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神道人の議論はなぜ始まったのか ──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月24日)からの転載です

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神道人の議論はなぜ始まったのか
──葦津珍彦vs上田賢治の大嘗祭「国事」論争 1
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▽1 知る人ぞ知る論

 御代替わりの儀礼、とりわけ大嘗祭は国事なのか否か、しばらく考えてみたいと思います。材料となるのは、昭和天皇の晩年、前回の御代替わりが近づいたころ、神道人たちのあいだで展開された、知る人ぞ知る論争です。

 以前にも取り上げた岩井利夫・元毎日新聞記者の『大嘗祭の今日的意義』(昭和63年、錦正社)には、昭和59年に、大嘗祭のあり方をめぐって、戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦先生と上田賢治・國學院大学教授(神道神学)とのあいだで交わされた、この論争が紹介されています。

 岩井氏の著書では、「大嘗祭が国事であるか、宮務であるかについて、なお貴重な論争がある」ということで、葦津先生の見解に対して上田先生が反駁された「論争」として紹介され、葦津先生が「大嘗祭を国事とはせずに公事とせよ」と主張し、上田先生は「皇室祭儀は国事たるべし」と反論したことになっています。

 とくに葦津先生の主張は「大嘗祭公事論」ということにされ、前回、そして今回の御代替わりで、大嘗祭が「国の行事」とはされないけれども、その公的性格を認め、国費支出が相当であるとするための法的根拠の1つともなっており、重要な議論です。

 しかし、この論争には、とくに3つの見逃せない論点が指摘されます。(1)憲法改正をめぐる時代背景の違い、(2)一次情報へのアクセスが困難だった時代といまの違い、(3)「国事」の意味の違い、の3点です。そして、もう1点付け加えるとすれば、今回がまさにそうであるように、かまびすしい議論とはおよそ無縁の神道人による、めったにない論争はなぜ生まれたのか、です。

 こうした問題点を踏まえたうえで、大嘗祭のあり方について、あらためて原典に振り返って、考えてみたいと思います。


▽2 書斎の研究者ではなかった葦津先生

 論争の起点である葦津先生の記事は、「皇室の祭儀礼典論──国事、私事両説解釈論の間で」と題され、昭和59年2月10日付の中外日報に載りました。タブロイド新聞の8面、9面の両面ぶち抜きでは足らずに、10面にまでまたがるボリュームでした。

 メインタイトルのほかに、「天皇がお祭りをしても“私事”なのか」「内廷費中『神事費』の所在」「『宮務法上の重儀』やっぱり“国務圏外”?」「同感できぬ『国事論』」といった見出しが紙面に散りばめられています。

 これが、いうところの「大嘗祭公事論」とされ、大嘗祭=非「国の行事」=「皇室行事」論の論拠ともされているのですが、結論からいうと、そのような解釈は誤りだろうと私は思います。葦津先生の文章は研究者のそれとは異なるからです。

 第1に、なぜ中外日報なのか、です。中外日報は明治30年創刊の、日本でもっとも歴史ある、仏教に主軸を置いた宗教専門紙です。

 葦津先生の肩書きは、論考では「元神社本庁教学委員、史家」とされていますが、社家の家系に生まれ、神社本庁設立の中心人物であり、神社新報の事実上の主幹だった葦津先生が、生涯のテーマとした宮中祭祀論に関して、なぜ神社界の専門紙である神社新報ではなく、中外日報に発表したのでしょうか。

 古巣の神社新報への掲載をわざわざ避けようとした真意は何だったのでしょう。

 第2に、葦津先生は神道思想家といわれますが、一介の野人を貫きました。82年の生涯で70冊以上といわれる書籍を著しましたが、書斎の研究者ではありません。戦中は東條内閣の統制政策と真っ向から対峙し、呂運亨を支持して朝鮮独立工作に関わり、戦後は紀元節復活、靖国神社国家護持、剣璽御動座復古、元号法制定などに中心的な役割を果たした闘う民族主義者です。

