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「皇室の伝統」は国民主権主義と対立するのか ──朝日新聞の「新元号」関連企画を読む [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年4月21日)からの転載です

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「皇室の伝統」は国民主権主義と対立するのか
──朝日新聞の「新元号」関連企画を読む
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▽1 いまごろ決まった「賢所の儀」

 先週15日の月曜日、宮内庁で第6回大礼委員会が開かれ、践祚の式(賢所の儀、皇霊殿神殿に奉告の儀)の時刻および式次第が決まりました。

 御代替わりでもっとも重要と思われる儀式が、いつ、どのように行われるのか、一連の「退位の礼」が始まったいまごろになってようやく決まるとは、じつにお粗末です。宮内庁が真っ先に決めるべきことではなかったでしょうか。そして案の定、中身にもまた綻びが見えます。

 公表されているところによると、5月1日午前10時半、ちょうど正殿松の間で剣璽等承継の儀が行われる時刻に、掌典長による御代拝が行われ、御告文が奏され、そのあと掌典次長による皇后の御代拝が続くことになりました。続いて、皇霊殿神殿に奉告の儀が行われます。

 すでに指摘してきたように、今回の御代替わりは譲位に基づき、同日午前0時をもって皇位が継承されるのですから、御代拝ではなく新帝みずから、朝のなるべく早い時刻に賢所の神事は行われるべきでしょう。そして3日間続く賢所の儀のあと、朝見の儀は行われるべきです。

 宮内庁は「前例踏襲」と説明していますが、「前例踏襲」でもありません。前回は諒闇践祚であり、服喪中でした。それでも朝見の儀は3日間の賢所の儀ののち執り行われました。いったい誰が、何を基準に、国家の一大事である皇位継承の儀礼を変更させているのでしょうか。

 さて、遅ればせながら、改元について考えます。

 今月1日、「平成」に替わる新しい元号「令和」が閣議で選定公表された翌日、朝日新聞は「平成から令和へ 新元号のメッセージ」と題する、3人の識者による座談会を載せました。同時に、4回シリーズの連載「退位改元」が始まりました。

 いずれも朝日新聞としては当然なのか、基本スタンスを現行憲法の「国民主権」主義に置いています。つまり、「天皇主権」対「国民主権」という前世紀的な対立図式を前提とし、その結果、千年を超える皇室の伝統に基づく元号とは何だったのか、今後、如何にあるべきか、を掘り下げきれずにいるのではないかと思いました。


▽2 「天皇の大権は存在しない」

 座談会には「日本と中国の古典や歴史に詳しい」3人が登場しています。辰巳正明・国学院大学名誉教授(国文学)、水上雅晴・中央大学教授(中国哲学)、磯田道史・国際日本文化研究センター准教授(歴史学)の3人で、司会は塩倉裕・編集委員です。

 リードにはずばり「天皇主権から国民主権になった今の憲法下では2度目の改元」と指摘されています。テーマは「元号」ではなくて、「国民主権下の元号」なのです。125代続く天皇の「改元」ではなくて、1・5代象徴天皇制での「2度目の改元」なのです。

 つまり、改元の主体は天皇ではなく、国民であり、元号を建てる権限は天皇ではなく、国民にあるというのが前提で、座談会はこれをあたかも自明のこととして進められています。

 そのことは、論点のひとつとされた「元号の決め方」、つまり、決定手続きと天皇の関与、公表の時期などに如実に現れています。

 今回の改元は、有識者会議が開かれ、皇位継承の1か月前に臨時閣議で元号を決定し、「退位」が予定される今上天皇が政令に押印し、公布されるという手続きが採られています。IT社会、ネット社会への現実的対応はむろん必要ですが、皇室の関与なき事前選定・公表は新帝即位に起因する「代始改元」の変質といわねばなりません。

 とくに、前回も同様ですが、皇室の不関与は、もはや建元大権が否定されているかのようです。下剋上の末に朝幕関係を逆転させ、元号は武家が決めるのが当然と主張した徳川家光をも想起させます。いや、明確に否定されているのです。

 朝日の連載「退位改元2」(担当は大久保貴裕、田嶋慶彦、二階堂友紀記者)は、首相が2月に天皇陛下および皇太子殿下に経過説明を試みたことを取り上げ、以下のように「元号について天皇の許しを得ることはあり得ない」と断言しています。

「かつて元号の決定は『天皇大権』で、明治憲法時代の旧皇室典範では明確に謳われていたが、戦後、国民主権の新憲法で天皇が『国民統合の象徴』となり、天皇の政治関与は禁じられた。旧元号制も廃止された」

「元号存続を危ぶんだ神社界など保守派は、戦後に元号法制化運動を展開。1979年に元号法制化にこぎ着けたが、憲法にのっとる形で、法律は『元号は政令で定める』と規定した。天皇大権が存在しないことは明確になっている」

 けれども、首相の行動は、支持基盤の保守派への配慮であるとか、新元号事前公表の認否をめぐる保守派との軋轢の投影というようなもので説明されるべきでしょうか。より本質的な問題は、元号など皇室の長い伝統は、憲法が定める国民主権主義、象徴天皇制と相対立すべきことなのか否か、ということでしょう。

 もし対立しないと考えるなら、首相のような弥縫策ではない、根本的な制度改革が必要になります。靖国問題も拉致問題もポーズだけの首相にできるでしょうか。


▽3 元号を皇室に戻すべきではないか?

