽3 葦津先生のように周辺学を学んでほしい

 常陸国風土記には粟の新嘗のことが記録されている。古人は、新嘗の晩に自宅に忌み籠もりし、祖霊の訪れを待った。このとき神前に供される粟の神饌は、飢えを凌ぐための食べ物なのだろうか。飢饉対策用の作物を神や仏に供えるという考えは、信仰的にどこから来るものなのか。

 粟の神饌は、水田稲作ではなくて、焼畑農耕をしていたであろう粟の民の存在を前提にして、粟の信仰に基づき、粟の神に捧げられなければならない。岡田教授は、大嘗祭の粟はいずれの神に、いかなる信仰から、捧げられるとお考えなのだろう。

 記紀神話では、粟の起源は大気津比売(オオゲツヒメ)の物語などとして描かれている。となると、大嘗祭は大気津比売とどのように関わるのだろうか。

 地方によっては、正月に米の餅を食べないという食のタブーを引き継いでいる地域があり、民俗学では餅なし正月とか、イモ正月と呼ばれる。

 たとえば、東京都内にもこのタブーを伝える地域があり、以前、取材したことがある。土地の故老によると、先祖は北東北の南部地方の出身で、侍だったという。関ケ原の戦いのあと、ここに安住の地を定めたが、土地を耕しても貝殻ばかりが出てくる、そんな苦労を忘れないために、餅なし正月の風習が始まったと説明された。

 けれども、この貧しさと結びついた解釈は、どこまで事実なのか。「南部よいとこ 粟めし稗めし」(南部盆唄)は貧しさを歌った歌なのだろうか。

 文化人類学の知見によると、台湾の先住民は粟をことのほか神聖視し、粟の祭祀を行ったことが知られている。神聖な作物であるがゆえに、神への捧げ物となるのである。「飢饉対策」ではあり得ない。大嘗祭の粟は、水田稲作以前の縄文の信仰とつながり、したがって、焼畑農耕の民である台湾の先住民とも文化的につながっているのではないか。

 岡田説の根拠は、「腹持ちがいい」とか「飢饉対策」とか、学問というより、俗説の範囲を超えるものではない。なぜそうなるのかといえば、戦後唯一の神道思想家といわれた葦津珍彦先生がなさったように、周辺学を学ぼうとしないからであろう。

 葦津先生は、神道研究のみならず、歴史学や憲法学、中国・朝鮮研究など関連する周辺学を積極的に、貪欲に学ばれた。葦津先生が、畑違いの、しかも最先端のキリシタン研究をも学び、歴史論を書いているのを知って、びっくりしたことがある。

 葦津先生の間近で薫陶を受けたはずの岡田教授は、植物学や農学、民俗学、宗教学、文化人類学などの広範囲な研究成果を十分に踏まえたうえで、大嘗祭の粟を「飢饉対策」と理解しているのだろうか。

 神道学が時代のニーズに応えることを怠り、発展どころか、停滞していては、御代替わりは否応なしに混乱する。昨年、この世を去った畏友・佐藤雉鳴氏が喝破したように、オウンゴール以外の何ものでもない。

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