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5つの「改元日」。プラスとマイナス ──日本だけの無形文化財を後世にどう伝えるべきか [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年9月30日)からの転載です

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5つの「改元日」。プラスとマイナス
──日本だけの無形文化財を後世にどう伝えるべきか
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▽1 「二重権威」問題が避けられない政府の事前公表案

 政府は、来年5月1日に皇太子殿下が践祚(皇位継承)されるのと同時に改元するため具体的な準備を進めています。行政機関の情報システム改修には1か月を要するとされ、1か月前の4月1日に新元号を公表することを菅官房長官が会見で明らかにしたのは今年の5月でした。

 当初の予定では新元号の公表は今年夏とされていました。けれどもこれだと今上陛下と皇位を継承する皇太子殿下との「二重権威」が生じることが懸念されるとして、公表日を遅らせることとなりました。

 1か月前に公表されることになれば、官邸ほか各省庁のコンピュータ・システムや金融機関など民間のシステムの改修が余裕をもって進められ、5月1日午前0時にはスムーズに新元号に移行できると判断されたものと推測されます。

 しかしこの事前公表は大きな欠点を伴っています。「二重権威」問題がやはり避けられないことです。

 平安時代以降、践祚の翌年に改元する踰年改元が慣例となりました。延暦25(806)年3月に桓武天皇崩御ののち皇太子(平城天皇)が践祚され、当日に「大同」と改元されたとき、年内の改元では臣下は二君に仕えることになると批判されています。踰年改元はその後、「明治」まで続きました。

 今回は200年ぶりの譲位による御代替わりです。政府はすでに公然と改元の準備に取りかかっていますが、改元の権限は、本来、誰に帰属するのか、原則が問われています。

 古くはむろん朝廷内で改元作業が行われました。天皇の指示で、文章博士らが新元号案を選定し、公卿が侃々諤々の審議をしたのち、天皇に奏上し、決定されました。しかし武家の時代になると、幕府が介入し、主導するまでになりました。

 禁中並公家諸法度には「改元は、漢朝の年号の中から、吉例によって定めるべきこと。重ねて習礼に熟するようになれば、本朝先規の作法に沿って行うべきこと」とありますが、徳川家光は「年号は武家から定めることが当然」と発言していたといわれます。改元の費用は幕府が負担していました。

 明治42年の登極令では「元号は枢密顧問に諮詢したるのち、これを勅定す」(第2条)と定められ、天皇の諮詢に応えて、枢密顧問が審議し、天皇が決定することとされ、天皇の権限が回復されましたが、現行憲法下ではこうはいきません。


▽2 日本会議はIT技術論の裏付けを

 昭和54年の元号法成立後は、内閣総理大臣が有識者に新元号の候補の考案を委嘱し、内閣官房長官が検討・整理し、選定作業を進め、閣僚会議で協議し、閣議決定することとされています。

 つまり、改元の権限は政府にあります。憲法は天皇に国政上の権能を認めていません。

 元号法は「元号は、政令で定める」と規定しています。政令の公布は天皇の国事行為ですが、元号決定過程に天皇は関わりません。それでも前回は、政府発表の前に新元号が伝えられたといわれます。

 平成の御代替わりの前例を踏襲するといいつつ、前代未聞の新元号の事前公表を決めた政府に対して、案の定、保守系の国民運動団体である日本会議が異議を申し立てています。

 日本会議の提案は、新元号の事前公表はやめて、5月1日の践祚(即位)当日に公表・施行されるべきだというものです。新帝のもとでの公表は、原則論としては当然で、これだと「二重権威」問題を回避することができると考えられています。

 ただ、問題点が2つ指摘されます。今日のIT社会において実現可能かということです。IT技術論の問題です。

 1つは、システム改修に1か月かかるとされるのに、践祚当日にトラブルなく、速やかに移行できるのか、もうひとつは、前回、践祚当日の午後2時半に官房長官が「平成」を発表したように、5月1日の午後に政府が新元号を公表するとして、それから14時間以上もさかのぼってコンピュータ・システムを切り替えることは可能なのか、です。

 当日午前には皇居で剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)、践祚(即位)後朝見の儀が予定されていますが、官邸や宮内庁のサイトはリアルタイムでは当然、「平成31年」と表示されます。これが午後になって、遡及的に新元号に切り替わることは可能でしょうか。

