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問われているのは民主主義のあり方だ ──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年3月24日)からの転載です

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問われているのは民主主義のあり方だ
──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 3
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 ずいぶんご無沙汰ですが、昨年暮れに御代替わり儀礼違憲訴訟を東京地裁に提訴した市民団体の言い分は妥当なのか、検証を続けます。誤りがあるなら、何が原因なのか、深く掘り下げるのは意味があることだと、私は考えています。

 ご存じのように、この訴訟は裁判所によって二分され、国費支出の差し止めに関しては、門前払いとなりました。東京地裁は口頭弁論も開かないまま、2月上旬、納税者として支出差し止めを要求できるとする原告側の主張に対して、憲法はそのような権利を保障していないとして、却下しました。

 他方、損害賠償の請求に関しては、2月下旬に口頭弁論が開かれ、裁判が進められています。


▽1 何が「明らか」なのか?

 前回は、原告団が作成しているパンフレットの序文について、考察しました。今回は「Q1 『代替わり』ってなに?」です。

 パンフレットは、天皇が交代することが「代替わり」であること、近代天皇制では天皇の死によってしか「代替わり」があり得なかったことなど、皇位継承の基本について、表現がきわめて無機質的であることをのぞいて、正しく理解されています。

 トーンが変わるのはこのあとで、前回の御代替わりについて説明し、「『大喪の礼』と『剣璽等承継の儀』『即位後朝見の儀』『即位礼正殿の儀』は国事行為として行われ、また皇室行事として行われた『大嘗祭』にも国の特別予算が支出されるなど、明らかな政教分離違反が行われました」と述べられています。

「明らかな政教分離違反」とはいうものの、何が「明らか」なのか、あまりにも舌足らずで意味不明です。

 序文では、御代替わり儀礼のうちのいくつかが「まぎれもない宗教的な儀式」とされ、したがって「違憲」と指摘されていました。憲法は「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しているからでしょうが、御代替わりの諸儀式、とくにQ1で例示された儀式が、憲法の禁ずる「宗教的活動」に該当するか否かは議論が必要です。けっして「明らか」とはいえません。

 たとえば、占領中に行われた貞明皇后の大喪儀は準国葬と位置づけられましたが、このときの事情について、昭和35年1月、内閣の憲法調査会第三委員会で、宮内庁の高尾亮一・造営部長は次のように証言しています。

「当時、占領下にありましたので、占領軍ともその点について打ち合わせを致しました。ところが、占領末期のせいもありましたが、占領軍は、喪儀については、宗教と結びつかないものはちょっと考えられない。そうすれば国の経費であっても、ご本人の宗教でやってかまわない。それは憲法に抵触しない、といわれました。貞明皇后の信仰が神道であったならば、神道でやり、国の行事として、国の経費をもって支弁していっこう差し支えない、という解釈を下したことがございます」


▽2 キリストの教えに反しないか

 占領軍は「国家神道」を敵視しましたが、占領後期になると宗教政策も一変し、皇室の祭儀を「憲法違反」などと否定してはいません。むしろ存続を認めました。

 憲法は宗教の価値を否定してはいません。むしろ逆です。原告団にはキリスト者もいるようですが、まさか宗教の価値を否定したいのでしょうか。自己矛盾に陥っていませんか。

 パンフレットのQ1は続けて、前回、「コンサート・芸能などの『自粛』キャンペーンや天皇批判の言論への右翼テロや政治弾圧など、民主主義の根幹に係わる問題も多く発生しました」と厳しく指摘しています。

 皇位の継承が行われる御代替わりは国家の最重要事のはずですが、原告たちにはその認識が欠けているようです。原告団にはキリスト教の牧師先生が参加され、それどころか原告団の事務局は所属する教会に置かれているようですが、キリスト教世界の君主制国家では「自粛」はないのでしょうか。

 数年前、プミポン国王が亡くなって、タイの国民は深い悲しみに暮れましたが、不健全なことなのでしょうか。

 カトリック教会の場合は、人間は指導者を尊敬する義務がある、共同体には権威が必要である、と教えています。先帝崩御の悲しみ、新帝即位の喜びを共有しようと思わないなら、キリストの教えに反しないでしょうか。

 原告たちには、天皇が日本の国と民にとって、歴史的な最高の権威であるというような認識はまったくないようですが、それは原告たち自身の、日本の歴史に対する理解度の問題ではないのでしょうか。

 また、前回は、指摘された「右翼テロ」のほかに、過激派による忌まわしいテロ活動が起こりましたが、Q1には言及がありません。「民主主義の根幹に係わる問題」とは考えないということでしょうか。図らずもテロリストたちとの思想的共通性を浮き彫りにします。


▽3 天皇制は民主主義より劣るのか

 Q1は最後に、今回の御代替わりの経緯について、「民主主義が問われてい」ると批判しています。

「明仁天皇の『生前退位』によって、天皇の死によるのではない『代替わり』が始まっ」たことについて、「天皇自身がそれを発意し、さまざまな意見の違いはあっても、まわりが天皇の意思を忖度して動くことは当たり前になってい」るのは、「国の制度である天皇制が何であるかを決めてよいのは天皇ではありません」というわけです。

 いまだに「生前退位」という表現をとるのは驚きですが、それはともかく、今回の御代替わりは、陛下が「私は譲位すべきだと考えています」と参与会議でおっしゃったことが発端といわれます。

 しかし、現在の法制度では「譲位」は認められておらず、同時に憲法は天皇の「国政に関する権能」を認めていません。このため国会が決議した特例法による「退位」が実現することになりました。

 国会では、衆院は自由党をのぞいて全党賛成、参院では全会一致で特例法が可決されましたが、それは政治家や国民の「忖度」の結果でしょうか。「忖度」だとするなら、「忖度」を導いている背景には何があるのでしょうか。

 憲法は、天皇の地位について、「主権の存する日本国民の総意に基づく」と定めていますが、その国民とは現在、この世に生を享ている国民に限られるべきではありません。憲法は皇位の連続性、国の永続性を認めています。問われているのは逆に民主主義のあり方です。

 古来、天皇は国と民のために祈ることを第一のお務めとされてきました。ご自分が統治する国に飢えた民が1人でもいるのは申し訳ないとのお思いから、毎食ごとに行われた「さば」の行事もありました。民のために祈り、民と命をも共有する天皇のあり方は、多数決原理によって、ときに国を二分させる民主主義より劣る、と原告たちは考えるのでしょうか。

 キリスト者である原告の1人は、かつて天皇の名のもとに戦争政策に協力させられた歴史を批判しているようですが、もっと長い歴史に目を向けてほしいものです。

 天皇の歴史がすべて良かったわけではないけれども、一時の不幸な時代を根拠にすべての歴史を否定すべきではありません。忌まわしい大航海時代の悲劇をもって、キリスト教の歴史を全否定すべきでないのと同じです。

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