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「退位と即位の分離」実現のための印象操作? ──第2回式典準備委員会資料を読む 7 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成30年5月4日)からの転載です

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「退位と即位の分離」実現のための印象操作?
──第2回式典準備委員会資料を読む 7
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 宮内庁のリポート「歴史上の実例」を批判的に読む作業を続けます。リポートは最後に「『貞観儀式』による譲位の儀式次第」を解説していますが、前回、指摘したように、「貞観儀式」の訓読・解釈の上で大きな相違点が見受けられます。

 1年後に迫った今上陛下の退位(譲位)では、退位と即位(践祚)の儀式が分離・実施されますが、これがけっして過去の例からみて、異例ではないことを印象づけるために、宮内庁は無理な解釈をしているように私には見えます。

 つまり、平安期に成立したといわれる「貞観儀式」の「譲国儀」も、200年前の光格天皇の事例でも、退位(譲位)と即位(践祚)が空間的、時間的に別に行われていたかのように印象操作しているのではないかと疑われれるのです。

 いや、そう簡単に断定してはいけないかも知れません。なぜなら、「貞観儀式」の儀式次第を説明するに当たって、リポートは「なお『譲国儀』では、譲位と践祚を一連の儀式とする次第が定められている」と正確に註釈を加えているからです。

 光格天皇から仁孝天皇への御代替わりも同様であり、というより、諒闇践祚であれ、受禅践祚であれ、御代替わり儀礼が一連の儀式として行われるのは当然ですが、だとしたらなぜ、今回、退位(譲位)と即位(践祚)の儀式は分離して、別の日に行われなければならないのでしょうか。

 先帝崩御の場合は医学的に御代替わりの日時が決まります。譲位なら譲位の宣命ののち皇太子は皇位に登られると解されました。今回は立法と行政が定めた法令によって、退位の期日は決められたのですが、だとしても退位と践祚の儀式を、先例に従って同じ日に連続して行うことは可能だろうし、そうすべきではないでしょうか。それでこそ「皇室の伝統の尊重」といえるのではないでしょうか。

 宮内庁の歴史的検証も当然ながら譲位即践祚の原則を裏付けるものになるはずなのに、実際はそうはなっていません。なぜでしょうか。


▽1 「御在所」は仙洞御所か

 ということで、宮内庁レポートを具体的に読んでみることにします。

 宮内庁が解説する「譲国儀」は、天皇の行幸から剣璽の渡御まで19の段階で説明されていますので、これに沿って、以下、検討していくことにします。


1、天皇は、譲位に先立って、あらかじめ内裏(お住まいの御殿)から出られ、臣下を従えて、新たな上皇のお住まいにお移りになる。

 前回、訓読を試みたように、「譲国儀」の冒頭は、「天皇、予め本宮を去りたまふ。百官、従ひて、御在所に遷る」です。「本宮」は「内裏」ですが、「御在所」は仙洞御所と断定していいものでしょうか。

 というのも、たとえば、藤森健太郎群馬大教授(日本史)は『古代天皇の即位儀礼』(2000年)の「第三章 平安期即位儀礼の論理と特質」のなかで、「譲国儀」冒頭の「御在所」は「平安初期の実例では大体別院」と注記し、さらに「ただし、光仁天皇から平常天皇までの譲位の際には、内裏で挙行されたものと思われる」と補足しています。

 また、佐野真人皇學館大助教(神道史)の「『譲国儀』儀式文の成立と変遷」(「神道史研究」平成29年10月)は、より明確に、「儀礼の会場が『儀式』では、事前に天皇は本宮(内裏)から御在所に遷御される。清和天皇以前の譲位の儀式は内裏以外で行われており、『儀式』の規定でも内裏以外で行うことを想定している」と説明し、ただ、『西宮記』(源高明撰述)では内裏が儀場とされていたことが考えられると記しています。

 つまり、「御在所」は仙洞御所とは断定できないことになります。宮内庁のリポートは、過去の譲位の儀式が連続して行われていたことを熟知しながらも、今回の退位と即位の分離を実現したいがために、しかも「皇室の伝統の尊重」という基本方針に合致しているかのように演出するため、白を黒と言いくるめているのではありませんか。

2、譲位の3日前に三関[伊勢国鈴鹿関、美濃国不破関、近江国逢坂関]を閉鎖するための使者を遣わされる。

3、譲位当日、大臣は、詔勅・宣命(勅命が書かれた文書)の起草を担当する書記官(内記)に譲位の宣命を作るよう指示する。

4、儀式担当の官人が、譲国儀に参列する者を率いて、儀場となる上皇のお住まいの南門の内外に、待機する。


▽2 「皇帝、南殿に御す」もまた仙洞御所か

5、天皇が、儀場となる上皇のお住まいの正殿の殿上にお出ましになる。殿上にしつらえた南側を向かれる御席に御着席になる。

 宮内庁リポートは、またしても仙洞御所が儀場であると断定していますが、正しい理解でしょうか。

 前回、不正確な点がありましたので、訂正しますが、国立公文書館がネット上に公開している2種類の内務省旧蔵本のうち、五冊本では「皇帝、南面に御す」ですが、荷田在満校訂本(11冊本)は明確に「皇帝、南殿に御す」と記しています。

 つまり、「南殿」なら紫宸殿に還御され、譲位の儀式が行われる意味になります。ただ、藤森先生の著書では、「『儀式』の場合は内裏の紫宸殿ではなく、『御在所』の正殿を想定しているはず」と説明されています。

 より正確にいえば、「皇帝、南面に御す」「皇帝、南殿に御す」の場所を特定することは難しいということになりませんか。実際、歴代天皇の譲位儀はどこで行われたのでしょう。