 この日の朝、区役所に婚姻届を提出した若いカップルがいたとして、婚姻届は「平成」のままですが、夕方に婚姻届受理証明書を申請したら新元号に書き換えられているのでしょうか。

 日本会議の関係者は「可能だ」と断言しています。なかにはITに詳しい方もおられるのでしょう。システム会社にお勤めの方もおられるかも知れません。それなら技術的な根拠が明示されるべきではありませんか。そうすれば、政府も納得して受け入れるはずです。

 さらにいえば、皇室ではなく、政府が新元号を選考し決定するという現行の国民主権的な改元の制度をこそ根本的に問題提起し、建設的な議論を喚起すべきではないでしょうか。その方が「美しい日本の再建」を掲げる日本会議に相応しいと私は思います。


▽3 便宜主義的な所先生の6月1日施行案

 日本会議案に批判的なのが、元号の歴史に詳しい所功先生です。先生は、5月1日公表、6月1日施行を提起しています。

 情報システム移行に1か月かかるという政府サイドの言い分を認め、改元の施行を1か月延期し、時間的余裕を与える提案は、政府関係者にはるかに受け入れられやすいものとなっています。

 しかし、先生が専門とする元号の歴史にとって、「1か月」にいかなる意味があるのでしょうか。私には単なる便宜主義としか映りません。IT技術がさらに進めば、「1週間」でも「翌日」でも可能になるという議論なら、歴史学は不要でしょう。

 明治以後、一世一元の制に改められ、明治42年の登極令以後、「践祚ののち直ちに元号を改む」こととされましたが、この改革を主導したという岩倉具視は、ほかならぬ所先生の著書『年号の歴史』によると、10人もの公卿たちが長時間、議論したという難陳の改廃とともに、「一世一元の制と為すの議」を建策し、これを裏付けるように「御即位之事」に関する覚書には「一、御即位同日改元、御一代御一号之事」と記されています。

 所先生は、「おそらく三月十四日(五箇条の御誓文)に近いころ、岩倉は半年後の御即位(即位礼)と同日に改元して、その機会に『御一代御一号』の方針を打ち出そうと考えたのであろう」と解説しています。

 結局、「明治」の場合、「御一代御一号」は定められましたが、「御即位同日改元」は実現せず、慶応4年8月27日即位礼、同9月8日改元となりました。踰年改元です。

 先生の著書では、明治の「御一代御一号」採用については説明されていますが、「御即位同日改元」の不採用については詳細が説明されていません。登極令で践祚直後の改元が定められたことについては、「伊東巳代治が(帝室制度の制定に)熱心に取り組んだ」と記述するにとどまっています。

 踰年改元の長い歴史や、明治の先人が即位礼当日改元を提唱したという史実、さらにシステム改修には一定の準備期間を要するという現実を考えるなら、所先生は、5月1日に新元号公表、10月22日の即位礼当日改元を提唱してもよかったのではないでしょうか。


▽4 即位礼当日改元なら即位日を歴史にとどめられる

 ただし、即位礼当日改元にも問題がないわけではありません。

 たとえば今回の場合、践祚当日改元であれ、1か月後であれ、即位礼同日改元であれ、践祚と同じ年に元号を改めることに変わりはありません。「一年にして二君有るに忍びざる」という踰年改元の精神に反します。

 国会図書館調査及び立法考査局の井田敦彦氏がまとめた「改元をめぐる制度と歴史」(2018年8月)によると、登極令が践祚当日改元を定めたのは、すべて践祚という事実を基準として考え、「天皇の御在位年間の記号となす趣旨を徹底せしめられた」からでした。

 かつてのように時日を引き延ばさず、先帝崩御の瞬間を新元号開始の瞬間とし、改元の詔書は先帝崩御の瞬間にさかのぼって効力が発生するものとされたというのです。

 この考え方に従えば、改元の時期を即位礼の日まで延期させるべきではありません。5月1日の践祚の日に改元は行われるべきだということになります。しかし既述したように、現実的ではありません。

 登極令による最初の事例となった「大正」の場合がそうでした。明治天皇の崩御は7月29日午後10時43分。しかし1時間15分あまりでは践祚の儀式すら不可能です。そこで「事実を基準」にせず、崩御の時刻を2時間遅らせ、翌日の午前0時43分崩御とされました。厳密に登極令に基づく改元は、歴史上、「昭和」のみということになります。

