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靖国問題の次はチベット問題?、ほか [チベット]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年11月25日日曜日)からの転載です


◇先月から週刊(火曜日発行)の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
先週発行の第6号のテーマは「米と粟の祭り──多様なる国民を統合する新嘗祭」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「時事ドットコム」11月24日、「ダライ・ラマ勲章授与が原因か。中国の米空母入港拒否で。Wポスト」
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007112400243

 感謝祭の休暇のため香港に寄港するはずだったアメリカ空母キティホークが、直前になって中国政府から入港を拒否されたのは数日前ですが、それはアメリカが先般、ダライ・ラマに最高勲章を授与したことに対する不満の表れではないか、とワシントン・ポストが報じています。

 ワシントン・ポストの記事はこちらです。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/11/23/AR2007112301536.html

 もしかして、以前、歴史問題を道具にして中国政権内部で熾烈な権力闘争が演じられたように、今度はチベット問題を道具に胡錦涛派と江沢民派との政治闘争が繰り広げられているということはないのでしょうか。

 胡錦涛は20年近く前はチベットの共産党書記で、弾圧の張本人といわれます。しかし直前まで政争が伝えられ、蓋を開ければ胡錦涛の基盤固めどころか、上海派が復活した今年10月の党大会に時を合わせたかのように、ブッシュ大統領はダライ・ラマと会見し、最高勲章が授与されたのでした。

 かつて党中央の方針に忠実に従って指導部の信頼を得たという胡錦涛ですが、いまになって「手ぬるさ」を追い落としの口実にされているのではないか、とも想像するのですが、いかがでしょうか。胡錦涛は軍を完全に掌握しているわけではない、とも聞きます。

 つまり、キティホーク寄港に反対したのは、記事が書いている「中国政府」ではなく、かつて靖国参拝反対を表明していたのと同様に、政府内部の反胡錦涛派なのでしょう。

 とはいえ、具体的な根拠もなしに、想像でものをいうわけにはいきません。餅は餅屋、ですから、専門家の分析をぜひとも聞いてみたいと思います。


2、「MNS産経ニュース」11月25日、「イタリア便り。宗教と政治に一線を」
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/071125/trd0711250300001-n1.htm

 イタリアといえば、ローマ教皇庁のお膝元で、6000万人の国民の97パーセントがカトリック教徒、かつてはカトリックが国教と位置づけられていましたが、坂本記者によれば、300万人の外国人居住者のうち、100万人以上がイスラム教徒。イタリア全土に3カ所のモスク、696カ所の礼拝所が置かれているそうです。

 ローマにあるモスクはヨーロッパ最大の規模だそうですが、土地はローマ市当局から寄贈を受けて建てられました。このころは寛容な精神があったのでしょうが、昨今では憂慮の念が高まるようになり、モスク建設反対の抗議行動も起きているようです。


3、「MNS産経ニュース」11月25日、「愛用の古靴5000足を供養。玉姫稲荷神社」
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/071125/tky0711250247000-n1.htm

 愛用の靴に感謝する「靴のめぐみ祭り市」が24日、都内の神社で開かれたのだそうです。

 神社のサイトはこちらです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Renge/5985/index.htm


4、「読売新聞」11月24日、「英連邦首脳会議にチャールズ皇太子が国外で初出席」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071124i114.htm

 23日からウガンダで開かれている英連邦首脳会議に、チャールズ皇太子が出席しているそうです。国外で開かれる会議では初めて、と記事は伝えています。

 英連邦の長は加盟国の投票によって決まることになっており、エリザベス女王の後継者としての存在感を示す布石といわれます。


5、「中日新聞」11月25日、「福井の眼鏡業界、『中国にかなわぬ』。倒産→技術流出の悪循環」
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007112502067061.html

 眼鏡のフレームといえば福井県鯖江がその代名詞でしたが、深刻な不況にあえいでいます。1995年以降の企業倒産が100社(負債総額1000万円超)にのぼり、製造出荷も10年前に比べて半減しているのだそうです。

 原因はむろん低価格の中国製品。それではどうするのか。記事には解決への糸口は見いだせませんが、同様に中国産のトマトに浸食されているイタリアでは、生産者団体が国産ものの消費を呼びかけています(中日スポーツ)。
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2007112401000570.html