 宮内庁が今回、今上陛下の「退位の礼」を皇太子殿下の践祚の式と区別して挙行したい意図は理解できなくもないですが、光格天皇の譲位の儀式と同様、貞観儀式「譲国儀」が仙洞御所を儀場と定めていたと断定する根拠は何でしょうか。

6、皇太子が、東宮の御所から議場に入られ、殿上にしつらえた皇太子の席に御着席になる。

7、儀場の南側にある門を開き、親王以下が儀場に参入し、所定の位置に立つ。(親王以下五位以上の参列者は門内の所定の位置に立ち並び、六位以下の参列者は門外で列立する)

8、大臣が、宣命を読み上げる宣命の大夫(宣命使)に、宣命文を殿上で授ける。宣命の大夫、続いて大臣が殿上から降り、庭上の参列者の列に加わる。宣命の大夫が進み出て、所定の位置に着く。

9、殿上におられる皇太子は、席から起立される。

10、宣命使が、譲位の宣命を読み上げる。

11、親王以下の参列者が、宣命文の段落の切れ目ごとに「おお」と声を出して応答(称唯)し拝礼する。

12、宣命を読み終えると、参列者が、宣命に対して「おお」と声を出して応答(称唯)し、拝舞を行う。(拝舞とは、まず2度拝礼し、立ったまま上体を前屈して左右を見、これにあわせて袖に手をそえて左右に振り、次にひざまずいて左右を見、そのまま一揖(おじぎ)し、さらに立って2度拝礼する所作。最高級の拝礼の所作)

13、宣命の大夫が、列内の元の位置に戻る。

14、次に、親王以下の参列者が儀場から退出する。

15、近衛が南側の門を閉じる。


▽3 宣命の意義を説明しない宮内庁

16、譲位の儀が終わり、践祚された新天皇が、殿上から南側にある階段をお降りになる。降りられた階段から一丈(約3メートル)ほど南側に離れた位置で、殿上にいらっしゃる前天皇に対して拝舞を行われる。[新天皇の拝舞が終わられたところで、前天皇は殿上から御退出になる]

 藤森先生は「『譲国儀』の中でもっとも重要なのは、譲位の宣命が読まれる時点である」と書いていますが、宣命の宣読によって新帝が践祚されたことを、宮内庁リポートが正確に理解していることは指摘されなければならないと思います。

 しかし今回の御代替わりでは宣制は行われません。天皇の意思に基づく譲位ではなく、立法と行政が決めた退位と考えられているからでしょう。

 崩御に基づかない受禅践祚で大きな意味を持つ宣制ですが、現憲法下でこれを執り行うことはどうしても無理なのでしょうか。今回は「総理の奉謝と陛下のお言葉」が「退位の礼」で述べられることになっていますが、「伝統の尊重」が基本方針なら、新帝が践祚される日に、剣璽等承継の儀(剣璽渡御)の前に、連続して行われるべきではないでしょうか。

 宮内庁はむしろ宣制の格別な意義をこそ、「歴史上の事例」としてリポートすべきなのではありませんか。

17、拝舞を終えられた新天皇が、新天皇のお住まい(御所)に徒歩で向かわれる(新天皇には輿をお勧めするが、辞退される)。内侍は節剣(譲位の儀挙行に伴い、前天皇から継承される宝剣)を持ち、新天皇の後を追い従う。

18、少納言一人が、大舎人(天皇に供奉し、宮中の宿営等を奉仕する者)等を率いて伝国璽の櫃(譲位の儀挙行に伴って前天皇から新天皇に継承されるものであり、神璽を指す。神璽が櫃に納められていた)を持ち、新天皇の後を追い従う。

 ここは皇位を継承した新帝に剣璽が渡御する重要場面ですが、リポートの説明はことのほかあっさりしています。剣璽の渡御は触れたくない、触れられたくないタブーなのでしょうか。

19、次に、少納言一人が、大舎人・闈(門がまえに韋)司(宮中の門の鍵を預かり、その出納を掌る者)等を率い、鈴印鑰等を持ち、新天皇の御所に奉る。 (鈴印鑰は「駅鈴」「内印」「管鑰」の3者を合わせた言い方。「駅鈴」は駅使に国家が支給する鈴で、それにより駅馬を利用することができる。「内印」は天皇御璽の印で、公文書作成に不可欠のもの。また「管鑰」は中央官司が管理する蔵の鍵のこと。これら3者を新天皇のもとに進めることは、すなわち、新天皇による国家統治が開始されたことを意味する)

 以上、これまでの検証をごく簡単にまとめると、宮内庁のリポートは、200年前の光格天皇の譲位の儀式が仙洞御所の桜町殿で行われ、皇太子恵仁親王はお出ましにならなかったと説明していますが、明らかに間違いです。

 また、リポートは、平安時代の儀式書「貞観儀式」の「譲国儀」も同様に、仙洞御所が譲位の儀式の儀場となったと断定していますが、これも正確とはいえません。譲位即践祚であって、譲位の儀が単独で行われるはずもありません。

 私のような素人でも簡単に分かる誤りを、宮内庁がリポートにまとめ、政府に提出したのは、もしや「忖度」の結果でしょうか。

 過去にない、歴史的な御代替わりとされる今回の「退位」が、虚構の歴史をつづった信用度の低い官製リポートを根拠とし、あまつさえ「皇室の伝統の尊重」と喧伝され、実現されようとしているとは、私にはやはり悪い冗談にしか聞こえません。

 今回、引用した藤森、佐野両先生はいかがお考えでしょうか。

 最後にもう1点、宮内庁のリポートは、一条兼良「代始和抄」について、まったく言及がありません。譲位儀が仙洞御所で行われるとは書かれていないからでしょうか。

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