 即位礼当日に改元する方法は現実的で、制度化も容易であり、践祚の日ではなくて即位の日を歴史に留めることができる点で優れていると思われます。「平成」以後失われた、平安期以来の践祚と即位の違いを復活させ、明確化させることもできます。けれども、キリのいい日とは限らないという弱点があります。

 今回の御代替わり論議で、当初、元日案、4月1日案が提起され、結局、5月1日案に落ち着いたのは、区切りがいい日が暗黙の了解になっていたと考えることができます。

 とするなら、思い切って、翌年の元日に新元号を施行するというアイデアはどうでしょうか。かつての踰年改元の精神を生かすこともできます。IT業界もカレンダー業界も文句は言わないでしょう。

 ただ、5月1日の践祚に対して、翌年元日の改元はちょっと遠すぎるという反対意見は免れません。

 かつては東アジアの漢字文化圏で広く採用されていた年号制は、いまや日本だけの文化となりました。世界にまれな、千数百年続く貴重な無形文化財を後世まで引き継ごうと思うなら、国民はもっと知恵を絞るべきではないでしょうか。

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所功先生、いまさらの「政府批判」の真意 ──もしかして矛先は男系男子継承維持派に向けられている [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年9月24日)からの転載です

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所功先生、いまさらの「政府批判」の真意
──もしかして矛先は男系男子継承維持派に向けられている
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 新元号論議について、書きます。

 報道によると、9月22日、京都の大学を会場に開かれた、元号がテーマの公開シンポジウムで、敬愛する所功京産大名誉教授が、新元号の事前公表について「ルール違反」と指摘したとされます。先生が政府を批判されるとは、驚き桃の木です。

 記事によると、所先生の指摘は以下の通りです。

1、「平成」は来年4月30日の真夜中に終わるが、新元号がいつ決まり、発表されるかはたいへん重要だ。

2、皇位継承は5月1日午前0時であり、そのあと閣議が開かれ、政令を定め、天皇の署名捺印が求められるべきである。

3、ところが、政府が1か月前の事前公表を発表したため、「よろしくない」と批判が起き、混乱を招いている。

4、過去の例からすると、1か月くらいの猶予を置くことは不適切ではない。6月1日政令施行でもいいと思う。

 所先生が何を「ルール違反」と指摘したのか、記事ではよく分かりませんが、おそらく改元の権限はもともと新帝にあるのだから、「平成」の時代に新元号を決定し公表することは適切ではないと述べられたものと推測されます。

 皇位継承に先立つ新元号の決定・公表が不適切であるのはまったく仰せの通りで、異論はありませんが、手遅れともいえる今ごろになって、なぜ批判をなさるのか。真意はどこにあるのでしょうか。


▽1 践祚即日改元にこだわる政府

 これまでの経緯を少し振り返ってみます。

 次の御代替わりに関する日程は、昨年12月1日の皇室会議を経て、「4月30日退位、5月1日即位・改元」が同8日の閣議で決定されました。退位特例法の施行日が「4月30日」とされたからです。

 正確にいうと、以前、書いたように、皇室典範特例法はあくまで「退位」に関する規定であり、閣議の決定は特例法の施行日、すなわち退位(譲位)の期日のみでした。閣議後の会見で記者の質問を受けた菅官房長官はようやく「翌日即位」に言及し、改元については「5月1日を軸に検討したい」と述べたのです。改元に関する初めての言及とされます。

 まともに意見したいなら、このとき声を上げるべきですが、議論らしい議論は起きませんでした。践祚即改元など、まるで非現実的なのに、です。そもそも退位(譲位)と即位(践祚)と改元を整理せずに議論することが間違いなのです。

 明治42年制定の登極令では「践祚の後は直ちに元号を改む」(第2条)と定められていますが、昭和54年の元号法は「皇位の継承があった場合に限り改める」と一世一元を規定するのみで、「直ちに」はありません。したがって、法律上、践祚即日改元にこだわる理由はありませんし、事実、「平成」は翌日改元でした。

 政府はその後、「退位の翌日即位・改元」「即位当日改元」の既成事実を積み上げていきましたが、どだい、無理があるのです。それはIT社会の壁です。5月1日に改元するなら、総理官邸ほか各官庁のコンピュータ・システムを新元号に切り替えるには準備期間がどうしても必要です。