 とすれば、この中外日報の論考も字面だけで読むべきではない。単純な「大嘗祭公事論」と読むべきではない、ということになります。

 それならどう読むべきなのでしょう。


▽3 弱体だった自民党政権

 葦津先生が関わった元号法制化で、法案が国会で可決されたのは昭和54年の初夏、第一次大平内閣のときでした。当時はいまとは異なる弱体政権でした。

 直近の51年12月の34回衆院総選挙では、自民党は511議席のうち過半数割れの249議席しか獲得できず、52年7月の11回参院通常選挙の結果でも自民党は249議席中124議席を占めることしかできませんでした。

 昭和以後も「昭和」を存続させるとか、法制化ではなく内閣告示で、という選択肢も取り沙汰されるなか、53年11月に福田内閣は法制化を決定し、法案が作成され、同年暮れに大平内閣に替わって、翌54年4月には自民、公明、民社、新自クの賛成で法案が可決し、同6月には参院本会議で同様に可決、元号法は成立しました。

 元号法は成立しましたが、「元号は、政令で定める」という条文は、元号制定権の所在を曖昧にするものでした。

 大嘗祭の挙行は難問でした。憲法の政教分離問題が横たわっているからです。

 当メルマガの読者なら周知の通り、昭和49年11月に無神論者を自任する富田朝彦宮内庁次長が登場して以降、厳格な政教分離主義によって宮中祭祀の祭式は変更されました。52年7月の津地鎮祭訴訟最高裁判決では、合憲判断が下されたものの、現実には行政の神道儀式離れが促進されました。

 54年4月には衆院内閣委員会で、元号法に関する質疑が行われたとき、真田秀夫・内閣法制局長官は、「従来の大嘗祭は神式のようだから、憲法20条3項(国の宗教的活動の禁止)から国が行うことは許されない。それは別途、皇室の行事としておやりになるかどうか……」と答弁しています。


▽4 内閣法制局は政教分離問題に強硬

 元号法とは異なり、大嘗祭は憲法問題と直結しています。憲法を改正するには、制度上、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が発議したのち、国民投票で過半数の賛成が必要ですが、当時の議席配分ではギリギリでした。それどころか、内閣法制局は政教分離問題に関してきわめて強硬でした。

 そうした政治情勢では、皇室の伝統のままに大嘗祭を挙行することは無理かも知れないという声も囁かれていたことでしょう。そんなとき葦津先生は、事態の打開のため何を考えていたのでしょうか。

 良識ある神道人に信頼して、まっとうな議論を喚起し、問題点を浮き彫りにする必要があると考えたのではないか、というのが私が想像するところです。議論には学問的な裏付けが必要です。学問は1人でするものではないというのが葦津先生の考えでした。

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憲法は宗教の価値を否定してはいない ──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 1 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月23日)からの転載です

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憲法は宗教の価値を否定してはいない
──御代替わり儀礼違憲訴訟はどこまで正当か 1
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 今日は天皇誕生日です。今上陛下には宝算85、先帝に次ぐ歴代2位のご長寿となりました。そして、平成最後のお誕生日でもあります。

 お誕生日に当たり、例年どおり記者会見のお言葉が公表されました。平成27年以来、代表質問は一問のみとなり、今年は「現在のご心境」がテーマとされましたが、陛下はいつものように、まず災害の犠牲者や被災者に深く心を寄せられました。

 その上で、「譲位の日」まで、象徴天皇としての望ましいあり方を求めながら、日々の務めを果たしたいと仰せになり、即位後の道のりをさまざまに振り返られ、さらには国際化が進む国の将来への思いを述べられました。

 とくに、言葉を詰まらせながら、「人生の旅」を共に歩まれる皇后陛下をねぎらわれたことが印象的でした。よき伴侶の理解と協力が得られたからこそ、ご結婚以来60年のお務めがあるのでしょう。

 さて、お言葉にもありますように、来春、陛下は譲位され、新しい時代が始まりますが、この皇室の最重要事であると同時に、国の最重要事である皇位継承に冷水を浴びせるかのように、御代替わりの諸儀礼に国費が投じられるのは政教分離原則に反すると訴える違憲訴訟が起こされました。