 じつに興味深いことに、猛然と安売り攻勢をかける中国が、希少金属に関しては安売りどころか、輸出を制限し、国際価格が上昇、WTO協定違反と批判されています(日経ネット)。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20071124AT2M2400224112007.html


 以上、本日の気になるニュースでした。

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事前申請なき転生活仏は認めず [チベット]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年8月7日火曜日)からの転載です


 AFPが中国国営新華社通信を引用して伝えるところによると、中国政府はチベットの活仏が転生する場合、政府の許可なくして認めないことを決定しました。新しい政策は来月から実施されると伝えられます。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2263352/2001212

 中国政府としてはチベット仏教に対する規制を強めたいのでしょうが、転生活仏の規制など不可能ではないでしょうか。第一、チベット人の考え方によれば、転生活仏が何人いるかさえ、分からないのですから。

 五年前、カギュー派の最高活仏で、「チベット仏教界ナンバー・スリー」といわれるカルマパ17世がインドに亡命したとき、この転生活仏に興味をもち、取材したことがあります。

 いちばんの関心は転生活仏が何人いるのか、です。ダライ・ラマなら誰でも知っていますが、「ナンバー・スリー」がいるとなれば、ほかにもたくさんの活仏がいるはずです。

 さっそく新宿のダライ・ラマ法王日本代表部事務所をたずねました。すると意外なことに、返ってきた答えは

「分からない」でした。

 チベット仏教はいくつかの宗派から構成されるようです。ニンマ派、カギュー派、サキュ派、ゲルク派などで、活仏はそれぞれの宗派ごとに認定されます。そしてさらにダライ・ラマの承認を受けるのですか、そのほかにも多くの化身の菩薩がおられる。しかしあくまで宗教的、精神的なもので、誰が活仏かは簡単には分からない、というのでした。

 名簿もないのですから、何人いるのか、数えようがありません。

「もしかしたら、あなたも活仏かも知れません」

 とまでいわれて、ドキッとしてしまいました。

 もっと面白いのは、

「人数を数えることは意味がない」

 と仰ったことでした。要するに、ダライ・ラマ法王とまだ修行途上の若い活仏とをあわせて「二人」と数えることに何の意味もない、というのです。

 私たちがどっぷりと浸かっている近代合理性の考え方とは異なる考え方をチベットの人たちはごくふつうにしているのでした。

 それなら、転生活仏とは何でしょうか。山口瑞鳳・元東京大学教授の『チベット』はこう説明します。

 ──仏教では、人間は輪廻(りんね)の世界で業(ごう)の束縛を受け、転生を重ねる、と考える。もはや転生しないことが涅槃(ねはん)であり、涅槃に達した聖者が没すると、もはや輪廻の世界に生まれ変わることはない。小乗仏教(上座部仏教)はこれを理想としたが、大乗仏教は異なる。自分のために解脱(げだつ)の境地を求めるあり方は低く見られるようになった。
 仏陀の境地は凡俗が一代で達し得るようなものではなく、輪廻の世界で菩薩として利他行(りたぎょう)をきわめた末にはじめて到達できる。大乗仏教徒が学ぶのはこの菩薩行だが、最終的に涅槃の境地に達しても、自分のために涅槃の境地を求める気持ちがないために涅槃に安住せず、輪廻の世界にとどまって人々を救い続ける。これを「無住処涅槃」とよび、至高の境地とされた。
 チベットではいつとはなしに名僧は仏がこの世に送り出した化身の菩薩だと考えられるようになり、この名僧を中国人は「活仏」とよんだ──。

 ということは、中国政府の今回の決定は、仏が送り出す化身の菩薩を共産党政府の許可がなければ認めない、というのですから、政府を仏よりも上位に置くことになります。そんな大それたことができるのかどうか。そんなことまでして、ダライ・ラマの宗教的権威を貶めなければならないのは、逆に、現政府の政治的統率力が低下していることを暴露するものではないでしょうか。


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聖徳太子17条憲法とチベット16条信掟 [チベット]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年5月27日日曜日)からの転載です


 ペマ・ギャルポさんが参院選に出馬するそうです。チベットに生まれたペマさんは59年のチベット暴動のあと、中国による圧政を逃れ、最高指導者のダライ・ラマに従い、インドに亡命しました。来日したのは65年、以来、日本の学校で学び、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の初代代表などを務め、一昨年、日本に帰化したと聞きます。