 案の定、今年5月、政府は新元号を改元1か月前の4月1日に公表することとし、準備を進めることを決定しました。システム改修には1か月かかるという判断からです。

 こうして法律上やむを得ないならいざ知らず、法的制限があるわけでもないのに、歴史上認められてきた新元号決定の権限を、新帝から奪うことになったのです。そもそも元号法には「元号は政令で定める」とあるばかりで、主体は不明確ですから、容認されると政府は考えているのかも知れません。


▽2 日本会議の「践祚即日改元」に反対

 新元号の事前公表は所先生が仰せの通り「ルール違反」というべきで、まったく正しいですが、なぜ今ごろになって先生は異議を申し立てるのでしょうか。

 政府は今年1月から準備委員会を3回にわたって開催し、その間、有識者によるヒアリングも行われました。4人のうちの1人が所先生でした。

 ヒアリングのテーマは退位と即位の式典に関するもので、改元ではありませんでしたが、元号に詳しい数少ない有識者の一人であるからには、「即日改元」に無理があることを政府に対して指摘すべきだったのではないでしょうか。

 しかしそうなさらないのは、先生には政府の政策を批判するという発想がもとよりないからかも知れません。先生の批判はおそらくほかに向けられているのでしょう。

 政府が「4月1日公表」を決定したあと、保守系の国民運動団体である日本会議は事前公表に強く反対する姿勢を示すようになりました。所先生の批判はこの日本会議に向けられているのではありませんか。

 女性天皇のみならず歴史にない女系継承をも容認する先生としては、これに強力に反対する日本会議はともに天を戴かざる仇敵です。これまで厳しい批判にさらされてきた先生の意趣返しでないことを祈りたいものです。

 日本会議は新帝即位の5月1日当日に新元号公表、即日施行を主張しています。先生の場合は当日公表までは同じですが、1か月後の6月1日施行を提案しています。新元号の事前公表反対で両者がまとまるならいいのですが、そうはいかないのでしょう。

 不思議なことに、いやむしろ、であればこそというべきか、日本会議も所先生も、もっとも肝心なIT技術論が欠落しています。


▽3 「即日改元」が行われたのは昭和の一例のみ

 所案は、改元の準備を進める政府関係者にとっては、1か月の延期ですから、それだけ時間的余裕が与えられるわけで、むしろありがたい提言です。日本会議案よりははるかに受け入れやすいといえますが、これもまた「ルール違反」ではないでしょうか。

 所先生は歴史家であり、とくに元号の専門家でもありますが、歴史上、女系継承がなかったのと同様、践祚後1か月後の改元というような歴史はないはずです。歴史的根拠を欠く提言をなさる意味がまったく理解できません。

 先生が執筆した『年号の歴史』や『元号』を読むと、延暦から大同への改元のことが書いてあります。延暦25年3月に桓武天皇が崩御され、皇太子(平城天皇)が践祚した当日に改元されたことを正史『日本後紀』は、先帝崩御の翌年に改元すべきだ、年内改元は二君に仕えることになる、と異例の批判を行っているとあります。

 奈良時代には践祚同日改元が4例あるようですが、延暦以後、年内改元を控え、翌年に改元する「踰年(ゆねん)改元」という考えが一般化しました。

 蛇足ながら、ある保守派の識者は、即位礼当日改元を提言する私に、「1年後なんてあり得ない」と切り捨てましたが、踰年改元を知らないのでしょう。皇室の歴史を知らない尊皇派人士が即日改元を主張しているのです。

 それはともかく、明治の改元も踰年改元でした。けれども、明治42年の登極令で即日改元が法制化されます。過去にない新例が開かれたのです。

 しかし実際に即日改元が行われたのは昭和の一例のみです。


▽4 「即位礼当日改元」を建策した岩倉具視

 明治の初年には一世一元の制が定められました。岩倉具視の建策によるとされますが、岩倉の文書には「御即位同日改元」とあり、明治天皇の即位礼当日に改元し、同時に一世一元の制を確立しようとしたというのが所先生の説明です。

 既述したように、結局、明治の改元は踰年改元でした。一世一元の制は定められましたが、法制化は42年制定の登極令まで遅れました。明治22年の皇室典範制定では元号に関する議論が行われていないようです。

 登極令の制定は、宮内省の臨時帝室制度取調局で行われ、伊東巳代治副総裁が熱心に取り組んだと所先生は説明しますが、なぜ践祚当日改元という新例が開かれたのか、残念ながら、先生の著書には解説が見当たりません。