 その主張はどこまで正当なのか、背景に何があるのか、しばらく検討してみたいと思います。


▽1 靖国訴訟との人的つながり

 報道などによれば、今月10日、退位の礼や即位の礼、大嘗祭に公金が支出されるのは憲法違反だとして、市民団体のメンバーら241人が、公金支出の差し止めと1人あたり1万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴しました。

 御代替わりの諸儀式は宗教的色彩が濃い。とくに大嘗祭は新天皇に神格を与える明白な宗教的儀式であり、他の宗教者・無宗教者を圧迫する、などというのが、その言い分のようです。

 訴状は公にされていませんので、正確な分析・検討は難しいのですが、幸い、いくつかの資料がありますので、ご紹介かたがた、吟味することにします。

 原告らは「即位・大嘗祭違憲訴訟の会」という市民団体を立ち上げています。原告らの媒体によると、10月に違憲訴訟の呼びかけが行われ、11月に会が立ち上げられました。

 呼びかけ人には、石川逸子(詩人)、鵜飼哲(フランス文学・思想研究者)、小倉利丸(元大学教員)、木村眞昭(真宗僧侶)、小林緑(国立音楽大学名誉教授)、桜井大子(女性と天皇制研究会)、佐野通夫(大学教員、教育学)、菅原龍憲(真宗僧侶)、辻子実(安倍靖国参拝違憲訴訟原告)、関千枝子(ジャーナリスト)、関谷興仁(作陶家)、菱木政晴(靖国合祀イヤですアジアネットワーク)、星出卓也(日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会委員長)の名前があがっています(敬称略)。

 直接は無関係のはずの靖国訴訟とのつながりが容易に見て取れます。事務局は西東京のキリスト教会、新橋の法律事務所に置かれているようです。また、秋篠宮文仁親王殿下の先のご発言も追い風になっているようです。


▽2 天皇は「特別公務員」

 主張の中身ですが、訴訟への参加を募る呼びかけ文は、その冒頭でずばり、「天皇の『生前代替わり』に際して、私たちは税金を憲法に違反する諸行事に使わないよう、公費支出差し止め訴訟を起こしたい」と宣言しています。

 今回の御代替わりは、NHK社会部による「生前退位」報道に始まりました。非歴史的で異様な用語の使用はいまではマスメディアからほとんど消えていますが、呼びかけ文の「生前代替わり」という表現はなおのこと異様です。

 歴史的な皇室用語を拒否し、新語を創作・使用する背景には、長い皇室の歴史を受け入れようとしない偏屈さがうかがえます。原告らにとっての天皇とは何でしょうか。

 今回の御代替わりについて、「2016年の天皇の『ビデオメッセージ』に始まった『退位』騒ぎ」と口汚く表現していることにも、単なる「公費支出差し止め訴訟」ではないことを痛感させます。

 わずか1200字程度の文章で、多くのスペースを割いて批判されているのは、「退位」特例法の文体についてで、「不気味な条文」と指摘しています。「人間明仁を指すときは『天皇陛下』、制度上の役割を示すときは『天皇』としているかのようですが、法律なのに敬語が満載されています」というのです。

 逆に敬語を省略した原告らの文体は、古来の天皇のあり方を否定し、日本国憲法の規定に厳格な解釈・運用を要求しているようです。

 実際、文章は続いて、国事行為以外の天皇の行為は憲法原理からは認められない、公的行為など憲法上存在し得ない、逆に、天皇は特別公務員として憲法を尊重・擁護する義務を負うとたたみかけています。

「人間明仁」という表現にはいわゆる「現人神」天皇論への反発が見えます。原告らには天皇はあくまで「特別公務員」なのです。


▽3 宮中祭祀は「国の宗教的活動」なのか

 そのうえで、憲法には皇位継承の手続きが定められていない。それなのに、前回は123億円の膨大な税金が投じられた。皇室典範には即位の礼に関する具体的な規定はなく、大嘗祭については記載すらない。一連の儀式は政教分離・主権在民原則に反するもので、大阪高裁は「違憲の疑い」を明示した、と主張しています。