 朝日の座談会では、元号の選定方法に関連して、国学院大の辰巳名誉教授が驚くべきアイデアを提案しています。「ネットで案を公表し、国民の意見を聞いてもいいのではないか」というのです。さらに、「天皇と切り離して元号を考えた方がいいと思う。譲位が決まった時点で、次の元号を公表してしまえばいい」とも述べています。

 国民の、国民による改元の提案ということでしょうが、そこまでして、元号を存続させる意味はあるのでしょうか。「天皇と切り離」された元号は元号というべきでしょうか。

 もしかすると、朝日新聞としては、戦前の皇典講究所を前身とする国学院大の名誉教授が主張していることを読者にアピールしたいのかもしれませんが、論より証拠、すでに「天皇と切り離」された改元は、逆にマスメディアに露出し、SNSに投稿を繰り返す「首相のはしゃぎすぎ」現象を生み、批判を浴びています。

 保守政権でさえこうなのですから、かつてのような民主党系の左派政権なら、どんな不都合が起きるのか分かりません。辰巳さんは一方で「政府が統制を進めることの恐ろしさ」を警告していますが、今回の選考過程で漏れ聞こえてくる、さまざまな不具合は、政権のあり方次第ではより深刻さを増すのではないかと危惧されます。すべての国民が使いやすく、政治臭さを拭い去るには、元号を皇室に戻すべきではないでしょうか。

 元号の事前選定公表について、辰巳さんは、「譲位が決まった時点」での公表を提案していますが、事前公表が何をもたらすのか、はすでに事実が証明しています。報道によれば、新しい元号が決定公表されて以降、まだ施行前だというのに、社名に「令和」を用いる企業が続々と現れています。明らかに「退位予告改元」の弊害です。

「一世一元」に関連して、「踰年改元」に言及しているのは歴史学者の磯田さんでした。「踰年改元というやり方もある。この議論が今回、どこまで尽くされたか」「次の改元では、今回のようなやり方をするか、踰年改元にするかの議論はあっていい」と指摘しています。同感です。

 朝日の連載「退位改元4」が言及していますが、共同通信の情報公開請求にもとづいて、2月に開示された公文書によると、前回の改元では、(1)崩御の元日にまで遡る遡及適用、(2)政令公布の即日適用、(3)翌日改元、(4)崩御翌月の踰月改元、(5)踰年改元の5案があり、(2)と(3)に集約されていたようです。

 結局、前回は(3)の翌日改元でしたが、30年前と異なり、IT化が大きく進んだ今日では、現実的に見て、政府が基本方針とした「前例踏襲」はとうてい無理です。とすれば、今回、(4)(5)が検討されてもいいはずですが、磯田さんの指摘どおり、議論が尽くされたとはいいがたいと思います。

 何しろ当初から「退位と改元」がセットで議論され、「退位の翌日改元」が当然視されてきたのでした。そして一方、皇室の伝統重視を掲げる保守派は非現実的な「践祚同日改元」に固執するばかりでした。30年前の政府の方がはるかに柔軟でした。

 そして、政府は「事前公表」という前代未聞の決め方を採ることになったのです。


▽4 なぜ対立すると考えるのか

 そもそも元号とは何だったのでしょうか。

 朝日の座談会では、中国哲学者の水上さんが、「周辺国が模倣し、統治権の正統性をアピールする政治的な道具として用いるようになった。日本もその流れの中で使うことになった」と概説しています。

 しかし以前、井上清「元号廃止論」批判(2018年9月16日)に書いたように、漢字導入や仏教公伝などと同様に、単なるモノマネではありません。模倣なら千年以上も続きません。

 古代中国の皇帝と日本の天皇は異なります。「うしはく」と「しらす」の違いです。中国皇帝はただひとり天壇を祀り、日本の天皇は皇祖神のみならず天神地祇を祀ります。中国では権力は上帝に由来し、皇帝が掌握しましたが、日本では権力は天皇から太政官に委任されました。

 天皇は古来、権力的な支配者ではなく、いちだんと高い立場で国と民をひとつに統合する統治者です。スメミマノミコト、スメラギなどと呼ばれたのはその意味でしょう。

 天皇の建元大権とはそういうものであって、憲法の国民主権主義と対立するものではないと思います。天皇主権か国民主権かという旧い図式にいつまでもとらわれるべきではありません。

 災いを避け、民に幸あれ、と願って建てられる元号はけして国民主権主義と対立するものではないでしょう。さも対立するかのように考えられている背景に何があるのか、をこそジャーナリズムは掘り下げるべきではありませんか。


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