 しかも最初の事例となったはずの「大正」の場合、明治天皇の崩御は「午後10時43分」(『昭和天皇実録』)でしたが、日付変更まで1時間余りでは改元の手続きができないことから、崩御の時刻は翌日の「午前0時43分」(『明治天皇紀』)と、2時間遅らせることとされました。法律より現実が優先されたのです。

 所先生が提唱する、古来の歴史にない、近代にもない「践祚1か月後改元」とする根拠は何でしょうか。「1か月ぐらいの猶予を置くことは不適切ではない」程度のことでは、不十分です。日本会議が提案する「践祚即日改元」は現実的に無理として、岩倉具視の建策にある「即位礼当日改元」ではいけませんか。

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登極令に準じた即位大嘗祭の挙行をなぜ訴えないのか ──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年9月17日)からの転載です

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登極令に準じた即位大嘗祭の挙行をなぜ訴えないのか
──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 1
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 全国約8万社の神社を包括する神社本庁の研究大会が8月下旬、國學院大學で開かれました。テーマは御代替わりです。

 尊皇意識が人一倍高いだろう関係者たちが真剣に研究し、意見交換しようとする姿勢には、心から敬意を表しますが、皇位継承を来春に控え、すでに政府の基本方針も定まり、概算要求の時期を迎えたときに、いまさら研究会ではないだろうと正直、思いました。

 対応があまりにも遅すぎるのです。まるで周回遅れのトラック競技を見ているようで、切なささえ感じます。リーダーシップをとれる人材がいないのでしょうか。もしいないのなら、育てるべきだし、それでも足りないなら、外部から招聘すべきです。

 神社本庁長老の上杉先生が最晩年、病室で私の手をかたく握り、「神社人を批判せよ」と遺言されたのを昨日のことのように思い出しつつ、以下、蛮勇をふるって、率直な感想を書かせていただきたいと思います。

 なお、これは神社界の「広報紙」(機関紙ではない)とされる「神社新報」9月3日号の一面トップに掲載された記事、つまり記者の目を通した二次情報に対するものであることをあらかじめお断りしておきます。もちろん、批判のための批判ではありません。


▽1 現状に関する報告

 一面の大半を占める記事によると、研究会は、「御代替わりに関する現状について」と題する浅山・神社本庁総合研究部長心得の報告で始まりました。

 報告のポイントは以下の通りです。

1、退位特例法の成立・公布のあと、神社本庁および関連機関が「基本姿勢」などをそれぞれ発表した。

2、宮務法について、歴史を踏まえて皇室の伝統を明文化したものであることに鑑み、失効しているとしても、現在も基本にするべきことを解説した。

3、特例法の「退位」は「譲位」とするのが適切である。宮務法に「譲位」はないが、光格天皇の例を参照すべきだ。

4、大嘗祭は、「一世に一度のきわめて重要な伝統的皇位継承儀式」などとする平成の御代替わりでの閣議口頭了解を、今回も政府が踏襲すると明記していることを確認した。

5、政府が大嘗祭を「公的性格・公的色彩を有するその他の行為」とし、新嘗祭など宮中祭祀が「それ以外のその他の行為」とされていると指摘し、「大嘗祭と新嘗祭の違いは何か。新嘗祭をどう考えるか」と指摘し、宮中祭祀の扱いについて声を上げていく必要を訴えた。


▽2 依命通牒をもしご存じなら

 よく分からないのは、突然、記事に現れる2の「宮務法」です。

 おそらく明治憲法下の登極令など皇室令を指すものと思いますが、そうなると「失効しているとしても……」が意味が通じません。

 たしかに日本国憲法の施行とともに、旧皇室典範以下皇室令は全廃され、宮務法の体系は失われましたが、当メルマガの読者ならご承知の通り、同日に宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、第三項「新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて」によって、祭祀の形式などは守られてきました。

 平成3年に宮内庁高官がこの依命通牒について、「廃止の手続きを取っていない」と国会で答弁していますから、「失効しても、基本にすべき」ではなくて、当然、基本にされなければなりません。それが法治主義というものです。

 ただ、宮内庁は依命通牒の解釈運用を昭和50年に変更しています。平成の御代替わりが登極令そのままに御代替わりが進められなかったのはそのためでしょう。国会答弁では「三項と四項をあわせ読めば」と説明されています。