 そもそも憲法は「すべて皇室財産は国に属する」と定めており、皇室財産も関連経費も国民の税金だから、「天皇の生前代替わりに際して、このような憲法違反の行為に税金支出をさせないよう、公費支出差し止め訴訟(納税者訴訟)としてこれを問う裁判を起こしたい」というわけです。

 原告らには、悠久なる皇室の歴史への敬意は感じられず、優先されるのは日本国憲法の国民主権主義であり、政教分離原則ということになります。

 しかし大嘗祭とはいかなる儀礼なのか、大嘗祭の宗教性が否定できないとして、それは憲法が禁止する「国の宗教的活動」に当たるのでしょうか。宮中祭祀には教義はなく、教団もなく、宣教師もおらず、布教の概念すらありません。国民の信教の自由を侵しようがありません。

 また、憲法は宗教の価値を認め、信教の自由を保障しているのであって、宗教を悪と見なし、否定しているわけではありません。憲法学者の小嶋和司教授が指摘したように、憲法は宗教的無色中立性を国家に要求しているわけではないのではありませんか。

 いわゆる神道指令を発した占領軍でさえ、占領後期になると、神道形式による松平参議院議長の参議院葬(昭和24年11月17日)、皇室喪儀令に準じた貞明皇后の御大葬(同26年6月232日に斂葬の儀)、吉田首相の靖国神社参拝(同10月18日)を認めています。

 先の大嘗祭違憲訴訟では、最高裁は合憲判断を下しています。

 古代から続く皇位の継承は、皇室の最重要事であると同時に、国の最重要事であり、国費が投じられるのは当然でしょう。憲法や皇室典範に、皇位継承に関する規定が十分ではないというのなら、望ましい条文に改めるべきではないでしょうか。

 次回からはさらに詳しく探求したいと思います。
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30年前と状況は変わっていない ──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 4 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月16日)からの転載です

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30年前と状況は変わっていない
──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 4
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 この夏、御代替わりをテーマに、國學院大学で開かれた、神社本庁の研究大会の批判を続けます。今回は最終回です。

 その前に、前回のメルマガ(ブログ)のタイトルが誤っていました。正しくは「朝儀を復興させた近世と何でもありの現代の違い」です。失礼しました。

 さて、9月3日付神社新報の報道によると、浅山雅司神社本庁総合研究部長心得の報告、齊藤智朗國學院大学教授および松本丘皇學館大学教授の発題にひき続いて、共同討議が行われました。司会は茂木貞純国大教授で、まずコメンテーターとして武田秀章国大教授が発言しました。


▽1 「日本の伝統」とは何か

 武田教授は、前回の御代替わりを神社本庁職員として体験したこと、そのとき日本の伝統を評価する海外の声が多く聞かれたことを回想しました。

 そのうえで、御代替わりの諸儀式には「祈りの心、日本の国柄そのものがうかがえる」、「近代日本の建国神話の再現が近代の御代替わり」であるなどと解説しました。

 3点、指摘します、

 1つは、30年前の御代替わりは、けっしてよき先例ではないということです。

 前回の皇位継承は、昭和天皇の闘病と崩御に始まりました。武田教授もご存じのように、神社本庁では、陛下の平癒祈願のためタバコやコーヒーを断つ、尊皇意識に燃える職員が何人もいました。けれどももっとも肝心なときに、人には言えないような、純真な職員の努力を無にするような不祥事が起きました。しかし処分が行われたとは聞きません。

 もともと連盟方式で設立したのが神社本庁であり、人の和を尊ぶのは神社界のよき伝統ですが、よりにもよって重要な日に事件は起きたのです。臭いものにフタをする体質が、今日、世間的に指弾される醜態の原因となってはいないでしょうか。

 話はズレましたが、武田教授は何を「日本の伝統」とお考えなのでしょうか。宮内庁職員OBが証言しているように、当初は装束を着ることさえ高級官僚たちから強く批判されるありさまでした。平安期以来の践祚と即位の区別が失われるなど、多くの不都合も生じました。

