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世界遺産・石見銀山の知られざる神社 [世界遺産]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年6月30日土曜日)からの転載です


 島根県大田市の石見銀山遺跡がユネスコの世界遺産に登録されました。いったんは「延期」を勧告されながら、奇跡的に「逆転登録」されたことに地元は大いに湧いていると伝えられます。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706290391.htmlTKY200706290147.html

 石見銀山のある島根を駆け足で取材したのはもう何年前になるでしょうか。あまりの歴史の深さに圧倒されて、書くべきことの十分の一もかけなかったことを思い出します。

 銀山のふもとにひっそりとたたずむ神社がありました。井戸神社です。天領・石見銀山領の第19代代官井戸平左衛門がまつられています。

 なぜ銀山領の代官が神として祀られるようになったのでしょうか。『島根県誌』には

「救恤作物のサツマイモ栽培の功労者」

 と記述されています。島根で

「芋代官」
「芋殿さん」

 と呼ばれ、崇敬されているのが平左衛門なのです。

「大田市三十年誌」などによると、平左衛門はきわめて人格高潔な人物だったようです。将軍吉宗はその清廉さと誠実な勤務を称え、黄金二枚を与えたほどです。その平左衛門が60歳の高齢で大森代官に登用されたのは享保16(1731)年のことでした。奉行大岡忠相の推挙によるものといわれます。

 しかし順風満帆といかないのが人生の常というべきか、着任の翌年、享保の飢饉が襲いました。

「領内荒涼、もっとも酸鼻を極める」。

 平左衛門は領民の窮状を見るに見かねて、年貢を大幅に減免します。村によっては完全に免除したばかりでなく、私財を投じ、義援金を募り、さらに幕府の許可を待たずに独断で米倉を開きました。

 この結果、領内からは1人の餓死者も出すことはなかったのですが、囲米放出の責任を取り、自刃したとも伝えられます。

 平左衛門はまた、旅の僧から

「薩摩の国に奇種あり」

 という話を聞き及び、薩摩領外への持ち出しを禁じられていたサツマイモの芋種百斤を幕府のお声掛かりで入手し、砂地の多い海岸地方の村々に試作させました。その結果、天明・天保の飢饉では、多くの人命が救われたといわれます。

 サツマイモは年貢取り立ての対象外で、その有利さからやがて中国地方全域に広まっていったのでした。

 石見路を歩くと、平左衛門の戒名である「泰雲院」とか「井戸明府」などと刻まれた、身の丈ほどもある頌徳碑をしばしば目にします。米を作る百姓でありながら、滅多に米の飯を口にすることができなかった民衆が、平左衛門の遺徳を称えて建てた「いもづか」で、その数は優に200を超えるといわれます。いまも芋名月の夜に、初物を碑前に供える芋供養が行われると聞きます。それほど平左衛門に対する崇敬の念が強いのでしょう。

 篤農家たちの手によって平左衛門を祀る井戸神社が創建されたのは明治12年のことでした。

 ただ平左衛門のサツマイモ導入は必ずしも成功しなかったようです。普及に功労があったのは、石の青木秀清と篤農家の石田初右衛門で、江津地方では平左衛門とともにサツマイモの三大恩人と仰がれているそうです。

 芋神様をまつる神社は井戸神社ばかりではありません。また、こうした郷土の義人を崇敬する信仰や神としてまつる神社というのは、近世以前にはほとんど見られません。そして、とくに興味深いのは、その信仰が社会批判や体制批判としての特徴を持っていることです。

 たとえば、民俗学者の宮本常一は『甘藷の歴史』に、

「この作物に関心を持ち、これを広めていった人々のほとんどが、その時代に対して単なる謳歌者ではなく、何らかの意味でその時代や周囲に対して批判も持ち、抵抗も感じ、あるいは時世改良の志のあつかった人々である」と書いています。

 だとすれば、地方での芋神様顕彰の神社創建は、どのような意味を持つのでしょうか。明治政府は国家への功労者を祭神とする神社を全国に創建させていきましたが、芋神様の神社はこれとは一線を画すことになりそうです。神社の信仰はけっして体制維持派のものばかりではありません。しかも、それでいながら、神々のコスモスの中に大らかに受け入れられています。

 さて、島根県の公式サイトには石見銀山の世界遺産登録推進のための重厚なページが載っています。もちろん平左衛門についての言及もありますが、井戸神社についての説明は見当たりません。
http://www.pref.shimane.lg.jp/sekaiisan/
 
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