 浅山氏はそのことを指摘すべきだったと思います。もしご存じならば、です。

 3の「譲位」とすべしという主張はもっともですが、近代以降、譲位が認められてこなかったことについては、少なくとも記事には、指摘がありません。

 光格天皇の事例が参照されるなら、政府が進める退位と即位の分離などあり得ません。退位の礼などあり得ません。

 政府は、光格天皇の事例について検討しています。「貞観儀式」も参照していますが、きわめて不十分です。なぜか一条兼良の「代始和抄」は検討の対象にされませんでした。浅山氏はそこを指摘すべきだったでしょう。


▽3 大嘗祭とは何か

 4および5の大嘗祭についてですが、そもそも政府は天皇の祭祀を宗教的活動だと認識しており、ここに最大の問題点があると思われます。

 御代替わり全体が国事とはされず、大嘗祭は宗教的活動だけど、公的性格があるから公金(内廷費ではなく宮廷費)を支出するといっているに過ぎません。

 神社人は、御代替わりの諸行事すべてが国事であり、大嘗祭はもっとも伝統的な中心行事であることを訴えるべきでしょう。

 依命通牒が廃止されていないなら、登極令に準じて、附式に則って、即位大嘗祭は挙行されなければなりません。浅山氏はそこを指摘すべきではないでしょうか。

 また、浅山氏は、大嘗祭と新嘗祭など宮中祭祀の違いを指摘されましたが、宮中祭祀でも宮中三殿での祭祀と神嘉殿での新嘗祭では、祭神や神饌が異なります。三殿での新嘗祭と神嘉殿の新嘗祭でも神饌は異なります。

 とくに大嘗祭および宮中新嘗祭は、皇祖神ほか天神地祇に稲作民の米と畑作民の粟をともに捧げて祈る国民統合の国家的儀礼であって、宗教的活動の範疇を超えたものであることを主張されるべきではないでしょうか。

 宮中祭祀の扱いについて、「斯界が声を上げる」のは立派なことですが、祭祀の内容と意義についていっそう深く探求すべきでしょう。(つづく)
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井上清京大名誉教授の「元号廃止論」を読む ──時代のニーズに追いついていない学問研究 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年9月16日)からの転載です

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井上清京大名誉教授の「元号廃止論」を読む
──時代のニーズに追いついていない学問研究
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▽1 元号への拒否感

 来春の御代替わりに伴う改元について、政府は1か月前に新元号を事前公表し、践祚(即位)当日の5月1日に改元することを決めています。

 これに対して、保守派のなかから「事前公表」への反対論が出ています。これは改元の権限が本来、誰に帰属するのかというきわめて本質的な議論を含んでいますが、盛り上がりに欠けています。

 理由は反応があまりにも遅すぎるからだけではありません。いまや日本だけの文化ともいわれる元号を忌避する現象さえ起きています。

 たとえば全国紙のサイトをのぞくと、朝日や毎日、日経はもちろん、保守派と見られている産経でさえ西暦を使用し、トップページに年号を使用しているのは読売だけです。こんな状況では、国民的な議論が深まるはずはありません。

 政府自体、腰が引けています。すでに元号法の審議過程から「元号の使用を国民に義務づけるものではない」と繰り返していたくらいですから、何をか言わんやなのです。

 それだけ元号に対する根強い拒否感があるということですが、何がそうさせるのか、あらためて考えみます。

 ここでは、井上清京大名誉教授(日本史。故人)の『元号制批判──やめよう元号を!』(明石書店。1989年。蛇足ながら、この本の奥付も西暦表記です)をめくってみることにします。


▽2 古代中国のモノマネか

 井上先生の著書の「はしがき」に、昭和から平成への御代替わりが迫っていた昭和63年11月、井上先生たち反対派が出した「年号制をなくそう!」なる声明文の全文が掲載されています。先生の説明では、発起人は数十名、起草者はほかならぬ先生でした。

 先生たちが、年号(元号)使用の強制に反対するだけでなく、公文書での不使用を提唱し、さらに年号制そのものをなくせと主張するのには、4つの理由がありました。

 1つは、「紀年の方法としては不合理きわまる」ことです。年号だけでは歴史的事象の先後関係を知ることができないし、一世一元の制が採用された明治以後も数代にわたる年代を表示できず、これでは紀年法に値しないというのです。

 それなら、なぜそのような紀年法が採用されたのかといえば、古代中国の制度をそっくり移入したモノマネだというのが先生のお考えです。万物を支配する「天」の子が皇帝であり、皇帝が空間と時間を支配するという考え方が採用され、元号を制定する天皇が国民を縛り付ける制度となったというわけです。