 皇室の伝統を尊重して御代替わりの諸儀式を行うことができなかったのが前回の御代替わりであり、その悪しき先例を踏襲するのが今回の御代替わりです。そのことをなぜ指摘なさらないのですか。臭いものにフタせず、客観的、公正に歴史を評価すべきではありませんか。

 2点目は、御代替わりに現れている「日本の国柄」とは何を指すのでしょうか。

 釈迦に説法でしょうが、即位礼は唐風儀礼です。古代中国との交流のあと、いわばグローバル・スタンダードとして採用されたものです。世界基準の即位礼と国風儀式の大嘗祭がともに伝えられているということが「日本の国柄」だと仰せなのか、それとも別の意味なのでしょうか。

 唐風の即位礼が国の行事とされ、国風の大嘗祭が皇室行事とされるのは明らかに矛盾であって、「日本の国柄」とはほど遠いでしょう。

 3点目は、「建国神話の再現」という意味がよく分かりません。

 建国に際して、神勅にもとづいて、命の糧の稲がもたらされたという記紀神話を再現するのが、御代替わりの、とりわけ中心的な大嘗祭の意義だとお考えなのでしょうか。

 しかし、大嘗祭は稲の祭りではありません。大嘗宮の儀で、新帝が神前に供され、直会なさるのは、米と粟の新穀です。米だけではありません。

 神話だ、信仰だといえば、祭祀は宗教儀礼だということになり、憲法の規定に抵触する、国の行事にはふさわしくないという反対派の法論理を後押しすることにもなるでしょう。


▽2 「日本文化」とは何か

 武田教授はコメントのあと、さらに、次の御代替わりに際して、「神道に携わるものとして、どのような役割を果たしていけばいいか」と浅山、齊藤、松本三教授に質問しました。

 これに対して、浅山氏は、御代替わりという節目に際会した体験をしっかりと後世に語り継ぐこと、齊藤氏は、明治期に対外的なことを意識していたのを踏まえて、日本文化を対外発信すること、松本氏は、天皇の祭祀とそれを支える神社の公共性が重要であることなど、それぞれ回答がありました。

 2点指摘します。

 1つは、齊藤教授がいう、発信すべき「日本文化」とは何かです。御代替わりの諸儀礼は古代から続いていますが、歴史的変化も断絶もあります。とくに明治には近代法的に整備された一方で、大嘗宮の巨大化など国家主義的な変更が加えられています。

 前回は、アメリカを元祖とする日本国憲法の政教分離原則を優先する改変が行われ、今回はその悪しき前例が踏襲されることはすでに書きました。歴史的変遷を踏まえたとき、何をもって「日本文化」と理解されるのでしょうか。

 もうひとつは、松本教授のいう、天皇の祭祀と神社の祭祀との関係です。

 神社が天皇の祭祀を支えているというのは、具体的にどのような意味なのか、この記事では正確には読み取れません。全国の神社関係者が皇室をことのほか大切に思っていることは十分に理解されますが、尊皇意識はけっして神社関係者だけではありません。仏教徒もキリスト者も同様です。

 天皇の祭祀と神社の祭祀が直結していると仰せなら、違うでしょう。国全体を統合する天皇の祭りと地域や血縁の共同体、職能集団を前提とする各地の神社の祭りとは、基本的に異なるのではありませんか。


▽3 佐藤雉鳴氏の遺言に答えてほしい

 記事によると、フロアからも多くの質問等があり、最後にオブザーバーとして阪本是丸國學院大學教授が、「これまでの御代替わりは先帝の崩御が前提だった。平成の御代替わりは反天皇制との戦いだった」と回想したうえで、次のように語りました。

「『国家神道』云々を抜きにして、国民奉賛や神社奉幣などが天皇祭祀と直結していることを、堂々と話せる基盤が出来上がってきている。学問の深化や神社界の国民運動などによって、状況が変化している」

