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戦後30年の歴史的転換点 ──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」1 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年7月1日)からの転載です。

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戦後30年の歴史的転換点
──涙骨賞落選論文「天皇とは何だったのか」1
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 昭和50年8月15日は戦後30年の終戦記念日であった。気象庁の記録では、東京の最高気温33・4度、平均湿度72パーセント。蝉時雨がかまびすしい、うだるような、例年どおりの鎮魂の日だったらしい。

 だが、この日が、古来、天皇第一のお務めとされる宮中祭祀にとって、きわめて大きな歴史的転換点だったことは、案外、知られていない。

『入江相政日記』や『卜部亮吾侍従日記』など側近が残した記録によると、この日、宮内庁長官室に幹部たちが集まり、会議が開かれた。議題は宮中祭祀の祭式の変更であった。

 最大の変更は毎朝御代拝だった。卜部は「問題の毎朝御代拝は……」と書いている。

 変更は9月1日から実施された。『昭和天皇実録』には、「9月1日 月曜日 この日より、毎朝及び旬祭の御代拝方法が改められる」とある。

 毎朝御代拝は、平安期の宇多天皇に始まる、天皇みずから毎朝、清涼殿で伊勢の神宮ならびに賢所を遥拝された石灰壇御拝に連なる歴史ある重儀とされる(八束清貫「皇室祭祀百年史」=『明治維新神道百年史第1巻』1984年所収)。

 明治以降、天皇に代わって当直の侍従を烏帽子、浄衣に身を正させ、馬車で宮中三殿に遣わし、殿内で拝礼させ、ご自身は御所で慎まれることとなったが、これを昭和天皇の側近たちは、洋装のモーニング・コートで各殿の木階下から拝礼する形式に改めた。

 このほか小祭および新嘗祭の御代拝、2月11日(かつての紀元節)と11月3日(かつての明治節)の臨時御拝の御代拝は、侍従ではなくて、新設された掌典次長が務めることが決められた(『昭和天皇実録 第十六』)。

 会議の出席者や内容など、詳細は分からない。宮内庁には公的な議事録は残されていないという。側近たちは、天皇・皇族に相談することもなく、皇室の伝統に関わる祭式の変更を、自分たちの一存で、密室で決めてしまったものらしい。

 宮中祭祀という天皇の聖域に、いったい何が起きたのか。

 当時を知るOBによると、宮内庁は一般事務職のほか、医師、料理人、大工、鍛冶屋、植木屋、音楽家など、さまざまな職種の人たちで構成され、さながらひとつの町のようであり、以前は陛下を中心に家族的な雰囲気があったが、昭和40年代以降、「大きな時代の波に洗われていた」(「左遷された『昭和天皇の忠臣』」永田忠興元宮内庁掌典補インタビュー=「文藝春秋」2012年2月号所収。聞き手は斎藤吉久)という。

 戦前からの生え抜き職員が定年退職し、戦後教育を受けた職員が増えた。元華族が減り、ほかの官庁からの横滑り組が増えていった。そして職員たちの意識が変わり始めた。オモテとオクの区別も厳格になった。最大の変化が宮中祭祀だった。

 永田氏は「憲法が定める信教の自由を掲げ、『なぜ祭祀に、公務員が関わらなければならないのか』という意見が口々に出て、祭祀が敬遠されるようになった」と証言する。

「戦後世代の職員たちは『陛下にお仕えする』というよりも、『国家公務員である』という考え方が先に立ちました。皇室の歴史と伝統についての理解は乏しく、逆に、『国はいかなる宗教的活動もしてはならない』という憲法の政教分離規定を、字義通り厳しく解釈・運用する考え方が、まるで新興宗教と見まごうほどに蔓延し、陛下の側近中の側近である侍従さんまでが祭祀から遠のき始めました」(同インタビュー)。

 宮内庁のみならず行政全体に、政教分離の厳格主義が浸透し、そして宮内庁では、にわかに宮中祭祀の祭式の変更が断行されたのである。

 市井では、津地鎮祭訴訟が争われていた。津市が主催した市体育館の起工式(地鎮祭)に公金が支出されたことの適法性が争われたのであった。2年後の52年7月に最高裁は合憲判決を下したが、かえって行政の神道儀礼離れが促進されていった。

 古来、祭祀こそ天皇第一の務めとされてきた。だが側近らはそうは考えなかった。皇室の伝統より、憲法の規定が優先された。憲法は文字通り「最高法規」なのだった。

 側近たちにとっては、宮中祭祀は神道儀礼であり、神道は特定の宗教だと考えられた。したがって公務員たる職員の関与は憲法に抵触すると怖れたらしい。

 憲法はむしろ宗教の価値を認めているのに、である。従来、政教分離の厳格主義より限定主義的解釈・運用が行われてきたのに、である。天皇の聖域たる祭祀への宮内庁幹部たちの介入は、それこそ政教分離違反の可能性さえ疑われるのに、である。

 側近たちが憲法の規定を優先させ、厳格主義に走り、皇室のみならず日本の歴史の基本に関わる宮中祭祀を改変させた背景には何があるのか、あらためて考えることにする。


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