 しかし、漢字の導入や仏教の伝来がそうであったように、年号の採用は単なるモノマネではないように私は思います。年号は朝鮮やベトナムでも採り入れられましたが、それは古代中国のモノマネというより、漢字や仏教と同様、世界基準と考えられたからではないでしょうか。

 一方で、上山春平元京大教授(哲学。故人)が指摘したように、古代中国の易姓革命の思想は日本では受け入れられませんでした。日本の古代律令制では、ご本家の三省六部とは異なり、太政官と神祇官が並立する二官八省が採用され、政治権力は天皇から太政官に委任されました。けっしてモノマネではありません。

 井上先生がご指摘のように、9世紀末から10世紀初めになると、日本の改元は「瑞祥改元」から「災異改元」へと変化していきました。なぜなのでしょうか。

 先生は天皇の権力・権威を強調する、古代中国の後追いだと説明していますが、そうでしょうか。日本の天皇制がその程度のものなら、それから千年以上、いまに到るまで存続し得たでしょうか。

 中国のモノマネの年号は廃止し、西洋のモノマネの西暦は採用し続けるというのは、論理的ではありません。大和言葉と漢語、在来信仰と仏教というように多様性の共存こそが日本という文明かと思われます。


▽3 天皇嫌いの感情論

 2つ目は、年号制が日本国内でしか通用しないという限界性、閉鎖性です。諸外国と交際できないし、平等で対等な交通の障害となり、国際感覚を妨げ、逆に排外意識を育てるというのです。

 たしかに日本の年号は日本でしか通用しません。いまでは日本だけが年号制の唯一の採用国です。仰せの通りです。

 けれども、先生が主張される年号論、いや、むしろ天皇論といった方がより正確かも知れませんが、お考えからすると、各国の独自の歴史と文化はすべて価値が否定されることになりませんか。イスラムにはイスラムの、仏教国には仏教国の紀年法があるのは、認められないことでしょうか。

 世界の国々が同一の文化を持つから対等に交流できるのでしょうか。そうではなくて、それぞれの国や民族が持っている独自の文化に大きな価値があることを互いに認め合うからこそ、平等な国際関係を保つことができるのではありませんか。

 たとえば最近では、驚いたことに、日本の「昭和歌謡」を愛好する外国人も増えているようです。日本人に排外意識が芽生えるどころではありません。

 3つ目は、以上の2つの理由は明白なことであって、実際、元号廃止論は天皇尊崇主義者にも、合理性・国際性を持つ学者や国際的な資本家にも少なくないということです。

 しかし、上山春平元教授が「大嘗祭は第一級の文化財」と仰せになったように、年号もまた日本の伝統的文化財です。元号は不便で、世界に通用しないから廃止するというのではなくて、西暦と併用すれば済むことです。

 井上先生の元号廃止論は、単に天皇が嫌いだという感情論に聞こえます。


▽4 天皇の絶対的権威?

 4つ目は、まさにその天皇論で、井上先生は、年号制は政治的思想的に天皇の絶対的権威を高め、その下に国民を統合する強力な作用があることが期待されているからこそ、政府・自民党は年号制を強行するのだと断言しています。

 しかし、もし政府・自民党が絶対的な天皇の権威を高めようと企てているのなら、新元号の事前公表などしないのではありませんか。天皇の権威を重んじるなら、新元号の決定は践祚後、新帝のもとで行われなければなりません。いまの政府の姿勢は天皇の権威を高めるものとはいえません。

 さらに井上先生の批判は、国家神道、教育勅語、皇国史観、現人神天皇、現代軍国主義へと広がっていき、元号論を超えています。

 大正2年生まれで、羽仁五郎の指導を受け、マルクス主義の洗礼を受けた先生が天皇制批判に走るのはごく自然かも知れませんが、日本の天皇は古来、絶対的存在などとはほど遠かったはずです。

 にもかかわらず、先生が多感だった昭和前期に、「天皇は現御神である」(「国体の本義」文部省。昭和12年)とされるようになったのはなぜか、むしろその経緯と理由をこそ歴史学者として探求すべきではなかったでしょうか。

 さて、いっこうに議論が深まらないまま、御代替わりは来春に迫りました。御代替わりのあり方についての議論だけではありません。国家神道論、天皇論そのものに関する学問研究が時代のニーズにまったく追いついていないのです。
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