 たしかに、この30年で環境は変わりました。しかし手放しで喜ぶべき状況ではまったくないと私は思います。そして、問われているのは、30年前と同様、間違いなく「国家神道」です。その点では状況は変わっていないと私は思います。

 ある民族運動家の証言によれば、30年前、左翼陣営は、御代替わりを天皇制打倒の最大のチャンスとみて、あらゆるネットワークを動員し、あらゆる手をつくして取り組んだのでした。しかし「反天皇制」の目論見は成功しませんでした。

「天皇なんて、要らない」という彼らの主張はたしかに潰えましたが、天皇はいかにあるべきかという異なる次元の根本的問いかけが、天皇制の非伝統化、形骸化をもたらそうとしているのが現状ではないでしょうか。女系継承容認=「女性宮家」創設論議がまさにそれです。「戦い」はまだまだ終わっていません。

 今回の御代替わりは、象徴天皇のお務めとは何か、という今上天皇の問いかけに始まりました。ビデオ・メッセージには「祈り」はありますが、「祭祀」はありません。日本国憲法は、天皇は国事行為のみを行うと規定し、祭祀は国事行為とはされていません。天皇第一のお務めである祭祀は法的には天皇の私事とされています。

 それは結局、アメリカが戦前・戦中から軍国主義・超国家主義の源流と考えたらしい国家神道論を克服できていないからでしょう。アメリカは何を「国家神道」と考え、天皇の祭祀を私事に貶めたのか、満足のいく研究成果を、残念ながら私は読んだことがありません。

 研究者たちはいつまで経っても明治の歴史ばかりを追いかけ、本格的なアメリカ研究に取り組もうとはしません。阪本教授もその一人なのではありませんか。葦津珍彦はアメリカを研究目標と見定め、渡米し、調査を行いましたが、遺志を引き継ぐ人を私は知りません。

 以前、当メルマガ(ブログ)は、在野の研究者・佐藤雉鳴氏の「国家神道とは何だったのか」「神道指令とは何だったのか」「人間宣言とは何だったのか」を掲載しましたが、阪本教授は佐藤氏の遺言ともいうべき問いかけに応えることを拒否しています。

 いまからでも遅くはありません。お考えを改めていただくようお願いします。そうでなければ、御代替わり諸儀礼のみならず、宮中祭祀の正常化は当分、望めないでしょう。
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朝儀を復興させた近世と何でもありの現代の違い ──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 3 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月9日)からの転載です

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朝儀を復興させた近世と何でもありの現代の違い
──「周回遅れ」神社関係者の御代替わり論議 3
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 今夏、渋谷の國學院大学で、御代替わりをテーマに、神社本庁の研究大会が開かれました。その批判を続けます。

 前々回(当メルマガ9月17日付)は浅山雅司神社本庁総合研究部長心得の報告、前回(同10月8日付)は齊藤智朗國學院大学教授の発題を取り上げました。


▽1 朝廷の権威向上が図られた近代

 9月3日付神社新報の一面トップ記事によると、齊藤教授のあと、松本丘皇学館大学教授が登場しました。主題は「近世における朝儀の復興」で、先行研究にもとづいて、「後水尾天皇から後西天皇まで」「霊元天皇から東山天皇まで」「中御門天皇から桜町天皇まで」「光格天皇を中心とした近世後期」について解説しました。

 松本教授によると、中世以来、途絶えてきた朝儀が後陽成天皇の御代にいくつか再興されたものの、朝幕関係が不安定だったこともあり、継続は困難で、中断が余儀なくされました。その後、歴代天皇の事績によって、幕府との折衝などを通じて、諸儀式は復興していきました。

 とくに大嘗祭は、東山天皇の御代、霊元上皇によって再興されました。中御門天皇の御代では斎行されませんでしたが、つづく桜町天皇の御代にふたたび執り行われ、このとき将軍吉宗が朝儀に深い関心を持っていて、幕府が積極的だったことなどから、新嘗祭も再興されることとなりました。