 ペマさんの祖国・チベットが建国されたのは紀元前127年、その歴史は第1代ニャティツェンポ王の即位に始まるといわれます。そのころチベットの人々は、日本の神道との共通性が指摘される、ポン教(ボン教)とよばれる自然崇拝と祖先崇拝を基本とする固有の民族宗教を信仰していました。

 仏教が最初にチベットの地に入ったのは第32代ソンツェンガンポ大王の治世といわれます。大王は7世紀初頭にチベット諸族を統合し、強力な王朝を建てました。

 そのころ中国は唐の時代で、唐の太宗は皇女文成公主を降嫁させました。ネパールのネワール朝からは王女ブリクティが妃として迎えられます。大王はこの二人の妃を通じて仏教を知り、仏教による政治を推進します。都ラサその他に多くの寺院が建てられ、仏教文化が花開きました。チベット文字が作られ、仏典が翻訳されました(ダライ・ラマ14世『大乗仏教入門』など)。

 ペマさんから聞いたお話でたいへん興味深かったのは、聖徳太子の十七条憲法によく似た十六条憲法がチベットにあるということでした。

 ペマさんによると、亜細亜大学に学んでいたとき、仏教研究者・梶村昇先生の「アジアの宗教」という講座で、両者の比較について学ぶ機会があったのだそうです。じつに面白いことに、ソンツェンガンポ大王が仏教をもとに強大な統一国家を樹立したのは聖徳太子と同じ時代で、大王は太子の十七条憲法にそっくりの十六条憲法を制定したのでした。

 調べたところでは、どうやら両者の類似性を最初に見出したのは、国会図書館の東洋文庫長だった岩井大慧氏のようで、「歴史教育」昭和29年1月号に発見の経緯などがくわしく書かれています。

 岩井氏によると、東洋文庫が所蔵するチベット文献、具体的には大史マニカンブムやダライラマ法王系譜などに問題の十六条法が載っているのだそうです。

 本文はこうなっています。

殺生、不与取、姦通、虚栄の四根本を断ずるをその一。
三宝を信じ、仏語を成就するをその二。
父母の恩を無量なりと感謝するをその三。
有徳者、高貴の人、年長者を尊敬するをその四。
親属、知友に対して、情細やかに善き人となるをその五。……

 これに対して、日本書紀に掲載されている聖徳太子の十七条憲法は、おおむね次のようになっています。

一にいわく、和をもって貴しとなし、さからうこと無きを宗とせよ。
二にいわく、篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。
三にいわく、詔をうけたまわりては必ず謹め。君をばすなわち天とす。臣をばすなわち地とす。
四にいわく、群卿百寮、礼をもって本とせよ。
五にいわく、みちわいのむさぼりを絶ち、たからのほしみを棄てて、明らかに訴訟をわきまえよ。……

 岩井氏は両者の類似性を指摘し、さらにインド・アショカ王の十条の徳目やマイソールの碑文の六カ条、デリーの銘文の八カ条、などとの近似性をも指摘しています。そのうえで、ソンツェンガンポ大王と聖徳太子の業績が偶然の一致とは考えられないから、ひな形となる思想や文献があったのではないか、と推理しています。

 ひな形があったとして、なぜチベットは十六条で、太子の憲法は十七条なのか。資料が手元にないので、正確ではないのですが、以前、読んだ宗教学者の研究では、十七条憲法は第一条が在来思想、第二条以下は仏教思想に基づいている、と指摘されていました。

 だとすると、ソンツェンガンポ大王の十六条は仏教思想で貫かれているのに対して、聖徳太子の十七条は在来思想と仏教思想との融合と見ることができるのかも知れません。これは両者の大きな違いで、太子の十七条憲法はそれ自体が第一条の「和」を体現していることになります。

 さて、ペマさんは、「和」という協調と調和の精神こそ日本のよき伝統であり、それが日本の発展の原動力だった、と指摘し、そのうえで、高度成長期以後の日本人が公よりも私を優先する「わがまま主義」に陥っている、と警鐘を鳴らしています。今回の立候補を決意させたのは、そのようなもう一つの祖国への深い憂いでしょうか。カゲながらご健闘を祈ります。

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