 光格天皇の御代になると、内裏の再建に際して、老中松平定信などの尽力があり、平安期を思わせるような造営がなされました。とくに神嘉殿の再興では、御神鏡が奉安される内侍所の床が紫宸殿よりも高く設計されました。「天皇の敬神の御深慮が拝せられる」と松本教授は考察しています。

 そのほか、臨時祭が再興するなど、この時期、朝廷の権威向上が図られました。

 朝儀が復興した背景には何があったのか、松本教授によると、公家の有職家などが朝廷内で研究を進めていたばかりでなく、武家の世界でも水戸藩などで研究が進められていました。

 さらに、先行研究によると、天皇や公家のあいだで垂加神道の影響が指摘されているのですが、松本教授によると、具体的な解明には到っていません。

 最後に、近年の研究について、松本教授は、「朝廷と幕府との相互補完関係の維持という視点ばかりが強調され、結果的に、皇室における朝儀の意義が等閑に付されがちだ」と指摘しました。


▽2 批判の声すら上げない現代の研究者

 松本教授の発表は、オーソドックスな研究者らしいそつのないものでした。

 あえて批判するなら、「復興」の背景は何か、です。松本教授が説明する朝廷や武家で研究が進んだことの背後にある復興へのエネルギーとは何か、です。少なくとも記事からは、それが見えてきません。

 当メルマガで取り上げてきたように、近世の践祚式や即位礼・大嘗祭は民衆が自然体で拝観していたことが知られています。堅苦しい権威的なものとしてではなく、民衆の身近な存在としての朝儀が復興されたのには、広く民衆が支持する天皇制のあり方が強く意識されます。

 ひるがえって、近現代はどうなのでしょうか。あるいは今回の御代替わりはどうでしょうか。

 皇室の伝統の尊重が謳われながら、践祚という用語が消え、したがって践祚と即位の区別が失われ、代わりに退位の礼という前代未聞の儀礼が行われます。3日間にわたる賢所の儀を待たずに、践祚当日に朝見の儀は行われます。政府は祭祀については何も検討していません。

 代始改元は践祚同日改元にこだわり、新元号の事前公表が行われることとされています。御代替わりは国事とはされていません。もはや何でもありです。

 近世の朝儀復興を担った人びとなら、この現代の混乱ぶりをどう見るのでしょうか。現代の研究者たちは、政府のヒアリングに応じても、批判の声すらあげません。近世と現代と、何が違うのか、そもそも、松本教授が口に仕掛けたらしい、朝儀の意義とは何なのか、研究者の一人として、いかがお考えでしょうか。
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現代にふさわしい大嘗祭のあり方とは? ──秋篠宮文仁親王殿下の「大嘗祭」発言に思う [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年12月2日)からの転載です

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現代にふさわしい大嘗祭のあり方とは?
──秋篠宮文仁親王殿下の「大嘗祭」発言に思う
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 秋篠宮文仁親王殿下がお誕生日会見で、大嘗祭のあり方について、率直に疑義を示されたというので話題になっている。

 殿下は、大嘗祭は「ある意味の宗教色が強いもの」で、したがって「国費で賄うことが適当かどうか」と仰せになった。「宗教行事と憲法との関係はどうなのか」「やはり内廷会計で行うべきだ」「身の丈に合った儀式にすれば」というのが「私の考え」とのことである。

 関連質問に対してのお答えだが、殿下は以前からこのお考えを披瀝してこられたものらしい。

 ポイントは、大嘗祭の性格と政教分離原則との関係、大嘗祭の本来的あり方、皇族の意見と政治との関係、の3点かと思う。


▽1 大嘗祭は宗教的儀礼なのか

 まず指摘しなければならないのは、たいへん失礼ながら、殿下はどこまで祭祀をご存じなのかということである。

 たとえば、皇室第一の重儀とされる新嘗祭は、天皇陛下が神嘉殿の内陣でご親祭になるあいだ、皇太子殿下は隔殿で控えられる。けれども、ほかの男子皇族方は殿外でご参列されるのみである。

 秘儀とされる祭式は、天皇から皇太子へ一子相伝で伝えられるという。

 皇族方は大祭ならご参列だが、小祭ならご参列もない。もしや新嘗祭、そして大嘗祭の祭儀について、詳細をご存じないのではあるまいか。

 宮中祭祀の宗教性は外見的に見れば、誰でも感じるところであり、だとすれば、憲法の政教分離原則からすれば、とくに厳格主義に立つならば、殿下の仰せの通り、公金の支出には疑問を抱かざるを得ないかも知れない。

 けれども、とくに新嘗祭、大嘗祭は、そのルーツは遠く古代の宗教儀礼だとしても、むしろ国家儀礼としての意義を理解し、価値を積極的に見出すべきではなかろうか。

 政府は前回も、今回も、大嘗祭を「稲の祭り」と理解している。稲作の儀礼なら宗教行事といえる。だが、実際は「米と粟の祭り」である。稲作民の米と畑作民の粟による国民統合の儀礼と考えられる。けっして特定の宗教儀礼ではない。

 天皇の祭祀は特定の宗教ではないし、国民に信仰を強制する性格のものでもない。教義もないし、布教の概念もない。したがって国民の信教の自由を侵すわけではない。政教分離原則に反することはない。長く伝えられてきた貴重な文化財でもある。だとすれば、公金の支出は率先して認められるべきではないか。

 政教分離原則を厳格に考えることも理解できないわけではないが、どうしても原則をきびしく貫くのなら、ミッション系スクールへの助成金は違憲だろうし、長崎県が県をあげて推進した教会群の世界遺産登録運動は振り出しに戻さなければならない。

 御代替わりは国事そのものである。内廷のみで行われる国事などあり得ないと思う。


▽2 大嘗宮を宮殿の庭に建てられないか

 とはいえ、明治以後、巨大化した大嘗宮の規模などを考えると、殿下が仰せのように「身の丈にあった」「本来の姿」を再検討すべきではなかろうか。

 京都に都があったころ、哲学者の上山春平先生が指摘したように、大嘗宮は紫宸殿南庭に、大嘗宮の儀の7日前に着工され、祭りのあと、焼却された。

 明治末に登極令が定まり、そのあと行われた大正の大嘗祭では、大嘗宮の規模がかつてないほどに壮大になった。当然、大嘗宮は紫宸殿前庭では納まらず、仙洞御所の北側を拓き、設営された。

 江戸時代、115代桜町天皇の大嘗宮は東西16間、南北10間の柴垣をめぐらして設けられたというが、大正の大嘗宮は東西60間、南北60間を板垣で囲い、建てられた。

 岩井利夫・もと毎日新聞記者が『大嘗祭の今日的意義』で指摘しているように、近代の国家主義華やかなりしころの産物といえる。

 昭和の大嘗宮も平成の大嘗宮も、この大正の大嘗宮を前例として踏襲している。そして今回もである。当然、殿下が仰せの通り、「相当な費用がかかる」。工事も1週間で済むはずはない。

 いまどき世界に国威を誇示する必要はない。殿下が仰せのように、神嘉殿で、とはいわないが、宮殿の中庭もしくは前庭に大嘗宮を建てることは無理だろうか。聞くところによると、昭和宮殿は即位儀礼が宮殿で行われることを想定して、庭を広く設計された。

 しかし今回についていえば、すでに時期を逸している。陛下が「譲位」を仰せ出されたときに、御代替わりのあり方について、議論を始められなかったことが返す返すも悔やまれる。

 それと関連して、殿下のような皇族のご発言で、基本的な議論をしなければならないのはじつに不幸である。皇室は権力政治とは一線を画されるべき存在だからである。役所の都合に合わせて皇室を利用しておきながら、「聞く耳を持たない」官僚たちはきびしく批判されるべきではないか。今回のことはその結果である。

 次の御代替わりは陛下の御意思によって始まった。陛下はビデオ・メッセージで象徴天皇制度のあり方を問いかけられたが、主権者たる国民が十分に応えているとはいえまい。2000年の歴史を踏まえて、現代にふさわしい御代替わりのあり方を、私たちは真剣に追い求めるべきだろう。
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